矢野謙次

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矢野 謙次
読売ジャイアンツ No.48
基本情報
国籍 日本
出身地 東京都
生年月日 1980年9月21日(27歳)
身長
体重
178cm
81kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 外野手
プロ入り 2002年 ドラフト6巡目
初出場 2003年8月19日
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

矢野 謙次(やの けんじ、1980年9月21日 - )は東京都出身のプロ野球選手。読売ジャイアンツ所属の外野手中堅手右翼手)。

目次

[編集] 経歴

  • 2002年ドラフト國學院大學から6巡目指名で読売ジャイアンツに入団。不動のセンターだった松井秀喜のFA移籍のため、ルーキーイヤーの2003年からキャンプに帯同。オープン戦では4順目長田昌浩(現オリックス)とともにヒットを放つが、ペナントでは活躍できず。
  • 2004年にプロ入り初ヒット・初ホームランを記録、2005年のシーズンは主に2番打者として85試合に出場、とくに右翼手・中堅手として出場。打率2割8分、7本塁打の成績を残し、飛躍の年となった。
  • 2006年は、4月終了時点でセ・リーグの打率ランキングで2位に付け、秋季キャンプで課題となっていたスローイングも補正され、ランナーを刺す場面も多くなり、とくに高橋由伸のセンターコンバートで空いた右翼手の守備に適性を見せる。6月12日に左足小指の骨折が判明し、登録を抹消される。7月11日札幌ドーム横浜ベイスターズ戦で1軍復帰スタメン出場。7月16日の対東京ヤクルトスワローズ戦で高津臣吾から決勝点となるシーズン第6号ホームランを放ち、試合後のお立ち台では「この勢いで甲子園(対阪神タイガース3連戦)でも3つ取って来ます!」と話した。(なお、同3連戦の結果は雨天中止・雨天中止・敗戦だった。)
    その後故障の影響などもあり徐々に成績が下降したが、11盗塁、18二塁打と機動力がある事もアピールした。シーズン終了後には秋季キャンプを辞退し、ボルト除去手術を受けた。
  • 2007年は成績次第ではライバルにもなるとも思われた高橋由伸の初球開幕本塁打、谷佳知の完全復活により代打起用でシーズンを迎える。開幕13試合目にスタメン起用されるとようやく初ヒットを放ち、以後徐々に復調すると、中堅手としてデーモン・ホリンズ鈴木尚広と併用されたが、矢野がセンター守備に不慣れな面を見せたことから、「(原辰徳監督曰く)攻撃と守備のバランスが取れた」ホリンズがスタメン起用され、矢野が代打中心に起用されることになる。しかし、これがこの年の矢野に数々のエピソード(後述)を残すこととなった。
    終盤戦で不調の谷に替わり数試合スタメン出場したものの、(いわゆる1打席に集中した「代打のバッティング」に特化していたのか)結果は残せず。再び代打に戻るも、代打成績も落ちこむという悪循環に陥ってしまい、19打数ノーヒットの不振に陥っていた。
    クライマックスシリーズでも目立った活躍もなく、めぐり合わせの悪い1年となってしまったが、シーズンわずか46安打で二塁打14、三塁打2、本塁打7を記録。序盤と終盤の不振もあったものの、シーズン出塁率.354、長打率.538という数字は巨人の主軸打者に匹敵する数字を残した。
    伊原ヘッドコーチからは守備・走塁面でしばしばカミナリが飛んでおり、2007年秋季キャンプからは脇谷亮太と共に強化選手に選ばれている。
  • 2008年千葉ロッテ渡辺俊介らと行った初の海外(グアム)での自主トレでは、1日10時間トレを実行しており、いかに外野のレギュラーを奪取したいかが現れていた。
  • 2008年の春季キャンプの紅白戦での目標は、「1試合全部出場したい」と語っており、理由は、2007年春季キャンプの紅白戦1回表の攻撃で、バントのサインを2度も見逃して、次の回の守備から、交代させられたことからで、本人は、試合終了後「1試合試合に出ることができてよかった」とコメントを残している。

[編集] プレースタイル

  • 思い切りのいいスイングが持ち味、近年は長打力もつけてきている。遠投110mの強肩に50m走6.0秒の脚力を兼ね備え、躍動感あふれるプレーが魅力(選手紹介から)。

[編集] エピソード

  • 2005年、7本塁打のうち4本を巨人キラーといわれる横浜ベイスターズ土肥義弘から打ったことで土肥キラーとして話題になった。2006年は土肥の不調もあって対戦機会が激減したものの、6打数2安打と相性は維持している。
  • 2005年オフには、「とにかく将来的に1桁の背番号を付けたい」という気持ちも明かし具体的な番号としては清原和博退団後空き番となった5番をあげた。昨年オフには仁志敏久が退団し空き番となった8番を挙げていた。
  • 2003年のシーズン終了後に結婚し、2005年の抱負(球団公式サイトの「2005年G戦士 今年の抱負」より)では『夫婦円満』と書いたことがある。
  • 2006年8月、長男が誕生した。
  • 2006年に18二塁打を数えたことから中畑清に『ミスター・ツーベース』と評された。
  • 水泳北島康介に似ていると言われる。矢野自身も似ている事を認めた。本人は、『北島さんが僕に似ているといわれるようになりたい』と語っている。
  • 通称矢野ノートには「フォーク 結構落ちる」などの相手投手の特徴が書かれている。
  • 2007年の打席登場曲には高校時代の同級生であるラッパー「SYZA」の「NO HORIZON」を使用していた。
  • 2008年の打席登場曲は、「SYZA」の「太陽」を使用することが決まっているが、5/29の打席では、そのCDが発売前だった為流せなかった。 ちなみにこの曲は、SYZAが矢野の為につくったものである。

[編集] 代打としてのエピソード

  • 2007年は巨人に貴重な右の代打としての活躍が目立った。5月31日交流戦、対福岡ソフトバンクホークス戦では、0-3と劣勢の状況から6回裏に西村健太朗の代打・清水隆行のさらに代打で登場し、篠原貴行から逆転満塁ホームラン(プロ初満塁ホームラン)を放ち、チームの勝利に貢献。代打逆転満塁ホームランは巨人では1987年に現在の監督である原辰徳が記録して以来、球団史上5人目(他には樋笠一夫広野功駒田徳広。樋笠と広野はサヨナラ)、代打の代打による満塁ホームランは、1989年の駒田以来2人目の快挙となった。
    さらに同年6月11日の対日本ハム戦の0-0で迎えた8回裏に2番手投手・林昌範の代打で登場し、武田勝から決勝ソロホームランを放ち、勝利に貢献。1-0勝ちの代打ホームランは1949年藤本英雄以来58年ぶりの快挙となった。
    この年の代打成績は39打数10安打で打率.256、代打本塁打4本という成績をマークした。代打打率はシーズン打率よりも低いが、この数字は開幕直後のノーヒット、終盤の不振も含めた成績であるため、中盤は代打として十分活躍したといえる。中盤以降ホークスから移籍した「右の代打屋」大道典嘉が復帰し結果を出し、また後半戦以降正センターは打撃優先で清水隆行の起用が多くなったが、矢野は代打に使われることが多かった。

[編集] 年度別野手成績

年度 チーム 背番号 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 打率
2003年 巨人 48 3 1 0 0 0 0 .000
2004年 10 18 4 1 2 0 .222
2005年 85 203 57 7 14 2 .281
2006年 103 335 90 6 30 11 .269
2007年 103 158 46 7 29 1 .291
通算 304 715 197 21 75 14 .276
  • 2007年シーズンまで
  • 表中の太字はリーグ最高

[編集] 個人記録

[編集] 背番号

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

Kenji48.com(公式HP)

読売ジャイアンツ
2002年ドラフト指名選手
自由獲得枠:木佐貫洋 / 自由獲得枠:久保裕也 / 4巡目:長田昌浩 / 5巡目:山本光将 /
6巡目:矢野謙次 / 7巡目:入野久彦 / 8巡目:横川雄介