マニック・ストリート・プリーチャーズ
| マニック・ストリート・プリーチャーズ | |
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ロンドンでのライヴにて(2005年)
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| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | オルタナティヴ・ロック ハードロック グラム・パンク ポストパンク |
| 活動期間 | 1986年 - |
| レーベル | ソニーBMG コロムビア・レコード |
| 公式サイト | www.manics.co.uk |
| メンバー | |
| ジェームス・ディーン・ブラッドフィールド Vo. G. ニッキー・ワイアー Ba. ショーン・ムーア Dr. |
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| 旧メンバー | |
| リッチー・ジェームス G. | |
マニック・ストリート・プリーチャーズ(Manic Street Preachers)はイギリス、ウェールズ出身のロックバンド。愛称はマニックス(Manics)。
バンド名の由来は、メンバー全員がザ・クラッシュのファンであり、多大な影響を受けていたことから、クラッシュの曲「クラッシュ・シティ・ロッカーズ」をもじったものである[1]。
目次 |
概要 [編集]
1986年にジェームス・ディーン・ブラッドフィールドを中心に結成。1992年にアルバム『ジェネレーション・テロリスト』でデビュー。
その後2枚のアルバムを発表し、バンドとしての評価が高くなった1995年、かねてからうつ病や自傷行為、ドラッグ、アルコールなど様々な問題を抱えていたギタリストであり作詞を担当していたリッチー・ジェームスが失踪。その後も彼は見つからず、2008年11月24日に死亡宣告が出された。
精神的な支柱を失ったバンドは一時解散も検討されたが、3人体制となって活動を継続。立て続けに傑作アルバムを発表したことにより、90年代イギリスを代表するロックバンドとして認知されるようになる。リッチーは今でもメンバー扱いとなっており、彼の分の印税はリッチーの家族に等分されている。
メンバー [編集]
- ジェームス・ディーン・ブラッドフィールド (James Dean Bradfield、1969年2月21日 - ) - ボーカル、ギター
- ニッキー・ワイアー(Nicky Wire、本名:ニコラス・アレン・ジョーンズ、Nicholas Allen Jones、1969年1月20日 - ) - ベース
- ショーン・ムーア(Sean Anthoney Moore、1968年7月30日 - ) - ドラムス
- リッチー・ジェームス(Richey James、本名:リチャード・ジェームス・エドワーズ、Richard James Edwards、1967年12月22日 - ? ) - ギター
ジェームスとショーンは従兄弟同士である。また、ニッキーの兄は詩人のパトリック・ジョーンズで、非公式PV制作など、しばしばバンドに関与している。
バンドの歴史 [編集]
1991年まで [編集]
ベティ・ブルー(37°2 le matinというフランス映画の英語のタイトルから取られた)と名付けられたバンドが1986年にジェームス・ディーン・ブラッドフィールド(リードギター)、フリッカー(ベース)、ショーン・ムーア(ドラムス、ジェームスの従兄弟)、ニッキー・ワイヤー(リズムギター)で結成された。短い間Jenny Watkins-Isnardiがシンガーとして参加していたが、彼女がバンドを辞めた後ジェームスがシンガーとなった。
1988年、フリッカーがバンドを辞め3人になり、ニッキーはリズムギターからベース担当になり、最初のシングル「スーサイド・アレイ」を自主制作で録音した。その後間もなくリッチーが正式に加入。 1990年、彼らはパンクレーベル「Damaged Goods Records」と1枚のEPの契約を交わした。4曲入りのEP『ニュー・アート・ライオット』を発表。「Hall Or Nothing」マネージメントの助けで「Heavenly Records」と契約を結び「モータウン・ジャンク」(1991年1月21日)を「Heavenly Records」での最初のシングルとして発表。同時に「30曲入りの2枚組のデビューアルバムを発表、世界中でナンバーワンにして解散する」といった内容の解散宣言をする。
次のシングル「ユー・ラブ・アス」を発表。今では伝説となった事件が起きる。彼らの大げさな宣伝に軽蔑した態度をとったNME誌のインタビュアー(Steve Lamacq)に対してマニックスが本物であることを証明するために「4 REAL (本気だ)」とリッチーがカミソリの刃で自らの腕に切り刻み17針の大怪我を負う。その後まもなくソニーレコードと契約を結び、1stアルバムの製作にとりかかった。
1992年から1995年 [編集]
1枚組(レコードでは2枚組)のデビューアルバム『ジェネレーション・テロリスト』を発表。アルバムを引っ提げてバンドは世界中をツアーし、多くの国々で成功を収める。特に日本では熱狂的なファンに迎えられた。しかし、アメリカでは全く成功しなかった(イギリス・チャート13位)。
解散宣言を撤回[2]、1993年、2ndアルバム『ゴールド・アゲインスト・ザ・ソウル』を発表。イギリスのチャートで8位まで上昇した。
1994年8月30日、3rdアルバム『ホーリー・バイブル』を発表。前作以上に彼らの批判精神を取り戻したアルバムであった(イギリス・チャート6位)。[3]またアルバム発表時、イギリスの音楽番組トップ・オブ・ザ・ポップスでジェームスがバラクラバ帽を被り歌った為視聴者が激怒、TV局にセックス・ピストルズのビル・グランディ事件を超える程記録破りの抗議が殺到した。
程なくしてリッチーが精神病を患い精神病院に入院、その後退院し一時はバンド活動に復帰するも、アメリカ・ツアー前夜の1995年2月1日リッチーはジェイムスと泊まっていたロンドンのベイズウォーターにあるエンバシー・ホテルから突然姿を消してしまう。[4]バンドは6ヶ月間活動を休止したが、リッチーの家族の願いもあり活動を再開した。
1996年以降 [編集]
リッチーが行方不明になってからの最初のアルバム『エヴリシング・マスト・ゴー』(リッチーによって書かれたかまたはニッキーと共同で書かれた4曲を含む)は好意的なレビューによって迎えられた。全英2位を記録し、バンド初のプラチナディスクを獲得する。シングル「デザイン・フォー・ライフ」は労働者階級のアンセムとなり、日本の深夜に放送されていた音楽番組『BEAT UK』(フジテレビ)でもUKシングルチャートでNo.1を獲得した。アルバムは1996年の「マーキュリー賞」の最終選考リストに載り、「エヴリシング・マスト・ゴー」、「オーストラリア」、「ケビン・カーター」のヒット曲を生んだ。
1998年の5thアルバム『ディス・イズ・マイ・トゥルース・テル・ミー・ユアーズ』はバンド最大の成功を収め、同アルバムで念願の全英1位を獲得する。また、バンド初のナンバー1ヒットシングル「輝ける世代のために (If You Tolerate This Your Children Will Be Next)」をもたらした。この曲はスペイン内戦について書かれ、ジョージ・オーウェルの「カタロニア賛歌」、ザ・クラッシュの「スペイン戦争」にインスパイアされて書かれた。
2000年には限定版のシングル「ザ・マッシズ・アゲインスト・ザ・クラッシズ」を発表した。これは19世紀の首相ウィリアム・グラッドストンの"All the world over, I will back the masses against the classes"の言葉から名付けられた。プロモーションをほとんどしなかったにも関わらず、イギリスのシングルチャート1位を記録した。
2001年、カール・マルクスシアターでライブを行い、キューバで初めて演奏する西側のロックバンドとなった。カストロに会い、「Louder than War」と言われ、これがこのライブDVDのタイトルにもなった(日本未発売であったが、2007年11月21日に発売)。同年6thアルバム『ノウ・ユア・エネミー』を発表、全英2位を記録。
2004年、7thアルバム『ライフブラッド』を発表。ニュー・ウェイヴに接近、全英13位にとどまる。
2006年、2005年から2年間の活動休止期間中にジェームスがアルバム『ザ・グレート・ウェスタン』ニッキーがアルバム『アイ・キルド・ザ・ザイトガイスト』とそれぞれソロ・アルバムを発表した。
2007年、ソロ・プロジェクトを経てバンド活動を再開し、8thアルバム『センド・アウェイ・ザ・タイガーズ』を発表、全英2位を記録。シングル「ユア・ラブ・アローン・イズ・ノット・イナフ」ではカーディガンズのニーナ・パーションとデュエットしている。
2008年11月24日、英国の裁判所がリッチーの死亡宣告を発した。メンバーとリッチーの家族はリッチーの死亡に関して一切否定している。
2009年、9thアルバム『ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ』を発表。全曲リッチーが残していた歌詞を元に制作し、ジャケットの絵は3rdアルバムのホーリー・バイブルと同じジェニー・サヴィルによるものであり、本作はホーリー・バイブルの続編として位置づけられている。プロデューサーにニルヴァーナのイン・ユーテロなどを手がけたスティーブ・アルビニを起用している。イギリスの大手スーパーマーケットチェーンはアルバム・カバーの絵を問題視し、無地のスリップケースに入れた上で販売している。[5]
2010年、前作からわずか1年4か月で10枚目となるアルバム『ポストカーズ・フロム・ア・ヤングマン』を発表。ジャケットのビデオカメラを持つ人物は俳優のティム・ロス。
ディスコグラフィー [編集]
- 日付は英国での発売日を示す。「英」とはイギリスの「UK Albums Chart」の、「日」は「オリコン・アルバムチャート」におけるチャートの最高位を示す。「ゴールド等認定」については、イギリスの「BPI」における記録である。
スタジオ・アルバム [編集]
| 年 | アルバム | 英 | 日 | ゴールド等認定 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1992 | ジェネレーション・テロリスト Generation Terrorists
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13 | 60 |
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| 2 | 1993 | ゴールド・アゲインスト・ザ・ソウル Gold Against the Soul
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8 | 32 |
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| 3 | 1994 | ホーリー・バイブル The Holy Bible
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6 | 48 | |
| 4 | 1996 | エヴリシング・マスト・ゴー Everything Must Go
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2 | 50 |
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| 5 | 1998 | ディス・イズ・マイ・トゥルース・テル・ミー・ユアーズ This Is My Truth Tell Me Yours
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1 | 27 |
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| 6 | 2001 | ノウ・ユア・エネミー Know Your Enemy
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2 | 26 | |
| 7 | 2004 | ライフブラッド Lifeblood
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13 | 47 | |
| 8 | 2007 | センド・アウェイ・ザ・タイガーズ Send Away The Tigers
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2 | 39 | |
| 9 | 2009 | ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ Journal for Plague Lovers
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3 | 24 | |
| 10 | 2010 | ポストカーズ・フロム・ア・ヤング・マン Postcards from a Young Man
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3 | 36 |
コンピレーション・アルバム [編集]
| 年 | アルバム | 英 | 日 | ゴールド等認定・補足 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2002 | フォーエヴァー・ディレイド Forever Delayed
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4 | 68 |
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| 2 | 2003 | リップスティック・トレイス Lipstick Traces (A Secret History of Manic Street Preachers)
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11 | 243 |
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| 3 | 2011 | ナショナル・トレジャーズ National Treasures – The Complete Singles
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10 | 125 |
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来日公演 [編集]
- 1992年 Generation Terrorists Tour(5/9大阪クラブクアトロ、5/10名古屋クラブクアトロ、5/11-13川崎クラブチッタ)
- 1993年 Gold Against The Soul Tour(10/7-8大阪クラブクアトロ、10/9福岡クロッシングホール 10/10広島ナミキジャンクション 10/11-13渋谷On-Air East、10/16-17名古屋クラブクアトロ、10/18-19渋谷On-Air East、10/20仙台ビーブベースメントシアター、10/22札幌ペニーレーン)
- 1999年 This Is My Truth Tell Me Yours Tour(2/5大阪ZEPP、2/7-8赤坂ブリッツ、2/9渋谷On-Air East)
- 2001年 フジロック・フェスティバル(7/25)
- 2003年 Greatest Hits Tour(1/22名古屋ダイヤモンドホール、1/23福岡ZEPP、1/26東京ベイNKホール)
- 2005年 Life Blood Tour(2/10 渋谷AX、2/12大阪ZEPP、2/13東京ZEPP、2/14名古屋クラブクアトロ)
- 2007年 サマーソニック(8/11大阪、8/12東京)
- 2010年 Postcards From A Young Man Tour(11/26新木場STUDIO COAST、11/27横浜ベイホール)
- 2011年 NANO-MUGENフェスティバル(7/17横浜アリーナ)
- 2011年 Postcards From A Young Man Tour(7/18新宿BLAZE)
- 2012年 National Treasure Japan Tour(5/17-18新木場STUDIO COAST)
その他 [編集]
- リッチー失踪後、ジェームスはセラピー?にセカンドギターとして加入するという話(何度かセッションも行われた)もあったが、実現はしなかった。
- リッチーは日本で「根性焼き」という言葉を覚えて左腕に実践していた。
- リッチーは文学への造詣が非常に深く、好きな詩人はアルチュール・ランボー、ウィリアム・バロウズ、シルヴィア・プラス、フィリップ・ラーキンなど、好きな作家はカフカ、カミュ、ジョージ・オーウェル、ヘンリー・ミラー、アラン・シリトー、太宰治等で、愛読書は長距離走者の孤独、人間失格、地獄の季節、1984などである。
- リッチーとニッキーはウェールズのスウォンジー大学で学び(学年は、ニッキーがリッチーよりも1年後れ)、ともに政治史の学位を取得している。
脚注 [編集]
関連項目 [編集]
- シャンプー - 彼女たちはデビューする前はマニックスの追っかけでファンジンを作っていたほどであった。シングル「リトル・ベイビー・ナッシング」のプロモーション・ビデオに出演している。
外部リンク [編集]