ウィ・アー・ザ・ワールド

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウィ・アー・ザ・ワールド
USAフォー・アフリカシングル
リリース 1985年5月7日
録音 1985年1月28日
レーベル コロムビア・レコード
作詞・作曲 マイケル・ジャクソン
ライオネル・リッチー
プロデュース クインシー・ジョーンズ
マイケル・オマーティアン
チャート最高順位

ウィ・アー・ザ・ワールドWe Are The World)は、1985年アメリカで発売された歌で、著名なアーティストが「USAフォー・アフリカ」として集結して完成させた。

目次

[編集] 概要

ハリー・ベラフォンテの構想をもとに、イギリスで活躍するミュージシャンボブ・ゲルドフが提唱したバンド・エイドの成功に触発されてアフリカ飢餓貧困層を解消する目的で作られたキャンペーンソングである。作詞・作曲はマイケル・ジャクソンライオネル・リッチーが共作で行い、プロデュースはクインシー・ジョーンズが担当した。

レコーディング時にドキュメンタリーも制作され、ビデオになり全世界で販売された。2004年には20周年記念DVDとして「We Are The World THE STORY BEHIND THE SONG」がリリースされた。また、トレーナーTシャツなどの関連グッズも販売され、これらによるすべての印税がアフリカの飢餓と貧困層解消のためにチャリティとして寄付された。

参加アーティストの数が45人と多い上に、非常に豪華な顔ぶれのため、公のコンサートでロング・バージョンがフルコーラスで歌われたのは1985年の「ライブ・エイド」、2001年マイケル・ジャクソンのソロ活動30周年記念コンサート、そして2009年7月7日のマイケル・ジャクソン公開追悼式の3回のみである。

[編集] レコーディング

この歴史的なセッションの数日前の1月22日、ケニー・ロジャースが所有するライオン・シェア・スタジオにてクインシー・ジョーンズマイケル・ジャクソンライオネル・リッチースティーヴィー・ワンダーが集まって先行レコーディングを行い、翌日にマイケル・ジャクソンライオネル・リッチーによるデモテープが完成し、参加者に送られた。そして1985年1月28日の夜、アメリカン・ミュージック・アワードの直後、アメリカのみならず当時の世界のポップス界を代表する45人が、ハリウッドA&Mスタジオに集結してレコーディングされた。

この夜、マイケル・ジャクソンアメリカン・ミュージック・アワードを欠席し、一足先にコーラスの目安に使うためのガイド・ボーカルの録画を行っていた。21時を過ぎると、続々とアーティストが到着してきた。 ライオネル・リッチーアメリカン・ミュージック・アワードの司会、シンディ・ローパーティナ・ターナーは歌ったりと、多くのアーティストがこの授賞式から直行であった。

22時、クインシー・ジョーンズの提案で、先ず45人のアーティストが全員でユニゾンと、ハーモニーのパートを録音。そしてコーラスの間のソロ・ボーカルの録音は、約20人のアーティストによって翌日早朝4時に始まり、午前8時にようやくすべてのレコーディングが終了した。

[編集] 売り上げとランキング

1985年当時、アメリカ国内だけでシングル400万枚、アルバム300万枚を売り上げた。最終的にはアメリカだけで750万枚のシングル(7インチと12インチ版が用意された)が売れ、シングルとアルバム、ビデオの合計で6300万ドルの収入となり、すべての印税チャリティとして寄付された。ビルボード(Billboard)誌では、1985年4月13日に週間ランキング第1位を獲得。1985年ビルボード誌年間ランキングでは、第20位。

[編集] 参加アーティスト

[編集] リード・ボーカルの歌唱順(ロング・バージョン)

[編集] 『ウィ・アー・ザ・ワールド』風の楽曲

[編集] 関連項目

オリコン週間LPチャート第1位
1985年5月20日付~1985年6月10日付(4週連続)
前作:
サウンドトラック
TAN TAN たぬき
USA for AFRICA
ウィ・アー・ザ・ワールド
次作:
松田聖子
The 9th Wave
オリコン年間洋楽シングルチャート第1位
1985年
前年:
ガゼボ
アイ・ライク・ショパン
USAフォー・アフリカ
ウィ・アー・ザ・ワールド(12インチ)
次年:
スティービー・ワンダー
パートタイム・ラバー