飯山裕志
| 北海道日本ハムファイターズ #4 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 鹿児島県いちき串木野市 |
| 生年月日 | 1979年7月13日(33歳) |
| 身長 体重 |
178 cm 78 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 内野手 |
| プロ入り | 1997年 ドラフト4位 |
| 初出場 | 2001年7月31日 |
| 年俸 | 2,800万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
|
この表について
|
|
飯山 裕志(いいやま ゆうじ、1979年7月13日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(内野手)。
目次 |
経歴 [編集]
1997年のドラフト会議で日本ハムファイターズに4位で指名され、遊撃手として入団。守備力が高く、内野の全ポジションを守れるユーティリティプレイヤーであり、スーパーサブとして重宝されている。外野手として起用されることもあり、二軍では捕手を担当したこともある[1]。
二軍では長くレギュラーを務め、2003年にイースタン・リーグ3位の打率.328、本塁打11、長打率.578を記録しているが、打撃の弱さからなかなか一軍に上がれなかった。一軍では出場試合数が打席数より多いことからもわかるように、守備固めや代走としての出場が多い。近年は、打撃も徐々に改善しつつある。
2005年に初の開幕一軍入りを果たし、一軍初打点と初安打を記録している。二軍では打率.278、4本塁打を記録し、二塁・遊撃・三塁・外野に加え捕手も5試合守った。
2006年には三塁手の木元邦之のケガもあって、9年目にして初の開幕戦先発出場を成し遂げた。以後は一軍に定着し、初めて一度も二軍落ちせずにシーズンを終え、職人肌のプレーで武田久、マイケル中村、中嶋聡と共にほとんどの試合の終盤を任された。また1試合だけ左翼手として先発出場している。
2007年には自己最多の105試合(先発出場は4試合)に出場し、打率.306(規定打席には届いていない)、特に左投手からは5割を超える打率を残し打撃開眼。同年10月2日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(クリネックススタジアム宮城)では初の「1試合3安打以上(4安打)」と「1試合4打点」を記録している。
2008年には再び低調になる。正遊撃手の金子誠の不振および離脱により、金子に替わって先発出場した試合もあったが、守備よりも攻撃を重視するオーダーでは後輩の陽仲寿や高口隆行に先発を譲った。しかし、クライマックスシリーズ第2ステージでは金子の腰痛悪化により、初戦では九番・遊撃手として自身初のポストシーズンの先発出場を果たし、また第3戦では埼玉西武ライオンズの抑え投手・アレックス・グラマンから打点を挙げるなど、大一番での活躍も見せた。
2009年も内野守備のキーマンとして試合終盤を任され、守備固めとしての出場が3年連続リーグ最多と、スペシャリストらしい記録を達成した。また、7月4日の函館オーシャンスタジアムの試合など数試合では3年ぶりに左翼手としての出場もこなした他、打撃でも規定打席未到達ながら.333を記録した。
2010年8月20日の西武戦で9回裏二死にプロ初本塁打(後述)。日本ハムはこの本塁打によって同点に追いついたあと、10回裏にサヨナラ勝利し、北海道移転後通算500勝を達成した。同年の飯山は正遊撃手の金子の離脱により、遊撃手として先発出場する機会を得て、シーズンの打席数が出場試合数を上回った[2]。
2011年は故障が慢性化した金子の起用法との兼ね合いからさらに出場機会を増やしたが、打撃成績が低迷しスタメン定着には至らなかった。
2012年10月24日に国内FA権を取得。10月31日の日本シリーズ第4戦で、12回裏に西村健太朗からサヨナラヒットを放った。
人物 [編集]
2006年にチームが優勝した際、夫人が双子の子供を出産したばかりなので「日ごろいないから、オフくらいは手伝いたい」と優勝旅行を辞退した[3]。
現在使用している応援歌は元同僚の高橋信二の旧応援歌であり、西武ドームで使用していたものである。
詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001 | 日本ハム | 7 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 2003 | 4 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 2005 | 42 | 33 | 31 | 3 | 7 | 3 | 0 | 0 | 10 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 11 | 0 | .226 | .242 | .323 | .565 | |
| 2006 | 86 | 107 | 92 | 12 | 13 | 1 | 0 | 0 | 14 | 3 | 2 | 3 | 6 | 0 | 7 | 0 | 2 | 26 | 1 | .141 | .218 | .152 | .370 | |
| 2007 | 105 | 55 | 49 | 16 | 15 | 3 | 0 | 0 | 18 | 7 | 3 | 0 | 1 | 1 | 4 | 0 | 0 | 14 | 1 | .306 | .352 | .367 | .719 | |
| 2008 | 74 | 54 | 49 | 3 | 8 | 2 | 0 | 0 | 10 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 13 | 0 | .163 | .212 | .204 | .416 | |
| 2009 | 76 | 41 | 36 | 14 | 12 | 0 | 0 | 0 | 12 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 1 | .333 | .351 | .333 | .685 | |
| 2010 | 72 | 160 | 137 | 12 | 30 | 0 | 0 | 1 | 33 | 12 | 2 | 1 | 15 | 3 | 5 | 0 | 0 | 40 | 2 | .219 | .241 | .241 | .482 | |
| 2011 | 99 | 194 | 169 | 9 | 31 | 0 | 2 | 0 | 35 | 7 | 3 | 2 | 22 | 1 | 2 | 0 | 0 | 35 | 0 | .183 | .192 | .207 | .399 | |
| 2012 | 85 | 74 | 68 | 7 | 12 | 1 | 0 | 0 | 13 | 2 | 1 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 1 | 17 | 1 | .176 | .200 | .191 | .391 | |
| 通算:10年 | 650 | 722 | 635 | 77 | 128 | 10 | 2 | 1 | 145 | 36 | 15 | 6 | 54 | 6 | 24 | 0 | 3 | 162 | 6 | .202 | .232 | .228 | .462 | |
- 2012年シーズン終了時
記録 [編集]
- 初出場:2001年7月31日、対オリックス・ブルーウェーブ21回戦(札幌ドーム)、5回表に田中賢介に代わり遊撃手で出場
- 初盗塁:2001年9月1日、対大阪近鉄バファローズ26回戦(東京ドーム)、9回裏に二盗(投手:山村宏樹、捕手:的山哲也)
- 初打点:2005年4月6日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(いわきグリーンスタジアム)、9回表に谷中真二から右犠飛
- 初安打:2005年4月12日、対西武ライオンズ5回戦(インボイスSEIBUドーム)、5回表1死に青木勇人から遊撃強襲二塁打
- 初先発出場:2005年5月11日、対ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、7番・遊撃手で先発出場
- 初本塁打:2010年8月20日、対埼玉西武ライオンズ18回戦(札幌ドーム)、9回裏2死にブライアン・シコースキーから左越同点3ラン[4]
背番号 [編集]
- 57 (1998年 - 2007年)
- 4 (2008年 - )
登場曲 [編集]
- 長渕剛 『勇次』( - 2009年、2012年 - )
- Aqua Timez 『プルメリア 〜花唄〜』(2010年 - 2011年)
脚注 [編集]
- ^ 一軍では捕手としての出場は無いが、自軍の攻撃が終了して守備に就く際、捕手がプロテクターを取り付ける関係などで守備に就くまでに時間がかかる場合は、投手の投球練習用の代役捕手を務める事もある。
- ^ 2006年以来2度目
- ^ FFFFF(北海道テレビ放送)の企画「Fifteen voice」の 「結婚したい相手はダレ?」より[いつ?]
- ^ 野手でプロ13年目の初本塁打は、2005年の田原晃司(西武ライオンズ)、2011年の井生崇光(広島東洋カープ)と並び史上2番目に遅い記録である。1位は1983年の石山一秀(近鉄バファローズ)で、プロ14年目だった。ただし飯山が初本塁打までに要した358打席および319打数は、田原(77打席、71打数)と石山(76打席、72打数)を大きく上回っている(井生は278打席、250打数)。投手では2004年の工藤公康(読売ジャイアンツ)の23年目が最も遅い。
関連項目 [編集]
|
|||||||||||||||||||||||
|
|||||