金村曉

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金村 曉
阪神タイガース #13
2008年6月26日阪神鳴尾浜球場
基本情報
国籍 日本
出身地 宮城県気仙沼市
生年月日 1976年4月19日(33歳)
身長
体重
187cm
83kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 1994年 ドラフト1位
初出場 1995年10月4日西武戦(西武)
年俸 7200万円(2009年)←←1億2000万円
経歴(括弧内は在籍年)

金村 曉(かねむら さとる、本名・金村 秀雄(かねむら ひでお)、1976年4月19日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手投手)。

愛称は名前が金村であること、その漢字をあかつきと読めることから「あかつき」、「キンソン」。

1997年に「秀雄」から「暁」に登録名を変更。2001年には「暁」から現名の「曉」に再変更した。座右の銘は「弱気は最大の敵」。

目次

[編集] プレースタイル

変化球を主体に制球重視の投球をする。球質が軽く、強打されると本塁打になりやすいという欠点もあるが、コントロールと緩急をつけたピッチングで打者の打ち気を逸らす。一時期は球威の衰えもあり、丁寧にコーナーをつく投球をするため本来コントロールが良い割には四球が多くなった。

主な球種は高速スライダーシュートフォークボールパームボールなどである。このうちパームボールは深夜番組「NANDA!?」の「遅い球特集」を観て、高校時代に投げていたパームボールを実際に試してみたという。

また、非常にフィールディングに長けており、犠牲バント阻止も数多く見せているほか、投手ながらバッティングも良い。

元タレントの亜也子夫人との間に男の子の双子がいる。

[編集] 来歴・人物

[編集] プロ入り前

小学生の頃から日本ハムファイターズのファンで、当時のエースだった西崎幸広に憧れていたという。1994年に県大会決勝で櫻井幸博を擁する仙台工を破り、夏の甲子園に出場を果たし、甲子園ではベスト8まで進む。同年のドラフトで、日本ハムに1位指名され入団。この時日本ハムは甲府工山村宏樹を1位指名する予定だったが、直前になって金村に変更した。入団記者会見ではハムをほおばるアクションを見せた。

[編集] 「ガラスのエース」

3年目の1997年から頭角を現し始める。その後日本ハムのエースに成長したが、かつては怪我がちで「ガラスのエース」とも呼ばれていた。

1998年、開幕から中継ぎとして一軍定着し、初のオールスターゲーム出場を果たす。後半戦は先発ローテーションに入り、5完投も記録。135イニングでぎりぎりで規定投球回に到達し、防御率2.73で4年目、22歳にして最優秀防御率を獲得。

1999年、開幕ローテーションに入り、開幕から2試合連続完封勝利、3試合連続完投勝利。3戦目の9回にイチローに史上最速1000本安打となる本塁打を浴びるまで開幕から26イニング連続無失点を記録。だが試合直後に右肩の痛みを訴え離脱、9月まで復帰できなかった。しかし、この3試合の登板のみで初の月間MVPを獲得。

2000年、2年連続で4月に月間MVPを獲得し、順調な滑り出しを見せたが、直後に再び右肩痛で離脱。

2001年は初の開幕投手を務めた。また、故障がちだったため大島康徳監督が完投させず起用した結果、故障なく初めて1年ローテーションを守りきり、規定投球回にも到達という最低限の役割を果たしたものの、7勝13敗、防御率4.89と不振。しかし故障のリハビリでウェイトトレーニング等で肩を鍛え、この年から故障での離脱はしなくなった。

[編集] 4年連続二桁勝利

2002年は開幕からしばらくはチームの方針で中継ぎだったが、すぐにローテーションに戻る。安定感も戻ってシーズン通して活躍し、初の2桁勝利をマーク。この年はフォークがさえ、自己最多の143奪三振を記録。この年から2005年まで4年連続2桁勝利を記録し、日本ハムのエースとして活躍。

2003年は前半戦で3勝どまりと不振だったが、後半戦7勝と巻き返し2年連続の10勝に滑り込む。

2004年、日本ハムの本拠地移転1年目の札幌ドームの初戦で先発。勝利投手となり、ヒーローインタビューでは北海道弁を取り入れ「なまら最高です!」と叫び、北海道のファンを沸かせた。この言葉はその後、金村のトレードマークにもなり、「なまら最高タオル」などのグッズも発売される。このセリフは自身の公式ブログのトップにも記されている。自己最多の13勝をマーク、6年ぶりにオールスターにも出場。シーズンオフには、札幌グランドホテルで開催した「日ハム選手ディナーショー」に出演し、自慢の歌を披露しファンを魅了させた。

2005年、自己最多の174イニングを投げ、2年連続で13勝を挙げる。オールスター出場も果たすが、チームのローテーションの関係で登板はなかった。

[編集] 舌禍事件

2006年、3度目の開幕投手となった開幕戦では、前年限りで引退した岩本勉の登場曲(CHAGE&ASKAの「YAH YAH YAH」)を引き継いで使った。同年4月16日福岡ソフトバンクホークス戦でフリオ・ズレータの腹部に死球を与え、激昂したズレータに暴行を受けて負傷(ズレータが金村のいるマウンドに突進して行ったが、金村は逃げなかった)。4月後半を棒に振ったが、5月7日の東北楽天戦で復帰登板して勝利投手となった。

9月24日千葉ロッテマリーンズ戦では、5年連続2桁勝利と6年連続規定投球回到達の記録がかかっていたが、立ち上がりから投球が安定せず、4-1で日本ハムの3点リードで迎えた5回裏に2死満塁のピンチを迎えるとトレイ・ヒルマン監督に交代を命じられた。金村にはこの後のレギュラーシーズン中の登板予定がなかったため、シーズン成績9勝6敗、投球回数134回2/3(規定に1回1/3不足)が確定し、記録が共に途切れることとなってしまった。

この試合後、金村は降板させられたことについて「絶対に許さない。外国人の監督だから個人の記録は関係ないのでしょう。顔も見たくない」とヒルマン監督を批判する発言をした。これが原因で、球団は「出場選手登録抹消」「翌25日に行われるチーム練習への参加禁止」を即日決定し、25日には「罰金200万円」と「プレーオフ終了までの出場停止」という厳しい処分を下した。金村はレギュラーシーズン終了後に選手・首脳陣などに謝罪し、ひとまず事態は収拾された。

ヒルマン監督は当初「(金村は)プライドの高い投手。あそこで交代させたのは少し軽率だった。だがチームのムードを壊す行為は許されない。私や選手が3年間通して作りあげたものを壊されたような感じだ。この件で使いづらくなった」とコメント。ただその後、金村に対し「あなたの9勝がなければ、我々はこの位置にいられなかった」とし、謝罪を受けて「わだかまりはない。来るべき時の準備を進めてほしい」とエールを送り、決して金村を責めることはなかった。また、その日のうちには金村を許すことを決め、球団にもシーズン中にリベンジの場を与えたいと話していたという。

一方、金村も冷静になって事の重大さに気付き、岩本勉に泣きながら電話をかけている。日本ハム時代の先輩だった片岡篤史下柳剛からも「俺はお前にそんな事を教えたか!目を覚まさせてやる!」と直接叱責を受けたが、最後には「こういう経験がないと大きくなれない。いい勉強と思って前向いてやれ。成長するステップと思って頑張れ」という言葉をかけられた。

後に日本シリーズでの復帰が決まり、10月25日の第4戦(札幌ドーム)に先発投手として登板、マウンドに向かう時にスタンドから歓声が起きた。そしてマウンドに上がると、1塁側、本塁側、3塁側、そして左翼席と5度頭を下げた。この試合では5回を5安打、2奪三振、2四球、82球で無失点に抑え勝ち投手となった。試合後のヒーローインタビューでは「全国のファンの皆様、この場をお借りして改めて謝罪したいと思います、本当にどうもすいませんでした」と深々と頭を下げ、インタビュー終了後にヒルマン監督と抱き合った。このシリーズを制覇した日本ハムが日本代表として参加したアジアシリーズでは11月12日のチャイナスターズ(中国野球リーグ選抜チーム)戦に先発し、5回で6安打1四球84球ながらも7三振を奪うなど要所を締め、勝利に貢献した。また、財政再建団体になった夕張市を応援しようと、市民を毎試合札幌ドームに招待する「金村・夕張シート」を設けた。

2007年は、肘の不安で諦めていたカーブの習得に励み、数少ない先発の柱として2桁勝利を目指すも、5月に故障のため戦線離脱。交流戦終了後に復帰し、7月11日に完投で5勝目を挙げた時点で防御率も2点台と成績を残していたが、前半戦最終戦のソフトバンク戦でプロ最短の0回2/3を4失点でノックアウトされ、後半戦の千葉ロッテ戦でも2試合連続でKO(2戦目は自己ワーストの12失点)で二軍降格。結局そのままレギュラーシーズンで一軍に再昇格することはできず、日本シリーズではベンチ入りは果たすも登板はできなかった。11月9日中村泰広とのトレードで阪神タイガースに移籍。

[編集] タイガース移籍

移籍1年目の2008年は先発ローテーションの一員として期待を受けるも、左太腿を痛め開幕一軍を逃し出遅れる形となる。7月3日に一軍に昇格し移籍後初登板し勝ち投手こそ逃したものの1失点の好投を見せる。しかしこの1試合以外は精彩を欠き一軍定着には至らず降格、結局1勝もできないままシーズンを終えた。

[編集] 年度別投手成績





































1995 日本ハム 1 0 0 0 0 0 0 0 0 8 1.1 3 0 2 0 1 0 0 3 3 8.18 20.25
1996 一軍登板なし
1997 14 1 5 6 0 0 1 4 0 215 52.1 38 5 18 5 38 0 0 23 23 6.56 3.96
1998 31 5 4 10 1 2 8 8 1 556 135.0 124 12 37 4 85 0 0 46 41 5.67 2.73
1999 8 3 2 2 2 0 3 1 1 169 43.0 31 5 15 0 27 0 0 12 11 5.65 2.30
2000 17 3 1 13 0 0 9 5 0 426 101.1 91 11 42 4 61 2 0 46 45 5.43 4.00
2001 25 0 1 23 0 0 7 13 0 639 141.2 164 20 66 2 94 7 0 81 77 5.99 4.89
2002 32 2 0 21 1 0 10 6 0 693 167.2 153 19 53 3 143 4 0 65 59 7.70 3.17
2003 26 2 0 23 0 1 10 8 0 665 157.0 149 24 56 1 103 6 0 79 74 5.90 4.24
2004 25 1 0 24 1 0 13 8 0 717 167.1 157 20 71 4 114 7 1 79 73 6.14 3.93
2005 25 4 0 21 0 1 13 10 0 730 174.0 186 21 54 2 96 3 1 73 70 4.97 3.62
2006 23 1 0 22 1 0 9 6 0 591 134.2 158 14 43 2 57 0 2 68 67 3.83 4.48
2007 13 3 0 10 0 0 5 6 0 341 78.0 88 9 30 1 33 1 0 44 41 3.81 4.73
2008 阪神 8 0 0 8 0 0 0 5 0 186 41.1 49 5 11 2 38 3 0 25 19 8.32 4.14
通算:14年 248 25 13 183 6 4 88 80 2 5936 1394.2 1391 165 498 30 890 33 4 644 603 5.75 3.89
  • 2008年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 背番号

  • 16(1995年 - 2007年)
  • 13(2008年 - )

[編集] タイトル・記録

  • 月間MVP:2回(1999年4月、2000年4月)
  • 開幕投手:3回(2001年、2004年、2006年)
  • 4年連続2桁勝利(2002年~2005年)
  • オリックス・バファローズ戦15連勝

[編集] 初記録(投手記録)

[編集] 初記録(打撃記録)

※はセ・パ交流戦

[編集] 登場曲

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク