北篤
| 北海道日本ハムファイターズ #37 | |
|---|---|
DeNA時代(2012年3月4日、ベイスターズ球場)
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 石川県小松市 |
| 生年月日 | 1988年11月26日(24歳) |
| 身長 体重 |
182 cm 80 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 外野手、二塁手、一塁手、三塁手 |
| プロ入り | 2006年 高校生ドラフト1巡目 |
| 初出場 | 2010年9月25日 |
| 年俸 | 650万円(2013年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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北 篤(きた あつし、1988年11月26日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(外野手)。
目次 |
来歴・人物 [編集]
プロ入り前 [編集]
石川県立小松工業高校では1年秋からエースを務めた。最速145km/hのストレートにスライダー、カーブを投げる。投手でありながら高校通算32本の本塁打を打っており、広島東洋カープなど野手として高く評価する球団もあった。
2006年度のプロ野球ドラフト会議(高校生対象)の1巡目指名において、田中将大の交渉権獲得抽選に外れた横浜ベイスターズから指名を受け、投手として入団した。
横浜時代 [編集]
入団から2009年までは一軍出場が無く、横浜の二軍チーム・湘南シーレックス[1]でプレーした。
新人年の2007年には北海道日本ハムファイターズ戦において、3イニングで8奪三振を記録するなどの投球を見せていたこともあったが、2008年の春に右肘を疲労骨折し、6月に手術を行った[2]。その影響と、上記のように打撃面でも高い評価をされていたこともあって同年の秋季キャンプより内野手に転向することになった[2][3]。
2009年は92試合に出場し、うち86試合で三塁手を守った。また、犠打を18記録するなど器用さを見せた。同年のフレッシュオールスターゲームに出場した際、運送業者の不手際によって湘南のユニフォームが会場の札幌ドームに届かず、同ドームを一軍の本拠地とする北海道日本ハムファイターズの練習用ユニフォームを借りて他の2選手とともに出場したという経験をしており、3年後にトレードで日本ハムへ移籍するよりも早く日本ハムのユニフォームに袖を通していたことになる。
2010年には二軍で二塁手と一塁手を中心に守り、外野手にも挑戦した。同年9月25日には一軍出場も果たした。私生活では当時27歳の女性と結婚。8月には長女が誕生。翌2011年はターメル・スレッジの離脱によって出場選手登録されると、8月23日の広島戦でプロ初打点となる犠牲フライを記録した。一時期はスターティングメンバーにも起用されたが、9月にブレント・リーチとともに登録を抹消され、以降は登録されず12試合の出場に留まった。
2012年2月6日、守備位置登録を外野手に変更[4]。自身初の開幕一軍スタートとなったが、僅か2試合の出場で登録を抹消され、そのままシーズンを終えた。11月15日[5]、土屋健二との交換トレードで日本ハムへ移籍した。[6][7]
日本ハム時代 [編集]
2012年11月16日、鎌ケ谷スタジアムで入団会見が行われた。背番号は交換相手の土屋が着用していた「37」。
2013年の春季キャンプでは一軍で迎えたが、2月16日に行われた横浜DeNAベイスターズとの練習試合で1回に左肩を負傷。検査の結果、左肩関節の脱臼で全治4週間と診断された。
詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2010 | 横浜 DeNA |
8 | 14 | 14 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | .214 | .214 | .214 | .428 |
| 2011 | 12 | 25 | 21 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 9 | 1 | .238 | .292 | .286 | .578 | |
| 2012 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 通算:3年 | 22 | 40 | 36 | 0 | 8 | 1 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 16 | 1 | .222 | .256 | .250 | .506 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更
年度別守備成績 [編集]
| 年 度 |
外野 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2010 | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2011 | 9 | 14 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2012 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
| 通算 | 13 | 18 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
- 2012年度シーズン終了時
記録 [編集]
- 初出場:2010年9月25日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、3回裏に弥太郎の代打として出場
- 初打席:同上、3回裏に山本昌から三振
- 初安打:2010年9月26日、対読売ジャイアンツ22回戦(横浜スタジアム)、7回裏に越智大祐から中前安打
- 初先発出場:2010年9月30日、対阪神タイガース22回戦(阪神甲子園球場)、6番・左翼手で先発出場
- 初打点:2011年8月23日、対広島東洋カープ15回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回表に今村猛から中犠飛
背番号 [編集]
- 43 (2007年 - 2012年)
- 37 (2013年 - )
脚注 [編集]
- ^ 2010年以降は一軍と同名称を名乗る。
- ^ a b “横浜の右腕北が来季内野手に転向へ”. 日刊スポーツ. 2008年11月3日閲覧。
- ^ 吉岡さちこ. “北選手の大きな挑戦”. 横浜ベイスターズ公式サイト. 2008年11月2日閲覧。
- ^ “守備位置登録変更のお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ公式サイト. 2012年2月6日閲覧。
- ^ 支配下選手登録公示された日付による。
- ^ “横浜DeNAベイスターズとトレードが成立”. 北海道日本ハムファイターズ公式サイト. 2012年11月14日閲覧。
- ^ “北選手入団会見”. 北海道日本ハムファイターズ公式サイト. 2012年11月16日閲覧。
関連項目 [編集]
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