ラトーヤ・ジャクソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ラトーヤ・ジャクソン
基本情報
出生名 La Toya Yvonne Jackson
別名 La Toya Jackson Gordon
出生 1956年5月29日(57歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国インディアナ州ゲーリー
ジャンル ポップR&Bダンス
職業 歌手ソングライターミュージシャン女優モデル作家テレビパーソナリティ
活動期間 1980年 - 現在
レーベル ポリドール・レコード(1980年 - 1982年)
エピック・レコード(1983年 - 1987年)
Teldec/RCA(1987年 - 1988年)
Teldec(1989年)
BCM(1990年)
Pump/Dino(1991年 – 1992年)
Mar-Gor(1993年)
CMC(1994年 - 1995年)
Ja-Tail/Bungalo(2002年 - 現在)
共同作業者 ジャクソンズ
公式サイト Official Site

ラトーヤ・ジャクソン(La Toya Yvonne Jackson、1956年5月29日 - )はアメリカ合衆国の女性歌手。ジャクソン・ファミリーの一員で、弟の一人はマイケル・ジャクソン、妹はジャネット・ジャクソン

目立ったヒットはないが、その割に話題が多く個性の強いタイプとして見られることが多い。もともとは兄弟姉妹の中では地味な方であったはずだが、1990年代にはジャクソン家の問題児と言われ、最近はラトーヤといえば派手な女性の代名詞の一つのようになっている。家族の暴露で有名で、父親の暴力をジャクソン家で最初に語ったのもラトーヤである。弟のマイケルは当初は否定していたものの、後に肯定しており、現在はむしろマイケルの話のほうが有名。

略歴[編集]

兄弟たちがジャクソン・ファイブを結成するなどで有名なジャクソン家の次女として生まれる。1980年本格的に歌手デビューする。数曲がR&BチャートTOP50に入った程度で、後述するような話題性に比べれば成功したとは言い難い。

1987年、日本で本田美奈子とジョイントコンサートを行った。その模様はテレビ放送やDVD化されている。

1989年にはプレイボーイ誌でヌードを披露し800万部以上を売り上げたが、兄弟たちはパニックになり、兄ジャーメインは怒って説教し、弟マイケルはショックであたふたする騒ぎになった。同年9月5日ジャック・ゴードンと結婚した。

1993年にマイケルに性的虐待の疑惑が持ち上がった際、疑惑は事実だと言って家族から批判を浴びたが、1997年には和解。同年ジャックとも離婚。その後はマイケルがラトーヤの家を訪問する話も聞かれるようになった。

90年代後半は音楽活動を休止していた。暴力問題に関しては2003年ラトーヤはインタビューでジョセフが自らの暴力に関して謝罪したこと、そしてそれで許した事を述べた[1]

現在は鼻がほっそりとしており、肌の色もかなり白い。弟のマイケル同様容姿が通常の黒人とは違うため、2005年の裁判の際にはジェイ・レノが「被告人を指し示せと言われてマイケルを指し示すつもりがラトーヤを指し示しちゃったよ」と(冗談半分だろうが)語った。

2009年6月25日、マイケルの訃報を母親から伝えられ兄弟姉妹の中でも真っ先にマイケル一家のもとに駆けつけた。本人もデジタルダウンロードでマイケルの追悼曲"Home"を2009年7月28日にリリースしている。

ラトーヤには子供はいない。現在はロサンゼルス在住。

ディスコグラフィー[編集]

アルバム[編集]

  • La Toya Jackson (1980年)
  • My Special Love (1981年)
「Camp Kuchi Kaiai」ではジャネットが作曲に参加している。
  • My Special Love (1981年)
  • Heart Don't Lie (1984年)
  • Imagination (1986年)
  • La Toya (1988年)
  • Bad Girl (1989年)
  • No Relations (1991年)
  • Formidable (1992年)
  • From Nashville To You (1993年)
  • Stop In The Name Of Love (1994年)
  • Startin' Over (未定)

著書[編集]

  • インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー(1991年)

外部リンク[編集]