ミシェル・クワン

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Pix.gif ミシェル・クワン
Michelle KWAN
Figure skating pictogram.svg
Michelle Kwan Turin 2006 Games.jpg
2006年2月12日、トリノオリンピックの出場辞退を表明したクワン
基本情報
代表国: アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日: 1980年7月7日(34歳)
出生地: カリフォルニア州トーランス
身長: 158 cm
元コーチ: フランク・キャロルラファエル・アルトゥニアン[1]
元振付師: タチアナ・タラソワローリー・ニコルニコライ・モロゾフサラ・カワハラピーター・オペガードクリストファー・ディーンカレン・クワン
所属クラブ: ロサンゼルス FSC[1]
ISU パーソナルベストスコア
トータルスコア: 175.20 2005 世界選手権
ショートプログラム: 61.22 2005 世界選手権
フリースケーティング: 113.98 2005 世界選手権
 
獲得メダル
フィギュアスケート
オリンピック
1998 長野 女子シングル
2002 ソルトレイク 女子シングル
世界選手権
1996 エドモントン 女子シングル
1997 ローザンヌ 女子シングル
1998 ミネアポリス 女子シングル
1999 ヘルシンキ 女子シングル
2000 ニース 女子シングル
2001 バンクーバー 女子シングル
2002 長野 女子シングル
2003 ワシントンD.C. 女子シングル
2004 ドルトムント 女子シングル

ミシェル・ウィング・クワン(Michelle Wing Kwan、関穎珊、1980年7月7日[1] - )は、カリフォルニア州ロサンゼルス出身の女性フィギュアスケート選手。中国系アメリカ人。1998年長野オリンピック女子シングル銀メダリスト。2002年ソルトレイクシティオリンピック女子シングル銅メダリスト。5度の世界フィギュアスケート選手権優勝、9度の全米フィギュアスケート選手権優勝。アメリカの国民的大スターでもあった。2001年ジェームスサリバン賞受賞。

人物[編集]

2006年にデンバー大学 (University of Denver)に入学、2009年6月に主専攻の国際関係学と副専攻の政治科学の学位を取得して卒業した。過去にカリフォルニア大学ロサンゼルス校に在籍していたこともある[2][1]。2009年9月、タフツ大学大学院修士課程に進学する。

ファーストネームの「ミシェル」は、ビートルズの曲名から取られている。

フィギュアでの偉大な実績に加え人柄の良さでも有名であり、世界中でも彼女のことを慕う後輩スケーターは多い(キム・ヨナキミー・マイズナー長洲未来キャロライン・ジャンらは彼女を憧れとしている)。

表現力の評価の高い選手であった。ニコライ・モロゾフはクワンを「心で滑る演技、見る者の魂に響くような演技が出来た女子で唯一の選手」と評している[3]

2005年より、家族らと共にアイスリンクとスポーツセンターを経営している[4]。姉のカレンは全米6位になったことのある元スケーター[5]。1988年カルガリーオリンピックペア銅メダリストのピーター・オペガードは義兄にあたる。また、「スポーツを通じて青少年の能力を向上させる委員会(Council to Empower Women and Girls Through Sports)」の委員に任命されるなど、国務省の使節としてホワイトハウスを拠点に活動している。

2013年1月19日に弁護士でアメリカ国家安全保障会議で戦略的計画の指揮を執るクレイ・ペルと結婚[6]

経歴[編集]

1993 - 1998[編集]

1993-1994シーズン、幕張で開催された世界選手権に13歳で初出場し、8位入賞(リレハンメル五輪代表のケリガンハーディングが不出場のため、繰上げてのアメリカ代表となる)。

1994-1995シーズンの世界選手権、当時14歳のクワンは150cmの小さな少女だったが、ショートではミスの無い演技、フリーでも5種類7回の3回転と2アクセル2回成功させ完璧な演技をし4位入賞。

1995-1996シーズン、身長も158cmに成長したクワンは大人の魅力を前面に押し出した演技で、スケートアメリカスケートカナダISUグランプリファイナル全米選手権で優勝、続く世界選手権も制し、15歳で初の世界チャンピオンとなった。この世界選手権では陳露との一騎打ちとなり、先に滑った陳露が芸術点で満点である6.0点を2つ出し優勝間違いなしと思われていたが、クワンも満点を2つ出し、ショートで1位につけていたクワンの勝利となった。

1996-1997シーズン、スランプに陥っていたクワンの前に新星タラ・リピンスキーが登場する。3回転-3回転のコンビネーションを確実に成功させるリピンスキーに全敗、グランプリファイナル、全米選手権、世界選手権は全て2位に終わる。

1997-1998シーズン、クワンは右足首の怪我のため長期間の休養を余儀なくされ、オリンピックの選考会となる全米選手権の出場を危ぶまれたが、痛み止めの注射をして挑み、ショート・フリーとも完璧な演技でリピンスキーを破り2度目の優勝。長野オリンピックアメリカ代表に選出される。

長野オリンピックではクワンとリピンスキーの一騎打ちとなり、ショートプログラムではクワン1位、リピンスキーは2位につく。フリースケーティングでは5種類7回のジャンプを完璧に決め、技術点ではほぼ5.8、芸術点では全員一致で5.9という高得点を得て一旦は首位に立ったが、クワンの飛ばなかった3回転-3回転のコンビネーションを2つ成功させたリピンスキーに逆転されてしまい、総合2位の銀メダル獲得に終わった。続く世界選手権ではリピンスキーの欠場も有り、2年ぶり2度目の優勝を果たした。

1998 - 2002[編集]

2001/2002年GPファイナルでのクワン

1998-1999シーズン、グランプリシリーズは全て辞退し、全米選手権で3度目の優勝、世界選手権は2位に終わる。

1999-2000シーズン、クワンは3回転-3回転を含むジャンプ偏重の構成でスケートカナダ、スケートアメリカ、全米選手権で4度目の優勝、世界選手権でも3度目の優勝を果たす。

2000-2001シーズン、スケートアメリカ、全米選手権で5度目の優勝、世界選手権でも2年連続4度目の優勝を果たす。

2001-2002シーズン、シーズンの初めに12年間コンビを組んできた名コーチ、フランク・キャロルとの師弟関係を解消(大親友ともいえる彼らの仲の深さはスケート界でも有名であったため、不仲説、方向性の相違など様々な憶測が囁かれたが、二人とも不仲説は完全否定)。スケートアメリカで優勝。スケートカナダでは2位、グランプリファイナルも2位に終わる。五輪選考となる全米選手権で6度目の優勝、ソルトレイクアメリカ代表に選出される。

2002年2月のソルトレイクシティオリンピックでは、ショートプログラムで首位に立つも、フリースケーティングではジャンプのミスがあり3位。結局金メダルのサラ・ヒューズ、銀メダルのイリーナ・スルツカヤに抜かれ、総合でも3位に落ちてしまい銅メダル獲得に終わった。ソルトレイク五輪後、引退が囁かれる中現役続行を公言。世界選手権は優勝したスルツカヤに次いで2位だった。

2002 - 現在[編集]

2002-2003シーズン、スケートカナダで優勝、全米選手権で7度目の優勝、2003年世界選手権で2年ぶり5度目の優勝を果たす。

2003-2004シーズン、全米選手権で8度目の優勝、2004年世界選手権はショートはコーエン荒川静香安藤美姫に次いで4位、フリーは演技直前にリンクへカナダ人男性乱入のハプニングがあったにも関わらず、素晴らしい集中力を見せる。最後のルッツジャンプがダブルになった以外はほぼノーミス、5人のジャッジから芸術点6.0の評価を受け、荒川に次ぐ2位だったが、総合では3位に留まった。2004-2005シーズン、全米選手権で8年連続9度目の優勝を果たす。だが2005年世界選手権では予選演技の出遅れが響き、SP・フリー共に3位だったが総合で4位に終わり、1995年世界選手権以来10年ぶりにメダルを逃した。

2005-2006シーズン、トリノオリンピック出場権が決まる全米選手権を、足の怪我のため欠場。そのため米国フィギュアスケート連盟に嘆願し、その審査会では技を成功させたのと実績が考慮され、一旦は特例で五輪出場権を獲得していた。この事は米国内のマスコミに非難された。しかしながら公式練習中に鼠径部の怪我が悪化したため、女子フィギュアスケート競技開催数日前の2006年2月12日に、記者会見で五輪出場取り止めを発表した。テレビ局と連盟とクワンの間での契約がトリノの開会式にさえ出れば成立していた為、補欠として控えていたエミリー・ヒューズが急遽代替出場となり7位入賞となった[7]

トリノ五輪後の2006年4月に、自国アメリカでのアイスショーに出演した。その際のインタビューでは現役引退を否定したものの、2006-2007シーズンは怪我、2007-2008シーズンも足の手術後の回復と学業専念のため、全試合を欠場。またバンクーバーオリンピックを控える2009-2010シーズンも、国際関係学の修士号取得を目指すという理由で結局競技復帰を断念[8]。なお2010年2月開催のバンクーバー五輪では、競技コメンテーターなどで登場していた。

クワンのフィギュアスケート公式競技会への出場は、2005年世界選手権が最後となった。また2010年7月に30歳の年齢を迎えた事も有り、今後クワンの現役復活は絶無の状態である。

2011年12月15日、世界フィギュアスケート殿堂入りが決まり、2012年1月28日全米選手権女子フリーの開催日に、スケートリンク(California州San Jose HP Pavilion)にて表彰された。

エピソード[編集]

2013年7月に来日し、スポーツ平和サミット東京大会で、東日本大震災で被災し避難生活を続けながらもオリンピック選手を目指して練習している、福島県富岡町立富岡第一中学校と福島県立富岡高等学校バドミントン部の選手を直接励ました[9]

主な戦績[編集]

大会/年 93-94 94-95 95-96 96-97 97-98 98-99 99-00 00-01 01-02 02-03 03-04 04-05 05-06
オリンピック 2 3 棄権
世界選手権 8 4 1 2 1 2 1 1 2 1 3 4
全米選手権 2 2 1 2 1 1 1 1 1 1 1 1
GPファイナル 1 2 2 2 2
GPスケートアメリカ 2 1 1 1 1 1 1 1
GPスケートカナダ 1 1 1 2 3
GPエリック杯 3 1
世界Jr.選手権 1

シニア[編集]

プログラム[編集]

シーズン SP FS EX
2005-2006 死の舞踏
作曲:フランツ・リスト
編曲:マクシム・ムルヴィツァ
前奏曲嬰ハ短調
作曲:セルゲイ・ラフマニノフ
A Song for You
ボーカル:ナタリー・コール
2004-2005 バレエ『スパルタクス』より
スパルタクスとフリーギアのアダージョ
作曲:アラム・ハチャトゥリアン
ボレロ
作曲:モーリス・ラヴェル
You Raise Me Up
ボーカル:ジョシュ・グローバン
This Used to Be My Playground
ボーカル:マドンナ
2003-2004 映画『最後の誘惑』より
奇跡の始まり
作曲:ピーター・ガブリエル
歌劇『トスカ』より
作曲:ジャコモ・プッチーニ
Fallin'
ボーカル:アリシア・キーズ
2002-2003 レッド・ヴァイオリン[13]
作曲:ホアキン・ロドリーゴ、編曲:川井郁子
Fields of Gold
ボーカル:エヴァ・キャシディ
2001-2002 エデンの東
作曲:リー・ホールドリッジ
ピアノ協奏曲第3番
悲しみの三重奏曲
作曲:セルゲイ・ラフマニノフ
シェヘラザード[14]
作曲:ニコライ・リムスキー=コルサコフ
演奏:ニューヨーク・フィルハーモニック
2000-2001 エデンの東
作曲:リー・ホールドリッジ
Rush
作曲:エリック・クラプトン
Song of the Black Swan
作曲:エイトル・ヴィラ=ロボス
ピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」
作曲:アントニン・ドヴォルザーク
中国の不思議な役人
作曲:バルトーク・ベーラ
Beautiful World
ボーカル:スミ・ジョー
This Time Around
ボーカル:リンダ・エダー
1999-2000 ア・デイ・イン・ザ・ライフ
作曲:ジョン・レノンポール・マッカートニー
演奏:ジェフ・ベック
レッド・バイオリン
作曲:ジョン・コリリアーノ
演奏:ジョシュア・ベル
The World Is Not Enough
演奏:ガービッジ
Hands
演奏:ジュエル
1998-1999 カルメン組曲
作曲:ロディオン・シチェドリン
カルメン幻想曲
作曲:フランツ・ワックスマン
映画『カルメン』より
作曲:パコ・デ・ルシア
アリアーヌ
オーケストラ組曲第3番「劇的風景」
オーケストラ組曲第6番「おとぎの国の風景」
作曲:ジュール・マスネ
アブシャロムの死とタンゴ
映画『日没』より
作曲:デシャトニコフ
演奏:ギドン・クレーメル
Kissing You
ボーカル:デズリー
1997-1998 ピアノ協奏曲第3番
悲しみの三重奏曲
作曲:セルゲイ・ラフマニノフ
ハープ協奏曲「リラ・アンジェリカ」
作曲:ウィリアム・オルウィン
ジムノペディ第3番
作曲:エリック・サティ
ミュージカル『レ・ミゼラブル』より
オン・マイ・オウン
ボーカル:島田歌穂
Dante's Prayer
作曲:ロリーナ・マッケニット
1996-1997 オーケストラ組曲第3番「劇的風景」
作曲:ジュール・マスネ
「エロディアード」(バレエ組曲)より終曲
作曲:ジュール・マスネ
赤いけしの花
作曲:レインゴリト・グリエール
バーヤティ・シラーズの花の庭
作曲:フィクレト・アミロフ
映画『アラビアのロレンス』より
作曲:モーリス・ジャール
Winter
作曲:トーリ・エイモス
1995-1996 Romanza
作曲:サルバドール・バカリッセ
フィスタフラメンカ
作曲:モンティ・ケリー
サロメ[1]
作曲:リヒャルト・シュトラウス
振付:ローリー・ニコル
エデンの東
作曲:リー・ホールドリッジ
映画『ポカホンタス』より
Just Around the Riverbend
作曲:ジュディ・クーン
1994-1995 黄河協奏曲
作曲:冼星海
演奏:殷承宗、Chu Wanghua
序奏とロンド・カプリチオーソ
作曲:カミーユ・サン=サーンス
グリーンスリーヴスによる幻想曲
作曲:レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ
エデンの東
作曲:リー・ホールドリッジ
1993-1994 歌劇『サトコ』より
インドの歌
作曲:ニコライ・リムスキー=コルサコフ
エデンの東
作曲:リー・ホールドリッジ
-

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e 上坂美穂編『オール・アバウトフィギュアスケート』ぴあ(ぴあワンダーランドSpecial)、2005年11月、p.37
  2. ^ ミシェル・クワンがデンバー大学を卒業『AFP BB news』2009年06月04日更新
  3. ^ 「心で滑る演技目指す」…モロゾフコーチに聞く「読売新聞」2009年11月26日、2010年1月20日閲覧
  4. ^ EastWest Ice Palace – Ice Skating Rink Opens in Artesia
  5. ^ 山本夢子「海外のきょうだいスケーター & アイスダンサーたち」『フィギュアスケートDays vol.2』DAI-X出版、2007年3月、p.14
  6. ^ http://www.people.com/people/article/0,,20665953,00.html
  7. ^ 2010/6/22日本経済新聞・荒川静香のコラム『プロとアマの境界線』
  8. ^ フィギュアのクワンが復帰断念 元世界女王、学業に専念『共同通信』2009年8月1日更新、同日閲覧
  9. ^ “スポーツの力で復興と平和を「スポーツ平和サミット東京大会」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2013年7月19日) 
  10. ^ 2001/2002 ISUグランプリファイナルはフリー演技を2度行った。
  11. ^ 順位決定方法については2000/2001 ISUグランプリファイナルを参照のこと。
  12. ^ 順位決定方法については1999/2000 ISUグランプリファイナルを参照のこと。
  13. ^ 「スタンダードナンバー大比較 アランフェス協奏曲」『フィギュアスケートDays vol.9』ダイエックス出版、2009年4月、pp.54-57
  14. ^ 『ワールド・フィギュアスケート 35』新書館、2008年12月、p.81

外部リンク[編集]