マーヴィン・ゲイ

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マーヴィン・ゲイ
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基本情報
出生名 マーヴィン・ペンツ・ゲイ・ジュニア
出生 1939年4月2日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
死没 1984年4月1日(満44歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンジェルス
ジャンル R&B, モータウン・サウンド, ドゥーワップ, ソウル, ブルース, ノーザン・ソウル, ゴスペル, ファンク
職業 シンガー・ソングライター, コンポーザー, ミュージシャン, プロデューサー
担当楽器 ヴォーカル, キーボード, ドラムス, パーカッション
活動期間 1958年1984年
レーベル モータウン (タムラ-モータウン), コロムビア
共同作業者 ザ・ムーングロウズ, マーサ&ザ・ヴァンデラス, タミー・テレル, ジ・オリジナルス, メリー・ウェルス, キム・ウェストン, ダイアナ・ロス, ハーヴィー・フークア

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マーヴィン・ゲイMarvin Gaye, 本名:Marvin Pentz Gay, Jr. 1939年4月2日 - 1984年4月1日)は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.出身のソウルR&B歌手モータウンレーベル出身。ソロシンガーとして高い評価を受ける一方で、常に独創的なアイディアを持った先駆的な楽曲を数多く制作し、生前は言うに及ばず、没後も多くの黒人ミュージシャンを含む、世界のミュージシャンに大きな影響を与え続けるクリエイターである。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第6位[1]

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第18位。

Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第6位[2]

経歴[編集]

厳格な牧師の息子として生を受け、地元の教会聖歌隊に参加したことがシンガーとしての第一歩である。歌と同時にピアノドラムといった、いくつかの楽器の演奏技術も習得し、音楽の下地を養った。音楽に没頭するきっかけは、彼の父親の常軌を逸した躾であり、精神的な虐待であった。この悲劇的な側面は、後の彼の人生に大きな暗い影を落とすこととなる。

学業を終え、空軍に入り除隊した後に彼は、ドゥーワップ・コーラスグループ「マーキーズ」の一員として活動を開始する。いくつかのグループを渡り歩くうちに実力をつけた彼は、デトロイトで公演した際に、モータウンレコードの社長であるベリー・ゴーディ・ジュニアにその才能を見出され、同レーベルでソロシンガーとしてのキャリアを踏み出すこととなる。

モータウンに所属していた初めのうちはドラマーとしても活動しており、同レーベルに属した優れたスタジオ・ミュージシャンとの親交を深めた。この経験は後に、楽曲を制作する際に、適材を起用し、演奏者の技術を最大限に引き出すという部分に生かされていくこととなる。特にベーシストであるジェームス・ジェマーソンは彼の作品に大きな貢献を果たし、数々の作品を生み出すこととなる。やがて、ソロシンガーとしていくつかの作品を出すうちに、少しずつシングルの売上も伸び始め、また、社長の実の姉であるアンナと結婚したことも弾みとなってか"I Heard It Through the Grapevine"(「悲しいうわさ」)、"Can I Get a Witness"(「キャン・アイ・ゲット・ア・ウィッネス」)、"How Sweet It Is (To Be Loved By You)"(「ハウ・スウィート・イット・イズ」)などのヒットシングルを生み出した。フランク・シナトラナット・キング・コールの洗練と、ゴスペルの影響を受けたサム・クックジャッキー・ウィルソンの力強さを兼ねそろえた彼の資質は、モータウン所属の歌手の中でも、とりわけ高い人気を誇ることとなった。

特に1960年代の中期で彼の人気を決定付けたのは、同レーベル所属歌手のタミー・テレルとのデュエットである。息の合った二人のデュエットは高い人気を誇り、"Ain't No Mountain High Enough"や"Ain't Nothing Like the Real Thing"などの現在でも愛されつづける曲を数多く世に送り出した。

しかし、タミー・テレルが脳腫瘍で夭折したことがきっかけで、一時期歌手活動を休止してしまう。パートナーであった彼女の不在と共に、刻々と変化する時代に対して、自分が今までの持っていた音楽性に疑問を持ち始めたことも大きな要因であった。やがて、ベトナム戦争から復員してきた弟と再会したことをきっかけにまた新たな音楽性をあらわすこととなる。

円熟期[編集]

1971年、アルバムWhat's Going On(『ホワッツ・ゴーイン・オン)』を発表する。華麗で美しい楽曲と隙のない緻密なアレンジによる音楽性は絶賛を受け、アルバムと共にシングルで発売されたタイトル曲やMercy Mercy Me(「マーシー・マーシー・ミー」)も大ヒットを記録する。音楽以上に人々に衝撃を与えたのは、このアルバムが、ベトナム戦争や公害、貧困といった社会問題を取り上げた歌詞と、それに対する苦悩を赤裸々に表現したマーヴィンの熱唱であった。当時、シングル盤が中心であった黒人音楽の世界に、一つのテーマ、特に社会情勢などを元にしたアルバムを制作することは画期的なことであり、またこのアルバムで、内容に対して消極的になっていた会社に対して、マーヴィン自身がセルフ・プロデュースという制作体制で望んだことも大きな注目を集めた。自分の感じたままのことを干渉されずに作品にまとめ上げるというこのセルフ・プロデュースの姿勢は、同世代に活躍した黒人アーティストに大きな影響を与え、マーヴィンの行動に触発されたダニー・ハサウェイスティーヴィー・ワンダーカーティス・メイフィールドなどのアーティストが、より自分の才能をいかしたより個人的世界を反映した作家性の高い、意欲的で充実した作品を多く生み出すことになり、「ニューソウル」という新しい音楽を確立することとなった。また、この影響はベイビーフェイスなどの次世代の黒人アーティストにも十分に受け継がれている。

第二の黄金時代を迎えたマーヴィンは、より私小説的な内容の作品を数多く生み出していく。恋人への愛情と性への欲求を表現したLet's Get It On(『レッツ・ゲット・イット・オン』)、先妻との離婚をテーマにしたHere,My Dear(『離婚伝説』)、孤独と愛への欲求を表したI Want You(『アイ・ウォント・ユー』)などの充実したアルバムが制作・発表されたが、一方では、先妻との離婚の泥沼や二度目の結婚の失敗、本人の麻薬依存などが原因で私生活は混乱を極め、創作的な部分もかげりを見せ始めていった。

復活と突然の死[編集]

一度は破産などのどん底の状態にあったマーヴィンではあったが、彼の才能を惜しむ後援者が積極的に援助に回ってくれたことがきっかけとなり、一時期は途切れがちだった音楽活動も徐々に彩りをみせ始めた。1980年のモントルーでのライヴを皮切りに、1982年には移籍したCBSコロムビアよりMidnight Love(『ミッドナイト・ラヴ』)をリリースする。ミュンヘンにてレコーディングがおこなわれ、シンセサイザーを大胆に使用した本作は発表と同時に評判を呼ぶと共に、シングルカットされたSexual Healing(「セクシャル・ヒーリング」)も全米シングルチャートの3位を記録するヒットとなり、翌年の1983年には当時、飛ぶ鳥をおとす勢いであったマイケル・ジャクソンスティーヴィー・ワンダーを抑え、グラミー賞を受賞するなど健在振りを見せつけた。しかし、1984年4月1日に自宅で父親と口論になった際に逆上した父親が彼に対して発砲、マーヴィンはそのまま帰らぬ人となった。皮肉にも、その日は彼の45回目の誕生日の前日にして、マーヴィンがリスペクトしたR&Bシンガーサム・クックと同じ死に方でもあった。また父親が発砲した銃は、生前彼がプレゼントしたものであった。

評価[編集]

現在でも彼の作品に対する評価は高く、長い月日が経っても彼の楽曲は古さを感じさせない。I Want Youなどは私生活の混乱やアルバム制作のノルマを課せられていたことにより、別のシンガーリオン・ウェアによって完成していたトラックをそのまま譲り受けたものであるが、その独特のコーラス・ワークなどは彼のオリジナリティと創造性が十二分に発揮されている。また、1980年には無機質で陳腐なものになりかねないシンセサイザーを積極的に使用し、現在でも違和感のない情緒豊かな内容に仕上げている。

なお、映画「マトリックス」シリーズに出演した女優のノーナ・ゲイは彼の娘である。

ディスコグラフィ[編集]

Top Ten Albums[編集]

  • 1971: What's Going On (#6 U.S.)
  • 1973: Let's Get It On (#2 U.S.)
  • 1973: Diana & Marvin (#5 UK)
  • 1974: Marvin Gaye Live! (#8 U.S.)
  • 1976: I Want You (#4 U.S.)
  • 1977: Live at the London Palladium (#3 U.S.)
  • 1982: Midnight Love (#7 U.S.; #10 UK)
  • 1994: The Very Best of Marvin Gaye (#3 UK)
  • 2000: Marvin Gaye: The Love Songs (#8 UK)

U.S. and UK Top Ten Singles[編集]

  • 1963: "Pride and Joy" (US #10)
  • 1964: "How Sweet It Is (To Be Loved By You)" (US #6)
  • 1965: "I'll Be Doggone" (US #8)
  • 1965: "Ain't That Peculiar" (US #8)
  • 1967: "Your Precious Love" (US #5)
  • 1967: "If I Could Build My Whole World Around You" (US #10)
  • 1968: "Ain't Nothing Like the Real Thing" (US #8)
  • 1968: "You're All I Need to Get By" (US #7)
  • 1968: "I Heard It Through the Grapevine" (US #1; UK #1)
  • 1969: "Too Busy Thinking About My Baby" (US #4; UK #5)
  • 1969: "The Onion Song" (UK #9)
  • 1969: "That's The Way Love Is" (US #7)
  • 1970: "Abraham, Martin & John" (UK #9)
  • 1971: "What's Going On" (US #2)
  • 1971: "Mercy Mercy Me (The Ecology)" (US #4)
  • 1971: "Inner City Blues (Make Me Wanna Holler)" (US #9)
  • 1972: "Trouble Man" (US #7)
  • 1973: "Let's Get It On" (US #1)
  • 1974: "You Are Everything" (UK #5)
  • 1977: "Got to Give It Up" (US #1; UK #7)
  • 1982: "Sexual Healing" (US #3; UK #4)

代表曲[編集]

書籍[編集]

「マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル」 デイヴィッド・リッツ (著), 吉岡正晴 (翻訳) ISBN-10:4860203186

「ハーヴィー・フークワ もうひとつのマーヴィン・ゲイ物語(ソウルサーチン R&Bの心を求めて Vol.2 [電子書籍版])」 吉岡正晴 (著)

脚注[編集]

  1. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Marvin Gaye”. 2013年5月26日閲覧。
  2. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。

関連項目[編集]


外部リンク[編集]