ハリー・ベラフォンテ

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ハリー・ベラフォンテ
Harry Belafonte
Harry Belafonte
1963年ワシントン大行進にて
生年月日 1927年3月1日(87歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 歌手、俳優

ハリー・ベラフォンテHarry Belafonte1927年3月1日 - )は、アメリカ合衆国歌手俳優、社会活動家。『バナナ・ボート』などのヒット曲や『ウィ・アー・ザ・ワールド』を送りだした「USAフォー・アフリカ」の提唱者として知られる。

来歴・人物[編集]

「バナナ・ボート」[編集]

ニューヨーク市ハーレム生まれのジャマイカ系黒人である。1956年に『バナナ・ボート』が世界的な大ヒットとなり、アルバム『カリプソ』も当時としては珍しいミリオンセラーを記録し、一躍スターとなった。

ハリー・ベラフォンテ(1954年)

『バナナ・ボート』はトリニダードの労働者がバナナを船に積み込むときに歌う労働歌を元に作られた曲で、「デーオ、イデデ、イデデ、イデデ…」という掛け声が特徴的(本当は"Day-o, Day-ay-ay-o ・・・ Day, me say day, me say day, me say day Me say day, me say day-ay-ay-o・・・"である)。この掛け声の語感のコミカルさから、日本でも浜村美智子江利チエミカバーバージョンがヒットした。またその後も『マティルダ』や『ダニー・ボーイ』などの世界的なヒット曲を連発した。

ベラフォンテのコンサートを観た三島由紀夫は、「ベラフォンテがどんなにすばらしかは、舞台を見なければ、本当のところはわからない。ここには熱帯の太陽があり、カリブ海の貿易風があり、ドレイたちの悲痛な歴史があり、力と陽気さと同時に繊細さと悲哀があり、素朴な人間の魂のありのままの表示がある。そして舞台の上のベラフォンテは、まさしく太陽のやうにかがやいてゐる。(中略)歌はれる歌には、リフレインが多い。全編ほとんどリフレインといふやうな歌がある。これは民謡的特色だが、同時に呪術的特色でもある。わづかなバリエーションを伴ひながら『夏はもうあらかた過ぎた』(ダーン・レイド・アラウンド)とか『夜ごと日の沈むとき』(スザンヌ)とかいふ詩句が、彼の甘いしはがれた声で、何度となくくりかへされると、われわれは、ベラフォンテの特色である、暗い粘つこい叙情の中へ、だんだんにひき入れられる。声が褐色の幅広いリボンのやうにひらめく。われわれは、もうその声のほかには、世界中に何も聞かないのである。(中略)(私は)『バナナ・ボート』や、たのしい『ラ・バンバ』をことに愛する」[1]と、その歌声を絶賛した。

社会活動[編集]

またハリーは自身のテレビ番組のプロデューサーとして、1960年に黒人では初めてエミー賞を受賞した。以降は財団を設立して黒人の地位向上のために力を注ぎ、公民権運動に積極的に関わるなど、音楽よりも社会活動家として活躍するようになる。

1985年には「USAフォー・アフリカ」の提唱者として、アフリカの飢餓救済のために、マイケル・ジャクソンブルース・スプリングスティーンスティービー・ワンダーシンディ・ローパーなどのアメリカのスーパースターたちを集結させた。

反体制的な過激な発言で物議をかもすことがたびたびあった。かつてはマッカーシズムによる赤狩りに巻き込まれ、「ハリウッド・ブラックリスト」に名前を連ねる事にもなった。最近ではジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権の黒人閣僚であるコリン・パウエルコンドリーザ・ライスのことを「白人の主人に媚びる奴隷」と痛烈に批判。また2006年には反米色を強めるベネズエラウゴ・チャベス大統領のもとに訪問し、「世界中にいかなる暴君がいようともブッシュこそ最大のテロリストだ」と意見を述べて大きな反響を呼んでいる。

俳優[編集]

一方、俳優としても活躍し、多くの作品に出演している。2006年には、エミリオ・エステヴェス監督の映画『ボビー』で、老いに悩むホテルの元ドアマンを演じた。ちなみに、この作品で重要な意味合いを持つキング牧師とは個人的にも親交があった。

主なヒット曲[編集]

主な出演作品[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 三島由紀夫「偉大な官能の詩―ベラフォンテの初公演」(毎日新聞夕刊 1960年7月15日に掲載)。三島由紀夫「ベラフォンテ讃」(『美の襲撃』)(講談社、1961年)に所収。

外部リンク[編集]