デーモン閣下

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デーモン閣下
Japan Expo2010での閣下
Japan Expo2010での閣下
基本情報
出生名 本名は姓のみ公表
出生 自称 BC98038年11月10日(満100051歳)
学歴 早稲田大学社会科学部
出身地 地獄の都Bitter Valley地区(東京都渋谷区
ジャンル ヘヴィメタル
ハードロック
グラム・メタル
グラムロック
ロック
ポップス
職業 ミュージシャンマルチタレントジャーナリスト相撲評論家
活動期間 1982年 -
レーベル avex trax
事務所 吉本興業
公式サイト デーモン閣下オフィシャルHP

KISSジェフ・テイトスティーヴ・ペリー

デーモン閣下が自称する概要
属性 悪魔 (悪魔教教祖
英名 His Excellency Demon (三人称)
Your Excellency Demon (二人称)
別称 小暮伝衛門(邦楽器コラボレート時)
デーモン小暮(聖飢魔II現役活動当時)
デーモン小暮閣下(聖飢魔II解散後から2010年まで)
小暮ヨシノブ(プライベートを指す場合)
通称 デーモン、閣下(かっか)
(世を忍ぶ仮の)本名 小暮(姓のみ公表、名は非公表)
発生日(誕生日) 魔暦:紀元前100,036年11月10日
西暦:紀元前98,038年11月10日
発生地(出身地) 地獄の都 Bitter Valley地区
(人間界における)
世を忍ぶ仮の職業
表現家歌唱演劇テレビラジオ)、
演出家舞台演出CDプロデュース)、
文筆家評論エッセイ作詞)、
相撲評論家思想家ジャーナリスト

デーモン閣下(デーモンかっか、自称紀元前98038年11月10日 - 、英語表記:His Excellency Demon、二人称はYour Excellency Demon、世を忍ぶ仮の名(本名):小暮(姓のみ。名は非公表))は、ミュージシャンマルチタレントジャーナリスト相撲評論家。 目黒区立第一中学校桐蔭学園高等学校[1]早稲田大学社会科学部卒業。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。姉はTBSテレビ小暮裕美子[2]

芸名は、「デーモン小暮」(1986年)、「デーモン小暮閣下」(2000年)、「デーモン閣下」(2010年以降)と変遷。通称は「デーモン」、「閣下(かっか)」。『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)著書『我は求め訴えたり』では「小暮ヨシノブ」と仮称している。

人物[編集]

前地獄副大魔王にして悪魔教教祖。「神ゼウスによって約10万年もの間地獄に封印されていたが、ゼウスの封印力が弱まり再び蘇り、人間界へと降り立った。「紀元前98038年11月10日に発生、地獄の都Bitter Valley地区出身」、悪魔としての本名は地球上では可聴音域で発声できない(発声しても口パクにしか見えない)ため不詳とされる。西暦1999年12月31日に「地球征服する」と宣言し、ヘヴィメタル楽曲歌唱を中心に幅広く活動、公約通り「地球征服」を完了し、解散。 金色の髪を派手に逆立て、白色を基調とした顔貌[3]。 公私混同を非常に嫌い、人間としての側面はあくまで「世を忍ぶ仮の姿」であり、プロフィールは基本公表せず、関係者、来歴は必ず「世を忍ぶ仮の」という一節を付加して表現している。年齢も『森田一義アワー 笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した際「10万24歳」と答えるなどしている。「吾輩」と自称し、「閣下」と呼ばれる[4]。「デーモンさん」、「小暮君」などと呼ばれることもあるが、「小暮君」と呼ばれた際は「閣下と呼べ!」「せめてデーモン小暮と呼んでほしいのだが…」と反発している。非公表である本名を呼称することは一切許容していない。

派手な外見や所作から来る印象ばかりを取り沙汰されることが多いが、「信者」と称されるファンの多くは「作品の内容」「言動」「エンターテイナーとしての技量」を大いに支持している。単に「神と悪魔と人間」という視点だけでなく、幼少時にアメリカに在住していた帰国子女であり、異文化交流に関してのコメントも多い。日本伝統芸能文化にも造詣が深く、純邦楽等と共演することが年間25回を超える。好角家でもあり、相撲知識は好角家や大相撲関係者すら舌を巻く(後述)。頭の回転が早く、テレビ番組での彼のやり取りを見た、閣下支持でも何でもなかった音楽評論家渋谷陽一を感心させている。同時に、裏方では芸能界での大先輩やスタッフに丁寧に接するなど几帳面な一面を見せている。 悪魔ちゃん命名騒動があった時期に、インタビューで「悪魔は子供が生まれたら“悪魔”と名づけるのか」と尋ねられ、「じゃあ、お前は自分の子供に“人間”と名前をつけるのか」と切り返した[要出典]。また、その人物像ゆえ、公の場での対談や共演相手の装飾品に十字架が使用されるのを極度に嫌う。FNS歌謡祭で共演した小柳ゆきは、左肩部分に小さな十字架のタトゥがあるが共演時はジャケットを着用し、事なきを得ている。

経歴[編集]

西暦1999年まではダミアン浜田殿下に託された組織「聖飢魔II」の二代目リーダー及び悪魔教教祖として悪魔教布教活動を行っていたが、「地球征服完了」後はソロ活動を展開している。 父は銀行員、帰国子女であり幼少時は日本語よりも英語のほうが上手かった。2007年12月22日にNHKワールドTV[5]で放送された『WHAT'S ON JAPAN』で大相撲の1年を振り返るインタビューを英語、副音声日本語の吹き替え部分両方を自らコメントしていた。取材でアメリカ在住時に通っていた小学校に悪魔の姿で訪問した際、訝しく思った校長に「君、college専門学校や大学などの高等教育)くらいは行っているよね?」と聞かれ、「University(総合大学)を卒業してますよ」と答えた途端、校長は生徒に向って「彼はこんな格好をしているが、ちゃんと勉強して大学に行っているんだ」と言った。帰国子女である経歴及び桐蔭学園高等学校卒業という学歴について『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)で「織田裕二の先輩」とともに暴露された際に認めている。 桐蔭学園高等学校 - 早稲田大学を通じた先輩であるやくみつるとは、在学中には面識がなかったものの共通の趣味である相撲を通じて親交を深め、「やく先輩」と呼ぶほどの関係となっている。やくとは相撲以外にも漢字力に優れるという共通点があり、過去2回民放のバラエティ番組で対決しいずれも敗北している。

デビュー前[編集]

小学校在学中に坂上二郎司会のラジオ番組に出演し、坂上のものまねで『学校の先生』を歌った。当時から広島市内で布教活動を手がけており、地球統一による平和への願いは「どの悪魔よりも強い」と自負している。 怪獣やヒーロー等、特撮フィルムのキャラクターについての造詣も深く、ゴジラの鳴き真似コンテストに出場して優勝した実績を持つ[6]。早稲田大学在学中に展開していたバンドでは、演目に「ウルトラマンの歌」を取り上げることも多かったという。右半身をウルトラマン・左半身をレッドキングに仮装して独りで格闘シーンを演ずるパフォーマンスなど、特撮キャラクターのモノマネの巧みさから、同学の先輩で特撮映画出演実績もあるコメディアンラサール石井から真剣に入門勧誘を受けたとされている。同学在学中早慶戦の試合前にマイクパフォーマンスとしてゴジラの鳴き真似を披露し、スタジアム観衆全員からの喝采を浴びたことでも知られる。『たけしのお笑いサドンデス』に出演し、ビートたけしから「将来タレントになれる」と評価されたこともあり、たけしから一目置かれている。 音楽活動では大学時代フォークソングクラブに所属し「走り幅跳び」や「顔面大陸棚」「生老婆(ナマローバ)」「紫馬肥(ムラサキウマゴヤシ)」「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関するバンド」というバンドを組んでいた。同学の先輩であるサンプラザ中野がバンド爆風スランプを結成するのに伴い、中野の後を継いで「スーパースランプ」の2代目ボーカリストに就任している。 『徹子の部屋』(テレビ朝日系)にゲストとして招かれた際、早稲田大学卒業式に悪魔の姿で出席し、当然ながら大学職員が制止したが「これは悪魔の正装だ!」「みな明日から社会に旅立つ姿で卒業式に来ている。吾輩が明日から社会に旅立つ姿がこれなのだ!」との発言を繰り返し強硬に押し切ったところ、通りがかった知らない教授に「最近は君のような気骨のある学生が少なくなった」と激励を受け、共に記念写真を撮った、というエピソードを披露している[7]

音楽活動[編集]

生まれて初めて歌で稼いだ楽曲は世を忍ぶ仮の大学時代に当時の居酒屋で歌った北島三郎の「与作」で、現在においてもカラオケの十八番である。

1982年魔暦紀元前17年)12月から本格的な悪魔教の「布教活動」を兼ねて聖飢魔IIのフロントマンとしてボーカルをつとめ、各地で「黒ミサ」を主催した。所属していたレコード会社のCBSソニーを「市谷悪魔教会[8]と呼び、レコードCDを「教典」と称していた。メディアへの登場時には悪魔的世界観を強調して振る舞ったが[9]、トークは友好的に展開し、1988年ザ・ベストテンに出演時には黒柳徹子の依頼でルーク篁の伴奏に合わせてマイウェイの盛り上がり部分を歌い、諸星和己に会話に割り込まれるも全く動じず笑って返し即興でパラダイス銀河1番の弾き語りを演じる、アナウンサーに冗談でカブキロックスと紹介された際には氏神一番の物真似でカブキロックスの設定を語るなどした。 一方で局側からの依頼などで悪魔的な面が強調されることもあり、1990年7月27日、8月31日「有害ロック」で『ミュージックステーション』に出演した際には出演者の頭を鷲掴みにする、光GENJIと一緒に装飾を引き剥がすなどスタジオを破壊[10]したり、雛壇に上って内海光司にバナナを無理矢理食わせる[11]などした後消火器をまき散らし、司会の生島ヒロシに消火剤を浴びせる、CMに入る際「もっとぶち壊してやる、もっとぶち壊してやる、ぐわははははは」と破壊的なセリフを口にし生島にパイナップルを押し付けるなどした。[12]1999年(魔暦元年)の「地球征服完了」以降は単独で活動しているが、2005年(魔暦7年)に期間限定で聖飢魔IIを復活させた。究極の解散「黒ミサラスト」においてはEL-DORADO演奏前に「我々には新しい年はやってこない。だが、諸君たちには必ず、新しい年がやってくる」「ここにいる全員が聖飢魔IIに追いつき、追い越すことを達成したとき、必ずや、真の黄金の都は築かれるであろう。さあ、早く行け、見失わないうちに!」とメンバーと信者にエールを送った。 聖飢魔IIの再解散の翌年2006年(魔暦8年)に公式ファンクラブ「縁魔堂」が開設された。 デビュー当時から話す時と歌う時の声の伸びが全く違うと言われており、声色変化のデビュー・アルバムの歌唱表現等をみる限り、彼本来の俳優志向を垣間見ることができる。

ライブでの負傷[編集]

1986年夏、岡山県蒜山高原で行われた「蒜山ロックフェスティバル」にて、オープニングの「創世記」で野外ステージの屋根上からステージまで飛び降りて登場する際、機材セットに衝突して脚を骨折した。しかし当初の段取り通り演奏に突入し、「THE END OF THE CENTURY」終了直後に信者(ファン)に対して「蒜山高原の諸君元気か!!吾輩は元気でなくなってしまった、急に。」と言い失笑を買う。しかし「吾輩はこのミサを全うする」とMCを行い、マイクスタンドを杖代わりに説法を含めた二十分強の公演をこなした。悪魔組曲での天地逆転唱法(三点倒立で歌う)は行わなかったが、最後に「本日は申し訳なかった、この借りは必ず返す」と言い残し病院に直行、重傷のため負傷した脚部を「改造手術」し入院したが、付き添っていた実母に対して病室で見舞いに来た者を労うため「まぁまぁ梨でも剥いてあげたら?」と依頼したことが、当時宝島社の編集者であった映画評論家、町山智浩により「ママぁ、剥いてー」と実母に甘えてせがんでいたとの都市伝説となった。後に著書で『梨は皮ごと食べるので「梨剥いて」などと言うわけがない』と語り伝説を否定している。実母は閣下の「悪魔ぶり」を否定するどころか、普段楽屋を訪れた際に関係者に「デーモンの世を忍ぶ仮の母でございます」と挨拶したことがある。

好角家としての閣下[編集]

稀に見る好角家であり、閣下本人の公式サイト上にもプロフィールに明記されている。閣下は「ファン歴300年にもおよぶ相撲ファンである」と自称し、寛政年間=西暦1790年頃(魔暦紀元前210年頃)の、実質的な初の横綱とされている谷風小野川の取組なども当然観て来たと話している。

好角家となった経緯[編集]

閣下が好角家となったのは、祖父が旅順工科大学で相撲部に所属していたことも影響している。世を忍ぶ仮の小学生時代に祖父と話がしたくて相撲に関する文献を読みあさった。また広島での布教活動中、小学校の砂場での相撲取りがのめり込む切っ掛けとなった。絵画教室で若浪がうっちゃりを見せる勇姿を秀逸に表現して周囲を驚かせ、高校生時代には、受験勉強もそこそこに当時の蔵前国技館近隣の古書店に足繁く通い、相撲に関する諸文献をむさぼるように読み漁り豊富な知識を培っていった(この古書店には後の逆鉾伸重らも頻繁に通っていたとされている)。

学園祭においては、相撲同好会の展示室の片隅で自ら相撲文字を書き続け、周囲を驚かせた。単に知識を蓄えるのみではなく、早稲田大学在学中には後述のフォーク同好会のみならず、相撲同好会にも所属して実践的かつ多角的な相撲競技の分析・稽古に取り組んでいた。大学の校舎の屋上で相撲をしたなどの逸話も残っている。体格に恵まれていれば力士になりたかったと語ったこともある(ベースボールマガジン社発行の大相撲情報誌『VAN VAN相撲界』にて連載コーナー「我輩は力士になりたかった」も持ち、タイトルページにはモノクロ写真が掲載されていた)。このため相撲に対する見識は高い。

閣下が特に熱狂的な相撲ファンとなったのは玉の海の活躍がきっかけであると言われており、以来国技館での本場所にとどまらず地方場所へも年に数回は必ず通っている。また、本人はあくまで悪魔の姿で観戦したかったが、日本相撲協会協会理事長直々に「お客さんが相撲に集中できなくなる」という理由で悪魔の姿での入館を謝絶(禁止)されてきたので、通常は人間の姿での観戦に留まっている。閣下贔屓の力士は輪島であり、悪魔ヒーローとして崇めている(「悪魔のヒーロー」とは、人間界における蔑称を指すものではなく、魔界においては最高の尊称である)。

“相撲の”布教活動[編集]

1987年から1990年(魔暦紀元前12 - 9年)に放送されたニッポン放送デーモン小暮のオールナイトニッポン』では「大相撲を666倍楽しむ方法」という大相撲コーナーを設け、当時現役であった大徹にスポットを当てるコーナーを独立、大徹本人を生出演ゲストとして迎えるまでに至るという、当時の相撲協会の広報派遣としては異例の深夜に現役力士がゲスト参加する画期的コーナーにまで成長させた[13]。これ以降閣下は大徹引退後の断髪式にまで招聘されて鋏を入れているほか、今に至るまで閣下の「黒ミサ」に頻繁に顔出しや差入れを行うなどの信頼関係が築かれている。 大徹以外では琴富士が悪魔組(聖飢魔IIのファンクラブ)会員であったこともあり佐渡ヶ嶽部屋と永く親交が深く、2005年(魔暦7年)11月場所後には悪魔の姿で正客として佐渡ヶ嶽部屋に招かれ、稽古場上座に親方らと列座して大関琴欧州(当時・現琴欧洲)・関脇(当時・元大関)琴光喜らの稽古を中心に熱心に見覧している。

オールナイトニッポンでは、芸能人・著名人の迷言を集め競わせて番付を付けるコーナー「夜霧の横綱審議会」も設定され、本格的な相撲ネタも多数寄せられ若年層中心の『オールナイトニッポン』リスナー層世代以外にリスナー層も増加させた。 番組最終回には次期パーソナリティーであるロック歌手大槻ケンヂと電話で引継ぎのあいさつを行った際に人気の相撲コーナーの継続を要望したが、大槻が大相撲には無知・無関心であったため辞退し、閣下は悲嘆にくれたことも知られている。

好角家としてのメディア出演[編集]

当初はその派手な言動も災いして、NHKには「出入り禁止」であった。どうしてもNHKに出たかった閣下は、向正面に悪魔姿で観客として陣取り、見事NHKの画面に登場することに成功した[14]。後閣下の好角は広く認知され、NHKを含むメディアから出演要請を受けた。例えば2005年(魔暦7年)11月9日放送の『クローズアップ現代』ではスタジオ・ゲストとして悪魔の姿で琴欧州の話題を中心に大相撲の現状と展望を述べ、2006年(魔暦8年)1月15日の大相撲初場所8日目にはNHKの大相撲中継ゲスト解説者として午後1時のBS2の中継開始から午後6時の総合中継終了まで出演した。ゲスト解説者は従来中入り後の中継のみであり、全編にわたって解説を展開するのはNHK相撲中継史上初であった。通常は場所入りする力士や場所界隈の風景の映像から始まる大相撲中継のオープニングも閣下が会場入りする模様からスタートする異例の扱いだった。中継終了間際に感想を問われ、「『紅白歌合戦』に初めて出たときよりも感激した」[15]と述べていた。解説は角界関係者・メディア・視聴者ともに概ね好評で、再出演の要望が多く、2007年(魔暦9年)1月14日の大相撲初場所8日目の中入り後中継[16]2009年(魔暦11年)1月18日1月場所中日の正面解説[17]と二度にわたってゲスト解説者として出演した。この間世を忍ぶ仮の幼少時代の在米経験を買われ2008年(魔暦10年)5月24日の大相撲夏場所14日目のデジタル総合衛星第2の英語副音声の中入り後解説も担当している。

2006年(魔暦8年)12月30日のNHK『大相撲この一年』では、北の富士勝昭舞の海秀平やくみつるらと共に座談会形式で角界の一年を振り返っており、以降毎年末に同じ面子による『大相撲とことん言います』が放送されている。2008年12月7日の『ボクらの時代』(フジテレビ系)では、内館牧子、やくみつると大相撲談義を行った。2007年11月7日放送のクローズアップ現代でも時津風部屋力士暴行死事件と角界の抱える問題について「膿を出し切るいい機会ではないかと」と持論を展開した。2010年6月21日のニュースウオッチ9では、多数の大相撲関係者が野球賭博に関与したこと名古屋場所の開催が危ぶまれていることに関して「絶対に開催すべき。中止すればこつこつと努力している多数の力士がかわいそう。努力している力士で大相撲を守りきるのがファンへの罪滅ぼし」と電話インタビューの応答が放送された。 2011年1月10日、大相撲1月場所2日目のNHK大相撲中継に出演。翌年の初場所で期待する「夢番付」を発表したが、番付中空白になっていた東前頭筆頭の欄に自ら「琴田宮」と琴光喜啓司の過去の四股名を書き込み「琴光喜に関しては処分に疑問を持っている。反省したうえで十両下位からやり直してもいいのではという私見だった」と語った。

本業とのジレンマ[編集]

好角家であることが広く世に知られてからは、本業のミュージシャンとしての仕事よりも大相撲に関わる仕事の方が増えてしまい、テレビ出演中に「我輩が歌手だということを忘れられてしまいそうだ」と危機感を吐露することもあった。大相撲においてスキャンダルが起きるたびにマスコミからコメントを求められることについて「我輩は大相撲界のトラブルに対処する専門家ではない」とブログでマスコミをたしなめるコメントも出している。

2009年11月11日の自サイト掲示板にて『「祝賀ビールかけ」や「シャンパン・ファイト」は時代に逆行する卑しい行事』と非難、『地球という生命体に失礼な行為』であるとし、これを行う競技は応援しないことを宣言した。

主な音楽作品[編集]

アルバム[編集]

シングル[編集]

オムニバス、コンピレーションアルバム等への参加曲(メインで歌唱しているもの)[編集]

  • 杉浦フィルハーモニーオーケストラ『交響組曲「ト音記号」』(1995年、Ki/oon Sony)-「魔王」歌唱(魔王役。子供役は濱田マリ
  • VA『オフ・オフ・マザー・グース』(1995年、東芝EMI)-「悪魔」歌唱
  • VA『Who Do They Think We Are?~A Tribute To Deep Purple From Japan』(1996年、BMGビクター)-「BURN」歌唱
  • 平松愛理『Reborn』(1996年、ポニーキャニオン)-「彼方からの手紙」歌唱(平松愛理とのデュエット)
  • ダミアン浜田『照魔鏡』(1996年、フライトハイ)-「失楽園へふたたび」歌唱
  • VA『RAINBOW EYES~SUPER ROCK SUMMIT II~』(1999年、ポリドール)-「MAN ON THE SILVER MOUNTAIN」歌唱
  • 尾崎亜美『Amii-Phonic』(2001年、フォーライフ)-「Wisdom of Nature」作詞・歌唱(尾崎亜美とのデュエット)
  • VA『Skill and a Shout it lets out』(2002年、VAP)-「エフ・ユー・シー・ケー」歌唱(大橋隆志作曲)
  • ミヒャエル・シャブシャブスキー『しゃぶしゃぶレンジャーのうた』(2002年、日本クラウン)-作詞・作曲
  • VA『DEATH NOTE TRIBUTE』(2006年、BMGジャパン)「L↔R」作詞・作曲・歌唱
  • VA『ドラゴンボール改 ソングコレクション』(2009年、コロンビアレコード)-「ただ凍える挽歌~THE Theme Of FREEZER~」作詞・作曲・歌唱
  • Grand Illusion『Brand New World』(2010年、MARQUEE INC.)-「SEARCH FOR LIGHT」ゲストボーカル(Peter Sundellとデュエット)
  • VA『爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump』(2011年、クラウド・クックー・ランド)-「おしゃれな東京タワー」歌唱
  • TAKASHI O'HASHI『INDEPENDENT SOULSUNION』(2012年、R&P RECORDS)-「TIME TO TURN OVER」作詞・歌唱
  • VA『ANOTHER SOUND OF 009 RE:CYBORG』(2012年、VAP)-「空っぽの部屋-RESET TO ZERO」歌唱

ビデオ・DVD[編集]

ショートフィルム[編集]

映画[編集]

客演[編集]

13.UNDER MY MARTIAL LAW feat.デーモン小暮閣下
2.ダーミー城の吸血悪魔(笑)

著作等[編集]

出演番組[編集]

現在[編集]

過去[編集]

NHKワールドTVの夏の特集番組のひとつとして放送され、大相撲決まり手82種を紹介するというものである。「WHAT'S ON JAPAN」のスポーツコーナーや大相撲中継の英語実況などを担当している森田博士(ヒロ・モリタ)とともに出演。
  • 噂的達人(TBSテレビ、「BRONXの達人」として、閣下のニューヨークブロンクスでの世を忍ぶ仮の幼少期を紹介した)
  • ラリー・キング・ライブCNNラリー・キングが司会をするトーク番組に出演し、英語で軽妙なトークを見せた)
  • 2時っチャオ!(TBS、金曜日コメンテーター)
  • 劇戦!大相撲J Sports ESPN
  • 題名のない音楽会佐渡裕の指揮するオーケストラが有名洋楽ロック曲の編曲を数曲演奏し、ゲストトークのみならずそれをバックに歌も披露した)
  • ホリデーインタビュー(NHK総合、2013年3月20日)小学生時代に約3年ほど過ごした広島市を訪れインタビューを受けた。当時住んでいた西区にある舎宅(場所は同じだが当時の建物は取り壊されて現在は建て替えられている)や母校である古田小学校を訪れたり、平和公園を訪れ原爆ドーム敷地内に許可を得て入り間近で見学したりした。小学校では当時あったという砂場の場所に立ち、デーモン閣下が小学生当時毎日のようにここで相撲をとり相撲に目覚めた地というエピソードを語った。当時の担任教諭と再会し教諭から夏休みの自由研究のエピソードなどが色々と披露された。インタビューでは自身の音楽活動などについて語った。
  • デーモン閣下の日本のエネルギーを学ぼう、考えよう (ニッポン放送)

キャスト[編集]

『バットマン』のプロモーション時では「JOKER 非力河童人間」という曲を提供している。この曲は「BAD AGAIN〜美しき反逆〜」のカップリング曲として収録されている。

CM[編集]

サラリーマン「小暮課長」役で出演。小暮課長の出勤風景、『いい日旅立ち』を口ずさみながら娘と自転車に乗るほか、家族サービス・OLに応援されて温泉卓球・海外出張・万歳三唱など多数。
共演。「さっぱりした~」と言っているが、使用前との変化は人が見てもわからない。
香里奈TRFと共演

脚注[編集]

  1. ^ 神奈川新聞2013年6月21日付
  2. ^ 世を忍ぶ仮の姉(実姉)。幼少時から現在に至るまで地上で唯一口喧嘩でかなわない相手であると畏怖している。学生時代、裕美子が学園祭でロック・クイーンになっている姿を見て「コレだ!」とのヒントを得たと語っている。1994年裕美子の結婚式には、そのままの出で立ちで列席したという。閣下自身が公私混同を非常に嫌がっているので披露宴に閣下は出席する予定はなかったが、急きょ悪魔の“素顔”で出席した
  3. ^ それが本来の悪魔の姿であり「メイク」が一部落ちているとの指摘に対しては、鱗粉のように剥がれることもあると説明している。洗顔ソープのCMに出演して顔を洗うシーンがあったが、素顔はいっさい変わっていなかった。容貌に関して『森田一義アワー 笑っていいとも!』でタモリから「ダンプ松本は友達か?」と聞かれ、悪魔の姿で電車に乗っていたらダンプ松本に間違えられたことがあると答えた。
  4. ^ 「元副大魔王[1]閣下」の意と推定される。(序列としては「(大魔王)サタン44世陛下」>「(摂政)ダミアン浜田殿下(後サタン45世)」>「(副大魔王)デーモン閣下」)ただし、「悪魔教教祖」としてであれば「猊下(His Holiness)」が適当である。
  5. ^ BS1では12月23日。
  6. ^ 後、映画『ゴジラvsビオランテ』にカメオ出演した。
  7. ^ 著書『我は求め訴えたり』
  8. ^ 当時CBSソニーの本社が新宿区市谷にあったため。現在のSME市ヶ谷ビル
  9. ^ 宝島1986年9月号、週刊少年サンデー1986年29号巻頭カラーページなど。後者では表紙も飾った。放送初期の『ミュージックステーション』などメディア側が悪魔的世界観に乗った例もあり、1987年には2月13日、3月13日、11月13日と同年の『13日の金曜日』の放送回に全て出演し、当日の新聞テレビ欄には13日の金曜日と聖飢魔IIを関連付ける煽り文が書かれた。
  10. ^ 7月27日放送回。この時二番の歌詞を間違えた。
  11. ^ 8月31日放送回。セットの装飾として用意されていたものを丁寧に剥いた上で押し付けた。内海はそのまま受け取り曲が終わりCMに突入するときも食べていた。
  12. ^ 後日年末スペシャル版で局側からの依頼であると明かされた。
  13. ^ ゲスト出演した南野陽子の「大徹さん頑張ってね」の声を録音しリミックスした「ダダダダ大徹 ダダダダ大徹 大徹大徹 『頑張ってね』」という、番組前期の名フレーズとジングルまで登場した。その後、大徹がゲスト参加した際に自己紹介で挨拶した「大徹です」というフレーズをさらに付加し「ダダダダ大徹大徹 ダダダダ大徹 大徹大徹 『頑張ってね』『大徹です』」というものも作成されている。
  14. ^ 観客の観戦集中のため、日本相撲協会理事長通達で国技館での悪魔姿での観覧も謝絶されていた。
  15. ^ 謙虚な発言に実況アナウンサーから「らしくない」と指摘されると「また来るぞ、ウワハハハハ」と本来の語りで締めた。
  16. ^ 横綱土俵入りの選択に関する知識を披露するなどした。
  17. ^ 輪島大士と共に務め、当日の実況アナウンサーを務めた岩佐英治のアシストもあって輪島に関する知識や記憶を披瀝し、取組に対しても独特の視点から厳しい解説をした。
  18. ^ 映画情報”. 仮面ライダーウィザード 東映公式サイト. 2012年11月4日閲覧。

関連項目[編集]

  • ジェイル大橋(大橋隆志) - 聖飢魔IIの元構成員。ギタリスト。中途で脱退。脱退理由は公式には「人間の女性を愛してしまったため、サタン44世陛下より人間になることを許される代わりに魔界追放となり聖飢魔II脱退」とされる。のちに「サタン44世陛下の特赦執行により悪魔として復活」したとされる。
  • ルーク篁 - 聖飢魔IIの最終構成員。
  • ゼノン石川(石川俊介) - 聖飢魔IIの最終構成員。
  • ライデン湯沢(雷電湯澤) - 聖飢魔IIの最終構成員。
  • エース清水(ACE) - 聖飢魔IIの最終構成員。
  • スーパースランプ (インディーズバンド)
  • 大槻ケンヂ
  • 平田オリザ - 小学校・中学校時代のクラスメイト
  • 中山千彰 - デーモン小暮のオールナイトニッポンディレクター。
  • 旗照夫 - デーモン小暮のオールナイトニッポンにゲスト出演。
  • 殿さまキングス - デーモン小暮のオールナイトニッポンにゲスト出演。
  • 小暮裕美子 - 世を忍ぶ仮の姉。
  • やくみつる - 高校・大学の先輩で好角家。但し横浜ベイスターズファンのやくとは異なりデーモンは巨人ファン。
  • デイモン・ヒル - 日本語では「デーモン」と表記されることも多く、「同名」の縁で当時日本資本であった彼の所属チーム「ブラバム」に「聖飢魔II」がスポンサーとして付いていた。
  • タモリ- 早稲田大学の先輩でもある。ただしタモリは中退。「笑っていいとも!」出演時には早稲田大学の卒業証書を持参し中退者のタモリに自慢したこともある。
  • 谷村新司
  • 大川豊(大川興業) - 素人芸人時代から交友がある。
  • 和角仁 - 早稲田ゼミナールで古文を教わる。
  • カイゲン:2007年に同社の風邪薬「改源」のCMに出演、アニメの風神と共演している。市販薬CMのお約束である注意事項のチャイム音の代わりに閣下の「デーモン」の一言で終わる。
  • 小原礼尾崎亜美 - 1997年、ロサンゼルスで小原・尾崎夫妻が結婚式を挙げた際、神父が予定時間を過ぎても現れなかったため、日本から多数招待されていたミュージシャンの1人として式に出席していたデーモン閣下が「人ならざるもの」という理由で神父役をした。

外部リンク[編集]