ドクター・ドレー

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ドクター・ドレー
コンサートの舞台裏にて(2008年)}
コンサートの舞台裏にて(2008年)
基本情報
出生名 アンドレ・ロメル・ヤング
出生 1965年2月18日(49歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州コンプトン
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ヒップホップ
担当楽器 歌、シンセサイザーキーボード蓄音機ドラムマシンサンプラー
活動期間 1984年 - 現在
レーベル プライオリティデス・ロウアフターマスインタースコープ
共同作業者 50セントエミネムグループ・セラピージェイ・ZコラプトN.W.A.スヌープ・ドッグワールド・クラス・レッキング・クルーイグジビット

ドクター・ドレーDr. Dre)ことアンドレ・ロメル・ヤングAndre Romel Young1965年2月18日 - )は、アメリカ合衆国音楽プロデューサーラッパー実業家俳優である。

概要[編集]

ヒップホップ・ミュージックの分野で、最も影響力があり、最も成功し、最も有名なプロデューサーの一人である。

アルバム「2001」は、批評的にもセールス的にも成功した。特に「クロニック」は、発表から4年間、ヒップホップ・ミュージックの主流となり、今日まで影響を与え続けているウェスト・コーストGファンクの起源として、ヒップホップに革命をもたらしたと云われている。

近年は、ヘッドホンブランド「beats by dr.dre」を設立。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第56位。

来歴[編集]

1980年代前半、ワールド・クラス・レッキン・クルー(World Class Wreckin' Cru)の一員としてプロデューサーとしてのキャリアを開始した。1986年に、ドレーとワールド・クラス・レッキン・クルーのメンバーであるDJ・イェラ(DJ Yella)は、1990年代ギャングスタラップと呼ばれるスタイルを確立したラップ・グループ、N.W.A.に初期メンバーとして参加した。

N.W.A.は人気の頂点にあったが、N.W.A.とそのレーベルであるルースレス・レコード(Ruthless Records)の創設メンバーであるイージー・E(Eazy E)との不和により、1991年に脱退、シュグ・ナイトと共にデス・ロウ・レコード(Death Row Records)を設立した。

1992年春に初のソロ・シングル「ディープ・カバー(Deep Cover (AKA 187))」を発表した。このシングルは、MCスヌープ・ドギー・ドッグ(現スヌープ・ドッグ)との共演の始まりとなった。スヌープは、同年発表のドレーのソロデビューアルバム、「クロニック」でも大々的にフィーチャーされた。同アルバムは「ナッシン・バット・ア・G・サング(Nuthing But A 'G' Thang)」、「ファック・ウィズ・ドレー・デイ(**** Wit Dre Day (And Everybody's Celebratin'))」、「レット・ミー・ライド(Let Me Ride)」などのヒット・シングルを生み出し、マルチ・プラチナ・アルバムとなり、歴史上最も売れたヒップホップアルバムの一つとなった。「レット・ミー・ライド」は、1993年グラミー賞ベスト・ラップ・ソロ・パフォーマンスを獲得した。

続く1993年、ドレーはスヌープ・ドッグのデビュー・アルバム「ドギー・スタイル(Doggystyle)」をプロデュースした。同アルバムは、初のビルボード・チャート1位デビューという大ヒットを記録した。

1996年には、2パック、ロジャー・トラウトマン共演の「カリフォルニア・ラヴ(California Love)」をプロデュースし、自らも客演することで大ヒットさせた。この大ヒットにより、デス・ロウ、そしてドレー自身の音楽業界での立場が確固たるものとなった。しかし、同年の終わり、2パックが死亡し、シュグ・ナイトが脅迫罪に問われて逮捕されたことにより、デス・ロウの存在が危うくなった。これを受けてドレーは同レーベルを脱退、自らの手でアフターマス・エンターテインメント(Aftermath Entertainment)を立ち上げた。それと同時に発表されたアルバム「ドクター・ドレー・プレゼンツ〜ジ・アフターマス」は、アフターマスと契約した新人の曲を含むコンピレーションで、ドレー自身のヒット・シングル「ビーン・ゼア・ダン・ザット(Been There, Done That)」も収録されている。同曲は、ドレーがギャングスタ・ラップへの決別を表現していることが特徴的な曲であった。アルバムはプラチナムとなったが、ドレーとしては商業的にも質的にも失敗作であったといわざるを得ない。

1997年には、ナズ、フォクシー・ブラウン、AZ、ネイチャーらが参加したアルバム「ザ・ファーム(The Firm: The Album)」に収録された数曲をプロデュースした。このアルバムもプラチナムとなったが、同様に批判的な評を受けた。

アフターマスの転機は、ドレーがデトロイトのラッパー、エミネムと契約した1998年に訪れた。翌1999年には、エミネムのメジャー・デビュー・アルバム「ザ・スリム・シェイディ LP」、続く2000年には「ザ・マーシャル・マザーズ・LP」をプロデュースした。後者のアルバムで、より多くの曲を手がけているが、うち5曲はメル・マンとの共作である。2002年発表の「ザ・エミネム・ショウ」では、エミネム自身のプロデュースが増えているが、2004年発表の「アンコール」では再びドレーのプロデュース曲が増えている。

1999年に、ドレーの2作目のアルバム「2001」を発表、デヴィン・ザ・デュードやヒットマン、スヌープ・ドッグ、エミネムなどが、数多く参加している。

2000年には、「ザ・マーシャル・マザーズ LP」と「2001」における業績で、グラミー賞のプロデューサー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。これらのアルバムは、深く豊かなベースラインに高音のピアノ弦楽器のメロディを重ねるという、その後の楽曲の方向性を示唆した。このスタイルは、ドレーのプロデュースの、イヴの「レット・ミー・ブロウ・ヤ・マインド(Let Me Blow Ya Mind)」、バスタ・ライムズの「Break Ya Neck」、メアリー・J・ブライジの「ファミリー・アフェアー(Family Affair)」などの各曲に活かされている。

SET IT OFF」、「ザ・ウォッシュ」、「トレーニング・デイ」などの映画にも出演。彼自身は後に役者になるつもりは無かったと語っている。ノクターナル(Knoc-turn'al)をフィーチャーした「バッド・インテンションズ(Bad Intentions)」は、「ザ・ウォッシュ」のサウンドトラックに収録されている。同サウンドトラックでは、他に「On the Blvd.」、「The Wash」という曲で、スヌープ・ドッグと競演している。

2003年には、クイーンズ区出身のMC50セントのメジャーデビューアルバム「ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン(Get Rich Or Die Tryin')」をエミネム、オービー・トライスと共にプロデュースし、ヒットさせた。同アルバムからは、特にドレープロデュースのシングル「イン・ダ・クラブ(In Da Club)」がヒットした。

ドレー最後のアルバムになると噂されている「Detox」は、2004年に発表されると言われていたが、一時期は制作中止になったと言われた。これは、ドレー自身がアフターマスに所属する他のアーティストのプロデュース業に専念するという発言による。しかし11月には、2006年の発表予定であると告げられ、以降度々延期を繰り返している。

2010年末、とうとう「Detox」からの正式先行シングルとして、"Kush feat. Snoop Dogg & Akon"を発表。後にミュージック・ビデオも公開された。

2006年発表のスヌープ・ドッグの8作目のアルバム「The Blue Carpet Treatment」に、久々にプロデュース曲を提供している。近年は歴史的な天才作曲家で名プロデューサー、シンガーでもあるバート・バカラックのアルバムでコラボレーションを果たしたり、映画のスコアを作曲したいと発言する等、他ジャンルへの挑戦にも意欲的である。

経営者としての活動[編集]

2008年、ジミー・アイヴォンと共同でBeats Electronicsを設立。 ヘッドフォン「Beats by Dr. Dre」、定額制音楽ストリーミングサービス「Beats Music」、高音質技術「Beats Audio」ブランドを手がける。

来日[編集]

2012年8月17日、エミネムのQVCマリンフィールド公演にスペシャル・ゲストとして登場。

アルバム[編集]

  • クロニック - The Chronic (1992年)
  • ドクター・ドレー・プレゼンツ〜ジ・アフターマス - The Dr.Dre Presents...The Aftermath (1996年)
  • 2001 - Dr.Dre 2001 (2004年)
  • デトックス - Detox

映画[編集]

  • SET IT OFF - Set It Off(1996年)
  • Rhyme&Reason ライム&リーズン - Rhyme & Reason (1997年、出演)
  • ウェルカム・トゥ・デス・ロウ - Welcome to Death Row (2001年、出演)
  • ザ・ウォッシュ - The Wash (2001年、製作総指揮・歌・出演)
  • トレーニング・デイ - Training Day (2002年、出演)
  • ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン - Get Rich or Die Tryin' (2005年、製作)

外部リンク[編集]