小笠原道大

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小笠原 道大
読売ジャイアンツ #2
基本情報
国籍 日本
出身地 千葉県千葉市美浜区
生年月日 1973年10月25日(35歳)
身長
体重
178cm
84kg
選手情報
投球・打席 右投左打
守備位置 一塁手三塁手
プロ入り 1996年 ドラフト3位
初出場 1997年4月8日
年俸 3億8000万円
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本
五輪 2004年
WBC 2006年2009年
オリンピック
男子 野球
2004 野球

小笠原 道大(おがさわら みちひろ、1973年10月25日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手内野手)。愛称は「ガッツ」。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

[編集] 日本ハム時代

1997年

中堅手以外のポジション全てを守れる事から「コンビニルーキー」と称される。球団も広瀬哲朗の後釜として期待していたらしい。同年、開幕一軍を果たし、加藤英司打撃コーチの薫陶を受け、フルスイング打法の原型が出来る。内野手登録だったものの23試合で捕手としてスタメンマスクをかぶる。

1998年

捕手として登録され、主に代打での出場だったが、打率.302と好成績を残す。同年5月22日にキャッチャーフライを取ろうとして、左手人差し指を骨折。まだ完治していなかったが7月1日に1軍登録されると、その日の試合で骨折しながらも代打本塁打を放つ。この事がきっかけで小笠原の代名詞ともいえる「ガッツ」の愛称が付く(後述)。オフ、バッティングフォームを神主打法に改造する。

1999年

落合博満に引導を渡した西浦克拓上田佳範(現中日コーチ)など前年のレギュラー陣と熾烈なポジション争いの結果、ついにスタメン一塁手を勝ち取った。「バントをしない2番打者」として開幕からレギュラーに定着しブレイク。松坂大輔のプロ初登板初先発の試合では8回に松坂のプロ初失点初被弾となるツーランを浴びせた。

2000年

打撃センスが完全に開花し、最多安打のタイトルを獲得。また盗塁もこの年リーグ3位の24盗塁を記録し、トリプルスリーにあと6盗塁と迫るが惜しくも逃す。

2001年

前年に続きヒットを量産し、2年連続で最多安打を記録。この年放った195安打はシーズン安打数両リーグで歴代4位である。そしてイチロー以来、史上2人目となる複数年での180安打以上も記録し、この2年間は月間MVPを2年連続で受賞。さらにチームが最下位に終わる中、49本塁打のカブレラ、3割30本100打点を記録した松中、首位打者の福浦を抑え激戦と言われたベストナイン一塁手部門も受賞。加えて歴代3位タイとなるシーズン猛打賞23回を記録する。

2002年

すでにリーグのみならず球界を代表する打者となっていたが、FAで阪神へ移籍した片岡篤史が抜けた打線の柱として3番に定着。打率.340で、自身初の首位打者を獲得。しかし、前年まで3年連続で記録したフル出場が故障のため途絶え、この年からやや故障に苦しむようになった。

2003年

三塁手不在のチーム事情と自身の意向から三塁手に転向。打率.360というハイアベレージで2年連続で首位打者を獲得すると同時に最高出塁率(パ・リーグ歴代3位)のタイトルも獲得。また、2000年から4年連続で「3割・30本塁打」を達成。日本を代表する打者に。

2004年

アテネ五輪代表として招集された影響や骨折による離脱で本塁打・打点は規定打席到達年で過去最低を記録。それでも、打率は.345で5年連続3割を記録。

2005年

自己最高の37本塁打を記録するも、前半戦、特に交流戦での大不振が響き6年ぶりに打率3割を下回った。三振も自己最多の114三振を記録してしまい、苦しいシーズンとなった。

第1回WBCでの小笠原
2006年

日本ハム、前身の東映以来44年ぶりの日本一。個人成績でも32本塁打、100打点で本塁打・打点の二冠王ならびに自身初のパ・リーグMVPにも輝いた。

[編集] 巨人時代

2006年シーズン終了後、5月に取得したFA権を行使。日本ハムから残留要請を受ける一方、読売ジャイアンツからも入団の誘いを受ける。検討の結果、契約年数(日本ハムは3年に対し、巨人は4年)が決め手となり、巨人への移籍を決断(契約年数の他、家族との同居も巨人移籍を決断した理由の一つだったらしい。日本ハムの札幌移転後は家族を千葉の自宅に残し、単身で札幌に渡っていた)。11月5日に巨人入団を発表。背番号は日本ハム時代と同じ2。入団会見の際、トレードマークであったヒゲを剃り落としていた。また、守備位置は再び三塁にコンバートされた(李承燁の不振によるレギュラー降格により、中井大介などが三塁でスタメン出場するときは一塁を守る)。

2007年

リーグが変わってもそのバッティングセンスは健在で、3割30本を記録。チームの5年ぶりのリーグ優勝に貢献する。日本ハム時代の前年に続いての2年連続MVPを獲得。なお、両リーグでのMVP受賞は江夏豊以来2人目(野手では史上初)である。

2008年

前半戦は左膝の手術の影響で、フリーバッティングに近い右投手の非得点圏のみ打率5割前後を打ち続けるが、トータルの打率は.250あたりに低迷していた。その結果、1999年から9年連続で出場していたオールスターゲーム出場も逃がすとともに、北京五輪野球日本代表メンバーにも選出されず。前半戦は数試合3番打者を大道典嘉木村拓也に譲るほどの不調に終わり、タブロイド誌などでは小笠原が足を引っ張ったという厳しい批判も聞かれた。しかし、試合に出場し続けることで8月頃に「(本人曰く)スイッチが入った」ように復活。シーズン終盤9月の月間MVPを受賞するなど調子を取り戻し、投手の左右やバッティングケースを克服。チームも小笠原の復調そのままに最大13ゲーム離されていた阪神タイガースに追いつき、逆転優勝を達成。前年・前々年に匹敵する成績を残した。

2009年
  • 3月5日24日第2回WBCに2大会連続で出場。背番号は9城島健司が「2」を付けたため)。1次リーグでは不振だったが、2次リーグに入ると復調。ここ一番でタイムリーヒットを打つなど主に5番打者として全試合に出場し、日本の2連覇に貢献した。

・東京ドームで打った通算ホームラン数が松井秀喜(現・NYヤンキース)の146号を上回る147号ホームランを打って現役最多となった。

[編集] プレースタイル

  • ヘルメットを振り落とすほどのフルスイングが代名詞で、バットコントロールも巧みで本塁打も打てる強打者。スイングスピードは球界トップレベル。それを「ミスター・フルスイング」と呼ぶメディアもある。
  • スイングは単に強振しているように見えるが、長打は広角に打てるほか高い打率をも両立させる柔軟性がある。
  • 球種で打つタイプではないのか、「何を打ったか憶えていない」というコメントをすることが多い。
  • 守備や走塁でも全力プレーを心がける「ガッツ」という愛称通りの選手。
  • 2番を打っていた時期もあるがバントは行なわなかった。その当時は「史上最強の2番打者」と称されていた。
  • ホームランと自分でもわかる打球を打つと、打った直後に飛び跳ねて歩くくせがあるように思われている。

[編集] 詳細

  • バッティングフォームについて問われると「自分の中では変えているつもりは無い」と言うものの、ブレイクした1999年より腕の位置は高くなり(2000年以降)、バットの角度はつま先と平行になる(2002年以降)、構えたバットの角度が少し浅くなる(2008年頃以降)など複数の変化を遂げている。バットを斜めに構えていることから神主打法と形容されることが多いが、メカニズムは一本足打法に近く、「フルスイングではあるが、追い込まれても徹底して粘るバッティング」という中距離打者として理想のスタイルや、膝を深く沈めた独特の緊張した構えは師匠の加藤英司を彷彿とさせる。
  • 打撃だけでなく、守備でもダイナミックなダイビングキャッチを見せファンを沸かせており、一塁守備は球界屈指の名手である。2007年はコンバートされたため、三塁での出場となったが、一塁へのスローイングを解説席の星野仙一に「肩の弱い選手の投げ方の見本」と絶賛された。本人曰く、一塁守備の方が楽だが、手術した膝への負担は三塁守備のほうが少ないという。
  • 強打者の証として、2007年まで公式戦で送りバントの記録が一度もないことがあげられる(ただし1997年〜1999年に7度犠打の指示が出たが失敗しており、正確には「送りバントを試みたことがない」のではなく「打撃技術の向上に伴い、そのまましなくなった」と言った方が正しい)。ちなみに2006年のWBCでは送りバントを試み、成功させた。2006年オフ時の巨人移籍後は、バントを要求されるケースが多くなったものの、依然として記録はつかなかった。2007年9月1日には8年ぶりにバントを試みて成功させたが、自身も一塁でセーフとなったため記録は安打となった。そして2008年6月8日の西武戦でプロ入り初の送りバントを成功させた。

[編集] 年度別成績

[編集] 打撃成績
































O
P
S
1997 日本ハム
北海道日本ハム
44 98 94 7 21 10 2 0 35 7 1 0 0 1 3 0 0 10 2 .223 .245 .372 .617
1998 71 98 86 7 26 5 0 1 34 9 1 1 0 1 11 1 0 17 3 .302 .378 .395 .773
1999 135 608 547 90 156 34 4 25 273 83 3 4 0 4 56 1 0 84 6 .285 .349 .499 .848
2000 135 635 554 126 182 23 4 31 306 102 24 6 0 5 74 2 2 91 6 .329 .406 .552 .958
2001 140 643 576 108 195 40 2 32 335 86 1 6 0 0 63 7 4 102 8 .339 .407 .582 .989
2002 135 574 486 77 165 27 2 32 292 81 8 1 0 6 76 14 6 77 6 .340 .430 .601 1.031
2003 128 546 445 83 160 34 1 31 289 100 8 3 0 3 93 12 5 65 13 .360 .473 .649 1.122
2004 101 452 377 78 130 19 2 18 207 70 3 1 0 2 70 3 3 70 10 .345 .449 .549 .998
2005 133 580 514 91 145 27 2 37 287 92 2 1 0 1 61 3 4 114 8 .282 .362 .558 .920
2006 135 579 496 77 155 31 1 32 284 100 4 3 0 8 73 5 2 85 8 .313 .397 .573 .970
2007 巨人 142 617 566 95 177 33 1 31 305 88 4 0 0 4 43 5 4 98 10 .313 .363 .539 .902
2008 144 589 520 93 161 27 1 36 298 96 0 2 1 5 56 8 7 105 14 .310 .381 .573 .954
通算:12年 1443 6019 5261 932 1673 310 22 306 2945 914 59 28 1 40 679 61 37 918 94 .318 .397 .560 .957
  • 2008年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 守備成績

年度 一塁 三塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1998 3 2 0 0 0 1.000 - 1 0 0 1 0 .000
1999 135 1222 80 9 106 .993 - -
2000 135 1157 67 5 115 .996 - -
2001 140 1281 70 4 116 .997 - -
2002 135 1192 76 6 92 .995 - -
2003 - 115 89 203 14 28 .954 -
2004 5 40 2 0 2 1.000 93 70 158 15 8 .938 -
2005 - 133 100 235 12 28 .965 -
2006 120 917 61 4 95 .996 39 16 56 4 6 .947 -
2007 7 33 1 0 3 1.000 139 90 250 11 15 .969 -
2008 100 807 54 6 53 .993 41 27 53 3 5 .964 -
通算 785 6651 411 34 582 .995 519 365 902 56 85 .958 1 0 0 1 0 .000


年度 捕手
試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 刺殺 補殺 併殺 失策 捕逸 守備率
1997 38 37 30 7 .189 128 13 2 0 2 .986
1998 20 8 7 1 .125 27 2 1 1 2 .967
1999 1 0 0 0 - 1 0 0 0 0 1.000
通算 59 45 37 8 .178 156 15 3 1 4 .994

[編集] 背番号

  • 2 (1997年 - )
  • 9 (2009年 WBC)  

[編集] タイトル・表彰・記録

[編集] タイトル

[編集] 表彰

[編集] 記録

  • 両リーグでMVP獲得:江夏豊以来2人目
  • 通算打率 歴代4位(4000打数以上):.3180
    • 日本人通算では歴代3位(2008年シーズン終了時)
  • 通算長打率 歴代5位(4000打数以上):.5597
    • 現役プロ選手の中では歴代2位
  • 4年連続3割30本塁打 パ・リーグ記録タイ:(2000年-2003年・史上7人目)
  • 打席連続出塁 日本記録タイ:14(2003年8月23日-8月27日・史上3人目)
  • 試合連続得点 日本記録:17(2001年8月5日-8月27日)
  • 試合連続出塁 歴代4位:60(2001年6月13日9月9日

[編集] 個人記録

  • 初出場:1997年4月8日ダイエー1回戦(福岡ドーム) 9回金子の代打、木村の前に凡退
  • 初安打・初打点:1997年5月10日西武7回戦(西武球場) 石井丈裕から適時二塁打
  • 初本塁打:1998年7月7日近鉄15回戦(東京ドーム) 7回井出の代打、盛田幸妃から2点本塁打
  • 通算1000本安打:2004年7月24日・862試合目(社会人経験者では史上最速で達成)
  • 通算1500本安打:2007年9月15日・1288試合目(到達試合数の速さは歴代4位)
  • 通算300号本塁打:2008年9月19日
  • オールスターゲーム出場:9回(1999年-2007年)
  • サイクルヒット:2008年9月3日(京セラドーム大阪・対広島戦)

[編集] 人物

  • 愛称は「ガッツ」。ファイターズ時代につけられた愛称である。名づけ親は元同僚の岩本勉上田佳範片岡篤史建山義紀金村暁金子誠の6人で、合コンの席で食事も飲むにしても、女性に対してもがっつくことから「ガッツ君」と呼んだのが始まりだという(2008年12月7日の「ガンちゃんの世界一面白いプロ野球の番組」より)。
  • 野球以外では、名字が「小笠原」である縁から東京都小笠原村の観光親善大使に1999年12月25日に就任し、島の少年野球チームにユニフォームをプレゼントしたり、同村の交流事業に参加したりするなどの活動を行っている。また本人も2000年末、父島など小笠原諸島を訪問している。小笠原の応援歌のイントロ部分に入るコールは小笠原村に因んだものであり、チームの札幌移転時に削除・変更が検討されたが、小笠原が観光親善大使であることから引き続き使用されていた。なお、日本ハム球団のフランチャイズが東京ドームであった時代には小笠原の本塁打時に小笠原村のザトウクジラのブリーチングの映像がバックスクリーンに表示されていた。また、この事から、一部の日本ハムファンは小笠原が打席に入ると小笠原村のシンボルであるイルカの風船(または、浮き具)を持って応援する。巨人移籍後も、一部のファンが同様の応援をしている。
  • 中村紀洋などと同じく、かなりの恐妻家で有名。「侍」「素浪人」などといったイメージで語られるが、日ハム時代もオフには髭を剃り、数億の年収を夫人に一括管理され、千葉に構えた新居で、普通のサラリーマンの父親と殆ど変わらない生活を送っていた。ちなみに結婚したのは社会人時代。
  • 日ハムでの優勝時に何よりも嬉しいことに「背番号2のユニフォームを着ている子供が北海道に増えていること」を挙げていた。
  • プロ野球時代の師匠として、1軍初昇格時の打撃コーチ加藤英司に大きな影響を受けている。FA権の行使に至っても、片岡や岩本などとともに相談を受けたひとりだという。ちなみに最晩期の1年のみだが、加藤も巨人に在籍している。[2]
  • 日本ハム時代はヒゲをはやしていたが巨人に入りひげをそり落とした。このことについて本人は日本ハム時代も剃ろうと思ったことはあるが、自分のグッズにひげがついているため、グッズにあって本人にないのはおかしいということで剃るのをやめたと語っていた。

[編集] 著書

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ
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