ビョーク

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これはアイスランド人の名前です。姓にみえる部分は父称であり、の名前としてのではありません。この記事で取り扱っている人物は、正式には個人名ビョークで呼ばれます。
ビョーク
Björk
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基本情報
出生名 Björk Guðmundsdóttir
出生 1965年11月21日(48歳)
出身地 アイスランドの旗 アイスランド レイキャヴィーク
ジャンル ロック
ポップ・ミュージック
エレクトロニカ
オルタナティヴ・ロック
ダンス
ジャズ
トリップ・ホップ
クラシック
職業 ボーカリストミュージシャンプロデューサーアレンジャープログラマー俳優
担当楽器 ボーカル、ラップトップ(ノートパソコン)
活動期間 1977年 -
レーベル One Little Indian
Elektra
Polydor
Mother
Smekkleysa
共同作業者 The Sugarcubes, Tappi Tikarrass, KUKL, Spit and Snot, Exodus, Jam80
公式サイト bjork.com

ビョーク・グズムンズドッティルアイスランド語Björk Guðmundsdóttir翻字:([ˈpjœr̥k ˈkvʏðmʏntsˌtoʊhtɪr] ( 聞く))、1965年11月21日 - )は、アイスランド歌手シンガーソングライター作曲家女優

概要[編集]

アイスランドのレイキャヴィークで生まれた女性歌手で、ビョークとして知られている。ソロで精力的に活動する以前は、オルタナティヴ・ロックバンド「ザ・シュガーキューブス」のメイン・ボーカルとして活動していた。

彼女は様々なジャンルの音楽に影響を受けた革新的な音楽を生み出すことで知られ、グラミー賞に12回、アカデミー賞に1回ノミネートされるなど多数の賞を獲得している。

彼女のレコード・レーベル One Little Indianによると、2003年現在、彼女は全世界で1,500万枚のアルバムを売り上げている。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第60位にランクインしている[1]

また、「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第35位にランクインしている[2]

「ビョーク」とは「カバノキ」、「グズムンズドッティル」とは「グズムンドゥルの娘」を意味する。

経歴[編集]

1990年以前[編集]

ヒッピームーブメントに影響を受けた両親(ちなみに両親は彼女が1歳の時に離婚している。母の再婚相手はギタリスト)のもと、4歳の頃から作曲を始め、7歳から地元の音楽学校に通いフルートやピアノ、クラシックを学ぶ。

1977年に母ヒュドゥルの勧めで12歳にしてアルバム『Björk Guðmundsdóttir』でデビュー。アイスランド童謡を歌ったこのレコードで、アイスランド国内で爆発的な人気を得る。しかし彼女自身はカバーばかりで自分の曲が1曲しか入っていないこのアルバムに満足していない発言を後に残しており、レコード会社からの2枚目のアルバムの話を断り、天才少女の肩書きと決別する。

さらに、アーティストたるもの新しいものを創造することが使命であり、過去の作品を演奏することの多いアカデミックな音楽教育に疑問を呈する発言をしており、その後アイスランドに訪れたパンクの波に影響され13歳で「タッピティカラス」などのいくつかのバンドを結成。さまざまなパートを担当する。

1986年、ギタリストのソール・エルドンと結婚し、6月8日に息子シンドリを出産。この日にギターポップバンド「ザ・シュガーキューブス」を結成。夫と共に立ち上げたレーベル「バッド・テイスト」からデビュー。英語で発表した曲はアイスランドのみならず英語圏でも注目を集めて人気インディーズバンドとなり、1990年にはワールドツアーを行い、来日も果たす。 同じく1986年アイスランドにて息子シンドリの育児をしながら、グリム童話を題材にした映画 ビョークの『ネズの木』~グリム童話よりに主演を果たしている。

1990年以降[編集]

ザ・シュガーキューブス解散後、1993年にソロアルバムをリリース。ソロとしては3枚目であるが改めて『デビュー』と題したこのアルバムはハウスを取り入れた先鋭的かつポップなサウンド、天真爛漫でフォースフルなボーカルが大々的にフィーチャーされ、世界的にヒットした。

ビョーク(2000年撮影)

若い頃には東洋的な顔立ちから日本人に似ていると周囲に指摘され、三島由紀夫などの日本文学を読んでいた。幼少時に観た日本映画『鬼婆』に形容しようのない印象を受け、日本に強い興味を抱いていたという。空手をしていると公言したり「アーティストとして初めてリスペクトされていると感じたのが日本」ともコメントしている。その影響か日本人アーティストとコラボレートすることも多く、アコーディオン奏者のcoba1995年のワールドツアーに参加。アートディレクター石岡瑛子にはミュージックビデオの監督を依頼。Dokakaヒューマンビートボックスでアルバム『メダラ』に参加した。川久保玲ジュンヤ・ワタナベの服を好んで着ることでも有名。写真家 荒木経惟のファンであり、彼が撮ったポートレートをアルバム『テレグラム』(1996年)のジャケットに使用したほか、荒木のドキュメンタリ映画『アラキメンタリ』に出演したり雑誌などでも盛んに共演している[3]

2000年、ミュージカル映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に主演。ゴールデングローブ賞主演女優賞、最優秀オリジナル・ソング賞にノミネート。カンヌ国際映画祭パルム・ドール、最優秀女優賞を受賞した。劇中での音楽を担当し、アルバム『セルマソングス〜ミュージック・フロム・ダンサー・イン・ザ・ダーク』をリリース。グラミー賞とアカデミー賞にノミネートされ、アカデミー賞会場ではマラヤン・ペジョスキーがデザインしたスワンドレスを着てレッドカーペットに現れ、ステージで劇中歌「I've Seen It All」を披露し、大きな話題を呼んだ。 日本では2001年の正月映画として公開されヒットした。


2004年に行われたアテネオリンピックの開会式で「Oceania」をパフォーマンス。

2005年7月2日DREAMS COME TRUEDo As Infinityなども参加した幕張メッセLIVE 8 Japanコンサートでライヴ・パフォーマンスを披露した。LIVE 8はG8八カ国同日に行われたイベントであり、世界貧困撲滅キャンペーンの一つである。

同年、ビョークは日本についての映画『拘束のドローイング9』への出演とサウンドトラック創作に打ち込んでいた。同作を製作したアーティストのマシュー・バーニー2011年現在のパートナーであり、彼との間に娘イザドラをもうけている。

ビョークは2012年11月22日、自身のFacebookページにおいて、数年前に医師から声帯にポリープがあることを告げられ、その後4年間に及ぶ食事療法などを行って来たが、最終的にレーザーによる本格的な治療を行った為、しばらく休養する旨を発表した。ビョークは発表したメッセージの文末で「食事療法などがうまくいくと信じていたし、仕事をキャンセルするような事になるまでは、この話はしたくなかった。2013年に、また皆さんの前で歌える事を楽しみにしています。」としている。

以下は原文:

dear friends

few years ago doctors found a vocal polyp on me chords ... i decided to go the natural way and for 4 years did stretches and tackled it with different foods and what not . then they discovered better technology and i got tempted into hi tech lazer stuff and i have to say , in my case anyway : surgery rocks ! i stayed quiet for 3 weeks and then started singing and definitely feel like my chords are as good as pre nodule ! it´s been very satisfying to sing all them clear notes again .

im sorry i had to cancel stuff earlier in the year , didnt want to talk about this until i knew for sure if it would work . so looking forward to singing for you in 2013

all the warmth ,björk.

Björk、ビョーク - Facebook

逸話[編集]

様々な分野のミュージシャンとコラボレーションを行うことでも知られ、インタビューなどでビョークに影響を受けたと答えるミュージシャンも多い。シンクロナイズドスイミングヴィルジニー・デデューフィギュアスケートミシェル・クワン[要出典]高橋大輔(2007-2008シーズンエキシビジョン)の演技で彼女の曲が使われるなど、他分野の人々にも影響を与えている。

また、精神に病を患ったフロリダのファン、リカルド・ロペス(Ricardo Lopez、1975年1月14日 - 1996年9月12日)は、ビョークを殺害するための酸性爆弾を作製する過程をフィルムに撮影した。22時間にわたるそのビデオテープには、爆弾作製の過程に加えて、愛に対する彼の考えや彼の不平不満なども語られ、彼のビョークへの強い執着が述べられていた。映像はさらに続き、爆弾をビョーク宛に郵送し終えて、すぐにでもビョークが死ぬと信じている彼は、奇妙なフェースペイントを塗り、頭髪を剃った後、カメラの前で自分自身を銃弾で撃ち抜いた。彼は自分の命を奪うことには成功したが、そのビデオを見た警察によって、郵送された爆弾はビョークに届く前にスコットランドヤードが探し出した。

論争[編集]

暴行事件[編集]

1996年2月タイドンムアン空港で、テレビの女性レポーター、ジュリー・カウフマンがマイクを向けて問いかけた瞬間、突然ビョークがリポーターに掴みかかった。同行していたスタッフに止められてバスに乗り込んだが、その映像が世界中に流された。レポーター側は「ただ、ウェルカムと言っただけ」と主張。ビョーク側は、同行していた息子シンドリに「こんな自分勝手なお母さんの息子って、どんな気分?」とリポーターが言い、カメラで関係のない息子を撮影したことに激怒したと主張。後にビョーク側が「大人気なかった」と謝罪した。

2007年8月フランスの空港で執拗に付回すカメラマンを殴り、その映像がネット上で公開されて話題となる。

2008年1月13日ニュージーランド滞在中に、オークランド国際空港で付き添い人の制止を無視して撮影を行ったカメラマンに暴行した。カメラマンがビョークの写真を数枚撮影後、その場から離れようとした際、ビョークが追いかけてカメラマンのTシャツを引き裂いた。揉み合いを続ける中、ビョークは自ら[要出典]床に転倒した[4]

チベット独立宣言事件[編集]

2008年3月2日中国上海で行われたコンサートで事前に演奏を届け出ていない[5]「Declare Independence」を歌った際にチベットを連呼した。これを受け、中国文化省は文化省のサイト上で、規定に違反して個人的な芸術活動を政治利用し人民の感情を傷つけると不快感を表すコメントを掲載すると共に、中国国外アーティストへの制限を強化する意向を発表している。一方のビョークも自身のサイトで、自分は政治家ではなくミュージシャンである旨のコメントを返している。

2008年2月に日本武道館で開催されたコンサートでは同じ曲でコソボを連呼しており、この影響でセルビアでの出演をキャンセルされている。

ディスコグラフィー[編集]

スタジオアルバム[編集]

サウンドトラック[編集]

リミックスアルバム[編集]

  • ザ・ベスト・ミクシーズ・フロム・ザ・アルバム・デビュー・フォー・オール・ザ・ピープル・フー・ドント・バイ・ホワイト・レーベルズ/The Best Mixes from the Album Debut for All the People Who Don't Buy White Labels (1994) - 『デビュー』のシングルから選曲したリミックスアルバム
  • テレグラム/Telegram (1996) - 『ポスト』のシングルから選曲したリミックスアルバム
  • バスターズ/Basterds (2012) - 『バイオフィリア』のシングルから選曲したリミックスアルバム

ベストアルバム[編集]

  • グレイテスト・ヒッツ/Greatest Hits (2002) - ファン投票を元にしたベストアルバム

ボックスセット[編集]

  • ファミリー・トゥリー/Family Tree (2002) - ビョーク自身の選曲による『グレイテスト・ヒッツ』に未発表曲などを加えた6枚組ボックスセット
  • ザ・ライヴ・ボックス/Live Box (2003) - 『デビュー』『ポスト』『ホモジェニック』『ヴェスパタイン』のライブ音源のボックスセット
  • サラウンド/Surrounded (2006) - 過去のアルバムを5.1chサラウンドにリミックスし、全ビデオクリップも加えた7枚組DualDisc(DVD+CD)の限定ボックスセット
  • ヴォルタイック/Voltaic (2009) - 『ヴォルタ』のバンド録音CD、ライブDVD、ミュージックビデオ、リミックスのボックスセット。バージョン違いあり。

その他[編集]

  • ビョーク・グズムンズドッティル/Björk Guðmundsdóttir (1977) - ビョークが11歳の時に出した初のソロアルバム
  • グリン・グロ/Gling-Gló (1991) - 母国のバックバンドとセッションしたスウィング・ジャズアルバム。グリン・グロとはアイスランド語で時計の針が進む擬音。
  • アイチューンズ・オリジナルズ/iTunes Originals (2005)
  • ナットゥラ/Náttúra (2008) -母国アイスランドの自然環境保護キャンペーン「Nattura」のために書き下ろし、デジタル配信限定でのリリース。トム・ヨークがバックコーラスで参加しており、収益はすべて同キャンペーンに寄付される。

日本公演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Björk”. 2013年5月26日閲覧。
  2. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
  3. ^ 雑誌SWITCH2003年10月号掲載
  4. ^ 歌手ビョーク、ニュージーランドでカメラマンに暴行ロイター
  5. ^ 「営業性演出管理条例」にもとづき、中華人民共和国内で演奏する中国国外アーティストは演奏する曲目を文化省に提出し許可を得る必要がある。
  6. ^ ビョーク「Biophilia Tokyo(バイオフィリア トウキョウ)」 | 日本科学未来館 (Miraikan)

外部リンク[編集]