フジロック・フェスティバル

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フジロック・フェスティバル
FUJI ROCK FESTIVAL
FujiGreenStage.jpg
グリーン・ステージ
概要
イベントの種類 ロック・フェスティバル
通称、略称 フジロック
開催時期 7月下旬
初回開催 1997年
会場 新潟県湯沢町苗場スキー場
主催 スマッシュ
FUJI ROCK FESTIVAL 公式サイト
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フジロック・フェスティバル (FUJI ROCK FESTIVAL) は、日本ロック・フェスティバルである。

1997年山梨県富士天神山スキー場で初開催された。1999年より毎年7月下旬または8月上旬、新潟県湯沢町苗場スキー場で開催されている(主催はスマッシュ)。フジロックという略称および愛称で一般に広く呼称されている。

日本のロック・フェスティバルの先駆けであり、広大な会場に国内外200組以上のミュージシャンが揃う日本最大規模の野外音楽イベントである。なお、その名の由来でもある富士山近辺(山梨県天神山スキー場)で開催されたのは1997年の第1回のみであるが、その後も名称は変わらず「フジロック・フェスティバル」のままである。ロゴマークも富士山をあしらったものが使われている。

目次

[編集] 概要

「ロック」フェスと銘打っているが、実際はロックのみならず、ポピュラー音楽全般、和太鼓ジャズ民族音楽等々、広く網羅しあらゆる音楽を包括したフェスティバルである。ちなみに大小複数のステージにて演奏が同時進行で行われるため、同じ年の開催においてすべての出演者を見ることはできない。

会場は周囲を山林に囲まれた大自然の中にあるため、単にライブを観賞するだけではなく、森林浴キャンプといったアウトドアを満喫する行楽イベントという意味も含めた「フェスそのものを楽しむ」ために来場する客も多い。それが会場の和やかで落ち着いた雰囲気を形作り、その居心地の良さに惹かれた多くのリピーター(いわゆるフジロッカー)を獲得しているといわれる。ゆえにロックフェスでありながら40代から50代の中年層客も多く、逆に10代から20代前半の若者は他のフェスに比べると若干少ないのが特徴でもある。これはチケット代に加え、会場までの移動費や宿泊費を考えた場合に10代から20代には決して安い額ではないというのも理由として考えられる。出演するアーティストもそれらに合わせ、他の国内ロックフェスティバルに比べるとよりコアでジャンルレスな音楽ファン向けが多い傾向が見られる。

また、フジロックは世界一クリーンなフェスを標榜しており、ゴミの分別やポイ捨て防止などの取り組みがよく行き届いていると評判である。このコンセプトに賛同するミュージシャンは多く、治安の良さや客の節度ある態度など総合的な運営の安定感から世界のフジロックと海外から高い評価を得ている[要出典]

[編集] 交通アクセス

会場の苗場スキー場までは最寄のJR越後湯沢駅から(開催期間中のみ)出ている無料送迎バスでも約1時間の距離の山間部にあり、自転車や徒歩での入場は非常に困難である。電車を利用しない者の大半はバイクや自家用車で来るが、会場直結の駐車場に車をとめるのに必要な駐車券はすぐに売り切れるため、券の獲得競争率が高まっている。オフィシャルツアーでは苗場会場直結のツアーバスもある。出発時間の制限はあるが、前記無料シャトルバスを使うことなく会場へ行けるメリットもある。

また、会場のある湯沢町周辺は冬場のスキー客のためにホテルやペンション、旅館、民宿など多くの宿泊施設があるが、開催期間の前後はその大半がフジロック客で満室状態になるため、例年、駐車券の獲得以上に宿泊先の確保が熾烈である。特に会場に直結している苗場プリンスホテルはその利便性の高さに加え、出演アーティストを始めとするフジロック関係者の宿泊先として一部貸し切られているため、一般客向けの客室は少なくなっており、毎年競争率は非常に高かったが、2010年は団体のみ受け入れるため、一般客はオフィシャルツアーでしか宿泊できなくなった。

[編集] 会場

演奏ステージの数は回を重ねるごとに増え続けており、現在は主なものだけで6つ(グリーン・ステージホワイト・ステージレッド・マーキーフィールド・オブ・ヘブンオレンジ・コートジプシー・アバロン)あるほか、観客数が数十人規模の小ステージも多数ある。さらに会場内を見下ろして東西に進む世界最長のゴンドラ「ドラゴンドラ」にも乗ることができる。また、メインのグリーンステージ以外は、観客が一定数を越えると安全のため入場制限がかけられることがある。

会場内には各ステージごとに多くの飲食店が出店しており、苗場食堂をはじめとする「オアシス」といった屋台ブースには、毎年出店している常連の店や名物料理も生まれつつある。さらにテントの設営区画も設けられており、会場宿泊も可能となるが、単純な野宿は禁止されている(詳しくは下記の「キャンプ・サイト」項を参照)。また、夜にはカジノバーがオープンする。当然だが未成年者は入ることが出来ない。

ちなみにその日の日程が終了すると、レッドマーキーとオアシス以外のエリアはすべて立ち入り禁止となる。そのため開催期間中の中日であっても、夜遅くまで会場内に居座ることはできない。レッドマーキーなども午前4~5時には閉演する。開場は朝の9時以降となる。

以下、主なエリアを入場ゲートから近い順に記す。

  • レッド・マーキー - 入場ゲートから最も近いフジロック唯一の屋内ステージ。勢いある新進気鋭のバンドを中心にハイテンションなライブが展開され、観客の盛り上がりはフジロックでも随一である。日付が替わる深夜から早朝まではクラブハウスとしてDJパフォーマンスが夜通し行われ、その日の日程が終了してもなお踊り足りないフジ夜遊び組のたちのレイブパーティー会場と化す。収容人数約5000人。
  • オアシス - ここだけでおよそ30以上の屋台が出店している総合飲食エリア。その中にある苗場食堂ではサプライズライブやDJプレイ、大道芸、サイン会などのミニ・イベントが催される。料理とお酒を交えた交流空間として、またレッドマーキーとともに深夜まで立ち入り可能なエリアとして常に賑わっている。
  • グリーン・ステージ - 収容人数は4万人以上のメイン野外ステージ。毎年世界のビッグアーティストが登場し、記憶に残る数多くのショーを披露してきたフジの象徴。ゆるやかな傾斜が続くステージ後方は多くの人が寝そべったり腰掛けたりするリラックススペースと化しており、のんびりと音楽を聴くことが出来る。ただし、動員次第では夕方以降オールスタンディングとなる場合も多い。
  • ホワイト・ステージ - 2番目に大きい屋外ステージ。通好みのラインナップが多く、実力派のバンドによる圧巻のパフォーマンスが繰り広げられることから「裏メイン」とも呼ばれる。収容人数は約1万5千人。
  • アバロン - 山の斜面を利用したエリアでNGOテントやマッサージテントが設置され、ときたまフリーマーケットやワークショップが開かれる。その中にある小さなステージが「ジプシー・アバロン」で、アコースティックライブが披露されることが多い。収容人数約1000人。
  • フィールド・オブ・ヘブン - 国籍も世代も超えたヒッピーな雰囲気で溢れ、多彩な音楽とピースフルなムードから最も「フジらしい」エリアとも呼ばれる。そのため固定客が多い。日が暮れてからは幻想的なイルミネーションで彩られフジの夜を演出する。収容人数約5000人。
  • オレンジ・コート - 1番奥に位置するステージ。ジャズ系やラウンジ系のミュージシャン、さらにワールド・ミュージック系のステージというコンセプトの下に展開されるが、基本的にジャンルレスな音楽で終日溢れている。初日の夜のみパーティーイベント「オールナイト・フジ」が開かれ、朝までクラブ空間に変貌する。収容人数約5000人。
  • ザ・パレス・オブ・ワンダー - 入場ゲート前にあるテント施設で、チケットがなくても入ることが出来るフリーエリア。巨大なオブジェに囲まれたテントでは怪しげな大道芸が行われ、カジノバーといった大人の夜遊び施設が揃う。隣接するブース「ルーキー・ア・ゴー・ゴー」(以前はLevi's NEW STAGE)は、一般公募から選ばれた無名のインディーズバンドがプレイするステージ。夜間行われ、駆け出しバンドの実力が試される登竜門として定着している。かつてはくるりASIAN KUNG-FU GENERATIONサンボマスターもここで演奏した。

[編集] キャンプ・サイト

苗場プリンスホテル後方、スキー場の広大な斜面を利用して会場宿泊客のためのテント設営エリアが設けられている。毎年、約1万7000人がここでテントを張って宿泊している。女性専用ゾーンやトイレ、シャワー設備、キャンプに関する相談所や食事処も完備されている。キャンプサイト券を購入した客のみ利用可能。ちなみにテントを建てやすい平らな地面の立地はすぐに埋まるため、初日以降から来てキャンプサイト宿泊を考えている客には少々不利である。また開催期間中はスコールなど荒天が多く、キャンプ初心者にはあまり望ましい宿泊手段とはいえない。2010年から新たにPyramid Gardenという和み空間が出現。キャンプサイト利用者限定で楽しめるステージも併設している。

キャンプ・サイト

[編集] 前夜祭

初日の前夜には地元の人たちとの交流を深め、共に盛り上がる恒例の前夜祭が開かれる。盆踊り、抽選会、大食い大会といったベタな夏祭りイベントもフジの開幕とあってかなりの盛り上がりをみせる。最後は打ち上げ花火大会でフェスティバルの成功祈願と開会が宣言される。他にもレッドマーキーが開放され、DJ達によるオープニングパーティが催され時には出演バンドによるサプライズライブが行われることもある。過去に少年ナイフBRAHMANザ・クーパー・テンプル・クロースなどが前夜祭ライブを行っている。

[編集] 主な出演者/歴史

一番上に表記されているバンド名が、ヘッドライナー(グリーン・ステージ)である。以下、他のステージの出演者も含む。

[編集] 1997年

会場:山梨県富士天神山スキー場地区(台風の影響などの混乱により2日目は開催せず

1日目(7月26日 2日目(7月27日

1997年に、富士山のふもとの天神山スキー場で初めて開催された。2日間の予定であったが、台風の直撃により1日目から豪雨に見舞われる。会場内で雨をしのげる場所は少なく雨や寒さに対する備えが不十分な参加者が多かったこともあり、会場内やその周辺では体力を奪われて倒れる者が続出した。幸いにも死者はでなかったものの、フェスは後に語り草となるほどの惨状を呈した。

また、会場へのアクセス道路は1本しかなく、駐車車両などによる渋滞によって交通は麻痺状態となり、移動に多くの参加者が徒歩で数時間も歩いた。トイレもない道路では多くの人々が周辺の私有地に立ち入って用を足したり、別荘地内で勝手にキャンプをしたりと会場周辺も混乱を極めた。2日目は朝から晴天となったものの、警察、地元自治体などからの要請や会場とその周辺の荒廃により、これ以上のイベント続行は不可能と判断した運営側が全てのプログラムを中止し、日本初の野外ロック・フェスティバルは、あえなく崩壊した。

また、駅と会場を結ぶ送迎バスが機能しなかったことにより、駅や荒天の会場で数時間にわたり立ち往生を余儀なくされたこと、案内スタッフが少数かつ不親切であったことなど多くの課題を残し、フェスの運営にも批判が集中した。

そんな壮絶な状況下の初日、ボーカルのアンソニーが腕を骨折したまま猛烈な暴風雨の中で敢行されたレッド・ホット・チリ・ペッパーズのライブは、今や伝説と化している。

[編集] 1998年

会場:東京都豊洲地区・東京ベイサイドスクエア

1日目(8月1日 2日目(8月2日

前年度の批判を受け、主催のスマッシュは翌1998年、会場を一転して東京豊洲地区に変更して開催する。前年の失敗を踏まえて会場へのアクセスや救護体制などが改善され、成功を収めた。中でも、中止となった昨年のリベンジを期すべくヘッドライナーとして戻ってきたプロディジーの爆発的パフォーマンスは凄まじく、火がついたようなクラウドの盛り上がりは、フジの歴史でも最大級のピークを記録した。

しかし、やはり2ステージのみの会場であることから、多くの観衆が1ヶ所に密集する状態は避けられず、特にthee michelle gun elephantのステージでは、モッシュ過多による圧死危険のために何度か演奏が中断された。その際、チバユウスケの「危ない奴は周りが助けてやろうぜ。絶対死ぬなよ!」とのMCは、主客が共に手探りで作り上げる段階にあった日本のロックフェス黎明を印象付けるものであった。

そうした2年間の試行錯誤を経て、やはり会場は東京ではなく「自然の中でのロックフェス」という、当初のコンセプトに回帰する結論に達した。

[編集] 1999年

会場:新潟県苗場スキー場地区(以降は当地にて開催されている)

1日目(7月30日 2日目(7月31日 3日目(8月1日)

1999年には、夏期の集客を目指した苗場プリンスホテルと地元の浅貝地区が開催地として協力することとなり、会場は新潟県苗場スキー場に再度変更された。英国のグラストンベリー・フェスティバルを参考に、再び大自然の中での開催となったが、参加者の雨や寒さに対する意識が向上したことや、苗場・浅貝地区は周辺に一般住民がほとんど居ない山間部の独立した地域ということもあり、大きな問題は起こらず成功のうちに終了した。これ以降は、毎年苗場での開催に落ち着くようになった。開催期間も1999年以降は3日間となっている。

初の苗場開催となったこの年、話題をさらったのは2日目のヘッドライナーを務めたブラーであった。ベスト収録のヒット曲を次々と披露するという、近年では絶対にないセットリストによって、会場は興奮の坩堝と化した。さらに初日にはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの乾坤一擲の熱演とそれに応える観衆のビッグ・ポゴが夜のグリーンを揺るがし、同時刻のホワイトではアンダーワールドが、そのキャリアでも屈指の呼び声高いパフォーマンスを演じた。

加えて3夜連続でフィールド・オブ・ヘヴンのトリを張ったフィッシュを始め、ZZトップジョー・ストラマーといったレジェンドたちの好演も、苗場での初年度を大いに飾った。

  • のべ動員数(3日間):72,000人

[編集] 2000年

1日目(7月28日 2日目(7月29日 3日目(7月30日)

2000年は、1日目と2日目のトリを日本人バンドが務めるという、後にも先にも唯一の試みが行われた。初日のトリを務めたBLANKEY JET CITYは同年5月に解散を表明しており、ラスト・ツアー終了後の出演となったため、実質これがラスト・ライブとなった。以後は他に日本人主体のロックフェスがいくつか誕生したこともあり、従来通り海外のアクト中心のスタイルを優先させることで落ち着いている。

2日目トリのミッシェルの裏では、今は亡き3人組でのランDMCが降雨のホワイトを圧巻のフックで掌握し、その勇姿を日本のオーディエンスの前に刻んだ。

  • のべ動員数(3日間):61,000人

[編集] 2001年

1日目(7月25日 2日目(7月27日) 3日目(7月28日)

ニール・ヤングオアシスエミネムヘッドライナーを務めた2001年は、取材に訪れた海外プレス群から「様々なフェスのヘッドライナーが一つのフェスに集まっている。これは最強のラインナップだ」と絶賛され、後に「世界のフジ・ロック」と呼ばれるきっかけとなった。特に以降のフジのブリティッシュ志向が高まるきっかけともなる、トラヴィスマニック・ストリート・プリーチャーズオアシスという、UKロック・アンセムのトップランナーを揃えた初日グリーンの流れは未だに評判が高い。

一方で、3日目のグリーンにはUSの実力派をヘッドラインにすえる好対照のラインナップを実現させるなど、総じて若手から大御所までを取り揃えた「史上最高のラインナップ」と、後々まで評されることが多い年となっている。

そんな中でトピックとなったのは、ニール・ヤングが好演するその裏のホワイト、実に14年ぶりの来日となったニューオーダーの一大パーティに多くの観衆が詰めかけ、苗場で最初の大規模な入場規制が敷かれたことであった。

  • のべ動員数(3日間):79,000人

[編集] 2002年

1日目(7月26日) 2日目(7月27日) 3日目(7月28日)

2002年は、初年度に台風の中ライブを行ったレッド・ホット・チリ・ペッパーズのリベンジ出演が目玉であった。同じく出演していたジョージ・クリントンをサプライズゲストに招き、充実のパフォーマンスで会場を沸かせた。また一方、今やフジの名物のケミカル・ブラザーズがヘッドライナーとして出演した。エレクトロニック・ビートが夜の苗場に鳴り渡るトランシーな光景は、後に彼らのライヴDVDに収められる程であり、数多いケミカル・ブラザーズの公演でも最高峰の瞬間として自他共に認知される名演であった。

最終日にはスピリチュアライズドが、ブラス隊からパーカッションまでを大動員した圧倒的なサイケ・アンサンブルをホワイトに繰り広げ、フェス音響とは思えない抜群のサウンド・エスケープを実現させた。

主催者の日高社長がそれぞれ「プロフェッショナルなパフォーマンスをみせてくれた」と絶賛した2日目グリーンの2アクト、井上陽水のロックフェスに応える熱演は特に大反響であり、ペット・ショップ・ボーイズの貫録のエンターテイメント・ショーも鮮烈な余韻を残した。

そんな中で、ベストアクトと絶賛された新星ザ・ミュージックは、後々まで語り草となる程に強烈なその抜群のパフォーマンスによって、日本での評判を確固たるものにした。

  • のべ動員数(3日間):90,000人(キャンプサイト12,000人)

[編集] 2003年

1日目(7月25日) 2日目(7月26日) 3日目(7月27日)

初のチケット完売を達成し、入場者数を10万人の大台に乗せたこの年、フィールド・オブ・ヘブンのさらに奥にオレンジコートが新設され、会場最深部へとつながる木道「ボードウォーク」が各地から参加したボランティアの手作りによって開通した。これによってほぼ現在の会場体裁となり、さらなる多様な音楽を展開するようになった。

初日は、ジョン・メイオールダーティー・ダズン・ブラス・バンドG・ラヴ&スペシャル・ソースという濃厚な流れで、その夜はピークタイムにサシャを迎えたオールナイト・フジでも大盛況を収めたオレンジコートが、その初お披露目を飾った。一方で、アンスラックスイギー・ポップまで終日にわたり爆音の猛者を揃えた2日目ホワイトのラウドなコンセプトブッキングも見られた。

最終夜には、開演からアンコールまで全て日本語表記のデジタルVJを駆使して、音と視覚双方に最大限の情報量で迫ったマッシヴ・アタック、バンド自ら過去最高のライヴと自賛したモグワイが、それぞれ重層なパフォーマンスで苗場の山間を彩った。

ちなみにこの年、2日目レッドのトリが予定されていたザ・コーラルのキャンセルを受けて前日のグリーンに出演したザ・ミュージックが急遽ピンチヒッターで2日連続の登場となり、急ながら見事にレッドのトリを務めた。この出来事によって以降のフジでは、他の出演者がキャンセル組の「穴埋め代打」を行うという「前例」が確立する。

  • のべ動員数(3日間):100,000人(金曜32,000、土曜37,000、日曜31,000)
  • 前夜祭:15,000人、キャンプサイト:15,000人

[編集] 2004年

1日目(7月30日) 2日目(7月31日) 3日目(8月1日)

2004年は実験的な試みとして、チケットは3日通し券のみで販売が行われた(結果的に継続されることはなかった)。この年は、初日のホワイトのトリを務めたベースメント・ジャックスと、3日目のレッドマーキーのトリを務めたアッシュが、それぞれフジの歴史に残る圧倒的なパフォーマンスを披露して、各誌からベストアクトと絶賛された。また、再結成を果たしたピクシーズや、昼間14時台にしてグリーンを満杯にしたフランツ・フェルディナンドも話題を集めた。2日目のフィールド・オブ・ヘブンでは、ジャック・ジョンソンが兄貴分のベン・ハーパー、盟友ドノヴァン・フランケンレイターと共演した。最終日はモリッシーの出演キャンセルによって、急遽、ザ・ホワイト・ストライプスが実質上のヘッドライナーを任されるという一幕もあった。なお、当初ヘッドライナー務めるはずだったモリッシーの枠には、ジーズ・チャーミング・メンというザ・スミス(解散するまでモリッシーがフロントマンを務めていたバンド)のトリビュートバンド(=そっくりさん)が起用され、フジの珍事件の一つとして語られている。その一方で、深夜のオアシス~レッドまでの道すがら、偶然その場に居合わせた一般客を巻き込んで即興のマーチング・パレードを繰り広げたオゾマトリのゲリラ・ライブは、主客一体となったフェス・ケミストリーとして語り草となった。

また、初日にはグリーンステージにてジャパニーズ・ロック史の中でも重要なバンドの1つであるルースターズが、17年振りにオリジナル・メンバーで再結成、ケジメとなるラスト・ライブを行った。

  • のべ動員数(前夜祭を含む、3日通し券購入者3万人):102,000人(金曜30,000、土曜30,000、日曜30,000)
  • 前夜祭:12,000人

[編集] 2005年

1日目(7月29日) 2日目(7月30日) 3日目(7月31日)

2005年は、この年世界で一番のアルバム売り上げを記録したコールドプレイを準トリに据え、フー・ファイターズをヘッドライナーに起用するという贅沢な初日に始まり、ベックファットボーイ・スリムを揃え、2003年以来のチケット完売となった2日目、ロイクソップに加えて、モービーニュー・オーダーで新旧アシッド勢揃いぶみのヘッドラインを形成したグリーンステージに、その裏マーズ・ヴォルタシガー・ロスの流れで動と静の音楽宇宙と化したホワイトステージを擁した3日目と、各日トリ近辺にはこれまでにない充実のラインナップが実現した。

ギャング・オブ・フォーダイナソーJr.という共に同時期に再結成した2バンドを並べた趣向で、ザ・ビーチ・ボーイズや、ザ・ポーグスなど、要所要所でのベテランのパフォーマンスも見られた。また一方で、最終日のクロージングとして登場したプライマル・スクリームの壇上には、ゲストメンバーとしてケヴィン・シールズとJ・マスシスの姿があり、その時ステージ場ではジーザス&メリーチェインストーン・ローゼズフェルトの元メンバーに加え、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインダイナソーJr.の現メンバーが一堂に会するというオルタナ・オールスターぶりが話題になる、フェスらしい1コマもみられた。

他方で、第1回のフジに観客として参加して以来、1999年の初出演から徐々にステージ・アップしてきたくるりが念願のグリーン進出を果たし、万感のコメントを残した。

  • のべ動員数(前夜祭を含む4日間):125,000人(金曜35,000、土曜40,000、日曜35,000)
  • 前夜祭:15,000人、キャンプサイト:16,000人

[編集] 2006年

1日目(7月28日) 2日目(7月29日) 3日目(7月30日)

記念すべき10回目を迎えた2006年は、フジ史上最速でのヘッドライナーに抜擢されたフランツ・フェルディナンドが大きく話題となり、トリ前に出演しこれまたフジの常連となったジェットとともに大いに会場を盛り上げた。2日のトリでは、広大なグリーンが溢れんばかりの観客で埋まったレッド・ホット・チリ・ペッパーズが10周年に華を添えるステージングで魅せ、その裏ではシザー・シスターズがホワイトを巨大ダンスホールへと変貌させ、入場規制がかかったレッドマーキーには、クーラ・シェイカーの再結成を祝福すべく詰め掛けたリアルタイム世代とともに涙モノのステージが展開された。

一方で、初日のヘヴンでは加藤登紀子が登壇した。祭り映え抜群のマッドネスの復活パフォーマンスも反響高く、2日目深夜のレッドではソウルワックス2 many DJsまで夜通しのパーティに沸いた。

この年から「Very Special Guest」名称となったクロージング枠にはハッピー・マンデーズが登場し、まさかの晴れ舞台を、しかし見事に演じた。そんな中、ベスト・アクトとの呼び声も高いスーパー・ファーリー・アニマルズは、特設スクリーンをフル活用した映像演出とそのパラレルサウンドによって、苗場の最終夜をサイケ空間に染め上げ、最後にスクリーン画面に表示したメッセージ字幕「ありがとう! みんなお疲れ!」のピースフルな光景はフェスならでは、フジならではの感動的ハイライトとなった。

来場者はそれまでで最多の13万に達し、ロックフェスが日本に根付いてきたことをうかがわせるアニバーサリー・イヤーとなった。

  • のべ動員数(前夜祭を含む4日間):131,000人(金曜36,000、土曜40,000、日曜39,000)
  • 前夜祭:16,000人、キャンプサイト:17,500人、テント設置数:7,500張り

[編集] 2007年

1日目(7月27日) 2日目(7月28日) 3日目(7月29日)

2007年は天候に恵まれたこともあり、期間中はヘヴン~オレンジといった会場最深部が例年になく混雑したことが特徴的な年であった。通好みのライブ巧者たちが数多く登場した中でも、ベスト・アクトの呼び声高いジョン・バトラー・トリオバトルスの超絶バンド・アンサンブルは大きな反響を呼んだ。他方、号令一閃でホワイト全域を使った超巨大なサークル・モッシュピット形成に成功したレス・ザン・ジェイク、巧みなMCと演奏で緩急自在にステージを演じたジャーヴィス・コッカー、それぞれ真昼間のグリーンをダンス天国に変貌させたミーカ!!!、さらにオーシャン・カラー・シーンファウンテンズ・オブ・ウェインの流れで大きなシンガロングに包まれた初日レッドや、2日目のホワイトに史上最多の観客を動員したアッシュのステージも盛況を博した。

最終日の締めでは、5度目のケミカル・ブラザーズの裏でジュノ・リアクターによる壮大なブードゥー・パーティが異様な盛り上がりをみせ、レッドではドクターストップがかかった昨年のリベンジを果たすべく、主客とも爆発的な盛り上がりに発展したクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー、急遽キャンセルとなったフィッシュボーンの代打としてオレンジのトリを務めたフェルミン・ムグルサも会心のパフォーマンスを演じた。

初日ホワイトのトリには初来日が実現したグルーヴ・アルマダが登場したが、話題の中心は実に23年ぶりの来日となるザ・キュアーのヘッドライナーであった。文字通り独壇場となったパフォーマンスは、ダブル・アンコールに応えたフル・タイムセットで演奏は日付を跨ぎ深夜にまで及び、その圧倒的な存在感と強烈な異彩を苗場の歴史に残していった。

  • のべ動員数(前夜祭を含む4日間):127,000人
  • キャンプサイト:14,000人、テント設置数:7,000張り

[編集] 2008年

1日目(7月25日) 2日目(7月26日) 3日目(7月27日)

2008年は、3日目大トリの忌野清志郎が病気のため急遽キャンセルとなり、代打として2日連続のプライマル・スクリームが発表されたが、この発表に便乗するかのように開催直前まで「交渉中」として伏せられていた3日目グリーンステージのその他のヘッドラインまで、同じく前日出演組のThe Birthdayエイジアン・ダブ・ファウンデーションで補填するという発表を行ったため、参加者から強い不信感の声が上がり、主催スマッシュのブッキングに関しても様々な意見や憶測が飛び交った。

しかし、開催期間はそんな喧騒とは無縁の至高の音楽で溢れた。17年ぶりの来日が実現し、グリーンステージを15分にも及ぶ轟音で包んだマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、その裏のホワイトで繰り広げられたギャラクティックの客演3MCを駆使した一大グルーヴ・セッション~3部構成で2時間半にも及んだブーツィー・コリンズ・バンドの故ジェームス・ブラウン追悼パーティまで濃密絢爛なファンク祭りも盛況を博した。

加えて、突然の降雨により急遽セットリスト変更という劇的なシチュエーションを実現させたトラヴィスや、新旧ファンの大合唱に包まれたイアン・ブラウン、フロントマンのクレイグ・ニコルズの復活に沸いたザ・ヴァインズなど、各所で見事なパフォーマンスが展開された。また、ホワイトに加え深夜のクリスタルパレスにも登場したゴーゴル・ボールデロはベストアクトにふさわしい圧巻の盛り上がりをみせ、ハード・ファイエイジアン・ダブ・ファウンデーションと共に強烈なレベル・ミュージックを苗場に轟かせた。

  • のべ動員数(前夜祭を含む4日間):119,000人
  • キャンプサイト:15,000人、テント設置数:7,500張り

[編集] 2009年

1日目(7月24日) 2日目(7月25日) 3日目(7月26日)

寒雨対策へ十分な装備と高い意識で臨むことの重要さを再認識させるように、好天続きであった過去数年から一転して、開催期間の苗場は常に雨雲が停滞する不安定な空模様に翻弄された。前夜祭からの豪雨に終日見舞われた初日は特に過酷で、会場を流れる河川の増水と足場のぬかるみ拡大等によりオールナイト・フジが中止に追い込まれ、同様に映画上映や岩盤スクエアも含めて多くの屋外深夜イベントが取り止めという初めての事態となった。

豪雨の中にあって、初日ホワイトのトリを貫録のステージングで魅了した巨匠ネヴィル・ブラザーズ、入国審査によりフレイヴァー・フレイヴを欠いたものの、パブリック・エナミーはクラシックとして名高い1988年作の2ndアルバムを完全再現するビート・ショウを披露し、バッド・ブレインズらが登壇したハードコアな流れの2日目ホワイトを大いに飾った。

加えて、それぞれヘブンでトリを務めたファンキー・ミーターズディスコ・ビスケッツ、オレンジでトリを務めたシェウン・クティブッカー・Tを含め、古今東西に広くブラック・ミュージック勢の充実が特に目立つ年であった。

他方では、降りしきる雨をものともしないポール・ウェラーによるキャリア横断の大熱演、3日目正午の晴れ間に強烈な一撃を見舞ったストリート・スウィーパー・ソーシャル・クラブ、4日間で10回以上と会場中至る所を演奏して回ったレーヴェンの楽隊行進は日々反響を増し、日本勢でも「アウェイ」を「ホーム」に変える盛り上がりに沸いた筋肉少女帯や、雨が引いた黄昏時を幻想的に包み込んだ高橋幸宏などが見られた。

最終日には、中止を味わった1997年第1回を経て以来のウィーザーが登場した。

また、2日目グリーンにおいて、同年5月に亡くなった忌野清志郎を追悼する呼びかけの下、1夜限りの「スペシャル・メッセージ・オーケストラ」が急遽結成され、仲井戸麗市Char泉谷しげるCHARAUALeyonaトータス松本甲本ヒロト&真島昌利YO-KING浜崎貴司などが顔をそろえた。ライブ終盤には、生前のライブ映像と当日の演奏をシンクロさせる演出が行われ、「キング・オブ・フジロック」こと忌野清志郎は“最後のフジロック出演”を果たした。

  • のべ動員数(前夜祭を含む4日間):123,000人(金曜36,000、土曜38,000、日曜34,000)
  • 前夜祭:15,000人、キャンプサイト:18,000人、テント設置数:8,000張り

[編集] 2010年

1日目(7月30日) 2日目(7月31日) 3日目(8月1日)

2010年は、初日ゼム・クルックド・ヴァルチャーズ、2日目ワン・デイ・アズ・ア・ライオン、そして最終日アトムス・フォー・ピースと、各日のヘッドラインに大物ミュージシャンから成るスーパーグループが名を連ね、高い話題性をともなってそれぞれで多くの観衆を動員した。

2日目では、フィッシュボーンフロッギング・モリーに至る流れで怒涛の盛り上がりに発展したレッドトリの他、昼下がりのグリーンを緩急自在に演じたジェイミー・カラムジョン・バトラー・トリオ、ヘヴンの夜をスリリングな演奏で掌握したデレク・トラックス&スーザン・テデスキ・バンドの抜群のパフォーマンスも絶賛を受けた。2日目ではホワイトステージのトリであったMGMTが会場の定員をオーバーし、ホワイトステージには入場制限が設けられた。

3日目では同時間帯での出演が被ったホワイトのLCDサウンドシステムとレッドのホット・チップであったが、それぞれでピークタイムを何度も迎えるパーティー空間を作り出した。ジャガ・ジャジストが雨のちらつくホワイトに余韻を残した一方で、初日は昨年のゴングに続くように、オレンジのトリとしてマグマが登場した。同日のザッパ・プレイズ・ザッパ~新進気鋭ダーティー・プロジェクターズからの流れを含めプログレ要素を加えたコンセプトブッキングが、オレンジのステージ構成に新たな一面を垣間見せた。次の日、マグマのリーダー、クリスチャン・ヴァンデがジプシー・アヴァロンでピアノの弾き語りによるソロを披露した。クリスチャンがこのようなソロを披露するのはきわめて異例だった。

この年は、オールドスクール志向のヘッドライン形成となった2日目グリーンが、世界的にも異彩を放った。再々結成に伴う約10年ぶりの来日をヘッドライナーで飾ったロキシー・ミュージックは円熟の妖艶さで雨天の苗場を魅了し、さらにトリ前に登場したジョン・フォガティは実に38年ぶりという来日公演を、ベストアクトの呼び声高い圧巻のステージングで実現させた。ちなみに、トリであるロキシー終演後には、変則的ながら2日目に初のクロージング枠が設けられ、映像作品をVJで駆使するクリス・カニンガムがその任に起用された。

  • のべ動員数(前夜祭を含む4日間):125,000人(金曜34,000、土曜37,000、日曜39,000)
  • 前夜祭:15,000人、キャンプサイト:18,000人、テント設置数:8,000張り

[編集] 2011年

1日目(7月29日) 2日目(7月30日) 3日目(7月31日)

[編集] 参考情報

  • 混み具合にもよるが通常、入場ゲートから1番奥のステージまでは徒歩で30分ほどかかる。
  • ステージ間でかなりの距離を置いているため、他ステージの音はほとんど気にならない。しかしフィールド・オブ・ヘブンとオレンジ・コートは隣接しているので音が被る場面が多少みられる。
    • また2003年の開催に於いてグリーンステージトリのビョークが静謐な音を奏でる中、ホワイトステージトリのイギー・ポップの爆音がグリーンステージまで届き、ビョークを憤慨させたとの逸話が残っている。
  • ある程度ステージによってパフォーマンスの種類をそろえているので、違うジャンルの曲を聞きに移動する際は余裕を持って移動することが望ましい。
  • 真夏とはいえ、山間部を会場としているために、夜は防寒対策が必要である。また、なにより開催期間中はほぼ100%の確率で雨が降るため、防寒対策以上に雨具の携帯は必須である。傘を差す行為は周りの迷惑であるので禁止されており、カッパ類の着用が常識である。
  • 降雨に伴い歩道(もちろん砂利道)も泥で非常にぬかるむため、履物に関しても留意が必要である。ちなみに、常連フジロッカーの足元は長靴というスタイルで定着している。
  • 映像収録はフジテレビ子会社のFuji International Productions (UK) Ltd(会社解散により2006年からはフジパシフィック音楽出版が承継)が行い、1997年から2007年までの11年間はWOWOWによってその年のライブの模様が約1ヶ月後にオンエアされていた。およそ1アーティストにつき1~3曲収録される。たいていレッドのトリ、ホワイトの準トリは2曲以上、グリーンのトリと準トリ・ホワイトのトリは3曲以上、その他の時間帯およびステージは各アーティスト1曲のみの収録が慣例となっている。しかし、局や編集者の嗜好などにより特定のバンドに力が注がれた構成になったりすることが稀にある。直近では2007年のオンエアがいい例でレッドのトリ(ファウンテンズ・オブ・ウェインクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー)をわずか1曲、各日のホワイトのトリと準トリ群を1、2曲収録に留め代わりに「ブンブンサテライツの1日」などと称した複数の小コーナーおよび当人へのインタビューとライブ映像含め、ブンブンサテライツ関連を計40分も収録した。2008年はフジテレビ721、2009年からはフジテレビNEXTが放映を行っている。
  • オフィシャルメディアのInterFMでは、毎年フジロックからライヴ音源を生中継でオンエアーしている。また、フジロック開催後も頻繁に音源をオンエアー。
  • 2006年にスタートした韓国ペンタポート・ロック・フェスティバルは、フジロックと連動したラインナップを形成していた。しかし2009年、同フェスを運営する企業間に対立が起こり、フェス団体は分裂した。ブッキング交渉を担当していた側の団体がペンタポートを脱退し、フジと同種のコンセプトの下、スキー場という山間立地に「ジサン・バレー・ロック・フェスティバル」(Jisan Valley Rock Festival)を立ち上げてフジロック'09と連動したラインナップを形成した。その年は開催日程を同日にぶつける対決構図であったが、翌2010年からは開催日を1週間ずらしつつ、両フェスでそれぞれフジロックと連動させたシェア・ブッキングを行いながら、一部で独自のヘッドライナーを招集するなど共存競合にむけた運営となっている。

[編集] 関連項目

[編集] 参考

  • FRFヒストリー
  • ドキュメンタリーDVD 『THE HISTORY OF THE FUJI ROCK FESTIVAL』

[編集] 外部リンク

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