サニーデイ・サービス
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| サニーデイ・サービス | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ロック |
| 活動期間 | 1992年-2000年 2008年- |
| レーベル | MIDI |
| メンバー | |
| 曽我部恵一 Vo. G. 田中貴 Ba. 丸山晴茂 Dr. |
|
サニーデイ・サービス(Sunny Day Service)は、日本のロックバンド。
目次 |
[編集] 概要
パンクバンドとして結成され(半分シャレで、精神的に「パンクバンド」という意味に推測される)、音楽性を変化させつつ1995年メジャーデビュー。デビューミニアルバムはフリッパーズ・ギターの影響色濃く、自らも「フリッパーズフォロワーですよ」とうそぶくほどであったが、初のフルアルバム『若者たち』ははっぴいえんどを髣髴とさせるフォークロックを1990年代のサンプリング的解釈で表現した作品となり、以後1990年代の新しいアコースティックバンドとして確かな実力を発露。評価を得る。
惜しまれながらも2000年12月14日「LoveAlbumツアー」最終日をもって解散。なお、シングルのほとんどがバンドメンバーの意向により絶版になっている。
2008年7月25日、再結成が発表された。
[編集] メンバー
- 曽我部恵一(そかべ けいいち、1971年8月26日 - )- ギター、ボーカル。香川県坂出市出身。立教大学中退。
- 田中貴(たなか たかし、1971年6月25日 - )- ベース。愛媛県今治市出身。成蹊大学中退。
- 丸山晴茂(まるやま はるしげ、1970年11月6日 - )- ドラム。東京都北区出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業。
[編集] サポートメンバー
[編集] 略歴
- 1992年 - 立教大学在学中、4人組グループとして結成。結成当初はパンクバンドだったという。曽我部、田中はこれ以前に「ロックンロール・スター」というバンドを組んでいたが、仲間内の軽いノリのバンドだったので、曽我部はあまり触れて欲しくないらしい。バンド名は曽我部の好きなイギリスのバンド「アナザー・サニーデイ(en)」をヒントにつけられた。
- 1994年 - インディーズでの活動を経て、シングル『星空のドライブep』でメジャーデビュー。メジャー2枚目の『コズミックヒッピーep』を発表後、メンバー二人が脱退。曽我部、田中が残る。
- 1995年 - 元エレクトリック・グラス・バルーン(後述のSUGIURUMNこと杉浦英治がフロントマンで同じMIDIのバンド)の丸山が加入。念願のドラマーが加わった3ピースバンドとなり、1stアルバム『若者たち』をリリース。渋谷系とは打って変わって、はっぴいえんどのオマージュとも言えるような1970年代風のフォーク・ロックを展開する。
- 1996年 - 2ndアルバム『東京』をリリース。
- 1997年 - 3rdアルバム『愛と笑いの夜』をリリース。その9ヶ月後に早くも4thアルバム『サニーデイ・サービス』をリリース。また、このアルバムの先行シングルであった8thシングル『NOW』は、ロッテ・ガーナチョコレートのCMソングになったことも手伝い、サニーデイ史上最高のセールスを記録した。一番バンドとしての状態が良かった時期であり、メンバーも一番仲が良かったらしい。
- 1998年 - 5thアルバム『24時』をリリース。様々なタイプの楽曲が収録されており、12cmと8cmCDの2枚組で80分を超える大作で、非常に混沌としている。このアルバムと次のアルバムまでは、バンドサウンドを完成させたことによるマンネリがバンド内で生まれており、後に曽我部は「『とりあえず現状を全部入れておくので、よろしく』といった感じで作った」と語っている。
- 1999年 - 6thアルバム『MUGEN』をリリース。前作の反動か、全10曲収録と前作に比べると少なめ。前作に比べ、このアルバムでは原点回帰しており、過去のサニーデイをその当時のサウンドプロダクトで作ったようなものとなっており、サニーデイ・サービスとしてはこのアルバムがピークだとも言われる。曽我部曰く「最後のプレゼント」。この頃からバンド内に亀裂が生じ始め、丸山がレコーディングにあまり来なくなったという。
- 2000年 - 13thシングル『夜のメロディ』をリリース(所属レコード会社内に作ったレーベル「Q&A」の最初のリリース)。14thシングル『魔法』では、SUGIURUMNを共同プロデューサーに迎え、本格的に打ち込みへ挑戦。その後リリースされた7thアルバム『LOVE ALBUM』は半数以上が打ち込み曲であり、今までのサニーデイにはなかった新境地的な内容であったが、「打ち込みはやらない」というバンドの約束事を破ってしまったことになり、結果としてバンドの終焉を決定付ける要因となってしまったと思われる。この頃、丸山は全くと言っていいほどレコーディングに来ておらず、実質彼はこのアルバムには参加していない。従って生のドラムはほとんどサポートドラマーが叩いている。曽我部はこのアルバムのツアーでバンドの良い状態を取り戻せれば、と思っていたらしいが、彼自身がライブのリハーサルに来ないなど、良い方向に傾くことはなく、ツアー中に解散を発表。12月14日、新宿リキッドルームでのラストライブをもって解散する。最後の演奏曲はアンコールに応え、季節外れの「サマー・ソルジャー」だった。
- 2008年 - RISING SUN ROCK FESTIVAL2008で再結成ライヴが決定。今のところ新曲のリリース予定はないが、一度限りの再結成ではなく、曽我部は曽我部恵一BANDなどと並行して活動していくという。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
- S.F.colour is born - (大学の先輩である新井仁のバンドN.G.THREEとの共作。7インチ/スプリット盤。1993年)※インディーズ
- COSMO-SPORTS ep(1993年) ※インディーズ
- INTERSTELLA OVERDRIVE EP(1994年7月21日)
- COSMIC HIPPIE(1994年11月21日)
- 御機嫌いかが?/街へ出ようよ(1995年3月21日)
- 青春狂走曲(1995年7月21日)
- 恋におちたら(1995年11月21日)
- ここで逢いましょう(1996年7月5日)
- サマー・ソルジャー(1996年10月25日)
- 白い恋人(1997年2月12日)
- 恋人の部屋(1997年5月25日)
- NOW(1997年9月26日)
- さよなら!街の恋人たち(1998年5月27日)
- 今日を生きよう(1998年9月2日)
- スロウライダー(1999年8月18日)
- 夢見るようなくちびるに(1999年9月22日)
- 夜のメロディ/恋は桃色(2000年5月24日)
- 魔法(2000年7月26日)
[編集] オリジナルアルバム
- SUPER DISCO(1994年) ※インディーズ
- 若者たち(1995年4月21日)
- 東京(1996年2月21日)
- 愛と笑いの夜(1997年1月15日)
- サニーデイ・サービス(1997年10月21日)
- 24時(1998年7月15日)
- MUGEN(1999年10月20日)
- LOVE ALBUM(2000年9月20日)
[編集] ライブミニアルバム
- FUTURE KISS(2000年12月6日)
[編集] 編集盤
- Party Love Album(2000年10月6日) - リミックスアルバム
- Best Sky(2001年5月23日) - ベストアルバム
- Best Flower -B SIDE COLLECTION-(2001年5月23日) - カップリング集
[編集] その他音源
- 蜂と蜘蛛(1998年のツアーパンフレットに付属していたボーナスシングル)
- まわる花(未発表曲)
- 恋人たちのワルツ(未発表曲)
- 真昼の出来事(未発表曲、のちに曽我部恵一のソロ作に収録)
[編集] 映像作品
- TEENAGE FLASHBACK VOL.1(VHS、1996年4月20日)
- TEENAGE FLASHBACK VOL.2(VHS、1998年3月18日)
- TEENAGE FLASHBACK 1995-2000(DVD、2008年)
DVDには、VHS2本の内容に加えて1998年以降の作品とボーナス映像が含まれる。
DVDボーナスは1997年7月ライヴ@日比谷野外音楽堂+1997年12月ライヴ@新宿リキッドルームの映像と「さよなら!街の恋人たち」短編フィルムの3本。
[編集] エピソード
- インディーズ時代、友人のバンドが出演するライブを観に行った曽我部は、酔っ払ってしまった挙句、見ず知らずの男性に絡んだ。この絡まれた男性こそが、後にディレクターとなり活動を支えた渡邊文武である。絡みながらも、たまたま持参していたCDを渡したことがメジャーデビューへの足がかりとなった[1]。
- 曽我部が考案したオリジナルカクテル「黄金」は、下北沢の「ClubQue」の名物だが、味はとても甘い。
[編集] 引用
- ^ FM STATION 1995年3月27日号

