プリンス (ミュージシャン)

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プリンス
 コーチェラ・フェスティバルにて(2008年)}
 コーチェラ・フェスティバルにて
(2008年)
基本情報
出生名 プリンス・ロジャーズ・ネルスン
Prince Rogers Nelson
出生 1958年6月7日(56歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミネソタ州 ミネアポリス
ジャンル ファンク
R&B
ロック
ポップ
ブルース
ゴスペル
ジャズ
ハード・ロック
職業 ミュージシャン
マルチ・インストゥルメンタリスト
シンガーソングライター
作曲家
編曲家
音楽プロデューサー
ダンサー
俳優
担当楽器 ヴォーカル
ギター
ベース
ピアノ
キーボード
シンセサイザー
クラビネット
ドラムス
パーカッション
ドラムマシン
活動期間 1976年 - 現在
レーベル NPG
ペイズリー・パーク
ワーナー・ブラザーズ
EMI
アリスタ
コロムビア
ユニバーサル
共同作業者 3RDEYEGIRL
ニュー・パワー・ジェネレーション
ザ・レヴォリューション
ザ・タイム
シーラ・E
マッドハウス

プリンスPrince, 本名:Prince Rogers Nelson、1958年6月7日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス出身のミュージシャンマルチ・インストゥルメンタリストシンガーソングライター作曲家音楽プロデューサー俳優である。

これまでに12作品のプラチナアルバムと、30曲のトップ40シングルを生み出し、アルバム・シングルの総売り上げは、1億5,000万枚に上る。

ローリング・ストーン誌の2007年11月号の企画、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も過小評価されている25人のギタリスト」において第1位、

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第30位[1]

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第27位。

2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第33位。

Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第61位[2]

来歴[編集]

プリンスは1978年のファーストアルバム以降、ロックファンクソウルブルースゴスペルジャズハード・ロックヒップホップを自在に取り込んだ唯一無二のスタイルで音楽を創造しつづけ、第一線で活躍しながら多くの信奉者を生んでおり、俗に言うミネアポリスサウンドの中心的存在である。彼がもっとも影響を受けてきたミュージシャンは、ジェームス・ブラウンやスライ・ストーン、ジョージ・クリントンとPファンクなどである。この先、何十枚でもアルバムを発表できるだけの楽曲のストックがあるといわれ、またどれほど優れた曲であろうともアルバムの流れから外れた曲は表に出さないという主義から、多大な数のブートレグを生んでいる。デビュー以来、作詞・作曲・歌唱・演奏・プロデュースの全てを自ら行うスタイルを貫いており、多種多様な楽器を演奏できるのに加え、ジェームズ・ブラウンの流れを継いだ滑る様なステップやスプリット(股割り)、マイクスタンドを用いた様々な技などのダンスパフォーマンスも披露していたが、近年では楽器による生演奏と歌唱を中心とした「リアルミュージック・バイ・リアルミュージシャンズ」を掲げたライブになっている。

曲のタイトル・歌詞の特徴として、to は「2」、for は「4」、you は「U」、are は「R」など同音異字を用い、I (アイ) は「eye」の表象文字で記載されている。

イメージカラーは主に「紫」。これはアルバム「Purple Rain」発売前からのもの。キャリア初期からセクシャルなイメージが強く、「I Wanna Be Your Lover」のミュージックビデオにビキニパンツにレッグウォーマーという衣装で出たり、アルバム「Lovesexy」のジャケット問題(下記)、さらには臀部が全開のパンツでパフォーマンスしたりと、様々な逸話がある。また、アルバム「Purple Rain」は、収録曲「Darling Nikki」の露骨に卑猥な歌詞により、ティッパー・ゴアによる「問題のある内容のレコード」に貼るウォーニング・ステッカーの第一号となった。しかし近年では、改宗を期に「古くからのファンも家庭を持つ年齢になったから」とセクシャル路線をやめることを宣言した(後はマドンナに任せるとも言っている)。ワーナーとの契約解消以降はアルバムの販売なども特殊な方法をとることが多く、また長く来日公演もないため、日本での露出は同い年のマイケル・ジャクソンマドンナと比較しても極端に少ない。

その特異な才能への敬意と Prince という名にちなみ、日本のファンは彼を「殿下」と呼ぶ。

生い立ち[編集]

デビュー前[編集]

プリンス・ロジャース・ネルソンはジャズミュージシャンを両親に持ち、音楽とともに育った。その少年期はさまざまな逸話に包まれている(そのいくつかはプリンス本人によって話題作りのために広められた)。

その最たるものが「プリンスの父親が黒人で母親が白人である」ということである。これは自伝映画『パープルレイン』でも使われた設定であるが実際は両親は黒人であり、本人によると「父方にはイタリア系の血が、母方にはネイティヴアメリカンの血が入っている」とのこと。

両親はプリンスが子供の頃に離婚し、父親のジョン・L・ネルソンが家を出て行った。母親は再婚をするがプリンスは継父との折り合いが上手くいかず、家出を繰り返すことになる。ジョン・L・ネルソンはプリンスに大きな影響を与えており、プリンスの楽曲のいくつかには彼の名前がクレジットされている。

ジュニアハイスクール時代に、友人や従兄弟らと共にバンドを結成したプリンスは長じるにつれ頭角を現し、ミネアポリスサウンドと呼ばれるムーブメントの中心的存在として注目を受けるようになる。

メジャーレーベルは、こぞってこの才能に溢れた少年との契約を望んだ。そして、1977年に数社の入札の結果、ワーナー・ブラザーズと契約。19歳の少年としては異例の高額な契約金とセルフ・プロデュースの権利を同時に獲得する。

新人時代[編集]

1978年、プリンスはたった一人でデビューアルバム For you を作り上げ、そのメジャーキャリアをスタートさせる。ビルボードチャートは163位に終わるものの、シングルカットされた Soft and Wet はR&Bチャートを賑わせた。

1979年、バックバンドを集めるものの、やはりアルバム作成はほぼひとりでやってのけ、セカンドアルバム Prince を発表。キャッチーな曲として Why You Wanna Treat Me So BadI Wanna Be Your Lover がR&Bチャートでヒットとなった。なおI Wanna Be Your Loverは全米シングルチャートでも最高位11位にランクされる大ヒットとなり、一躍その名を世間に知らしめることとなる。日本で発売されたアルバムはこれが最初のものとなる。

1980年には Dirty Mind を発表。本来発表するつもりのないデモテープであったが、マネージャーの勧めで発表することになった。また、HeadSister の詞が性的に露骨過ぎるという理由で放送禁止曲になることで話題を集めた。しかし、そのためにセールス的には前作を下回ってしまった。

1981年には Controversy を発表。同名シングルがインターナショナルチャートにランクインする。この時期に、ローリング・ストーンズの前座としてツアーを行っており、公演によっては、物(キャベツ等)を投げつけられるなどの客からのブーイングを受けた。当時、ストーンズの楽屋を訪れたデヴィッド・ボウイが、トイレで泣いている彼を見掛けたため、以後は自身のツアーに前座をつけることをやめたというエピソードが残っている。

全盛期[編集]

1982年頃から、プリンスはバックバンドをザ・レヴォリューションと名付けた。それに伴い、アーティスト表記もプリンス単独名義からプリンス・アンド・ザ・レヴォリューションに変わった。レヴォリューションは、メンバーを若干変動させつつ1986年まで存続する。それから1990年までは、特にバックバンドに呼称を与えない時期が続く。

1982年に2枚組アルバム 1999 をリリースしたプリンスは、ついにブレイクを迎える。全米で400万枚を売り上げたこのアルバムからは Little Red Corvette(6位)、1999(12位)、Delirious(8位)がシングルカットされ、全米チャートで初のトップ10入りを遂げた。同時に MTV ではじめてプロモーションビデオが放映された黒人アーティストとして、マイケル・ジャクソンと共に名を連ねることになる。なお、本作のCDは1枚で発売されたため、収録時間の都合上、1980年代から1990年代にかけて発売されていたCDからは D.M.S.R. が削られている。

1984年、同名映画のサウンドトラックとして パープル・レイン が発表され、プリンスのコマーシャル的な価値は頂点に達する。発表初週に100万枚を売り上げたこのアルバムは、ビルボードチャートのトップに実に24週間も居座りつづけた。シングルカットされた When Doves CryLet's Go Crazy の2曲がシングルチャートで1位となり、プリンスは全米でのボックスオフィス、アルバムチャート、シングルチャートですべて1位を獲得するという偉業を達成する。なお、本作からは他に Purple Rain(2位)、I Would Die 4 U(8位)、Take Me With U(25位)がシングルカットされている。また、When Doves Cry は年間シングルチャートでも1位を獲得している。

プリンスの自伝映画として製作されたこの映画は、6800万ドルの興行収入を得て週間ボックスオフィスで1位、年間で11位という堂々たる成績を収めている。なお、同年のアカデミー賞歌曲・編曲賞を受賞している。オスカー像は、後にプリンスが設立したペイズリー・パーク・スタジオの一角に大事に飾られているという。

全米で1300万枚、全世界で1500万枚を売り上げた パープル・レイン の収益でプリンスは独自レーベルであるペイズリー・パーク・レコードを設立する。1985年にこのレーベルから Around the World in a Day を発表。前作とはがらりと作風を変えてきたこのアルバムも、全米チャートで1位を獲得する。

1986年には、監督をも努めた映画『プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーン』のサウンドトラックとして Parade を発表。映画自体は興業的に失敗するものの、アルバムは全米で3位となり、シングルカットされた Kiss は全米1位を獲得する。この年、Parade tour で初の来日公演を果たしている。バックバンドザ・レヴォリューションは、このツアーの横浜スタジアムでの千秋楽を最後に解散する。

この『プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーン』は、1987年のゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)で最低作品賞、最低監督賞、最低主演男優賞、最低助演男優賞(ジェローム・ベントン)、最低主題歌賞を受賞した。

1987年には、2枚組アルバム Sign "☮" the Times を発表する。ツアーの撮影したものをベースに作成された同名の映像作品も発売されている。

同年、The Black Album がレコーディングされるが、発売直前になって発売が中止される。この音源はブートレグとして流出し、世界最高の売上であろうと思われる500万枚以上が販売された。同アルバムは、最終的に1994年ワーナー・ブラザーズから発売されている。

1988年には The Black Album のアンサーアルバムとなる Lovesexy をわずか4か月の制作期間を経て発表するが、そのジャケットが物議をかもし、CDでの曲間ジャンプが出来ないようにアルバム全体が1曲扱いになっているという仕様(ただし、発売国によっては異なる)のアルバムはセールス的には全米11位、売上50万枚と低迷した。同様に全米ツアーも低迷したが、その低迷分をヨーロッパと日本へのツアーで補うことができたという。

1989年、映画『バットマン』のサウンドトラックを担当する。サウンドトラックとされているものの、その実は映画にインスピレーションを得たオリジナルアルバムとなっている(ダニー・エルフマンによる映画オリジナルスコア楽曲集は別途発売)。初回限定で缶入りCDも発売された。アルバム、およびシングルカットされた Batdance はチャート1位を獲得する。またこの時、日本のミュージシャン小比類巻かほるへの楽曲プロデュースも話題になった。80年代末から90年代半ばまで『Glam Slam Yokohama』というディスコを横浜で経営もしていた。ツアーで来日した際にシークレットギグを開催したこともある。

3月には当時、恋仲が噂されていたマドンナのアルバム『ライク・ア・プレイヤー』が発売。『ラヴ・ソング』をマドンナと共作&デュエットした。

1990年Purple Rain の続編となる映画 Graffiti Bridge を制作するが興業的には振るわなかった。同名のサウンドトラックではザ・タイムジョージ・クリントンテヴィン・キャンベルメイヴィス・ステイプルズをフィーチャーしているが、チャート6位、売上50万枚と再び低迷する。

1991年には、前年のツアーバンドをザ・ニュー・パワー・ジェネレーション(略称NPG。NPGは現在も存続するが、結成時のメンバーは残っておらず、特定の音楽コンセプトの表象というよりは、バックバンドの代名詞となっている。)と命名し、プリンス・アンド・ザ・ニュー・パワー・ジェネレーションとして Diamonds and Pearls を発表。全米チャートで3位、売上200万枚。シングルカットされた Cream が1位、Diamonds and Pearls が3位を獲得している。

1992年には、独自にデザインしたシンボルマークをタイトルにしたアルバムをリリースする。発音不明のため、本国では"Symbol"と呼ばれ、日本では「ラブ・シンボル」と邦題がつけられた。全米5位、100万枚のセールス。

改名~『The Artist Formerly Known As Prince』(かつてプリンスと呼ばれたアーティスト)[編集]

1993年、プリンスはワーナー・ブラザーズと再契約を交わす。アルバム6枚分の長期契約であった。その契約金は、当時の音楽史上最高額となった1億ドル。さらにワーナー・ブラザーズの副社長の座につき、アルバム発表ごとに、200万ドルの報酬金を受取るという破格の条件であった。しかしプリンスにとっては、今まで以上に作品に規制が掛かり、自分が望むような自由な活動が出来ない事に不満が溜まり、お互いの信頼関係が崩れ始める。同年、独自レーベルのペイズリー・パーク・レコードが、プリンス以外のアーティストのセールス低迷などを理由に閉鎖。それと同時にインディーズレーベルとしてNPGレコードを設立する。

その後、ワーナー・ブラザーズとの契約消化の為にハイペースでアルバムを発表し続ける事になる。

その際にプリンスはその名を捨てる。1994年発売のComeにおいて「プリンスの死」を宣言し(この際のアーティスト表記は正確にはPrince 1958 - 1993である)、1992年のアルバムのタイトルであるシンボルを自らの名とした。このシンボルは、男性(♂)と女性(♀)を融合させ、さらに音楽を象徴すると推測されているラッパを思わせる記号をくみあわせたもので、錬金術の記号にルーツを持つという。しかしプリンスはこのシンボルに対しての読み方を特に決めなかったため、彼の名前を音声で伝えることが不可能になった。結局ラジオDJなどはシンボルマークを指して、「元プリンス」(the Artist Formerly Known As Prince=かつてプリンスと呼ばれたアーティスト、かつてプリンスとして知られたアーティスト)と呼んだ。さらに略して単に「ジ・アーティスト」(The Artist)とも呼ばれ、プリンス側もまたジ・アーティストと呼ぶのが通例だった。

この時期から2000年代にかけて、プリンスは多くのライヴをこなしている。また、ライヴ会場は大きなアリーナだけではなく、小さなクラブで深夜にごく少数の観客を集めて行われている。ときおりペイズリー・パーク・スタジオでも行われたそれは、一般にアフターショウと呼ばれる、入場者が5人から2500人というような小規模なライヴは、1980年代中盤から積極的に行われており、コンセプト上メインのツアーではやらないようなカバーや、気ままなジャムセッション、リサーチもかねた新曲が披露され、公式に一部ビデオ化もされている。

1994年Come1995年The Gold Experience をリリースするが、この頃よりマスターテープの権利をめぐりワーナー・ブラザーズとの関係が悪化していく。

1995年に発表した Endorphinmachine が格闘技大会 K-1 WORLD GP シリーズのオープニング・テーマに使用され、日本でプリンスを知らない層にも幅広く有名になった。

1996年Chaos And Disorder のジャケットは、踏みつけられたアルバム 1999 のレコード盤(瞳のイラスト)に涙が書かれ、その涙がワーナー・ブラザーズのマークであるという意味深なデザインだった。ワーナー・ブラザーズ時代のオリジナルアルバムはこれが最後となる。

1996年、内向的かつ攻撃的であった前作のイメージとはうって変わって、大手レコード会社の契約から解放されたイメージの Emancipation を(EMI と1枚のみの配給合意)リリース。東京でワールドプレミアを開催した。 ワーナーから解放されたことを記念し、この時期には積極的にTVに出演し、プロモーションを行った。人気TV番組「マペット放送局」にも出演し話題となる。尚、マペット放送曲がNHKで放送された際、マペットたちと戯れるプリンスのセリフは石田彰が吹き替えを担当した。

1999年ワーナー・ブラザーズから、最後の契約枚数消化の為に未発表曲集The Vault〜 Old Friends 4 Saleが発表される。同じ年にアリスタと配給合意しアルバム Rave Un2 The Joy Fantastic を発表。プロデューサーとしてプリンスの名前がクレジットされる。

再度プリンスへ~そして復活[編集]

2009年、フランス・パリにて

2000年ワーナー・ブラザーズ傘下の出版会社ワーナー・チャペルが管理する出版権が切れるのを機に、自分の名前を正式にプリンスに戻すと発表。

2001年、プリンス名義としては9年ぶりのオリジナルアルバム The Rainbow Children を発表。宗教的でスピリチャルな内容で、ターニングポイントの作品。

ワーナー・ブラザーズを離れてからは主にオフィシャルサイト NPG Music Club を中心に活動していたが、2004年2月に第46回グラミー賞のオープニング・アクトをビヨンセと共演。3月にはロックの殿堂入りを果たし、授賞式でのプレゼンターはアウトキャストアリシア・キーズが務めた。4月にコロムビアと配給合意し、アルバム Musicology を発表。コンサートツアーが全米で年間最高の観客動員数と収益を記録し、第47回グラミー賞でも2部門を受賞。米音楽シーンの中心に返り咲いた。

2005年2月、人種差別問題や社会問題などについての認知度を高めたという功績が認められ NAACP Vanguard Award を受賞する。また、ハリケーン・カトリーナの被害救済にいち早くチャリティ曲 S.S.T. をネット配信した。12月、ユニバーサルと配給合意し、ニューアルバム 3121 からの先行シングル Te Amo Corazon をネット配信。

2006年3月にアルバム 3121 を発表、ビルボード総合アルバム・チャートで初登場1位を獲得した(通算4枚目の全米No.1アルバム、初登場1位は今回が初めて)。また、自身がプロデュースした「3121」という香水も発売したが、プロモーションを全く行わず、香水会社との裁判になってしまう。

5月には、アメリカンアイドル (シーズン5)ファイナルにゲストパフォーマーとして登場。

同年11月、ワーナー・ブラザーズ配給映画『ハッピー フィート』に、新曲Song of the Heartを提供。

ラスベガスリオを貸切り、3121クラブをオープン。翌年4月まで、毎週末にそこでライヴを行う。

2007年1月、『Song of the Heart』がゴールデン・グローブ賞主題歌賞を受賞。

2月4日に行われた第41回スーパーボウルのハーフタイムショーに出演し[3]、雨の中パープル・レインを含むメドレーを披露した。視聴率は、アメリカのテレビ史上3番目の高さで約3億人が見たといわれている。また、このパフォーマンスは2014年にビルボードがネット上で発表した「最も優れたスーパー・ボウル ハーフタイムショー ベスト10」で1位に輝いた。[4]

3月、NAACPの授賞式において、最優秀黒人アーティスト(イメージアウォード)を受賞。

5月31日、アメリカの携帯電話ベライゾン・ワイヤレスに、新曲「Guitar」を無料ダウンロードサービス開始。

7月24日に発売のニューアルバム「Planet Earth」が、同15日発売のイギリスの新聞デイリー・メールの日曜版、「The Mail On Sunday」に付録として無料で配布され、業界に波紋を広げる。

8月1日より、ロンドンのO2アリーナで、21公演を開始。

9月14日、ファンサイトに対して著作権侵害を理由に、写真、似顔絵、歌詞、アルバムジャケットなどの掲載を一切やめるよう通告がおこなわれた。それに対し、複数の大手ファンサイト運営者たちは「Prince Fans United」を結成、11月5日に抗議文を発表する。プリンスはその回答として11月8日に「F.U.N.K.」をネット配信した。

2008年2月、第50回グラミー賞にて、最優秀R&B男性ボーカル賞を受賞。

10月、2007年に行ったロンドンのO2アリーナ公演を記録したフォト・エッセイ本「21 Nights」(ライヴアルバム「Indigo Nights」が付属)をリリース。

11月、香水「3121」の売れ行きが不振であったのはプリンスが契約を無視してプロモーションを全く行わなかったためであると香水会社に訴訟を起こされる。最終的に裁判はプリンス側の敗訴に終わり、2011年9月、約400万ドルの賠償金支払いがプリンスに命じられた。

2009年3月2日、アメリカの大手小売りチェーンターゲットは、プリンスがかねてより製作していた3枚組のアルバムを同月29日に発売すると発表。プリンスの『Lotusflow3r』『MPLSOUND』と題された2枚のアルバムと、プリンス自身が発掘した新人女性シンガーブリア・ヴァレンティのデビューアルバム『Elixir』と組み合わせた3枚組アルバムとなる今回のアルバムは、大手レコード会社を通さず小売店と直接独占販売契約を結ぶという従来の音楽業界では異例の販売形態となった[5]。それに伴い、新オフィシャルサイトLOTUSFLOW3Rを公開した。

2010年代の活動[編集]

2010年1月、出身地であるミネソタ州が本拠地のミネソタ・バイキングスのトリビュートソングのレコーディングを行った[3]

6月7日、新曲Hot Summerを公開(この日は自身の誕生日でもある)。

7月10日、イギリスとベルギーの新聞に新作である『20ten』を付録として配布。

7月22日、ドイツの雑誌「Rolling Stone magazine」に『20ten』を付録として配布。

2012年11月、NPGのギタリストであるアンディ・アローのアルバムをプロデュース。

2013年1月、twitterに於いて「3RDEYEGIRL」なるアカウントがプリンスの新曲・スタジオライブ映像をYoutubeにアップロードし始める。その後、Youtubeに投稿された動画は削除されたため同アカウントとプリンスの関係が取沙汰されたが、「3RDEYEGIRL」で正式にサイトを開設し、プリンスの新曲や動画のダウンロード販売、コンサートのチケット販売が開始された他、「3RDEYEGIRL」がプリンスがプロデュースする女性グループである事が発表された。

2014年2月2日、米国FOXチャンネルの番組『New Girl~ダサかわ女子と三銃士 シーズン3』の2月2日放送回にプリンスがカメオ出演し、主演のズーイー・デシャネルをフィーチャーした新曲「FALLINLOVE2NITE」を公開した。

3月18日、新曲「FALLINLOVE2NITE」の配信リリースを午前0時より日本のiTunes Storeでスタート。

4月18日、古巣ワーナーブラザーズと新たに契約を結んだことが突然公式発表される。加えて新曲「ザ・ブレイクダウン」のデジタル配信もスタートされる。 なお名盤『パープル・レイン』発売から30周年ということもあり、代表作のリマスターやデラックス盤のリリースなども予定されている模様。以下はプリンスの弁 『実は新しいスタジオ・アルバムも予定しているんだ。僕とワーナーブラザーズはお互いの交渉にすごく満足しているし、このパートナー関係が実り多いものになるのを楽しみにしている。』

7月4日、「Essence Festival」のヘッドライナーを務めたプリンスが、同フェスに出演していたナイル・ロジャースのセットに飛び入りし、デヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」をカバー。

9月30日、プリンス名義で「Art Official Age」を、3rd Eye Girl名義で「PLECTRUMELECTRUM」を、前述のとおりワーナーブラザーズのライセンスの下でNPGレコードから同時にリリース。これは、プリンスにとって4年ぶりのスタジオアルバムのリリースとなった。発売時には、自らそのセレブレーションとして、自身の所有するスタジオであるペイズリーパークからネットを介した世界同時中継を慣行した。 この両作は、日本のオリコン週間チャートでも10位以内に入った。

音楽性・他アーティストとの関係[編集]

黒人でありながらロック音楽に革新をもたらした存在としてジミ・ヘンドリックススライ・ストーンと、また若年の天才マルチプレイヤーとしてスティービー・ワンダーと比較される事が多かったが、エレキギターという楽器に興味を持ったきっかけはアイク・ターナーであったという。また、ギタリストとしてはジミ・ヘンドリックスよりもジョニ・ミッチェルカルロス・サンタナの影響が大きいとインタビューで度々発言している。幼少時にジェームズ・ブラウンのバックバンドまで完璧にコントロールしたコンサートを観て「自分も同じようにやりたい」と思ったという。その他、カーティス・メイフィールドレッド・ツェッペリンPファンクにも多大な影響を受けた。

数多くの変名を持っている。Jamie Starrとして、ザ・タイムのデビュー・アルバムをプロデュース(メンバーの名前だけがクレジットされているが、実際にはプロデューサーのプリンスが作詞作曲演奏のすべてを行っている。)したり、Christopherとしてバングルスに「マニック・マンデー」(全米2位のヒット曲となる。ちなみにこの時の1位は、プリンスの「KISS」であった。)を提供した。他にもCamille(プリンスのアルバムに登場する)、Tora Tora(NPGでベーシストを担当した時に使用)等がある。

プロデューサーとして、ヴァニティ6(アポロニア6)やシーラ・Eジル・ジョーンズザ・ファミリー等を手掛け、その非凡さを証明する。特にザ・ファミリーに提供した曲「ナッシング・コンペアーズ・トゥー・ユー (Nothing Compares 2 U)」は、シネイド・オコナーがカヴァーし、世界中で大ヒットした。

シーナ・イーストンキム・ベイシンガーカルメン・エレクトラなどの魅力ある女性ミュージシャンから、マイルス・デイヴィスジョージ・クリントンラリー・グラハムメイシオ・パーカーといったジャズファンク・ミュージシャンと、多岐に亘ってセッションを行っている。また、マドンナアーニー・ディフランコグウェン・ステファニーチャックDともレコーディングを行っている。実現しなかったが、マイケル・ジャクソンも「BAD」を当初はプリンスとのデュエットとして作曲し、プリンスにレコーディングの依頼をし会食の段階まで行ったが、終始険悪なままプリンスは「この曲は君一人で歌ったほうが良いよ」と丁重に断ったとされる。マイケルは、2007年にも自身の復活ツアーへの出演をオファーした(が、プリンスが断った)。チャリティープロジェクトUSAフォー・アフリカの「ウィー・アー・ザ・ワールド」にも参加予定だったが、トラブルを起こし警察の事情聴取を受けたため、レコーディングスケジュールが合わず断念。代わりにアルバム楽曲提供を行った。

ケイト・ブッシュチャカ・カーントム・ジョーンズアート・リンゼイスペース・カウボーイ坂上忍松田聖子など、プリンスをカヴァーするミュージシャンはジャンルを問わず数多い。ヨ・ラ・テンゴのジェイムズ・マクニューは自身のソロプロジェクトDumpで全曲プリンスのカバーのアルバムを制作(ジャケットもParadeのパロディ)したがジャケットと内容にプリンスサイドからクレームがつき販売中止・回収となった。

プリンス自身もライブに於いてはジョニ・ミッチェルアレサ・フランクリン、さらにはレッド・ツェッペリンジャクソン5ザ・クラッシュレディオヘッドなど数多くのミュージシャンの曲をカバー演奏している。

プリンスの声域は、公式に発表された楽曲に基づくと、E2からB6の約4オクターブ半ほどとされる。ちなみに、一番低いのが「Daddy Pop」で一番高いのが「God」である。[6]

2014年にBusiness Insiderが発表した記事によると、現在の彼をミュージシャンとしてブッキングするために必要な金額は150万ドルから、最大で200万ドルにのぼり、音楽業界でも最も高い位置にいる。[7]

1989年発売の小比類巻かほるのアルバム『TIME THE MOTION』で「MIND BELLS」「BLISS」をプロデュースしている。

使用楽器[編集]

『Get Off』のPVで使用された、黄色のクラウドギター

主に、オリジナルデザインやベーシックデザインでは無いギターをメインに使う。市販モデルを使う場合も、独自に改造したものがほとんど。また、体格的な面から、通常よりも小さいサイズのギターを使う。EMGとエンドース契約をしている。

マッドキャット(Mad Cat)
テレキャスターモデルで、鼈甲柄のピックガードとウォールナットのセンターラインが特徴。シングルコイルが2つで、近年のメインギターの中で唯一のシングルコイルのみのタイプ。ヘッドは、ノーマルのテレキャス型。ボディ裏の部分に、ワイヤレスのシールドを組み込んであると思わしきカバーがついている。鼈甲の模様が豹柄に似ているため、ストラップも豹柄を使用。製造は、おそらく日本製のH.S.Andersonだが、Honerがアメリカで代理店販売していた物のため、プリンスの物はヘッドのロゴがHonerになっている。映画『パープルレイン』では、1曲目「Let's go Crazy」にて使用する姿が見られ、それ以来この曲をプレイする際は大体このギターを使用する他、「Purple Rain」以前の曲をプレイする時に最も使うことが少ない。アルバム「ダーティ・マインド」の頃から使用し始め、現在もメインのギターとして使用。プリンスは、このギターでの演奏終了後にストラップを肩からはずし、客席側に投げることが多い(多くの場合はステージ下でスタッフがキャッチする)。
クラウドギター (Cloud Guitar)
変形ギター。名前からして雲の形を象った物と考えられる。ピックアップはネック側にシングルコイル、ブリッジ側にハムバッカーの配置。元々はミネアポリスのギタールシアーが製作したモデルで、非常に多くのカラーリング・模様の物が存在する。その中には、ポジション・マークが♂マークと♀マークを合わせたような物になっているものやローマ数字の物、あるいはストラップピンの位置が異なる物等、時代時代で数多くのパターンが使用されていた。映画『パープルレイン』で初登場。ストーリー上において重要なアイテムとして扱われており、初めて「Purple Rain」を演奏したのも、このギター。映画に登場したのは、ボディが白色でパーツが金色の物。
「Purple Rain」をプレイする際は、ほぼ必ずこのギターを使用していた。
ONAツアーにおいて、レッド・ツェッペリンの「Whole lotta Love」などをプレイ後に白い布をかぶせるパフォーマンスを行い、引退。現在は、シンボルギターに取って代わられた。LUNA SEASUGIZOが、一時期同じボディ・デザイン(一部異なる)の物を使用していた。また、同じ形のベースが存在する。
モデルC (Model C)
ヌードツアーやAlphabet Streetのビデオで使用。変形ギター。スタインバーガーなどで知られる、いわゆるヘッドレス形のギターで、ボディの向かって右側から弓形のパーツがヘッド部分へと伸びる(これが偽のヘッドを形作る)独特な形状とネックのハイフレットの一部が斜めに切り取られたデザインにより、ボディとの間に開いた空洞などが特徴。ボディが白でパーツが金色。ピックアップはネック側にシングル、ブリッジ側にハムバッカーの2ピックアップ。登場後しばらくすると使われなくなったが、2010年になって再び使用しているのが確認された。同じ型のベースが存在する。
シンボルギター (The Symbol Guitar)
プリンスから改名してから使用。The Symbolを模った独特の変形ギター。ピックガードの部分がシンボルマークの空洞の部分に当たり、矢印型の方がヘッドになっており、ポジション・マークもThe Symbolとハートマークになっている。ピックアップの配置はネック側にシングルコイル、ブリッジ側にハムバッカーである点など、クラウドギターとの共通点が見られるが(正確にはシングルがボディ、ハムがピックガード上)、ロック式のトレモロユニットを装備している点などで異なる(ただし、トレモロユニットは途中から加えられた)。カラーリングは複数あるようで、黒色ボディーに金色のピックガードの物、白色ボディに金色のピックガードの物、金色のボディに黒色のピックガードの物、紫色に金色のピックガードの物などが今までに使われた。
特に、金色のボディの物は「Gold Experience」の頃に集中的に使用し、ミュージックビデオなどでその様子が見られる。
現在は、紫色のボディの物をメインで使用し、クラウドギターの代わりに「Purple Rain」などをこのギターでプレイする。紫の物は、「Habibi」と呼ばれる。
元々は、金色のモデルがオリジナルで、ドイツ人のギター職人によって作られたものであり、それ以降のものはプリンスのギター技師が作成している。[8]
ストラトキャスター
フェンダーのスタンダードモデル。2000年代に入って以降、クラウドギターに取って代わるように頻繁に使用するようになった。主にソニックブルーやオレンジなどの明るい色を使う。ピックガードはいずれも白色で、ピックアップはネック側にシングル(EMG SA)とブリッジ側にハムバッキング(EMG 81)の2つ。トレモロユニットもロック式のものに変更されている。2010年のW2Aでは、ユーリ・シスコフによって製作された全体がゴールドに塗装されたストラトキャスターを使用。その後チャリティーのためにオークションに出品。F1ドライバーのルイス・ハミルトンによって落札された。
Vox HDC-77
3rd Eye Girlとして活動するようになったころから使用。ボディにはペイントが施されている。
ワーウィック・サムベース
90年代の中ごろから使用。ヘッド、ネック、ボディ、ピックアップ、ブリッジにいたるまですべて純白のカラーリングで、ボディ部分に紫色で目の図柄が描かれている。主に、ステージ上でプリンス自身がベースによるパフォーマンスをする際に使われていたもので、現在は使われていない。

ディスコグラフィ[編集]

デビューから30年を数え、いまだに衰えを知らぬ創作意欲、および数千曲とも言われる膨大な楽曲ストックを後ろ盾に、そのアルバムのリリースパターンはデビュー以来一貫して「年(最低)1作品」が原則であった。(1983年はツアー活動、および映画制作等の関係でリリースが見送られている)

なお、2011年以降オリジナルアルバムの発表が行われていないが、その原因としてプリンスはインターネット上で横行する海賊行為を挙げており、以前から不快感をあらわにしていたYouTubeなどを挙げ「それらのサイトに規制をかけない限り、新たな作品はレコーディングしない」と2011年6月、イギリスの新聞『THE GUARDIAN』のインタビューの中で公言している。[9]

「業界は変わってしまった。海賊行為が頻繁に行われる前には、ネットでも金を稼ぐことはできた。でも今では電話会社、アップル、グーグル以外、オンラインで金を稼ぐことは誰もできなくなってしまったよ。著作権の保護については、自らホワイトハウスを訪れて訴えようとも思っているくらいだ。今の状況は、まるでゴールドラッシュやカージャックみたいなもので、まったく規制することができない。ミーティングなどに参加すると、周囲からは「君は理解していない。世の中は“食うか、食われるか”、私利私欲の世界なんだ」と言われる。だからこんな状況の下でのレコーディングは、当面見合わせることにしたんだ」


しかし、新たに3RDEYEGIRLの名義を使いながら(あるいは今までどおりプリンスという名前で)、自身のウェブサイト、iTunesTwitter、あるいは自らのYouTubeのページなどのネットを介して、アルバムにとらわれない形でさまざまな楽曲、あるいは映像を配信している。

オリジナルアルバム[編集]

  • フォー・ユー - For You(1978年)
  • 愛のペガサス - Prince(1979年)
  • ダーティ・マインド - Dirty Mind(1980年)
  • 戦慄の貴公子 - Controversy(1981年)
  • 1999(1982年)1999
  • パープル・レイン - Purple Rain (1984年 - サウンドトラック)
  • アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ - Around the World in a Day(1985年)
  • パレード - Parade(1986年 - サウンドトラック)
  • サイン・オブ・ザ・タイムズ - Sign "☮" The Times(1987年)
  • LOVESEXY - Lovesexy(1988年)
  • バットマン - Batman(1989年 - サウンドトラック)
  • グラフィティ・ブリッジ - Graffiti Bridge(1990年 - サウンドトラック)
  • ダイアモンズ・アンド・パールズ - Diamonds and Pearls(1991年)
  • ラヴ・シンボル - Love Symbol(1992年)
  • Goldnigga(1993年 : New Power Generation 名義)
  • ビューティフル・エクスペリエンス - The Beautiful Experience(1994年)
  • 1-800-NEW-FUNK - 1-800 NEW FUNK(1994年 - コンピレーション)
  • COME - Come(1994年)
  • ブラック・アルバム - The Black Album(1994年 : 録音は1986 - 1987年)
  • ゴールド・エクスペリエンス - The Gold Experience(1995年)
  • Exodus(1995年 : New Power Generation 名義)
  • ガール6 - Girl 6(1996年 - サウンドトラック)
  • カオス・アンド・ディスオーダー - Chaos and Disorder(1996年)
  • イマンシペイション - Emancipation(1996年)
  • クリスタル・ボール - Crystal Ball(1997年 - 未発表曲集)
  • The Truth(1997年)
  • Kamasutra(1997年 - インストルメンタル : NPG Orchestra 名義)
  • ニュー・パワー・ソウル - Newpower Soul(1998年 : New Power Generation 名義)
  • 1999: The New Master(1999年)
  • ザ・ヴォルト〜 オールド・フレンズ・フォー・セール - The Vault: Old Friends 4 Sale(1999年 - 未発表曲集)
  • レイヴ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック - Rave Un2 the Joy Fantastic(1999年)
  • Rave In2 The Joy Fantastic(2000年)
  • レインボウ・チルドレン - The Rainbow Children(2001年)
  • One Nite Alone(2002年)
  • One Nite Alone... Live!(2002年 - ライヴアルバム)
  • Xpectation(2003年 - インストルメンタル : NPG Music Club ネット配信)
  • N・E・W・S - N.E.W.S(2003年 - インストルメンタル)
  • ミュージコロジー - Musicology(2004年)
  • The Chocolate Invasion(2004年 - NPG Music Club ネット配信)
  • The Slaughterhouse(2004年 - NPG Music Club ネット配信)
  • C-Note(2004年 - ライヴアルバム : NPG Music Club ネット配信)
  • 3121(2006年)
  • プラネット・アース - Planet Earth(2007年)
  • Indigo Nights(2008年 - ライヴアルバム : フォト・エッセイ "21 Nights" に付属)
  • LotusFlow3r(2009年)
  • MPLSOUND(2009年)
  • 20Ten(2010年)
  • アート・オフィシャル・エイジ - ART OFFICIAL AGE(2014年)
  • PLECTRUMELECTRUM(2014年)

ベストアルバム[編集]

  • ザ・ヒッツ & Bサイド・コレクション - The Hits/The B-Sides(1993年)
  • ザ・ヒッツ1 - The Hits 1(1993年)
  • ザ・ヒッツ2 - The Hits 2(1993年)
  • ヴェリー・ベスト・オブ・プリンス - The Very Best Of Prince(2001年)
  • アルティメイト・ベスト - Ultimate(2006年)

ライヴツアー[編集]

Nude Tourでのプリンス(1990年)
  • Prince Tour (1980年)
  • Dirty Mind Tour (1980-1981年)
  • Controversy Tour (1981-1982年)
  • 1999 Tour (1982-1983年)
  • Purple Rain Tour (1984-1985年)
  • Parade Tour (1986年)
  • Sign "☮" The Times Tour (1987年)
  • Lovesexy Tour (1988-1989年)
  • Nude Tour (1990年)
  • Rock in Rio (1991年)
  • Diamonds And Pearls Tour (1992年)
  • Act I(1993年)
  • Act II(1993年)
  • 1993-1995 Concerts (1993-1995年)
  • The Ultimate Live Experience (1995-1996年)
  • Love 4 One Another Charities Tour(1996年)
  • Jam Of The Year Tour (1997-1998年)
  • Newpower Soul Tour(1998-1999年)
  • Rave Un2 The Joy Fantastic Promo Tour(1999年)
  • Hit 'n' Run Tour(2000-2001年)
  • A Celebration(2001年)
  • One Nite Alone... Tour(2002年)
  • Musicology Tour(2003-2004年)
  • Tamar Live w/ Special Guest Prince(2006年)
  • 3121 in Las Vegas(2006年)
  • The Earth Tour - 21 Nights In London(2007年)
  • 20Ten Tour(2010年)
  • Welcome 2 America(2010-2011年)
  • Welcome 2 America Euro Tour(2011年)
  • Welcome 2 Canada(2011年)
  • Welcome 2 Australia(2012年)
  • Live Out Loud Tour(2013年)

音楽フェスティバル[編集]

来日公演[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]