ナイン・インチ・ネイルズ

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基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランド
ジャンル インダストリアル・ロック
インダストリアル・メタル
ノイズロック
オルタナティヴ・ロック
活動期間 1988年 -
レーベル コロムビア・レコード
The Null Corporation
インタースコープ・レコード
ナッシング・レコード
TVTレコーズ
公式サイト nin.com
メンバー
トレント・レズナー

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ナイン・インチ・ネイルズ(Nine Inch Nails)は、アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドトレント・レズナーを中心として活動するインダストリアルバンド1989年にシングル「Down in it」でデビューを果たした。

その斬新かつ精密なサウンド・プロダクションやビジュアル・ワーク、過激なステージング、内省的な世界観は後進のアーティストに大きな影響を与えた。それまでアンダーグラウンド・シーンの一つであったインダストリアル・ロックをオーバーグラウンドに持ち上げたバンドの一つでもある。1993年1996年にはグラミー賞ベスト・メタル・パフォーマーに選出された。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第93位に選出された。

メイン・コンポーザーのトレント・レズナーは、1997年のタイム誌が特集を組んだ「最も影響のある25人のアメリカ人」の一人に選出された事もある。

略称は「NIN」。ロゴは3文字目のNが左右反転され、「NIИ」に似たアンビグラムになっている。ただし、印刷物やテキストデータでは普通に「NIN」と書かれる。

略歴[編集]

1988年 - 1991年[編集]

ナイン・インチ・ネイルズは1988年に活動を開始している。レズナーはアメリカ、オハイオ州のクリーブランドにあるインディペンデント・レーベル「ライト・トラック・スタジオ」にてデモレコーディングを行った。それは1994年に"Purest Feeling"と言うタイトルが付いた海賊盤となってリリースされた。そのデモを複数のレーベルに送り、その後TVTレコーズとの契約を結ぶ。

"Purest Feeling"に収録された楽曲にいくつかの新曲を加え、1989年に『プリティ・ヘイト・マシーン (Pretty Hate Machine)』がリリースされた。このアルバムはイギリス・ロンドンでレコーディング作業が進められた。この作業にてレズナーはエイドリアン・シャーウッドとの最初の共同作業を行った(この後、シャーウッドは2000年までしばしばNINの作品にクレジットされる事になる)。このアルバムは親しみやすいメロディーと内省的な歌詞、暗く美しいサウンドに彩られたアルバムとなった。「ダウン・イン・イット」と「ヘッド・ライク・ア・ホール」、「シン」がシングルカットされ、「シン」を除いた2曲のビデオ・クリップがMTVで頻繁に放送された。「シン」についてはその内容が過激すぎるために1997年のビデオ作品『クロージュア (Closure)』までその映像が公にされる事はなかった。

『プリティ・ヘイト・マシーン』は爆発的なセールスを記録する事はなかったものの、リリースから2年に渡ってビルボードにチャートインする息の長い作品となり、結果的に100万枚のセールスを挙げる事になった。

NINは最初の北米ツアーをスキニー・パピーピーター・マーフィー(元バウハウス)、ジーザス&メリーチェインとともに行った。NINの破壊的なステージングはこれまでのシンセサイザーを使ったバンドとはあまりにも異なるスタンスであったために、すぐに大きな噂となった。破れたジーンズを履き、綱紐を天井に引っ掛けて首や胴体に巻きつけて歌うパフォーマンスも行っていた。この頃は金がなかったため「代行料金をどう払えばいいんだ?」や「音楽を始めた頃、親父に買ってもらった機材のクソ古いケーブルをまだ使っていた」などの発言がある。1991年に「プリティ・ヘイト・マシーン」のツアーの一環として最初のロラパルーザに出演した。その後アメリカでガンズ・アンド・ローゼズのツアーに帯同するなど、その活動規模は徐々に大きなものになって行ったが、所属していたTVTレコーズによる作品への干渉が強くなり(「Front 242みたいになれ」などとレーベルから圧力をかけられていた)、NINはTVTレコーズからの移籍を決意する。この移籍問題は裁判沙汰になり、裁判中のレコーディングが禁止された。しかしNINは別名を用いて『プリティ・ヘイト・マシーン』に続く作品のレコーディングを開始した。

1992年[編集]

1992年、6曲の新曲に2曲のボーナストラックを加えたEP、『ブロークン (Broken)』がTVTレコーズとの裁判が終了した後にリリースされた。この作品のインナー・スリーブに記されたライナー・ノーツによると、本作の激しいライブ感が溢れるサウンドは1991年当時のライブ・メンバーからの影響が大きいと言う。

このEPに収録された「ウィッシュ」はスロッビング・グリッスルコイルピーター・クリストファーソンによってビデオ・クリップが制作された。このEPからはシングルカットは行われなかったが、「ウィッシュ」の他に「ハピネス・イン・スレイヴァリー」、「ピニオン」のビデオが制作された。中でも「ハピネス・イン・スレイヴァリー」のビデオ・クリップの過激さは群を抜いており、作中でボブ・フラナガンというパフォーマンス・アーティストが、彼自身が横たわった機械に身体をえぐり取られて殺されてしまうと言う内容であった。当然ながらMTVなどでは放送される事がなかった。これらのビデオクリップは『ブロークン・ムービー (Broken Movie)』と呼ばれる、CDのプロモーションを目的とした短編映画の為に撮影された。内容が非常に過激であり、また本人たちがマスコミに騒がれる事を嫌って正式に公開される事はなかったが、海賊盤ビデオが出回っている。なお、ビデオ作品『クロージュア』において『ブロークン・ムービー』で使用された楽曲のビデオ・クリップを見る事ができる。

「ウィッシュ」のビデオ・クリップについては、1995年にライブ映像を使用したビデオ・クリップが再度製作され、MTVで放送されているのはこのバージョンになる。また「ゲイヴ・アップ」についても、後に『ザ・ダウンワード・スパイラル (The Downward Spiral)』がレコーディングされるラ・ピッグ・スタジオにてビデオクリップが製作された。このクリップには、マリリン・マンソンが登場している。

また、「ゲイヴ・アップ」には、『ブロークン・ムービー』のラストシーンを抜粋したバージョンのクリップがある。男が拷問されてチェーンソーで切り刻まれ、レイプされ、ナイフで滅多刺しにされた挙句加害者に臓物をむさぼられるという、「ハピネス・イン・スレイヴァリー」と並ぶ残虐な内容である。

『ブロークン』がリリースされた2ヶ月後に、唯一のフォローアップ作品となる『フィックスト (Fixed)』がリリースされた。ダニー・ハイド、J.G.サーウェル、ブッチ・ヴィグ(現ガービッジ)らをリミキサーとして起用し、ブロークンに収録されたいくつかの曲をリミックスした。

1994年 - 1995年[編集]

1994年にはセカンド・アルバムとなる『ザ・ダウンワード・スパイラル』をリリースした。このアルバムはビルボード誌のチャートで初登場2位を記録し、NINの評価を決定的にする作品となった。2003年ローリングストーン誌が企画した「500 greatest albums of all time」の200位にランクインし、2005年のスピン誌が企画した「100 Greatest Albums, 1985–2005」の25位にランクインを果たした。

NINはこのアルバムのフォロー・アップツアーとして「セルフ・ディストラクションツアー」と冠されたツアーを行った。このツアーの中で「ウッドストック 1994」に参加した。「ウッドストック 1994」は土砂降りの雨中でライブが行われた。泥まみれの観客が待つ中、バンドメンバーも泥まみれの姿でステージに登場したNINのパフォーマンスはNINのキャリアの中で最も有名なエピソードの一つとなった。

「ライブの直前はいつも吐きそうな気分だった、それは本当にナーバスな日だった。ステージに向かう途中で俺がDannyを押したら、奴は顔から泥に突っ込んだんだ。で、奴が俺にタックルしてきて、それは男だけの泥レスリングみたいなのに変わった。それをやった後、不安はすっかり消えたんだ。」とトレントは言っている。

さらに、トレントはオリバー・ストーン監督の『ナチュラル・ボーン・キラーズ』のサウンドトラックをプロデュースした。NINはこのサウンドトラックに「サムシング・アイ・キャン・ネヴァー・ハヴ」、「ア・ウォーム・プレイス」、そして当時未発表曲の「バーン」を提供している。

1995年にはセカンド・アルバムのリミックス作品となる『ザ・ファーザーダウン・ザ・スパイラル』(Further Down the Spiral) をリリースした。この作品はUS盤とUK盤の2種類が発売されており、それぞれ収録曲が異なっている。本作ではエイフェックス・ツイン、有名プロデューサーリック・ルービンらがリミックスを手がけている。なお、リック・ルービンのリミックスにはジェーンズ・アディクションギタリストであるデイヴ・ナヴァロがギターで参加している。

同年、デヴィッド・ボウイのシングル「The Hearts Filthy Lesson」のリミックスを手掛け、ボウイと共に「ディソナンス・ツアー」と冠されたツアーを行った。これはまず前座のNINが演奏し、その後ステージにデヴィッド・ボウイが登場してそれぞれ互いの曲を共演、そしてNINがステージを降りデヴィッド・ボウイの演奏に移行するというものであった。ボウイはトレントと共に「レプタイル」や「ハート」を歌った。

トレントの愛犬、ゴールデン・レトリバーのMaiseが3階から落下して死亡。

1996年 - 1997年[編集]

1996年にはPCゲームQuakeのサウンドトラックをリリースした。ただしこのサウンドトラックはトレント・レズナーの個人名義で作成されている。

1997年にはデヴィッド・リンチ監督の『ロスト・ハイウェイ』のサウンドトラックのプロデュースを行った。これはリンチ自らがトレントにオファーを申し込んで実現したが、このときリンチはトレントに「『ナチュラル・ボーン・キラーズ』のようなサウンドトラックを作ってくれ」と頼んだという。このサウンドトラックには「ザ・パーフェクト・ドラッグ」が収録された。この曲は後にミート・ビート・マニフェストやジ・オーブらのリミックス5曲を収録したシングルとなってリリースされた。

また、再びデヴィッド・ボウイのシングル「I'm Afraid of Americans」のリミックスを務めた。この楽曲のビデオ・クリップにはボウイのストーカーとしてトレントが出演している。

同年11月には初の公式な映像作品となる『クロージュア』がリリースされた。この作品はVHS二本組となっており、「Tape 1」と銘打たれた方には1994年から1995年にかけて行われた「セルフ・ディストラクト・ツアー」の模様を、「Tape 2」と銘打たれた方にはデビュー当時から1997年の間に製作されたプロモーション・ビデオが収録された。

この『クロージュア』のDVD化の話が出ていたが、前マネージャージョン・マルムとの金銭問題(NINの売上20%を不正に搾取していた)などでジョン・マルムが『クロージュア』の映像著作権の一部を保有してるためリリースできず、2006年にトレント本人が(自分のPCに不正アクセスがあり、データがリークされてしまったため)意図的にネットのP2PにDVDデータを流出させている。このデータはBittorrentなどでダウンロードできる。

1999年 - 2002年[編集]

1999年の9月に2枚組アルバム『ザ・フラジャイルThe Fragile)』がリリースされた。この5年ぶりのサード・アルバムはリリースされた最初の週にビルボードチャートで一位を獲得したが、翌週にはビルボードのトップ10から脱落した。そのために予定していたアルバムリリース後のツアーに必要な経費は、トレント・レズナーのポケットマネーから捻出することとなった。

このアルバムからの先行シングル「ザ・デイ・ザ・ワールド・ウェント・アウェイ(The Day The World Went Away)」のカップリング曲として収録されていた“スターファッカーズ・インク(Starfuckers'Inc)”の歌詞が当時の音楽シーンに対する痛烈な批判と言われ大きな話題となった。“スターファッカーズ・インク”の内容にはマリリン・マンソンに対する批判も含まれていた。マリリン・マンソンは『ザ・フラジャイル』がリリースされた際に批判的なコメントを出しており、トレント・レズナーとマリリン・マンソンの不仲は続いているものと思われていた。しかし“スターファッカーズ・インク”のビデオ・クリップにマリリン・マンソンが出演したことで和解が表明された。

バンドは1999年より「Fragility」と銘打たれたツアーに出る。このツアーはまずはヨーロッパと日本で行われた。そのツアーが一旦終了した後に『ザ・フラジャイル』のリミックス・アルバムとなる『シングス・フォーリング・アパート(Things Falling Apart)』がリリースされた。これにはエイドリアン・シャーウッドやデイヴ・オギルヴィ、チャーリー・クロウザーのリミックスのほか、ゲイリー・ニューマンのカヴァーである「メタル」が収録されている。

その後バンドはアメリカツアーを行い、そのツアーの様子を収めた『アンド・オール・ザット・クッド・ハヴ・ビーンAnd All That Could Have Been)』が2002年にリリースされた。『アンド・オール・ザット・クッド・ハヴ・ビーン』はVHS、DVD、CDの形態でリリースされた。CD盤には初回生産限定盤に『Still』が附属された。これは既発曲や新曲をピアノを主体としたアレンジで収録したもので、NINの持つ”静”の要素を全面に押し出した作品となっている。なお、『Still』は後に単体でリリースされたが、日本盤はリリースされていない。

2004年 - 2006年[編集]

2004年、トレント・レズナーがミュージック・コンサルタントを務め、テーマ曲に起用された『ザ・フラジャイル』収録の「ザ・マーク・ハズ・ビーン・メイド」など6曲を提供したトニー・スコット監督の映画『マイ・ボディガード (Man On Fire)』が公開された。

2005年3月、シングル「ザ・ハンド・ザット・フィーズ 」(The Hand That Feeds)が発売。続いて5月に約6年ぶりとなるアルバム「ウィズ・ティース」(With Teeth)が発売される。この作品にはデイヴ・グロール (フーファイターズ、元ニルヴァーナ)がドラムで参加している。従来までの神経質かつ細部まで作りこまれたサウンドを廃し、ラフなバンドサウンドを主体としたこのアルバムは全米1位を記録。またトレントの精神性にも大きな変化が見られ、自らの心の闇よりも社会に対する怒りを表現するようになったと言われる。同年のMTVムービーアワードでは「ザ・ハンド・ザット・フィーズ 」をジョージ・W・ブッシュ大統領を批判する映像をバックに演奏しようとするが、MTV側が難色を示したため出演を辞退している。

2005年から2006年にかけて「ウィズ・ティース・ツアー」を行う。このツアーの様子を収めた映像作品「ビサイド・ユー・イン・タイム」(Beside You In Time)が翌年の2月にリリースされる。

2007年 - 2008年[編集]

2007年にはアルバム『イヤー・ゼロ (Year Zero)』をリリース。前作から2年という短いインターバルで発表された。

トレントは本作がオーストラリアで法外な値段で売られていることに憤慨し[1]、固定ファンから搾取しようとするレコード会社のやり方を痛烈に批判。これをきっかけに作品のリリース形態に新しい試みを取り入れていく。

まずはトレントが制作に携わったソウル・ウィリアムズのアルバム『The Inevitable Rise And Liberation Of Niggy Tardust』を購入者が値段を$0か$5かを選べる方法でダウンロード・リリース[2]。しかしこの試みはトレントの思惑通りにはいかなかったようで、有料ダウンロードが全体の僅か18.3%であったことにトレントは落胆した[3]

しかしトレントはこれにめげず、今度は自身の新作『Ghost I-IV』を発表する。前2作がロック寄りの比較的シンプルなアプローチだったのに対し、インスト中心でアンビエント色を強めた本作は全36曲中9曲は無料、残り27曲は$5でダウンロードでき、さらに2枚組のCD ($10)、DVD付きのデラックス・エディション ($75)、レズナーのサイン入りのウルトラ・デラックス・ヴァージョン ($300)というように様々なリリース形態が用意された。[4]。続く『The Slip』に至っては全曲を無料で配布した[5]

『ザ・フラジャイル』収録の「ジャスト・ライク・ユー・イマジンド(Just Like You Imagined)」がザック・スナイダー監督の映画「300 〈スリーハンドレッド〉」の予告編テーマソングに使用された。

2009年[編集]

  • 2月16日、公式サイトにて、2009年から始まる世界ツアーを最後にNINとしての活動を終了するとのコメントを発表した。
  • 日本でNine inch Nailsとしてのライブを観ることができたのは、2009年8月7日(金)のサマーソニック(東京公演)ならびに2009年8月8日(土)(同大阪公演)が最後となった。
東京公演では、“Somewhat Damaged”に始まり“The Frail”の終盤で小雨が降り始め“I'm Afraid Of Americans”以降は豪雨と雷に変わり“Hurt”が始まると同時に静けさを取り戻し、ライターが焚かれるという奇跡的な天候となった。
大阪公演では、トレントはサングラスを装着して登場。美しい夕陽の中“Home”と共に始まるステージとなった。
  • 4月1日、エイプリルフールでアルバム「Strobe Light」を発表。内容はメインストリームのR&BとRapのプロデューサーとゲストを迎えたもの。実際に発売されることはない。
  • Webby Awardsを受賞。他の受賞者はtwitter.comなど。
  • 自身もナイン・インチ・ネイルズでのリリースやツアービデオの配信などにおいてウェブでの活動を積極的に行っていたが、2009年6月にSNSに対しての批判を公式ウェブサイト上にて行った。曰く「大局的に見れば益よりも害の方が多いし、これまでの(Web活用の)実験の結果は出たようだから。バカが支配している」とのこと。この実験の結果とは、トレントが行っていたSNSでのユーザーとの交流を指し、そのSNSにおいて「(ファンである)自分のイメージと実際のトレントが違った」などの理不尽な理由で非難されたり、自身の結婚に対して嫌がらせのような行為を度々行われ、その対策に苦慮したことである。
  • NIN.comで、瀕死状態の重病人のEricさんへの寄付をファンに呼びかけたところ1日で542,212ドルが集まり寄付されたが、2009年7月6日にEricさんは亡くなってしまう。
  • 『ザ・フラジャイル』収録の「ザ・デイ・ザ・ワールド・ウェント・アウェイ(The Day The World Went Away)」がマックG監督の映画「ターミネーター4 」の予告編テーマソングに使用された。
  • nin.comのファンから「未発表曲を貯め込んでいるのでは?」という内容の質問について、それを否定すると共にプリンスウィーザーのリヴァース・クオモを批判した。
「俺は、プリンスやリヴァース・クオモじゃない。素晴らしいトラックが山ほどあるって誇示するようなタイプじゃね。プリンスよ、素晴らしい曲が百も千もあるんなら、そこからいくつか選んでアルバムに収録すればよかったじゃないか。だって、ここ何枚かはひどいもんだったからな。リヴァース、お前もだ」(原文翻訳)
「奴は嫌なやつだ。成功のためなら誰だって踏みつけるし、道徳の一線なんてのも超えるだろうよ。奴も今じゃ、ドラッグとアルコールに支配されたラリッた道化だ」(原文翻訳)
  • 8月23日のNew York公演、9月2日のLos Angels公演で、アルバム『ザ・ダウンワード・スパイラル(The Downward Spiral)』が、ライブのセットリストの曲順として完全に再現された。
  • 11月27日、Nine Inch Nailsのツアーやスタジオで使用された何百もの機材やアイテムをすべてeBayオークションで売り出すことが、nin.comより発表された。ツアーメンバーのRobin finckも自身の私物を出品した。

2010年[編集]

  • 妻となったMariqueen Maandigとの新ユニットHow To Destroy Angelsを始動。
  • 映画鉄男 THE BULLET MAN』にメインテーマ「Theme From TESTUO: The Bullet Man」を書き下ろす。
  • デヴィッド・フィンチャー監督の映画『ソーシャル・ネットワーク』のサウンドトラックをアッティカス・ロスと共作。Trent Reznor And Atticus Ross名義として、ヌル・コーポレーションレーベルより発売。
  • デビューアルバム『プリティ・ヘイト・マシーン』をサウンド・エンジニアのトム・ベイカーとリマスタリング。ジャケットのデザインも作り直して新しいパッケージとして一新した。ボーナスにはシングル「シン」のB面にカップリングされていたクイーンの「ゲット・ダウン・メイク・ラヴ」のカバーを収録。大幅なリマスタリングがされ、トレントは「聴覚的な体験として格段に向上した」と言っている。また「このレコードの運命があっちからこっちへと漂っていくのを見届けることになったのはとても興味深いことだったし、とても長く気の滅入る話でもあったけどようやく友好的な領域にこの作品も落ち着いてくれて、おかげで少し磨き上げてみんなに届けることができるようになったよ。古い友人のようなこの作品を再訪することができてとても楽しかったし、みんなにも楽しいものとなれば嬉しいよ」と語っている。

2011年[編集]

2013年[編集]

ナイン・インチ・ネイルズとしての活動再開をアナウンスし、Jay-Z主催のMade In Americaやフジロック・フェスティバルに出演。

8月30日、前作から5年振りとなるアルバム『ヘジテイション・マークス』を発売。本作はメジャーレーベル復帰作でもあり、アメリカではコロムビア・レコードから、ヨーロッパや日本ではユニバーサルミュージックからのリリースとなる。全英アルバムチャートでは初登場2位を記録し、アメリカでは発売初週に10万7000枚を売り上げてBillboard 200チャートで3位にランクインした[6]

音楽的特徴[編集]

NINの音楽を一言で表すのは難しい。NINの音楽的な特徴として「Wish」で聴く事の出来る、インダストリアルの重たく、騒々しいサウンドが一般的なイメージとして捉えられているが、その捉え方はあまりにも表面的すぎると言える。例えば「Down in it」は1980年代のエレ・ポップからの影響を受けている。その一方で「Hurt」に代表される、切なく美しいメロディを特徴とする繊細な曲も多い。

NINのバンドイメージもあり、万人には音楽も難解だと思われがちだが、多くの曲に口ずさめるような判りやすいメロディーがあり、それぞれの楽曲の構成は非常に判りやすい。インダストリアルやノイズのみならず、エレポップやビッグビート、アンビエント、ポップなハードロック・ヘヴィメタルなど、様々なジャンルから影響を受けた。そうしたバンドとしてクイーンピンク・フロイドキッスデペッシュ・モードジョイ・ディヴィジョンミニストリースキニー・パピーパンテラデヴィッド・ボウイエイドリアン・シャーウッドブライアン・イーノクロノス・クァルテットキリング・ジョークザ・キュアーという情報がある。

楽曲のテーマとなっているのは一貫して「怒り」「渇望」であり、自らの内側からのインスピレーションにこだわり続けた憂鬱なサウンドは、暗く、圧倒的な存在感を放っていた。近年はレズナー本人のメンタル面の安定や成長もあり、以前の様な陰鬱さや攻撃性は抑えられたかわりに、アンビエント的な内省と静謐さを取り込み始めている。また制作活動におけるインスピレーションが内側から外側の出来事に変わって来た事もあって表現方法に変化が現れている。それは2005年にリリースされたアルバム『ウィズ・ティース』で聞く事ができる。

メンバー[編集]

正式なメンバーはレズナーのみだが、レコーディング及びライブ活動の際には当然他のミュージシャンをメンバーとして迎え入れることになる。スタジオでの制作活動はレズナーとその他のスタッフ(アラン・モウルダー,アティカス・ロスなど)により行われ、レズナーがその作業をコントロールしている。アルバムごとに形態は異なり、詳細は作品ごとのクレジットにて確認できる。ライブでの活動はアルバム制作後にオーディションや友人の紹介などでメンバーが決まる。そのため、ツアーの度にメンバーは大幅に入れ替わる。

ツアーメンバー[編集]

1989年 - 1994年

  • Richard Patrick - ギター
  • Jeff Ward - ドラム(在籍中に自殺)
  • James Woolley - シンセサイザー
  • Lee Mars - シンセサイザー
  • Chris Vrenna - ドラム/プログラミング

1994年 - 1997年

  • Robin Finck - ギター
  • Danny lohner - ギター/ベース
  • Chris Vrenna - ドラム/プログラミング
  • Charlie Clouser - キーボード/シンセサイザー

1998年 - 2000年

  • Robin Finck - ギター
  • Danny lohner - ギター/ベース
  • Jerome dillon - ドラム
  • Charlie Clouser - キーボード/シンセサイザー

2005年 - 2007年

  • Aaron North - ギター
  • Jeordie White - ベース/ギター
  • Alessandro Cortini - シンセサイザー/ギター/ベース
  • Josh Freese - ドラム
  • Alex Carapetis - ドラム
  • Jerome dillon - ドラム

2007年 - 2008年

  • Robin Finck - ギター
  • Justin Meldal-Johnsen - ベース
  • Alessandro Cortini - シンセサイザー/ギター/ベース
  • Josh Freese - ドラム

2009年

  • Robin Finck - ギター
  • Justin Meldal-Johnsen - ベース
  • Ilan Rubin(Lostprophets) - ドラム

2013年

  • Robin Finck - ギター
  • Josh Eustis - ベース/ギター
  • Alessandro Cortini - シンセサイザー/ギター/ベース
  • Ilan Rubin -ドラム
  • Pino Palladino - ベース
  • Lisa Fischer - コーラス
  • Sharlotte Gibson - コーラス

2014年

  • Robin Finck - ギター
  • Alessandro Cortini - シンセサイザー/ギター/ベース
  • Ilan Rubin -ドラム

レコーディングメンバー[編集]

膨大な人数になるために全てを列挙する事は不可能だが、比較的著名な参加者を表記する。

ディスコグラフィー[編集]

NINの公式作品はそれぞれ「halo」(haloとは例えば聖像の頭の周りやその上方に描かれる、光背, 後光の意味)を冠したシリアル・ナンバーが付けられている。

NINは作品のフォーマットによって同じタイトルでも内容が微妙に変わる事がある。例えば『The fragile』の場合、CDでは合計で23曲が収録されているが、アナログでは25曲が収録されている上にいくつかの曲では別バージョンが収録されている。また、同じ作品でもアメリカとヨーロッパ、日本で収録曲が変わっている事がある。

アルバムをリリースした後にリミックス・アルバムをリリースするのが通例となっており、アルバムリリースの度にリミックス・アルバムのリリースが期待されている。

2004年ナッシング・レコードが事実上活動を停止した関係からか、それ以降の先行シングルを含めたシングル曲のリリース形態がアメリカとヨーロッパで大きく異なっている。アメリカでリリースされている12インチ・シングルはリミックス曲が多数収録されており、それらはヨーロッパや日本でリリースされているシングルでは聴く事が出来ない物が多い。

アルバム[編集]

発売日 タイトル 米チャート 英チャート
1989年 プリティ・ヘイト・マシーン #75 #67
1992年 ブロークン (EP) #7 #18
1992年 フィックスト (リミックス・アルバム) - -
1994年 ザ・ダウンワード・スパイラル #2 #9
1995年 ファーザー・ダウン・ザ・スパイラル (リミックス・アルバム) #23 -
1999年 ザ・フラジャイル #1 #10
2000年 シングス・フォーリング・アパート (リミックス・アルバム) #67 #98
2002年 アンド・オール・ザッツ・クッド・ハヴ・ビーン (ライブ・アルバム)    #54
2005年 ウィズ・ティース #1 #3
2007年 イヤー・ゼロ #2 #6
2007年 イヤー・ゼロ~零リミックス (リミックス・アルバム) #77 #160
2008年 Ghosts I-IV #14 #60
2008年 The Slip #13 #25
2013年 ヘジテイション・マークス #3 #2

シングル[編集]

発売年 タイトル アルバム
1989年 Down in it プリティ・ヘイト・マシーン
1990年 Head Like A Hole プリティ・ヘイト・マシーン
1990年 Sin プリティ・ヘイト・マシーン
1994年 Dead Souls ザ・クロウ』のサウンドトラックに提供
1994年 March Of The Pigs ザ・ダウンワード・スパイラル
1994年 Closer ザ・ダウンワード・スパイラル
1994年 Burn ナチュラル・ボーン・キラーズ』のサウンドトラックに提供
1997年 The Perfect Drug ロスト・ハイウェイ』のサウンドトラックに提供
1999年 The Day The World Went Away ザ・フラジャイル
1999年 We're In This Together ザ・フラジャイル
1999年 Into The Void ザ・フラジャイル
2000年 Deep トゥームレイダー』のサウンドトラックに提供
2005年 The Hand That Feeds ウィズ・ティース
2005年 Only ウィズ・ティース
2006年 Every Day Is Exactly The Same ウィズ・ティース
2007年 Survivalism イヤー・ゼロ
2007年 Capital G イヤー・ゼロ
2008年 Discipline The Slip
2008年 Echoplex The Slip
2010年 Theme From TETSUO: The Bullet Man 鉄男 THE BULLET MAN』のサウンドトラックに提供

映像作品[編集]

発売年 タイトル
1997年 クロージュア
2002年 アンド・オール・ザット・クッド・ハヴ・ビーン
2007年 ビサイド・ユー・イン・タイム


日本公演[編集]

  

脚注[編集]

外部リンク[編集]