筋肉少女帯

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筋肉少女帯
基本情報
別名 筋少
King-Show
出身地 日本の旗 日本東京都[1]
ジャンル ロック
ハードロック[1]
ヘヴィメタル[1][2]
プログレッシブ・ロック[1]
パンク・ロック
ニュー・ウェイヴ
活動期間 1982年 - 1999年
2006年 -
レーベル ナゴムレコード
1984年 - 1988年
トイズファクトリー
(1988年 - 1994年
MCAビクター
(1994年 - 1996年
マーキュリーミュージックエンタテインメント
(1996年 - 1999年)
トイズファクトリー
(2006年 - 2013年
徳間ジャパンコミュニケーションズ
2013年 - )
公式サイト 筋肉少女帯 -Official Web Site-
メンバー
大槻ケンヂボーカル
内田雄一郎ベース
本城聡章 (リズムギター
橘高文彦リードギター
旧メンバー
三柴理キーボード、現サポート)
太田明 (ドラムス
美濃介 (ドラムス)
関口博史 (ギター)
石塚BERA伯広 (ギター)
友森昭一 (ギター)
他全17名

筋肉少女帯(きんにくしょうじょたい)は、1980年代後半から1990年代後半にかけて活躍し、2006年に活動を本格再開した日本ロックバンド。通称は「筋少」(きんしょう)で、アルファベットでは「King-Show」(初期は「KIN-SHOW」)と記す。

経歴[編集]

結成~インディーズ期[編集]

1979年に当時中学生だった大槻ケンヂ内田雄一郎が組んだバンド「ザ・ドテチンズ」(別名ドンズ。当時の大槻のあだ名より命名)が始まり。大槻は健康青竹踏みを打ち鳴らし、内田はエレクトーンを掻き鳴らした。

ドンズが解散した後の1982年、二人は高校進学を期に再びバンド「筋肉少年少女隊」を結成[2]。大槻は「JAGATARA」のようなファンクバンドを志向していたものの、練習スタジオでファンクが上手く説明できず、結局「ディープ・パープル」の様な曲調になったそうである(このやりとりによって生まれたのが代表曲のひとつ「釈迦」)[3]。4月6日のライブハウス新宿JAM「伝染病解散ライブ」にてライブデビュー。

1984年、バンド名を「筋肉少女帯」に改め、ナゴムレコードよりインディーズデビュー。とはいえ、まだまだこの頃のライブでは大槻がうどん粉で顔面白塗りの上、裸体に包帯を幾重にも巻きつけて歌唱するなど、「当時は学園祭バンドみたいなノリで、完全にキワモノ」(大槻談)であった。

同じ頃、後に第22期筋肉少女帯メンバーとなる5人がそれぞれのバンド(大槻・内田は筋少、本城は筋少・有頂天・エッグレイヤー、太田はYTJ、橘高はSLEAZY LUSTER)でYAMAHAのコンテストに出場。たびたび顔を合わせる旧知の仲だった。筋少はパフォーマンス賞や審査員特別賞を受賞、橘高、太田はそれぞれベストギタリスト賞、ベストドラマー賞を取るなど、対照的な成績を残している。

1985年に三柴江戸蔵が参加(当初はサポート。1986年3月正式加入)。

1987年、ナゴムレコードより発売の自主制作EP『高木ブー伝説』が話題を呼ぶ。冗談画報11PMなどに出演。その際演奏した高木ブー伝説、ドリフターといった楽曲の歌詞が問題となったりもした。そのためドリフターズ所属の事務所を名乗る者から苦情の電話が寄せられ、『高木ブー伝説』は結局自主回収という形で販売中止となる。しかし、その電話は後に悪戯と発覚する。大槻によれば、この一件で筋肉少女帯は一時解散の危機に立たされたが、他ならぬ高木ブーの擁護によって事なきを得たという。

メジャーデビュー~バンドブームの盛衰[編集]

様々なメンバーが加入と脱退を繰り返す中で活動を続け、1988年6月トイズファクトリーよりアルバム仏陀L』・シングル釈迦』でメジャーデビュー (第18期メンバー) 。しかし、その後もメンバーが定着することはなく、半年後に発売された2ndアルバムは21期メンバーで録音された。

1989年2月の三柴脱退を受け、橘高文彦の加入・本城聡章の復帰が「大槻ケンヂのオールナイトニッポン」にて発表される (第22期) 。筋少のオリジナル音源への参加に先駆け、「オールナイトニッポン」の企画から派生した「まんが道」(大槻と内田による変名ユニット) の『ボヨヨンロック』において非公式ながら初のレコーディング。その後、さらに同メンバーで録音された3rdアルバム以降ついにメンバーが定着し、以後10年間メンバー交代が行われることはなかった。

アルバム収録曲『日本印度化計画』が話題となり、続くシングル『元祖高木ブー伝説』(『高木ブー伝説』のリメイク) が一躍大ヒット。大槻がオールナイトニッポンのパーソナリティを務めたことも相まって、一躍有名バンドへとのし上がっていく。「筋肉少女帯の深夜改造計画」という看板TV番組まで持っていた。一方で、『ボヨヨンロック』、『日本印度化計画』、『元祖高木ブー伝説』と笑いの側面の強い曲が立て続けにヒットしたこともあり、はからずも世間にはコミックバンドという認知が俄かに定着しつつあった。大槻自身、この三作をまとめて「ボヨヨン・カレー・ブー」=「B・C・B」と呼び、度々自虐的に当時の状況をネタにしている。

1990年2月7日には単独では初となる武道館LIVE。以後1994年まで通算4度、単独での武道館LIVEを敢行する。

1992年発売のベストアルバム『筋少の大車輪』には、かつてのメンバーが一堂に集結。新録音曲「大釈迦」が収録された。

バンドブームが去った1992年9月、経営難となっていた所属事務所をやめ、翌1993年暮れにはレコード会社との契約打ち切りも経験する。

1994年に橘高が、翌1995年に大槻がソロデビューするなど、メンバー各自での活動も多くなっていった。

所属レコード会社は1994年にMCAビクター、さらに1996年にマーキュリーミュージックエンタテインメントへと移籍。

活動凍結~それぞれの道へ[編集]

1998年。当時の所属事務所の経営破綻[4]、精神バランスを崩したこと[5]、メンバーのモチベーション低下[6]等が重なった結果、この頃より大槻はバンドとしての活動限界を感じるようになる[7]。その一方で「メンバーのまとまりがなかった反面、ライブそのものはよかった」[8]と、パフォーマンス的には円熟していた時期であるとも後年公言している。

バンドブーム衰退後も独自のスタンスを保ちメジャーシーンで活躍しつづけたが、同年7月渋谷公会堂ライブを最後に太田が脱退。同時にバンドとしての活動休止が発表された。

9月、大槻は、内田および三柴らかつてのメンバーと期間限定で「80年代の筋肉少女帯」を結成。LIVEツアーも行う(後にインディーズよりビデオ発売)。

1999年5月には大槻がバンドのテコ入れを想定した「大槻と内田以外のメンバー一新による活動再開」を示唆し、後に橘高が脱退を表明。この事態が一部ファンに「大槻の独断による橘高外し」と受け取られ反発を招いた。大槻が公式サイト上で事態収拾を行うべく弁明の書き込みをするも逆に火に油を注ぐ形となり、大槻の人格攻撃に及ぶまでに至る。精神的に疲弊した大槻は翌6月に脱退を表明。内田雄一郎本城聡章の2人のみとなった筋肉少女帯は事実上解散状態となる。しかし2人は筋肉少女帯の名を守りつづけることを決意。

7月、内田と本城は「解散」ではなくバンドとしての活動「凍結」を宣言した。

その後、大槻は文筆活動と併行して「特撮」を結成し、様々なコネクションを通じ対バン勝負を呼びかけて個人名義での活動も行う。橘高は脱退と前後する形で結成していた「X.Y.Z.→A」に専念。太田は相川七瀬らのサポートの傍らドラム教室を開催。内田と本城は他アーティストのサポートやプロデュース活動の他、「筋肉少女帯」(KING-SHOW)としてサントラ製作やライブアルバム監修、イベント主宰などを行っていった。

仲直り~活動再開[編集]

活動休止前後にはメンバー間で行き違いもあり、特に盟友関係と言っても良かった大槻と内田は、その後「特撮」内で対立して内田が脱退するなど一時絶縁に近い状態となってしまう。 しかし

  • 大槻と橘高の所属バンド同士が競演する。
  • 内田と本城の主催イベントに橘高が参加し、「一夜限りの復帰」と銘打ってセッションを実施。
  • 大槻・内田双方と交友があった元アンジーの水戸華之介が大槻のイベントにゲスト出演した際に内田を登場させて仲直りの場を設けた(もともとは大槻が水戸に内田への出演交渉を依頼。水戸は辛うじて内田の電話での出演を取り付けた形にしておいて、当日電話しながら内田が登場するというサプライズを演出)。

など、徐々に関係を修復していった。共演の際に筋肉少女帯の曲が演奏されることもあり、大槻と内田に至っては「仲直り」自体をイベントのネタとして使用するまでになる。

2006年にはかつて大槻がケラ、内田と結成していたユニット空手バカボンが突如復活しライブを行った。さらに大槻と橘高が三柴らのサポートを受けて「大槻ケンヂと橘高文彦」と称するコンビを組み、筋少ファンを公言する滝本竜彦原作・大岩ケンヂ作画のテレビアニメ『N・H・Kにようこそ!』に楽曲を提供。大槻、橘高参加時の往年の「90年代の筋少」サウンドを髣髴とさせる楽曲となった(シングル盤には筋少時代の楽曲「踊るダメ人間」のセルフカヴァーも収録されている)。

同年4月から7月にかけて『週刊アスキー』誌上において大槻が『筋肉少女帯物語』第1部を連載。大槻本人が明記しているようにフィクションのキャラクターも登場する「小説」なのだが、当時のメンバーらの許可の元に、バンドブームに巻き込まれ、急激に人気バンドになってしまった彼らを取り巻いていた状況なども語られている。

そして小説第1部の最終回掲載直前の7月22日。恵比寿で行われた「大槻ケンヂと橘高文彦」のライブに、サプライズゲストとして内田と本城が登場。大槻と橘高の筋肉少女帯再加入と、4人で同年12月28日に筋肉少女帯のライブを行うことが発表され、凍結状態であったバンドは8年ぶりに復活を果たした(小説第1部のラストでも、大槻が復活を宣言)。

メジャーデビュー時と同じトイズファクトリーに所属することとなり、2007年3月にベストアルバム『筋肉少女帯 復活究極ベスト 大公式』が第一弾として発売された。

同年9月にはおよそ10年ぶりのオリジナルアルバムとなる『新人』を発売。

2008年9月21日に14年ぶり、単独では5度目となる武道館公演を行った。

2013年4月、徳間ジャパンコミュニケーションズへとレコード会社を移籍した。

メンバー[編集]

正規メンバー(2013年現在)[編集]

大槻ケンヂ(おおつき けんぢ、1966年2月6日 -)ボーカル東京都中野区出身(在籍期間1982年-1999年,2006年-)
結成時よりのオリジナルメンバー。当初の名義は「モヨコ」、「おーつきモヨコ」、あるいは「大槻モヨコ」等。愛称は「オーケン」。
結成当初はボーカル&ベース担当だったが、ほどなく歌いながらだとベースが弾けないことが発覚、ボーカルに専念することとなる。
遠藤ミチロウ町田町蔵長谷川裕倫などの影響を受けた[9]独特のヴォーカルのみならず、ほとんどの楽曲の歌詞を手がけ、独自の世界観を構築する。
作曲もある程度手がけ、ハードコアファンクテクノ・ポップボサ・ノヴァなど比較的シンプルな構成ながらも振れ幅の広い楽曲を生み出した。頭の中のメロディをメンバーに伝えて試奏して貰いながら組み立てる、あるいは鼻歌をメインとした作曲スタイルのためクレジット表記において物議をかもし、後年の作曲者クレジットが「○○&筋肉少女帯」と統一される要因にもなった。
作家、エッセイスト、タレントとしても活動し、文筆業においては筒井康隆大塚英志鹿島茂坪内祐三松岡正剛などからのレファレンスや星雲賞の二年連続受賞といった一定の評価を得た。独特の軽妙かつつかみどころのないキャラクターの宣伝効果でバンドの知名度アップに大きく寄与したが、自身も認める通りそれが色物的扱いを受ける要因にもなった。
2006年7月再加入。
内田雄一郎(うちだ ゆういちろう、1966年2月8日 -)ベース。東京都中野区出身(在籍期間1982年-)
結成時よりのオリジナルメンバーで唯一バンドを離れたことがない。当初の名義は「ユウ」、「ゆう」、「内田ユウ」など。愛称は「うっちー」。
結成当時はキーボードを担当していたが、大槻がベースができなくなったために急遽ポジションチェンジ。
独特の太いサウンドとベースとしてのポジションを守りつつの奇妙なライン構成を特徴とする。
プログレやYMO、歌謡曲などを好み、「ペテン師、新月の夜に死す!」「月とテブクロ」「アメリカン・ショートヘアーの少年」「夜歩くプラネタリウム人間」「何処へでも行ける切手」「ゴッドアングルPart2」などのプログレ色の濃い楽曲、「ララミー」「俺の罪」「パレードの日、影男を秘かに消せ!」「抜け忍」などの奇妙な味の楽曲はたいてい内田が作曲に関わっている。
大槻とは中学からの同級生で、ドテチンズ、空手バカボン、まんが道などで共に活動。特撮にも当初在籍した。
ゲームファンであり、週刊ファミ通に連載を持っていたことがある。
本城聡章(ほんじょう としあき、1964年9月10日 -)ギター。東京都出身(在籍期間1982年-1985年,1989年-)
1982年、ケラと共に「有頂天」に参加、同4月6日のライブで筋少と共にアマチュアデビュー。内田の高校の先輩という縁もあり、結成9ヶ月の筋少に掛け持ちで加入。当初の名義は「トシ」。愛称は「おいちゃん」。
1989年の再々加入後[10]、1992年のアルバム「エリーゼのために」より作曲を手がけ始め(これ以前にもノンクレジットながら「踊るダメ人間」の作曲にも関わっている[11])、ニュー・ミュージックニュー・ウェイヴに影響を受けた音楽性[12]で、筋少のひねくれポップな一面を引き出す立役者となる。90年代の中ごろからはメインソングライター的なポジションとなり、自身のポップセンスはそのままにメンバーそれぞれの趣向を汲んだ幅広いスタイルの楽曲を制作した。
1990年4月15日から9月9日まで、文化放送で日曜午前10時から放送の「本城聡章の好きにやろうぜ!」にてラジオパーソナリティを務めた。
現在のメインギターはフェンダー・ストラトキャスターとキャパリソンのデリンジャー。
橘高文彦(きつたか ふみひこ、1965年12月27日 -)ギター。大阪府枚方市出身(在籍期間1989年-1999年,2006年-)
1984年、ヘヴィメタルバンド「AROUGE」にてメジャーデビュー。同バンド解散から3年後の1989年より、三柴理と入れ替わりになる形で筋少に参加。「三柴君と一緒にやれると思っていたら、彼が辞めちゃって」と、後に本人が加入のいきさつを語っている[13]。愛称は「ふーみん」[14]
草創期のヴィジュアル系にも近い衣装・メイクと本人いわく「お城を建てる」激しいギターソロが特徴。90年代筋少のメインの音楽性であるハード・ロック/ヘヴィ・メタル色を牽引する存在で、ドラマティックないし叙情的な楽曲を手がけた。バンドの事実上の音楽プロデューサーでもあった。
メインギターはギブソンのフライングVとキャパリソンのFKV。
2006年7月再加入。

サポートメンバー[編集]

三柴理(みしば さとし、1965年1月15日 -)キーボード。正規メンバーとして1986年-1989年(第13-21期)在籍。
旧名・三柴江戸蔵(みしばえどぞう)。旧名に由来する愛称は「エディ」。
内田と共にデビュー初期のプログレ色を牽引した。クラシックジャズの高い素養を活かしたピアノで筋少の音楽的な発展に大きく寄与する一方で、大槻以上の強烈なパフォーマンスを展開した人物であり、演奏中に激しいアクションをとってみせるのみならず、全裸でピアノを弾いた、演奏後観客席にダイブした、出番の少ない楽曲でステージを練り歩く・走り回るなどナゴム人らしい逸話あり。
4歳から続けてきたクラシックピアニストとしての側面を追求するため、2ndアルバム後に脱退。その後は元有頂天のタボ、元LINDBERGの小柳昌法、戸川純などとのユニット、横関敦佐藤研二吉田達也などとの共演、サウンドトラック制作、他アーティストの作品への客演といった幅広い活動を行っている。
大槻らとの交友は脱退後も続き、「80年代の筋肉少女帯」「特撮」に正規メンバーとして参加した他、大槻のソロ活動や「大槻ケンヂと橘高文彦」などでもサポートを担当。2006年12月の復活ライヴよりピアノ&キーボードでサポート参加。
長谷川浩二(はせがわ こうじ、1965年4月4日 -)ドラムス
復活後の録音作品に一貫して参加。ライブでも2007年以降は主に長谷川がサポートとして参加している。
THE ALFEEの専属サポート(2005年まで)や、Cube-rayとしての活動でも知られる。殊にALFEEのサポートではメンバーのバラバラな音楽的趣向に対応できる辣腕が評価されていた。
※現在、サポートドラマーのポジション自体は流動的で固定されていない。
2007年のアルバム「新人」では上述の長谷川の他、Fumihiko Kitsutaka's Euphoriaにも参加した湊雅史扇愛奈とザ・セクターズに内田とともに参加している矢野一成が客演。2008年以降の作品では一貫して長谷川浩二が務めている。
ライブでのサポートについても先述の長谷川をメインで起用しつつ、時折他のドラマーも起用されている。
以下、参加時期のみ記載。経歴などは各々の個別ページにて確認されたい。
河塚篤史(斗羅):2006年・復活ライブ、2012年11月・幕張メッセ、2013年9月・渋谷CLUB QUATTRO
原治武:2007年ライブツアー、2007年テレビ出演時
ファンキー末吉:2009年11月・渋谷C.C.Lemonホール、2010年9月・ライブ2DAYS
真矢:2009年12月・渋谷AX
山口"PON"昌人:2011年5月・赤坂BLITZ

過去在籍メンバー[編集]

※過去在籍した正規メンバーは総勢17人にも達するため、主な者のみに留める。

太田明(おおた あきら、1965年6月30日 -)ドラムス。東京都出身。1988年-1998年(第19-22期)在籍。
約11年間に渡って在籍した、通称「90年代の筋少」の一人。ジャズ・フュージョンなどの素養も持ち、幅広い音楽性のバンドを卓越したドラムテクニックで支え続けた。三柴とスタジオミュージシャン時代からの旧知の仲だったことから加入。1998年8月、脱退[15]
2006年の復活に際しても他メンバーから要請がなされ最初の音合わせには参加したものの、参加は見送られた[16][17]
しかし、太田がリーダーを務めるセッションイベントに橘高が飛び入りで参加するなど、けしてメンバーと不仲になったわけではない。
2008年、デビュー20周年記念公演「サーカス団、武道館へ帰る!」にゲスト出演。
2013年、デビュー25周年記念作品『公式セルフカバーベスト 4半世紀』において、1曲のみであるが新規録音に参加。
橘高曰く「筋少のドラムは、太田で永久欠番」[18]
美濃介(みのすけ、1965年4月25日 -)ドラムス。1983年-1988年(第6,9-18期)在籍。
インディーズ初期~デビュー時まで在籍したドラムス。
脱退後もアルバム「SISTER STRAWBERRY」収録の「日本の米」曲中コントにゲスト参加している。
現在はケラの率いる劇団「ナイロン100℃」の看板俳優として舞台、TV等で活躍中。ミュージシャンとしては主にボーカル&ギターとして活動中。
デビュー20周年記念公演「サーカス団、武道館へ帰る!」にコーラス&ギターでゲスト出演。
関口博史(せきぐち ひろし)ギター。1987年-1988年(第18期)在籍。
パンクバンド奇形児を経て加入。デビューアルバム「仏陀L」に参加後、ばちかぶりへの加入が決定し筋少を脱退。
1998年「80年代の筋肉少女帯」のライブにゲスト出演している。
石塚BERA伯広(いしづか べら のりひろ)ギター。東京都出身。1985-1986年(第12-13期)在籍。
太田明とのYTJ、中野テルヲとのMODE-ID等数多くのバンドを経験。ナゴムの他バンドとの交友も広い。
脱退後はSOFT BALLET等のサポートギタリストとして活躍。
1998年には「80年代の筋肉少女帯」のメインギタリストを務めた他、大槻のソロ活動にサポートで参加した後、大槻・佐藤研二小畑ポンプと共にバンド「電車」を結成。
友森昭一(とももり しょういち、1966年1月13日 -)ギター。1987年(第15期)在籍。
元・AUTO-MODレベッカ。石塚BERAとは高校の同級生。学生時代からプロのスタジオミュージシャンとして活動。インディーズ期の筋少でギターを弾きつつ、同時期にレベッカで大会場でのライブをこなしていた。
「80年代の筋肉少女帯」参加メンバー。

過去の主なサポートメンバー[編集]

横関敦(ex BRONX)
1988年10月より1989年2月まで参加。
2ndアルバムの録音と、その後のツアーに参加した。「80年代の筋肉少女帯」ライブ、デビュー20周年記念公演「サーカス団、武道館へ帰る!」にもゲスト出演。
秦野猛行
1989年2月より1998年のツアー終了まで参加。
三柴脱退後の「90年代の筋少」を長くサポート。2007年のアルバム「新人」にも参加したほか、デビュー20周年記念公演「サーカス団、武道館へ帰る!」にもゲスト出演。
久保田安紀(ex 高円寺百景)
1985年より1997年まで参加。
インディーズ期から活動凍結までの長期間、コーラスや女性ヴォーカルとして、主に録音作品において参加した。ライブでは1990~1991年のツアーに帯同し「夜歩くプラネタリウム人間」で大槻とツインボーカルを取っている。

メンバー変遷[編集]

  時期 Vocal Bass Guitar Keyboard Drums 備考
1期 1982.02- 大槻ケンヂ
(w/Bass)
- トミー高橋 内田雄一郎 鈴木ナヲト
(w/Vocal)
『筋肉少年少女隊』結成
アマチュアデビュー
2期 1982.05- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 トミー高橋 - 鈴木ナヲト 『筋肉少女隊』に改名
大槻、内田ポジションチェンジ
3期 1982.07- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 トミー高橋 しけもく渡辺 鈴木ナヲト
4期 1982.11- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 本城聡章 みを 鈴木ナヲト 本城、加入
5期 1983.04- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 本城聡章 みを ペコ
6期 1983.07- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 本城聡章 みを 美濃介
7期 1984.05- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 本城聡章 みを ジン
(from 有頂天)
インディーズデビュー
8期 1984.07- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 本城聡章 - ジン
9期 1984.08- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 ゲッタ - 美濃介
10期 1984.09- 大槻ケンヂ
中丸栄子(Backing Vocal)
内田雄一郎 後藤くまお - 美濃介
11期 1984.10- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 本城聡章 - 美濃介 『筋肉少女帯』に改名
本城、復帰
「ナゴムオムニバス あつまり」に参加、初音源となる
12期 1985.04- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 石塚BERA伯広 - 美濃介 「とろろの脳髄伝説」発表
13期 1986.03- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 石塚BERA伯広 三柴江戸蔵
(w/Piano)
美濃介
14期 1986.11- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 中村ムー哲夫 三柴江戸蔵
(w/Piano)
美濃介 「ノゾミ・カナエ・タマエ」発表
15期 1987.04- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 友森昭一
(from レベッカ)
三柴江戸蔵
(w/Piano)
美濃介 「高木ブー伝説」発表
16期 1987.08 大槻ケンヂ 内田雄一郎 ※DD小巻 三柴江戸蔵
(w/Piano)
美濃介 数度のライブのみ
17期 1987.08- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 ももちゃん
(from GO-BANG'S)
三柴江戸蔵
(w/Piano)
美濃介
18期 1987.09- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 関口博史 三柴江戸蔵
(w/Piano)
美濃介 シングル「釈迦」、アルバム「仏陀L」でメジャーデビュー
19期 1988.07- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 加藤卓之 三柴江戸蔵
(w/Piano)
太田明
20期 1988.09- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 - 三柴江戸蔵
(w/Piano)
太田明 ツアー途中での加藤脱退により、ギター不在で残り日程を乗り切る
21期 1988.10- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 ※横関敦 三柴江戸蔵
(w/Piano)
太田明 「SISTER STRAWBERRY」発表
22期 1989.02- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 本城聡章
橘高文彦
※秦野猛行 太田明 本城再復帰、橘高加入
メンバーが固定化され、以後多くのアルバム、シングルを発表
- 1998.09 大槻ケンヂ 内田雄一郎 石塚BERA伯広
友森昭一
三柴理
(w/Piano)
※小畑ポンプ[19] 期間限定で旧メンバーと『80年代の筋肉少女帯』結成[20]
ライブツアーも行う[21]
23期 1999.07- - 内田雄一郎 本城聡章 - - 1998年8月、太田の脱退を受け、活動休止
1999年7月、橘高、大槻の脱退を受け、活動凍結
『KING-SHOW』名義で幾つかのオムニバスアルバムに参加
24期 2006.07- 大槻ケンヂ 内田雄一郎 本城聡章
橘高文彦
※三柴理
(w/Piano)
- 『90年代の筋少』が8年ぶりに活動再開
※サポートDrumsは流動的

※印はサポートメンバー

  • 参考文献「筋少新聞2号」

特徴[編集]

メンバーのバラバラな趣向を反映したバラエティに富むミクスチャー的な音楽性と、不条理とブラックユーモアが入り混じった物語性の高い詞世界、音楽性の硬派さと相反するコミカル・プラクティカルな笑いの要素が特徴。

三柴在籍時のインディーズ後期からデビュー初期にかけてはパンク、ハードロック、ニュー・ウェイヴ、プログレなどが混在した音を聴かせ、主に三柴と内田が音楽的方向性の主導権を握っていた。[22]

三柴脱退後、新たな方向性を模索していた筋少は、オーディションで洋楽受容者でヘヴィ・メタルのギタリストである橘高が加入すると、彼と本城のツインギターによりハードロック系の音楽性を前面に押し出していくこととなる(大槻は一般的にメジャーなこの時代の筋少を指して「'90年代筋少」と呼んでいる)。

ネーミング[編集]

「当初は、筋肉少年隊とするはずであったが、少年隊が所属するジャニーズ事務所よりクレームがついた為、名前を変えた」という俗説があるが、先述のようにインディーズの無名時代からすでに「筋肉少女帯」と名乗っている。

当の大槻ケンヂによれば、

  • 確かに「少年隊」というネーミングには影響された
  • そこで「筋肉」と「少年隊」という対比的な概念を組み合わせようと考えた
  • 当時、自分の性別に違和感を覚えることもあったので「少年」→「少年少女」→「少女」に変更
  • 「隊」という文字に不良少年的なイメージを感じ、気に入らなかったので字を変えた

というのがネーミングの理由であるとのこと。しかし「女子プロレスからの連想」などいったようにその時々で大槻が面白おかしく脚色して話しているために真相はこれまた一切不明であり、どこまでが真なのかは大槻本人にしかわからない。

なおバブル期に海外に紹介された際、バンド名は「muscle girls area」と直訳されてしまったらしい。

作品[編集]

シングル[編集]

  タイトル 規格 販売生産番号 リリース
indies 高木ブー伝説 EP NG-042 1987年7月
1st 釈迦 EP 10309-04 1988年6月21日
- ボヨヨンロック(「まんが道」名義)[23] 12cmCD 82004 1989年4月19日
2nd 元祖高木ブー伝説 8cmCD 20362 1989年12月5日
3rd サボテンとバントライン 8cmCD TFDC-28001 1990年9月5日
4th 踊るダメ人間 8cmCD TFDC-28005 1991年7月5日
5th 氷の世界井上陽水の同名曲をカバー) 8cmCD TFDC-28007 1992年2月21日
6th バトル野郎〜100万人の兄貴〜 8cmCD TFDC-28011 1992年6月21日
7th 暴いておやりよドルバッキー 8cmCD TFDC-28015 1993年3月21日
8th 君よ!俺で変われ! 8cmCD TFDC-28017 1993年5月21日
9th 蜘蛛の糸 8cmCD MVDD-13 1994年1月25日
10th 香菜、頭をよくしてあげよう 8cmCD MVDD-16 1994年5月21日
11th リルカの葬列 8cmCD MVDD-19 1994年11月23日
12th トゥルー・ロマンス 8cmCD MVDD-37 1996年3月6日
13th 僕の歌を総て君にやる 8cmCD PHDL-1073 1996年11月25日
14th 小さな恋のメロディ 8cmCD PHDL-1080 1997年1月29日
15th タチムカウ -狂い咲く人間の証明- 8cmCD PHDL-1088 1997年4月30日
16th 221B戦記(「筋肉少女帯と水木一郎」名義) 8cmCD PHDL-1102 1997年9月3日
17th 仲直りのテーマ 12cmCD TFCC-89218 2007年9月5日
18th ツアーファイナル 12cmCD TFCC-89254 2008年8月27日

オリジナルアルバム[編集]

  タイトル 規格 販売生産番号 リリース
indies とろろの脳髄伝説 コンパクトLP NG-017 1985年8月
indies ノゾミ・カナエ・タマエ 45回転12インチ盤 NG-036 1987年3月
1st 仏陀L LP
カセットテープ
12cmCD
12cmCD(再発)
30304-28
50304
80304-32
TFCC-86302
1988年6月21日
1988年6月21日
1988年6月21日
2009年7月22日
2nd SISTER STRAWBERRY LP
カセットテープ
12cmCD
12cmCD(再発)
30322-20
50322
80322-20
TFCC-86303
1988年12月21日
1988年12月21日
1988年12月21日
2009年7月22日
3rd 猫のテブクロ カセットテープ
12cmCD
12cmCD(再発)
50350
80350
TFCC-86304
1989年7月5日
1989年7月5日
2009年8月19日
4th サーカス団パノラマ島へ帰る カセットテープ
12cmCD
12cmCD(再発)
VPTC-50362
VPCC-80362
TFCC-96305
1990年2月5日
1990年2月5日
2009年8月19日
5th 月光蟲 12cmCD
12cmCD(再発)
TFCC-88003
TFCC-86306
1990年11月21日
2009年8月19日
6th 断罪!断罪!また断罪!! 12cmCD
12cmCD(再発)
TFCC-88010
TFCC-86307
1991年7月21日
2009年9月16日
7th エリーゼのために 12cmCD
12cmCD(再発)
TFCC-88021
TFCC-86308
1992年5月21日
2009年9月16日
8th UFOと恋人 12cmCD
12cmCD(再発)
TFCC-88030
TFCC-86309
1993年4月25日
2009年9月16日
9th レティクル座妄想 12cmCD MVCD-13 1994年4月21日
10th ステーシーの美術 12cmCD MVCD-33 1996年3月23日
11th キラキラと輝くもの 12cmCD PHCL-5041 1996年12月9日
12th 最後の聖戦 12cmCD PHCL-5057 1997年10月15日
13th 新人 12cmCD TFCC-86234 2007年9月5日
14th シーズン2 12cmCD TFCC-86297 2009年5月20日
15th 蔦からまるQの惑星 12cmCD TFCC-86326 2010年6月2日

その他のアルバム[編集]

  タイトル 規格 販売生産番号 リリース
ベストアルバム 筋肉少女帯 ナゴム全曲集 12cmCD NG-064 1990年1月25日
ベストアルバム 筋少の大車輪 12cmCD TFCC-88019 1992年3月21日
シングルベスト 筋少の大水銀 12cmCD×2 TFCC-88035~6 1993年11月1日
ベストアルバム 筋少MCAビクター在籍時 BEST&CULT 12cmCD MVCD-42 1996年12月18日
コンセプトベスト SAN FRANCISCO 12cmCD PHCL-5094 1998年6月29日
ライブトラック集 80年代の筋肉少女帯 12cmCD UGSCL0001 1998年9月29日
プロレスリング・サウンドトラック CRAZY MAX 1st. PRODUCED BY KING-SHOW 12cmCD CMAX001 2000年7月
ベストアルバム スーパー・バリュー/筋肉少女帯 12cmCD UUCH-8005 2001年12月19日
ライブトラック集 筋少の大海賊 vol.1 12cmCD TRCL-0008 2002年12月26日
ライブトラック集 筋少の大海賊 vol.2 12cmCD TRCL-0009 2003年2月20日
ベストアルバム GOLDEN☆BEST 筋肉少女帯〜ユニバーサルミュージック・セレクション〜 12cmCD
12cmCD(再発)
UPCY-6115
UPCY-9298
2006年3月1日
2012年12月5日
ベスト&レアトラック集 筋肉少女帯 ナゴムコレクション 12cmCD DDCH-2515 2006年6月21日
ベストアルバム 筋肉少女帯 復活究極ベスト 大公式 12cmCD×2 TFCC86217 2007年3月14日
ベストアルバム 大公式2 12cmCD TFCC86249 2008年3月19日
セルフカバーアルバム 公式セルフカバーベスト 4半世紀 12cmCD TKCA-73905 2013年5月29日

映像作品[編集]

  タイトル 規格 販売生産番号 リリース
PV KIN-SHOWの大残酷 VHS 60501 1988年7月21日
LIVE 筋肉少女帯 at 武道館[24] VHS
LD
DVD
VPVQ-66117
VPLQ-76117
TFBQ-18085
1990年4月25日
1990年4月25日
2008年7月23日
PV集/LIVE 三年殺し VHS
LD
TFVQ-68003
TFLQ-78003
1991年8月5日
1991年8月5日
LIVE 筋少祭りだ!90分[24] VHS
LD
DVD
TFVQ-68013
TFLQ-78013
TFBQ-18086
1992年7月5日
1992年7月5日
2008年7月23日
PV集/LIVE science fiction double feature〜筋肉少女帯 Live & PV-clips〜 VHS×2 PHVL-7801~2 1998年3月18日
LIVE 80's筋少Live & clip VHS UGSVP1 1998年12月10日
LIVE THE・仲直り!復活!筋肉少女帯〜サーカス団パノラマ島へ帰る'06〜 DVD TFBQ-18072 2007年3月14日
LIVE SPACE SHOWER ARCHIVE 筋肉少女帯 LIVE 9103 DVD DEJR-1009 2007年6月22日
LIVE サーカス団、武道館へ帰る DVD TFBQ-18093 2008年12月17日
PV集/LIVE 三年殺し & KIN-SHOWの大残酷 DVD TFBQ-18102 2009年12月2日
LIVE どこへでも行ける切手 初期アルバム 1st~8th曲限定ライブSP DVD TFBQ-18104 2010年4月21日
LIVE 心の折れたエンジェル 2011.5.28 赤坂BLITZ ~再結成以降曲集中ライブDVD~[25][26] DVD×2 OKHU1001~2 2011年10月1日
レア映像集[27] 筋少動画01[25] DVD OKHU1003 2012年5月26日[28]
LIVE 筋肉少女帯メジャーデビュー25周年記念「4半世紀 LIVE」 at 中野サンプラザ 2013.6.22[25] DVD×2 OKHU1004~5 2013年10月1日[29]

参加オムニバス[編集]

  • 新規録音作品のみ。
  タイトル 収録曲 規格 販売生産番号 リリース
  あつまり ナゴムオムニバス 「オレンヂペニス」「肉の王者」「釈迦」[30] LP
12cmCD
NG-010L
NG-078
1984年12月
1992年9月
  子どもたちのCity 「23の瞳」[31] LP
12cmCD
12cmCD(再発)
12cmCD(再々発)
AY28-12
APCA-63
APCA-3022
TECN-20805
1987年2月21日
1992年7月21日
1995年7月21日
2002年8月21日
  昔、ナゴムレコードがあった 「サンフランシスコ」「高木ブー伝説」「釈迦」[32] VHS
VHS(再発)
NG-050
NG-086
1988年3月
1992年12月
  地獄の賞賛 KISS トリビュート・イン・ジャパン 「パラサイト」[33] 12cmCD PHCL-5085 1998年2月25日
  ATOM KIDS Tribute to the king "O.T." 「海のトリトン」[34] 12cmCD WPC6-8522 1998年11月26日
  TRIBUTE TO MODERN DOLLZ "ブラインド越しの俺たち" 「浮気なジャングルビート」[35] 12cmCD UKCD-1099 2002年10月4日
  Sirius〜Tribute to UEDA GEN〜 「サイクリング」[36] 12cmCD VICL-62999 2008年9月24日
  Fumihiko Kitsutaka 25th Anniversary ~LIVE! DREAM CASTLE~ 「さらば桃子」「アンクレット」「再殺部隊」
「小さな恋のメロディー」「イワンのばか」[37]
DVD×2 XQHZ-2003 2011年4月6日
  hide TRIBUTE VII -Rock SPIRITS- DICE 12cmCD TKCA-74018 2013年12月18日

タイアップ一覧[編集]

年代順

※大槻がCMに出演。
※CM用に歌詞を「俺にチェリオを飲ませろ」に変更した音源を使用。
  • 『サボテンとバントライン』 / 久光製薬「ビンダスローション」CMソング
※CMキャラクターとしてメンバーも映像に出演。
※大槻がCMに出演。
※CM用に別歌詞を載せ「君よ!ポストウォーターで変われ!」とした音源を使用。CDも製作され、抽選でプレゼントされた。
※CM用に歌詞と合いの手を若干変更した音源を使用。

書籍[編集]

大槻、橘高、本城、内田が自らについて語った書籍。未発表音源CD[39]付き。
  • 筋肉少女帯 SHOXX SPECIAL ~4半世紀アフター~ (2013年6月[40] 音楽専科社
1991年発売のアーティストブック(雑誌SHOXXの特別増刊号)の復刻に加え、新規収録のメンバーインタビュー、ライブレポート等掲載。

レギュラー番組[編集]

  • 筋肉少女帯の深夜改造計画(1989年10月-1990年 日本テレビ系)

関連項目[編集]

  • メンバー在籍の(過去に在籍も含む)他グループ
  • ナゴムレコード
  • 人間椅子江戸川乱歩キング・クリムゾンに影響を受けたもの同士、親交の深いロックバンド。
  • 電気グルーヴ:かつてのレーベルメイトであり、大槻とは現在でも親交が深い。
  • 陰陽座:ベースの瞬火をはじめ、メンバーが筋肉少女帯の大ファン。元ドラムの斗羅は筋少メンバーに指名される形で復活ライブのサポートを任された。
  • 久保田安紀:「AKI」名義で、初期から中期にかけての、女性コーラス、女性ボイスを担当する。
  • 井上彩名:『これでいいのだ』などの女性ボイスを担当。
  • 綾波レイ:キャラクターデザインの貞本義行が『何処へでも行ける切手』から包帯と少女というイメージ、『福耳の子供』から口調を作り上げた。
  • pop'n musicコナミの音楽ゲーム。『日本印度化計画』『釈迦』の2曲がプレイ曲として収録されていたが、『pop'n music Sunny Park』以降は両曲とも削除されている(Pop'n8~Pop'n20 fantasiaの間のみ収録)
  • GuitarFreaks - DrumMania:コナミの音楽ゲーム。「V6」に『心の折れたエンジェル』が収録されている。
  • 高木ブー:「高木ブー伝説」の題材となった。後に大槻は本人から許可も貰い、面識も持った。
  • ザ・ドリフターズ:後年完全に自粛された楽曲「ドリフター」の題材となった。
  • ステーシー:アルバム「ステーシーの美術」と世界観を同じくする、大槻ケンヂによる小説。ならびにそれを原作とする劇場映画、舞台演劇。
  • アウェーインザライフ:アルバム「蔦からまるQの惑星」収録曲を多数使用した舞台演劇。公式にコラボレートと銘打っており制作発表には筋少メンバーも同席した。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d キューブミュージック
  2. ^ a b 筋肉少女帯の記事まとめ - ナタリー(ナターシャ)・2014年7月26日閲覧。
  3. ^ 『裸の王様』ライナー内での田口トモロヲとの対談より。大槻のエッセイでも複数回言及されている。
  4. ^ 『筋肉少女帯自伝』P155-157、257、350。
  5. ^ 『筋肉少女帯自伝』P52、56、139-144。大槻と橘高が発症していた。橘高は中学生時代以来の再発。
  6. ^ 『筋肉少女帯自伝』P153-154。
  7. ^ 『筋肉少女帯自伝』P64-65。
  8. ^ 『筋肉少女帯自伝』P57。
  9. ^ UNDERGROUND SEARCHLIE『スケキヨ』のセルフライナーより
  10. ^ 1984年にも数ヶ月ほど脱退していた時期がある
  11. ^ 『筋少の大海賊VOL.2』ライナーノーツ内のインタビューより。
  12. ^ 90年代のインタビューでは「ギターを持つとXTCになっちゃう」と韜晦していた。
  13. ^ 『筋肉少女帯自伝』P125-126。橘高の加入オーディションを行った直後、その日のうちに三柴の脱退が決定した。
  14. ^ 命名者は本城。筋少動画01より。
  15. ^ 『筋肉少女帯自伝』P157。
  16. ^ 『筋肉少女帯自伝』P166。
  17. ^ ただし、現在でもライブ活動時の名義として「太田明(筋肉少女帯)」「太田明from筋肉少女帯」などの表記が見られる。
  18. ^ 『筋肉少女帯自伝』P164。
  19. ^ ライブツアーおよび『80年代の筋肉少女帯』名義の新規録音「海のトリトン」に参加。
  20. ^ 同名のアルバム(1986~1989年のライブ音源を集めたライブトラック集)には太田明、美濃介、中村ムー哲夫の演奏音源も収録されているが、いずれも過去の音源であり、1998年結成の本ユニットに太田・美濃介・中村ムーは参加していない。
  21. ^ ライブのゲストとして関口博史、横関敦が参加。
  22. ^ 正式加入前の橘高曰く「(筋少の印象は)なにこれジャズ・バカ・ロック?」だったそうである。「でもこれはこれで新しいし、いいじゃんと思ったのね。ハードロックだとは思わなかったけど。でも、大槻から(オーディションの件で貰ったメッセージには)『ハードロックバンドです』って書いてあったんだよ。アッタマくるでしょ(笑)」(出典・橘高文彦《魅惑のハード・ロック・ギター教本》)
  23. ^ 22期メンバーによる演奏だが、筋少名義での発表を拒否し「まんが道」名義でのリリースとなった。
  24. ^ a b DVD版では、多数の特典映像が追加収録されている。
  25. ^ a b c ライブ会場と公式サイト通販のみでの販売。
  26. ^ 早期予約購入者には特典DVD(1995年5月16日の「筋少ちゃん祭り兄貴ナイト2」ライブ映像全13曲入り)がさらに付属し、計3枚組となった。
  27. ^ オフショットやインタビュー映像、リハーサル、楽屋風景などとライブ映像を織り交ぜ編集構成した作品。
  28. ^ ライブ会場において先行発売。同年8月1日より公式通販にて一般販売。通販購入時のみ、本編収録「航海の日」('90年の映像)のフルバージョンを収めた特典DVDが同梱。
  29. ^ 公式通販において同年7月20日より先行予約発売。8月31日までの先行予約者のみ、特典DVD「メンバーによるライブ全編オーディオコメンタリー~メンバー4人がライブ全曲全映像を観ながら語り尽くすフル尺の解説&裏話」が同梱。
  30. ^ 11期メンバー(大槻・内田・本城)。リズムボックスを使ったため、正式メンバーでありながら美濃介は不参加。一方で10期メンバーである中丸栄子が「釈迦」に参加している
  31. ^ 14期メンバー(大槻・内田・三柴・美濃介・中村ムー)
  32. ^ 13期メンバー(大槻・内田・三柴・美濃介・石塚ベラ)
  33. ^ 22期メンバー(大槻・内田・本城・橘高・太田)
  34. ^ 80年代の筋肉少女帯(大槻・内田・三柴・石塚ベラ・友森)
  35. ^ 水戸華之介 with KingShows(23期メンバーの内田・本城と元アンジーの水戸華之介によるコラボユニット)
  36. ^ 筋肉少女帯 with 水戸華之介(24期メンバーの大槻・内田・本城・橘高と元アンジーの水戸華之介によるコラボユニット)
  37. ^ 24期メンバー(大槻・内田・本城・橘高)。表題どおり橘高文彦のデビュー25周年記念ライブの映像化作品である
  38. ^ 2008年、ベストアルバム「大公式2」に収録。「NTT CMソング」の表記あり
  39. ^ 「これでいいのだ」「パヤパヤ」「家族の肖像」「日本の米」各ライブ音源収録。1曲目は1989年3月24日・芝浦インクスティック(22期。90年代筋少の初ライブ)。2曲目は1985年3月31日・新宿La.mama(11期メンバー)。3・4曲目は1982年12月2日・渋谷YAMAHA「中高生バンド合戦」(商品化された中でもっとも古い4期メンバーの演奏)
  40. ^ 第一次予約分は販売元のオフィシャル通販限定商品で、先着1000名分までシリアルNoカード付属。好評につき8月より第二次予約が開始され、9月よりAmazonなどの各種通販サイトでも販売を開始。

外部リンク[編集]