ビースティ・ボーイズ
| ビースティ・ボーイズ Beastie Boys |
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2007年、英国Vフェスティバルにて
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| 基本情報 | |
| 別名 | ザ・ヤング・アンド・ザ・ユースレス |
| 出身地 | |
| ジャンル | ヒップホップ パンク・ロック |
| 活動期間 | 1979年 - 現在 |
| レーベル | デフ・ジャム グランドロイヤル / キャピトル |
| 共同作業者 | リック・ルービン |
| 公式サイト | BEASTIEBOYS.com |
| メンバー | |
| マイクD キング・アドロック MCA ミックス・マスター・マイク マニー・マーク |
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ビースティ・ボーイズ(Beastie Boys)は、アメリカ合衆国の音楽ユニット。3人のMCを擁するヒップホップ・グループとして有名だが、バンド形式でパンク・ロックやラップロックをも演奏する。
ユダヤ教人ヒップホップの草分け的存在であり、またバンドとヒップホップ両方のスタイルを並立させる中でラップロックをいち早く生み出すなど、数多くの独創的な功績を残しており、現在までにヒップホップからロック、さらにクラブ・ミュージックにまで渡って広大な影響力を持つ大御所となった。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第77位。
名前の由来は、メンバーが敬愛するハードコア・パンクの重鎮バッド・ブレインズ(Bad Brains)のイニシャル B・B に縁掛けて、「Bで始まる単語2つを冠するバンド名にしよう」として考案されたものといわれている。
目次 |
略歴 [編集]
1979年に、パンク・バンド「ザ・ヤング・アンド・ザ・ユースレス」として結成。1981年に、「ビースティ・ボーイズ」と改名する。1984年、デフ・ジャムレーベルと契約したのを機に、ラップ/ヒップホップをフィーチャーしたサウンドへ転換。Run-D.M.C.、LLクールJらデフ・ジャム所属のヒップホップ系アーティストとツアーを行った。
1986年に、デビュー・アルバム『ライセンス・トゥ・イル』を発表。ヒップホップと言えど、音楽的にはパンクやハードロックの色が強く、ラップも黒人的なリズム感を持ったものではないが、ヒップホップ・アルバムとしては初めてビルボード1位を獲得。当時、同じデフ・ジャムに所属していたスレイヤーのギタリスト、ケリー・キングが参加し、シングル・カットされた『ファイト・フォー・ユア・ライト』も大ヒットした。
その後もコンスタントにアルバムを発表。サンプリングを激しく活用し商業的失敗に終わったが評価の高い1989年の『ポールズ・ブティック』、再び楽器を手にしパンクロックに回帰した感のある1992年の『チェック・ユア・ヘッド』、ヒップホップとギターサウンドを融合させビルボード・チャート1位に輝いた1994年の『イル・コミュニケーション』などで人気を高め、1998年にはよりストレートなヒップホップを展開した『ハロー・ナスティ』がグラミー賞を受賞するなど、世界的な地位を確かなものとした。
2004年に『トゥ・ザ・5ボローズ』をリリースしており、ライブやシングル発行などの活動はこの間も絶えず行っているものの、アルバムリリースのペースは次第に遅くなっている。政治的な活動も行っており、1990年代半ばにチベット独立の支持を明らかにし、1996年には多くのアーティストを集めた大規模な「チベタン・フリーダム・コンサート」を行いサンフランシスコに10万人を集め、以後も継続的に開催しチベット支援を続けている。また、911テロの被害者支援コンサート、イラク戦争に対するプロテストソングのリリースなど、2000年代に入り政治的主張の機会も増えている。
2006年に、彼らのライブを50人のファンが撮影したドキュメンタリー映画「ビースティ・ボーイズ 撮られっぱなし天国」が公開された。
2012年5月4日、MCAが癌で亡くなる。享年47。
グランドロイヤル [編集]
1992年にはデフ・ジャムを離れ、キャピトル・レコードの支援で自身のレコード会社「グランドロイヤル (Grand Royal) 」を発足させ、同レーベルにはルシャス・ジャクソンをはじめアタリ・ティーンエイジ・ライオット、ショーン・レノン、ベン・リー、チボ・マット、バッファロー・ドーターなど多くの新進アーティストが契約し話題を呼んだ。
翌1993年にレコードのリリース事業を始めたほか、雑誌「Grand Royal Magazine」を発行し、1970年代の映画やテレビドラマ、大衆文化が好きな彼らの趣味に走った編集方針でアメリカのユース・カルチャーに影響を与えた。創刊号のブルース・リーの特集や史上最高のバスケットボール選手カリーム・アブドゥル=ジャバーのインタビュー、「世界最悪の髪型」マレット特集など反響を呼ぶ記事を多く掲載した。
以後もブラン・ヴァン3000など優れたアーティストとの契約を進めたものの、経営難で2001年には閉鎖し、彼ら自身はキャピトル・レコードに移籍した。
メンバー [編集]
- King Ad-rock(キング・アドロック)
- 本名:Adam Horovitz(アダム・ホロヴィッツ)
- MC、ギター担当。
- 父は著名な劇作家、脚本家で「いちご白書」や「喝采の陰で」を執筆したイスラエル・ホロヴィッツ。
- 日本のラッパーとも親交があり、スチャダラパーやTERIYAKI BOYZのプロデュースをしたこともある。
- MCA(エムシーエー)
- 本名:Adam Yauch(アダム・ヤウク)
- MC、ベース担当。グループのリーダー的存在。
- 2009年、左耳下腺に悪性の唾液腺腫瘍があることが判明。幸い声帯に影響は無く、手術も無事に成功した。同年9月に発売予定の新作『ホット・ソース・コミッティー・パート1』の発売は、MCAの復帰を待っての無期限延期となったが、2012年5月4日に他界。
- Mix Master Mike(ミックス・マスター・マイク)
- 本名 ; Michael Schwartz(マイケル・シュワーツ)
- DJ担当。ターンテーブリスト。
マイクD、アドロック、MCA、ミックス・マスター・マイクの4人はユダヤ系である。MCAは仏教徒で、チベット仏教を信仰している。
MCAの死 [編集]
先述の通り、2012年5月4日、MCAが癌で亡くなる。享年47。数多くのアーティストが、ジャンルを超え、テレビやTwitter、その夜のライヴで追悼の意を述べた。
「アダム・ヤウクはこの世界にたくさんのポジティヴなものをもたらした。ビースティ・ボーイズは当然のこと、俺やほかの多くの人間に大きな影響を与えた。彼らは開拓者でパイオニアだった。アダムを失ったのは大きな痛手だ」エミネム
「RIPアダム、俺は本当に悲しい。今は彼の家族のために祈っているよ。伝説的なグループ、ビースティズのアダム、さみしくなるな」Run-D.M.C.
「ロラパルーザ94では毎日のようにアダムと話していた。彼はとても知的で優しい人だった。当時の俺みたいにビビりまくってたガキにとっては、本当に助けになった。アダムありがとう」ビリー・ジョー・アームストロング(グリーン・デイ)
80年代にツアーを共にしたことのあるマドンナは、次のように語った。 「ビースティ・ボーイズは比類なきものだった。アダムもそうだった! 彼らはわたしのミュージック史の中で重要なものだった。そして、当時起こっていた音楽的革命で欠くことのできない存在だった。アダムが亡くなったと聞いてとても悲しい」
「悲しい日だ。MCAは最高だった。寂しくなるよ」スラッシュ[1]
ジェイ・Zは、ライブで「No Sleep Till Brooklyn」をカヴァーし、次のように語った。 「偉大なミュージックのパイオニアよ、安らかに眠れ。彼の家族のために祈る。ヒップホップ・ファミリーは彼の死を悲しみ、彼の人生を祝福している」
「R.I.P.アダム・ヤウク、ビースティ・ボーイズ。R.I.P.MCA」MCハマー
「アダムのご家族、ザ・ビースティ・ボーイズ、ビースティーズのチーム、そして何百万以上ものビースティーズのファンにお悔やみ申し上げます。自分たちと一緒に育った人間を失うのは本当に深いところで悲しい。マジで心が痛むよ。アダムがこれほど愛していたカルチャーをしっかり代弁していくことでアダムの遺産は受け継いでいかなければならない。MCA、神の祝福がありますように。追伸:ありがとう」LLクールJ
「『サボタージュ』のベース・リフや、他にもたくさんのグルーヴをありがとう。アダムは正義や平和活動にも貢献してくれていた」クリス・ノヴォセリック(元ニルヴァーナ)
「親愛なるアダム、あなたを失った哀しみはとても言葉にできない。そのユーモアや才能、優しき魂は他にないものだった」トム・モレロ(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)
「彼の死を本当に悲しんでいる。彼は楽しくて刺激的で親切な人物、そして友人だった」リンキン・パーク
「世界は真の伝説と、俺がこれまで会った中で最も良い人を失った。その名はMCA。R.I.P.アダム・ヤウク」コリィ・テイラー(ストーン・サワー、スリップノット)
「MCAの死を知ってとても悲しく思っている。ビースティ・ボーイズとアダムの遺族にお悔やみ申し上げます」モービー
「僕達の思いはアダム・ヤウクの家族と友達と共にあります。マイクがオンの時もオフの時もインスピレーションをありがとう」ザ・ストロークス
「ビースティ・ボーイズのアダム・ヤウク(MCA)が亡くなったと知ってとても残念です。ウィーザー世代の誰しもにとって真の伝説であり、インスピレーションとなった人でした」ウィーザー
レッド・ホット・チリ・ペッパーズのコンサートでは、前後にビースティ・ボーイズの楽曲を流したほか、ライブで「So What'cha Want」をパフォーマンス。アンソニー・キーディスは、MCAと描いた手製のTシャツを着て登場し、次のように語った。 「俺らは今日、素晴らしい奴を失った。彼は世界にたくさんの美しいものを残してくれた。みんながその光を持ち続けてくれることを望んでいる。アダムは本物だった」 フリーも、 「アダム・ヤウクに祈りと絞れる限りの愛を捧げます。なんて美しい人だったのだろう。アダムの美しい魂に神の祝福がありますように。最初から最後までAクラスのアーティストだった」 と述べている。
コールドプレイはこの夜、ハリウッド・ボールでのコンサートで「(You Gotta) Fight for Your Right (To Party!)」をパフォーマンス。曲の最後に「僕ら全員の愛をビースティ・ボーイズに捧げる」と付け加えた。この映像は、コールドプレイの公式サイトにアップされている[2]。
地元ニューヨークでは、ミュージック・ビデオのロケ地にファンが花を手向けたり、マディソン・スクエア・ガーデンがMCAの顔写真を添えて、「ニューヨークという巨大で忙しい街は、こういう時にいろいろな方法で心を開いて見せてくれるとてもユニークな場所」と感謝を告げ、当日のニューヨーク・メッツの試合では、選手の入場曲をすべてビースティ・ボーイズの楽曲に統一したりと、ニューヨークは追悼の意に包まれた。
他にも、エルトン・ジョンやジャスティン・ティンバーレイク、グレアム・コクソン、アイスT、ソニック・ユース、ジョー・サトリアーニなどといった、様々なジャンルのアーティストから追悼の言葉が上がっている。
ディスコグラフィー [編集]
オリジナルアルバム [編集]
- Licensed to Ill(1986年) - デビューアルバム。全米1位 :トータル930万枚
- Paul's Boutique(1989年)- 全米14位 :トータル210万枚
- Check Your Head(1992年)- 全米10位 :トータル220万枚
- Ill Communication(1994年)- 全米1位 :トータル340万枚
- Hello Nasty(1998年) - グラミー賞受賞アルバム 米英豪独ほかスウェーデンとニュージーランドでも1位 :トータル350万枚
- To the 5 Boroughs(2004年)- 全米1位、カナダ1位 :トータル130万枚
- The Mix-Up(2007年)- 彼ら初の全曲インスト作品
- Hot Sauce Committee Part 1(2009年)- MCAの耳下腺腫瘍(癌性)治療により無期限延期中
- Hot Sauce Committee Part 2(2011年)
ベストアルバム [編集]
- Beastie Boys Anthology the Sounds of Science(1999年)
- Solid Gold Hits(2005年)
日本公演 [編集]
- 6月9日 大阪 サンケイホール、10日・11日 東京 後楽園ホール、(日時不詳)名古屋市公会堂
- ※日本テレビの深夜番組「11PM」に生出演し、メンバーが黒木香とベッドでもみ合うシーンが放送されている。
- 9月16日・17日・19日 CLUB CITTA'
- 10月20日 新宿リキッドルーム、29日 CLUB CITTA'、30日 新宿リキッドルーム
- 1月24日 とどろきアリーナ(ゲスト:リー・スクラッチ・ペリー、ベン・リー)
- 2月2日 CLUB DIAMOND HALL、4日 福岡ドラムロゴス、6日・7日 横浜アリーナ、9日 大阪城ホール
- 8/大阪、8/東京
- 2007年 フジロック・フェスティバル 2007
- 7月28日 苗場スキー場
脚注 [編集]
外部リンク [編集]