ブライアン・イーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ブライアン・イーノ 2006年撮影

ブライアン・イーノBrian Eno 本名:Brian Peter George St. Jean le Baptiste de la Salle Eno, 1948年5月15日 - )は、イギリスサフォーク州ウッドブリッジ出身の、男性音楽家である(イーノ本人は自らを「ノン・ミュージシャン」と呼んでいる)。作曲家プロデューサー、音楽理論家である。ソロの音楽家としてはおそらく、「アンビエント・ミュージック環境音楽)」の先駆者として知られている。ちなみに、同じく音楽家として活動しているロジャー・イーノはブライアンの実弟である。

目次

[編集] 概要

イプスイッチ美術学校とウィンチェスター美術学校に在籍しそこで美術を学習する傍ら、電子楽器や音声理論に関心を抱き、結局、音楽の方面に傾倒することとなる。学校にまだ在籍していた1970年代よりアマチュアグループで音楽活動を開始し、アンディ・マッケイの誘いによりロキシー・ミュージック(Roxy Music)に加入した。そのグループではシンセサイザー奏者としてその特異なファッションや音楽スタイルで注目された(加入期間は1971年1月-1973年7月、『ロキシー・ミュージック』と『フォー・ユア・プレジャー』の二枚のアルバムに参加した)。

ロキシー・ミュージックを去った後は、「Here Come The Warm Jets」(1974年)、「Taking Tiger Mountain (by strategy)」(1974年)と独特なロックアルバムを出した後、前衛的な現代音楽ニューエイジ的な作風を採用するようになる。後の「Another Green World」(1975年)、「Ambient 1 / Music for Airports」(1978年)に至っては、グラム・ロック的な派手さが影を潜め、それに換わって前衛音楽の影響やアンビエント的作風が強く見られる。

そのソロ活動と並行して、ロキシー・ミュージックのギタリストであるフィル・マンザネラ、旧西ドイツで活動していたクラスターのメンバーなどと作品を制作してマニアックなサウンドを求めていた当時のロック・シーンに大きな影響を与えた。特に知られるところではデヴィッド・ボウイのアルバムである「ベルリン三部作」(『ロウ』『ヒーローズ』『ロジャー』)の制作に参加したことが挙げられる。また、キング・クリムゾンのギタリストであるロバート・フリップとの交友も深く、何枚かのインストルメンタル的なアルバムを共作している。

また、アンビエント音楽の世界ではハロルド・バッドジョン・ハッセルダニエル・ラノワ等の才能を次々と発掘して、非ロックな音楽に対してもおおいに貢献してきた。

その後も同傾向の作品を発表し続けながら、80年代のロックの新たな動きにも関心を持ち、デヴィッド・ボウイトーキング・ヘッズU2などのアルバムにもプロデュースや演奏などで参加、ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンのコンピレーションアルバム「No New York」をプロデュースするなど、その後のアーティストやシーンに影響を与える。その他にも、視覚芸術インスタレーション作品などにも積極的にも参画している。21世紀に入ってからも、ポール・サイモンコールドプレイのアルバム制作に参加した。

日本のアーティストとの関わりとしては、岡野玲子の漫画「陰陽師」のイメージアルバムへの参加、YMOのライブアルバム『コンプリート・サーヴィス』のリミックス、などが挙げられる。

[編集] エピソード

日本でもパソコンブームの火付け役となった、マイクロソフト社のオペレーティングシステム、「Windows 95」の起動音「The Microsoft Sound」は彼の作曲によるものである。「The Microsoft Sound.wav」のプロパティには彼の名が記されている。一般にはあまり知られていないが、世界中の多くの人々が知らず知らずのうちに彼の作品を聞いていたことになる[1]

「CHRONICLE POP MUSIC CRITIC」誌の1996年のインタビューによると、マイクロソフトからの依頼は「人を鼓舞し、世界中の人に愛され、明るく斬新で、感情を揺さぶられ、情熱をかきたてられるような曲。ただし、長さは3秒コンマ25」であったという。当時新しいアイデアが思い浮かばずに悩んでいた彼は、これを「待ち望んでいた課題だ」と快諾し、製作にとりかかった。最終的に84個のごく短いフレーズが製作され、その中の一つが「The Microsoft Sound」として提供された。ちなみに、親友ロバート・フリップは後年、Windows OSの後継ソフトである「Windows Vista」のサウンドを担当している。

[編集] ディスコグラフィー

[編集] アルバム

  • 1974 Here Come the Warm Jets
  • 1974 Taking Tiger Mountain (By Strategy)
  • 1975 Another Green World
  • 1975 Discreet Music
  • 1977 Before and After Science
  • 1978 Music for Films
    映画製作者やジャーナリストに配布された版を市販用に一部改訂したもの。収録漏れとなった曲は、後に「Music for Films, Vol. 2」の曲と共に「More Music for Films」に収録された。
  • 1978 After the Heat
  • 1978 Ambient 1: Music for Airports
    イーノが最初にAmbient Musicとして発表したアルバム。この題名は比喩ではなく、文字通りの意味で「空港のための音楽」である。イーノは空港という場所とその機能のために音楽を作曲したのであった。この音楽は実際にニューヨークラガーディア空港で使用されている。音楽その物はミニマル・ミュージックの手法による4曲のインストゥルメンタルからなり、各曲には題名はなく、単に番号のみがふられている。最初の「1/1」はピアノシンセサイザー主体、2曲目の「1/2」は肉声のみで演奏されるミュジーク・コンクレートを思わせる曲であり、3曲目の「2/1」は肉声とピアノ、4曲目の「2/2」はシンセサイザーのみで演奏されている。アルバム・ジャケットには、楽曲の解説と思われる奇妙な図表による添書きが個々の音楽に併記されているが、その意味する所は解説されていない。
  • 1980 Ambient 2: The Plateaux of Mirror(邦題は『鏡面界』)
    ハロルド・バッド(Harold Budd)の作曲とピアノ演奏をイーノが編曲した共作アルバム。クレジットはHarold Budd & Brian Enoとなっている。個々に題名を持つ10曲からなる。
  • 1980 Ambient 3: Day of Radiance(邦題は『発光』)
    ララージ(Laraaji、本名はエドワード・ゴードン)の作曲とハンマーダルシマー(ツィンバロム)とツィター演奏をイーノが電子処理したアルバム。それゆえクレジットはララージのみとなっている。発表時、媒体はLPレコードであり、そのA面はザ・ダンスと名づけられたテンポの早い3曲からなり、裏のB面はメディテーションと名づけられたゆっくりとした2曲からなる。
  • 1981 My Life in the Bush of Ghosts
    イーノと元トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンの共作アルバム。当時はまだ一般的でなかったサンプリングを巧みに取り入れた作風で話題となった。2006年には未発表曲を収録した再発盤が発売された。なお、「Qu'ran」は現行CDと2006年再発盤には収録されていないが、一部の版のCDには収録されている。
  • 1981 Empty Landscapes
  • 1982 Ambient 4: On Land
    再びイーノの単独クレジットとなった、シンセサイザー主体の個々に題名を持つ八曲からなるアルバム。ジョン・ハッセル(Jon Hassell)が参加していることもあって、先にジョン・ハッセルとの共作として発表された『第四世界の鼓動』(1980年)に似た雰囲気を持つ。
  • 1983 Apollo: Atmospheres & Soundtracks
  • 1983 Music for Films, Vol. 2
  • 1984 The Pearl
    ハロルド・バッドと共同名義のアンビエント作品
  • 1985 Thursday Afternoon
  • 1990 Wrong Way Up
    ジョン・ケイルと共同名義。イーノが「Before and After Science」以来久々に歌った事が話題となった。
  • 1992 Nerve Net
    未発表に終わった作品「My Squelchy Life」を母体にしている。
  • 1992 The Shutov Assembly
  • 1993 Robert Sheckley's In a Land of Clear Colours
  • 1993 Neroli
  • 1994 Headcandy
    Mac専用CD-ROM。付属の眼鏡で立体映像を体験するソフトウェア。イーノは映像制作には関与していない。音楽のみの貢献。
  • 1995 Spinner
    元PILのジャー・ウーブルと共同名義
  • 1997 The Drop
    旧国内盤にはボーナストラックを2曲収録した8cmシングルCDがあった。
  • 1997 Extracts From Music for White Cube
  • 1998 Lightness: Music for the Marble Palace
  • 1999 I Dormienti
  • 1999 Kite Stories
  • 2000 Music for Civic Recovery Center
  • 2000 Music for Onmyo-Ji(陰陽師)
  • 2001 Drawn From Life
    J・ペイター・シュヴァルムと共同名義
  • 2003 Bell Studies for the Clock of the Long Now
  • 2003 January 07003: Bell Studies for the Clock of the Long Now
  • 2005 Another Day on Earth
    国内盤はボーナストラックを1曲収録。
  • 2006 77 Million Paintings
  • DVD-ROM。写真や絵がランダムに映り融合する。融合のパターンは理論的には7700万通り存在する。また、音も同様にランダムに組み合わされる。2006年にラフォーレミュージアム原宿にてこれを使用したインスタレーション展が開催された。2007年には改訂第2版が発売された。
  • 2006 77 Million
    上述のインスタレーション展会場にて1000枚限定で販売されたCD。未発表曲集。
  • 2008 Everything That Happens Will Happen Today
    デヴィッド・バーンと共同名義

[編集] コンピレーション

  • 1983 Working Backwards 1983-1973
  • 1984 Begegnungen
  • 1985 Begegnungen II
  • 1986 Desert Island Selection
  • 1986 More Blank Than Frank
  • 1993 Instrumental
  • 1993 Eno Box II: Vocals
  • 1994 Eno Box I: Instrumentals
  • 1994 Dali's Car
  • 1995 Here Come the Warm Jets/Another Green World/Before & After Science
  • 1999 Sonora Portraits
  • 2003 Curiosities, Vol. 1
  • 2005 More Music for Films

[編集] オブリーク・ストラテジーズ

オブリーク・ストラテジーズ(Oblique Strategies)は、イーノとピーター・シュミットが共同で制作したカードセット。それぞれのカードに異なる文やフレーズが印刷されている。例は以下の通り。

  • 問題をできる限り明確に文字で述べよ(State the problem in words as clearly as possible. )。
  • 君の最も身近な親友ならどうするだろう?(What would your closest friend do?)
  • 何を増やすべきか?何を減らすべきか?(What to increase? What to reduce?)
  • 誤りを隠れた意図として賞賛せよ。(Honour the error as a hidden intention.)

使用法としては、カードをよく切り、その中から1枚だけ選ぶ。そのカードに記載の文を自分なりに解釈し、自らの創作活動に活用するというものである。現在Enoshopで販売されているものは第五版である。イーノは自身のソロ作品やデビッド・ボウイとのいわゆる「ベルリン三部作」でこのカードセットを使用した。近年では、コールドプレイが「美しき生命」の制作中に使用したことが知られている。同作のプロデュースをイーノが担当している。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • エリック・タム『ブライアン・イーノ』(小山景子訳、水声社、1994年)ISBN 4-89176-302-7

[編集] 外部リンク

  • EnoWeb - 非公式ホームページ
  • EnoShop - Brian Eno Recordings and Products Online(英語)

[編集] 脚注

  1. ^ Windows95が主力製品であった当時はハードウェア、ソフトウェア双方でオーディオ情報の処理能力が低く、音を再生できない構成のパソコンも多かったことから、実際にはWindows 95の全ユーザーがこの音を聞けたわけではない。