クインシー・ジョーンズ

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Quincy Jones
2008年10月1日撮影}
2008年10月1日撮影
基本情報
出生名 Quincy Delight Jones Jr.
別名 Q
出生 1933年3月14日(81歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
ジャンル ジャズフュージョンソウル/R&Bポップ・ミュージック
職業 音楽プロデューサートランペッター
活動期間 1951年 – 現在
レーベル マーキュリーA&Mワーナー・ブラザーズ/クエスト
著名使用楽器
トランペット

クインシー・ディライト・ジョーンズ二世(Quincy Delight Jones II、1933年3月14日 - )は、アメリカ合衆国音楽プロデューサー作曲家1950年代から第一線で活躍を続け、グラミー賞をはじめとする音楽賞を多数受賞している。ブラックミュージック界のみならずアメリカのポピュラー音楽界における偉人の一人である。また、米FOXテレビの人気コメディ番組MADtvの製作総指揮も担当している。

来歴[編集]

イリノイ州シカゴ出身。少年時代にトランペットを学ぶ。10歳の頃にワシントン州に転居。そこで盲目のピアノ・プレーヤーの少年レイ・チャールズと知り合い、ともにバンド活動を始める。 1951年バークリー音楽大学を卒業後、トランペット・プレーヤーとしてライオネル・ハンプトン楽団に参加。そこでアレンジャーとしての才能を見出され、カウント・ベイシーデューク・エリントンサラ・ヴォーンジャズ界のスターのアレンジを手がけるようになった。

1957年パリへ渡り、作曲・音楽理論などを学ぶ。フランス共和国マーキュリー・レコード社長の知己を得てヨーロッパでも数々のビッグバンドを率いて活躍し、自身のバンドでも成功を収めた。1964年には、マーキュリー・レコードニューヨーク支社の副支社長となり、同時に映画音楽の分野へも活動の幅を広げる。アメリカ国民なら必ず知っているテレビ映画『ルーツ』のサウンドトラックを手がける。

1960年代からはプロデューサーとしても活躍し始め、1963年レスリー・ゴーアの「涙のバースデイ・パーティー」をビルボード1位にしたのをはじめ、マイルス・デイヴィスフランク・シナトラらのプロデュースを手がける。自身の作品でも数々の名作を残し、チャズ・ジャンケルの1979年録音のアルバム『愛のコリーダ』(原題"CHAZ JANKEL")に収緑のカヴァーである、1981年の「愛のコリーダ」(タイトルの由来は、大島渚監督の同名映画から)のようなポップ分野でのヒットも生んだ。

1978年、映画The Wazの現場でマイケル・ジャクソンと出会う。そこでマイケルが「誰か僕に合うプロデューサーはいないかな」と言ったところ「私じゃ駄目かな?」とクインシーが返答したという逸話が残っている[1]。そうして翌年のアルバムOff The Wallでタッグを組むことになる[1]

1982年のアルバムThrillerのセールスはギネス・ワールド・レコーズ史上最も売れたアルバムとして認定され、その地位は不動のものとなっている[1]。同年、自主レーベルクウェスト・レコードをスタート、1985年までA&Mレコードが供給したが、後にワーナー・ブラザーズ・レコードに売却される。また同年には、アメリカのスーパースターが一堂に会して録音したチャリティー曲「We Are The World」のプロデュースも手がけた。

1987年のアルバムBadでタッグを解消。同アルバムも同一アルバムからのシングルカットが5つのナンバーワンヒットという快挙を成し遂げた[1]

1990年代のクラブ・シーンでは1960年代のファンキーなジャズ作品が再評価され、「ソウル・ボサ・ノヴァ」は教典的存在となり、映画『オースティン・パワーズ』のテーマ曲としても使用された。日本では、同曲がモード学園のCMソングに使われていた他、テレビ番組『ウイークエンダー』のジングルとして使われた『鬼警部アイアンサイド』のテーマも有名である。

1999年、クインシー、ボブ・ゲルドフU2ボノが中心になってマイケル・ジャクソン、マドンナスティングポール・マッカートニーほか多数のミュージシャンがサポートした世界の貧困救済を唱えるジュビリー2000の運動に参加した(2005年のチャリティ・コンサートLIVE 8へと発展していった)。

2003年、クインシー・ジョーンズ生誕70周年ベストアルバムがリリースされる。

2007年に、2008年度のグラミー賞レコ-ディングアカデミー50回大記念の大使に任命された。「現在18,000ものミュージックメーカーで構成されたグラミー賞の創始者の一人として誇りに感じている」とコメントし、50周年を祝う数々のセレモニーを企画している。

ディスコグラフィ[編集]

ソロ[編集]

Year Title Label U.S. Chart positions
Billboard 200 Jazz Albums Top R&B/Hip-Hop Albums
1957 This Is How I Feel about Jazz"
(邦題:私の考えるジャズ)
Paramount - 21 -
1959 The Birth of a Band, Vol. 1 Mercury - 21 -
1961 The Quintessence Impulse! - - -
The Great Wide World of Quincy Jones: Live! Mercury - 24 -
1962 Big Band Bossa Nova
(邦題:ソウル・ボッサ・ノヴァ)
112 - -
1967 In the Heat of the Night — Soundtrack
(Quincy Jones & Ray Charles)
United Artists 153 - -
1969 Walking In Space A&M 56 2 6
1970 Gula Matari 63 2 16
1971 Smackwater Jack 56 1 11
1972 Ndeda (Compilation) Mercury 73 12 -
1973 You've Got It Bad, Girl A&M 94 1 14
1974 Body Heat 6 1 1
1975 Mellow Madness 16 1 3
1976 I Heard That!! 43 1 16
1977 Roots 21 4 6
1978 Sounds...And Stuff Like That!! 15 1 4
1981 The Dude
(邦題:愛のコリーダ)
10 3 3
1982 The Best (Compilation) 122 17 45
1989 Back on the Block Qwest 9 1 1
1991 Miles & Quincy Live at Montreux
(Miles Davis & Quincy Jones)
Warner Bros. - 1 -
1995 Q's Jook Joint Qwest 32 1 6
1999 From Q with Love (Compilation) Warner Bros. 72 1 31
2000 Basie and Beyond
(The Quincy Jones/Sammy Nestico Orchestra)
- 10 -
2001 Q: The Musical Biography of Quincy Jones (Compilation) Rhino - - -
2004 The Original Jam Sessions 1969
(Quincy Jones & Bill Cosby)
Concord Jazz - 12 -

編曲(抜粋)[編集]

映画音楽担当[編集]

日本公演[編集]

7月6日 日本武道館、7日 神戸国際会館、9日 日本武道館、10日 福岡サンパレス
  • 1981年東京NHK放送スタジオでライブのリハーサルを行ない、武道館公演を収めたライブアルバム『LIVE AT THE BUDOKAN』をリリース。「ラザマタズ」もシングルとしてリリースされた。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ a b c d Quincy Jones Best Stories About Workinhg With MJ Sinatra And Ray”. 2104年7月13日閲覧。