プリンセス プリンセス

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プリンセス プリンセス
PRINCESS PRINCESS
基本情報
別名 プリプリ
出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル J-POP
ロック
ポップ・ロック[1]
活動期間 1983年 - 1996年2011年 - 2012年
レーベル TDKレコード1984年 - 1985年、「赤坂小町」として)
ソニー・ミュージックレコーズ1986年 - 1996年、以降単発リリース有)
SMEレコーズ(2012年-)
事務所 TDKレコード(1983年 - 1985年)
音楽座(1985年 - 1986年)
シンコーミュージック(1986年 - 1996年)
公式サイト プリンセス プリンセス official website
メンバー
岸谷香ボーカルギター
中山加奈子ギター
渡辺敦子ベース
今野登茂子キーボード
富田京子ドラムス

プリンセス プリンセス(PRINCESS PRINCESS)は、日本ガールズロックバンドである。活動期間は1983年 - 1996年および2012年。ガールズバンドのパイオニアとなり、ヒット曲を連発。女性のみで構成されたバンドの中で、商業的に日本で最も成功したグループである[2][3]。略称は『プリプリ』。

メンバー[編集]

プロフィール 愛称 担当 備考
岸谷香
(きしたに かおり)
1967年2月17日(47歳)、O型広島県広島市出身、身長157㎝。 かおりちゃん。メンバーからは、香、富田からは時におりちゃんと呼ばれることもあった。 ボーカルギター バンド解散までは旧姓の「奥居香」として活動していたが、解散直後、俳優岸谷五朗と結婚し改姓、のちに芸名も「岸谷香」へ改名する。
バンドの楽曲の作曲を数多く手がける。「ソーロング、ドリーマー」の原曲は奥居が中学の頃に作曲したもの(当初は「バンドガールズ」という曲名であった)。
楽曲によってはギターを演奏しないこともある。ライブではギターの他にピアノ、キーボードを演奏したこともある。
他のアーティストにも多数の楽曲を提供する。
現在、一男一女の母。
中山加奈子
(なかやま かなこ)
1964年11月2日(49歳)、B型京都府京都市出身、身長156㎝。 かなちゃん、ケラマン(今野の付けたあだ名)。 ギター・コーラス 現在は『VooDoo Hawaiians』のヴォーカル、ギター担当として活動している。
ロックを好み、好きなギタリストとしてキース・リチャーズなどを挙げている。
2004年2月7日、自身の公式ホームページで「突然ですが、先日結婚しました。昔から結婚しないと言ってきたのに、こうなるとは人生不思議なもんです」と報告し、一般男性と結婚したことを明らかにした。
渡辺敦子(リーダー)
(わたなべ あつこ)
1964年10月26日(49歳)、B型熊本県水俣市出身、身長163㎝。 あっこちゃん ベースコーラス バンドのリーダー
現在、『東京スクールオブミュージック専門学校』の副校長をしている[1]
今野登茂子
(こんの ともこ)
1965年7月15日(48歳)、O型埼玉県浦和市(現在のさいたま市)出身、身長164㎝。 ともちゃん。メンバーからはパンとも呼ばれる。 キーボード・コーラス 解散後、結婚したが離婚。その後2002年7月映画監督で俳優の利重剛と再婚。
イラストが得意で、ファンクラブ会報や関連出版物の中でたびたび漫画を描いて画才を披露していた。
映画やCM、解散後はTV番組等への出演も多かった。
現在、一女の母。
富田京子
(とみた きょうこ)
1965年6月2日(48歳)、B型神奈川県横浜市戸塚区出身、身長156㎝。 きょんちゃん。初期の頃は自分のことをきょんちぁんと書くことがあった。 ドラムス・コーラス バンドの楽曲の作詞を多く手がけている。
整理整頓が好きである。
現在、二男の母。
  • シンコーミュージック時代のプリプリのマネージャーは「イチヤン」こと市村恵美子が務め、「6人目のメンバー」と呼べるほどの功績を残した。2007年現在は、岸谷香が現在所属しているオールスパイスカンパニーに所属し岸谷のマネージャーを担当している。インタビュー等の文面では「イチヤン」「市やん」「市ヤン」と書かれる。独身。宝塚が好きである。
  • ラジオ日本『ラジカントロプス2.0』(2013年4月15日OA)において、スタジオミュージシャンの青山純は、「実は僕、プリンセス プリンセスだったんですね。影武者として。」とレコーディングでのドラム演奏を担当していた事を告白している[2]

来歴[編集]

  • 1983年
    • 2月、ガールズバンド結成のための楽器ごとのオーディションTDKレコード主催で行われ、5人のメンバーが選出されて結成。当初のバンド名は「赤坂小町(あかさかこまち)」。このバンド名の由来については、「当時のTDKレコードの所在地であった『赤坂』から」、「『漢字4文字のバンド名をつけてほしい』と依頼されたある雑誌編集者によって名付けられた」、「雑誌上での公募で付けられた」など多くの説がある。5月29日銀座山野ホールで初ライブを行う。
    • 4 月から、西日暮里東京都荒川区)で合宿生活を開始する。合宿開始当初(1983年ごろ)は、同じ事務所に所属していた木之内美穂とともに合宿生活をしていた。この合宿生活は2年4カ月にも及んだ[4]
  • 1984年
    • 3月21日、TDKレコードより、シングル「放課後授業」でデビュー。この頃、奥居は「ヴォーカル&ベース」から「ヴォーカル&ギター」に、渡辺は「ギター」から「ベース」に、それぞれパート変更する(パート変更の時期は、富田によると「放課後授業」のリリース前[5]、渡辺によると同シングルのリリース後[6]とされており、ライブ年表によると、「放課後授業」発売の約1ヶ月半後の1984年5月8日のシャープ会館イベントがパートチェンジ後の初ライブとされている[7])。
  • 1985年
    • 事務所が与えるアイドル的な仕事に違和を覚えたことや、音楽性の違いから、所属事務所をTDKレコードから音楽座(ミュージカル劇団音楽座とは別の事務所)へと移籍する。ここでバンド名を「JULIAN MAMA(ジュリアン・ママ)」に改名する。JULIAN MAMA時代はシングル、アルバムのリリースは無かった。
  • 1986年
    • 5月、ミニアルバム『Kissで犯罪(クライム)』でCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)よりデビュー。この時バンド名を「PRINCESS PRINCESS」へと再び改名する(名づけ親はムーンライダーズ岡田徹)。この『Kissで犯罪』のプロモーションビデオを事務所関係者が見たことがきっかけで、シンコーミュージックが彼女らへの接触、移籍交渉を開始することになる。
    • 8月、シンコーミュージックで移籍のためのオーディションが行われるが、この時点では移籍には至らなかった。音楽座サイドがプリプリを手放そうとしなかったことや、オーディションを見た社員の反応があまり良くなかったことが理由であった。だが当時シンコーミュージックの社員で、後に彼女らのマネージャーになった「市ヤン」こと市村恵美子は、彼女らのライブを生で見て「このバンドはいける」と思い、社長の説得にあたった。
    • 11月、所属事務所であった音楽座との意見の相違等もあり、音楽座との話し合いをへて音楽座からシンコーミュージックに移籍する[8]
  • 1987年
    • 4月、ファーストシングル「恋はバランス」が発売される。この曲は、作詞は中山が担当したが、作曲は鈴木キサブローによるものだった。当時メンバー内では、部外者が作曲した作品をリリースすることについての抵抗がかなりあったらしく、以後はメンバー自身が作詞・作曲した曲をリリースすることにこだわり続けた。
  • 1988年
    • 3枚目のシングル「MY WILL」が、スポーツ用品店「ヴィクトリア」のCMソングに起用されたことをきっかけとして注目を集め、フジテレビ夜のヒットスタジオDELUXEに初出演を果たす。初登場時は電飾を使ったセットが用意され、これは彼女らに余計に緊張を与えたという。またこの番組は、渡辺にとって昔からの憧れの番組であり、また「何度出ても緊張する番組だった」と後に語っている[9]
    • 2月、後にバンドの代表曲の1つとなる4枚目のシングル「19 GROWING UP -ode to my buddy-」をリリースする。この時期からたびたびテレビドラマやCMのタイアップに起用されるようになり、バンドの知名度、CD売上も上昇していく。
    • 4月、結成当初から目標の一つとしていた渋谷公会堂ライブを行う。チケットは発売開始からわずか2時間で完売し、これを聞いたマネージャーの市村はメンバーより先に泣いたというエピソードがある。この頃からライブ会場をライブハウスからホールへと移行させていく。
    • 5月、5枚目のシングル「GO AWAY BOY」リリース。資生堂夏のキャンペーンソングに起用される。続く6枚目のシングル「GET CRAZY!」も月9テレビドラマ『君が嘘をついた』の主題歌に起用された。
    • 11月、4枚目のアルバム『LET'S GET CRAZY』リリース。収録曲の「M」は後にリリースされるシングル「Diamonds」のカップリング曲にもなり、バンドを代表する曲の一つとなる。
  • 1989年
    • 1月、女性だけのバンドとして初の日本武道館公演を行う(翌年より正月に公演が行われるようになり、以後1996年まで毎年行われた)。
    • 4月、7枚目のシングル「Diamonds」をリリース、オリコンチャート1位を獲得し、ミリオンセラーを記録する。同曲の大ヒットとともに一躍トップアーティストの仲間入りを果たし、人気は頂点に達する。同曲では第22回日本有線大賞も受賞し、NHK紅白歌合戦からも「Diamonds」での出演のオファーが来たが、スケジュール上の都合で辞退する。
    • このブレイクをきっかけに「Diamonds」発売以前にリリースされていた曲も注目されるようになる。7月、既にEP盤として発売されていた2ndシングル「世界でいちばん熱い夏」がCD化され、オリコンチャートで1位を獲得。カップリング曲の「世界でいちばん熱い夏(平成レコーディング)」は、ライブで演奏していたアレンジをレコーディングしたものである。
    • 6月1日発売のユニコーンのアルバム「服部」に奥居がPSY・SのCHAKAと共にコーラスで参加。
    • 8月、西武球場で初のスタジアムライブを含む「夏祭りだよ! 全員集合」(ライブ)が行われる。
    • 11月、5thアルバム『LOVERS』リリース、オリコン・アルバムチャートで初の1位を獲得し、ミリオンセラーとなる。中山が亡き父へのメッセージとして作詞した「パパ」、ポップなナンバー「パレードしようよ」などが収録されている(ちなみに、「パレードしようよ」の歌詞の最後に出てくる「パレード1991」というのは、「その頃には結婚できたらいいな」という願望から出たフレーズである)。
      • 夜のヒットスタジオ騒動 1989年10月18日、生放送の『夜のヒットスタジオSUPER』第1回目で、新しく司会として起用された加賀まりこが、奥居に対して「ブタ」「生理中なんじゃないの」という発言をする。これに対し奥居は、同日番組終了後に生放送されたTBSラジオ『ポップン・ルージュ』で加賀の言動に激怒する。メンバーの恋人の存在が写真週刊誌に掲載された直後の同年11月15日出演時では、生放送中に加賀がそのことに打ち合わせなしで言及し、奥居がその夜の『ポップン・ルージュ』内で再び激怒。その後メンバー全員が『夜ヒット』への出演を拒否する事態に発展し、その後同番組に出演することはなかった(だがレギュラー放送終了後、1993年3月31日に放送された特番では病欠中だった今野を除くメンバー4人で生出演し、また1994年10月12日放送の特番には「夜ヒットの思い出」として奥居がVTRでコメント出演をしている)。
  • 1990年
    • 4月より初の全都道府県ツアー「PANIC TOUR'90 パレードしようよ!!」が行われる。全56ヵ所、62本のライブを行った。9thシングル「OH YEAH!」はこの全都道府県ツアーの応援歌として作られた。
    • 12月、6枚目のアルバム『PRINCESS PRINCESS』リリース。「メンバーそれぞれの個性を表に出した」ということで、このタイトルが付けられた。このアルバムには、奥居以外が初めてボーカルをとった曲(今野、中山のソロ曲)が収録されている。
  • 1991年
    • 12月、8枚目のアルバム『DOLLS IN ACTION』をリリース。
    • 同年後半ヴォーカルの奥居が、トレードマークであったロングソバージュの髪をバッサリ切ってイメージチェンジを図った。
  • 1992年
    • 5月、今野が突発性難聴のため休養する[10](当時のインタビュー等によると一時期完全に聴力を失ったようである)。ライブツアー中だったため、キーボードには代行が立った。幸いなことに順調に回復し、6月には復帰した。だが、突発性難聴は後遺症が残ることがあったり、時には改善不能な場合もあるため(事実、後述の再結成時に、今野は「その時の影響で現在も片耳が聞こえない」事を明かした[11])、病状次第では今野の離脱やメンバーの交代、最悪バンドの解散にまで至る可能性があった状態にあったと言われる。
    • 7月、これまでにリリースされたシングル曲を集めたベストアルバム『SINGLES 1987-1992』をリリース。この年はオリジナルアルバムのリリースは無かった。
  • 1993年
    • 5月、16thシングル「だからハニー」リリース。ドラマ『ダブルキッチン』の主題歌となり、プリプリの健在ぶりを示す作品となった。
  • 1994年
    • バンドとしての活動を大事にしていたため、デビューから長らくソロ活動は控えていたが、4月に今野がシングル・アルバム「24Hours」でソロデビューをしたのを皮切りに、メンバーが続々とバンド活動と並行してソロ活動を開始した。
  • 1995年
    • 4月、プリンセス プリンセスの解散をレコード会社関係者に伝える。実際に解散の話が持ち上がったのは前年の暮れ、新作アルバム制作の話し合いの途中でのことだった。解散の主な理由として、アルバム制作時の打ち合せで出された2つの意見、「プリプリで新しいことをやっていきたい」という意見と、「これまでの間に培われたイメージがあるので、それを崩さず今まで通り変わらずに行くと」という意見が、平行線のまままとまらなかったことが挙げられた。また、奥居が「昔は曲を書くときは天から降ってくる感じで、何も考えずに書けたのに、時間が経つにつれて曲を書く際に考えるようになり、そのことを悩んでいた」ことや、「友達のまま、解散したほうがいい」というメンバーの意向も解散の理由として挙げられる。
    • ラストアルバムのレコーディング前日、富田はやっぱりプリプリは解散させてはいけないと思い、渡辺に電話をしたが何度かけても掴まらず、ついに話はできなかった、というエピソードがある[12]
    • 10月、解散宣言と共にシングル「Fly Baby Fly」をリリース。
    • 解散とラストツアーのキャッチコピーは「解散を遊ぼう」。このキャッチコピーが書かれた宣伝用ポスターの構図は、メンバーがロープで縛られているというものであったため、クレームがつき、駅貼りポスターの大半が短期間で撤去されてしまった。
  • 1996年
    • 1月24日から始まったラストツアー「PANIC TOUR'96 解散を遊ぼう」は2度目の全県ツアーとなる。「最後に全国のファンにお別れの挨拶に行きたい」というメンバーの意向で実現したが、当初チケットの売れ行きを心配したスタッフからは反対の声が上がったという。結局その心配は杞憂に終わり、チケットは1県だけ若干売れ残った程度で、ほぼ完売した。
    • 2月、アンコールシングル「夏の終わり」リリース。最後のシングルとなる。
    • 5月31日の日本武道館ライブをもってプリンセス プリンセスはその活動に終止符を打つ。バンド活動は13年間にわたり、ライブの観客動員数は190万人を記録。13年間で発表されたシングルは21枚、アルバムは15枚(ベスト盤含む)。オリジナルソングは120曲に上った。
    • この頃テレビ番組『とんねるずのハンマープライス』で「プリンセス・プリンセスのメンバーの一人になれる権」がオークションにかけられ、ファン2人によるマッチレースの末、当時番組史上最高額での落札となった(453万円)。
  • 解散後
    • 現在、渡辺は東京スクールオブミュージック専門学校の副校長、富田は、同専門学校の顧問を務めている。奥居(現:岸谷香)は歌手活動の傍ら作曲家として、中山はソロ活動の傍ら作詞家として、他アーティストに楽曲を提供している。今野は作曲家として映画やドラマに楽曲を提供している。
  • 2012年
    • 1月6日、東日本大震災をきっかけに再び集結、復興支援として、1年間の期間限定で16年ぶりの復活を発表(実際にはその前年、2011年からリハーサルは行われていた)[13]
    • 3月20日、幕張メッセで開催された東日本大震災復興支援チャリティコンサート『ALL THAT LOVE-give&give-』に米米CLUBTM NETWORKとともに参加。
    • 7月6日にはプロモーションで『オールナイトニッポン』に出演の他、7月13日には1996年5月24日以来16年振りに『ミュージックステーション』にも出演した。
    • 7月 - 8月バンドとしては初めての夏フェスに出演した(全国4ヶ所)。
    • 11月3日 - 24日、「PRINCESS PRINCESS TOUR2012 〜再会〜」として、仙台サンプラザホール(11月3日・4日)、日本武道館(11月20日・21日・23日・24日)で公演を開催。また、日本武道館でのライブ11月23日分を収録したライブビデオとライブCDを2013年3月22日に発売することが発表された。
    • 12月23日・24日、追加公演として「PRINCESS PRINCESS TOUR2012 〜再会〜 "The Last Princess"」を東京ドームで開催。女性バンドとしては史上初の東京ドーム公演だった。
    • 12月30日、第54回日本レコード大賞に出演、特別賞を受賞。
    • 12月31日、第63回NHK紅白歌合戦に出演(紅白初出場)し、この1年間の活動に終止符を打った。

ディスコグラフィ[編集]

  • プリンセス プリンセスのオリジナル曲は117曲(同一曲の別バージョン(世界でいちばん熱い夏(平成バージョン)、恋のペンディング(Version 2)、I LOVE YOU〜窓辺にて〜)を加えると120曲)ある。中山加奈子作詞/奥居香作曲(代表曲、Diamondsジュリアン等)及び、富田京子作詞/奥居香作曲(代表曲、世界でいちばん熱い夏、M等)が各25曲(KISS(富田・中山作詞/奥居作曲、ストリートウーマン中山作詞/奥居・中山作曲はカウントせず)で最多で、今野登茂子作詞/奥居香作曲(代表曲、MY WILL等)と中山加奈子作詞/作曲(代表曲、GO AWAY BOY等)等がそれに続く。逆に富田京子作曲の曲は恋するチャンピオン1曲だけで、奥居香作詞/渡辺敦子作曲の曲はない(それ以外の組み合わせはすべて存在)。

シングル[編集]

# リリース タイトル 最高位
1st 1987年4月22日 恋はバランス
2nd 1987年7月16日 世界でいちばん熱い夏
3rd 1987年11月21日 MY WILL
4th 1988年2月26日 19 GROWING UP -ode to my buddy-
5th 1988年5月21日 GO AWAY BOY 19位
6th 1988年10月21日 GET CRAZY! 13位
7th 1989年4月21日 Diamonds 1位
8th 1989年7月1日 世界でいちばん熱い夏<ORIGINAL VERSION> 1位
9th 1990年4月21日 OH YEAH! 1位
10th 1990年11月21日 ジュリアン 1位
11th 1991年5月10日 KISS 1位
12th 1991年10月25日 SEVEN YEARS AFTER 3位
13th 1992年2月5日 ジャングルプリンセス 13位
14th 1992年5月21日 パイロットになりたくて 6位
15th 1992年12月2日 POWER/REGRET 7位
16th 1993年5月3日 だからハニー 6位
17th 1993年11月10日 ふたりが終わる時 18位
18th 1994年5月1日 THE SUMMER VACATION 21位
19th 1995年2月10日 Birthday Song 23位
20th 1995年10月21日 Fly Baby Fly 28位
21st 1996年2月1日 夏の終わり 27位

アルバム[編集]

オリジナルアルバム[編集]

# 発売日 タイトル 最高位
1st 1986年5月21日 Kissで犯罪〜キッスでクライム〜(解散時にCDが発売された)
2nd 1987年5月21日 TELEPORTATION 8位
3rd 1988年2月26日 HERE WE ARE 8位
4th 1988年11月21日 LET'S GET CRAZY 2位
5th 1989年11月17日 LOVERS 1位
6th 1990年12月21日 PRINCESS PRINCESS 1位
7th 1991年12月7日 DOLLS IN ACTION 1位
8th 1992年7月15日 SINGLES 1987-1992 * シングル集  1位
9th 1993年1月21日 BEE-BEEP 1位
10th 1993年12月22日 Majestic 2位
11th 1994年8月25日 PRESENTS *リクエストベスト  3位
12th 1995年12月13日 The Last Princess 10位
13th 1996年2月1日 The Greatest Princess * ベストアルバム  3位
14th 1996年6月1日 プリンセス・プリンセス大全集 * 7枚組BOXセット  19位
15th 1996年12月1日 The Last Live * 1996年5月31日日本武道館でのラストライブ(MCを除く)を収録したもの。  26位

解散後のリリース[編集]

  • STAR BOX(1999年1月30日)*ベストアルバム
  • STAR BOX EXTRA PRINCESS PRINCESS(2001年12月5日)*ベストアルバム
  • 10 Years After 〜PRINCESS PRINCESS Premium Box〜プレミアムボックス完全生産限定版(2006年3月8日)
    オリジナルアルバム10タイトル、武道館ライブDVD 2タイトルのBOXセット
  • プリ2 〜PRINCESS PRINCESS BEST OF BEST〜(2006年3月8日)
    着うたの上位ベスト14曲を収録したアルバム。
  • 21st.〜PRINCESS PRINCESS Single Collection Memorial Box〜メモリアルボックス完全生産限定盤(2006年5月31日)
    オリジナルシングル21枚を12cmCDにリサイズしたBOXセット
  • PRINCESS PRINCESS THE BOX -The Platinum Days-(2006年10月25日)
    DVD9枚組みのプレミアムボックスセット
  • PRINCESS PRINCESS プリプリサマソン(2007年7月18日)*夏のベストアルバム
  • プリプリ・フユソン(2007年11月21日)*冬のベストアルバム
  • THE PREMIUM BEST(2008年7月2日) *ベストアルバム
    オリジナル音源を使用しニューミックスとマスタリングを施したアルバム。ニューミックスのエンジニアは三上義英。
  • BEST OF BEST(2009年11月20日)
    12曲入り。発売元:Sony Music Direct (Japan) INC 販売元:キープ株式会社
  • SUPER BEST(2009年11月20日)
    16曲入り。

再結成後のリリース[編集]

アルバム[編集]

ベストアルバム[編集]

# 発売日 タイトル 備考 最高位
1st 2012年6月27日 THE REBIRTH BEST〜再会〜 *: 2枚組、再結成記念。通常版とDVD付属の2パターンでリリース。 5位

ライブアルバム[編集]

# 発売日 タイトル 備考 最高位
1st 2013年3月27日 VERY BEST OF PRINCESS PRINCESS TOUR 2012~再会~at 武道館 *: 2枚組、再結成記念。通常版とDVD付属の2パターンでリリース。*: 2012年11月23日に開催された日本武道館でのライブを収録。

映像作品[編集]

ビデオクリップ[編集]

  1. VIDEO CLIPS PRINCESS PRINCESS ソニーミュージック (1989年7月21日
  2. VIDEO CLIPS2 PRINCESS PRINCESS ソニーミュージック (1991年3月21日
  3. DOLLS IN LAS VEGAS ソニーミュージック (1992年3月1日
  4. VIDEO SINGLES1987-1992 ソニーミュージック (1992年10月21日
  5. VIDEO CLIPS3 PRINCESS PRINCESS ソニーミュージック (1994年2月21日
  6. The Platinum Days-1 The Greatest PRINCESS ソニーミュージック (1996年2月1日
  7. The Platinum Days-2 The Greatest PRINCESS ソニーミュージック (1996年6月8日

ライブビデオ[編集]

  1. PRINCESS2 PANIC TOUR 〜HERE WE ARE〜 ソニーミュージック (1988年8月1日)
  2. LET'S GET CRAZY Live at 武道館 ソニーミュージック (1989年12月24日)
  3. 質実剛健 at 武道館1994 ソニーミュージック (1994年6月22日)
  4. The Last Live ソニーミュージック (1996年8月21日)
  5. PRINCESS PRINCESS TOUR 2012~再会~at 武道館 SME Records (2013年3月27日)
  6. PRINCESS PRINCESS TOUR 2012~再会~“The Last Princess”at 東京ドーム SME Records (2013年12月25日)

CD-ROM[編集]

  • ALL ABOUT PRINCESS PRINCESS ソニーミュージック (1996年12月12日)
    Windows3.1/95とMacintosh対応。全曲の歌詞と一部映像が検索でき、ラストライブのアンコール「19 GROWING UP」の部分の映像編集機能を搭載。おまけで壁紙とアイコン(アイコンはMacintoshのみ)が付いている。

書籍[編集]

  1. PRI・ISM シンコーミュージック (1988年9月20日)
  2. たった5つの冴えたやりかた シンコーミュージック (1989年3月17日)
  3. Pincess Princess シンコーミュージック (1990年4月9日)
  4. PRINCESS PRINCESS LIVE PICTORIAL BOOK “FOR LOVERS” 立風書房 (1990年6月15日)
  5. PARED 1990 シンコーミュージック (1990年12月10日)
  6. PRINCESS PRINCESS KISS パチパチ増刊 ソニーマガジンズ (1991年8月20日)
  7. 神様と心の棘 シンコーミュージック (1991年12月14日)
  8. OFFICIAL PHOTO BOX 1987-1992 シンコーミュージック (1992年10月4日)
  9. HAPPY HOURS TOKYO FM出版 (1995年4月1日)
  10. HELLO, Good-bye シンコーミュージック (1996年3月20日)
  11. Heavenly Days ソニーマガジンズ (1996年3月27日)
  12. Signs And Wonders シンコーミュージック (1996年7月5日)
  13. STAR BOX ARTIST FILE シンコーミュージック (1999年9月19日)
  14. DIAMONDS シンコーミュージック (2013年3月27日)

他アーティストによるカバー[編集]

  • ノーランズ世界でいちばん熱い夏The Hottest Place On Earth)」英語によるカバーアルバム (1992年5月21日)
    収録曲は「世界でいちばん熱い夏」「Diamonds」「19 GROWING UP」「M」「ユー・アー・マイ・スターシップ」他。
  • 14プリンセス 〜PRINCESS PRINCESS CHILDREN〜カバーアルバム(2006年3月8日)
    ソニーミュージックに所属する女性アーティストがカバーしたアルバム。収録曲は「プリ2 〜PRINCESS PRINCESS BEST OF BEST〜」と同じ。

M

SEVEN YEARS AFTER

Diamonds

19 GROWING UP

  • 大西結花 - ライブアルバム「Summer Concert '88 Le rêve de l'ètè 20才、結花の夏の夢」の中でカバー。(1988年10月25日)
  • 玉置成実 - ライブDVD「NAMI TAMAKI Best CONCERT“My Graduation”」の中でカバー。(2007年6月13日)

世界でいちばん熱い夏

  • 島崎和歌子 - シングル「Happy Life ~明日に向かって~」のカップリング曲としてカヴァー。(2009年1月28日)

赤坂小町時代の楽曲[編集]

3枚のシングルと1枚のミニアルバムをTDKレコードよりリリースしている。1stシングルは「放課後授業」C/Wは「準備はOK!」で、キャッチコピーは「典型的女子高生風楽団」。2ndシングルは「ひと夏のスキャンダル」C/Wは「合宿しない?」、3rdシングルは「コアラボーイ コッキィ」(C/Wは「地図にない道」)。同タイトルのアニメの主題歌となり、同タイトルのミニアルバムもリリース。

1996年には赤坂小町時代の音源を全て収録したCD「赤坂小町」がリリースされた。プリプリが解散する頃、人気に便乗しての発売だったようだが、すぐに回収されてしまった。回収された理由は、メンバーサイドから了承を取っておらずクレームが付いたためだといわれている。解散後、富田京子は自身がパーソナリティーをしていたラジオ番組、レディオ湘南「湘南ビートランド」で赤坂小町時代の曲をかけたことがある(2000年1月15日放送分、曲はコアラボーイ コッキィ)。

アルバム『赤坂小町』(1996年)の収録曲[編集]

  1. ようこそコアラちゃん (作詞:岩里祐穂、作曲:和田泉)
  2. コアラボーイ コッキィ (作詞・作曲:長沢ヒロ
  3. 可愛いラーラ (作詞:岩里祐穂、作曲:岩里未央
  4. Sweet Paradise (作詞:岩里祐穂、作曲:和田泉)
  5. ワルサをしなけりゃはじまらない (作詞:岩里祐穂、作曲:岩里未央)
  6. 地図にない道 (作詞・作曲:恩田久義)
  7. パパとママのタンゴ (作詞:岩里祐穂、作曲:岩里未央)
  8. おやすみコッキィ (作詞:岩里祐穂、作曲:岩里未央)
  9. 放課後授業 (作詞:岩里祐穂、作曲:岩里未央)
  10. 準備はOK! (作詞:岩里祐穂、作曲:岩里未央)
  11. ひと夏のスキャンダル (作詞:岩里未央/Heat Berry、作曲:岩里祐穂)
  12. 合宿しない? (作詞:岩里祐穂、作曲:岩里未央)

曲調はアイドル風であり、歌詞もおニャン子クラブの楽曲のようなちょっとH系なノリである。後年の渡辺敦子の著書では、事務所サイドが目指していたのは「楽器を持ったキャンディーズ」だったと書かれている。

「地図にない道」を今野登茂子が、「合宿しない?」を中山加奈子が歌っており、他は全て奥居香が歌っている。

ライブ[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ キューブミュージック
  2. ^ 1967年(昭和42年)2月17日「岸谷香が生まれた日」 | きょうは何の日
  3. ^ 80's ライブコレクション キラリ・熱熱CLUB「PRINCESS PRINCESS」前編
  4. ^ 出典『プリンセス・プリンセスだった!』富田京子著(史輝出版)42ページ
  5. ^ 出典『STAR BOX ARTIST FILE』(シンコーミュージック)16ページ
  6. ^ 出典『いつも心にDIAMONDS』 渡辺敦子著(ビー・アール・サーカス)44〜46ページ
  7. ^ 出典『PRINCESS PRINCESS』 (シンコーミュージック)39ページ
  8. ^ 出典『プリンセス・プリンセスだった!』富田京子著(史輝出版)30〜35ページ・『STAR BOX ARTIST FILE』(シンコーミュージック)20〜22ページ
  9. ^ 出典『いつも心にDIAMONDS』 渡辺敦子著(ビー・アール・サーカス)55ページ
  10. ^ 出典『Heavenly Days』(ソニーマガジンズ)168ページ
  11. ^ 情熱大陸』2012年4月8日放送分より
  12. ^ 出典『プリンセス・プリンセスだった!』富田京子著(史輝出版)121〜122ページ
  13. ^ “プリンセス プリンセス16年ぶりに再結成。”. オリコン. (2012年1月6日). http://www.oricon.co.jp/news/music/2005459/full/ 2012年1月6日閲覧。 

参考文献[編集]

  • たった5つの冴えたやり方 (シンコーミュージック) - 北村年子によるインタビュー集
  • OVER and EVER (「PRINCESS2 PANIC TOUR'96 解散を遊ぼう〜FINAL〜」ツアーパンフレット)
  • HELLO, Good-bye (シンコーミュージック)
  • Heavenly Days (ソニーマガジンズ)
  • Signs And Wonders (シンコーミュージック)
  • STAR BOX ARTIST FILE (シンコーミュージック)
  • いつも心にDIAMONDS(ビー・アール・サーカス) - 渡辺敦子
  • プリンセス・プリンセスだった! (史輝出版) - 富田京子
  • 月刊カドカワ 1991年7月号 「立体特集プリンセス・プリンセス」(角川書店)
  • 月刊View 1996年4月号 「プリンセス・プリンセスはなぜ解散しなければならなかったのか」(講談社)

外部リンク[編集]