ブリトニー・スピアーズ

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ブリトニー・スピアーズ
ブリトニー・スピアーズ(2009年3月撮影)
ブリトニー・スピアーズ(2009年3月撮影)
基本情報
出生名 Britney Spears
出生 1981年12月2日(27歳)
Flag of the United States.svg アメリカ合衆国 ルイジアナ州 ケントウッド
ジャンル ポップス
活動期間 1996年~現在
レーベル ジャイヴ・レコード
公式サイト www.britneyspears.com
  

ブリトニー・スピアーズBritney Spears, 1981年12月2日 - )は、アメリカ合衆国女性歌手。日本での愛称はブリ、ブリちゃんなど。現在は二児の母。身長163cm[1]

目次

[編集] 来歴

[編集] 生い立ち

アメリカミシシッピ州にて、小学校教師の母と建築請負業者の父の間に生まれルイジアナ州で育つ。 幼い頃からダンス・サークルで踊ったり、教会合唱団に参加して歌を唄う。8歳にディズニー・チャンネルの「ミッキーマウス・クラブ」のオーディションに応募するも、「年齢が低過ぎる」という理由で落選する。だが、番組プロデューサーがニューヨークにある「プロフェッショナル・パフォーミング・アートスクール」に入学するよう薦める。 そのスクールでブリトニーは3年間学んだ。(他には9歳まで体操選手として訓練を受け、州大会で競技するレベルになっている)

最初に注目を浴びたのは11歳の頃。「スターサーチ」という勝ち抜きオーディション番組で第1週目を勝ち、注目を集めるも、最終的には敗退している。

その後、「ミッキー・マウス・クラブ」のオーディションに再び応募し合格。この番組で13歳までレギュラー出演をする。番組が終了後、一旦地元のルイジアナ州ケントウッド市に戻り、高校生として1年間学生生活を送る。

16歳の頃、女性ポップ・グループの「イノセンス」に短い期間加わる。その同じ年の後半、ソロとしてデモをレコーディング。これがジャイブ・レコードから契約を得る大きなキッカケとなる。ここから当時売れていたイン・シンクバックストリート・ボーイズの前座を務める仕事を受けるようになる。

[編集] 歌手としての成功

Baby One More Time (1).jpg

16歳でシングル「...Baby One More Time(ベイビー・ワン・モア・タイム)」(1998年10月)でデビュー。同シングルは全世界で915万枚の売り上げを記録し、世界19ヶ国でプラチナム・ディスクを受賞。同名デビュー・アルバム(1999年)はバックストリート・ボーイズで有名なマックス・マーティンや、ホイットニー・ヒューストンを手掛けたエリック・フォスター・ホワイトらによって製作され、アメリカだけで1726万枚、全世界トータル3000万枚のセールスを記録し、35ヶ国でプラチナム・ディスクを獲得。発売から1年以上にわたりチャートに登場するロングセールスを記録した。

2000年5月、2枚目のアルバム『Oops...I Did It Again(ウップス…アイ・ディド・イット・アゲイン)』はアメリカで1300万枚、全世界トータル2096万枚の売り上げを記録。日本でも35万枚の売上。先駆けて発売された同名シングルのラジオオンエアは、1週間で155局のプレイ・リストにエントリー。アメリカの最高記録を塗り替えた。

デビュー当初は清純路線で、同期のクリスティーナ・アギレラと比べられていた。

アメリカで650万枚、全世界トータル1200万枚を認定した3枚目のアルバム『Britney(ブリトニー)』(2001年)の頃からセクシー路線に切り替わり、アルバム『In The Zone(イン・ザ・ゾーン)』(2003年)では、完全にイノセントなアイドル性を払拭、セクシーなダンス・ビートをベースにしたサウンドで聞き手を圧倒させ、アメリカで430万枚、全世界トータルで800万枚を記録。同アルバムに収録されている曲「Everytime(エヴリタイム)」のミュージックビデオでは自殺未遂、ドラッグといった描写が問題となり、カットされた。

ブリトニー・スピアーズのミュージック・ビデオ‘TOXIC’が、イギリスのテレグラフ紙の行った“The Sexiest Music Video”(もっともセクシーなミュージックビデオ)のランキング1位に選ばれた。

2004年に発売されたベストアルバム『Greatest Hits: My Prerogative(グレイテスト・ヒッツ:マイ・プリロガティヴ)』はアメリカで230万枚、全世界トータル600万枚を越え、日本でもオリコン初登場1位を記録し、80万枚を超えるなど世界中で大ヒット。

2007年発売の『Blackout(ブラックアウト)』は全世界300万枚を売り上げ、フランスで開催されたNRJ Awardsでベスト・インターナショナル・アルバム賞を獲得。

2008年発売の『Circus(サーカス)』は全米初登場1位をとり、6週連続でTOP10内にランクインしている。全世界で400万枚のセールスを突破し、ブラックアウトの売上を抜いた。

次のアルバムに新曲「3」を含むベスト盤の「コンプリート・ヒット・シングルズ」を発表。日本ではスタンダード・ヴァージョンとボーナスDVD付きのデラックス・エディション2タイプが11月25日にリリースされる予定。新曲「3」はブリトニーのデビュー曲「ベイビー・ワン・モア・タイム」や「ウップス!・・・アイ・ディド・イット・アゲイン」、最新作の「イフ・ユー・シーク・エイミー」などを手掛けたマックス・マーティンによる作品。

現在最も売れた女性アーティストとして正式に認定され、これまでにリリースした5枚のオリジナル・アルバム全てが全米チャートNo1を獲得し、全世界トータル・セールス8500万枚を誇るスーパーアーティストである。

[編集] 私生活

2000年にイン・シンクジャスティン・ティンバーレイクと交際するが、のちに破局。

2004年1月、酔った勢いでネバダ州ラスベガスで幼なじみと結婚するも、すぐに婚姻無効を申請するという騒動を起こした。9月には妊娠中の恋人を捨てたダンサー、ケヴィン・フェダーラインen:Kevin Federline)と結婚。同年11月ベストアルバム『Greatest Hits: My Prerogative』を発売(アルバムのタイトルにもなっているヒット曲「My Prerogative」はボビー・ブラウンのカバー曲)、休業宣言をし妊娠を公式発表。

2005年9月14日に帝王切開で長男のショーン・プレストン(Sean Preston)を出産。母親になってもニューアルバムの製作は続いていた。公式サイトにてアルバム曲中の「Someday (I Will Understand)〈サムデイ〉」のミュージックビデオを披露。大きくなった腹をさするシーンもある。出産数ヵ月後に第二子を妊娠。

2006年9月12日に次男のジェイデン・ジェームス(Jayden James)を出産。11月7日、ケヴィン・フェダーラインとの約2年間の結婚生活に終止符を打とうとロサンゼルス郡高等裁判所に離婚を申し立てた。理由は夫との「妥協しがたい不一致」。その後離婚協議の結果、翌年2007年3月に親権は共同保有、ブリトニー側からケヴィンに慰謝料を支払うことで合意し、7月に離婚が成立した。復縁はないとされている。

ブリトニーにはドラッグアルコールを常用している疑いがあり、子どもより自分を優先する行動、無免許運転による事故で起訴される[2](後に起訴は棄却[3])といった問題が絶えないため、裁判所は2007年10月に親権を剥奪し、ケヴィンに完全譲渡すると発表した。

[編集] 奇行・復帰

2007年初頭より精神不安定のためか突然自らバリカンを持って坊主頭にしたり[4]パパラッチを傘で叩いたりなど迷走していた。家族や関係者の説得もあって3月下旬までドラッグ・リハビリのため更生施設に入所。ダンススタジオに通いボイストレーニングをするなど復帰の準備を本格的に開始。5月1日、2004年6月のアイルランド公演以来約2年10ヶ月ぶりにカリフォルニア州サンディエゴライブハウスで15分ほどのライブパフォーマンスを披露した。全て口パクであったがそれでもファンは待望のステージ復帰に喜んだ。

フロリダ州オーランドマイアミでのミニライブの往路、革製のシートがないという理由で飛行機を降り、離陸時間を1時間遅らせる。その後のオーランドでのライブでは口パクで「Do Somethin'(ドゥ・サムシン)」を歌っている最中に、バックに流れていたCDが音飛びして何度も同じところを繰り返し、仕方なく観客に背を向けてごまかした。 7月、シンディ・ローパーのコンサートに特別出演する予定だったブリトニーが急きょ出演をキャンセル。理由は、口パクではなく生で歌うことが条件だったためと言われる。

8月に新曲「Gimme More(ギミ・モア)」を発表。楽曲の評価は比較的高いが、9月にMTV Video Music Awardsでパフォーマンスをし、高視聴率をマークすることは出来たが精彩を欠き、華々しい復活を印象付けることはできなかった[5]。ダンスにまるでキレがないうえに顔は無表情であり、露出度の高い衣装で崩れた体型が目立ち、口パクのタイミングも合っていなかった。このため各メディアやネット上で、「ブリトニー、復帰失敗」などと酷評を受けた。

10月には、裁判所が命じた事前に日時を特定しない薬物検査を受けなかったため親権を失い、面会権のみに制限されたが、その面会権も一時的に差し止められた。

11月に4年ぶりとなるオリジナルアルバム『Blackout(ブラックアウト)』を発売する予定だったが、インターネット上での流出があまりにひどいために、急遽10月30日に発売が早まった。『Blackout』からの先行シングル「Gimme More」はプラチナムを獲得した。アートワークの中には挑発的な服装をしたブリトニーが教会の懺悔室の中で神父と並んで写っている写真があり(うち1枚は彼女が神父の膝の上に乗っている)、カトリック教会から「教会を嘲るのをやめ、エンターテイナーとして徹するべきだ」と強い抗議を受けた。なお、日本版の発売は予定通り11月14日である。 ビルボードチャートでは1週間に29万枚のセールスを記録し、5作連続の1位も期待されたが、イーグルスの『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』に阻まれ初登場2位(日本では4位)。

2008年1月3日、ブリトニーはこの日の午後、ビバリーヒルズの自宅で2人の息子と過ごしていたが、元夫ケヴィン側に息子たちを引き渡すことを拒否。警察が出動する事態になり、ブリトニーは何らかの物質による合併症状を発症しているとされ、精神状態の医学検査を行なうため救急車で病院に搬送された[6]。5日には病院を退院した。この騒動により子供達との面会権を失ってしまう。

1月31日、ブリトニー自身もしくは他の人たちに危険を及ぼす可能性があるとしてカリフォルニア大学ロサンゼルス校医療センターに搬送された[7]。 3日間の集中鑑定・治療の結果、引き続き14日間の治療が必要と診断されていたブリトニーが、2月6日午前11時30分頃に入院していたUCLA病院の精神病棟を緊急退院した。UCLA病院の担当医は、法律の下にブリトニーを入院させていたが、ブリトニーの容体は安定し、自分や他人に危害を加える恐れはないと判断し、ブリトニーが退院を望んでいるために、これ以上の入院は必要ないと判断した。入院直後は抵抗していたブリトニーだったが、病院内では診察に協力的でとてもおとなしかったという。

その後、父親のジェイミー・スピアーズがロサンゼルス地方裁判所により成年後見人として選出され権限を与えられてブリトニーをサポートしている[8]

2月22日、1月3日以来会っていなかった息子達の面会権を得ることが出来た。 2月中旬から6~15歳で15名位のダンスレッスンの講師をブリトニーが行い、子供やその親から絶賛されている。クラスの子供は全員ブリトニーが大好きで、子供の親も「子供と一緒にいるブリトニーは素晴らしいの一言です。子供はいつもブリトニーと一緒に踊って、ブリトニーがきっかけを与えてくれたんです」と絶賛。そしてブリトニー自身もかなり癒され、楽しんでいるという。また子供たちと一緒に撮った写真をフォト・エージェンシーを通して世の中に売り出し、売り上げは子供達のガン治療を行うテネシー州メンフィスのSt.Jude Children's Research Hospitalに贈られチャリティーにも貢献している。

[編集] 完全復活

2008年3月24日、CBSで人気放送中のコメディードラマ『How I Met Your Mother(ハウ・アイ・メット・ユア・マザー)』にゲスト出演し、1067万人の視聴者を獲得し、放送開始からの3年間で過去最高記録をマークした。いまだにブリトニーに対する注目度が高いことを証明したことになる。TVにカメオ出演するのは、2006年のNBC『Will & Grace(ウィル&グレース)』以来となる。また、ブリトニーがドラマの中で着ていた衣装がチャリティー・オークションに出品され、集まった収益金は環境保護団体天然資源保護協議会に送られた。 

6月25日には子供達と一晩過ごせる権利を裁判所から下され、2006年の離婚以来続いていた親権争いは7月18日に和解が成立した。 和解では、フェダーラインが息子2人の親権を維持することとなった。

そして9月7日、MTV Video Music Awardsのメインとして元気な姿を見せ、見事3冠をもらい華々しい復活を遂げた。そしてまた、12月の自身の誕生日の2日に復活作『Circus(サーカス)』をリリース。ファーストシングルの「Womanizer(ウーマナイザー)」が9月26日にラジオで解禁された。その「Womanizer」はitunes USAで一週間に28万6千ダウンロードされ、Billboard Hot 100にて96位から1位という当時歴代最高のジャンプアップによりシングル「...Baby One More Time(ベイビー・ワン・モア・タイム)」以来の1位を獲得した[9]

2008年はブリトニーの年と言われ、2008年のyahoo検索ワードで1位だった[10]。過去8年のうち7年間はブリトニーが1位をとっている。

2009年に開催されたの音楽祭“NRJアウォーズ”では“最優秀インターナショナル女性アーティスト”およびシングル「Womanizer」での“最優秀シングル”と、2部門で賞に輝くなど健闘をみせた。「Womanizer(ウーマナイザー)」はブリトニーのシングルの中で最も売れたシングルとなった。

そして、発売2ヶ月で前作を超える全世界セールス400万枚を突破したアルバム「サーカス」。まさに完全復活を果たしたブリトニー・スピアーズが、3月3日、生まれ故郷のあるルイジアナ州のニュー・オリンズ・アリーナにて、約5年振りとなるツアー<THE CIRCUS STARRING BRITNEY SPEARS>をスタートさせた[11]。このツアーは、29都市36公演のほぼ全てが約2万人収容の大会場、計50万人以上を動員する大アリーナ・ツアー。6月3日よりロンドンのO2アリーナで8公演を開き、ロンドンだけで十数万人を動員した。

米Yahoo!が発表した、21世紀最も売れたシングルトップで、ブリトニーは4位 Toxic、5位 Womanizer、6位 Oops!... I Did It Again でTop20のうち3曲もランクインした。ほかに、3曲ランクインしたのは、シャキーラだけである。

2009年10月にブリトニーのニューシングル"3"が、約25万5千回ダウンロードされ、Billboard Hot 100で自身3曲目の1位を初登場で獲得した。初登場のシングルが1位に輝いたのは、テイラー・ヒックスの「Do I Make You Proud」(2006年)以来3年ぶり。また、米人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」出身者ではないアーティストがビルボードで初登場1位を獲得したのは、セリーヌ・ディオンR・ケリーの「アイム・ユア・エンジェル」以来11年ぶりとなる。また1位をとったことをツイッターでは、『私のファンに“3”がBillboard Hot 100で1位になれたことにお礼を言います。私は世界で最も偉大なファンに恵まれていると思ってます。 私は、みんなのために頑張っているので、みんなが3を好きならとても満足です。~ Britney』とコメントしている。同月、イギリスのパーク・クリスマス・セイビングが行ったアンケートで、セレブママの1位に選ばれた。

[編集] 音楽

詳細は「ブリトニー・スピアーズの作品」を参照

[編集] アルバム

[編集] シングル

[編集] DVD/ビデオ

[編集] 映画出演

2002年、映画「ノット・ア・ガール」で映画初主演をする。映画の興行成績は全米で初登場2位を記録したが、すぐに10位以下になり、ブリトニーはラジー賞の最低主演女優賞・最低主題歌賞を受賞。なお、主題歌の「I'm not A Giri, Not yet A Woman(ノット・ア・ガール)」も本人が歌っている。 

[編集] 日本公演

[編集] 関連作品・商品

[編集] 映画

[編集] テレビ

[編集] 著書

  • "Britney Spears' Heart To Heart"(母親リンと共著)
  • "A Mother's Gift"(母親リンと共著)

[編集] ゲーム

[編集] 香水

2004年に、エリザベス・アーデン社監修の下、ファーストフレグランスの"Curious(キュリアス)"を発表。

  • "Curious"(2004)
ボトル・デザインは、ブリトニーがロンドンアンティーク・ショップで見つけたボトルをモチーフにしている。
  • "Fantasy"(2005)
  • "Curious In Control-New Limited Edition"(2006)
  • "Midnight Fantasy"(2007)
  • "Believe"(2007)
  • "Curious Heart"(2008)
限定デザインのボトル。香りはCuriousと同一。

[編集] 受賞/ノミネート

[編集] グラミー賞

  • 2000 "Best New Artist" ノミネート
  • 2001 "Favorite Female Artist Pop or Rock Music" ノミネート
  • 2001 "Favorite Album Pop or Rock Music" ノミネート
  • 2005 "Best Dance Recording" 受賞

[編集] アメリカン・ミュージック・アウォーズ

  • 2000 "Best Pop Vocal Album" ノミネート、
  • 2000 "Best Female Pop Vocal Performance" ノミネート
  • 2001 "Best Pop Vocal Album" ノミネート、
  • 2001 "Best Female Pop Vocal Performance" ノミネート

[編集] TEEN CHOICE AWARDS

  • 2000 "Favorite Female Artist" 受賞
  • 2000 "Female Hottie of the year" 受賞

[編集] ゴールデンラズベリー賞 

  • 最低主演女優賞:『ノット・ア・ガール
  • 最低主題歌賞:『I'm Not A Girl, Not Yet A Woman』(『ノット・ア・ガール』)
  • 最低助演女優賞:『華氏911

[編集] 脚注

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  1. ^ Britney Spears - Biography - IMDb
  2. ^ "B・スピアーズ、交通違反に関連して警察に出頭". REUTERS (2007-08-01). 2009年11月8日 閲覧。
  3. ^ "B・スピアーズ、運転免許不携帯の起訴棄却". REUTERS (2008-10-22). 2009年11月8日 閲覧。
  4. ^ "ブリトニー・スピアーズ、なんとスキンヘッドに". REUTERS (2007-02-18). 2009年11月8日 閲覧。
  5. ^ "B・スピアーズ、MTVアワード授賞式で復帰". REUTERS (2007-09-10). 2009年11月8日 閲覧。
  6. ^ "米歌手スピアーズさんが救急車で病院に". AFPBB News (2008-01-04). 2009年11月7日 閲覧。
  7. ^ "米歌手スピアーズさん、再び救急車で病院に". AFPBB News (2008-01-31). 2009年11月7日 閲覧。
  8. ^ "ブリトニーさんの父親、成年後見人期間が無期限に". AFPBB News (2008-10-29). 2009年11月7日 閲覧。
  9. ^ "B・スピアーズ、シングルチャートの首位獲得". REUTERS (2008-10-16). 2009年11月8日 閲覧。
  10. ^ "08世界ヤフー検索ワードランキング、ブリトニーが1位". AFPBB News (2008-12-02). 2009年11月7日 閲覧。
  11. ^ "ブリトニー完全復活!米ニューオーリンズで5年ぶりのツアーがスタート". AFPBB News (2009-03-04). 2009年11月7日 閲覧。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ