筒香嘉智
| 横浜DeNAベイスターズ #25 | |
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2011年10月15日 横浜スタジアム
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 和歌山県橋本市 |
| 生年月日 | 1991年11月26日(20歳) |
| 身長 体重 |
184cm 95kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 三塁手、一塁手 |
| プロ入り | 2009年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 2010年10月5日 |
| 年俸 | 1,200万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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筒香 嘉智(つつごう よしとも、1991年11月26日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] アマチュア時代
小学2年のとき、和歌山ニューメッツで野球を始める。中学では堺ビッグボーイズに所属し4番として30本塁打をマーク。中学3年で全国大会ベスト8。ボーイズ関西選抜の4番として世界大会に出場。関西の強豪校からの誘いもあったが、松坂大輔への憧れから横浜高校へ進学。
横浜高校でも長打力を買われ1年春から4番に抜擢される。1年生での4番は紀田彰一(元横浜)以来。高校2年で第90回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の浦和学院戦では先制の本塁打。準々決勝の聖光学院戦では満塁弾を含む2打席連続本塁打を放ち、1試合個人最多タイとなる8打点を挙げる。準決勝で大阪桐蔭に敗れたものの、この大会では打率.526・3本塁打・14打点の活躍で4強入りに貢献。その後、腰痛の悪化により椎間板ヘルニアと診断され2ヶ月弱のリハビリをする。一時期スイッチヒッターへ転向するも左打ちに専念。
高校3年春の花巻東との練習試合では、4回の攻撃時に菊池雄星から特大ソロ(高校通算55本目)を放っている。しかも数日前から体調を崩し、当日の朝であっても39度の高熱が下がらないにもかかわらず、監督に出場を志願していた[1]。
この夏の神奈川大会における7月26日の準々決勝では、9回表にチームが同点に追いつき、なおも二、三塁の好機に打順が巡ってきたものの、一塁ゴロで同点止まり。すると延長10回ウラには2死から自身の失策がきっかけとなり、横浜隼人に9-10でサヨナラ負けを喫した。
第8回AAAアジア野球選手権大会の日本代表に選ばれる。
[編集] プロ入り後
2009年10月29日、プロ野球ドラフト会議で、横浜ベイスターズの1位指名を受け、11月30日に契約金9000万円、年俸800万円(金額は推定)で契約した。背番号は55に決まった。当初は右投両打で登録されていたが、左投手を苦にしない打ち方ということで左打ちに変更された。
2010年、プロ入り初のキャンプでは二軍でじっくり育てられる方針だったが、長打力を認められ途中から一軍に合流した。初の実戦の紅白戦では4番三塁で先発出場したが3打数無安打に終わった。
初年度は高卒ルーキーながら二軍では四番で起用された。8月22日に高卒ルーキーとしては大田泰示(巨人)の本塁打記録を塗り替え、9月12日にはルーキーとして竹原直隆(ロッテ)の記録を5年ぶりに更新する24号本塁打を放った。最終的に26本塁打、88打点を記録し2冠を達成した。この活躍が認められ、首脳陣から9月20日以降に翌年以降の新人王の資格を残した範囲での一軍出場を示唆され、10月5日の対巨人戦で5番一塁で一軍デビューを果たした(結果は3打席無安打)。10月7日の対阪神戦で三打席目に久保田智之から一軍で初安打となるソロホームランを放った。12月2日、契約更改後の会見で来季から背番号を8に変更することが発表された[2]。
2011年は5月に右手首の靱帯を痛め、一時手術も検討された。結局この影響から3ヶ月近く実戦から遠ざかったが、最終的に二軍で14本塁打を放ち、2年連続でファームでの本塁打王に輝いた。8月28日に一軍に昇格した。昇格後は主にクリーンナップとして、コンスタントに試合に出場するようになった。長打力を発揮する一方で三振も多く、10月18日の対中日戦(横浜)ではプロ野球タイ記録である1試合5三振を喫した。同記録は、セ・リーグ8人目、史上14人目の記録である[3]。それでもシーズンを通じて40試合出場ながら、背番号と同じ8本塁打をマークし、大器の片鱗を見せた。12月9日、背番号を巨人に移籍した村田修一が付けていた25に変更することが発表された[4]。
[編集] プレイスタイル
同世代NO.1左腕である菊池雄星から「怪物」[5]と認められ、横浜高校小倉部長からも同校過去60年間でトップと語られる逸材。超高校級内野手として「ハマのゴジラ」として注目を浴びた。 2012年から指揮を執る中畑清も「1年目に練習を見たが凄い選手が入ってきた」と期待を寄せている。 長打狙いのスイングで一発のパワーはあるが、ミート力に乏しく三振も多い。 しかしながら体勢を崩されながらも横浜スタジアムのライトスタンド最上段の看板までボールを運ぶなどその桁違いのパワーを見せつけた。 守備でも課題が多い。2011年9月18日の神宮球場で行われたヤクルト戦で9回に畠山のマウンド上空に上がった飛球を目測を誤ったか、ダイビングしたにもかかわらず落球した。(記録はエラー)横浜は4-2とリードしていたが、そのプレーで2塁1塁となり、武内に大飛球(右飛)を打たれ、あわやサヨナラ負けと言うところまで行った。
[編集] その他
横浜高校卒業ということもあり、神奈川県出身と間違われることもある[要出典]。
横浜高校3年時の第8回AAAアジア野球選手権大会でのインタビューで「将来的に日の丸を背負うことは、夢というより目標です」とコメントした[6]。
アメリカメジャーリーグ志向が非常に強い。ドラフト指名数日前に受けた取材でメディアに「将来的には松坂さんのようにメジャーで活躍する選手というのが自分の最大の目標なので、やっぱり向こうで勝負したいという気持ちはあります」と述べた。まだ日本プロ野球における実績がない高校生がメディアの前でメジャー志向を公言するのは珍しく、強気な性格であり相当な自信を持っている選手であることが窺われる。
家族構成は両親と10歳上で横浜で教師をしている兄、嘉智と双子の姉がいる。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2010 | 横浜 | 3 | 10 | 7 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | .143 | .400 | .571 | .971 |
| 2011 | 40 | 160 | 145 | 16 | 35 | 10 | 0 | 8 | 69 | 22 | 1 | 0 | 0 | 1 | 13 | 0 | 1 | 51 | 4 | .241 | .306 | .476 | .782 | |
| 通算:2年 | 43 | 170 | 152 | 17 | 36 | 10 | 0 | 9 | 73 | 23 | 1 | 0 | 0 | 1 | 15 | 0 | 2 | 52 | 4 | .230 | .306 | .480 | .786 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:2010年10月5日、対読売ジャイアンツ24回戦(横浜スタジアム)、5番・一塁手として先発出場
- 初打席:同上、2回裏に朝井秀樹から中飛
- 初安打・初本塁打・初打点:2010年10月7日、対阪神タイガース24回戦(横浜スタジアム)、7回裏に久保田智之から右中間へソロ
- 初盗塁:2011年10月13日、対阪神タイガース21回戦(横浜スタジアム)、1回裏に二盗(投手:小嶋達也、捕手:小宮山慎二)
- 1試合5三振:2011年10月18日、対中日ドラゴンズ24回戦 (横浜スタジアム)(NPBタイ記録)
[編集] 背番号
- 55 (2010年)
- 8 (2011年)
- 25 (2012年 - )
[編集] 脚注
- ^ GET SPORTS - 2009年11月9日放送分より
- ^ 【横浜】筒香、来季からエイトマンに - nikkansports.com、2010年12月2日
- ^ “筒香 1試合5三振のプロ野球タイ記録”. スポーツニッポン (2011年10月18日). 2011年10月19日閲覧。
- ^ “背番号変更のお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ (2011年12月9日). 2011年12月9日閲覧。
- ^ 「見送ればワンバウンドのボール球だったのに、片手で120m運ばれた。怪物でした」と、打たれた菊池が振り返っている。GET SPORTS - 2009年11月9日放送分より
- ^ 筒香がプロ正式表明/アジアAAA
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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