デンジャラス (アルバム)

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デンジャラス
マイケル・ジャクソンスタジオ・アルバム
リリース 1991年11月26日
録音 1990年6月25日 - 1991年8月29日
ジャンル R&B / ニュージャックスウィング / ポップス
時間 76分59秒
レーベル Epic Records
EPIC SONY日本
プロデュース マイケル・ジャクソン
テディー・ライリー
専門評論家によるレビュー
チャート最高順位
ゴールド等認定
  • 32ミリオン
マイケル・ジャクソン 年表
バッド
1987年
デンジャラス
1991年
ヒストリー
1995年
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デンジャラス: DANGEROUS)は、アメリカ合衆国のミュージシャン、マイケル・ジャクソンのアルバム。

エピソード[編集]

前作『Bad』以来4年ぶりとなるスタジオ・アルバム。前作までのクインシー・ジョーンズとのコンビを解消し、テディー・ライリーを新たなサウンド・プロデューサーに迎えた。それまでのポップ・ロック・ソウルをミックスさせた路線から、ライリーの提唱するスタイル「ニュージャックスウィング」にジャンルを変更している。オリジナル版の歌詞カードの最初に「DANCE」と書かれているように弾けるような爽快な曲が多い一方で、CDに収められる制限時間いっぱいを使っているアルバムであり、多様な楽曲が収められている。発売直後から売上を伸ばし6週目にして1,000万枚を突破した。アルバム『Thriller』以後では最大のヒット作となり、現在までの全世界での売り上げは3,200万枚以上を記録しているが、[1]。日本国内での売り上げ枚数は前作『Bad』を下回っている。

このアルバムで共同プロデューサーとなったテディはクリフォードから、『Dangerous』は時代を先取りしていた、と後に評されている。

社会的影響力も大きく、発売日にはロサンゼルス国際空港でアルバム3万枚が銃で脅され強奪されるという事件も起こっている。


1991年10月に発売されたこのアルバムからの先行シングル「Black Or White」は文化的価値観の違いを乗り越えようという歌詞が多くの人に受け入れられ、20カ国以上で1位を獲得。 全米チャートでも7週連続1位を獲得した。 ロッキングなポップチューンでラップをフィーチャーしたこの楽曲は、音楽的にもクインシーから完全に独り立ちしたマイケルの姿を全世界に見せ付けた。ショートフィルムでは「スリラー」を手がけたジョン・ランディスが、再び監督として参加。当時としては最新の映像技術であるモーフィングが採用され話題となった。 日本人ダンサーユーコ・スミダ・ジャクソンも参加した。 ところが、このショートフィルムは後半のソロ・ダンスシーンが暴力的及び性的な要素が強すぎるとして一般放映が中止されるという事態になった。後にそのバージョンのショートフィルムはその部分の映像に黒豹が登場することからパンサー・バージョンと呼ばれるようになった。セクシュアルなダンスや、人種差別団体(クー・クラックス・クラン)の名前やハーケンクロイツの描かれた車や店のガラス窓を破壊するシーンが問題とされた。なお、この映像は現在ではヨーロッパでは一斉放映が許可されており、マイケルのビデオ作品では見ることが出来る。ただ、現在のものは初期の映像とは若干違っており、窓に書かれた人種差別団体の名前などいくつか修正され、それらの文字は消されている。


1992年1月には「Remember The Time」を発売。 翌月公開されたショートフィルムはエジプトの王国をモチーフにしたもので、エディ・マーフィーイマン・アブドゥルマジドマジック・ジョンソンと共演した。なかでもイマンとのキスシーンは話題となった。監督は、ジョン・シングルトンが務めた。 テディはのちのインタビューでは今までに自分が手がけた曲の中では最高傑作と言っている。 マイケルも同月アフリカに行ってツアーを開始したが、体調不良になり日程を短縮した。 この際に訪れたコートジボワールでは「サン族の王冠」の称号を授与されている。 エディとはその後「Whatzupwitu」でも共演した。

4月にはナオミ・キャンベルと官能的な求愛を繰り広げる「In The Closet」(監督は写真家のハーブ・リッツ)が発表される。 7月にはNBAマイケル・ジョーダンとMJ同士で共演する「JAM」が発表された。 これらの作品では多くの有名人が出演しており、マイケルの交友の広さが窺える。7月には自らの詩や写真、絵などを紹介する本「ダンシング・ザ・ドリーム」を発表した。

1992年からペプシがスポンサーになり、2度目のワールドツアー「Dangerous World Tour」をスタート。ユーコ・スミダ・ジャクソンも参加した。収益金はマイケルが設立したヒール・ザ・ワールド基金に寄付された。1993年1月には、クリントン大統領の「アメリカン・リユニオン:第52回大統領祝賀会」での就任コンサートで「Gone Too Soon」「Heal The World」を披露した。2月にはTVの人気トーク番組「オプラ・ウィンフリー・ショー」にネバーランドでのライブインタビューという形で出演した。そこではムーンウォークのやり方を実際にマイケルが見せてくれたり、即興で「Who is it」をアカペラで歌った(翌日からラジオで同曲のリクエストが全国的に殺到する“事件”が起きた)。彼が皮膚病の尋常性白斑に罹患していることを公表したのも、この番組の中であった。

1993年スーパーボウル第27回大会のハーフタイムショーでライブを行う。 このショーはスーパーボウルの前半戦よりも高い視聴率を記録した。このパフォーマンスは、スーパーボウル・ハーフタイムショーの新たなスタンダードを築いたと言われている。 この際マイケルはノーギャラで出演した為、その後はノーギャラ出演が伝統になった。[2] その結果、スーパーボウル単体としての価値が上がり、現在のような世界のトップアーティストを毎年ハーフタイムショーに招くことが定着していった。

収録曲[編集]

  1. Jam
  2. Why You Wanna Trip On Me
  3. In The Closet
  4. She Drives Me Wild
  5. Remember The Time
  6. Can't Let Her Get Away
  7. Heal The World
  8. Black Or White
  9. Who Is It
  10. Give In To Me
  11. Will You Be There
  12. Keep THe Faith
  13. Gone Too Soon
  14. Dangerous


  1. ^ マイケル総売り上げは7億5000万枚以上 スポーツ報知, 2009年6月26日, 2009年7月3日閲覧
  2. ^ 報酬0円でも快諾 M.ジャクソンがNFL界に残した功績”. NFL日本公式サイト (2009年7月10日). 2009年7月10日閲覧。