村中恭兵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
村中 恭兵
東京ヤクルトスワローズ #15
YS-Kyohei-Muranaka.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県愛甲郡愛川町
生年月日 1987年10月25日(26歳)
身長
体重
188 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2006年10月14日
年俸 5,300万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

村中 恭兵(むらなか きょうへい、1987年10月25日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学校2年生時に、「中津リバーズ」で一塁手として野球を始める。中学時代は相模原南シニアに所属。左投げが買われ、一塁手と投手を兼任した。

2003年東海大甲府高校に進学、村中秀人監督の下でプレー。その年の夏に、夏の甲子園に出場したが、村中はベンチ入りしたのみで登板はなかった。同校は2004年にも甲子園に出場しているが、村中は高校2年時の夏は故障明けで、ベンチからも外れている。2年秋からエースを務めたが、3年夏の山梨県大会では三回戦でその年県代表となった日本航空高校に敗れた。結果として村中本人は、甲子園での登板はならなかった。

2005年高校生ドラフト1巡目で、東京ヤクルトスワローズに指名された。結果としては単独指名となったが、プロ全12球団から調査書が届いていた。担当スカウトの鳥原公二が「辻内が『剛』なら、村中は『柔』。器用でコントロールが良く、将来性は十分」[1]と評するなど、即戦力ではなく素材として高評価が集まっていた。

プロ入り後[編集]

2006年、春キャンプは一軍に招聘。開幕は二軍で迎え、序盤を主に体力作りにあてると、6月27日の二軍の試合でプロ初登板。2回3失点も当時自己最速の145km/hを計測。10月14日に一軍に初昇格し、同日初先発。3回を投げて福留孝介からの2点被本塁打を含む4失点で降板している。

2007年、キャンプから二軍スタート。徐々に球威を増し、8月には北京プレオリンピック野球日本代表に選ばれた。一軍登板はならなかったが、オフにはハワイ・ウィンターリーグへ派遣され、リーグでは3勝1敗2セーブ 防御率2.00という好成績を残した。

2008年、手薄な先発左腕を担うことを期待され、2年ぶりの一軍キャンプスタートとなった。キャンプでは前年のプレ日本代表時に目をかけていた星野仙一からも「後は精神面」だけ、と激励を受けている。期待に応えて先発ローテーション入りし、初の開幕一軍を勝ち取った。4月4日中日戦で7回1失点8奪三振の好投でプロ初勝利を挙げた。5月3日巨人戦で9回1死まで無安打に抑える好投をしたが、亀井義行に二塁打を打たれ、快挙達成はならなかった。8月末に検査を受け左ひじ内側側副靱帯損傷と診断、しばらく投球を禁止し静養、患部の回復経過を見て手術は回避となった。

2009年、一軍復帰を目指しリハビリをし、シーズン後半では一軍に昇格を果たした。後半戦のキーマンにあげられながらも、課題である制球難は変わらず、最終的に1勝6敗、防御率7.12に終わった。

2010年3月28日東京ドームで行われた巨人との開幕3戦目に先発し、巨人打線から11奪三振を記録し、巨人戦勝利を収めた。そして、4月18日坊っちゃんスタジアムで行われた巨人との5回戦にも先発登板。巨人打線から12個の三振を含め、7回まで無安打に抑えた。そのため、チームから新巨人キラーに任命された。巨人戦では3勝1敗、中日戦では4勝1敗と相性が良かった反面、阪神戦では0勝3敗と相性が悪かった。11勝を挙げ防御率3.44、奪三振は前田健太に次ぐリーグ2位と飛躍のシーズンになったが、与四球数はワースト2位、暴投数はリーグ最多と制球力は改善されておらず好不調の波があり10敗を喫し完投も0と課題も残した。

2011年、開幕直後に怪我で登録抹消され、すぐに復帰したが復帰試合でわき腹痛で1回途中降板し、この故障で約2ヶ月の長期離脱となる。7月29日の巨人戦でプロ入り初完投・初完封を記録。

2012年は4月に3勝をマークするなど好調な滑り出しで2010年以来となる二桁勝利と規定投球回数に到達し、リーグ最多タイの2完封をマークした。規定投球回数到達者の中では両リーグワーストとなる防御率3.88を記録したが先発ローテーションを守り、WHIP1.49を記録。 先発登板で勝利投手となった成績が防御率1.30・WHIP1.11に対し、同じく敗戦投手となった成績が防御率9.17・WHIP2.27と、投球の不安定さが目立ったシーズンとなった。

2013年は序盤の6試合のうち4試合で7イニング以上を投げ、3勝を記録するなど前年に続き好調なスタートを切った。しかし交流戦で救援に回った後先発に復帰してからは打ち込まれる場面が目立ち、7~9月は未勝利と苦しんだ。最終的に前年度を大幅に下回る5勝に終わり、防御率も5.00と安定感を欠いた。

プレースタイル[編集]

スリー・クォーター気味のフォームから投げる平均球速142km/h[2]、最速151km/hのストレート(※2011年10月31日巨人とのCSにてリリーフ登板時に計測)とスライダーフォークSFF、タイミングを外すカーブも使い投球を組み立てる。2010年春のキャンプではスラーブを習得。

最も尊敬している人物は、同じ左投手で速球派の先輩石井弘寿であり、村中曰く「弘寿さんマニア」。何度もビデオを観て腕の振りなどフォームを研究し参考にしている。石井弘寿の最大の武器であるスライダーを伝授してもらった。石井弘寿のMAX155km/hのストレートを目指している。工藤公康も尊敬している[要出典]

人物[編集]

「恭兵」の名は、母の大好きな俳優・柴田恭兵にあやかって付けられた。プロ入り後の2010年、神宮外苑で練習中に偶然草野球をしていた柴田から声を掛けられ、激励を受けたことがある[3]。因みに自らも幼少期の頃、柴田が出演する「あぶない刑事」に夢中だったという[4]

父は相模原市内に店を構える有名なパティシエである。そのため村中本人もプリンが大好物で、初勝利の際にコメントを求められた父が「オフに特別なプリンを作る」ことを約束している[5]。また2010年のファン感謝デーでは父の店のプリンを600本限定で販売した。

母校・東海大甲府の監督で指導を受けていた村中秀人とは血縁関係にないが、村中監督自身も高校時代は左腕エースだったという共通点がある。

2013年3月27日、7歳年上の女性と結婚した[6]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2006 ヤクルト 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 18 3.0 6 1 4 0 0 1 0 0 4 4 12.00 3.33
2008 21 21 0 0 0 6 11 0 0 .353 530 122.1 107 13 59 4 7 105 12 0 60 59 4.34 1.36
2009 9 9 0 0 0 1 6 0 0 .143 202 43.0 49 5 25 0 3 35 4 0 34 34 7.12 1.72
2010 28 28 0 0 0 11 10 0 0 .524 765 178.0 176 15 69 1 8 163 10 0 79 68 3.44 1.38
2011 15 15 2 1 0 4 6 0 0 .400 352 84.0 76 10 30 1 4 60 2 0 45 40 4.29 1.26
2012 25 23 3 2 0 10 7 0 0 .588 633 144.0 155 6 60 1 5 89 3 0 65 62 3.88 1.49
2013 25 18 0 0 0 5 9 0 0 .357 520 111.2 139 12 55 1 8 65 5 0 65 62 5.00 1.74
通算:7年 124 115 5 3 0 37 50 0 0 .425 3020 686.0 708 62 302 8 35 518 36 0 352 329 4.32 1.47
  • 2013年シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

投手記録
打撃記録

背番号[編集]

  • 15 (2006年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 日刊スポーツによる。
  2. ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁。ISBN 978-4-930942-98-2
  3. ^ 柴田恭兵が激励!村中“恭兵タッグ”で借金完済だ!-2010年8月24日スポーツニッポン
  4. ^ 柴田恭兵がヤクルト村中恭兵激励 日刊スポーツ、2010年8月24日付け朝刊より抜粋
  5. ^ 2006年4月4日サンケイスポーツ
  6. ^ 村中、3月に結婚していた…お相手は7歳上の元会社員”. スポニチ Sponichi Annex (2013年5月4日). 2013年6月25日閲覧。

関連項目[編集]