忌野清志郎

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忌野清志郎
忌野清志郎 (2003年)
忌野清志郎 (2003年)
基本情報
出生名 栗原 清志
別名 肝沢幅一、ボス
出生 1951年4月2日
血液型 A
学歴 東京都立日野高等学校卒業
出身地 Flag of Japan.svg 日本東京都
死没 2009年5月2日(満58歳没)
ジャンル ロック
R&B
担当楽器 ギター
ウクレレ
ほら貝
活動期間 1970年 - 2009年
レーベル 東芝EMI/イーストワールド
ポリドール
ユニバーサルミュージック
SWIM RECORD
avex io
ワーナーミュージック
事務所 ベイビィズ
共同作業者 参加ユニット仲井戸麗市三宅伸治ブロックヘッズスティーヴ・クロッパー
影響 ビートルズオーティス・レディング
公式サイト 公式ウェブサイト 地味変
  

忌野 清志郎(いまわの きよしろう、1951年4月2日 - 2009年5月2日)は、日本ロックミュージシャンシンガーソングライターギタリスト作詞家作曲家音楽プロデューサー俳優。本名、栗原 清志(くりはら きよし)。

RCサクセションを筆頭に、忌野清志郎 & 2・3'S、忌野清志郎 Little Screaming Revue、ラフィータフィーなどのバンドを率い、ソウル・ブルースを下地にしたロックサウンドを展開。RCサクセションの「KING OF LIVE」からの流れで、KING OF ROCKの異称を取った。

目次

[編集] 経歴

東京都中野区生まれ、国分寺市育ち。小学生時代は漫画に熱中し、自作の漫画を近所に住んでいた吉田竜夫に見てもらったこともあった。中学校時代にエレキブームに刺激を受け、ベンチャーズなどのカバーバンド「No Name」を結成、音楽活動を始める。1966年初頭、フォークブームに刺激を受け、同級生でバンド仲間だった小林和生(のちの林小和生)、桶田賢一(のちの破廉ケンチ)と共に「The Clover」を結成するが、東京都立日野高等学校進学に伴い、活動は停滞する。高校時代、忌野はサイケデリック・ミュージックの流れでビートルズザ・バンドを聞き込んでいたが、ジョン・リー・フッカー好きの友人の影響で、ブルースに傾倒するようになる。

その後、バンドの解散/再編(The Clover→「The Remainders of The Clover」→「The Remainders of The Clover Succession」、1968年に「R.C.サクセション」に定着)を経て、1970年にフォークグループRCサクセションとしてシングル「宝くじは買わない」でデビュー。1972年にシングル「僕の好きな先生」が小ヒットしたものの後が続かず、また事務所関係のトラブルが発生したこともあり、長期にわたってバンド活動は低迷する。その間、忌野には井上陽水との共作「帰れない二人」「待ちぼうけ」(ともに『氷の世界』収録)、かぐや姫への作詞提供「あの唄が思い出せない」(『はじめまして』収録) などの印税が入っていた。

1976年に事務所を「ホリプロ」から「りぼん」に移籍。スタジオミュージシャンを大々的に起用したアルバム『シングル・マン』を発表 (即座に廃盤) 後、徐々にロックバンド化 (俗に「エレキ化」といわれる)。翌1977年からメンバーの脱退・加入を繰り返しながら、精力的なライブ活動を展開。1978年ごろ半ばから徐々にライブハウスでの人気が出はじめ、この時期からデヴィッド・ボウイ等のグラムロック一派やミック・ジャガーの影響で化粧を始め、またパンク・ファッションの影響でパンクヘアにカットしたことから、独特の奇抜な風貌になる。

1979年には音楽ライターの吉見佑子が『シングル・マン』再発実行委員会を組織するなど、音楽的に評価する空気が高まり、1980年のシングル「雨上がりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」、アルバム『RHAPSODY』のヒットで、YMOの坂本龍一と並び、RCサクセションの忌野清志郎はメディアの寵児として取り上げられることになった。

1982年に坂本龍一と組んでシングル「い・け・な・いルージュマジック」を発表して以降、RCサクセションとしての活動のかたわら、数多くのユニットでも活動。この頃、ハード・スケジュール等が祟って肝臓を病むが、東洋医学などの文献を読み漁り家庭治療を実践し、奇跡的に完治している。この時期の事務所の対応に不満を募らせ、1984年に事務所「りぼん」から独立。1985年にRCサクセションの事務所「うむ」を設立するが、この頃からRCサクセション内でも各メンバーのソロ活動が活発化し、バンドの活動は停滞。この時期、忌野はライブ・エイドの日本放送版に「DANGER」で出演したり、『Merry Xmas Show』に出演したりなどした。1987年には初のソロアルバム『RAZOR SHARP』を発表。

1988年にRCサクセションのアルバム『COVERS』の発売中止騒動を受けて、忌野と良く似たZERRYという人物がザ・タイマーズを結成し、アン・ルイスのライブに飛び入り。以降様々なミュージシャンのライブ・イベントライブに乱入を繰り返す。忌野がTEARDROPSに作詞提供&コーラス参加した「谷間のうた」がFM仙台とFM東京で放送禁止になった事件(1989年9月)を受けて、アルバム『THE TIMERS』のプロモーションで生放送の音楽番組ヒットスタジオR&Nに出演(10月)した際に、キャラ設定をいかした巧みなメドレー形式を逆手にとった、その中の一曲をFM東京・FM仙台を放送禁止用語を交えて罵倒する歌に差し替えるという荒業を見せて話題になった。

時期を同じくしてRCサクセションの崩壊(メンバーの脱退・加入が激しく、既に実態が無くなっていた)が進み、1990年9月のアルバム『Baby a Go Go』とそれに付随するツアーの最終日の武道館公演(12月25日)を経て、翌1991年初頭から無期限活動休止を表明。RCサクセションの事務所「うむ」も解散したため、忌野は個人事務所「ベイビィズ」を設立。

RCサクセションの解散以降、前にも増して様々なバンド・ユニットを渡り歩く。1993年にはプライベートスタジオ「ロックンロール研究所」を設立する一方で、俳優としての活動も始める。

1994年に映画『119』に音楽監督として参加し、翌1995年の第18回日本アカデミー賞で最優秀音楽賞を受賞。この時期、忌野と良く似たZERRYという人物が率いるザ・タイマーズが活動を再開。彼らのレコ倫を通らない楽曲を発表させるために、インディーズレーベル「SWIM RECORDS」を設立。

1999年に忌野清志郎 Little Screaming Revueのアルバム『冬の十字架』、2000年にラフィータフィーのアルバム『夏の十字架』が三度発売中止騒動に巻き込まれるなどトラブルを数多く抱える中、デビュー30周年記念のトリビュートコンサート「RESPECT!」を日本武道館で開催し、多くのミュージシャンが忌野(及びRCサクセション)の楽曲を演奏した。

2000年にサイクリングにはまり、ラフィータフィーのメンバーを勧誘してチームLSD(Long Slow Distance)を結成し。以降、ツアー間の移動に自転車を使ったり、奥の細道自転車ツアーやホノルル・センチュリーライドなど数多くの長距離サイクリングにも挑戦した。翌2001年には中学時代の同級生に自転車の専門誌『サイクルスポーツ』の編集長がいたことから、そのつてでプロ仕様の自転車(特注)を入手。2004年にはサイクリング中に落車して左の鎖骨を骨折という事故を起こしたり、2005年には愛車「オレンジ号」の盗難(のちに無事発見)という災難に遭ったりもしたが、生涯自転車熱が冷めることはなかった。

2006年5月にメンフィスでアルバム『夢助』(10月発売)をレコーディングして帰国。同年7月13日に、公式ウェブサイト「地味変」にて喉頭癌で入院することを発表し、すべての音楽活動を休止する。癌の摘出をすると声が出なくなると宣告されたことから、放射線抗癌剤での完治を図り、入院後2週間で代替医療へと治療法を変更。これは、がんセンターでの現代医学的な治療計画では胃に穴を開けての流動食生活となることを余儀なくされ、これに伴い唾液腺が消滅し、唾液が出ないためステージで歌うのは困難になると言われたことから。翌2007年1月、石田長生のライブにシークレットゲストとして出演して以降、徐々に活動を再開。

2008年2月10日、日本武道館にて「忌野清志郎 完全復活祭」を開催し、本格的に活動を再開するが、同年7月14日に公式ウェブサイト「地味変」にて左腸骨への癌の転移を発表し、再びライブ活動を休止。通院して治療に専念する一方で、楽曲提供や他ミュージシャンのレコーディング参加、ライブへの飛び入り参加などを続けていた。11月にはファンクラブの会報が100号を突破し、ほぼ同時期に間寛平への応援歌を描き下ろし自身の作品としては2年ぶりにレコーディングを行い、Booker T. & THE MG'sのライブに飛び入りする[1]など徐々に音楽活動を再開する。FM802のキャンペーンソング「Oh! RADIO」を書き上げた2009年2月以降に体調が悪化。当初は同曲を歌うユニット「RADIO SOUL 20」に参加する予定だったが、体調不良でキャンセルして東京都内の病院に入院。その後、病床で3月にファンに向けてデビュー39年記念イラスト「39!BABY」を書き上げ[2]、これが最期のメッセージになった。

ウィキニュース
ウィキニュースに関連記事があります。

5月1日午後に容態が急変し、5月2日午前0時51分に癌性リンパ管症により死去。家族の他、容態急変の報を聞いて病院に駆けつけた盟友仲井戸麗市、愛弟子三宅伸治らが最期を看取った。5月4日に関係者のみの密葬が無宗教の献花形式で行なわれ、5月9日には青山葬儀所でファンなどを対象にしたロック葬「忌野清志郎 AOYAMA ROCK'N ROLL SHOW」が行なわれ、弔問数は43,000人[3]に及んだ。 その後もコブクロの7thアルバム「CALLING」の1曲目「サヨナラHERO」で歌われるなど、アーティストに影響を与え続けている。

[編集] 主な参加バンド・ユニット等

  • RCサクセション (1968年 - 1991年)
  • 忌野清志郎+坂本龍一 (1982年)
    イエロー・マジック・オーケストラの坂本龍一とのコラボレーション。発表作はシングル『い・け・な・いルージュマジック』のみ。
  • DANGER (1984年-1985年、1994年、2003年・2004年)
    梅津和時のどくとる梅津バンドとの共演作2枚目の時に使用したユニット名。共演作1枚目のアルバム『DANGER』から名付けられた。ライブ・エイドの日本放送版にも出演する一方で、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に楽曲提供をするという両極端の活動を行なった。1994年、アケタの店20周年記念イベントで一夜限りの再結成。2003年・2004年に梅津のイベントで突然復活した。
  • ローリング・ミストーンズ・レビュー (1985年)
    忌野のプロデュースイベント「真夜中の雰囲気一発」(新宿シアターアップル)の際に結成した企画バンド。ローリング・ストーンズと、ボブ・ディランの「ローリング・サンダー・レビュー」を混ぜたもの。泉谷と組んだ初のユニット。
    忌野・泉谷しげる(ボーカル・ギター)、石田長生(ギター)、早川岳晴(ベース)、菊池隆(ドラム)
  • 忌野清志郎 & The Razor Sharp (1987年)
    ロンドン録音のアルバム『RAZOR SHARPS』製作時のメンバー(イアン・デューリーのバンド「ブロックヘッズ」等)の一部を携えてのソロツアーを行なった際のバンド。ツアーの一部はライブアルバム・ライブビデオに収録された。
    忌野(ボーカル)、ジョニー・ターンブル(ギター)、マーク・ベッドフォード(ベース)、ミッキー・ギャラガー(キーボード)、チャーリー・チャールズ(ドラム)、デヴィット・ペイン(サックス)、ジェフ・ミラー(トランペット)
  • THE TIMERS (1988年 - 1995年)
    誰もが正体を分かりきっている覆面バンド。最初の活動以降、忌野曰く「結局何も変わらなかった」「怒りでなにかを歌ってもむなしいだけ」と失望して[4]活動を休止していたらしいが、1994年末に忌野のイベント「素敵な初詣」の為に再結成。1995年に入って阪神大震災オウム真理教の事件など日本を揺るがす事件が続いた事から、再びアルバムを製作した。一部の楽曲はのちに忌野の持ち歌になった。
    忌野によく似たZERRY(ボーカル、ギター)、三宅伸治によく似たTOPPI(ギター)、川上剛によく似たBOBBY(ベース)、杉山章二丸によく似たPAH(ドラム)
  • SMI (1990年)
    所属レコード会社東芝EMIの日比谷音楽堂でのイベント「ロックが生まれた日」(1990年4月30日)の為に結成したユニット。ユニット名はEMIのもじりで、メンバーのイニシャルを並べたもの。実際のイベント時には小林和生(ベース)、ケニー・モズレー(パーカッション)がサポートに回った。パープル・ヘイズ音頭は元々このユニットの曲。
    忌野(ボーカル、ギター)、坂本冬美(ボーカル)、三宅伸治(ギター)
  • HIS (1990年 - 1991年)
    前述のSMIを受けて結成したユニット。当時日本で起こっていたワールドミュージックブームの一端を担った。2007年、坂本のシングルに忌野・細野が楽曲提供を行ない、その楽曲のテレビライブの際にはバックも務めた(実質的な再結成)。
    忌野(ボーカル、ギター他)、細野晴臣(キーボード他)、坂本冬美(ボーカル)
  • トーサンズ (1991年)
    「パパの歌」の企画盤「パパのカラオケ」レコーディング時のユニット。
    忌野(ボーカル)、浜口茂外也(パーカッション)
  • 忌野清志郎 & 2・3'S (1991年 - 1993年)
    ジョニー・サンダースの追悼ライブ(川崎クラブチッタ)の為に結成したバンドで、その後も恒常的に活動した。初期はトーサンズからの洒落でニーサンズとも表記されていた。山川以外のメンバーは忌野のローディー出身。ライブ時にはリクオ(キーボード)がサポートで参加。
    忌野 (ボーカル)、山川のりを(ギター)、大島賢治(ドラム)、中曽根章友(ベース)
  • Screaming Revue (1994年 - 1995年)
    デビュー25周年用に結成した、コーラス・ストリングスを含む不定形の大所帯バンド。
    1994年6月25日の初ライブ(渋谷公会堂)時のメンバー
    忌野 (ボーカル)、三宅伸治(ギター)、川上剛(ベース)、杉山章二丸(ドラム)、白井幹夫(ピアノ)、ホアチョ(パーカッション)
    スクリーミングシンガーズ:マチコ、ミキ、久保田洋司
    スクリーミングストリングカルテット:太田恵資(ヴァイオリン)、原えつこ(ヴィオリン)、福森隆(ヴィオラ)、早川岳晴(チェロ)
  • 忌野清志郎 Little Screaming Revue (1996年 - 1999年)
    Screaming Revueの縮小版バンド。ライブでは厚見玲衣(キーボード)がサポートで参加。
    忌野(ボーカル)、三宅伸治(ギター)、藤井裕(ベース)、富岡義広(ドラム)
  • ぴんく (2000年 - 2001年)
    ザ!鉄腕!DASH!!」の企画から生まれた覆面バンド。忌野が「ざくろ」名義で作詞・作曲したシングル『何度も夢の中でくり返すラブ・ソング』を福岡のレコード・ショップ「カメレオン・レコード」のみで限定販売した。関連ユニットの中で唯一、忌野がメインではない。
    長瀬智也(ボーカル、ギター)、松岡昌宏(ベース、コーラス)、忌野(ギター、コーラス)、富岡義広(ドラム)
  • ラフィータフィー (2000年 - 2001年)
    アルバム『ラフィータフィー』製作時のメンバーを中心に結成したバンド。
    忌野(ボーカル)、ジョニー・フィンガーズ(ギター)、藤井裕(ベース)、上原"ユカリ"裕(ドラム)、武田真治(サックス)
  • ミツキヨ (2002年)
    及川光博とのユニット。何故組んだかは定かではないが、及川は忌野並みにベイベーを得意とする。
  • 忌野・泉谷・スパイスマーケット (2002年)
    泉谷と組んだ最後のユニット。
    忌野(ボーカル・ギター・キーボード)、泉谷しげる(ボーカル・ギター)、三宅伸治(ギター)、Leyona(ボーカル・パーカッション)、KANAME(ベース)、阿部耕作(ドラム)、宮川剛(ドラム)、GENTA(パーカッション・ドラム)
  • LOVE JETS (2002年-2003年)
    サイクリング用のヘルメットを被った謎の宇宙人バンド(覆面バンド)。「安藤ロイド」というマネージャーを従えている。2002年のフジロックではRCサクセションの「雨上がりの夜空に」を演奏した。主にインディース・レーベル「ジェットブラ下部式会社」から作品を発表。翌2003年にはアメリカでもデビューしている。
    忌野によく似たPURAHA(ボーカル、ギター)、KANAMEによく似たPYE-RON(ベース)、阿部耕作によく似たPRINCIPAL(ドラム)
  • 忌野清志郎 & NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS (2003年 - 2009年)
    2003年8月17日の日比谷野外音楽堂ライブで結成し、「TOUR '03-'04 "WANTED"」時に命名。NEW BLUE DAY HORNSはRCサクセション時代のサポートをしていた「BLUE DAY HORNS」(梅津、片山)にちなんでいる。
    忌野(ボーカル)、三宅伸治(ギター)、中村きたろう(ベース)、厚見玲衣(キーボード)、宮川剛(ドラム)、梅津和時(アルトサックス)、片山広明(テナーサックス)、渡辺隆雄(トランペット)

[編集] 人物

[編集] 音楽性

東京ローカル的べらんめえ調のイントネーションにこだわった楽曲製作が特徴で、曲先の場合でも、イントネーションがおかしくなった場合はメロディを修正してでもイントネーションを正しくするという手法を取っていた。また、促音を強調し、日本語のメリハリを強調するという発声法を1970年代半ばから続けていた[5]。日本語をはっきり明瞭に歌うというスタイルはのちに甲本ヒロトザ・クロマニヨンズ)、どんと(BO GUMBOS)、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)、YO-KING、宮本浩次(エレファントカシマシ)などのフォロワー[6]を生んだ。

サウンド的なルーツは主にビートルズ、日本語の1960年代のフォーク、オーティス・レディングを筆頭としたソウル・ブルース系のミュージシャンで、多くの楽曲で彼らのオマージュを行なっている。ライブにおいてジェイムス・ブラウンのマントショーを再現することもしばしばあった。

前述の促音を強調をするきっかけになったのがオーティスの「ガッタ、ガッタ」シャウトだったり、「愛しあってるかい?」のフレーズがオーティスのMCからの意訳だったりと、オーティスからの影響は非常に強く、忌野自身も最も影響を受けたミュージシャンの一人としてオーティスの名を挙げている。1991年にはBooker T. & THE MG's(元オーティスのバックバンド)とツアーを行い、翌1992年にはスティーブ・クロッパープロデュースでアルバム『Memphis』を製作。2006年にはオーティスの足跡を辿るドキュメンタリー番組をきっかけにスティーブと再会し、スティーブのプロデュースでアルバム『夢助』を製作した。

RCサクセションの停滞時期に、煮詰まって複雑なコード進行の曲ばかり作ってしまう悪循環に陥っているという反省から、たとえシンプルなコード進行の曲であってもロックのダイナミズムを持つローリング・ストーンズの楽曲研究を重ねた。のちに『RHAPSODY』で結実。RCサクセションのロックバンド化と並行しての作業だったことから、当時のライブパフォーマンスなどにも強い影響を及ぼした。

歌詞の転機は少なくとも3度あり、「雨あがりの夜空に」を書いた時(当時の事務所に下ネタをズバズバ言う人が多く、彼らの影響を受けた)、「サマータイムブルース」を書いた時(忌野の父親(当時既に故人)の誕生日にチェルノブイリ原子力発電所事故が起こったことから反原発の歌詞を書いた)、『COVERS』製作の時(母親の遺品整理の際に第二次世界大戦中の恨みつらみが書かれた日記を発見し、それを読み強い衝撃を受け、反戦・反体制の歌詞を書くようになる[7])。ただし、いかにドギツイ歌詞の場合も高田渡のように諧謔精神を忘れなかった。

[編集] ミュージシャン間の交流

  • アルフィー - 三人がブレイクする前からの知人である。特に坂崎幸之助は忌野のモノマネを得意としており、トリビュートコンサートに出演した際、彼のモノマネを披露している。ただし、以前テレビでアルフィーとのセッションを依頼された際、忌野は「ヤダよ!俺はアルフィーなんぞとやるのは。俺にも友達がいる。あんな奴らとテレビで仲良くしているところを見られたら、なんて言い訳すりゃいいんだ?アルフィーにとっちゃ俺と共演することにはメリットあんだろうけど、俺にはなんの得にもならないよ」とセッションを断ったいきさつがあり、忌野自身はアルフィーを認めていなかった節がある。[8]
  • 泉谷しげる - RC・古井戸・泉谷の3組は、デビュー前から、同じライヴハウスの常連。RCの名曲「あきれて物もいえない」の「どっかのヤマ師」は、彼の事を歌っている。(泉谷は当時全く売れなかった忌野を励ますためわざと軽蔑していたらしい)。忌野の死に真っ先にコメントを寄せたのも彼であり、「あいつの死を受け入れることは無い。」と沈痛な思いをのぞかせた。
  • 春日"ハチ"博文 - カルメン・マキ&OZのメンバーとして知られている。70年代半ばを過ぎた頃より、RCにギターとしてたびたび参加。エレキ化していくRCの発展に一役買った。RC末期にもドラムとして参加している。口癖は「つうかさぁ~」と「思うにィ~」。
  • ザ・クロマニヨンズ - 甲本ヒロト真島昌利の2人はTHE BLUE HEARTSTHE HIGH-LOWS、ザ・クロマニヨンズを通して忌野のステージにゲスト参加するなど交流をもっている。ハイロウズ時代には、忌野清志郎35周年記念RESPECT!のステージで「テクノクイーン」を演奏した。また、甲本は忌野の「REMEMBER YOU」でダブルボーカルをとっている。
  • 渋さ知らズ - 忌野と親交のあるミュージシャンが多数関わっており、2004年1月10日のライブ(DVD『ALLD OF SHIBUSA』に収録)では、忌野もほら貝とボーカルで参加。
  • ジョニー・サンダース - 伝説的なパンクバンドニューヨーク・ドールズの元ギタリスト。RCのアルバム『COVERS』にゲスト参加している。ジョニー・サンダースの最後となったライブをたまたま観にいっていた忌野はステージに上げられてアンコールを1曲共演した。ジョニー・サンダースはその数週間後に死去。
  • ソウル・フラワー・ユニオン - メンバーの中川敬、伊丹英子、奥野真哉、高木克がRCサクセション、タイマーズのファンであったことを公言しており、現在追悼の意を込め「ぼくの好きな先生」をライヴ・レパートリーにしている。一時ライヴで「国王ワノン一世の唄」「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」などをカバーしたこともある。ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザンリクオは2・3'Sのライヴ・メンバーでもあった。
  • 竹中直人 - 俳優。忌野、仲井戸の大ファンで映画のみならず、ステージでもたびたび共演を果たしている。ブレイク前からの友人でもあり、付き合いは長く深く、竹中がホスト役を務めるラジオ番組にも忌野や仲井戸は度々ゲスト出演し、忌野は病気療養中にも出演していた。古井戸ファンの竹中は藤原ヒロシと結成した古井戸のコピーバンド「高井戸」でも活動を行っていた。忌野の本葬では弔辞を読み上げた。
  • De-ga-show - 片山広明と林栄一を中心としたフリー・ジャズ・バンド。忌野は、同バンドの2作目『続デ・ガ・ショー』のライナーノーツを執筆し、「俺も参加させろ」「片山、なんで俺をさそわないんだよ」と書いたところ、本当に共演アルバム『Hospital』を発表する運びとなった。
  • トータス松本 - ウルフルズのボーカリスト。デビュー直後より、忌野の影響を公言。楽曲をたびたびカバー、ライブでも共演するなど、親交は深い。
  • 間寛平 - 2001年のミニアルバム「ジャングル野郎」では忌野から曲を提供された。レギュラー出演している「探偵!ナイトスクープ」では忌野を連れて探偵レポートをしたこともある。2006年2月25日大阪城ホールで行われた忌野主催のロックンロール・イベント「新 ナニワ・サリバン・ショー」ではシークレットゲストとして登場した。
  • 氷室京介-BOØWY結成前に参加していたバンドに嫌気が差し、辞めて帰郷することを決意したが、帰る前に日比谷野外音楽堂で行われたRCのライヴを観て、「もう一度バンドをやろう」と思い直した。そして布袋寅泰を誘い、結成したのがBOØWYである。
  • ヒルビリー・バップス - 楽曲「バカンス」を忌野から提供された。なお、同バンドのVo.宮城宗典の自殺後に行われた追悼コンサートでは、「いなくなったヤツより残された人のために」という名言を吐いて忌野自身がこの曲を歌い上げた。
  • Booker T. & The MG's - 忌野が尊敬するオーティス・レディングのバックバンドとして活躍。また単独でもインストゥルメンタル作品を発表している、世界的に評価されているバンド。忌野のソロアルバム『MEMPHIS』のバックを担当し、ツアーも行った。その後も忌野はギタリストのスティーヴ・クロッパーと親交を深めていき、彼をプロデューサーとして迎えた『夢助』などを発表している。
  • ブルーデイ・ホーンズ - 梅津和時、片山広明によるホーンセクション。両人は、多彩なソロ活動を行いながらも、RCおよびソロ転向後の忌野と活動を共にする。
  • 三浦友和 - 俳優。中学時代からの友人で、東京都立日野高等学校でも同級生。デビュー前のRCに参加していた。
  • 森川欣信 - オフィスオーガスタ社長。キティレコードのディレクターだった時にRCの『RHAPSODY』を手がけた。アコースティックトリオだった頃からのRCの大ファンであり、忌野とは公私に渡って親しい。連野城太郎のペンネームで『GOTTA! 忌野清志郎』を執筆した。
  • 矢野顕子 - たびたび共演している忌野の友人。以前はN.Yと日本でFAXでのやり取りをしていた。近年は矢野の「ひとつだけ」をよくデュエットしている。矢野の楽曲「湖のふもとでねこと暮らしている(DOWN BY THE LAKE, LIVING WITH MY CAT)」はRCのナンバー「山のふもとで犬と暮らしている」のアンサーソングといわれている。また、忌野のことを歌った「きよしちゃん」という楽曲もステージで披露している。月刊カドカワで連載されていた「月刊アッコちゃん」では、早朝に「起きろー!!」と大書きされたFAXが送りつけられていたエピソードを紹介している(角川文庫刊・「月刊アッコちゃん・峠のわが家編」に掲載されている)。また「最近、連続仕使用(相手方の記録紙がなくなるまで)をあみ出したとか」というエピソードを紹介している。
  • 山口冨士夫 - 日本の伝説的なロックバンド村八分のギタリスト。たびたびステージで共演したり、RCのアルバム『COVERS』にもゲスト参加している。

[編集] 主な事件

  • 1982年、生放送番組「夜のヒットスタジオ」にRCとして出演した際、曲の最中暴れまわったり、司会者とのトーク時より噛み続けていたガムをテレビカメラに向かって吐きかけるなどの悪ふざけをし、さらにそのことで視聴者へ謝罪する司会者の後ろで舌を出したり顔をしかめるなどしたことから、テレビ局に抗議の電話が殺到。その数は500本近くに上ると言われている。
  • 1988年、東芝EMI から発売予定だったRCのアルバム『COVERS』が、原発問題を取り扱った歌詞などがネックとなり、急遽発売中止に。後にレコード会社を変えて、ようやく発売される(詳細は『COVERS』の頁を参照のこと)。
  • 1999年、パンク・ロック風にアレンジした「君が代」を収録したアルバム『冬の十字架』がポリドールから発売される予定だったが、同年8月に国会で成立した国旗・国歌法を巡る議論に巻き込まれることを危惧した同社が発売を拒否。結局、販売をUKプロジェクトにしインディーズのSWIM RECORDSレーベルから発売される。
  • 2000年、SWIM RECORDSレーベルから発売予定だったラフィータフィー名義の『夏の十字架』は、インディーズ商人の実態を揶揄した「ライブ・ハウス」という曲中で暗に批判されたライブハウス・下北沢QUEのオーナーが激怒、同店と系列関係にあるUKプロジェクトの逆鱗に触れインディーズからも販売中止という前代未聞の事態となる。奇しくも、同曲が批判するインディーズ業界の問題点が実証された形となる。同アルバムは、最終的にSWIM RECORDSから発売・販売される。
  • 2002年6月1日FM802開局13年記念イベント「JAPANESOUL」に三宅伸治と共に、それぞれ長間敏(おさまびん)、神田春(かんだはる)と名乗ったデュオ「アルカイダーズ」として出演。米国9.11テロに関連した曲を演奏したが、放送ではカットされた。
  • 2003年4月22日、日本武道館で開催された「アースデイ・コンサート」(TOKYO FMなどJFN加盟する全国のFM各局に生放送)に出演した際、当初予定になかった「君が代」や「あこがれの北朝鮮」の替え歌(発売当時の金賢姫キム・ヘギョンに変更するなどした)などを歌い、一時その部分が放送されなかった。

[編集] その他のエピソード

  • 右利きであるにもかかわらず左手でハンドマイクを握るようになったのは、まだオーティス・レディングをレコードで聴いたことしかなかった頃、数少ないステージ写真で「オーティスが左手でマイクを握っていた」のがきっかけだったが、のちにかつて見ていた写真が実は裏焼きされたものだったことを知り愕然としたという。(しかし右利きの歌手が左手でマイクを持つことは珍しいことではない)
  • RCサクセション時代、千葉県神野寺で飼育されていた2匹が逃げ出すという事件があり、マザー牧場でのライブ(1979年8月4日)が中止になった。忌野は警察に「虎を殺すな!」と電話で訴えたが、結局2匹とも射殺されて一連の騒動が鎮静化。RCサクセションはその後渋谷屋根裏で「虎追悼コンサート」(1979年9月15日)を行なっている。
  • 高校三年生のときの担任の先生(「僕の好きな先生」のモデルとなった教師)から、卒業式の後「自分が本当にやりたいことがあるなら、結婚はするな」と真剣な顔で言われたことが頭から離れず、30代後半まで独身だった。その先生が初めてライブに来てくれたときにそのことを伝えると、「君はもういいんだよ」と言ってくれたため、不遇時代より交際を続けていた「石井さん」と結婚した[9]
  • 長男・竜平(たっぺい)が生まれたことが大変嬉しかったらしく、1989年のライブではMC中に突然「♪oh- タツ、魔法のタツが生まれたぞ お父さん子だよ」とPP&Mの「Puff,the magic dragon」の替え歌を歌う親バカぶりを披露していた。ただし、聴いている観客はなんのことかわからずきょとんとしていたため、「なんでもありません」とつぶやいて次の曲へ移るというパターンだった。1991年には忌野清志郎&竜平名義でソノシート『あこがれのソノ・シート』(「タッペイくん」「竜平くんとお父さん」「おやすみなさい」の3曲を収録、「おやすみなさい」はビートルズのカバー)をファンクラブ限定で発売した。
  • 「音楽で生計を立てられなければ絵描きになるしかなかった」と本人が言うほど画才があり、自身のアルバムジャケットや書籍の表紙などを描いている。毎年恒例の日野高校OB展にも作品を出品していた。死後には「個展 忌野清志郎の世界」という展覧会も行われ、画集も発売されている[10]。生前最期の作品という真の意味での遺作は意外にも楽曲ではなく、絵画で、前述のデビュー39周年を記念して描かれた一旗ウサギの『39!BABY』[2]がそれにあたる。この作品は描かれた日付が2009年3月となっており、文字通り彼のラストメッセージとなった作品である(「Oh! RADIO」は2009年2月完成とされている)。
  • 中日ドラゴンズの熱狂的なファンで、ライブ衣装として中日のユニフォーム・ヘルメットを着たこともある(ビデオ『Screaming Revue』などで確認できる)。「ズームイン!朝!!」の野球コーナーに「おはよう川又さん」という楽曲を提供(中日勝利の翌朝の放送でBGMとして使用)した縁もあり、名古屋でのライブの際は、川又米利がゲスト出演することも度々あった。余談だが、前述のアルバム発売中止騒動が起きた1988年と1999年は、いずれも中日がリーグ優勝した年でもある。
  • 初期の頃は、肝沢幅一ペンネームで作曲をしていたこともある。
  • メンフィス名誉市民。 1男1女の父親であった。
  • 特に自慢話を好む性格ではないが、冗談交じりに自慢することがあるとすれば、高校の同級生で後に俳優になった「三浦友和にギターを教えたのは俺だ」というのがある。
  • 高校生のころ、母親が「息子が音楽に夢中になっていって、将来が心配です」と新聞の人生相談に投書し、それが新聞に掲載されたことがある。このことは『トリビアの泉』(フジテレビジョン)で取り上げられ、確認VTRでは忌野本人が出演し、事実であることを認めた。
  • 2000.06.26付のスポーツニッポン紙で、小選挙区も比例も共産党に投票してきたことを明らかにした。 

[編集] ディスコグラフィ

RCサクセションの作品はRCサクセションのディスコグラフィの項目を参照。

[編集] シングル

  • い・け・な・いルージュマジック (1982年2月14日) - 忌野清志郎+坂本龍一
  • S.F. (1986年3月21日) - 忌野清志郎 , JOHNNY, LOUIS & CHAR
  • AROUND THE CORNER 曲がり角のところで (1987年2月4日)
  • E-JAN (1987年9月5日)
  • デイドリーム・ビリーバー (1989年10月11日) - THE TIMERS
  • ロックン仁義 (1989年12月13日) - THE TIMERS
  • パパの歌 (1991年5月2日)
  • 夜空の誓い (1991年6月28日) - HIS
  • パパのカラオケ (1991年8月9日) - トーサンズ
  • 日本の人 (1991年11月13日) - HIS
  • 世間知らず (1992年2月12日)
  • パパの手の歌 (1992年6月3日) - 忌野清志郎 & 2・3'S
  • いつか観た映画みたいに (1992年9月30日) - 忌野清志郎 & 2・3'S
  • お兄さんの歌 (1993年1月20日) - 忌野清志郎 & 2・3'S
  • プライベート (1993年10月27日) - 忌野清志郎 & 2・3'S
  • サラリーマン (1994年5月11日)
  • サヨナラはしない (1995年4月8日) - THE TIMERS
  • 君にだけわかる言葉 (1995年11月1日)
  • Good Lovin' (1996年1月31日)
  • 世界中の人に自慢したいよ (1996年4月24日)
  • パーティーをぬけだそう! (1996年11月25日) - 忌野清志郎と篠原涼子
  • メロメロ (1997年6月18日) - 忌野清志郎 Little Screaming Revue
  • サンシャイン・ラブ (1998年9月23日) - (忌野清志郎 Little Screaming Revue
  • QTU (1999年7月28日)
  • 水の泡 (2001年3月10日) - ラフィータフィー
  • プーアの森へ (2002年4月24日)
  • ガンバレ日本 (2002年4月24日) - 木梨憲武+忌野清志郎
  • 青い星 (2002年6月19日) - LOVE JETS
  • 強烈ロマンス (2002年10月30日) - ミツキヨ (及川光博とのユニット)
  • 宇宙大シャッフル (2003年7月2日) - LOVE JETS
  • UFO神社 (2003年7月2日) - LOVE JETS
  • ONABE (2004年11月10日) - サルサガムテープ with 忌野清志郎
  • JUMP (2004年11月26日)
  • 雨上がりの夜空に35 (2005年2月9日) - 忌野清志郎 feat.RHYMESTER
  • 愛を謳おう (2005年7月27日) - 忌野清志郎 with 井上陽水
  • 仕草 (2005年12月7日)
  • Oh! RADIO (2009年6月17日)

[編集] アルバム

[編集] 編集盤

  • abcd (1993年6月16日)
  • GOOD BYE EMI (1998年3月25日)
  • 入門編 (2008年5月)

[編集] 関連盤

[編集] ビデオ・DVD

  • HAPPY HEADS LIVE IN JAPAN (1987年6月5日) - 忌野清志郎 & The Razor Sharp
  • HAVE MERCY! (1992年7月15日) - 忌野清志郎 + Booker T. & THE MG's
  • Screaming Revue (1994年9月16日)
  • GLAD ALL OVER (1994年12月7日) - 忌野清志郎 & 仲井戸麗市
  • 不死身のタイマーズ (1994年4月30日) - THE TIMERS
  • RESPECT! (2000年6月14日)
  • ドラムレス ラフィータフィー (2001年6月2日) - ビリ井バンバン
  • 不確かなメロディー (2001年8月6日)
  • WANTED (2004年5月21日)
  • ONE MAN SHOW (2004年7月21日)
  • LOVE JETS 生 (2004年12月25日) - LOVE JETS
  • 2005★GOD Presents ROMANCE GRAY35 (2005年7月6日)
  • 忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館 (2008年5月)
  • ブルーノートブルース 忌野清志郎 LIVE at Blue Note TOKYO (2008年8月)

[編集] 関連ビデオ・DVD

  • ロックの生まれた日 / various artists(1990年7月) - ユニットSMI名義で4曲収録

[編集] 楽曲提供

  • 井上陽水
    • 帰れない二人 (1973年) - 作詞・作曲(井上と共作)
    • 待ちぼうけ(1973年) - 作詞・作曲(井上と共作)
    • 野蛮な再会 (1994年) - 作詞・作曲(井上と共作) ※のちにセルフカバー
    • 炎熱の月明かり(1998年) - 作詞・作曲(井上と共作)
  • エレファントラブ
    • STAY GOLD (1999年) - 作詞・作曲(エレファントラブと共作)
  • かぐや姫
  • 片山広明
    • 仲間じゃないか<taeko> (1992年) - 作曲
  • 加奈崎芳太郎
    • 女よ泣くな (1979年) - 作曲(加奈崎と共作)
    • 波止場 (1979年) - 作曲(加奈崎と共作)
    • 逃げないでくれ (1979年) - 作曲
    • かわいい女 (1979年) - 作曲
    • さよならマルガリータ (1979年) - 作曲(加奈崎と共作)
    • 愛がもしすべてなら (1979年) - 作曲(加奈崎と共作)
  • 加部正義
    • 非常ベルなビル(1983年) - 作詞、作曲(加部と共作)
  • カルメン・マキ
    • ムーンビーチの砂の上 (1996年) - 作詞・作曲 ※のちにセルフカバー
    • 愛し合えるベッドに…(1998年) - 作詞(春日博文と共作)・作曲
  • 神崎ゆう子
    • 誰もいないクリスマス(1994年) - 作詞・作曲(細野晴臣と共作)
  • 来生たかお
    • ねがえり (2000年) - 作詞 ※のちにセルフカバー
  • 郷ひろみ
    • 夢中 (1983年) - 作詞・作曲(坂本龍一と共作)
  • 小林克也&ザ・ナンバーワンバンド
    • 恩赦(1993年) - 作詞・作曲 ※のちにセルフカバー
  • 坂本冬美
    • Oh,my love~ラジオから愛のうた~(2005年) - 作詞(作曲は細野晴臣)※実質HIS
    • 幸せハッピー(2005年) - 作詞(作曲は細野晴臣)※実質HIS
  • 沢田研二
    • KI・MA・GU・RE(1989年) - 作詞・作曲(小原礼と共作)
  • Gee2wo & GL
    • New Song(1983年) - 作詞・作曲(Gee2wo & GLと共作) ※のちにセルフカバー
    • 忘れられたDJ(1983年) - 作詞
  • GIBIER du MARI
    • 神さまへ(2006年) - 作曲
  • Jamic Spoon
    • Honey Bee (1998年) - 作詞・作曲
  • ジョニー吉長
    • 不思議な召し使い(1986年) - 作詞
    • ICE DOLL(1986年) - 作詞
  • SMAP
    • 弱い僕だから (1997年) - 作詞・作曲 ※のちにセルフカバー
  • SOUL OCTOPUS(木村充揮/BORO
    • 道頓堀ブルース~もうかりまっか (1994年) - 作詞・作曲
  • 大徳寺昭輝
    • 流れ星 (1994年) - 作詞・作曲
  • 竹中直人
    • 危ない2人 (1997年) - 作詞・作曲 ※のちにセルフカバー
  • ダチョウ倶楽部
    • ベジタリアン・ルンバ (1994年) - 作曲
  • ちわきまゆみ
    • MOSUKOSI BABY (1987年) - 作詞(ちわきまゆみと共作)・作曲
  • TEARDROPS
    • 谷間のうた(1990年) - 作詞
  • Tin Pan
    • Hand Clapping Rhumba 2000 (2000年) - 作詞・作曲(大滝詠一・Tin Panと共作)
  • TOKIO
    • 何度も夢の中でくり返すラブ・ソング (1999年) - 作詞・作曲 ※のちにセルフカバー
  • 仲井戸麗市
    • ランタン (1993年) - 作詞・作曲(仲井戸と共作)
  • 永瀬正敏
    • 羊(HITSUJI) (1993年) - 作曲
  • 中森明菜
    • STAR PILOT (1985年) - 作曲 ※のちにセルフカバー
  • 根津甚八
    • 仕事なので・・・ (1986年) - 作詞・作曲
  • BICYCLE[11]
    • 牛肉オレンジ(1991年) - 作詞・作曲
  • 間寛平
    • ジャングル・ジム(2001年) - 作詞・作曲(三宅伸治と共作)
    • やどもり(2001年) - 作曲(山川のりをと共作)
    • 月光バスボーイ(2001年) - 作曲
  • 原田郁子
    • 銀河(2008年) - 作曲
  • ヒルビリー・バップス
    • バカンス(1986年) - 作詞・作曲 ※のちにセルフカバー
  • 古井戸
    • バスケットシューズ (1972年) - 作詞・作曲(仲井戸麗市と共作)
    • コーヒーサイフォン (1972年) - 作詞・作曲(仲井戸麗市と共作)
    • あの娘が結婚してしまう (1972年) - 作詞・作曲 ※のちにセルフカバー
  • BLACK JAXX
    • SAMURAI ROCKS (2006年) - 作詞(BLACK JAXXと共作)
  • MINAKO with WILD CATS
    • あなたと、熱帯(1988年) - 作曲
  • 三浦友和
    • 撃て! (1980年) - 作曲
    • カゴの鳥(1980年) - 作曲
  • ミッキー・カーチス
    • モービル(1996年) - 作詞・作曲(三宅伸治と共作)
  • モップス
    • マイホーム(1972年) - 作詞、作曲(肝沢幅一名義)
  • MOJO CLUB
    • 三重人格 (1991年) - 作詞
    • 月光浴の調べ(1991年) - 作詞・作曲(三宅伸治と共作)
  • 山本キヨシ[12]
    • ベトコンママ、デルタ No.1 (1995年) - 作詞
  • UNI SEX
    • 今でもOH BABY (1991年) - 作詞・作曲(心里万司朗名義)
  • 吉田拓郎
    • こころのボーナス(1998年) - 作詞・作曲
  • LIKE UNCOLORED VELVET
    • ボード・ウォーク (2000年) - 作詞
  • リクオ
    • 胸が痛いよ(1992年) - 作詞・作曲(リクオと共作)
    • 屋上のアコーディオン弾き(1992年) - 作詞・作曲(リクオと共作)
  • Leyona
    • ダンスミュージック☆あいつ (2006年) - 作詞・作曲 ※のちにセルフカバー
  • ロリータ18号
    • ロマンチストIII (1995年) - 作曲(石坂マサヨと共作)
    • 神様アタシだけをひいきして下さい (1999年) - 作詞・作曲(石坂マサヨと共作)
  • ワタナベイビー
    • 坂道 (1999年) - 作詞・作曲(ワタナベイビーと共作)

[編集] 主要ライブ・ツアー

RCサクセションの活動停止以降の初のライブが日清パワーステーション(パワステ)で行なわれた縁もあり、1994年から1997年の間、パワステで大晦日に「素敵な初詣」というイベントライブを行なっていた。1998年から2005年の間はフジロックにも出演、1999年にはフジロックの主催者スマッシュの日高正博の依頼でテーマソング「田舎へ行こう! Going Up The Country」を提供。2002年には異なるバンド・ユニットで3日とも出演するという離れ業を演じた(3日目のLOVE JETSは覆面バンドなので名目上は2日の出演)。

  • KIYOSHIRO IMAWANO SOLO TOUR (1987年3月)
  • GO GO 2・3'S (1991年11月-12月)
  • 忌野清志郎 with Booker T. & THE MG's TOUR 1992 (1992年4月)
  • GO! GO! 2・3'S TOUR 1992 (1992年10月-1993年1月)
  • 1993 お年玉だよ 2・3'S (1993年1月)
  • SWEET 2・3'S POWER TOUR 1993 (1993年10月-1994年1月)
  • SPRING STAKES TOUR 1994 (1994年4月-5月)
  • 忌野清志郎 Screaming Revue (1995年9月-11月)※学園祭ツアー
  • Screaming Revue TOUR '95 (1995年11月-12月)
  • 忌野清志郎 TOUR 1996 Little Screaming Revue (1996年2月-4月)
  • 学園祭ツアー'96 (1996年10月-11月) - 忌野清志郎 Little Screaming Revue
  • Live in Hospital 皐月病 (1997年5月) - Kiyoshiro meets de-ga-show
  • TOUR 1997 GROOVIN' TIME (1997年7月-10月) - 忌野清志郎 Little Screaming Revue
  • ラブ・ジャム'98 (1998年3月) - 忌野清志郎 Little Screaming Revue
  • ラブ・ジャム'98 Vol.2 (1998年9月) - 忌野清志郎 Little Screaming Revue
  • TOUR 1998 TRAVELIN' CAFE (1998年11月-12月) - 忌野清志郎 Little Screaming Revue
  • TOUR 1999 Winter Rood (1999年10月-12月) - 忌野清志郎 Little Screaming Revue
  • マジカデ・ミル・スター・ツアー 2000 (2000年5月) - RUFFY TUFFY featuring 忌野清志郎
  • マジカデ・ミル・スター・ツアー 2000 (2000年10月-12月) - RUFFY TUFFY
  • マジカデ・ミル・スター・ツアー 2001 (2001年6月-7月) - 忌野清志郎/ラフィータフィー
  • TOUR '03-'04 "WANTED" (2003年11月-2004年2月)
  • KING SUMMER (2004年8月) - 忌野清志郎 & NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS
  • 2005★GOD Presents ROMANCE GRAY 35 (2005年3月)
  • 2005 GOD Presents TOUR 35 (2005年5月-7月) - 忌野清志郎 & NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS

[編集] 出演

忌野個人としての出演番組を記載。バンド時代の出演番組に関してはRCサクセション#出演を参照。

[編集] テレビ番組

[編集] テレビドラマ

[編集] ラジオ番組

  • バイタリス・フォーク・ビレッジ (1969年、ニッポン放送)
  • 夜をぶっとばせ (1988年、FM大阪
  • 2・3'Sのオールナイトニッポン (199x年) - 2・3'Sが毎回担当。忌野も時々出演した。

[編集] 映画

[編集] CM

  • ダイハツ - バックに「じどうしゃ」と書かれた垂れ幕を配し、RCのメンバーがその前に横一列にやる気なさそうに座っているものであった。放映期間はごく短く、すぐに下記の三菱自動車のCFに取って代わられた。
  • 三菱自動車ミラージュ - CMソングは「ベイビー! 逃げるんだ。」(RCサクセション)。忌野自身もCMに出演した。「ミツビシってーのが作ったんだぜぃ」とセリフを言うヴァージョンがあり、それをもじってかTHE ALFEEが『星空のディスタンス』のB面曲のラスト付近で「タカミザワってーのが作ったんだぜぃ」と言っている。
  • PARCO - RCサクセション時代メンバーと共に出演。さらにHIS結成時にも起用されている。
  • エースコック・スーパーカップ - ザ・タイマーズとしてCMソングを提供。その後、2006年に再びCMソングに採用される。
  • 清水建設 - 「パパの歌」がCMソングに使われた。忌野自身も出演。
  • 中外製薬グロンサン - 路上でギターを弾き「幸せになりたいけどがんばりたくない」と歌うシーンが印象的だった。

日産自動車 キューブ 「軽でどうだ!」のCMが印象的だった。

ほか、缶コーヒーやビール、生命保険、携帯電話などCM出演は多数。 ナレーターとしての出演や楽曲の使用なども含めると網羅しきれないほどあると言ってよい。

[編集] 著書

[編集] 関連文献

  • GOTTA!忌野清志郎(忌野清志郎伝、角川文庫 1988年)
  • 遊びじゃないんだっ!(RCサクセション20周年記念、マガジンハウス 1990年)
  • 日々の泡立ち 真説RCサクセション(インタビュー集、ロッキング・オン 1991年)
  • 月刊カドカワ・1992年3月号「総力特集 清志郎の遺言」(角川書店 1992年)
  • 生卵(忌野清志郎デビュー25周年記念 河出書房新社 1995年)
  • 瀕死の双六問屋(忌野によるエッセイ集、光進社 2000年)
  • ロック画報・2002年10月号「特集 RCサクセションに捧ぐ」(ブルース・インターアクションズ 2002年)
  • ブーアの森(TOKYO FM出版 2002年)
  • 清志郎 (写真家岡部好による、屋根裏時代からの忌野清志郎の22年間の集大成的写真集 情報センター出版局 2003年)
  • 別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評 忌野清志郎のブルースを捜して(宝島社 2006年)
  • サイクリング・ブルース(小学館 2006年)
  • 地球音楽ライブラリー 忌野清志郎(東京FM出版 2006年)
  • ロックで独立する方法(太田出版 2009年)
  • 忌野清志郎の世界(ぴあ 2009年)

[編集] 展示会

「個展 忌野清志郎の世界」・・ 2009年8月22日(土)ー9月13日(日)までラフォーレミュージアム原宿(ラフォーレ原宿6階)で開催される。

[編集] 脚注

  1. ^ 2008年11月23日のBooker T. & THE MG'sのブルーノート東京公演への飛び入り。「In The Midnight Hour」「Soul Man」を歌い、これが忌野の最後のステージになった。
  2. ^ a b 公式サイトTOPICS No59
  3. ^ 所属レコード会社のユニバーサルミュージック発表
  4. ^ 長谷川博一編『Mr.OUTSIDE わたしがロックをえがく時』(大栄出版、1991年)忌野ロングインタビュー内のP37-38
  5. ^ 長谷川博一編『Mr.OUTSIDE わたしがロックをえがく時』(大栄出版、1991年)忌野ロングインタビュー内のP42-44
  6. ^ どんとがボ・ガンボス以前に組んでいたローザ・ルクセンブルグは「京都のRC」の異名を持つほどで、エレファントカシマシもデビュー直前はRCサクセションのカバーをやらせれば右に出るものはいないと言われていた。
  7. ^ 1999年10月25日「西日本新聞」
  8. ^ 泉谷しげる自伝『わが奔走』(1988年、株式会社ロッキングオン)
  9. ^ 1992年1月18日「朝日新聞」
  10. ^ [1]
  11. ^ BARBEE BOYSのエンリケがプロデュースしたバンド
  12. ^ ザ・タイマーズのローディー
  13. ^ 付録CD付。収録曲は、「瀕死の双六問屋のテーマ」「遠いシナリオ」「フリーター・ソング」「瀕死の双六問屋 エンディング・テーマ」

[編集] 外部リンク