マイケル・ジャクソンの1993年の性的虐待疑惑

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マイケル・ジャクソンの1993年の性的虐待疑惑(マイケル・ジャクソンの1993ねんのせいてきぎゃくたいぎわく)とは1993年に起こったマイケル・ジャクソン児童性的虐待疑惑である。

疑惑の概要[編集]

事件の経緯[編集]

1993年、13歳の少年が自分の父親(エヴァン・チャンドラー、ビバリーヒルズの歯科医)によって精神科医に連れて行かれ、そこでマイケルが性的虐待をしたことを話してしまったことから、この事件は大きく動きだす。この背景には、エヴァン・チャンドラーが、自分の息子と非常に親しくなったマイケル・ジャクソンに息子の愛情を奪われたことで、マイケルに対して嫉妬を抱き、しかも多額の金を必要としていた事実がある。この時点ですでに、少年の母親のジューンとは離婚していたが、週末は息子が父親宅に来て、一緒に時を過ごしていたが、少年がマイケルと親しくなることで(当初はこのことをエヴァンも歓迎していた)、マイケルに夢中になり、だんだん父親としての愛情を奪われたと感じ始めたのだ。しかも、エヴァンは、歯科医とはいえ、映画脚本家になりたいという夢を持っており、この夢の実現のために多額を必要としていた。

少年はジューンに引き取られており、エヴァンは養育費を毎月払うことになっていたものの、この支払いは滞っていた。そして、当時、この少年をめぐって、ジューンとエヴァンは熾烈な親権争いをしていたのだ。このような背景において、エヴァン・チャンドラーにとっては、マイケルは金をゆする、まさにうってつけの対象だった。エヴァン・チャンドラーは、自分の陰謀にぴったりの悪徳弁護士、バリー・ロスマンに代理を依頼し、二人でマイケル・ジャクソンから金を恐喝する策略を立てて行動に出る。

当初、13歳の少年は、マイケル・ジャクソンは自分に対してなにも不適切な行為をしていない、と語っていた。しかし、あるときから突然、この意見を変えてしまう。それはこの訴訟事件が和解によって終結した数ヶ月後に、あるジャーナリストによって報道されたことだが、当時、少年の問題の歯を抜くとして、父親エヴァン・チャンドラーが治療を行ったときに、催眠鎮静剤であるアモバルビタールを使用した直後のことだったのだ。アモバルビタールの米国での商品名は「アミタール」という。

アミタール塩の瓶

「アミタール」を使った治療後、少年は、マイケルが目の前でマスターベーションを行ったり、マイケルがオーラルセックスを行ったなどという話や陰茎を愛撫されたということを、精神科医に話したのだ[1]。だが、アモバルビタールを歯の麻酔に使用することはほとんどない。以前は、PTSDなどの患者にこの薬剤を用いて、心の中で考えていることを表出させるような治療に用いられたことがあり、そのほかにも、「自白」を強要するために用いられたこともあった。これは、静脈注射でこの薬剤を徐々に投与していくと、意識が朦朧としてきて、相手の言うことに対して抗うことができない状態になるため、これを利用して「自白」を強要するようなことが行われていたとされる。また、この薬剤を用いて、虚偽の記憶を植えつけることがいかに容易であるか、ワシントン大学の心理学教授による臨床試験が米国で行われ、実証されて論文発表もされている。

アミタール塩(Sodium Amytal)という薬物についての記述[2]。このアミタールという薬物は催眠性がありかつては一部の治療者が用いていたが、この件に関しては様々な非難が起こっていた[3]。とある父娘の性的虐待訴訟のケースでは、訴えられた父が娘の心療科医のこの薬の娘への使用を理由に反訴し勝訴するという事まで起こった。そのため、アメリカでは2000年ごろまでにこの方法は禁止となり、多くの州でこのような訴訟は受け付けない事になった。カリフォルニア州も同様であり、2005年の裁判ではこの事実を持ち出せば無罪になる可能性が高かった。

前述のように、少年がマイケル・ジャクソンの不適切行為について、精神科医に話したことにより、精神科医は、児童性的虐待があったとして、児童福祉局に報告し、児童福祉局が警察に報告したために、エヴァン・チャンドラーの計画とは別に、まずは警察が動き出したのである。少年および父親は、決して「刑事告発」したのではない。

警察がマイケル・ジャクソンのネバーランド、および、ロサンゼルスのマンションの家宅捜査令状を取って動き出すと、この情報がメディアに流れて、世界中に報道され、一大ショックを巻き起こしたのである。家宅捜索の際、警察官はマイケルの家の花瓶を蹴り倒し、25万ドル相当の金貨数枚も紛失されてしまったが、この件に関しては不問とされ起訴もされなかった。また、1993年12月20日、警察は全裸にして体中を調べ、マイケルのペニス、尻、太ももを撮られた。が、少年の証言と一致するような証拠は見つからなかった。しかし、このような、マイケルにとって有利なニュースは、大々的に報道されることはなかった。

エヴァン・チャンドラーは金が欲しかっただけであり(刑事捜査に協力することはなく)、民事訴訟を提起した。マイケルは、すでにデンジャラス・ワールド・ツアーを欧州から開始していたが、刑事捜査と同時に民事訴訟が提起されるなど、とてもツアーを続けられるような状況ではなくなってしまった。これらのプレッシャー、ストレスに加え、10年前のCMで負った頭部やけどの皮膚再生手術をツアー直前に受けていたこともあって、鎮痛薬を処方されていた。このため、この薬物依存症になってしまい、ワールドツアーを途中で断念せざるを得なくなってしまった(彼は、メキシコで中止の理由として「虚偽の疑惑からの屈辱、不名誉、メディアの虚偽報道などからくるストレス、プレッシャーと、パフォーマンスで必要とされる大きなエネルギーとが、僕を追い詰め、身も心も疲れ果ててしまいました」と発表した)。マイケルはツアーを中断して、薬物依存症の集中的治療を受けるべく、エリザベス・テイラーの献身的な支援に支えられて、メキシコから英国にわたった。

意見の相違[編集]

疑惑の発生後、マイケル側の弁護士団内では内部分裂による意見の相違が本格化。米国では、民事では裁判に持ち込む前に示談とすることが一般的なこと、これ以上、マイケルのプライバシーを公にさらすようなことは耐えられないこと、マイケルが鎮痛剤中毒の治療に専念しなければならないことなどを考慮し、1994年1月25日に少年に対し以後40年間にわたり計1530万ドル[4]を支払うことにより和解。「僕は不適切な事は何もしていない。名前と名誉を守る事だけにこのお金を支払う」と書かれた示談書を提出した。 また、告発した少年の将来への配慮から少年の氏名や示談内容は一切他言しないと言う機密保持契約も作成されたため、マイケルは同意し、本件について語る事は無かった。

マイケルは当時の自宅ネバーランドでインタビューを収録し身の潔白を訴え、1996年に当時の妻リサ・マリーと出演したABC局のダイアン・ソイヤーのトーク番組でも「僕の潔白を証明して欲しいと弁護士に頼んだんだ。でも弁護士に公正な裁判を受けられない。陪審員は当てにならない。7年は掛かる。無実になる保障は無いと言われ僕は震え上がった。僕は言われているような事はしていない。この恐ろしい問題を早く終わらせたかったんだ。O・J・シンプソンのような馬鹿みたいな事をTVでしたくなかったんだ」と語っている。このトーク番組で当時の妻リサ・マリーと共に訴訟に関して話をした事で少年の父親から機密保持契約違反だとの6000万ドルの民事訴訟も起こされた。この訴訟は当時の妻リサ・マリーに対しても起こされた。

1993年事件当時、バリー・ロスマン(原告側弁護士)事務所に勤めていた、法務秘書ジェラルディン・ヒューズが著した書籍「Redemption: The Truth Behind the Michael Jackson Child Molestation Allegations」(「救済:マイケル・ジャクソン児童性的虐待疑惑の真相」ISBN 978-1576880364)が2004年1月に出版された。本書は、マイケル・ジャクソンに対して起こされた1993年の児童性的虐待疑惑における彼の無実を、事件の内側から、可能な限り検証したものである。

本書の邦訳版『救済 ― マイケル・ジャクソン 児童性的虐待疑惑の真相』[5]に、「このケースはあまりにも社内秘が多く、弁護士事務所の全スタッフにも極秘だったため、最初から何かの企み、もしくは策略をしているような様相を帯びていた。この疑念のため、オフィスのスケジュール・ブックに日々の出来事について書き記すようになった」と著者の言葉が記載されている。著者の疑念を裏付けるような出来事がその後いくつも重なり、彼女は、ついにこれが金目当ての企みであると確信するようになる。そして、マイケル弁護団の調査担当官(ペリカーノ私立探偵)に、彼女がオフィスで知りえた情報をすべて提供したのだ。当初のマイケル弁護団チームは、絶対に金を支払わないつもりでいたし、裁判になれば勝つと信じていた。マイケル自身も相手の要求額を絶対に払うつもりはなかったのだ。しかし、相手側は弁護士が変更となり、この新たに加わった、やり手のラリー・フェルドマン弁護士がついに、民事の訴えを提起した。双方の弁護団の攻防が進んでいくにつれ、マイケル側も弁護士が変更となり、新たにマイケル側に加わった弁護士たちは和解の方向に動き出した。

「検察は最初からマイケル・ジャクソンを有罪と決めつけ、原告の少年とその父親(エヴァン・チャンドラー)が訴えた内容が事実かどうか十分な検証を行わず、メディアは、あたかも性的虐待が実際にあったかのように、あらゆる卑劣な手段を使って書き立て、報道し続けた」と記載されている。和解に向けてマイケルの弁護団が動き出した背景が本書に詳述されているが、メディアがあたかもマイケルが有罪であるかのように書きまくり、報道し続けたことで、マイケルが公正な裁判を受けるチャンスは疑わしくなっていたことも記載されている。

父親がロスマン弁護士と画策して「卑劣な手を使ってマイケルを陥れ大金を手に入れる」とエヴァン・チャンドラー自身がデイヴィッド・シュワルツ(少年の継父)に電話している内容が、デイヴィッドによって極秘録音されており、世界中に流されている。このような明白な証拠があるものの、検察側は彼らの恐喝容疑については、しかるべき捜査を全く行わず、たった一人の少年が言った言葉に基づき、マイケル・ジャクソンの起訴に向けて、躍起となったのである。録音された会話の中でエヴァン・チャンドラーは「(マイケルに)言うべきことについて、リハーサルした。」と語り、少年の継父が「君をそんなに怒らせるような、一体どんなことをマイケル・ジャクソンがしたって言うんだ?」と問いかけると「彼は、俺の家族をばらばらにしたんだ。俺の息子はやつの力と金に魅せられてしまっている。俺は、マイケル・ジャクソンに対して行動することに決めたんだ。もうすでにすべて計画されている。他の人間も関わっている。皆準備万端、自分の位置について俺からの電話を待っている状態だ。俺がやつらに金を支払ったんだ。俺だけの計画ではなく、やつらとの共同でのある計画に従って、すべての事が運ばれるだろう。俺が弁護士に電話しさえすれば、視野にいるすべての人間をやつが出来うる限りの悪魔のように醜く、汚い冷酷な方法で、破滅させるだろうよ。俺はやつにそうする権利を完全に与えたんだ。これを、やりおおせたら大もうけさ。俺が失敗することはあり得ない。すみからすみまで、この計画をチェックしたんだ。俺は欲しい物すべてを手にする。反対にやつらは永遠にすべてを破壊されるだろう。元妻は、息子の親権を失い、マイケルのキャリアは終わりだ。」と語っている。

裁判での主張[編集]

後の2005年のマイケル・ジャクソン裁判において、1993年の性的虐待疑惑について、マイケルの家の元警備員ラルフ・チェイコン(Ralph Chacon)が裸のマイケルが当時11歳の少年の身体の至る所にキスし、そして少年の陰茎を口に入れオーラルセックスを行ったと主張したが[6][7]、当時チェイコンは家賃の支払いにも困る程経済的に困窮していたこと、チェイコンを含む数人の元従業員がマスコミにネタを売ろうと企みメディア・ブローカーを雇っていたこと、「法廷での重要証人」となることで大金が手に入る、メルセデスベンツ450を買う予定だと近所の人々に吹聴していたこと等が裁判の中で明らかにされた。また、「マイケルに電話を盗聴されていると思った」等の荒唐無稽な内容の民事訴訟をマイケルに対して起こしたが敗訴し、逆にマイケルに対して「詐欺行為、抑圧行為、悪意のある行動」を働いたとして賠償金支払い命令が出されていたことも明らかになった[8]。)。

だが、真実がどうであれ結果的に示談によって金銭的決着を付けたことが、世間に「金で無罪を買った」という印象を与え真相が結局明らかにならず、後も疑惑の目が消えなかった。当時薬物依存と戦うマイケルを援助したエルトン・ジョンは、これに対しマイケルは最後まで戦うべきだったと言っている。

なお、この訴訟で無理矢理証言させられたジョーディ・チャンドラー(Jordy Chandler,1980年1月11日 - )は、2005年8月5日に虐待されたとして父親を訴えた[9]ニュージャージー州の法廷で「彼は頭を後ろから殴られていた……ダンベルの重りで……そして、催涙、もしくは刺激性のスプレーを目に吹きかけられ、そして窒息させられそうになっていた(struck him on the head from behind with ... (dumbbell) weight ... sprayed his eyes with Mace or pepper spray, and tried to choke him)」と述べられた[10][11]。さらにそれでもまとまらず2006年9月5日に控訴した[12]。そのためこの訴訟は家庭裁判所から一般法廷に移ることになった。

音楽活動への影響[編集]

Dangerous World Tourの中止、スポンサーペプシの降板など音楽活動にも多数の影響が出た。精神的にも追い詰められ、その時に制作した曲がStranger In Moscowとされている。

没後[編集]

2009年6月、マイケルの死後、米タブロイド紙に少年が「僕は父に嘘を言わされた。マイケルごめんなさい。」と語ったと掲載されたが、実際の本人のコメントなのかどうかは不明。少年はこの件に関して公式にコメントしていないとされている。

2009年11月初旬、少年の父親エヴァン・チャンドラーがアパートの管理人により、自宅のベッドの上で死亡しているのが発見された。頭部側面に拳銃による銃創が有り、発見時、拳銃を手に持ったままの状態だった事から市警は自殺と断定。ジャージー市警のスポークスマンより「自殺と断定した。死亡時に複数の処方薬が発見され、重篤な病だったと思われる。遺書などは見つかっていない」と公式に発表した。エヴァン・チャンドラーの担当医は警察に対して「予約した時間に来なかった為、アパートの管理人に様子を見に行って貰い、死亡しているのが発見された。」と語った。遺書はなく自殺の原因などは不明。父親エヴァン・チャンドラーは再婚し2児をもうけていたが離婚し、子供達とも疎遠となっていた。また、マイケルのファンからの反発を避ける為、整形手術を行っており、その容姿は以前とは全く異なったていたと伝えられた。少年が父親に対して起こしていた虐待裁判は少年が父親に対して年間約1億5千万円の送金を数年に渡り行う事で決着し、これより前に不起訴となっていた。

出典[編集]

  1. ^ King of Pop News:Michael Jackson
  2. ^ Jacko's 1993 boy Jordy Chandler accuses his father
  3. ^ (無題)「過誤記憶症候群」の項目参照
  4. ^ Jordy Chandler
  5. ^ [1]「救済 ― マイケル・ジャクソン児童性的虐待疑惑の真相」
  6. ^ Jackson weeps as boy banned from his bed
  7. ^ America faces the unthinkable as tide turns against Jackson
  8. ^ アフロダイテ・ジョーンズ著『マイケル・ジャクソン裁判 あなたは彼を裁けますか?』(押野素子訳)より
  9. ^ Ex-Jacko Accuser in Court Against Dad
  10. ^ Jordy Chandler terug in de rechtzaal
  11. ^ Jacko accuser back in court
  12. ^ Jacksons boy accuses dad

関連項目[編集]