ドクター・ドレー
| ドクター・ドレー | |
|---|---|
コンサートの舞台裏にて(2008年)
|
|
| 基本情報 | |
| 出生名 | アンドレ・ロメル・ヤング |
| 出生 | 1965年2月18日(48歳) |
| 出身地 | |
| ジャンル | ヒップホップ |
| 担当楽器 | 歌、シンセサイザー、キーボード、蓄音機、ドラムマシン、サンプラー |
| 活動期間 | 1984年 - 現在 |
| レーベル | プライオリティ、デス・ロウ、アフターマス、インタースコープ |
| 共同作業者 | 50セント、エミネム、グループ・セラピー、ジェイ・Z、コラプト、N.W.A.、スヌープ・ドッグ、ワールド・クラス・レッキング・クルー、イグジビット |
アンドレ・ロメル・ヤング(Andre Romel Young、1965年2月18日 - )はドクター・ドレー(Dr. Dre)の芸名で知られるアメリカ合衆国の音楽プロデューサー、ラッパー、実業家、俳優である。ヒップホップ・ミュージックの分野で、最も影響力があり、最も成功し、最も有名なプロデューサーの一人である。ドクター・ドレーのアルバム、「クロニック」と「2001」は批評的にもセールス的にも成功した。特に前者はその後4年間(1992-1996)、ヒップホップ・ミュージックの主流となり、今日まで影響を与え続けているウェスト・コーストのGファンクの始まりとして、ヒップホップに革命をもたらしたと評価されている。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第56位。
目次 |
来歴 [編集]
ドクター・ドレーは、1980年代前半に、ワールド・クラス・レッキン・クルー(World Class Wreckin' Cru)の一員としてプロデューサーとしてのキャリアを開始した。1986年に、ドレーとワールド・クラス・レッキン・クルーのメンバーであるDJ・イェラ(DJ Yella)は、1990年代にギャングスタ・ラップと呼ばれるスタイルを確立したラップ・グループ、N.W.A.に初期メンバーとして参加した。
N.W.A.の大成功の後、N.W.A.とそのレーベルであるルースレス・レコード(Ruthless Records)の創設メンバーであるイージー・E(Eazy E)との不和により、人気の頂点にあった1991年に同グループを脱退し、シュグ・ナイトと共にデス・ロウ・レコード(Death Row Records)を設立した。
1992年春に初のソロ・シングル「ディープ・カバー(Deep Cover (AKA 187))」を発表した。このシングルは、MCのスヌープ・ドギー・ドッグ(現スヌープ・ドッグ)との共演の始まりとなった。スヌープは、同年発表のドレーのソロデビューアルバム、「クロニック」でも大々的にフィーチャーされた。同アルバムは「ナッティン・バット・ア・G・テン(Nuthing But A 'G' Thang)」、「ファック・ウィズ・ドレー・デイ(アンド・エヴリバディズ・セレブレイティン)(**** Wit Dre Day (And Everybody's Celebratin'))」、「レット・ミー・ライド(Let Me Ride)」などのヒット・シングルを生み出し、マルチ・プラチナ・アルバムとなり、歴史上最も売れたヒップホップアルバムの一つとなった。「レット・ミー・ライド」は、1993年のグラミー賞ベスト・ラップ・ソロ・パフォーマンスを獲得した。
続く1993年、ドレーはスヌープ・ドッグのデビューアルバム「ドギー・スタイル(Doggystyle)」をプロデュースした。同アルバムは、初のビルボード・チャート1位デビューという驚異的なヒットを記録した。
1996年には、2パックの「カルフォルニア・ラヴ(California Love)」をプロデュースし、自らも客演することで大ヒットさせた。この大ヒットにより、デス・ロウ、そしてドレー自身の音楽業界での立場が確固たるものとなった。しかし、同年の終わり、2パックが死亡し、シュグ・ナイトが脅迫罪に問われて逮捕されたことにより、デス・ロウの存在が危うくなった。これを受けてドレーは同レーベルを脱退、自らの手でアフターマス・エンターテインメント(Aftermath Entertainment)を立ち上げた。それと同時に発表されたアルバム「ドクター・ドレー・プレゼンツ〜ジ・アフターマス」は、アフターマスと契約した新人の曲を含むコンピレーションで、ドレー自身のヒット・シングル「ビーン・ゼア・ダン・ザット(Been There, Done That)」も収録されている。同曲は、ドレーがギャングスタ・ラップへの決別を表現していることが特徴的な曲であった。アルバムはプラチナムとなったが、ドレーとしては商業的にも質的にも失敗作であったといわざるを得ない。
1997年には、ナズ、フォクシー・ブラウン、AZ、ネイチャーらが参加したアルバム「ザ・ファーム(The Firm: The Album)」に収録された数曲をプロデュースした。このアルバムもプラチナムとなったが、同様に批判的な評を受けた。
アフターマスの転機は、ドレーがデトロイトのラッパー、エミネムと契約した1998年に訪れた。1999年にはエミネムのメジャーデビューアルバム「ザ・スリム・シェイディ LP」、続く2000年には「ザ・マーシャル・マザーズ・LP」をプロデュースした。後者のアルバムで、より多くの曲を手がけているが、うち5曲はメル・マンとの共作である。2002年発表の「ザ・エミネム・ショウ」では、エミネム自身のプロデュースが増えているが、2004年発表の「アンコール」では再びドレーのプロデュース曲が増えている。
ドレー自身の2枚目のアルバム「2001」は1999年に発表された。同アルバムにはデヴィン・ザ・デュード、ヒットマン、スヌープ・ドッグ、エミネムなど、多くの客演があった。
2000年には、グラミー賞のプロデューサー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。これは「ザ・マーシャル・マザーズ LP」と「2001」における業績に与えられたものである。これらのアルバムは、深く豊かなベースラインに高音のピアノと弦楽器のメロディを重ねるという、その後の楽曲の方向性を示唆した。このスタイルは、ドレーのプロデュースの、イヴの「レット・ミー・ブロウ・ヤ・マインド(Let Me Blow Ya Mind)」、バスタ・ライムズの「Break Ya Neck」、メアリー・J・ブライジの「ファミリー・アフェアー(Family Affair)」などの各曲に活かされている。
「SET IT OFF」、「ザ・ウォッシュ」、「トレーニング・デイ」などの映画にも出演。彼自身は後に役者になるつもりは無かったと語っている。ノクターナル(Knoc-turn'al)をフィーチャーした「バッド・インテンションズ(Bad Intentions)」は、「ザ・ウォッシュ」のサウンドトラックに収録されている。同サウンドトラックでは、他に「On the Blvd.」、「The Wash」という曲で、スヌープ・ドッグと競演している。
2003年には、クイーンズ区出身のMC50セントのメジャーデビューアルバム「ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン(Get Rich Or Die Tryin')」をエミネム、オービー・トライスと共にプロデュースし、ヒットさせた。同アルバムからは、特にドレープロデュースのシングル「イン・ダ・クラブ(In Da Club)」がヒットした。
ドレー自身の最後のアルバムになると噂されている「Detox」は、2004年に発表されると言われていた。同アルバムの制作は中止になったと一時期言われた。これは、ドレー自身がアフターマスに所属する他のアーティストのプロデュース業に専念するという発言による。しかし、2004年11月には再び2006年にリリースする予定であると告げられ、以降度々延期を繰り返している。
2010年末、とうとう「Detox」からの正式先行シングルとして、"Kush feat. Snoop Dogg & Akon"を発表。後にPVも公開された。
ドレーは2006年発表のスヌープ・ドッグの8枚目のアルバム「The Blue Carpet Treatment」に、久々にプロデュース曲を提供している。近年は歴史的な天才作曲家で名プロデューサー、シンガーでもあるバート・バカラックのアルバムでコラボレーションを果たしたり、映画のスコアを作曲したいと発言する等他ジャンルへの挑戦にも意欲的である。
来日
EMINEMの『THE RECOVERY JAPAN TOUR 2012』 8月17日東京・ [千葉マリンスタジアム|QVCマリンフィールド]SPECIAL GUESTとして
アルバム [編集]
- クロニック - The Chronic (1992年)
- ドクター・ドレー・プレゼンツ〜ジ・アフターマス - The Dr.Dre Presents...The Aftermath (1996年)
- 2001 - Dr.Dre 2001 (2004年)
- デトックス - Detox
映画 [編集]
- SET IT OFF - Set It Off(1996年)
- Rhyme&Reason ライム&リーズン - Rhyme & Reason (1997年、出演)
- ウェルカム・トゥ・デス・ロウ - Welcome To Death Row (2001年、出演)
- ザ・ウォッシュ - The Wash (2001年、製作総指揮・歌・出演)
- トレーニング・デイ - Training Day (2002年、出演)
- ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン - Get Rich Or Die Tryin' (2005年、製作)
外部リンク [編集]