ビヨンセ

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ビヨンセ
2011
2011
基本情報
出生名 ビヨンセ・ジゼル・ノウルズ
Beyoncé Giselle Knowles
別名 B(ビー)
出生 1981年9月4日(31歳)
血液型 O型
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州ヒューストン
ジャンル R&Bポップソウル
職業 シンガーソングライター音楽プロデューサー女優ダンサー
担当楽器 ヴォーカル
活動期間 1998年 -
レーベル コロムビア・レコード アメリカ合衆国の旗
ソニー・ミュージックエンタテインメント 日本の旗
共同作業者 デスティニーズ・チャイルド
公式サイト www.beyonceonline.com

ビヨンセ・ジゼル・ノウルズ(Beyoncé Giselle Knowles, 1981年9月4日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身のシンガーソングライター音楽プロデューサーデスティニーズ・チャイルド初期からのメンバーで、グループではリードボーカル、プロデューサーも兼ねた。身長170cm。

その美貌は多くの女性達からの羨望を受け、トミー・ヒルフィガーの香水「トゥルースター」をプロデュースしたりと、いつしか知名度はデスティニーズ・チャイルドを超えた。

「最もホットな女性」「最も才能に溢れたシンガーソングライター」「伝説的なディーヴァ」など、様々な面での極めて高い評価上の称号を有する。愛称は“B(ビー)”。マイケル・ジャクソンを敬愛している。

これまでのCDトータルセールスは全世界で2500万枚以上、デスティニーズ・チャイルド時代を含めると全世界で5000万枚を超える。

目次

生い立ち[編集]

アフリカ系アメリカ人のマシュー・ノウルズ(Matthew Knowles)とルイジアナ・クレオールの祖先(アメリカインディアンフランス人の血を引く)を持つティナ(Tina)との間に、長女として生まれた。フランス領ルイジアナとのゆかりからフランス系の名「ビヨンセ」と命名される。Beyonce(発音は異なる)はティナの旧姓でもあった。7歳ごろのビヨンセはダンス・スクールに通い、教会聖歌隊員だった。

この頃はヒューストンの高校に通い、音楽の才能を磨いていた。2000年に卒業。

デスティニーズ・チャイルド[編集]

地元ヒューストンで「Girl's Tyme」というカルテットを組み、地道な活動をしていた。このグループは大きな成果を得られず、後に「デスティニーズ・チャイルド」に改名して、1998年にデビューした。

父マシュー・ノウルズはマネージャー、母ティナはデスティニーズ・チャイルドのファッションデザイナー。この家族経営は他の第一次デスティニーズ・チャイルドメンバーたちの反感を買い、マネージャーであるマシューを追い出そうとしたメンバーが、逆に追い出され、ビヨンセとケリー・ローランド以外のメンバー脱退に至ったといわれている。

2005年に、デスティニーズ・チャイルドは解散した。再結成の噂が度々浮上したが、実現に至っていない。

ソロ活動[編集]

2002年秋、ボーイフレンドと噂されていたジェイ・Zとのシングル「'03 ボニー&クライド」( '03 Bonnie And Clyde) を発表。2003年春、ロバータ・フラックダニー・ハサウェイの楽曲を元にした、ルーサー・ヴァンドロスとのデュエット「ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」(The Closer I Get to You) を発表。ヴァンドロスがフラックのパートを、ビヨンセはハサウェイのパートを歌い、この楽曲はビヨンセのデビュー・ソロ・アルバムとヴァンドロスのアルバム『ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー』(Dance With My Father) 共に収録され、グラミー賞ベストR&Bパフォーマンス賞のDuo or Group with Vocals部門を共有した。

2003-2004年:デンジャラスリィ・イン・ラヴ[編集]

2003年6月、デビュー・ソロ・アルバム『デンジャラスリィ・イン・ラヴ』をリリースした。ジェイ・Zをフィーチャリングしたファースト・シングル「クレージー・イン・ラブ」(Crazy In Love) は、8週連続ビルボード・ホット100シングルチャートで1位を記録し、この夏最大のヒットとなった。『デンジャラスリー・イン・ラヴ』はアメリカ、イギリス、カナダでポップアルバムチャート (ビルボード200)とR&Bアルバムチャートでトップを記録。アルバムはアメリカで400万枚、全世界では800万枚以上のセールスを記録。シングルとアルバムが同時にアメリカとイギリスでポップチャート1位を記録するのは1983年以来、女性では初の功績となった。彼女は、2003年最も商業的に成功を収める女性R&B歌手になるまで成長した。2004年は、アリシア・キーズに押されて女性で2位に転落したものの、アリシアもビヨンセを超えるほどのセールスを記録することはなかった。

夏の終わりにかけて、ダンスホール・レゲエのショーン・ポールをフィーチャーしたセカンド・シングル「ベイビー・ボーイ」(Baby Boy) はヒットチャートに浮上し、2003年のヒット曲の1つになった。秋はラジオでもヘヴィー・ローテーションされ、「クレージー・イン・ラブ」より1週長い9週連続1位を記録した。

「ベイビー・ボーイ」の成功からまもなく、3枚目のシングル「ミー、マイセルフ・アンド・アイ」(Me, Myself and I)、続いて翌年には4枚目のシングル「ノーティ・ガール」(Naughty Girl) をリリース。両曲は、ビルボード・ホット100でそれぞれ最高4位と最高3位を記録。2004年のグラミー賞授賞式では、ビヨンセはソロ活動でベスト女性R&Bボーカルパフォーマンス賞、ベストコンテンポラリーR&Bアルバム賞を含む5個のグラミー賞を受賞した。

2005-2007年:B'DAY[編集]

2005年9月にリリースされたアルバム『ソー・アメイジング〜オールスター・トリビュート・トゥ・ルーサー・ヴァンドロス』(So Amazing: An Allstar Tribute To Luther Vandross) では、スティーヴィー・ワンダーとのデュエット曲「ソー・アメイジング」(So Amazing) を収録。

2005年12月、ビヨンセはスリム・サグ (Slim Thug) をフィーチャーしたニューシングル「チェック・オン・イット」(Check On It) をリリース。この楽曲は、デスティニーズ・チャイルドのアルバム『ナンバーワンズ』、映画『ピンクパンサーサウンドトラックに収録されている。


2006年9月4日、誕生日であるこの日にセカンドアルバム『B'DAY』をリリース。日米当時発売で、当日は日本武道館で「HAPPY B'DAY PARTY」を開催。アルバム曲を世界初披露するなど、世界的に配信されるメモリアル・ライブとなる。アルバムからは、リードシングル「Deja Vu feat. Jay-Z」、「Ring The Alarm」がヒット。グラミー賞で4部門のノミネートを受けた。

2006年12月、サードシングルとして発売された「Irreplaceable」が、2007年1月に跨いで10週連続1位を記録。これまでのソロキャリアで最も1位にランクインした楽曲になった。この楽曲は、2007年Billboard Chart Single部門で年間1位を記録する。

2006年12月、同名のブロードウェイミュージカルを映画化した『ドリームガールズ』に主演。サウンドトラックもビルボードHot 200で1位を記録するヒットとなった。

2007年4月、シャキーラとのデュエットシングル「Beautiful Liar」をリリース。さらにワールド・ツアーを日本からスタート。10月には、このライブを収録したリミックスCD+ライブDVDをリリースした。

2008年3月、長年の恋人といわれていたジェイ・Zと結婚。友人や親族のみの結婚式を行うが、マスコミなどには結婚について詳細を一切語っていない。

2008年-2010年:I Am...Sasha Fierce[編集]

2008年11月、サード・アルバム『I Am...Sasha Fierce』をリリース。初の2枚組アルバムで、自身をより深く素直にクラシックに表現した「I Am」サイドと、情熱的でセクシーなステージ上のビヨンセを表現した「Sasha Fiears」サイドで構成されている。それぞれのサイドからリードシングルとして「If I Were A Boy」「Single Ladies」を発表。「If I Were A Boy」は、日本の音楽番組「ミュージックステーション」で世界初披露された。「Single Ladies」は、ビルボードチャートで、2009年1月時点で4週1位を獲得する大ヒットとなっている。2009年1月に行われた、バラク・オバマ大統領就任パーティーの裏側で、オバマがこの楽曲の振り付けを披露したことでも話題になった。オバマの次女の名前が「Sasha」であることから、ビヨンセに関心があったと絶賛した。このパーティーでは映画『Cadillac Records』(邦題:『キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語』)からの楽曲「At Last」も披露。チークダンスのテーマ曲としてパフォーマンスをした。

2009年2月、次のシングルとして「ヘイロー」「ディーヴァ」をそれぞれ発表。「ヘイロー」は、発表当初は爆発的なヒットに至らなかったが、自身主演の映画『Obsessed』の主題歌となり、ビルボードHot 100にて5位を記録するヒットとなった。6月には、「Ego」「Broken-Hearted Girl」を発表。「Ego」はカニエ・ウェストをフィーチャーしたリミックスも発表されている。8月には、日本でクリスタルガイザーのCMソングになっている「Sweet Dreams」を発表。この楽曲はアルバムリリース前に、自身のウェブサイトにて「Beautiful Nightmare」のタイトルで“新曲”として発表していたトラックだった。

2010年-現在:4、出産[編集]

2010年、ワールド・ツアー敢行の途中で発表されたグラミー賞で、本年度最多10部門でのノミネーションを記録。 1月31日に発表された授賞式で、本年度最多6部門で受賞し、歴代でも獲得数3位タイという偉業を成し遂げた。また、主要4部門の内のひとつ"Song of the Year"を「Single Ladies (Put a Ring on It)」で初めて獲得。

2010年2月、レディー・ガガのシングル『テレフォン』(Telephone)にフィーチャリングアーティストとして参加、同3月発表されたプロモーションビデオにも出演している。2010年3月15日、同曲がビルボードのポップソングチャートにおいて1位を獲得した。これにより、フィーチャーされたビヨンセは6曲の全米1位シングルを持つことになった。

2011年6月、4thアルバム「4」を発表。Billboard 200チャートで初登場1位となり、史上3人目となるデビューから4作連続首位を達成した。しかしリードシングル「Run the World (Girls)」の不振などでセールスは伸び悩んだ。

2011年8月に第1子の妊娠を発表、2012年1月7日に長女を出産した。2日後に夫ジェイ・Zが発表した楽曲「Glory」では、過去に流産した経験など子供を授かるまでの道のりが明かされている。「4」からのシングル「Love on Top」が2012年3-4月にBillboard R&Bチャートで7週連続1位を獲得した。

2012年5月25-28日、出産後初のライブ「Revel Presents: Beyoncé Live」をアトランティックシティで開催。この年死去したホイットニー・ヒューストンドナ・サマーの楽曲を取り上げ追悼した[1]

映画出演[編集]

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女優業にも興味を持っていたことから、特に演技の準備もせず、MTVメキ・ファイファーと共に、2001年にヒップホペラ(ヒップホップ・オペラの合成語)『カルメン』(Carmen: A Hip Hopera) に出演。これは、1954年にハリー・ベラフォンテドロシー・ダンドリッジが共演したミュージカル映画カルメン』のリメイクで、女優デビューした作品となった。

2002年7月、映画『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』では、フォクシー・クレオパトラ役でマイク・マイヤーズと共演。また、同映画サウンドトラックにザ・ネプチューンズプロデュースによるファースト・ソロ・シングル「ワーク・イット・アウト」を提供するも、イギリスでトップ10、オランダオーストラリアではトップ40と奮わなかった。アメリカでもラジオでほとんど曲が流れず、PVもMTV, VH1 Soulなどでわずかに露出しただけであった。

2004年、キューバ・グッディング・Jrと『ファイティング・テンプテーションズ』に出演。主題歌「ファイティング・テンプテーション」ではミッシー・エリオット、Free, Lyte M.C.をフィーチャリング。映画はほどほどの興行成績を収めたが、曲はそれほどヒットしなかった。

ザニア役としてクルーゾー警部役のスティーヴ・マーティンと共演する『ピンクパンサー』が 2006年2月10日アメリカ公開。日本では同年5月12日に公開。映画の主題歌になっているシングル「チェック・オン・イット フィーチャリング スリム・サグ」は5週連続全米1位を記録、PVでは全身ピンクに装ったビヨンセがダンスを披露。ピンク色のヒールブーツは、自身もファンであるBAPEの特注品である。

人気コーラス・グループ、シュープリームスをモデルにしたミュージカルドリームガールズ』の映画版に主演。ダイアナ・ロスをモデルにしたキャラクター、ディーナ・ジョーンズを演じる。カーティス役にジェイミー・フォックスのほかにエディ・マーフィジェニファー・ハドソンなどが出演。2006年12月にアメリカで公開され、ビヨンセはゴールデングローブ賞主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされた。

2008年12月全米公開のチェス・レコードを題材にした映画『キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語』では、ブルース・シンガー、エタ・ジェイムズの役で出演し、エタの代表曲「At Last」などを歌っている[2][3]

2009年4月24日に全米で公開されたサスペンス映画「obsessed」は、公開と同時に全米NO.1を記録。本作では出演のみならず、製作総指揮も兼任した。日本では劇場未公開となったが、「オブセッション 歪んだ愛の果て」という邦題で、2009年10月7日に日本版DVDが発売された。

2012年公開予定とされたリメーク映画「スタア誕生」(クリント・イーストウッド監督)で主演を務めることが決定した[4]が、妊娠・出産のため制作は延期されている。

ファッションブランド[編集]

2005年11月に、ファッション・ブランド「ハウス・オブ・デレオン」(House of Dereon, デレオンはビヨンセの祖母の名から)を、母親ティナと共に立ち上げる。それに先駆け、デスティニーズ・チャイルドワールドツアー中の9月9日、ファッション・ロックス・コンサートで実際に服を何着か着て披露した。メイシーズ(アメリカ)などの有名百貨店で入手可能。また、日本のジュエリーメーカーサマンサ・タバサと契約し、バッグやジュエリーのプロデュースに参加している。

人物・私生活[編集]

ヘアスタイルやヘアカラーを頻繁に変え、ロレアルのヘアカラーリング商品でテレビコマーシャルにも出演したが、本人の地毛は黒人特有のカーリーヘアであり、CM出演時も含めウィッグを愛用している。

そのワールド・ツアーにピアニストとして参加した唯一の日本人である辻利恵は、ビヨンセはメンバーそれぞれにソロパートを設けてくれるなど、バンド思いの人で、さらに裏表がない性格で、非常に優しい人物であると述べている[5]

妹のソランジュ (Solange Knowles) は、2004年にアルバム『ソロスター』でデビュー直後、デスティニーズ・チャイルドに加入するとの噂も流れたが、結局メンバーになることはなく、アメリカンフットボール選手のダニエル・スミス (Daniel Smith) との子を妊娠し、結婚する(後に離婚)。

論争[編集]

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2003年7月4日にテレビ放送されたアメリカ独立記念日祝典で披露した「クレージー・イン・ラブ」のパフォーマンスが、論争を巻き起こす。彼女がユリシーズ・S・グラント大統領の墓地の階段で、ふさわしくないダンスをしたとグラント・モニュメント協会は非難し、関係者に書状を送っている。これに対し、グラント大統領のひ孫にあたるチャップマン・フォスター・グラントは「いまの世の中、あの方法で誰が気にかける? だれが分かるか? 年寄りが生きていたら、楽しんだかもしれない」とコメントしている[6][7]

また、同年終わり頃に、ビヨンセは著作権侵害容疑でシンガーソングライタージェニファー・アーマーという若い少女から告訴される。ジェニファーは楽曲をビヨンセのレーベルに送ったが、許可なく使用された、また2003年にヒットしたビヨンセのシングル「Baby Boy」が自身の曲「Got a Little Bit of Love for You」の歌詞に似ていると主張。2006年10月頃、ヒューストン連邦裁判所は2つの曲が「ほとんど異なる」と原告側の訴えを全面的に却下する判決を下し、ビヨンセは無罪となった。ビヨンセは「今回のような訴訟が起きたことは残念だが、無罪となって安心したし、早く次に進みたい」とコメントを発表した[8]

2007年6月9日に、ダブリン(アイルランド)でのコンサート中、ステージ上で煙草を深く吸って吐き出す仕草の真似をした後、「最高ね」とつぶやくパフォーマンスをした。これに対し、アイルランド癌協会から「若者の間で影響力のあるビヨンセが、喫煙を魅力的なものとして推奨していることに対して腹立たしく、遺憾に思う。ビヨンセや彼女と同等の立場にある歌手には、自分たちの行動が将来ある若者に及ぼす甚大な影響について真剣に考えていただきたい」と抗議された[9]

彼女はよく公の場で毛皮製品を身に着けていたため、度々PETAから名指しで非難されていた[10]。同団体を支持する歌手のピンクからも『(毛皮を着ることを)問題ないとか、かっこいいって思ってるかもしれないけど、大間違い。何の毛皮を着てるのか知らないけど、ビヨンセがその動物から襲われればいいのにと思う」と非難されたこともある[11]。毛皮とは別件で飼っているペットのシーズー犬を放置しているという噂が流れたときには同団体に調査されるなど決して仲は良好ではなかったが、2007年頃からビヨンセが毛皮を身に着けなくなり、PETAとの関係は改善しつつある[12]

記録[編集]

  • アメリカ・イギリスで同時にアルバム・シングルともに1位を記録した、初の女性アーティスト。
  • 2003年に最もセールスを記録した女性R&Bアーティスト。
  • 2005年にアカデミー賞のベスト・オリジナル・ソング賞にノミネートされた5曲のうち、3曲をビヨンセが授賞式で歌った。
  • 5つのグラミー賞、4つのMTVビデオ・ミュージック・アウォーズ、Brit AwardsでBest International Solo Artist など、30以上の賞を受賞した。
  • 2005年MuchMusicの「最もセクシーな女性20人」では20位。前年は1位だった。
  • ビルボードシングルチャート「Crazy In Love」8週連続1位、「Baby Boy」9週連続1位、「Irreplaceable」10週連続1位
  • ビルボードシングルチャート「Single Ladies (Put A Ring On It)」4週連続1位。「If I Were A Boy」最高3位。「Halo」最高5位。「Sweet Dreams」最高6位。
  • 2010年のグラミー賞では女性アーティストとして最多タイ記録となる10部門でノミネートされ、主要部門とされる最優秀楽曲賞(「Single Ladies (Put A Ring On It)」)を初め6部門で受賞となった。これで自身の女性アーティスト最多の5部門受賞(2003年)の記録を塗り替え、6部門受賞という快挙を成し遂げた。

資産・収入[編集]

2009年4月、パレード誌が「セレブの年収」を発表し、8,000万ドル(日本円で約80億円)を稼いだことがわかった。夫のJay-Zの収入も8,200万ドル(日本円で約82億円)あり、夫妻の世帯年収は160億円を超えていることになった。[13]

2010年7月、経済誌フォーブス誌が2009年6月1日から2010年6月1日までの1年間で「最も稼いだ30歳未満のセレブリティ12人」を発表し、ビヨンセは8700万ドル(日本円で約78億3,000万円)を稼いで1位にランクインした。ビヨンセは音楽業を中心にコマーシャルや洋服のデザイナー業の収入があったという[14]2010年12月には「エンターテインメント業界で最も稼いだ人物」のランキングで、8,700万ドル(日本円で約71億3,400万円)を稼いで9位となった[15]

2011年4月、ピープル誌によると、ビヨンセ&Jay-Z夫妻がフランス・パリ中心部にある5つ星ホテルのLe Meuriceの一泊2万ドル(日本円で約170万円)のスイートルームに音楽機材を持ち込んで新アルバムのレコーディングをしたという。プライベートジェットでパリに到着したビヨンセとJay-Zはホテル内のスイートルームを宿泊用とビヨンセの新曲のレコーディング用に2部屋を借りて1部屋を即席のスタジオに変えたという。スイートルームにはプライベートキッチン、ダイニングルーム、そして広大なオープンテラスまで付いているという[16]

2011年6月、フォーブス誌が「最も稼いでいる30歳未満のセレブ」を発表し、昨年からの1年間で3,500万ドル(日本円で約28億円)を稼ぎ、8位にランクインした[17]2011年8月には、「世界で最もリッチなセレブのカップル」のランキングで、2010年のビヨンセの年収が3,400万ドル(日本円で約25億8,400万円)でJay-Zの年収が3,600万ドル(日本円で約27億3,600万円)となり、2位になった[18]

ソロツアー[編集]

  • Dangerously in Love Tour(2003)

ヨーロッパツアー。イギリス、アイルランド、オランダの三ヶ国で開催。

  • The Verizon Ladies First Tour(2004)

アメリカで開催。アリシア・キーズ、ミッシー・エリオットも参加。

  • The Beyoncé Experience(2007-2008)

自身初のワールドツアー。アジア、オーストラリア、ヨーロッパ、北アメリカ、アフリカを含む、計97公演。

  • I Am… Tour(2009-2010)

自身二度目のワールドツアー。北アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア、中東、南アメリカを含む、計107公演。

広告[編集]

ディスコグラフィー[編集]

アルバム[編集]

シングル[編集]

  • ワーク・イット・アウト - Work It Out (2002年)※ソロ・デビューシングル
  • クレイジー・イン・ラヴ - Crazy In Love feat. Jay-Z(2003年)
  • ベイビー・ボーイ - Baby Boy (2003年)
  • ミー・マイセルフ・アンド・アイ - Me, Myself And I(2003年)
  • ノーティー・ガール - Naughty Girl(2003年)
  • サマー・タイム/ファインティング・テンプテーション - Summer time/Fighting Temptations(2004年)
  • チェック・オン・イット - Check On It(2006年)
  • デ・ジャ・ヴ - Deja Vu featuring Jay-Z (2006年)
  • リング・ジ・アラーム - Ring The Alarm (2006年)
  • イレプレイスブル - Irreplaceable(2006年)
  • リッスン - Listen(2006年)
  • ビューティフル・ライアー〜華麗なる反撃 - Beautiful Liar feat. Shakila(2007年)
  • イフ・アイ・ワー・ア・ボーイ - If I Were a Boy(2008年)
  • シングル・レディース (プット・ア・リング・オン・イット) - Single Ladies (Put a Ring on It)(2008年)
  • ディーヴァ - Diva(2009年)
  • ヘイロー - Halo(2009年)
  • エゴ - Ego (2009年)
  • ブロークン・ハーテッド・ガール - Broken-Hearted Girl(2009年)
  • スウィート・ドリームズ - Sweet Dreams (2009年)
  • ヴィデオ・フォン - Video Phone (2009年)
  • ラン・ザ・ワールド(ガールズ) - Run the World (Girls)(2011年)
  • ベスト・シング・アイ・ネヴァー・ハド - Best Thing I Never Had(2011年)
  • カウントダウン- Countdown(2011年)
  • パーティー - Party feat. André 3000(2011年)
  • ラブ・オン・トップ - Love on Top(2012年)
  • エンド・オブ・タイム - End of Time(2012年)

映画[編集]

DVD[編集]

  • パンクト セカンド・シーズン - Punk'd The Complete Second Season (2005年)

脚注[編集]

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  1. ^ “ビヨンセ、復帰コンサートでホイットニーとドナ・サマーを追悼”. bmr.jp. (2012年5月28日). http://bmr.jp/news/detail/0000013323.html 2012年6月3日閲覧。 
  2. ^ Cadillac Records - Official Site (Song Pictures)
  3. ^ Cadilaac Records on IMDB database
  4. ^ “リメイク版『スタア誕生』、ビヨンセにC・イーストウッドも?”. bmr.jp. (2011年1月24日). http://bmr.jp/news/detail/0000010166.html 2012年6月3日閲覧。 
  5. ^ 熊本日日新聞、2008年2月14日。
  6. ^ Vide-net (2003年7月16日). “Beyonce アメリカ独立記念日の恒例イベントで“セクシーすぎ”と批判”. 2009年2月9日閲覧。
  7. ^ Gary Susman (2003年7月14日). “Beyonce's July 4 shimmy at Grant's Tomb raises ire”. 2013年2月1日閲覧。
  8. ^ Vide-net (2006年10月4日). “Beyonce 歌詞盗作の訴えを裁判所が棄却!”. 2009年2月9日閲覧。
  9. ^ Vide-net (2007年7月5日). “Beyonce 喫煙の“美化”でガン協会からクレーム”. 2009年2月9日閲覧。
  10. ^ BARKS (2004年12月29日). “ビヨンセ、再び動物愛護団体PETAから名指しで非難される”. 2009年2月9日閲覧。
  11. ^ BARKS (2006年11月14日). “ピンク、毛皮を着続けるビヨンセを非難”. 2009年2月9日閲覧。
  12. ^ TSUTAYA online (2009年1月23日). “ビヨンセがペットを放置?噂の真相をPETAが調査”. 2009年2月9日閲覧。
  13. ^ http://www.cinematoday.jp/page/N0017682
  14. ^ http://www.cinematoday.jp/page/N0025880
  15. ^ http://www.cinematoday.jp/page/N0029300
  16. ^ “パリ滞在中のビヨンセ&Jay-Z、一泊170万円のスイートでレコーディング!?”. シネマトゥデイ. (2011年4月28日). http://www.cinematoday.jp/page/N0032012 2011年6月19日閲覧。 
  17. ^ “レディー・ガガ「30歳未満で最も稼いでいるセレブ」のトップに!25歳で年収約72億円-米フォーブス誌”. シネマトゥデイ. (2011年6月15日). http://www.cinematoday.jp/page/N0033058 2011年6月17日閲覧。 
  18. ^ http://www.cinematoday.jp/page/N0034803

外部リンク[編集]