エミネム

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Eminem
Eminem at DJ hero party with d12.jpg
2009年
基本情報
出生名 Marshall Bruce Mathers III
別名 スリム・シェイディ
出生 1972年10月17日(42歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ミズーリ州セントジョセフ
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト
ジャンル ヒップホップ
職業 ラッパー音楽プロデューサーシンガーソングライター俳優
活動期間 1992年 - 現在
レーベル Bassmint Productions、Mashin' Duck Records、ウェブ・エンターテインメントインタースコープ・レコードアフターマス・エンターテインメントシェイディー・レコード
共同作業者 ロイド・バンクスバス・ブラザーズキャシスドクター・ドレーD1250セントネイト・ドッグスタット・クオイグジビットバッド・ミーツ・イーヴィルロイス・ダ・ファイブ・ナインイェラウルフ

Eminem(エミネム、本名:マーシャル・ブルース・マザーズ3世Marshall Bruce Mathers III1972年10月17日 - )は、アメリカ合衆国ヒップホップMCプロデューサー俳優。身長173cm。

概略[編集]

エミネムというステージネームは、本名のイニシャル「M&M」を早口にしたら「Eminem」になったというものが由来とされる。また、「スリム・シェイディ(Slim Shady)」という道化師の別人格が存在するとし、スリムあるいはシェイディという名前が歌詞にも頻繁に登場する。スリム・シェイディのコンセプトを思いつく1997年以前から自身をエミネムと名乗っており、初期にM&Mの名で活動していた。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第83位。

MTVが選ぶ「史上最も偉大な10人のMC」ランキングでは、KRS・ワンラキムなどが並ぶ中、堂々の9位に選ばれた。又MTVが選ぶ2010年の「最もホットなMC」ランキングでは、昨年の圏外から堂々の1位に選ばれた。[1]

アルバムトータルセールスが1億枚を超える史上最も売れたヒップホップ・ミュージシャンであり、2000年代の10年間に世界で最もアルバムが売れたアーティストである。

来歴[編集]

アメリカ合衆国ミズーリ州セントジョセフ生まれ。曽曽祖母は、1870年代にアメリカに渡ったスコットランドからの移民[2]。その他ウェールズイングランドドイツスイスポーランドルクセンブルク人の祖先をもつと推測されている[3]。幼い頃から極貧の環境に育ち、12歳の時までカンザスシティデトロイトを母親と共に2、3ヶ月ごとに転々と過ごす。友達もできず、仲間外れにされ、いじめられ、自殺未遂も経験する。悪環境の中、自然とアフリカ系アメリカ人層やヒップホップに親しむようになる。14歳ごろから本格的にMCとして活動しはじめ、黒人優位のヒップホップ界において、白人ながらいくつものMCバトル・コンテストに挑戦する。中学校時代三回留年している。

1996年に自主制作アルバム『インフィニット(infinite)』をリリース。ナズAZの影響を受けたこの作品はあまり注目されずに終わる。

1997年~2001年[編集]

1997年、自主制作テープ「ザ・スリム・シェイディ EP(The Slim Shady EP)」が2万枚の売り上げを記録、ロスで行われたラップ・オリンピックに参加し準優勝した。注目されつつあったエミネムは、翌日、西海岸のヒップホップ・ラジオ・ショー「フライディ・ナイト・フレイヴァス」に出演しフリースタイルMCを披露。ヒップホップ界の大物であり名プロデューサーのドクター・ドレーに見出され、ドレーのレーベル、アフターマス・エンターテインメント(Aftermath Entertainment)と契約し、1999年に「ザ・スリム・シェイディ EP」をベースにメジャー・デビューアルバム『ザ・スリム・シェイディ LP(The Slim Shady LP)』をリリース。米ビルボードチャートで最高位2位、いきなり全世界で600万枚を超えるセールスを記録し「グラミー賞最優秀ラップアルバム部門」受賞。一気に スターダムにのし上がった。

2作目のアルバム、本名を冠した『ザ・マーシャル・マザーズ LP』を2000年に発売。発売から1週間で179万枚を売り上げ、ソロシンガー又はヒップホップミュージシャンによるアルバムの世界最速最多売上記録としてギネスブックに認定される。最終的に前作を遥かに凌ぐ1700万枚以上売り上げたが、収録曲「ザ・リアル・スリム・シェイディ(The Real Slim Shady)」では、歌詞にウィル・スミスブリトニー・スピアーズの名前が挙がり、訴訟騒ぎにもなる。 更にこのアルバムが「グラミー賞最優秀アルバム部門」へノミネートされると、以前からエミネム自身と彼の歌詞を抗議している同性愛者の権利団体GLAADがこれを非難したが、両性愛者のミュージシャンであるエルトン・ジョンは、エミネムを「ジミ・ヘンドリックスミック・ジャガージェイムス・ブラウンアレサ・フランクリンのような伝説的ミュージシャンと同等」と賞賛し、2001年2月21日グラミー賞の授賞式、同26日ロンドンでのブリットアワードでエミネムとの競演を果たした。

自身のアルバム制作以外では、地元デトロイトの仲間とともに結成したヒップホップ・ユニット、D12(ディー・トゥエルブ)に参加。「ビッグになったらまた組む」とした盟友との約束を果たしている。2001年6月に発表されたD12のデビュー・アルバム『デビルズ・ナイト(Devil's Night)』は、初登場1位を記録した。

2002年~2004年[編集]

2002年、3作目のアルバム『ザ・エミネム・ショウ』の発売と相前後して半自伝的映画8 Mile」に主演主題歌「ルーズ・ユアセルフ(Lose Yourself)」で2003年度アカデミー歌曲賞を受賞。 なお、『ザ・エミネム・ショウ』はアメリカでの初動売り上げは132万枚(当時歴代5位)。累計売り上げは、アメリカで930万枚、全世界で1900万枚以上を売り上げ、2002年に世界で最も売れたアルバムとなる。[4]

2004年、4枚目のアルバム『アンコール』からのシングルカット曲、「ジャスト・ルーズ・イット(Just Lose It)」のPVではマイケル・ジャクソン幼児虐待疑惑や鼻の整形を皮肉った物まねを披露し、マイケルや彼のファンから反感を買うこととなり、このPVの放送を中止する放送局も現れた。また、米国大統領選の1週間前、「アンコール」収録曲「モッシュ(Mosh)」のPVをインターネットで公開し、反ブッシュの考えを明らかにした。 また、2004年にアップル社が「ルーズ・ユアセルフ」を無断利用したCMを放映し、訴訟へと発展したが、その後和解。それまでかたくなに曲の提供を断っていたが、2005年10月にiPodのCMでタイアップを正式に行った。

2005年~2006年[編集]

『プロデュース業に専念するため最後になる』と言われていたヨーロッパツアー直前の2005年8月、突如体調不良から公演をキャンセル。睡眠薬過度服用及び依存症治療のための入院が原因とされ、2009年まで薬物依存症は克服できていない。 精神病院に強制入院させられ、閉鎖病棟に隔離されていた。

『アンコール』リリース以降はGユニットオービー・トライス2パックなどのプロデュース業を中心に活動した。

2006年1月14日、復縁が囁かれていた前妻キムと再婚した。Gユニット、オービー・トライスなどが参列する中、ミシガンのメドー・ブルック・ホールにて挙式が行われた。娘のヘイリー、キムの姪、キムの娘(父親はエミネムでなく、養子縁組した)と暮らすが、同年4月には再び離婚した。ヘイリーの親権は共同親権となっている。

2006年4月11日未明、地元デトロイトのナイトクラブで彼のユニットD12のメンバーであったプルーフ(Proof、本名:Deshaun Holton)が、口論の末、頭や胸に4発の銃弾を受け死亡する事件が起きた。エミネムは「プルーフが俺をプッシュしてくれたお陰で今の俺がいる。アイツがいなかったら今のマーシャル・マザーズはいないしエミネムも勿論スリム・シェイディも存在しない。(中略)アイツは俺の一番の親友だった…そしてこれからも。」とのコメントを残し、プルーフの葬儀では目を赤く腫らし泣いていた。その後、彼は腕にプルーフの名前をタトゥーとして入れている。

2006年12月リリースのコンピレーションアルバム『Eminem Presents The Re-Up』収録曲「You Don't Know」のPV以降はプロデューサーとしての活動が続いた。

2009年~2010年[編集]

2009年、先行シングル「クラック・ア・ボトル」発売後、5月20日に『リラプス』を発表した。「クラック・ア・ボトル」は米ビルボード総合チャートで初登場1位を記録。『リラプス』はアメリカで発売初週60万枚以上を売上げ初登場1位となり、事実上エミネムの復活作となる。『リラプス』発売前には2009年内に『リラプス2』の発売も予定していると報じられ、エミネムは『リラプス』作中にも『続編がある』と明言した。同年12月には、『リラプス2』までファンを待たせたくないというエミネムの意向により、急遽『リラプス』に新曲EPをパッケージした『リラプス リフィル』が発売された。[5]

2010年4月、ツイッターに『There is no Relapse 2.(リラプス2は存在しない。) 』と書き込み、『リラプス2』のタイトルを『リカバリー』に変更し内容も改め発売することを発表。2010年5月に先行シングル「ノット・アフレイド」発売後、6月に『リカバリー』を発売。アメリカで341万5,000枚のセールスを上げ、2002年の『The Eminem Show』以来2度目の年間アルバム・セールス首位を獲得した、初めてのアーティストである。[4]

2011年~現在[編集]

2012年5月24日に、エミネムは次のスタジオ・アルバムに取り組んでいると発表。

2011年6月、ロイス・ダ・ファイブ・ナインとのコラボレーションユニット「バッド・ミーツ・イーヴィル」名義で、初の音源となる『ヘル:ザ・シークエル』をリリース。全米ビルボードアルバムチャートにて初登場1位を記録したこのアルバムは、現在までに52万枚以上を売り上げ、全米でゴールドディスクを獲得した。 2012年8月にrecovery tourのAsia公演として『THE RECOVERY JAPAN TOUR 2012』を公演した。16日に舞洲特設会場にて行われ、翌日にはQVCマリンフィールドでの公演では、スペシャル・ゲストとしてドクター・ドレーも登場した。

2013年11月、アルバム『ザ・マーシャル・マザーズ・LP2』を発売。発売から2か月でアメリカで170万枚、世界で290万枚以上を売り上げ、2013年のアメリカのアルバムセールス2位を記録する。

エミネムのYouTube上での公式Vevoページのミュージック・ビデオの合計視聴回数が、20億を突破。

また、アルバム『ザ・マーシャル・マザーズ・LP2』から発表されたシングルの4曲全てが全米チャートのトップ20にランクインするという快挙が成し遂げられた。これは、1964年にビートルズが成し遂げて以来、実に49年ぶりの記録となる。[6]

2014年6月10日、RIAA(ザ・レコーディング・インダストリー・アソシエーション・オブ・アメリカ=アメリカレコード協会)がエミネムのシングル「ノット・アフレイド」を1000万枚売り上げたダイアモンド・アワードとして認定した。彼はすでにリアーナとのフィーチャリング曲「ラヴ・ザ・ウェイ・ユー・ライ」でも同賞を獲得しており、デジタル・ダイアモンド・アワードを二つ勝ち取った史上初のアーティストだと認定された[7]

私生活[編集]

1995年に、学生時代からの付き合いであったキンバリー・スコットとの間に、娘のヘイリー・ジェイドが生まれる、1999年に結婚したが、2001年に離婚。しかし、2004年の後半から再び交際が始まり、翌年に復縁。家族の他、50セントやD12、オービー・トライスG-ユニットキッド・ロックなど、大勢の身内を招いて、2006年1月14日に再び挙式したが、同年4月5日に離婚申請を提出し、12月19日に両者の離婚が確定した。その後は半年程、世界的歌姫のマライア・キャリーと交際していたことを明かしている。1999年には、エミネムの母親が、The Slim Shady LPに含まれる歌詞中の彼女に関する中傷で約1000万ドルで彼を訴える。彼女は2001年に約1,600USドルを勝ち取った。

さらに彼は、コメディ映画「スーパー・バッド 童貞ウォーズ」を200回近く観たと公言している。[8]

2001年のグラミー賞授賞式にて、「スタン」ダイドのパートをエルトン・ジョンがピアノで弾き語り、話題となった。以降、2人は親しくなり、エミネムの薬物中毒治療をエルトンがサポートした[9][10]。ちなみにエルトンも、1980年代まで薬物中毒に陥っていた。

2014年5月11日の母の日、エミネムはこれまでずっと確執を抱えてきた母への謝罪として、「Headlights」のPVを公開した。悲惨な幼少時代を過ごした彼にとって、母のデビーはこれまで憎しみの対象となってきた人物だった。しかしエミネムは母を許し、その証明として今後は彼女を罵倒した曲である「Cleanin' Out My Closet」をライブ上で演奏しないということまで「Headlights」の歌詞に記している[11]

そのきっかけとなったのは、デビーの重い心臓の病にあるのではないかと推察されている。病床に着いている彼女が果たしたいと思った望みは、エミネムと和解し、彼の娘に会うということだった。その事態を受けて、エミネムが行動を起こしたのだと考えられている[12]

子煩悩[編集]

そのイメージからは想像も出来ないほど子煩悩な父親としても有名で、家では特に言葉遣いを厳しく躾けている[13]。また、エミネムの右腕には、ヘイリーのポートレートが彫られている。

だからこそ、2歳のときに家を出て行った実の父親に対しては、次のように厳しい見方をしている。

彼のことは知らない。会ったこともない。(会いたいか)訊かれるけど、そうは思わない。なんで、あんなことができたのか(自分たちをおいて出て行ったのか)理解できない。もし俺の子供たちが地球の裏側に移り住んだとしても、俺は彼女たちを見つけ出す。それは確かだ。金がないとか関係ない。俺が何も持ってないとしても、子供は見つける。だから、弁解の余地はない[14]

作品[編集]

シングル[編集]

UKのシンガー、ダイドの「Thank You」を大胆にサンプリングし、ミュージック・ビデオではダイドとの共演も果たした。過激なリリックよって狂気に満ちた主人公の心情を綴っているが、これは現実にならないのを防ぐため。
※2001年のグラミー賞授賞式にて、ダイドのパートをエルトン・ジョンがピアノで弾き語った。
  • ウィザウト・ミー - Without Me (2002年5月29日)
  • クリーニング・アウト・マイ・クローゼット - Cleanin' Out My Closet
  • ルーズ・ユアセルフ - Lose Yourself (2003年4月23日) 米ビルボードチャート1位獲得
  • ジャスト・ルーズ・イット - Just Lose It (2004年11月15日)
  • ライク・トイ・ソルジャーズ - Like Toy Soldiers
  • ホエン・アイム・ゴーン- When I'm Gone (2005年12月19日)
  • クラック・ア・ボトル- Crack a Bottle (2009年) 米ビルボードチャート初登場1位獲得
  • ウィ・メイド・ユー - We Made You (2009年4月)
  • ノット・アフレイド - Not Afraid (2010年5月) 米ビルボードチャート初登場1位獲得
  • ラブ・ザ・ウェイ・ユー・ライ - Love The Way You Liefeat.Rihana (2010年7月) 米ビルボードチャート7週連続1位獲得
  • ノー・ラヴ - No Lovefeat. Lil' Wayne
  • Berzerk 全米3位、全米2013年間66位
  • Survival 全米16位
  • Rap God 全米8位
  • The Monster ft.Rihanna 全米1位(4週)
  • Headlights ft. Nate Ruess
  • Guts Over Fear ft. Sia

アルバム[編集]

DVD[編集]

  • ∃ (2001年2月21日)
  • アップ・イン・スモーク・ツアー (2001年)
  • ザ・スリム・シェイディ・ショウ - The Slim Shady Show (2002年6月12日)
  • オール・アクセス・ヨーロッパ - All Access Europe (2002年6月29日)
  • エミネム DA HIP HOP WITCH (2003年)
  • アンガー・マネージメント・ツアー - Eminem Presents The Anger Management Tour (2005年6月29日)
  • ライヴ・フロム・ニューヨーク・シティ -Live From New York City

映画[編集]

関連作品[編集]

  • キッド・ロックDevil Without a Cause」(1998年)※収録曲 F*!k Off に客演
  • D12「Devil's Night」 (2001年)
  • D12「D12 World」(2004年)
  • Gユニット 「Beg for Mercy」(2003年)
  • サウンドトラック「レザレクション〜ヨミガエリ。」(2003年)
  • 2パック「ロイヤル・トゥ・ザ・ゲーム」(2005年)
  • Obie Trice 「Second rounds on me」(2006年)
  • リル・スクラッピー 「Bred 2 Die Born 2 Live」(2006年) ※収録曲 Lord Have Mercy 制作
  • ロイド・バンクス 「Rotten Apple」(2006年) ※収録曲 Hands Up 及び NY NY 制作
  • エイコン 「Konvicted」(2006年) ※収録曲 Smack That 客演及び制作
  • 50 Cent 「Curtis」(2007年) ※収録曲 Peep Show 客演及び制作
  • ヤング・バック 「Buck The World」 ※収録曲 Lose My Mind 制作
  • T.I.T.I. vs T.I.P.」 (2007年) ※収録曲 Touchdown 客演及び制作
  • Trick Trick 「The Villain」 (2008年)
  • リル・ウェイン「Rebirth」(2010年)※収録曲Drop The World客演及び制作
  • Call of Duty: Black Ops (2010年) ※エンディングテロップ
  • B.o.B「B.o.B Presents The Adventures Of Bobby Ray 」(2010年)※収録曲 Airplanes, PartII 客演及び制作
  • リアーナ「Loud」(2010年)※収録曲Love The Way You Lie(PartⅡ)客演及び制作
  • T.I.「No Mercy 」(2010年)※収録曲That's All She Wrote 客演及び制作
  • ニッキー・ミナージュ「Pink Friday」(2010年)※収録曲Roman's Revenge 客演及び制作
  • ドクター・ドレー「Detox」先行シングルI need a doctor(2011年)客演及び制作

日本公演[編集]

5月23日・24日 幕張メッセ 4・5・6番ホール
  • 2012年 『THE RECOVERY JAPAN TOUR 2012』
8月16日 大阪・舞洲特設会場・17日 QVCマリンフィールド (オープニングアクト:スローターハウス、スペシャルゲスト:ドクター・ドレー(17日のみ))

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ MTV Specials - Hottest - Mc2011年5月6日閲覧
  2. ^ Silverman, Stephen M. (2001年8月27日). “Eminem's Scotland Concert Skirmish”. People.com. 2010年5月24日閲覧。
  3. ^ Ancestry of Eminem”. Wargs.com. 2010年5月24日閲覧。
  4. ^ a b v.a.(洋楽):2010年、アメリカで最も売れたアルバム・トップ5/BARKS ニュース2011年2月3日閲覧
  5. ^ エミネム、「リラプス」に新曲を追加した続編急遽発売(ナタリー) - エキサイトニュース2011年2月4日閲覧
  6. ^ bmr―http://bmr.jp/news/90064
  7. ^ エミネム公式HP―http://www.universal-music.co.jp/eminem/news/2014/06/12/ 閲覧 2014/06/13
  8. ^ Vulture―http://www.vulture.com/2009/12/eminem_explains_away_relapses.html 閲覧日 2014/02/05
  9. ^ [エルトン・ジョン、エミネムの薬物中毒治療をサポート www.mtvjapan.com/news/celebrity/16989]
  10. ^ [エミネム、リハビリ中はエルトン・ジョンに相談していた www.mtvjapan.com/news/music/15697]
  11. ^ 産経ニュース―http://sankei.jp.msn.com/gqjapan/news/140513/gqj14051317510004-n1.htm 閲覧 2014/05/31
  12. ^ CLASH―http://www.clashmusic.com/news/mothers-plea-to-eminem 閲覧 2014/05/31
  13. ^ エミネムはインタビューで「自分の子供に対して『このクソアマ、それを片付けやがれ!』なんて叫ぶ親がどこにいるんだよ」と語っている(日刊ゲンダイの記事より)。
  14. ^ [エミネム「親なんだから、家で汚い言葉は使わない」 http://www.barks.jp/news/?id=1000064804]

外部リンク[編集]