日本語の一人称代名詞

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日本語の一人称代名詞は、日本語において、一人称すなわち話し手を指す代名詞である。英語フランス語中国語など他の多くの言語と異なり、現代日本語には文法的に名詞とはっきり区別される代名詞がなく、様々なが一人称代名詞として使え、それぞれ文体や立場が異なる[1]。また同じ語でも平仮名片仮名漢字で読み手に与える印象が異なる。

目次

役割語[編集]

フィクション、特に漫画アニメ脇役の一人称代名詞は、役割語であることが多い[2]。このため現実には使われないような代名詞もある。

少年漫画主人公の一人称代名詞は、昔は「僕」であったが、1960年代後半の『巨人の星』や『あしたのジョー』などから「俺」が主流になった。ヒーロー像がエリート少年から野性的な少年に変わったためと考えられる[2]

また一人称が発話者自身の役割を示す役割語でもあることから、複数ある一人称からいずれを選ぶかは発話者自身による個性の主張であると同時に自身の役割の主張でもある。逆に、自我が形成され自身の役割に関して悩み多い思春期には、一人称に何を用いるかについて悩む場合がある。特に前述の少年漫画の主人公の一人称が変わった頃は、その影響を受けた少年にとって「僕」を用いることはそれ以前のヒーロー像である「目上の人に従順な良い子」であることを主張していることになり、反抗期の特性としてこれから脱却したい。さりとて「俺」を用いることは自身で自身を少年漫画のヒーローの役割であると主張することとなり、それは他者からの嘲笑を誘うのではないか、と悩む場合があった。

一人称と二人称[編集]

日本語では、一人称二人称に転用される事が多い。例えば、「自分」は近畿地方の一部で二人称としても用いられてきたが、現在では他の地方でも用いられる事が多くなっている。東北地方の一部では「我(われ)」が短縮したもの(または「我」の古い言い方)と思われる「わ」が一人称としても二人称としても用いられている。

ちなみに、古くは一人称に用いられていたと思われる「手前(てまえ)」が訛った「てめえ」は、現在では相手を罵るときに用いられる言葉になっている。ただし、現在でも江戸噺家の中には一人称としての「てめえ」を用いる噺家もいる[要出典]

一人称単数代名詞の一覧[編集]

以下にあげたもの以外にも日本人が使用する一人称は存在しており、どれだけの語が一人称になっているかは、未だにわかっておらず、正確な数は把握されていない。日本語は一人称となる語が最も多い言語と言われるが、実際に最多か否かも把握されていないのが実情である。

普通[編集]

私(わたし)[編集]

日本人が最も多く使用する一人称である。わたくしのくだけた言い方。近世以降にわたくしが省略された、わたしが女性を中心に見られるようになった。現在では男女ともに使用する[3]。公の場ではたとえ男性であっても自分のことをわたし、もしくはわたくしと言うのが礼儀とされている[4]。女性が常用する場合は「あたし」「うち」などとは言わない、ややまじめな女性の言葉とされている。

かつての常用漢字表では「私」の訓読みは「わたくし」のみが認められていたため、公用文や放送用語では「わたし」はひらがなで表記することになっていたが[5]2010年の常用漢字表改定で「わたし」という訓読みも認められるようになった[6]

私(わたくし)[編集]

「私」の正訓。公の場で最も使うべき言葉である。皇族の公的演説(いわゆる「お言葉」)では必ず使われる。中世前期までは一人称としては使われておらず、中世後期以降に一人称の代名詞として使用されるようになった[3]

僕(ぼく)[編集]

主に男性が私的な場面で用いるが、ある程度フォーマルな場での使用も許容される。男性の謙称であり、字義としては「僕(ボク)」は男の召し使いを指しており、女は「妾(ショウ)」を用いる。僕妾でしもべとめかけ、下男下女。『古事記』において速須佐之男命(スサノオ)や因幡の白兎などがしばしば自分を「僕」と呼んでいるが、これは「あ」または「やつこ」と訓じられる。平安時代頃からの文書では「やつがれ」と訓じられていた。これを「ボク」と音読みして一般的な人称として用いるようになったのは、幕末、吉田松陰に感化された松下村塾門弟が盛んに用い、それが他の尊皇攘夷の志士たちに広まって以降のものといわれる[要出典]

ク」とボにアクセントをつけて読む人と、「ボ」と平板型アクセントで読む人がいるが、共通語では前者が遙かに優勢である[7]

男児に対する二人称として使われることがあるのは、「手前」「自分」と同様の変化によるものである。

自分(じぶん)[編集]

体育会系の男性に多い。力士野球選手などによく使われる。刑事ドラマ西部警察』で渡哲也が演じた主人公・大門圭介が用いたのは有名で、流行語にもなった。この他にタレントの風見しんごらも用いる。

文章でもしばしば使われる一人称であり、この場合は女性も用いる場合がある。ただし、あまり改まった文章やビジネス文書では使われない。

関西圏では「自分」を二人称でも用いる(「てめえ」や「おのれ」の用法変化と相似)。

国語審議会は『「じぶん」を「わたし」の意味に使うことは避けたい』と述べた[4]。旧日本軍では一人称を「自分」とすることが推奨されたが、自衛隊では任官時の服務の宣誓に代表されるように「私」を使用することが推奨されている。

親しい場合[編集]

俺(おれ)[編集]

多く男性に使用されている。主に私的な場面において広く通用しているが、相手を自らと同等もしくは見下した言い方とされ、また乱暴なイメージもあるため、公の場での使用は憚られる傾向にある。

「おれ」は「おのれ」の転訛で、鎌倉時代以前は二人称として使われたが次第に一人称に移行し、江戸時代には貴賎男女を問わず幅広く使われた。明治以降になると共通語では女性の使用者はほぼいなくなったが、東北地方を中心に方言では根強く残っている。愛知県西三河地方でも農業地区では女性の一人称として平成の今日に至っても使用されている事例がある。

また、アクセントは平板型(「れ」の方が高く、それとほぼ同じ音高で後の語が開始する)が一般的であるが、一部地域(例として静岡市や静岡県志太地域など)では「お」にアクセントを付けて使用することもある。後者は、小学校低学年〜中学年程度の児童の「僕」から「俺」への移行期にもよく聞かれる。

西日本では年をとると「わし」に移行することが多い。特に広島などでは「俺」は気取った一人称とされ、通常の場ではあまり使われない。

「俺」という字は長らく常用漢字になかったが、2010年の常用漢字表改定で追加された。追加する字を決める際に、非常によく使われる字だが「品がない言葉だ」「公の場で使うべきでない」として反対する者もおり揉めたが、最終的に追加された。

筒井康隆は一人称の小説で「おれ」を用いる事が多い(『おれに関する噂』など)。

儂、私(わし)[編集]

共通語ではフィクションの世界での老人男性の一人称とされることが多いが、愛知県岐阜県北陸地方以西の西日本各地の方言では、高齢層以外でも男性が用いる。そうした地域では子供や若者でも使うことが多いが、近年はメディアの影響から、若い人を中心に「俺」も使われるようになってきた。一部地域では(主に高齢層で)女性が使う場合もあり、例えば愛知県の一部では「わたし」の「た」の音が抜けたような「わっし」に近い発音で女性が用いる。常用している著名人としては小林よしのり井脇ノブ子の他、達川光男石崎信弘木村和司ら広島県人が有名。

あたし[編集]

わたしのくだけた言い方である。日本の多くの女性は「わたし」かこの「あたし」を使うが、改まった場では「わたし」ときちんと発音すべきとされている。[4]

また、かつての東京では職人や商人が好んで使い、現代でも落語家が使用する場合もある。

あたくし[編集]

あたしのきどった言い方である。一般的には昭和時代の漫画やアニメなどで使用された例があるが、平常的には聞くことはまずない言い方である。特に落語家が使用する。

アテクシ[編集]

あたくしネットスラング的言い方である。インターネット上の書き込みなどにおいて、少し気取った自称をしたい場合などに使用される例があるが、日常生活の中で聞くことはほぼない言い方である。

あたい[編集]

あたしのさらにくだけた表現であり、主に蓮っ葉な女性が使う。現在ではまれだが、創作の世界では時々見られる。かつて、鹿児島方言などにも見られた。 著名人では中島みゆきが使う。

わい、わて、あて[編集]

近世末期以降の近畿地方で用いる一人称。「わい」は「わし」が、「わて」は「わたい」がくだけたもので、「わい」は専ら男性語。「あて」は「わて」がさらにくだけたもので、京都などで老若男女問わず盛んに用いた。現在はいずれも老年層の少数しか用いない。[要出典]

近畿地方周辺部でも用いる地域はある。青森県下北地方では、男女共に「わい」を使用する。

わだす、あだす、わす[編集]

「わたし」「あたし」「わし」を東北訛りにしたもの。元々、「わたし」という表現がなかった地域に共通語「わたし」が流入して「わだす」が成立。また、同地域に「あたし」「わし」が流入して「あだす」「わす」が成立。

うち[編集]

西日本で主に女性が用いる一人称主格。九州の一部地方(豊日方言区域等)では男女関係なく用いられている。その他に、所有格として、男女関係なく使用される。著名人では新井浩文(青森県出身)が使う。

己等(おいら)[編集]

主に地方の男性が使用する。かわいこぶるときに男女とも使用する事もある。ちなみに「俺等」もしくは「俺ら」と書いて「おいら」と呼ぶ表現もあるが、「おれら」とまぎらわしいので最近はあまり使われない。

映画『嵐を呼ぶ男』で石原裕次郎が唄った主題歌「嵐を呼ぶ男」(作詞:井上梅次)が有名。

常用している著名人としてはビートたけし西村博之上地雄輔モーニング娘在籍当時の矢口真里、ブログ内での真鍋かをりが有名。

俺ら(おら)[編集]

「おいら」から派生[要出典]した。使用されるのは主に関東以北で、現代では「俺ら(おら)東京さ行ぐだ」という歌詞にもあるように、役割語として使用される場合が多い。富山県ではオラの「ラ」にアクセントが来る(「俺」と同じアクセントである)。昭和初期の首相陸軍大将田中義一山口県出身だが、一人称が「おら」だったことから「おらが大将」といわれた。

おい、おいどん[編集]

九州、特に南九州地方の男性が使う。通常の会話では、若い男性は「おい」を使い、年配の男性や、戦前生まれの中では、女性でも「おいどん」を使う事がある。松本零士の作品『男おいどん』で知名度が上がる。また、九州出身の場合は「俺」と「おい」の中間的発音がある(蛭子能収が代表)。

また、君、あなたの意味でも使われる。「おい!こら!」は喧嘩などの威嚇で使われるが、本来の意味は「君、これは何?」であり、明治初期に薩摩出身の警官が多かったことから普及した。

うら[編集]

北陸方言(福井県、石川県等)・東海東山方言(ナヤシ方言)で、主に男性が使う。昔は女性も使っていた。

わ、わー[編集]

津軽方言では男女の区別なく使われる。伊予では主に年配の男性が使い、二人称で使われることも同等にある。「我」の変化と思われる。沖縄方言(ウチナーグチ)などでの一人称、主に男性が使う

ぼくちゃん、ぼくちん[編集]

主に男の子供が使用する。かわいこぶっていたり、ふざけて使う場合がある。『笑点』に出演した三遊亭小圓遊がふざけて使用した。

おれっち[編集]

「俺」の変型で江戸っ子言葉。石原慎太郎のエッセイによると、江戸っ子は「おれたち」「おれら」という俺の複数称を単数称にも使い、「おれら」が崩れたのが「おいら」であり「おれたち」が崩れたのが「おれっち」であるという。静岡県中部地区を中心に使われている。

おりゃあ、ぼかぁ、わたしゃ、あたしゃ、わしゃあ、おらぁ[編集]

一人称を崩した表現で「ゃあ」や「ぁ」を既成の一人称につけ足す表現がある。山本五十六はプライベートでは「おらぁ」と自称することが多かったと言われている。

ミー[編集]

英語の目的格一人称であるmeを借用したもの。通常、日本語でこの一人称が用いられる機会はまずない(後述する「ニダ」のように、英語圏の人の発言を馬鹿にする目的で使われたケースは知られていない)が、過去の小笠原諸島で話されていた、日本語(八丈方言)に英語が混じったクレオール言語である小笠原方言で使われていた(小笠原方言では、英語の主格一人称であるIは用いられなかった)。フィクション作品などでは、外国かぶれのキャラクターが用いたりする例がある。有名なところでは『おそ松くん』のイヤミが使用していた。

ビジネス文書[編集]

小職(しょうしょく)、当方(とうほう)[編集]

話者本人及び、話者の属している場所、団体などを含めて言われる場合が多い。ビジネスなど、比較的改まった場で使用される。「小職」は、「役職」についている人ではなく、「官職」についている人が役人としての自分をへりくだって表現する語(→本職)。

職業[編集]

本官[編集]

警察官士官裁判官事務次官等の官職にある者が自分を指す言葉。たとえば第1回帝国議会における山縣有朋首相の施政方針演説の一人称が「本官」であった(山縣は陸軍大将だったので前記の「士官」に該当する)。現在ではあまり好まれず、ほとんど用いられなくなっている(フィクションにおいて警官などが用いることはある)。

本職[編集]

弁護士弁理士司法書士等が自分を指す言葉。「当職」「小職」という場合もある。前記警察官等の官職にある者も使う。職務を遂行している立場としての「自分」を指すので、もっぱらビジネス文書や報告書等で用いられる。また、供述調書では録取者を示す定型語として用いられる。

愚僧(ぐそう)、拙僧[編集]

僧侶がへりくだった言い方。

無線[編集]

当局(とうきょく)[編集]

アマチュア無線家同士の会話や文書で使われる。二人称は貴局(ききょく)と言う。本来はアマチュア無線通信における表現であり、送信者が送信局であるため。

こちら[編集]

アマチュア無線で使用される。通信において自らの名を名乗る場合、「こちら山田」のように表現していたものが由来。これから転じてか、電話や通信の際に「こちら本部」「こちら339便」などのように用いられることもある。

古風[編集]

我輩、吾輩、我が輩、吾が輩(わがはい)[編集]

もったいぶった、尊大な表現。吾輩は猫であるの題名および主人公の一人称として有名である。実在の人物では福田赳夫が使っていたが、当時すでに「あまりに古風」と批判する向きもあったという。このほかデーモン閣下も使用している(聖飢魔IIの構成員も使用することがあった)。

某(それがし)[編集]

中世以降の用法。謙譲の意を示すが、後には尊大の意を示した。主に男子の語として用いる。戦国時代などに多く使われた。

朕(チン)[編集]

かつて古代中国において王侯貴族が使っていたが、始皇帝皇帝のみ使用できる一人称として独占した。それに倣い、日本においても天皇が詔勅や公文書内における一人称として用いた。終戦の玉音放送でも用いられている。しかし、戦後は公式文書や発言の中から朕の使用は徐々になくなり、今上天皇わたくしを使用している。ただし、戦前においてもは文書やその朗読で使われたのみで昭和天皇も口語ではわたしを使用していた(プライベートでは)。尚、漢字には「兆し」という意味がある。

麻呂・麿(まろ)[編集]

古代の日本において男性名に使われていたが(柿本人麻呂坂上田村麻呂など)、平安時代以後一人称として使用されるようになり、身分や男女を問わずに用いられた。現代では主に創作において公家言葉として使われる。吉川幸次郎水滸伝の翻訳の際、朝廷の高官の一人称として「まろ」を使用したことがある。

我・吾(われ・わ)[編集]

文部省唱歌の「我は海の子」など。

現在では口頭ではほとんど使われず、文章においても書名などの改まった場合に用いられるだけである(たとえばアイザック・アジモフわれはロボット』、テンプル・グランディン『我、自閉症に生まれて』など)。ただし「我が家」・「我が国」のように、”私の〜”という意味の言葉ではしばしば用いられる。

現在、関西圏などの方言では、二人称にも使用する。また沖縄方言では、「我」(ワン)が専ら一人称として用いられたが、明治以降の標準語教育によって現在ではほとんど用いられなくなっている。

余・予(よ)[編集]

平安時代以後使用されるようになった。予・余共に「われ・わ」と訓じる。尚、余を「あまる」「われ」、予を「あらかじめ」「われ」等と訓じられるのは、昭和21年内閣告示第32号『当用漢字表』に依って、本来別字である餘(あまる)、豫(あらかじめ)を余(われ)、予(われ)それぞれに統一したからである。

戦前までは身分を問わず一般的に使用されたが、戦後は時代劇などで藩主など君主が使う一人称として出て来るのみである。

小生(しょうせい)[編集]

主に書面上で用いられ、男性が自分を遜って使う。現在でも書簡には用いられる[8]

小官(しょうかん)[編集]

男性の謙称で主に官職に就いている者や軍人が使用。

吾人(ごじん)[編集]

かつて書簡や文章で、男性が使用した。岩波文庫巻末の「読書子に寄す」で用いられているのが現代見かける数少ない例である。

愚生(ぐせい)[編集]

かつて書簡で、男性が謙称として使用した。

非才・不才・不佞(ひさい・ふさい・ふねい)[編集]

自らの才をへりくだって使う。主に男性用か。

あっし[編集]

主に男女を問わず、庶民に多く使用された。「あたし」がさらに崩れた結果、「あっし」になったと考えられている。

あちき[編集]

様々な地方から集められた遊女達が、お国訛りを隠すために使用した「廓言葉」における一人称として、「あっし」と共に用いられた。さらに、「あちし」というのがあるが、これは時代劇などフィクションの中でのみ用いられる。

わっち[編集]

これも廓言葉として使用された女性の一人称。「あっし」や「あちき」同様、現在はほとんど使われない。ただし、美濃弁では男女問わず一人称として使われる。

妾(わらわ)[編集]

女性の謙譲の一人称で、語源は「童(わらわ」。貴人に近づき奉仕する入れ墨をほどこされた女性腰元(侍女)。近世では特に武家の女性が用いた。「童」はの上に入れ墨をされ、重いを背負わされた奴隷意味を表し、転じてわらべの意味をも表す。フィクションにおいては女王、王女などが尊大な演出として使う場合がある。

拙者(せっしゃ)[編集]

主に武士、侍などが自分のことを謙って使用する。僧侶の場合「拙僧」になる。遊び人風に「拙」という場合もある。

身ども(みども)[編集]

武士階級で、同輩か同輩以下に対して使われた。男性が用いる。

僕(やつがれ)、手前(てまえ)[編集]

現在でもビジネスなどで「手前ども」といった形で「こちら」の代わりに使用される。

此方(こなた)、此方人等(こちとら)[編集]

此方は話し手に距離、あるいは心理的に近い場所を表し、「こちら」の意。人を直接示すことを無作法とし、曖昧な位置で示そうとする意識に起因する表現である。主に武士階級や公卿・華族の女性が用いた。対応する庶民の無作法な言い方として、此方人等(こちとら)があり、17世紀頃から使われた。単数にも複数にも用いられるが、単数の用法のほうが新しい。

私め(わたしめ)(わたくしめ)[編集]

「め」は自分を卑下する接尾辞である。女性の使用人が主人(この場合男女は問わない)に対して使用したり位の低い者が目上の人物に対して使用する事もある。

傲慢[編集]

俺様(おれさま)[編集]

のさらに砕けた言葉であるが、より高慢な表現。「あいつはオレ様な奴だから」などと他者から揶揄、批判される場合[9]を除いて、自称として用いられる事は少ない。

あたくし[編集]

わたくしの砕けた表現。この場合、喋り方は高慢で砕けた敬語が多い。

また、東京方言では男性が用いる場合もあり、桂歌丸等の落語家も用いている。この場合、高慢な物言いではなく普通の敬語である。

一人称複数代名詞[編集]

代名詞を使わない一人称[編集]

話者の名前[編集]

主に未成年の女性や幼児が使っている。使い方は、自分の下の名前(または名字)をそのまま呼んだり、言いやすくして省略したり(例:あやか→あや)、自分の名前に「ちゃん」や「くん」や「たん」をつけたりするなど種類は様々である。また、成人の男女が幼児と会話する時に使われる事がある(「○○ちゃん(自分の名前)と遊ぼうか?」など)。水木しげるは自分のことを「水木サン」と呼ぶが、老人としては例外的である。また、女性の使用人が主人(この場合男女は問わない)に対して使用する事もある。

外国語の場合、英語を含めて欧米の言語では動詞活用人称変化したり、人称代名詞の格変化があるといった文法上(文法カテゴリー)の理由から、自分の名前で呼ぶ事は一般的ではないが、幼児(セサミストリートに登場するモンスターの一人であるエルモなど)では見られることがある。一方、東アジアでは特にインドネシア語ベトナム語の話者によって自分のことを名前で呼ぶことが行われている。かつての中国では、自分の名前を一人称として使用することは相手に対する臣従の意を示していた。たとえば諸葛亮(諸葛孔明)の出師の表では、皇帝にたてまつる文章であるので「臣亮もうす」という書き出しになっている。かつての日本でもその影響で天皇に対する正式の自称は「臣なにがし」であった(戦後の例では吉田茂1950年代に「臣茂」と言ったことがある)。

地位・立場[編集]

親族呼称[編集]

親族呼称とは「父さん」「母さん」「姉さん」「兄さん」「じいちゃん」「ばあちゃん」「おじさん」「おばさん」などを指す。家族の間で使われる言葉で、子供や孫を中心に据えて家族の自分の立場を表現する。

バリエーションは多彩で頭に「お」を付けたり「さん」の代わりとして「ちゃん」に置き換えたり「父さん」「母さん」のかわりに「パパ」「ママ」、「じいちゃん」「ばあちゃん」の代わりに「じーじ」「ばーば」を使用するなど実に様々である。なお、「お兄さん」「お姉さん」「おじさん」「おばさん」の表現の場合は家族関係でなくても大人が子供に使う表現である。

作者[編集]

小説作品などでは、その作者が解説として文中に自身の事を「作者」と表記する事がある。特に『羅生門』の文中にも作者である芥川龍之介が使用している。

先生[編集]

高校教師児童生徒に対して使う一人称。特に義務教育の小・中学校において使う教師が多い。たまに名字を含むときもある。また、医療業界でも医師が子供の患者に使用する例がある。親族呼称の延長と考えられる。

編集子、筆者[編集]

編集子(へんしゅうし)や筆者は新聞雑誌記事にて、署名以外にも編集者、著者の自称として用いられる一人称。

脚注[編集]

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  1. ^ 人称代名詞とは何かについては議論の分かれるところである。この記事の中には人称代名詞とはとうてい考えられないような物もあるが、敢えてその議論はさけて記載している。
  2. ^ a b 金水敏 (2003), ヴァーチャル日本語 役割語の謎, 岩波書店, ISBN 978-4-00-006827-7 
  3. ^ a b 語源由来辞典『私』の項より
  4. ^ a b c これからの敬語 国語審議会決定、1952年4月14日
  5. ^ 「わたし」と「私」 - 最近気になる放送用語、NHK放送文化研究所、1998年8月1日更新、2011年9月25日閲覧。
  6. ^ 常用漢字表(平成22年11月30日内閣告示)、文化庁。
  7. ^ 新明解国語辞典 第5版、1997年三省堂(ただし、アクセントの記載順は、必ずしも多く使われている順ではないとは書かれている)および日本国語大辞典第2版、小学館
  8. ^ 小説家の乙一は『小生物語』(2004年)というエッセイを出版した。
  9. ^ 『オレ様化する子どもたち』(諏訪哲二 著、中公新書ラクレ、2005年、ISBN 4121501713)といった著作も存在する。

関連項目[編集]