村田透
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府泉南郡熊取町 |
| 生年月日 | 1985年5月20日(26歳) |
| 身長 体重 |
182cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2007年 大学生・社会人ドラフト1巡目 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
|
この表について
|
|
村田 透(むらた とおる、1985年5月20日 - )は、大阪府泉南郡熊取町出身のプロ野球選手(投手)。
目次 |
[編集] 経歴
小学4年の時に野球を始め、当初は外野手だったが投手に転向。大阪体育大学浪商高等学校時代は1年秋からエースとして秋季近畿大会でベスト8に進出、翌年の第74回選抜高等学校野球大会に出場して1勝をあげた。
大阪体育大学進学後は肘・肩の痛みに悩まされたが、3年時の全日本大学野球選手権大会では5試合全てで抑え投手として起用され、18回2/3を投げて初優勝に貢献。自身も4勝0敗・防御率0.48の成績を挙げて大会MVPを受賞した。大学通算13勝10敗。
2007年2月に右足首の靭帯を切断・手術し、大半をリハビリに費やすことになったが、11月19日のドラフト会議で巨人から1巡目で指名される(この年から逆指名制度が廃止され、大場翔太・篠田純平の外れ1位で指名)。大体大からドラフト指名を受けた選手は2007年時点で3人いるが、巨人では上原浩治(1998年ドラフト1位)に続き2人目。11月26日に契約金8000万円、年俸1200万円(推定)で仮契約。背番号は36で、これには「半分の18(エースナンバー)を目指せ」という原辰徳の期待が込められていた。
[編集] 巨人時代
2008年は一軍登板がなく、二軍でも結果を残せなかった。
2009年には移籍してきたM.中村が36をつけることになり、46に変更した。
2010年も一軍登板は果たせず、10月2日に戦力外通告を受けた。ドラフト1位入団ながら3年で戦力外となり、11月10日に開催された12球団合同トライアウトに参加。伸びのある直球がクリーブランド・インディアンスのスカウトの目に止まり、12月18日にマイナー契約を結んだ[1]。
[編集] マイナー時代
2011年はアドバンスドA級キンストンで開幕を迎え、5先発を含む22試合に登板し、3勝2敗2セーブ、防御率2.36、WHIP0.93の成績を残し、チームのプレーオフ出場に貢献。オフはパナマのウィンターリーグに参加し、8試合の登板で防御率2.71、WHIP0.99の成績を残し、オールスターゲームにも選出された。
[編集] プレースタイル・人物
ワインドアップからの最速93mph(約150km/h)[2]のキレの良い速球が持ち味で、投球テンポもよく、肘の使い方も柔らかい。スライダー・カットボール・カーブ・フォーク・チェンジアップなど多彩な球種を持ち、直球とあわせてコーナーをついていく本格派投手。
大学の先輩でもある上原にはプロ入り前から憧れており、「上原選手に弟子入りしたい」と入団会見で語った。「上原選手が雑草なら、僕は蟻だ」といい、「小さく無力でもいいから、少しでもチームに貢献できる選手になりたい」と言っていた。
ニックネームは「ポニョ」(丸顔なため。「崖の上のポニョ」より)。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
- 一軍公式戦出場なし
[編集] 背番号
- 36 (2008年)
- 46 (2009年 - 2010年)
[編集] 脚注
- ^ “巨人戦力外の村田がインディアンスとマイナー契約”. 報知新聞. (2010年12月18日) 2010年12月18日閲覧。
- ^ 終了村田透オフィシャルブログ、2011年9月17日
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 村田透オフィシャルブログ「村田透のおもんない話」
- 選手の通算成績と情報 MLB、Fangraphs
|
|||||||||||