矢野謙次
| 読売ジャイアンツ #48 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 東京都三鷹市 |
| 生年月日 | 1980年9月21日(31歳) |
| 身長 体重 |
178cm 81kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 2002年 ドラフト6巡目 |
| 初出場 | 2003年8月19日 |
| 年俸 | 2,700万円(2011年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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矢野 謙次(やの けんじ、1980年9月21日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(外野手)。東京都三鷹市出身。
目次 |
[編集] 人物
小学校2年の時に「三鷹リトルシニア」で野球を始める。同じリトルシニアに元中日の高江洲拓哉も所属していた。三鷹六中時代の「三鷹シニア」ではエース兼4番で関東大会出場。その後國學院大學久我山中学校・高等学校に進学。東都の國學院大學時代、リーグ2部で通算23本塁打を記録するなどと「井口二世」という呼び名が高く、ダイエーと日本ハムが獲得意思を示したが、矢野は高校時代から注目してくれていたという巨人入りを熱望した。球団関係者は「足が速いし、魅力がある。打撃もパンチ力があり、遠くへ飛ばす力を持っている」と高く評価していた。家族構成は両親、兄、姉。
[編集] 経歴
2002年のドラフトで國學院大學から6巡目指名で読売ジャイアンツに入団。不動のセンターだった松井秀喜のFA移籍のため、ルーキーイヤーの2003年からキャンプに帯同。オープン戦では4順目の長田昌浩とともにヒットを放つが、ペナントでは活躍できず。
2004年にプロ入り初安打・初本塁打を記録、2005年のシーズンは主に2番打者として85試合、主に右翼手・中堅手として出場。打率2割8分、7本塁打の成績を残し、飛躍の年となった。7本塁打のうち4本を横浜ベイスターズの土肥義弘から打ったことで土肥キラーとして話題になった。2003年のシーズン終了後に結婚し、2005年の抱負(球団公式サイトの「2005年G戦士 今年の抱負」より)では『夫婦円満』と書いたことがある。
2006年は、4月終了時点でセ・リーグの打率ランキングで2位に付け、秋季キャンプで課題となっていたスローイングも補正され、ランナーを刺す場面も多くなり、とくに高橋由伸のセンターコンバートで空いた右翼手の守備に適性を見せる。6月12日に左足小指の骨折が判明し、登録を抹消される。7月11日の札幌ドーム対横浜ベイスターズ戦で1軍復帰スタメン出場。7月16日の対東京ヤクルトスワローズ戦で高津臣吾から決勝点となるシーズン第6号ホームランを放ち、試合後のお立ち台では「この勢いで甲子園(対阪神タイガース3連戦)でも3つ取って来ます!」と話した(なお、同3連戦の結果は雨天中止・雨天中止・敗戦だった)。その後は故障の影響などもあり徐々に成績が下降したが、11盗塁、18二塁打と機動力がある事もアピールした。シーズン終了後には秋季キャンプを辞退し、ボルト除去手術を受けた。
2007年は成績次第ではライバルにもなるとも思われた高橋由伸の初球開幕本塁打、谷佳知の完全復活により代打起用でシーズンを迎える。開幕13試合目にスタメン起用されるとようやく初ヒットを放ち、以後徐々に復調すると、中堅手としてデーモン・ホリンズや鈴木尚広と併用されたが、矢野がセンター守備に不慣れな面を見せたことから、「(原辰徳監督曰く)攻撃と守備のバランスが取れた」ホリンズがスタメン起用され、矢野が代打中心に起用されることになる。しかし、これがこの年の矢野に数々のエピソード(後述)を残すこととなった。終盤戦で不調の谷に替わり数試合スタメン出場したものの、(いわゆる1打席に集中した「代打のバッティング」に特化していたのか)19打席無安打。再び代打に戻るも、代打成績も落ちこむという悪循環に陥ってしまい、クライマックスシリーズでも目立った活躍もなくスタメンを奪取するには及ばず。めぐり合わせの悪い1年となってしまったが、シーズンわずか46安打で二塁打14、三塁打2、本塁打7を記録。序盤と終盤の不振もあったものの、シーズン出塁率.354、長打率.538という主軸打者に匹敵する数字を残した。秋季キャンプでは脇谷亮太と共に強化選手に選ばれ、2008年オフは仁志敏久にスローイングなど外野守備を師事。さらに大学の先輩である渡辺俊介らと行った初の海外(グアム)での自主トレでは、1日10時間トレを実行しており、いかに外野のレギュラーを奪取したいかが現れていた。
2008年シーズン開幕前に右ひじ関節の炎症と診断されたが、何日経っても痛みがひかないため数日後再検査に行ったところ、右ひじの疲労骨折と診断された。6月に1軍昇格するが、故障が再発し数日で2軍降格。9月に2軍戦復帰するが、フェニックスリーグで左膝を負傷し、その後手術に踏み切る。ケガに泣いた1年となった。この年は3試合の出場に留まり、5打数無安打だった。
2009年、前年の膝の手術の影響(リハビリ)で、7月までは試合には未出場だったが、8月6日のイースタン公式戦(東京ドーム)で、4番指名打者で実戦復帰し、復帰初打席でしぶとくレフト前にタイムリーヒットを放ち、復帰後初打席初安打初打点を記録した。その後は、8月11日のイースタン公式戦で、復帰後初ホームランを放つなど、活躍している。原監督は「後半戦は矢野がキーマン。矢野が上がってくれれば心強い」と話し、2軍監督の岡崎監督は8月6日の復帰戦で「もう矢野を壊したくないんだ」「これから10年は巨人を引っ張っていく選手」「あれだけのリハビリに耐えてきた」と、矢野に対する熱い思いを語った。2軍成績は24試合に出場して58打数17安打1本塁打5打点、打率は.293。1軍はジャイアンツのリーグ優勝後のシーズン終盤に昇格しただけで、6試合の出場に留まり9打数で1安打だった。
2010年5月9日の対横浜戦でスタメン出場を果たし、タイムリー二塁打を放ち、3年ぶりとなる打点を記録。同年5月13日の対西武戦でもスタメン出場し、タイムリー二塁打を含む2安打2四球の4打席全出塁で勝利に貢献。試合後のヒーローインタビューではインタビュアーのマイクを奪い取り「ただいま!」と絶叫し、ファンの喝采を浴びた。シーズン終盤に代打の切り札として1軍に昇格後は、ヒットを重ね代打のみならず2番でのスタメンなどとフル回転し、最終的に42試合で74打数と少ないながらも自身初のシーズン打率3割を達成した。
[編集] プレースタイル
遠投110m、50m走6.0秒程度の身体能力を持つ。近年はスコアデータなどを研究して投手の配球を読むことにも取り組んでいるという。
死球を避けづらいバッティングフォームだが[要出典]、全く死球を恐れずフルスイングする。プロ入り前から怪我の多い選手でもある。
守備については打球に対する第一歩の判断の遅さやポジショニングの悪さを指摘されている。何でもない単打をポジショニングの悪さから横を抜かれて長打にしてしまうなど拙い守備が目立つため[要出典]、外野のレギュラーに定着できていない。
[編集] 代打としての実績
2007年は巨人に貴重な右の代打としての活躍が目立った。5月31日のセ・パ交流戦、対福岡ソフトバンクホークス戦では、0-3と劣勢の状況から6回裏に西村健太朗の代打・清水隆行のさらに代打で登場し、篠原貴行から逆転満塁本塁打(プロ初満塁本塁打)を放ち、チームの勝利に貢献。代打逆転満塁本塁打は巨人では1987年に現在の監督である原辰徳が記録して以来、球団史上5人目(他には樋笠一夫、広野功、駒田徳広。樋笠と広野はサヨナラ)、代打の代打による満塁本塁打は、1989年の駒田以来2人目の快挙となった。
さらに同年6月11日の対日本ハム戦の0-0で迎えた8回裏に2番手投手・林昌範の代打で登場し、武田勝から決勝ソロ本塁打を放ち、勝利に貢献。1-0勝ちの代打本塁打は1949年の藤本英雄以来58年ぶりの快挙となった。この年の代打成績は39打数10安打で打率.256、代打本塁打4本という成績をマークした。代打打率はシーズン打率よりも低いが、この数字は開幕直後のノーヒット、終盤の不振も含めた成績であるため、中盤は代打として十分活躍したといえる。中盤以降戦力外通告でホークスから移籍した「右の代打屋」大道典嘉が復帰し結果を出し、また後半戦以降正センターは打撃優先で清水隆行とホリンズの起用が多かったが、矢野はそのまま代打に使われることが多かった。
2010年シーズンも代打の切り札としての活躍が目立った。 2010年シーズンの代打成功率.524と驚異的な数字を残した。これは12球団トップの数字であった。
2011年シーズンもチャンスの場面での代打起用が多くなっている。9月30日の対広島戦では、2007年5月31日以来 自身2本目の代打満塁本塁打を放つなど代打の切り札としての活躍が目立ち、最終的には代打成功率.462を残し代打での打率は.417と驚異的な数字を残した。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | 巨人 | 3 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | .000 | .500 | .000 | .500 |
| 2004 | 10 | 18 | 18 | 2 | 4 | 1 | 0 | 1 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .222 | .222 | .444 | .667 | |
| 2005 | 85 | 228 | 203 | 27 | 57 | 7 | 1 | 7 | 87 | 14 | 2 | 1 | 11 | 1 | 9 | 0 | 4 | 30 | 5 | .281 | .323 | .429 | .751 | |
| 2006 | 103 | 372 | 335 | 36 | 90 | 18 | 0 | 6 | 126 | 30 | 11 | 3 | 2 | 1 | 21 | 2 | 13 | 66 | 6 | .269 | .335 | .376 | .711 | |
| 2007 | 103 | 178 | 158 | 28 | 46 | 14 | 2 | 7 | 85 | 29 | 1 | 2 | 3 | 1 | 9 | 1 | 7 | 32 | 2 | .291 | .354 | .538 | .892 | |
| 2008 | 3 | 8 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | .000 | .286 | .000 | .286 | |
| 2009 | 6 | 9 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .111 | .111 | .111 | .222 | |
| 2010 | 42 | 88 | 74 | 8 | 23 | 4 | 1 | 2 | 35 | 13 | 0 | 2 | 4 | 0 | 10 | 0 | 0 | 11 | 1 | .311 | .393 | .473 | .866 | |
| 2011 | 53 | 116 | 107 | 10 | 27 | 7 | 0 | 1 | 37 | 11 | 2 | 1 | 3 | 1 | 4 | 1 | 1 | 20 | 3 | .252 | .283 | .346 | .629 | |
| 通算:9年 | 408 | 1019 | 910 | 111 | 248 | 51 | 4 | 24 | 379 | 99 | 16 | 10 | 24 | 4 | 55 | 4 | 26 | 165 | 19 | .273 | .331 | .416 | .747 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 年度別守備成績
| 年 度 |
外野 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2003 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
| 2004 | 10 | 12 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2005 | 62 | 95 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2006 | 100 | 165 | 7 | 3 | 2 | .983 |
| 2007 | 80 | 72 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2008 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2009 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2010 | 30 | 26 | 0 | 2 | 0 | .929 |
| 2011 | 37 | 38 | 2 | 0 | 0 | 1.000 |
| 通算 | 328 | 412 | 9 | 5 | 2 | .988 |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場:2003年8月19日、対横浜ベイスターズ24回戦(東京ドーム)、7回裏にロベルト・ペタジーニの代走として出場
- 初打席:2003年8月22日、対ヤクルトスワローズ22回戦(明治神宮野球場)、8回表に坂元弥太郎から死球
- 初先発出場:2004年7月24日、対横浜ベイスターズ18回戦(横浜スタジアム)、8番・右翼手として先発出場、4打数1安打1打点
- 初安打・初打点:同上、4回表に吉見祐治から中前適時打
- 初本塁打:2004年7月25日・対横浜ベイスターズ19回戦(横浜スタジアム)、5回表にスコット・マレンから右越ソロ
- 初盗塁:2005年7月8日、対広島東洋カープ10回戦(広島市民球場)、7回表に二盗(投手:横山竜士、捕手:石原慶幸)
[編集] 背番号
- 48 (2003年 - )
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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