カーティス・メイフィールド

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カーティス・メイフィールド
Curtis Mayfield
1972年撮影}
1972年撮影
基本情報
出生名 Curtis Lee Mayfield
出生 1942年6月3日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
死没 1999年12月26日(57歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ジョージア州ロズウェル
ジャンル ソウルミュージックリズムアンドブルースファンク
職業 シンガーソングライター音楽プロデューサー
担当楽器 ボーカルギターベースピアノサキソフォンドラム
活動期間 1958年 - 1999年
レーベル カートム、ワーナーブラザーズライノ
共同作業者 インプレッションズジェリー・バトラー
著名使用楽器
フェンダー・ストラトキャスター

カーティス・リー・メイフィールド(Curtis Lee Mayfield、1942年6月3日 - 1999年12月26日)は、アメリカミュージシャン作曲家マルチプレイヤー

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第40位[1]

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第98位。

2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第34位。

経歴[編集]

1942年イリノイ州シカゴで生まれ、1958年にはジェリー・バトラー、サム・グッデン、リチャード・ブルックス、アーサー・ブルックスらとともにインプレッションズとして音楽活動を始める。バンドは、「フォー・ユア・プレシャス・ラヴ (For Your Precious Love)」などのヒットを出すが、その後リードヴォーカルのバトラーが脱退し、カーティスがヴォーカルをとることになった。インプレッションズはフレッド・キャッシュという新メンバーを迎えると再びヒット曲を量産するようになる。1965年に発表した「ピープル・ゲット・レディ (People Get Ready)」は、公民権運動を背景に大ヒットした。同楽曲はアレサ・フランクリンジェフ・ベック等多くのカバーが発表されているほか、2004年に発表されたローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500では第24位に選ばれている。

1970年にカーティスはインプレッションズを抜け、ソロ・アーティストととして活動を始め、マーヴィン・ゲイダニー・ハサウェイスティーヴィー・ワンダーらと並んでニュー・ソウルと呼ばれた。また、1972年に公開のブラックスプロイテーション映画『スーパーフライ』のサウンドトラックアルバムスーパーフライ』を発表、Billboard Hot 100で1位を獲得する。

プロデューサーとしても多くのアーティストの曲を手がけており、1975年にプロデュースしたザ・ステイプル・シンガーズ「レッツ・ドゥ・イット・アゲイン (Let's Do It Again)」とトニー・オーランド&ドーン「恋のシーソー・ゲーム(He Don't Love You(Like I Love You)」はBillboard Hot 100において共に1位を獲得した。

1990年、コンサート会場で照明機器の落下事故に巻き込まれ、その後遺症で半身不随となるものの、周囲の助力で1996年にアルバム『ニュー・ワールド・オーダー』を発表。

1999年ロックの殿堂入りを果たした。プレゼンターをショーン・コムズが務めたが、授賞式には出席できず、ビデオレターでコメントを寄せた。その後の12月26日に、ジョージア州ロズウェルの病院で死去、57歳だった。死因は公表されていない。

影響[編集]

アメリカのソウルR&Bシーンに多大な影響を残したほか、ボブ・マーリーなどにも強い影響を与えた。

ディスコグラフィ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Curtis Mayfield”. 2013年5月26日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]