スティーヴ・ペリー

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スティーヴ・ペリーSteve Perry、Stephen Ray Perry、1949年1月22日 - )はアメリカ歌手、ミュージシャン。ジャーニーの元ヴォーカリスト。(詳細は後述)

[編集] 略歴

カリフォルニア州出身でポルトガル系、父はシンガーであり両親の離婚後父親に引き取られたため音楽やミュージシャンに慣れ親しんで育ったが両親の離婚は彼の心に深い傷となって残った。1970年代から音楽活動を始め、エイリアン・プロジェクトというバンドを率いていたが、メジャーデビュー直前にベーシストが事故死したことによりバンドは解散。それを機に音楽活動を諦め、その後は郷里で農業を営んでいたが、業界関係者を通じてエイリアン・プロジェクトのデモテープを耳にしたハービー・ハーバート(ジャーニーの当時のマネージャー)がペリーの歌声に注目した。ほどなくオーディションを受け、合格したペリーは、ジャーニーの初代専任ヴォーカリストであったロバート・フライシュマンとツアー中に入れ替わる形でバンドに加入した。

ペリー加入後のジャーニーは、それまでのプログレッシブ・ロック風の音楽性をポップな方向に変えていく。加えて精力的なツアーをこなして人気の地歩を固め、1980年代前半にはバンド史上類例のない多数のヒット曲をチャートへ送り込む原動力となった。

ジャーニーがアルバム『エスケイプ』ならびに『フロンティアーズ』でスターへの仲間入りを果たした後、ネームバリューを得たペリーはジャーニーとしての活動と並行してソロ・ミュージシャンとしても活動を始めた。その中でも(当時の)意中であった女性への想いを歌った「Oh,シェリー」は自身初のソロ・アルバムとなった『ストリート・トーク』(1984年発表)の人気を牽引し、一説には「アメリカで知らない人が居ない」と言わしめる程のヒット曲となった(ちなみに、時期は前後するがペリーは以前にもケニー・ロギンスネッド・ドヒニーのアルバムにゲスト参加したことがあった)。アルバム『ストリート・トーク』はジャーニーの楽曲とは一風異なるR&B寄りの作風で彼独自の持ち味を広く訴求することに成功し、上述の「Oh, シェリー」の他にも「フーリッシュ・ハート」や「ストラング・アウト」などのヒット曲を生み出している。

また、1985年にはUSAフォー・アフリカのアルバムにも参加し、メイン曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」ではライオネル・リッチーレイ・チャールズなど数多の人気ミュージシャンと共演しつつ新曲も提供している(2曲目「モーメント・ガール」)。

1986年のジャーニーのアルバム『Raised On Radio〜時を駆けて』ではプロデュースも担当するなど、ヴォーカリストに留まらない活躍を見せたが、1987年のツアー中にジャーニーを脱退。その後はしばらく表舞台から遠ざかっていたが、およそ7年の時を経て1994年にソロ・アルバム『ストレンジ・メディスン』を発表しファンの注目を集めた。ペリーはこのアルバムに因んだライヴ・ツアーを行い、日本での公演も予告されていたが、肺病を患いツアーを中断。療養生活の中で、彼は自身が脱退後に空中分解の状態となっていたジャーニーの再結成へ向けて可能性を模索し始め、やがてメンバーとの合流を果たす。

ペリーは1996年に再結成したジャーニーの中核として新作アルバム『トライアル・バイ・ファイアー』で腕を振るうも、体調は戻らず1998年に脱退を余儀なくされる。その後はワーナー・ブラザーズのアニメ映画『キャメロット』のオリジナルサウンドトラックにおける主題曲の競演や、2003年には映画『モンスター』のサウンドトラックのプロデュースも手掛けたほか、デヴィッド・パックの作品にゲスト・ヴォーカルとして参加している。

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