ラモーンズ

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ラモーンズ
Ramones 1983 b.jpg
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
ジャンル パンク
活動期間 1974年 - 1996年
レーベル サイアー(米 & 英, 1976–1992)
レディオアクティブ(米, 1992–1996)
クリサリス(英, 1992–1996)
公式サイト RAMONES.COM
メンバー
ジョーイ・ラモーンボーカル
ジョニー・ラモーンギター
C・J・ラモーンベース
マーキー・ラモーンドラム
旧メンバー
トミー・ラモーン(ドラム)
エルビス・ラモーン(ドラム)
リッチー・ラモーン(ドラム)
ディー・ディー・ラモーン(ベース)

ラモーンズ (Ramones)はアメリカの4人組パンクバンド。1974年結成、21枚のアルバムを残し1996年解散。

1977年のロンドン・パンク・ムーブメントに大きな影響を与え、アメリカ合衆国よりイギリスで評価が高いバンドである。

デビュー作から3作目までのアルバムは、ロック史上に残る重要なアルバムと評価されている。1979年に発表した7作目のアルバム『エンド・オブ・ザ・センチュリー』(フィル・スペクターがプロデュースを担当した)はバンド史上最大のヒットアルバムとなり、2012年現在も大リーグの試合でこのアルバムの曲が演奏されるなど、アメリカ人に深く浸透している。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第26位。

目次

メンバー [編集]

オリジナルメンバー [編集]

ジョーイ・ラモーン Joey Ramone(ボーカル

本名:ジェフリー・ハイマン、1951年5月19日 - 2001年4月15日

ジョニー・ラモーン Johnny Ramone(ギター

本名:ジョン・カミングス、1948年10月8日-2004年9月15日

ディー・ディー・ラモーン DeeDee Ramone(ベース

本名:ダグラス・コルヴィン、1952年9月18日 - 2002年6月5日

トミー・ラモーン Tommy Ramone(ドラム

本名:トマス・アーデライ、1952年1月29日-
ブダペスト出身。オリジナルメンバーとしては、2012年現在唯一存命である。

途中参加のメンバー [編集]

マーキー・ラモーン Marky Ramone(2代ドラム)

本名:マーク・ベル、1956年7月15日-

リッチー・ラモーン Richie Ramone(3代ドラム)

本名:リチャード・レインハート、1957年8月11日-

C・J・ラモーン C.J Ramone(2代ベース)

本名:クリストファー・ジョン・ウァード、1965年10月8日-

変遷 [編集]

Vocal Guitar Bass Drums
1974-1978 Joey Ramone Johnny Ramone Dee Dee Ramone Tommy Ramone
1978-1983 Marky Ramone
1983-1987 Richie Ramone
1987 Elvis Ramone[1]
1987-1989 Marky Ramone
1989-1996 C.J.Ramone

スタイル [編集]

メンバー全員ラモーン(Ramone)の姓を名乗っている。これは、ポール・マッカートニービートルズ)がアマチュア時代、ソロ・シンガーのスコットランド・ツアーにバックバンドとして同行した時に「ポール・ラモーン」を名乗ったことにちなんでいる。

そのスタイルはデビューから解散まで変わらず、シンプルでキャッチーなメロディー、コードは3~4、ダウンストローク一辺倒のギターリフ、リズムは8ビート中心、シンプルでスピーディーな短い曲ばかりである。革ジャン、ジーンズモズライト(ジョニーの使用ギター)というトレードマークも最後まで変わらなかった。

来歴 [編集]

ジョニー (左), ジョーイ (中央), ディー・ディー (右) 1977年のライヴ
1974年

ニューヨーククイーンズ区に住んでいたジョーイ(ボーカル)、ジョニー(ギター)、ディー・ディー(ベース)、トミー(ドラム)の4人により結成された。

1976年

『ラモーンズの激情』("The Ramones")でアルバムデビュー。

1978年

トミーが脱退しマーキーが加入[2]

1983年

マーキーが脱退しリッチーが加入。

1987年

リッチーが脱退、マーキーが再加入。

1988年

ディー・ディーが脱退

1989年

C・Jが加入。

2001年4月15日

ジョーイがリンパ腺ガンにより49年の生涯を閉じる。ジョーイは南アフリカの黒人隔離政策に反対する運動「サンシティ」に参加していた。

2002年3月18日

ロックの殿堂入りを果たした。

2002年6月5日

ディー・ディーがヘロインオーバードースにより49年の生涯を閉じる。

2003年

ラモーンズの初めてのドキュメンタリー映画『End of the Century』が公開。

2003年2月4日

彼らのトリビュートアルバム『We're a Happy Family』が発売され、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、マリリン・マンソンU2キッス、メタリカ、ランシド、グリーン・デイなど16バンドが参加した。

2004年9月15日

ジョニーが前立腺ガンで55年の生涯を閉じる。

2005年

マーキーが長年バンド内部を撮り貯めていたビデオでDVD『ラモ-ンズ・ロウ』をリリースした、多くの賞を得たこのDVDはロンドン・レインダンスフィルムフェスティバルに出展している。

2006年

中南米で人気が盛り上がり、マーキー・ラモーン単独で2万人規模のコンサートが開催された。

2007年9月

マーキーが中国北京ポップフェスティバルに出演し観客総立ちの歓迎を受ける。「パンクはイデオロギーに関係なく受け入れられる」と語った。

2010年2月

CJがソロ名義としては初めての来日を果たすも、ベースが盗難される被害に遭う[3]

ディスコグラフィー [編集]

アルバム [編集]

オリジナルアルバム [編集]

  • 1976年 ラモーンズの激情(Ramones)
  • 1977年 リーヴ・ホーム(Leave Home)
  • 1977年 ロケット・トゥ・ロシア(Rocket to Russia)
  • 1978年 ロード・トゥ・ルーイン(Road to Ruin)
  • 1980年 エンド・オブ・ザ・センチュリー(End of the Century)
  • 1981年 プレザント・ドリームス(Pleasant Dreams)
  • 1983年 サブタレイニアン・ジャングル(Subterranean Jungle)
  • 1984年 トゥー・タフ・トゥ・ダイ(Too Tough to Die)
  • 1986年 アニマル・ボーイ(Animal Boy)
  • 1987年 ハーフウェイ・トゥ・サニティ(Halfway to Sanity)
  • 1989年 ブレイン・ドレイン(Brain Drain)
  • 1992年 モンド・ビザーロ(Mondo Bizarro)
  • 1993年 アシッド・イーターズ(Acid Eaters)
  • 1995年 アディオス・アミーゴス~さらば友よ~(Adios Amigos)

ベスト・アルバム [編集]

  • 1988年 ラモーンズ・マニア
  • 2001年 ラモーンズ・アンソロジー
  • 2002年 ラウド&ファスト:ザ・ベスト・オブ・ラモーンズ
  • 2006年 グレイテスト・ヒッツ

ライブ・アルバム [編集]

  • 1979年 イッツ・アライブ
  • 1991年 ロコ・ライヴ
  • 1996年 グレイテスト・ヒッツ・ライブ
  • 1997年 ラスト・ショウ(ウィ・アー・アウタ・ヒア)
  • 2003年 NYC 1978

サウンドトラック [編集]

DVD [編集]

  • 2005年 RAMONES : RAW /2004
  • 2005年 WEIRD TALES OF THE RAMONES
  • 2007年 イッツ・アライブ1974-1996

映画出演 [編集]

  • 1979年 ロックンロール・ハイスクール 監督:アラン・アーカッシュ

ドキュメンタリー映画 [編集]

2003年に年公開された『End of the Century』はラモーンズの初めてのドキュメンタリー映画であり、バンドに関った多くの人々の証言をもとに、ラモーンズの光と陰を記録している。ジョニー・ラモーンはこの映画について「ぼくたちの重くて暗い側面を表現している」と語った。

この映画は2003年のスラムダンス映画祭で約2,800作品の中からコンペ部門の28本に選出され、『ザ・デクライン』の監督ペネロープ・スフィーリスの紹介によって上映され、ベスト・ドキュメンタリー賞にノミネートされた。同年5月のロサンゼルス・プレミア上映では、レッド・ホット・チリ・ペッパーズグリーン・デイなどの有名アーティストが多数出演した。トロント国際映画祭、ベルリン国際映画祭の上映は、メディアで大絶賛された。日本では2004年11月、シネセゾン渋谷で夜間のみの上映を行ったが、昼間の上映も追加するヒットとなった。

DVD化されたパッケージでは、メンバーおよび、ロブ・ゾンビエディ・ヴェダーデボラ・ハリーメタリカ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ランシドのインタビューが収録されている。

影響 [編集]

2001年のMTVミュージック・アウォーズの壇上で、U2ボノがマーキー・ラモーンに「もしラモーンズが存在しなかったらU2も存在しなかっただろう」と発言して敬意を表した。その後ボノとマーキーは何度もステージで共演している。マーキー・ラモーンはほかにエルビス・プレスリーの娘リサ・マリー・プレスリーとも親しい。ラモーンズのリスペクトパーティにはショーン・レノンも出席した。

2001年4月15日にジョーイが他界。世界のメディアは見出しに「パンク・ロックのゴッドファーザー逝く」「パンク・ロックは教祖を失った」と書き、ジョーイ(ラモーンズ)の業績を讃えた。

来日 [編集]

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1980年

初来日。NHKホールおよび西武劇場(現在はPARCO劇場)、京都会館別館でライブを行い、NHKレッツゴーヤング』にも出演した。競演したシーナ&ザ・ロケッツは彼らのサウンドに惚れこみ、同じアンプを買い求めるほど影響を受ける。その後も鮎川誠の自宅にジョーイが招かれたり、シーナ&ザ・ロケッツとしてマーキーと共演したりするなど、親交を続けている。のちに芥川賞作家となるミュージシャンの町田康も、同じ年に共演している。

1988年
1990年
1991年

川崎クラブチッタ(現在はCLUB CITTA')とMZA有明(現在はディファ有明)での公演であったがMZA有明が経営不振により閉店してしまったため「浅草常盤座(現在は浅草ROX)」で代替公演が行われた。

1993年

脚注 [編集]

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  1. ^ ブロンディのクレム・バーク(Clem Burke)のこと。ライブに2度参加したのみ。後に「自分はラモーンズ向きのドラムじゃなかった」と本人が語っている。
  2. ^ トミーはその後も裏方としてバンドに関わる。
  3. ^ 来日中のCJラモーン ベースが盗難に

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]