中井大介
| 読売ジャイアンツ #61 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 三重県伊勢市 |
| 生年月日 | 1989年11月27日(22歳) |
| 身長 体重 |
181cm 84kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 内野手(主に三塁手) |
| プロ入り | 2007年 高校生ドラフト3巡目 |
| 初出場 | 2009年5月12日 |
| 年俸 | 700万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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中井 大介(なかい だいすけ、1989年11月27日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
伊勢市立進修小学校(進修スポーツ少年団)1年時に内野手として野球を始め、伊勢市立五十鈴中学校(鈴鹿シニア)3年次からは投手を兼任。宇治山田商業では1年夏からベンチ入り・遊撃手のレギュラーを獲得し、1年秋からは左翼手兼投手として活躍。3年夏にはその攻守両面の活躍でチームを甲子園に導きプロ各球団に注目された。
投手としてはMAX146km/hの速球とスライダーでエースとして活躍し、打者としても高校通算28本塁打、三重県大会で打率.667を記録するなど投打に才能を評価されていたが、プロでは野手一本を宣言(本人は佐藤由規の速球を見て投手としては将来の限界を感じたという)。同校の先輩の江川(ソフトバンク)2世とも言われた。野球部の監督によると、身体能力では江川だが、打撃の技術では中井が上と言う。
2007年の高校生ドラフト3巡目で指名され、10月31日、契約金5000万円年俸540万円で仮契約。背番号は94。打撃を生かすために球団から薦められた外野手用だけではなく内野手用のグラブも持ち込んだ。担当スカウトから「技術的には高校生でナンバーワン」と評価され、巨人では次世代を担う右の大砲として期待されている。
[編集] プロ入り後
2008年は、2軍で三塁手、遊撃手として開幕からスタメンで出続け、フレッシュオールスターゲームに「4番・遊撃」で出場。本塁打、三塁打など3安打の活躍で優秀選手賞に選ばれた。後半戦は4番を打つことも多くなり、2軍で96試合に出場。12球団トップの105三振を喫したが、367打数96安打、打率.267、本塁打10、50打点。最多安打のタイトルを獲得し、打線の中心として活躍した。前年の坂本勇人のようにシーズン終盤に1軍を経験させようという考えもあったが、優勝争いが稀に見る大混戦だったため1軍登録はなかった。
シーズン終了後、坂本の後を受けて背番号を61に、選手登録も内野手に変更。キャンプでは大田泰示と共に原辰徳監督に連日の指導を受け、WBCで原監督がチームを離れた後もコーチ陣、ラミレス、野球評論家の中西太等に連日アドバイスを受け、オープン戦では三塁手として優先的に試合に出場した。
2009年5月12日、小田嶋正邦と入れ替わりで初の1軍登録。当日の横浜戦に8番二塁手でスタメン出場し、プロ入り初出場を記録。しかし横浜先発レス・ウォーランドの前に3打数3三振と結果を残せず途中交代。この日の出場により、球団史上初の平成生まれの一軍出場選手となった。その後2軍落ちするも、6月8日に1軍復帰し、同日に対楽天戦で、8番三塁手として出場。長谷部康平から単打を放ちプロ入り初安打を記録。その日の先発遊撃手が坂本勇人であったため球団史上最年少の先発三遊間が実現した。9月11日の広島戦(マツダスタジアム)では斉藤悠葵から初長打。さらに小松剛からはバックスクリーン右へ初ホームラン(平成生まれの選手初のホームラン)を放ち、お立ち台に立った。この年の巨人のリーグ優勝の祝勝会では、未成年であるため「ビールをかけないでください」のタスキをかけて登場し、同じく未成年の大田とぶどう100%ジュースをかけあって優勝を喜んだ。
2010年6月25日のイースタン・リーグ楽天戦で右足甲を負傷[1]。イースタン・リーグ終了後の10月4日に右足甲関節固定手術を都内病院で受けている[2]。
[編集] プレースタイル
広角に打てるバッターだが、1年目ファームではセンターから右方向へのライナー性の打球が非常に多かったのに対し、原監督の指導後は現役時代の原や小久保裕紀のようなセンター方向中心の打撃が目立っている。
守備位置は主に三塁手と二塁手で、遊撃手も守る。脇谷とともに器用に複数ポジションをつとめる選手である。投手出身らしく、送球が速い。
[編集] 人物
1歳違いの坂本勇人とは交流が深く、1軍では移動や食事を良く共にする。坂本は、中井の初昇格や初本塁打を予言していた[3]。
谷沢健一のブログによると、原監督は、「坂本とこの2人(中井・大田)がレギュラーを掴んだとき、大型内野陣が形成できる」という構想を語ったという[4]。
由規との対戦を楽しみにしており、「打つ自信はあります。やはりストレートを狙いたいですね」とコメントしている。
同校OGである野口みずきが高校時代に汗を流した同校周辺のランニングコース(通称:みずきロード)を走り込み、入団前に基礎体力をつけている。後日、野口に会った際に「将来は先輩のような国際舞台で活躍できる選手になりたい」と、将来の目標にメジャー挑戦を掲げている。
第89回高校野球三重大会決勝で、当時菰野高校の2年生エースだった西勇輝(のちオリックス)からバックスクリーンへホームランを打っている。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2009 | 巨人 | 18 | 33 | 30 | 2 | 7 | 2 | 0 | 1 | 12 | 6 | 2 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 11 | 0 | .233 | .226 | .400 | .626 |
| 2010 | 6 | 7 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | .000 | .143 | .000 | .143 | |
| 2011 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 通算:3年 | 26 | 42 | 38 | 3 | 7 | 2 | 0 | 1 | 12 | 6 | 2 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 15 | 0 | .184 | .200 | .316 | .516 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:2009年5月12日、対横浜ベイスターズ7回戦(横浜スタジアム)、8番・二塁手として先発出場、3打席連続三振
- 初安打:2009年6月8日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(東京ドーム)、4回裏に長谷部康平から左前安打
- 初盗塁:同上、4回裏に二盗(投手:長谷部康平、捕手:嶋基宏 ディレードスチール)
- 初打点:2009年9月10日、対横浜ベイスターズ23回戦(横浜スタジアム)、9回表に工藤公康から中前適時打
- 初本塁打:2009年9月11日、対広島東洋カープ18回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回表に小松剛から中越2ラン
[編集] 背番号
- 94 (2008年)
- 61 (2009年 - )
[編集] 脚注
- ^ 右足手術の巨人・中井がG球場でリハビリ デイリースポーツ 2010年10月9日
- ^ 中井が右足を手術 スポーツ報知 2010年10月8日
- ^ 週刊ベースボール 2010年1月18日号
- ^ 谷沢健一のニューアマチュアリズム プロ野球への独白 2009年2月12日 原監督の中井・大田選手指導
[編集] 関連項目
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