スコット・アッチソン
| ニューヨーク・メッツ #50 | |
|---|---|
レッドソックス時代 (2010年7月15日)
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | テキサス州デントン |
| 生年月日 | 1976年3月29日(37歳) |
| 身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 200 lb =約90.7 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1998年 MLBドラフト49巡目 |
| 初出場 | MLB / 2004年7月31日 NPB / 2008年4月1日 |
| 最終出場 | NPB / 2009年10月9日 |
| 年俸 | $510,000(2012年)[1] |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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スコット・アッチソン(Scott Barham Atchison, 1976年3月29日 - )は、アメリカ合衆国のプロ野球選手(投手)。テキサス州出身。
目次 |
経歴[編集]
アメリカ球界時代[編集]
高校時代の1994年、シアトル・マリナーズからMLBドラフト36巡目で指名されるが、契約せずテキサスクリスチャン大学に進学。1998年、再びマリナーズからMLBドラフト49巡目で指名され契約。
2004年7月31日にメジャーデビュー。2006年オフにサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。メジャー時代はすべてリリーフ登板で、2007年は7月にメジャーに昇格し22試合に登板。
阪神時代[編集]
同年オフにマイナー行きの通告を拒否してフリーエージェントとなる。その後レッドソックスとマイナー契約を結ぶが、その直後に、セス・グライシンガーの獲得に失敗していた阪神タイガースがその代役として獲得に動き、レッドソックスから契約を譲渡される形で阪神に入団した。球速は150 km/hに満たないものの制球力で勝負するタイプという触れ込みで、マリナーズ時代に同僚だった城島健司からも評価されていた[2]。
移籍初年度の2008年シーズン序盤は先発の柱と期待され、開幕から登板3試合連続勝利を果たした。これはトレイ・ムーアと並び球団の助っ人開幕連続試合勝利のタイ記録であった。しかし、6月14日の対千葉マリンスタジアムにおける対ロッテ戦での先発登板では、2本塁打を含む8安打を浴びる8失点の大乱調で3回を投げきらせてもらえぬケースがあったなど、シーズンの中盤になると調子を崩し二軍落ち[3]。夏の段階でも二軍でボークを連発するなど苦しんでいた。8月に入ってからはリリーフに転向し、約1か月半無失点を続けた。
2009年は他の中継ぎ陣の調子が上がらない中、藤川球児と勝利の方程式を組み、両リーグ最多の75試合に登板。ジェフ・ウィリアムスが持つ外国人投手のシーズン最多登板記録に並んだ。防御率1.70および30ホールドの成績を収め、被打率は対左打者・右打者ともに1割台だった。勝ち試合の7回・8回の2イニングを投げることも多く、中継ぎながら90イニングを投げた。7月14日からシーズン終了まで藤川と揃って登板した試合は22連勝と、全く負けを許さない方程式を築いた。
シーズン終了後、クレイグ・ブラゼルとともに球団から契約更新を打診されたが、自身のメジャー志向と、家族が日本での生活に馴染めなかったことなどの理由で退団を希望。残留を望み、粘り強く説得に当たった球団もアッチソンの意思を尊重し、11月6日、正式に退団が発表されて自由契約となった。
アメリカ球界復帰[編集]
12月8日、レッドソックスとメジャー契約を結び、2年ぶりの米球界復帰となった。2012年は42試合登板で防御率1.58と活躍したが、右肘の故障と36歳の年齢がネックとなり、同年限りで退団。2013年1月29日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。4月初めから中継ぎとしてメジャーで登板している。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | SEA | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 2 | .400 | 133 | 30.2 | 29 | 4 | 14 | 2 | 0 | 36 | 2 | 0 | 12 | 12 | 3.52 | 1.40 |
| 2005 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 27 | 6.2 | 7 | 1 | 1 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 5 | 5 | 6.75 | 1.20 | |
| 2007 | SF | 22 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | ---- | 131 | 30.2 | 32 | 5 | 10 | 0 | 1 | 25 | 2 | 0 | 14 | 14 | 4.11 | 1.37 |
| 2008 | 阪神 | 42 | 12 | 0 | 0 | 0 | 7 | 6 | 0 | 18 | .538 | 436 | 104.2 | 104 | 9 | 26 | 1 | 2 | 85 | 1 | 3 | 50 | 43 | 3.70 | 1.24 |
| 2009 | 75 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 30 | .625 | 338 | 90.0 | 60 | 3 | 20 | 1 | 1 | 81 | 0 | 1 | 20 | 17 | 1.70 | 0.89 | |
| 2010 | BOS | 43 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 7 | .400 | 253 | 60.0 | 58 | 9 | 19 | 2 | 1 | 41 | 4 | 0 | 37 | 30 | 4.50 | 1.28 |
| 2011 | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1.000 | 122 | 30.1 | 31 | 0 | 6 | 0 | 2 | 17 | 2 | 0 | 11 | 11 | 3.26 | 1.22 | |
| 2012 | 42 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 5 | .667 | 200 | 51.1 | 42 | 2 | 9 | 3 | 0 | 36 | 2 | 0 | 10 | 9 | 1.58 | 0.99 | |
| MLB:6年 | 155 | 1 | 0 | 0 | 0 | 7 | 7 | 1 | 19 | .500 | 866 | 209.2 | 199 | 21 | 59 | 7 | 4 | 164 | 12 | 0 | 89 | 81 | 3.48 | 1.23 | |
| NPB:2年 | 117 | 12 | 0 | 0 | 0 | 12 | 9 | 0 | 48 | .571 | 774 | 194.2 | 164 | 12 | 46 | 2 | 3 | 166 | 1 | 4 | 70 | 60 | 2.77 | 1.08 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
記録[編集]
- NPB投手記録
- 初登板・初先発・初勝利:2008年4月1日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)、6回6安打2失点
- 初奪三振:同上、1回裏に天谷宗一郎から見逃し三振
- 初ホールド:2008年8月20日、対広島東洋カープ16回戦(広島市民球場)、7回裏に2番手で救援登板、2回無失点
- NPB打撃記録
- 初安打:2008年4月29日、対東京ヤクルトスワローズ4回戦(阪神甲子園球場)、2回裏に石川雅規から中前安打
- 初打点:2008年5月6日、対読売ジャイアンツ7回戦(東京ドーム)、4回表に西村健太朗から中前適時打
背番号[編集]
- 57(2004年)
- 27(2005年、2008年 - 2009年)
- 22(2007年)
- 48(2010年 - 2012年)
- 50(2013年 - )
脚注[編集]
- ^ “Scott Atchison Stats, News, Pictures, Bio, Videos” (英語). ESPN.com. 2012年12月17日閲覧。
- ^ アッチソンと契約合意、マ軍城島も太鼓判 日刊スポーツ大阪版、2007年12月20日。
- ^ 当時監督の岡田彰布評によると、先発をさせても80、90球になるとガタッと球威が落ちる。(『なぜ阪神は勝てないのか? 〜タイガース再建への提言』(江夏豊との共著)P45より)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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