古城茂幸

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古城 茂幸
Yomiuri Giants s-furuki.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県柏市
生年月日 1976年1月12日(38歳)
身長
体重
174 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 1997年 ドラフト5位
初出場 1999年4月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

古城 茂幸(ふるき しげゆき、1976年1月12日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手内野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

千葉県柏市出身。中央学院高等学校時代は野球部に所属。3年生のとき、夏の県大会に出場したが、準決勝で成田高校に2-3で惜敗。国士舘大学時代は東都大学野球連盟2部リーグにおいて、3度の打率3割をマーク。50m5秒91の俊足を生かし[1]通算35盗塁を記録した。

1997年ドラフト会議で、日本ハムファイターズから5位指名を受けて入団。

日本ハム時代[編集]

プロ入り後は約1年間二軍生活だったが猿渡寛茂2軍コーチ(当時)とひたむきな練習に取り組み[1]1999年4月7日西武ライオンズ2回戦(東京ドーム)で一軍公式戦初出場を果たす。同年4月29日の福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)戦(東京ドーム)で初安打を記録した。

打撃の成績は高い方ではないが守備は安定しており(『掃除機』の異名をとった)、以降はしばしば守備固めで起用される。2003年には遊撃手としてゲーム補殺11というパシフィック・リーグタイ記録を作っている。また、2004年アテネオリンピック期間中には、日本代表選手として派遣された金子誠の穴を埋める活躍を見せた。しかし打撃で伸び悩み、2005年シーズン以降、古城と同様に守備を売りとするタイプの飯山裕志の活躍で出場機会が激減し、シーズンの大半を二軍で過ごした。

2006年のシーズン開幕直前に實松一成と共に読売ジャイアンツに移籍(岡島秀樹との交換トレード[2]

巨人時代[編集]

6月15日の対オリックス・バファローズ戦では、移籍後初スタメンタイムリーヒットを放つなど、チームの連敗[3]阻止に貢献し、その後も三遊間のキーマンとして活躍した。

2006年シーズンの代打成功率・得点圏打率は4割を超え、日本ハム時代には見られなかった打撃面の成長が窺える。

2007年オープン戦では三塁手・遊撃手としての守備固めや代走の他に、一塁手としてスタメン出場までした。守備に不安のある選手が多いジャイアンツの中で期待される存在となっており、日本ハム時代より出場機会が遥かに増え、内野4ポジションを全て守り、年間無失策の好成績を残した。打率は振るわなかったが、得点圏打率は3割を超えており勝負強さは健在だった。

2008年は前年同様内野4ポジション全てを守った。内野のユーティリティプレイヤーとして1軍に定着し、出場機会はプロ入り後最多。得点圏打率は2割前半となり、数字の上では前年までの勝負強いバッティングは影を潜める結果となった。ただし、下記エピソードにある通り要所では効果的なバッティングを見せている。

2009年は前半戦は主に前年のレギュラーの木村拓也寺内崇幸脇谷亮太が起用されていたため出番が少なかったが、中盤に木村と寺内が不振に陥り、脇谷が怪我で離脱すると8番セカンドに定着、一時は得点圏打率が4割を超えるなど[4]勝負強い打撃でチームに貢献。結果的に前年より出場機会は減ったものの打席数は大幅に増え、打率.251 2本塁打 18打点の成績を残し、クライマックスシリーズ日本シリーズでも好成績を残した。

2010年は、脇谷の台頭もあった為か、前年より少ない67試合の出場に留まる。

2011年は寺内に内野の守備要員のポジションを奪われ、開幕一軍を逃す。8月3日阪神戦で、同点で迎えた最終回、藤川球児から自身初(対藤川に限れば巨人選手では初)となるサヨナラホームランを放った。この際、お立ち台で「茂ちゃんフィーバー」と騒いだ[5]。その後も内野のスタメンや守備固め、左の代打として起用を重ねた。この年の得点圏打率は.375と高い数字を残し、2009年に見せた勝負強い打撃が健在であることを示した。

2012年、二塁、三塁のスタメンや、守備固めなどで出場機会を作るも、寺内や藤村大介などの若手の活躍に押される形が増えていた。

2013年は怪我に苦しみ、9月末時点での一軍出場は3試合にとどまっていた。10月2日、今季限りでの引退を表明[6]10月10日、任意引退公示された[7]

引退後[編集]

引退後はジャイアンツアカデミーでコーチになることが発表された[8]

プレースタイル[編集]

捕ってから投げるまでが早く、高い守備力を誇る内野手。内野ならどこでも守ることができる。バッティングも巧く、意外性がある。走塁でのミスが目立つものの、打撃でそのミスを挽回することが多い[要出典]

人物[編集]

日本ハムで7年間、そして巨人でもチームメイトの小笠原道大(ガッツ)のあだ名をとって原辰徳監督からは小ガッツとも言われている[9]

北海道日本ハムファイターズ2009年から背番号0および00を使用しない予定であり、2011年現在は球団史上0を付けた最後の選手となっている。

大の巨人ファンだった父親は長男に長島茂雄から「茂」の字を貰い茂幸と名づけた。子供の頃からキャッチボールやバッティングを教えたが、本格的に野球をするのは高校に入ってからと言いつけていた。茂幸は小学校で体操や陸上に熱中し運動神経のよさを発揮していたが、一時こっそり少年野球チームの練習に加わったりしていた。中学では体操部に入ろうとしたが、進学した年に体操部が廃部し、代わりに野球部に入部した[1]。また、巨人へのトレード移籍が決まった際に父親は大興奮で喜んだという[1]

「飛ばせ古城・・・」の歌詞で始まる日本ハム時代の応援歌の原曲は、任天堂スーパーファミコンのソフト『MOTHER2』に使われた「Smiles and Tears」であった(後に今浪隆博の応援歌として使用)。ジャイアンツ移籍2年目の2007年度は「シャープに振り抜け古城・・・」の歌詞で始まる新しい応援歌が用いられている。

2007年10月20日の CS2ndステージ、中日ドラゴンズとの第3戦の9回裏、無死の場面でヒットを打った大道典嘉の代走として出場した。次の打者デーモン・ホリンズの打球は元・チームメイトであるレフト上田佳範への浅いフライとなったが、その際に一塁を大きく飛び出してしまいダブルプレーとなり、反撃のチャンスをつぶしてしまった。その後、そのままゲームセットとなり、巨人は中日に敗れ、CS敗退となってしまった[10]

2008年6月17日の対オリックス戦(福島県営あづま球場)でプロ入り初のサヨナラ打(犠牲フライ)をたたき出した直後のお立ち台で「福島のみなさん、やりましたぁー!」と絶叫し、ファンの喝采を浴び、その後同年7月3日のヤクルト戦で日ハム時代の同僚だった押本健彦から逆転2ランを放った際のお立ち台でも「東京ドームのライトスタンドのみなさん、やりましたぁー!」と雄たけびを挙げ、またもファンの喝采を浴びた。これはよみうりランドで練習していた時にお立ち台に立ったら叫ぶとファンと約束したセリフだった[1]。しかし、このことについて夫人から「あなた、はしゃぎすぎですよ」と窘められたとのこと。

その為か、8月25日の対中日戦でサヨナラ2点タイムリーを打った際のヒーローインタビューでは「やりましたぁー!」は出なかったが、これについて質問されると「興奮して忘れてました」と答えた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1999 日本ハム 10 10 10 2 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .100 .100 .100 .200
2000 38 28 23 4 7 0 1 0 9 2 4 2 1 0 4 0 0 7 1 .304 .407 .391 .798
2001 45 48 43 6 7 1 1 0 10 2 2 2 1 0 3 0 1 9 0 .163 .234 .233 .467
2002 62 62 57 10 8 1 0 0 9 0 3 2 4 0 1 0 0 15 0 .140 .155 .158 .313
2003 36 89 78 14 21 5 0 0 26 3 1 1 5 0 6 0 0 18 1 .269 .321 .333 .654
2004 59 117 103 13 21 3 1 1 29 7 4 1 1 0 10 0 3 19 0 .204 .293 .282 .575
2005 27 61 54 2 9 0 0 0 9 4 0 1 2 1 4 0 0 11 1 .167 .220 .167 .387
2006 巨人 50 58 52 4 18 3 0 0 21 4 4 0 1 0 4 1 1 9 1 .346 .404 .404 .808
2007 71 80 68 13 13 3 0 0 16 5 5 4 5 0 7 0 0 13 1 .191 .267 .235 .502
2008 83 182 159 16 34 8 0 3 51 16 6 5 8 2 8 1 5 32 3 .214 .270 .321 .591
2009 77 204 179 14 45 5 1 2 58 18 3 3 3 2 10 2 10 39 2 .251 .323 .324 .647
2010 67 96 82 10 20 1 0 2 27 7 2 1 1 0 10 1 3 17 3 .244 .347 .329 .676
2011 74 157 134 12 33 3 1 1 41 12 1 0 5 1 11 3 6 29 1 .246 .329 .306 .635
2012 65 149 129 12 27 4 1 0 33 8 2 0 6 2 12 3 0 28 5 .209 .273 .256 .529
2013 3 4 4 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .209 .000 .000 .000
通算:15年 767 1345 1175 132 264 37 6 9 340 88 37 22 43 8 90 11 29 248 19 .225 .294 .289 .585
  • 2013年度シーズン終了時

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 0 (1998年 - 2005年)
  • 51 (2006年 - 2013年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 雑誌『週刊ベースボール』2008年8月18日号 「白球入魂 やりました! 古城茂幸」43-47ページ
  2. ^ 日本ハム実松、古城と巨人岡島がトレードニッカンスポーツ・コム 2006年3月24日16時19分)
  3. ^ 当時、ジャイアンツは8連敗を喫していた。
  4. ^ 最終的には.302である。
  5. ^ “古城、奇跡呼ぶ!球児から“びっくり”サヨナラ弾”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年8月4日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/08/04/kiji/K20110804001343640.html 2013年5月12日閲覧。 
  6. ^ 「野球選手として目一杯動けた」 古城選手が引退表明GIANTSニュース2013年10月2日
  7. ^ “2013年度 任意引退選手”. http://www.npb.or.jp/players/2013pn_retired.html 2013年11月15日閲覧。 
  8. ^ “【巨人】古城がアカデミーコーチに就任”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年10月28日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131028-1210567.html 2013年11月15日閲覧。 
  9. ^ 2010年3月20日放送『ズームイン!!サタデー』(プロ野球熱ケツ情報)より。
  10. ^ 前日までに巨人は中日に2敗と後がなくなり(2007年のCSは3勝で勝ち抜け)、この日も4対2と劣勢であった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]