スリラー (ミュージック・ビデオ)

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スリラー
Michael Jackson's Thriller
ビデオに登場するパレス・シアター
監督 ジョン・ランディス
脚本
ナレーター ヴィンセント・プライス
出演者
音楽
撮影 ロバート・ペインター英語版
製作会社
  • MJJ Productions
  • Optimum Productions
公開 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 1983年12月2日
上映時間 13:42[1]
言語 英語
製作費 50万ドル[2]
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スリラー』(原題: Michael Jackson's Thriller)はマイケル・ジャクソンの楽曲「スリラー」のために制作された1983年ミュージック・ビデオ。これはジョン・ランディスが監督し、ランディスとジャクソンが脚本を書いた。このミュージック・ビデオは多くのホラー映画をオマージュしており、ジャクソンが主演してゾンビの群れと共にダンスを披露している。オーラ・レイがジャクソンの恋人役として共演した。このミュージック・ビデオはジャクソンの6枚目のアルバム『スリラー』(1982年)の発売1周年の2日後、1983年12月2日にリリースされた。

ジャクソンはランディスの映画『狼男アメリカン』(1981年)を観た後、彼にコンタクトをとった。二人は前作のミュージック・ビデオよりもふんだんに予算を使ってショート・ムービーを作る構想を持った。そしてロサンゼルスダウンタウンにあるパレス・シアターで撮影を行なった。またメイキング映画の『Making Michael Jackson's Thriller』がテレビ局へ販売するために制作された。

このミュージック・ビデオは熱烈な待望のもと公開され、MTV で連日流された。アルバムの売り上げは倍増し、史上最も売れたアルバムとなり、ミュージック・ビデオ自体も VHS で100万本以上売れ、当時最も売れたビデオテープとなった。この『スリラー』は、ミュージック・ビデオというジャンルを真のアートへと進化させたこと、大衆娯楽における人種の壁を取り払ったこと、メイキング映画を一般的なものとしたことで意義があった。このヒットにより、ジャクソンは大衆文化において世界レベルで圧倒的な影響力を持つに至った[3]

このミュージック・ビデオの多くの要素が大衆文化へ永きにわたる影響を及ぼしてきており、例えばゾンビ・ダンスや、ランディスの妻であるデボラ・ナドルマン英語版がデザインしたスリラー・ジャケットといったものが挙げられる。世界中のファンがそのゾンビ・ダンスを再現し、それは YouTube でもよく見られる。アメリカ議会図書館は『スリラー』を「史上最も有名なミュージック・ビデオ」としており、様々な出版物や読者投票で史上最も偉大なミュージック・ビデオとして挙げられている。2009年に『スリラー』は「文化的・歴史的・審美的」に重要な作品として、アメリカ国立フィルム登録簿に収録された初めてのミュージック・ビデオとなった。

あらすじ[編集]

舞台は1950年代。マイケルと若い女性(オーラ・レイ)の乗った車が、木の茂った一帯でガス欠になる。二人は森の中に歩み入り、マイケルは彼女に交際を申し込む。彼女はマイケルに抱きつき、マイケルは彼女の指に指輪をはめる。嬉し気な彼女。ところが、マイケルが自分は「他の男とは違う」のだと忠告すると、満月が姿を現わし、マイケルは叫び、うなり、彼女に向かって「あっちへ行け!」と吠える。マイケルは狼男へと姿を変え、彼女に襲いかかる。

実はこれは映画のワンシーンであり、マイケルとガールフレンドが映画館でそれを観ているのだと分かる。彼女は映画が怖くなり、席を立って外に出る。道すがら、マイケルは「スリラー」のフレーズを歌い踊りながら彼女をからかう。二人が墓地を通り過ぎると、ゾンビたちが墓穴から這い出して来る。二人はゾンビたちに取り囲まれ、マイケルもゾンビになってしまう。マイケルとゾンビの群れが曲に合わせて踊る。

マイケルとゾンビたちは彼女を空き家へと追い詰める。彼女は悲鳴と共に目を覚まし、それが只の悪夢だったと知る。マイケルは彼女を抱擁するが、カメラに向き直るとニヤリと笑い、その目が狼男のそれだと分かる。

資金調達[編集]

ジャクソンのアルバム『スリラー』は1982年にリリースされ、1年以上にわたって Billboard 200 の上位に入り続けた[3]。これはシングル・カットされた「ビリー・ジーン」と「今夜はビート・イット」のミュージック・ビデオが好評だったことに後押しされたもので、両作はビデオの宣伝力を実証し、ミュージック・ビデオ制作の独創性のレベルを引き上げたとみなされている[3]

1983年6月、『スリラー』は映画『フラッシュダンス』のサウンドトラックと入れ替わりでトップ10から陥落した。7月に少しの間トップ10に復帰したが、ポリスの『シンクロニシティー』と入れ替わりで再び陥落した。ジャクソンはレコード会社幹部のウォルター・イエットニコフ英語版とラリー・ステッセルに対し、アルバムがチャートのトップに返り咲けるようなプランを考えて欲しいと頼み込んだ。ジャクソンのマネージャのフランク・ディレオは、アルバムのタイトル曲「スリラー」で3本目のミュージック・ビデオを作ることを提案した。彼はジャクソンに「簡単なことだ、踊って、歌って、恐ろしいものにすればいい」と言っていた[3]。ヴァニティ・フェア誌によると、ジャクソンの嗜好は、人々が愉快に過ごし子供たちも安全という優しいディズニー風ファンタジーに傾きがちで、彼はビデオを「ぞっとするけれども滑稽で、真に怖がらせるものではない」ものにするつもりだった[3]

8月初め、ジャクソンはホラー映画『狼男アメリカン』(1981年)を観た後、その監督のジョン・ランディスに連絡を取った[4]。当時のプロの映画監督はミュージック・ビデオの監督などやらないものだったが、ランディスは興味をそそられていた。ランディスとジャクソンは、従来のミュージック・ビデオをはるかに上回る90万ドルもの予算(短編映画一本の制作費に相当)を以って、35ミリフィルムを使い短い作品を撮影しようと考えた。ランディスによると、彼がこのビデオ制作についてイエットニコフに電話で提案したところ、イエットニコフがあまりに大声で激高し出したので耳から受話器を離さなければならなかったという[3]。ジャクソンのレコード会社であるエピック・レコードは、アルバムはセールスの盛りを過ぎたと考えており、「スリラー」の為にまたミュージック・ビデオを作るという話に殆ど興味を示さなかった[4]。イエットニコフは最終的に会社として10万ドルだけ支援することを認めた[3]

当初、各々のテレビ放送網はみな総じて「スリラー」は「去年のニュース」と考えており、この企画への出資を拒んだ[4]。ジャクソンの「ビリー・ジーン」と「今夜はビート・イット」のミュージック・ビデオで成功を手にしていた MTV は、自身ではミュージック・ビデオに出資しない方針を取っており、それはレコード会社が負担するものだとしていた。しかし当時新しく出来たチャンネルの Showtime が予算の半額の負担に同意すると、MTV は残りの負担に同意し、その経費はあくまでミュージック・ビデオでなく映画への出資であるとした[4]

ランディスのプロデューサーのジョージ・フォルシ・Jrは、「スリラー」のビデオに関してメイキング・ドキュメンタリーを撮れば1時間ほどの尺になるだろうから、それをテレビ局へ売って制作費の足しにすることを提案した[5]。そのドキュメンタリー『Making Michael Jackson's Thriller』はジェリー・クレイマーが監督した[4]。それには若かりし頃のジャクソンが踊っているホームビデオ映像や、「エド・サリヴァン・ショー」と「Motown 25: Yesterday, Today, Forever」で彼がパフォーマンスする姿も収録されている[4]

MTV はこのドキュメンタリーを放送する独占的権利を25万ドルで買った。Showtime はペイケーブルの権利を30万ドルで買った[3]。制作で足が出た費用はジャクソンが一時的に立て替える形で負担した[3]ヴェストロン・ミュージック・ビデオ英語版は、「Making Michael Jackson’s Thriller」を VHS とベータマックスにして小売店で流通させることを提案した。当時殆どのビデオはレンタル店で売られるものであり、直接消費者へ売られるものではなかったため、これは先進的な試みだった。ヴェストロンはこのビデオ・カセットの販売権を50万ドルで買った[6]

制作[編集]

ジャクソンは『狼男アメリカン』の変身シーンのように、自分が四足の獣へ変身するビデオを作りたいと望んでいた。このアイデアは、彼が踊りやすいよう二本足の怪物へ改められた[4]。ランディスは、ジャクソンがぞっとする恐ろしい姿になっても、醜くはならないに違いないと思っていた。ランディスは1957年の映画『心霊移植人間英語版』から着想を得て、1950年代を舞台にジャクソンが狼男になるのがよいと提案した[4]。最終的にメーキャップ・アーティストのリック・ベイカーはジャクソンをトラ人間にすると決めたが、それは「また狼男をやりたくはなかっただけ」だった[7]

ジャクソンは「今夜はビート・イット」のミュージック・ビデオで振り付けを行なった振付師のマイケル・ピータースと共にゾンビ・ダンスを創作した。ジャクソンによると、最も気にかけたのは、コミカルに見えないようなゾンビ・ダンスにすることだった。ジャクソンとピータースは鏡の前で顔をしかめながらゾンビたちがどう動き回るか想像し、「バレエか何かになってしまわないよう」、きらびやかな動作を取り入れた[8]

ランディスの妻であるデボラ・ナドルマン英語版は、当時『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』に関わって間もなくだったが、ジャクソンの赤いジャケット(スリラー・ジャケット)も含め、各々の衣装をデザインした[3]。彼女は、夜を舞台にした暗い画面に映えるよう赤を選び、踊りやすいカジュアルな装いでトレンディ風にまとめ、ジャクソンの背が高く見えるようジャケットとジーンズを同色にした[3]

このミュージック・ビデオはジャクソンがビデオで初めて女性と共演した作品であり、ランディスはこれを「大きな一歩」と表現した。ジェニファー・ビールスはガールフレンド役のオファーを断わった[3]。ランディスによると、結局「マイケルの大ファン」という事で元プレイメイトのオーラ・レイに白羽の矢が立ち、彼女は「満面の笑み」だったという[3]。ランディスは、ジャクソンとレイに対しカメラの前で即興を取り入れるよう勧め[4]、ジャクソンに対し「セクシー」に演じて女性ファンに「男らしさを見せつける」よう促した[3]。レイによると、ジャクソンとの間には本気で心が通じ合うものがあり、撮影中「熱いひととき」を共にしたという[3]

映画館のシーンはロサンゼルスダウンタウンにあるパレス・シアターで、ゾンビ・ダンスのシーンはイーストロサンゼルスのユニオン・パシフィック・アヴェニューとサウス・カルゾナ・ストリートの合流地点で、最後の空き家のシーンはキャロル・アヴェニュー1345のアンジェリノ・ハイツ地区で撮影された。主要シーンの撮影は、全て1983年10月半ばに行なわれた[9]。ジャクソンの変身シーンのメーキャップは、『狼男アメリカン』でメーキャップ・アーティストを務めたリック・ベイカーが担当した[3]。ベイカーはビデオの最後でマウソレウムに帰ってゆくアゴ髭のゾンビ役としてカメオ出演している。撮影監督は『大逆転』(1983年)でランディスと手を組んだロバート・ペインター英語版が務めた[3]

撮影現場には、マーロン・ブランドフレッド・アステアロック・ハドソンジャクリーン・ケネディ・オナシスなどの芸能関係者が訪れた[5]。ジャクソンの両親であるジョセフ・ジャクソンキャサリン・ジャクソンも訪れた。ランディスによると、マイケルが二人に帰るよう頼んだにもかかわらずジョセフが居残ったため、警察が連れ出す破目になったという。ジョセフはこのエピソードを否定している[4]

ビデオの公開に先立つ何週間か前、エホバの証人の信者であるジャクソンは、教会指導者からあのビデオは鬼神崇拝を助長するものであり破門に値すると告げられた。ジャクソンはアシスタントのジョン・ブランカを呼び、ネガフィルムを破棄するよう命じた。制作チームはネガフィルムを守るということで一致し、ブランカの事務所にあったネガフィルムに錠をかけた[4]。ブランカは、“この作品はジャクソンの個人的信条を反映したものでない”旨の断り書きがビデオの冒頭に表示されるではないかと言ってジャクソンを慰めた[4]。ジャクソンは、ものみの塔聖書冊子協会が発行する雑誌『目ざめよ!』に掲載した声明で、「私は上質で娯楽的な短編映画を作ろうとしただけで、人を怖がらせる何かを意図的に作品へ持ち込んだり、何か害を為すようなことをするつもりは無かった。私は正しいことを行ないたかった。あのようなことは、何であれ二度とするつもりは無い。」と述べた。彼は、自分の力が及ぶ限りでは、この作品の流通や宣伝をこれ以上行なわせないようにしたと述べた[10]

ホラー要素[編集]

このミュージック・ビデオでは、過去のホラー映画への多くのオマージュが行なわれている[11]。冒頭のシーンでは、ジャクソンとレイが1950年代のティーンエイジャーに扮して、当時のB級映画のパロディになっている。礼儀正しい「好感度の高い男子」から狼男への大劇変は、生まれつき獣的・肉食的・攻撃的と表現されるところの、男の性的資質を描写していると解釈されてきている。批評家のコベナ・マーサー英語版は、『狼の血族』(1984年)における狼男との類似性を見出した[11]

二度目の大劇変はマイケルからゾンビへの変化であり、それが導入部となるゾンビの群れのダンスシーンは、死者の仮面舞踏会に言及した歌詞に対応している[12]。ジャクソンのメーキャップは「幽霊のように蒼白」で骸骨の輪郭を強調しており、これは『オペラの怪人』(1925年)をオマージュしたものである[12]

ピーター・デンドル英語版によると、ゾンビの襲来シーンは『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)に触発されたものだった。このミュージック・ビデオは、ゾンビ映画に不可欠な閉所恐怖症と無力感の感覚を上手く表現しているとデンドルは記した[13]

リリース[編集]

1983年11月14日、このミュージック・ビデオはロサンゼルスのクレスト・シアターにて内輪で上映された。そこにはダイアナ・ロスウォーレン・ベイティプリンスエディ・マーフィなどの著名人が居た。ジャクソンは映写室に陣取り、レイが客席に降りるよう勧めても応じなかった。上映後は総立ちの大喝采で、マーフィが強くせがんでもう一度上映された[3]

そして1983年12月2日、このミュージック・ビデオは『Making Michael Jackson's Thriller』と共に、MTV にて解禁された[5]。MTV は放映の都度、次にいつ放映するか告知し、普段の10倍の視聴者数を記録した[3]。Showtime は翌年2月にこのビデオを6回放映した[3]。数か月のうちにビデオカセットは100万本を売り上げ、当時のビデオ作品の売り上げ記録を塗り替えた[3]。映画館での上映実績を条件とするアカデミー賞にエントリー可能とするため、ランディスはロサンゼルスの映画館で『ファンタジア』(1940年)の前振りとしてこのミュージック・ビデオを上映するよう手配したが、結局ノミネートは逃した[5]

このミュージック・ビデオによりアルバム『スリラー』の売り上げは劇的に飛躍し、ビデオ解禁から一週間で100万枚が売れた[5]。アルバムの売り上げは倍加し、史上最も売れたアルバムとなった[3]。ランディスによると、この反響は「皆にとって驚きだったが、マイケルだけは別だった[4]。」この成功により、ジャクソンは大衆文化において世界レベルで圧倒的な影響力を持つようになり、「ポップの帝王」(king of pop) としての地位を確固たるものにした[3]

1984年の MTV ビデオ・ミュージック・アワードにおいて『スリラー』のミュージック・ビデオは、視聴者投票部門、総合パフォーマンス部門、振付部門を受賞し、コンセプト・ビデオ部門、男性ビデオ部門、ビデオ・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた[14]

1984年にテレビ暴力表現全国連合 (National Coalition on Television Violence, NCTV) は MTV のビデオ200本を検閲して、その半分以上を過度に暴力的だとし、『スリラー』もそれに含まれた。NCTV 議長の Thomas Radecki は「『スリラー』を観た若い視聴者が『へぇー、マイケル・ジャクソンがガールフレンドを怖がらせていいなら、俺もやって良いよなぁ?』と言いかねないことは想像に難くない。」と述べた[15]

影響[編集]

2008年にテキサス州オースティンで開かれたイベント「スリル・ザ・ワールド」の参加者たち

『スリラー』のミュージック・ビデオは、大きな文化的影響力としての MTV の地位を確かなものとし、黒人アーティストらの前に立ちはだかっていた人種障壁の解体を助け、ミュージック・ビデオの制作に大変革をもたらし、メイキング・ドキュメンタリーを一般的なものとし、VHS テープのレンタルとセールスを活性化した。ミュージック・ビデオ監督のブライアン・グラーントは、ミュージック・ビデオ制作が「真っ当な産業」になった転換点として『スリラー』の功績を認めた[5]。MTV の幹部だったニーナ・ブラクウドは「(『スリラー』以降)私たちは、より洗練されたビデオを目にするようになりました ― よりストーリー展開があって、より凝った振り付けの作品をです。初期のミュージック・ビデオを観てごらんなさい、それはもう呆れるほどひどいものでした。」と述べた[16]

ABCニュースのヴィニ・マリーノウは「このミュージック・ビデオが『史上最も偉大なビデオ』に選ばれたのは『言うまでもないこと』であり、ほぼ全ての人々から最も偉大なビデオと見做され続けるのだ」と述べた[17]。MTV のギル・コーフマンは「このミュージック・ビデオは『象徴的』なものであり、ジャクソンの『最も永く残るであろう遺産』のひとつ」と表現した[18]。コーフマンはさらに、『スリラー』はミュージック・ビデオに大変革をもたらした短編映画であり、史上最も野心的で創造的なポップ・スターの一人というジャクソンの地位を確かなものにしたと述べた[18]

このミュージック・ビデオは、1995年に MTV から[19]、2001年にはケーブルテレビ局 VH1[17]タイム誌から[20]「最も偉大なビデオ」に選ばれた。2010年に MySpace が実施した1,000人以上のユーザによる人気投票において、『スリラー』は最も影響力のあるミュージック・ビデオに選ばれた[21]。2009年に『スリラー』は、アメリカ議会図書館によってアメリカ国立フィルム登録簿に登録された初のミュージック・ビデオとなった[22]。アメリカ議会図書館は『スリラー』を「史上最も有名なミュージック・ビデオ」と説明した[23]国立フィルム保存委員会英語版のコーディネーターであるスティーヴ・レギットによると、『スリラー』は何年にもわたって登録を検討されてはいたが、主としてその年のジャクソンの死により選ばれるに至ったのだという[24]

ジャクソンの赤い革ジャン(スリラー・ジャケット)は象徴的なファッション・アイテムとなり、広く模倣されている。2011年にはジャクソンが劇中で着用した2着のうち1着がオークションに出され、180万ドルで落札された[25]。『スリラー』はハロウィンと強く結びつけられるようになって来ている[26][27]。2016年にオバマ大統領夫妻はホワイトハウスでのハロウィン・パーティにおいて、学童たちと共に「スリラー」の曲に合わせてダンスを踊った[28]

ハリウッドのとある制作会社は、アルバム『スリラー』の一曲「ビリー・ジーン」を短編映画化する企画を立てたが、完成には至っていない[15]。2009年にジャクソンは、ミュージック・ビデオを下敷きにしたブロードウェイ・ミュージカル上演のため、『スリラー』の権利をネダーランダー・オーガニゼーション英語版へ売った。

YouTube で『スリラー』は人気作品であり続けており、ダンスを再現した一般ユーザによる動画も見ることができる。そのダンスは世界中の様々な主要都市で演じられており、その最大のものはメキシコシティで12,937人が参加したものである[3]。1,500人以上の囚人がダンスに参加した YouTube 動画は2010年時点で1,400万回の再生回数を記録した[3]

2017年の第74回ヴェネツィア国際映画祭において、このミュージック・ビデオの新たに復元された 3D バージョンが世界で初めて公開され、新たにリマスターされた『Making Michael Jackson's Thriller』も同時上映された[29]。3D バージョンはトロント国際映画祭でも上映され[30]、次いで米国ではグローマンズ・チャイニーズ・シアターで封切られた[31]。その後も2018年に、北米での『ルイスと不思議の時計』の公開初週に本編前の併映作品として上映するという限定的な事情から IMAX 3D でさらにリマスターされた[32]。オリジナルのネガフィルムからの復元はジョン・ランディスが監督した。新しいバージョンには新たにリミックスされたオーディオと、ジャンプスケアのエンディングも加わっている。

訴訟[編集]

ジャクソンは、このビデオのロイヤルティーを巡る諍いからランディスに訴えられた。ランディスは、4年分のロイヤルティーの受け取りを主張した[33][34]

オーラ・レイもロイヤルティーの受け取りが難しいことに不満を漏らした。まずレイはジャクソンを非難したが、1997年に彼へ謝罪した。しかしレイは2009年5月6日にジャクソンを訴え、それから2か月足らずの6月25日にジャクソンは他界した。最終的にジャクソン・ファミリー・トラストが支払いを済ませた[35]

受賞[編集]

グラミー賞[編集]

部門 結果 備考
1985 Best Video Album 受賞 Making Michael Jackson's Thriller

MTV Video Music Award[編集]

部門 結果
1984 Best Overall Performance in a Video 受賞
Best Choreography (マイケル・ピータース) 受賞
Viewer's Choice 受賞
1999 100 Greatest Music Videos of all Time[36] 受賞

脚注[編集]

  1. ^ Michael Jackson's Thriller (PG)”. British Board of Film Classification (1983年12月9日). 2016年10月9日閲覧。
  2. ^ Director: Funds for "Thriller" almost didn't appear”. Today.com. 2016年8月19日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y The "Thriller" Diaries”. Vanity Fair (2010年1月24日). 2019年10月9日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m John Landis on the making of Michael Jackson's Thriller: 'I was adamant he couldn't look too hideous'”. The Guardian (2017年8月31日). 2018年10月27日閲覧。
  5. ^ a b c d e f Hebblethwaite, Phil (2013年11月21日). “How Michael Jackson's Thriller changed music videos for ever”. The Guardian. 2018年10月29日閲覧。
  6. ^ Jay Cocks; Denise Worrell; Peter Ainslie; Adam Zagorin (1982年12月26日). “Sing a Song of Seeing”. Time. http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,926425-3,00.html 2009年11月15日閲覧。 
  7. ^ Romano, Aja (2018年10月31日). “Michael Jackson's "Thriller" is the eternal Halloween bop — and so much more” (英語). Vox. 2020年8月3日閲覧。
  8. ^ Michael Jackson's Life & Legacy: Global Superstar (1982–86)”. VH1. 2009年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月7日閲覧。
  9. ^ Photographic image of film schedule” (JPG). S12.postimg.org. 2016年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月19日閲覧。
  10. ^ Author Unknown (1984-05-22). “Young People Ask..."What About Music Videos?"”. Awake! (Watchtower Bible and Tract Society). 
  11. ^ a b Mercer (2005), p. 85-89
  12. ^ a b Mercer (1991), p. 316-317
  13. ^ Dendle (2001), p. 171
  14. ^ VMA Archive 1984”. MTV (2000年3月1日). 2000年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月13日閲覧。
  15. ^ a b 25 'Thriller' facts”. Los Angeles Times (2008年2月18日). 2010年1月23日閲覧。
  16. ^ “Michael Jackson's videos set a new standard”. Reuters. (2009年7月3日). https://www.reuters.com/article/us-jackson-mtv-idUSTRE56254W20090703 2019年9月30日閲覧。 
  17. ^ a b Vinny Marino (2001年5月2日). “VH1 Names '100 Greatest Videos of All Time'”. ABC News. 2010年1月22日閲覧。
  18. ^ a b Gil Kaufman (2009年12月30日). “Michael Jackson's 'Thriller' Added To National Film Registry”. MTV. 2010年1月23日閲覧。
  19. ^ MTV: 100 Greatest Music Videos Ever Made”. RockOnTheNet.com. Rock on the Net. 2010年1月23日閲覧。
  20. ^ Craig Duff (2011-07-28). “The 30 All-TIME Best Music Videos – Michael Jackson, 'Thriller'”. Time. http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,2085389_2085392_2085363,00.html 2011年8月19日閲覧。. 
  21. ^ 'Thriller' voted most influential pop video”. MSNBC (2010年5月2日). 2010年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月3日閲覧。
  22. ^ Alex Dobuzinskis (2009年12月30日). “Jackson "Thriller" film picked for U.S. registry”. Reuters. 2010年1月22日閲覧。
  23. ^ Dave Itzkoff (2009年12月30日). “'Thriller' Video Added to U.S. Film Registry”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2009/12/31/arts/music/31arts-THRILLERVIDE_BRF.html 2010年1月23日閲覧。 
  24. ^ “Michael Jackson's Thriller added to US film archive”. BBC News. (2009年12月31日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/8435911.stm 2010年1月22日閲覧。 
  25. ^ 'Thriller' Jacket Brings in $1.8 Million”. Rolling Stone (2011年6月27日). 2019年10月9日閲覧。
  26. ^ Clifford, Edward. “Michael Jackson's 'Thriller' remains a Halloween hit”. Massachusetts Daily Collegian. 2019年9月30日閲覧。
  27. ^ Romano, Aja (2018年10月31日). “Michael Jackson's "Thriller" is the eternal Halloween bop — and so much more”. Vox. 2019年10月4日閲覧。
  28. ^ McCarthy, Ciara (2016年11月1日). “Barack and Michelle Obama make Halloween a thriller for DC kids”. The Guardian. ISSN 0261-3077. https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2016/nov/01/barack-michelle-obama-white-house-halloween-thriller 2019年10月4日閲覧。 
  29. ^ 'Michael Jackson's Thriller 3D' to World Premiere at Venice Film Festival 2017”. The Hollywood Reporter. 2018年12月17日閲覧。
  30. ^ Brown, Phil (2017年9月13日). “John Landis on 'Thriller 3D', the 'American Werewolf' Remake, & Lucasfilm's Director Troubles”. Collider. 2018年12月17日閲覧。
  31. ^ Niemietz, Brian. “'Thriller 3D' screening brings back the ghosts of Michael Jackson past – NY Daily News”. Daily News. 2018年12月17日閲覧。
  32. ^ 'Michael Jackson's Thriller 3D' To Be Remastered for IMAX”. Billboard. 2018年12月17日閲覧。
  33. ^ Grossberg, Josh (2009年1月27日). “A Legal Thriller: Michael Jackson Sued by John Landis”. E!. 2012年1月14日閲覧。
  34. ^ Michael Jackson sued by 'Thriller' director”. NME (2009年1月27日). 2016年8月19日閲覧。
  35. ^ “Michael Jackson, King of Pop, is dead at 50”. Los Angeles Times. (2009年6月26日). https://latimes.com/news/local/la-me-michael-jackson-dead26-2009jun26,0,2152435.story 2016年8月19日閲覧。 
  36. ^ MTV: 100 Greatest Music Videos Ever Made”. Rock On The Net. 2016年8月19日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]