パティ・スミス

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パティ・スミス
Patti Smith
プロヴィンッシロック(フィンランドのロック・フェス)で歌唱するパティ・スミス、2007年}
プロヴィンッシロック(フィンランドロック・フェス)で歌唱するパティ・スミス、2007年
基本情報
出生名 パトリシア・リー・スミス
Patricia Lee Smith
出生 1946年12月30日(67歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州
シカゴ
ジャンル ニューウェイブ
パンク・ロック
アート・ロック
職業 ミュージシャン
シンガーソングライター
詩人
担当楽器 ボーカル
ギター
クラリネット
活動期間 1971年 -
レーベル アリスタ・レコード
コロムビア・レコード
公式サイト www.pattismith.net

パトリシア・リー・"パティ"・スミスPatricia Lee "Patti" Smith 1946年12月30日 - )は、アメリカ合衆国ミュージシャン詩人である。

デビュー前から数年間は、バックバンドメンバーを含めた「パティ・スミス」という名称のバンド形態で活動している。一時期、パティ・スミス・グループPatti Smith Group)名義でも活動していた。

主に、ニューヨーク界隈のオリジナルパンクシーンで、現在まで活躍している。その功績から、クイーン・オブ・パンク(パンクの女王)もしくはゴッドマザー・オブ・パンク(パンクの代母)と呼ばれることもある。

2007年に、ロックの殿堂入りを果たした。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第83位[1]

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第47位。

Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第49位[2]

来歴[編集]

シカゴで生まれ、ニュージャージーで育った。ニューヨーク・パンクの代表的アーティスト。15才の頃ピスファクトリーで大学進学の費用を稼ぎながらアルチュール・ランボーボブ・ディランを始めとするアーティストに強い憧れを抱き、当初はそうした人々の愛人となることを目指してニューヨークへ移住するが、ロバート・メイプルソープらとの交流によって、自身もアーティストの一員であることを自覚した。

1969年、ニューヨークに移住したスミスは詩を書いたり、演劇に出演したりするなどの芸術活動を始めた。その頃レニー・ケイと出会い、スミスが舞台で詩を朗読し、そのバックでケイが音楽を演奏するスタイルで活動をし始める。1973年頃から、リチャード・ソールがキーボード(ピアノ)として加わる。その後、周囲の評価が高まり、インディーズ・シングルを発売したり、オムニバス作品に参加するようになる。そして、ドラマーとしてジェイ・ディ・ドゥーティー、ベーシストとしてアイヴァン・クラールを迎え、5人組バンドとして本格的に活動を開始する。[3]

1975年に、29歳で発表したデビュー作『ホーセス』は、メイプルソープによるジャケット写真も話題となり、ロックの名盤として今日まで高い評価を受けている。特に、ヴァン・モリソンを己の詩情を交えてパンキッシュにカバーした「グロリア」は、パンククラシックの一つとして今日まで有名。1978年発表のサード・アルバム『イースター』からは、ブルース・スプリングスティーンと共作した「ビコーズ・ザ・ナイト」が、ビルボードのシングル・チャートで13位のヒットとなる。その後、元MC5フレッド・スミスとの結婚生活のため長くアーティスト活動から離れていたが、1988年には9年ぶりのアルバム『ドリーム・オブ・ライフ』発表。1994年、夫のフレッドが死去。1990年代後半から再びコンスタントに作品を発表している。

1997年1月に初来日公演が実現した。

2001年(2日目グリーン・ステージ)、2002年(1日目フィールド・オブ・ヘブン、2日目レッド・マーキー)と、2年連続でフジ・ロック・フェスティバルに出演。2003年7月には、赤坂BLITZなどで、単独公演による来日も果たした。

2007年には、初のカバー・アルバム『トゥウェルブ』発表。

2008年、写真家のスティーヴン・セブリングが、11年間パティに密着して撮影したドキュメンタリー映画パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ』が公開され、日本でも2009年に公開された。

2010年1月には、Just Kidsを上梓。メイプルソープと出会い、同居しながらそれぞれの創作活動を始めた時期を回想している。この回想記の執筆は、亡くなる直前のメイプルソープに頼まれて約束したことだったと話している[4]

パティ・スミス・グループ[編集]

1973年頃から、スミスが結婚のため一線を退く頃まで(作品としては『Wave』まで)活動。パティ・スミス名義でも活動していた。

作品[編集]

以下、パティ・スミス・グループ名義のものも含む。

オリジナル・アルバム[編集]

  • ホーセス Horses1975年
  • ラジオ・エチオピア Radio Ethiopia1976年
  • イースター Easter1978年
  • ウェイヴ Wave1979年
  • ドリーム・オブ・ライフ Dream Of Life1988年
  • ゴーン・アゲイン Gone Again1996年
  • ピース・アンド・ノイズ Peace And Noise1997年
  • ガンホー Gung Ho2000年
  • トランピン Trampin'2004年
  • バンガ Banga2012年

カバー・アルバム[編集]

  • トゥウェルブ Twelve2007年

編集盤[編集]

  • ランド(1975-2002):グレイテスト・ヒッツ Land(1975-2002) (2002年

書籍[編集]

  • バベル Babel1978年) 日本語版は山形浩生訳で思潮社から出版(1994年)。原詩も収録。ただし原著とは少し編集が異なる。
  • Flowers - メイプルソープの花 (1990)
  • パティ・スミス完全版 Patti Smith Complete: Lyrics, Reflections & Notes for the Future (1998年) 日本語版は東玲子訳でアップリンクから出版(2000年)。

影響[編集]

70年代当時、ロックスターは男性が目立ったが、ロックよりも過激なパンクに至っては、女性のパンク・ロッカーは少なかった。

そんな中で、過激な歌唱や男性的・美青年風ルックスで一躍スターの一人となったパティ・スミスは、ロック史に残る存在になった。また、元来のパンキッシュ精神に基づいた宗教批判・恋愛の不満について女性が声高に叫ぶなど、文学性やアナーキー性の高いリリックも注目を集めた。

1980年代以降、世界中で多くの女性ロックシンガーが誕生したが、パティはその元祖と言ってもよい。特にその激しい歌唱法は、彼女をルーツとした文脈で語られることが多い。現在でもR.E.M.ソニック・ユースを中心としたフォロワーに、影響を与え続けている。

脚注[編集]

  1. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Patti Smith”. 2013年5月26日閲覧。
  2. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
  3. ^ パティ・スミス『ホーセス』1997年BMGジャパン(付属の大鷹俊一によるライナーノーツより)
  4. ^ Patti Smith and Robert Mapplethorpe”. 2010年7月4日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]