電気グルーヴ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

電気グルーヴ
基本情報
別名 DENKI GROOVE
出身地 日本
ジャンル テクノ
活動期間 1989年 -
レーベル SSE COMMUNICATIONS
1990年
ソニー・ミュージックエンタテインメント (トレフォート)
1991年
キューンレコード
1992年 - )
影響 ニュー・ウェイヴ (音楽)
イエロー・マジック・オーケストラ
ニュー・オーダーetc.
メンバー
石野卓球ボーカルサンプリング
ピエール瀧 (ボーカル、サンプリング、瀧)
旧メンバー
若王子耳夫ギターストリングス
(1989年 - 1990年)
高橋嵐プログラミング
(1989年 - 1990年)
CMJK (シーケンサー、DJ
(1990年 - 1991年)
砂原良徳 (プログラミング)
(1991年 - 1999年)
  

電気グルーヴ(でんきグルーヴ、DENKI GROOVE)は、日本テクノ・バンドである。

1989年石野卓球を中心に結成。1991年、シングル「RHYTHM RED BEAT BLACK (Version 300000000000) / TMN VS 電気GROOVE」でメジャーデビュー。その後、アルバム『FLASH PAPA』で本格的にデビューした。シングル「N.O.」や「Shangri-La」などのヒット曲で知られる。また、各種テレビ番組やラジオ番組への出演でも活躍している。度重なるメンバーチェンジを経て、現在のメンバーは石野卓球ピエール瀧の2人。キューンアーティスツ所属。

ユニット名の表記は様々あるが、電気グルーヴが正式名称である[1]。 当人たちは自分達を「電気」と略している。[2]

目次

[編集] 概要

テクノを中心とした電子音楽による楽曲を音楽的特徴とするバンド。結成当初はボーカルスタイルにラップの方法論を取り入れていた為、ヒップホップグループに分類される事も多かったが、1993年のアルバム『VITAMIN』のリリース以降、より純粋に電子音楽を主体としたスタイルへと移行する。その頃より日本国内での活動と並行し、MAYDAYへの参加など外国でのリリースやライヴ活動も精力的に行う。そのため評価は日本だけでなくヨーロッパ圏のテクノ・シーンでも高い。

一方、前身となったインディーズバンド人生に代表される、かつてのナゴムレコード周辺の「ナゴム系」バンドの傾向・特徴も受継いでおり、特異な歌詞とパフォーマンス、発言の数々は音楽性と並んでサブカルチャー的な支持を集めている。日本では逆にそういった部分を苦手と言われる場合もあるが、一方で石野卓球が細川ふみえ篠原ともえをプロデュースした際はかわいらしい歌詞や、最高売り上げ記録を持つシングル「Shangri-La」などの、彼らの普段とは方向性が異なる曲もある。

現在はソロ活動も精力的に行っている。卓球は主に音楽面、瀧は主に映像面で活動している。タレント業とソロの方向性が違っており、それぞれ特異な才能を発揮している。

卓球は前述の篠原ともえのプロデュースや、ゲーム作品のBGMなども制作するなど活動の幅は広い。また瀧は映画「ステレオフューチャー」や「ローレライ」で重要な役柄を演じたり、漫画雑誌週刊少年チャンピオンで連載していた「樹海少年ZOO1」の原作を担当する(作画は漫☆画太郎)など、こちらも幅広く活動している。

[編集] メンバー

石野卓球 - ボーカルサンプリング
ピエール瀧 - ボーカル、サンプリング、瀧、賑やかし、遊んで暮らす
最初に結成を呼びかけ、主に音楽的な方面でイニシアティブをとるのは卓球だが、メンバーが三人以上在籍する当時から、バンドのリーダーを瀧とする場合と卓球とする場合と、その時々によって宣言は適当である。特にデカくて目立つという理由からか、TVのバラエティ番組等では瀧をリーダーとして紹介する場面も多々見られた。

[編集] 過去在籍したメンバー

砂原良徳

詳細は「砂原良徳」を参照

若王子耳夫
卓球や瀧と同じく、前身バンド「人生」から電気グルーヴに参加したメンバー。ギターとストリングスを担当。ベースも弾く。かつて「人生」ではボーカルも担当しており、フロントメンバーのひとりであった。代表曲「耳夫サンバ」は「人生」やナゴムレコードのファンだった初期のスチャダラパーもサンプリングしていた。瀧とは「悲しい」という別ユニットも結成し、大槻ケンヂ率いる「まんが道」のステージにも参加したことがある。電気結成から間もない頃に宝島社から発売されていたビデオマガジン「VOS」の連載企画「電気グルーヴ的こころ」には卓球、瀧、耳夫の元「人生」の三人で出演していた。電気の初代ギタリストとしては吉沢が(一時的とはいえ)先に在籍していた経歴があるため、この「電気グルーヴ的こころ」では二代目ギタリストとして紹介されている。高橋と共にアルバム『662 BPM BY DG』の発表と同時期に電気を脱退した後は、ナゴム時代の同僚バンド「死ね死ね団」に加入しての活動を経て、さらに「Badge714」に参加する。現在は、330 mimio名義で、CUBISMO GRAFICO FIVEにギタリストとして在籍。
高橋嵐

詳細は「高橋嵐」を参照

CMJK
テクノバンド「Cutemen」での活動を一旦終了し、耳夫と高橋が脱退した後の1990年に電気グルーヴに加入。電子楽器のプログラミングと作曲を担当した。本名は北川潤。CMJKの名前は電気グルーヴ加入後につけられたものである。卓球、瀧と同じく芸名で活動することを要求された事から、しぶしぶ考案し名乗るに到ったという。そこで尊敬するDJ「カット・マスター・スウィフト」に肖り「カット・マスター・ジュン・キタガワ」、略してCMJKとした。現在もこの芸名は使用され続けており、今となっては本名よりもこちらを好むという。これがもし考え付かなかったら、メンバーから「ゲンゴロウマル」という芸名がつけられるところであった。アルバム『FLASH PAPA』発表後は電気グルーヴを脱退。その理由に関しては、当時マスコミによってメンバーとの不仲説などいくつかの憶測が囁かれていたが、実際のところは人気グループの一員として楽に活動し、定期的に印税を受け取り、既成のロックバンド的プロセスを踏んでいく事に対し疑問を抱いた結果、いちダンスミュージック・プログラマーとして折り合いをつけた末の決断だったとファンクラブの会報では語っている(マスコミ向けに行った脱退会見では、全裸で会見に臨んだ卓球と瀧をバックに「もうこんな奴等とはやってられません」とコメントしている)。
このあとピコリンとCutemenとしての活動を再開し、さらに元M-Ageの梶原裕司と共にConfusionを結成。それと同時にゴッサムシティ、CT.SCAN、ALEX, incの変名でも活動。卓球や砂原と共に1990年代のジャパニーズテクノシーンの一翼を担う。『キーボードスペシャル』誌での連載「CMJKのGROOVE CONTROL(グルコン)」は、砂原良徳による「まりんのキーボードスペシャル」と並んで、若手クリエイターに支持された。
バンド活動終了後は膨大な数のアーティストのプロデュースや作曲、アレンジを続けている。その主な顔ぶれは浜崎あゆみ佐野元春少年隊PENICILLINV6ユースケ・サンタマリア猿岩石キャイ〜ン篠原ともえKICK THE CAN CREW東京パフォーマンスドールFLIP-FLAP片瀬那奈THC!!、「マクロスプラス」(サウンドトラック参加)など多数。自身のクラブイベント「BOO」でもDJとして活躍している。バンドを脱退したものの現在もメンバーとの付き合いは続いており、電気グルーヴ10周年企画アルバム「The Last Supper」にも参加した。
近年では不定期ながらCMJK名義でソロライヴも行なっており、Cutemenピコリンをゲストヴォーカリストに迎えてライヴパフォーマンスを展開している。

※この他にも吉沢、K太など一時的に在籍したメンバーも複数存在する。なおサポートメンバーであるDJ TASAKAKAGAMI渡部高士に関しては「電気グルーヴと関わりの深い人物」の項目で後述する。

[編集] 略歴

[編集] 1980年代

[編集] 1990年代

  • 1990年
    • 6月25日 - インディーズのSSEレーベルからアルバム『662 BPM BY DG』をリリース。同時期に卓球、瀧、CMJK(プログラミング)の3人にメンバーを一新する。
  • 1991年
    • 2月1日 - TMNのシングル「RHYTHM RED BEAT BLACK [Version 2.0]」のカップリング曲「RHYTHM RED BEAT BLACK [Version 300000000000](三那由他ヴァージョン)」でメジャーデビュー。これは木根尚登のラジオで流れた電気の曲を、たまたま聴いていた小室哲哉が気に入って企画されたものである[5]
    • 4月10日 - メジャーデビューアルバム『FLASH PAPA』リリース。その後同年6月にCMJKが脱退。かねてから付き合いのあった良徳砂原(よしとく・すなはら。のち砂原良徳、愛称:まりん)が加入し、ライヴを主とした活動を展開する[6]。また同時期より、卓球と瀧がニッポン放送の『オールナイトニッポン』土曜2部のパーソナリティを担当[7]。ギャグセンス巧みな2人のトークと毒舌、荒唐無稽な企画が一部のリスナーに大人気となる。また「お薦め」コーナーで卓球が紹介した外国の最新テクノ・トラックの数々は、リスナーにテクノの種を植え付けることになる。
    • 8月23日 - 瀧が演歌歌手の瀧勝としてシングル「人生」リリース。
    • 10月10日 - シングル「MUD EBIS/COSMIC SURFIN'」リリース。
    • 11月21日 - アルバム『UFO』リリース。
  • 1992年
  • 1993年
    • 5月21日 - ファーストアルバムのリミックスアルバム『FLASH PAPA MENTHOL』リリース。
    • 8月1日 - 子門'z名義でシングル「トランジスタラジオ」リリース。
    • 12月1日 - アルバム『VITAMIN』リリース。卓球が当時旅先のイギリスで体験したアシッド・リヴァイヴァルの衝撃を初期衝動に制作されたこのアルバム以降、それまでのギャグ路線は影を潜め、電気は本格的なテクノに挑戦し始める[8]。また、この頃から卓球は音楽以外の仕事を控えるようになる。当時レギュラーを務めていたテレビ番組「モグラネグラ」も音楽制作に集中したいという理由から降板した。
  • 1994年
  • 1995年
    • 4月21日 - シングル「」リリース。
    • 8月2日 - ボックスセット『PARKING』をリリース。電気グルーヴとしての名義になっているが、メンバーそれぞれのソロ作品をパッケージし、特別リミックスシングル等を追加したものである[10]
  • 1996年
  • 1997年
    • 3月21日 - シングル「Shangri-La」リリース。当初は売れなかったものの、同年5月頃からオンエアされた日産・テラノのCMでタイアップ曲として起用され、それをきっかけに徐々にセールスを伸ばし、ついに同年7月にはオリコン週間ランキングトップ10にランクインを果たした[12]。このことから「夢でキスキスバンド」を自称するようになる(キス1号は卓球、キス2号は砂原、キス3号は瀧)。ダンス・ソウルの名曲「Spring Rain」(Silvetti)のストリングス・フレーズを大胆に取り入れた、電気グルーヴにおいては珍しいラヴ・ソングである。
    • 5月14日 - アルバム『A(エース)』リリース。メンバー3人の個性が高次元で融け合った作品で、最終的にはシングル・アルバム共に50万枚近く売り上げ、電気グルーヴは一般の音楽リスナーにも広く知られるようになる[13]
    • 12月1日 - シングル「ポケット カウボーイ」リリース。
  • 1998年
    • 砂原、卓球ともに、ソロアルバムをリリース。特に卓球はVOXXXまでに三枚のソロアルバムを発表する。
    • 3月1日 - 『A』のリミックスアルバム『recycled A』リリース。
  • 1999年

[編集] 2000年代

  • 2000年
    • 2月2日 - 砂原脱退後初のアルバム『VOXXX』リリース。アルバム制作とライヴ・ツアー「ツアーツアー」サポートメンバーとしてDJ TASAKAKAGAMI渡部高士が参加。
    • 7月19日 - 「ツアーツアー」の模様をスタジオで編集したライヴ・アルバム『イルボン2000』をリリース。
  • 2001年
  • 2004年
    • 3月24日 - 3年の沈黙を破って新曲を含めた初のベスト・アルバム『SINGLES and STRIKES』をリリース。
    • 7月 - 「WIRE04」で本格的に活動を再開。
    • 12月22日 - DVD『ニセンヨンサマー〜LIVE&CLIPS〜』リリース。
  • 2005年
  • 2006年
    • 7月 - 岡本太郎の壁画「明日の神話」復元後の除幕イベントにライヴアクトとして出演。また、その様子を生放送で伝えた日本テレビの特別番組では「弾けないギターを弾くんだぜ」のリミックスバージョンがOPテーマに採用された(これを使用した映像とクロスオーバーするかたちで本人らが登場)。これ以降「LIQUIDROOM 2nd ANNIVERSARY」のワンマン公演、「フジロック・フェスティバル'06」、「Big Connect'06」等でのライヴより本格的な活動を再開した。[16]
  • 2007年
  • 2008年
    • 2月14日 - シングル「モノノケダンス」をリリース。テレビアニメ『墓場鬼太郎』の主題歌として使用された。[18]ジャケットは水木しげる描き下ろしで、水木タッチの卓球と瀧が描かれている。
    • 4月1日 - リキッドルームにて「こう言えば三太夫 〜ニューアルバム『J-POP』発売記念ライヴ〜」を開催。オープニングアクトのDJにTASAKA、電気のLIVEにはサポートにKAGAMIを加えた構成でスタートするが、中盤で演奏の「ママケーキ」よりサプライズゲストとして砂原が登場。およそ10年ぶりに電気のステージに加わり演奏[19]した。
    • 4月2日 - 『VOXXX』以来、8年2ヶ月ぶりとなるアルバム『J-POP』をリリース。初回限定盤には「少年ヤング」と「モノノケダンス」のPVを収録したDVDが付属する。また、これに先駆けHP上にて「電気グルーヴワークショップ」なる企画を展開。アルバム発売日までに目下作業中の現場より、製作中のデモや素材などが途中報告として随時アップロードされるというものである。[20]
    • 10月15日 ― 『J-POP』から半年という異例のスパンで、オリジナル・アルバム『YELLOW』をリリース。
    • 11月2日‐「ツアーツアー」以来となる全国ツアー「叫び始まり爆発終わり」スタート。名古屋、大阪、福岡、東京2daysに加え、札幌での特別公演、東京リキッドルームでの追加公演を含めた全7公演を行う。前例にない全35曲ものセットリストは新旧織り交ぜ演奏され、古参、新参ファン問わず楽しめる内容となった。
  • 2009年
    • 2月4日-「YELLOW」からのシングルカット「The Words」をリリース。表題作はアルバムミックスとは異なり歌詞も日本語で唄われている。他にも「完璧に無くして」のオルタネイティブミックス、「Mojo」の完全版を含む全4曲を収録。ジャケットのタイトルはツアーでのVJ(DEVICE GIRLS)から。
    • 2月25日-ライヴDVD「レオナルド犬プリオ」リリース。内容は「叫び始まり爆発終わり」の東京SHIBUYA-AX2日目(追加公演を除いたツアー最終日)の様子を一部MCを除き完全収録(DVD2枚組)。今回も卓球、瀧、KAGAMI(LIVE SUPPORT)、牛尾憲輔(ウシオケンスケ/楽器担当/agraph)による2時間半分の副音声と、映像スタッフぶーやんによるツアー密着映像が収録されている。初回盤に限り音源化されたCDが付属する4枚組仕様。
    • 4月15日-「レオナルド犬プリオ」Blu-Ray版リリース。DVD版と同一の内容だが、高解像度・高音質な本編映像に加え、特典映像を含むですべての内容が1枚のディスクに収められている(CD音源は付属しない)。

[編集] 作品

[編集] CD

[編集] シングル

[編集] アルバム

[編集] アナログ盤

  • 人生(HARD FLOOR Remix)1994年8月1日
    電気グルーヴとして初の12インチシングル。アルバム『DRILL KING ANTHOLOGY』から瀧勝「人生」のハードフロアリミックスをシングルカット。カップリングは卓球による「新幹線」と砂原による「Popcorn」のそれぞれ録り下しリミックスを収録。本来は瀧勝とのスプリットシングルと言う事になるが、外国への展開をも見越してか「DENKI GROOVE」名義のシングルとなっている。
  • DRAGON EP(1994年1月21日
    アルバム『DRAGON』からのシングルカット。3曲のインストゥルメンタル曲(エディットがアルバムバージョンと多少異なる)と未発表曲「DINOSAUR TANK」を収録。
  • NIJI THE MFS REMIXES1996年4月
    ドイツのレーベル「MFS」からリリースされたシングル。卓球とも交流の深い親日派のクリエイター、マイク・ヴァン・ダイクポール・ヴァン・ダイク、The Positive Thinkingのリミックスを収録。マキシCDシングル盤も存在するが、こちらは若干内容が異なる。外国における電気の活動展開のきっかけをつくった。MFSからのリリースのきっかけは、トビーネイションがマイクに虹を紹介したことがきっかけである。
  • NIJI THE MFS TWILIGHT REMIXES(1996年8月
    「MFS REMIXES」に続いて発売された「虹」リミックス第二弾。Go=Ten Forward、Commander Krilly、そして日本人のDJ TOBY(当時ドイツ在住)のトビーネイションによるリミックスを収録。DJ TOBYはともかくとして、リミキサー達は日本における電気のパブリックイメージを知らないだけに、全く既成概念とらわれない解釈となっている。こちらもマキシCDシングル盤が存在する。
  • ORANGE REMIXIES(1996年5月
    ボアダムス山本精一の別プロジェクト「想い出波止場」とシカゴ・ハウスの狂人王カジミアによるGreen Velvetのリミックスを2ヴァージョン、そしてアルバムから「反復横とび」の徳光和夫ナレーション無しバージョンを収録。当初は「誰だ!」のGROOVE YARDリミックスも収録する予定だったが、出来がイマイチだったので見送られることに。後にタイアップの関係で急遽CDシングルカットが決定した「誰だ! (RADIO EDIT)」に収録された。このシングルから日本国内のアナログ盤はFILE RECORDSの販売となる。アルバム発売直後にシングルカットが予告されていたが、諸々の手際の悪さから相当長い間の延期状態が続いた。
  • あすなろサンシャイン1997年6月21日
    DJ MISJAH、LAIDBACK LUKEのリミックスと卓球、砂原によるセルフリミックスを収録。LAIDBACK LUKEは当時大学に在学中で「試験があるから締め切りを待ってくれ」とのお願いがあったらしい。
  • NIJI The rainbow remixes1998年11月
    「虹」リミックス第三弾。Talla 2XLCとJay Rayによるリミックスと、Maydayで演奏された電気のライヴPAを収録。特に電気自身のライヴバージョンは外国での活動を伝える貴重な音源としてだけでなく、「虹」のベストテイクとの呼び声も高い。ただし、このシングルは前二作とは異なりCD盤が発売されておらず、プレス数も少なく、日本国内への逆輸入もわずかだった。
  • あすなろサンシャイン(TAKKYU ISHINO RECONSTRUCTION)(1998年9月30日
    上記リミックス盤とは異なる内容。電気がドイツのMayday参加に際してコンピ盤に提供した卓球によるニューリミックスをシングルカットしたもの。卓球のレーベルLOOPAからのリリースとなった。キャプテン・ファンクのリミックスも収録している。
  • FLASHBACK DISCO1999年7月1日
    同名CDのアナログ盤。「Niji (RMX for Wire 99)」はCDではショートエディットしたものがフルバージョンになっている。
  • ジャンボタニシ/密林の猛虎打線2000年)※非売品
    プロモ盤。CDのみ発売の「Nothing's Gonna Change」のプロモ盤EPも存在した。
  • DRILL KING GOLDEN HITS vol.12001年1月31日
    アルバム『The Last Supper』の発売に先駆け10周年記念企画として三ヶ月連続で発売された12インチシリーズの第一弾。過去のリミックスアルバムの未発表テイクや、新たに製作されたリミックスなどで構成されている。Thomas Schumacher、Korsakov、そしてKAGAMIが参加。
  • DRILL KING GOLDEN HITS vol.2(2001年2月23日
    Popsoda、Sensorama、KAGAMIのリミックスを収録。
  • DRILL KING GOLDEN HITS vol.3(2001年3月30日
    DJ TASAKA、Overrocket、そして電気によるセルフリミックスを収録。
  • DRILL KING GOLDEN HITS vol.4(2001年)※非売品
    コーネリアスのリミックスや電気のセルフカヴァーを収録。プロモ盤のみしか存在しないこのvol.4だが、収録曲自体はアルバム『The Last Supper』に入っている物と同じである。
  • Nothing's Gonna Change(2001年7月23日
    Lexy & K-PaulとPopsodaのリミックスが収録されたヨーロッパ盤。前者のリミックスはWIREのコンピレーションにも収録されている。
  • Dessert(2001年10月12日
    アルバム『The Last Supper』からシングルカット。ジャケットはYMOの「ソリッド・ステイト・サバイバー」のパロディである。

[編集] ビデオ

  • 電気GROOVEのしっかりノろうぜ1992年)※非売品
    ヤマハの50ccバイクの教習用ビデオ。そのナビゲーター役を何故か電気グルーヴが担当(当時ヤマハJOGの雑誌広告に電気グルーヴが起用されていた)。基本的に非売品で、バイクショップの店頭で原付免許受験者向けに貸し出ししていた[21]
  • ミノタウロス - MINOTAUR1993年4月21日
    初のライヴ・ビデオ。全国鼻毛あばれ牛ツアー武道館公演の映像がメイン。
  • ケンタウロス - KENTAUR1994年8月1日
    野村ツアーの模様を収録したライヴ・ビデオ。初回限定盤のみCGクリップ集「シミズケンタウロス」との2本組[22]
  • 野球ディスコ1997年12月1日
    同タイトルのツアーの模様を収録したライヴ・ビデオ。「Shangri-La」のPVも収録。
  • ノモビデオ2000年4月5日
    電気グルーヴ・卓球・瀧のPV集。DVDでも発売されている。タイトルの由来は野茂英雄
  • ニセンヨンサマー2004年12月22日
    WIRE04、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2004のライヴDVD。「カフェ・ド・鬼(顔と科学)」、「弾けないギターを弾くんだぜ」、未発表曲「Mr.EMPTY」のPVも同時収録。このPVは全編手描きアニメーションとなっており、天久聖一が三週間をかけてひとりで作画した。実はもう一曲「中年パンク」という新曲も収録される予定だったが、諸般の事情で『お蔵入り』となった(後に発売されたUMD版には収録されている)。タイトルの由来は2004年、夏の映像であることを「偽ヨン様」に引っ掛けたもの。
  • THE LAST GIGS2006年4月5日
    「電気グルーヴ×スチャダラパー」名義。「SUMMER SONIC 05」での東京・大阪両公演から抜粋したギグを収録。「聖☆おじさん」、「Twilight」のPVも併録している。スチャダラアニと瀧の2人によるものと、全員による2バージョンの副音声オーディオコメンタリーも収録。
  • 電気グルーヴ Live at FUJI ROCK FESTIVAL '06[23]2007年10月24日
    2006年に出演したフジ・ロック・フェスティバルでのライヴの模様を収録。近年では比較的歌モノの割合が高いセットとして、公演当時より話題となっていたライヴである。「N.O」、「Shangri-La」などのヒット曲も演奏されている。オーディオコメンタリーは収録されていない。
  • レオナルド犬プリオ2009年2月25日
     SHIBUYA-AXでの最終公演での演奏を収録。

[編集] オムニバス盤

電気選曲ものや彼らの書き下ろし新録曲を収録した企画盤などから主な作品を紹介。

  • 今、僕たちにできる事1993年5月21日
    「オールナイトニッポン パーソナリティーズ」としてしぶしぶ名を連ねた。
    ジャケット裏の寄せ書きとコーラスに嫌々参加している。
  • セレク豚 SELECTED by DENKI GROOVE1994年1月21日
    メンバー選曲によるオムニバス。曲間には数々の怪獣の鳴き声のSEが挿入される。
  • 電気GROOVEのテクノ専門学校 第一号(1994年5月21日
  • 電気GROOVEのテクノ専門学校 第二号(1994年8月21日
  • 電気GROOVEのテクノ専門学校 第三号(1994年11月21日
    ワープ、ライジングハイ、R&Sといった当時のヨーロッパ三大テクノレーベルの楽曲から電気が選曲したオムニバスアルバム。詳細な解説を収録したブックレットやバッジなどのオマケつき。
  • 今夜は"ラップ"ダヨネ。1995年6月8日
    「ザ・ケトルマン」、「BBE」を収録。卓球と瀧によるユニット「人★生」名義で録り下ろした曲「四番打者なのダ!」を提供。のちにインストゥルメンタルバージョンのみを収録した「今夜は"ラップ"が入ってないんダヨネ。」も発売された。
  • 李博士VS電気グルーヴの「ひらけ!ポンチャック」1996年5月2日
    韓国の歌手、李博士がカヴァーした日本の楽曲を卓球と砂原がリミックスしたマキシシングル。
  • WIRE00 COMPILATION2000年8月23日
    このために録音した「wire,wireless」を収録。CDとレコードではエディットが異なる。
  • YMO REMIXES TECHNOPOLIS 2000-00(2000年)
    YMOのリミックスアルバム。2曲目の「テクノポリス TECHNOPOLIS(Denki's Techtropolis-RMX)」と13曲目の「アブソリュート・エゴ・ダンス ABSOLUTE EGO DANCE(Denki's Eisa-RMX)」(アナログLP盤にのみ収録)にて参加。前作『YMO REMIXES TECHNOPOLIS 2000-01』に収録の砂原(既にグループを脱退)のリミックスに続き、続編にあたる今作では電気グルーヴとして二曲を提供。当アルバムのコーディネーターは単行本「電気GROOVEお兄さんのお仕事いろいろ」や雑誌連載「濡れてシビれて」を手掛けた吉村栄一。彼のコメントによると、卓球はこの仕事を依頼される以前から、YMOリミックスに対する確固としたヴィジョンを持っており、満を持して完璧な形で日の目を見る事となったという。この二曲以外にも「The Last Supper」初回限定版ボーナス音源としてアウトテイクの「TECHNOPOLIS(Denki's electropolis-remix)」が特別収録された。卓球のソロ名義でのリミックスは数多く存在するが、電気グルーヴ名義としては極めて珍しい。これ以前は(扱いとして「リミックス」かどうかは微妙だが)1991年のTMN「RHYTHM RED BEAT BLACK」にまで遡る。

[編集] 他アーティストへの提供作品

  • 阿部義晴
    • 『Showgi Master』 - 作詞:電気GROOVE/作曲:阿部義晴(1992年)
      阿部がユニコーン時代にリリースしたシングル「+OR-」のカップリング曲の作詞を担当。まだバンドとして活動中にメンバー全員がそれぞれに製作したソロシングルを発売するといった企画だった。棋士を目指す妖怪の姿を描いた内容。そもそもはラジオ放送内で電気がユニコーンのファン、とくに阿部をリスペクトしていると発言した事が切っ掛けとなった。砂原は参加していないが、発売当時の雑誌企画で感想コメントを残している。

[編集] ツアー・ライヴタイトル

電気グルーヴのライヴやライヴ・ツアーのタイトルにも変遷がある。以前は毎回凝ったインパクトのあるものばかりだったが、「野村ツアー」以降はひねらないシンプルなものになっている。

  • 電気GROOVEのキーセンツアー
  • CALL266ツアー
  • 仏恥義理(ぶっちぎり)TECHNO GROOVE TOUR
  • うんこわしづかみ/うんこもりだくさん 東名阪クアトロ2days
  • 第6回野糞探し大会
  • 2階からぎょー虫ぶらさげおじさん(浅草キッドとのジョイントライブ)
  • 全国鼻毛あばれ牛ツアー
    当初「全国し尿食べある紀ツアー」としていたが、新聞広告が打てないということで却下される。
  • ドキッ!男だらけの女相撲大会
  • Kicking Noise Of DENKI GROOVE〜超巨大ダンプ豚グソ号発進ツアー
  • 汚物処理班緊急出動!
  • 野村ツアー
    なかなかツアー名が決まらず、「もうそろそろツアー名決めてくださいよ」と発言したスタッフの名字が野村だったため。
  • 下痢便発電所 異常なし'83(実際は1994年に開催)
  • たんぽぽツアー
    当初は卓球たっての希望で「元祖生理用ショーツに陰茎ねじ込み健康法」が提案されたものの、却下されスタッフと大いに揉めたが、そのロゴが印刷されたTシャツを卓球によるデザインとして販売するという事で落ち着く。
  • 10th Anniversary〜野グソ飛ばし大会
  • ツアーめがね
  • 歌う糞尿インターネット攻略本
  • TOUR 野球ディスコ
  • ツアーツアー
  • こう言えば三太夫(アルバム『J-POP』のレコ発ライヴ。当初は”ああ言えば上祐、こう言えば三太夫”の予定だった)
  • 叫び始まり 爆発終わり

[編集] 出演

[編集] テレビ

  • ファンキートマト(1990年〜1991年、TVK[テレビ神奈川]
    高城剛チエコ・ビューティ・スチャダラパー・KRUSH POSSE等とメインMC担当。月曜夜7時〜8時45分、銀座ソニービルソニープラザ内スタジオSOMIDOからの公開生放送。CDデビュー前にゴールデンタイムで生放送のレギュラーを持った。その後、番組レギュラー降板後もゲストとして頻繁に出演。当時メンバーだった砂原はこの番組で1990年頃からMCとして出演していた佐藤生子(さとういくこ)と後に結婚。
  • 電気GROOVEの電気が出るTV(1992年、中京テレビ
    本来はレコード会社によって「電気グルーヴ」というバンド自体をプロモーションするためのアーティストビデオ的な30分番組作品であった。同時期に電気と共にキューン・ソニーに所属していたスチャダラパーも「スチャダラ30分」という番組を制作している。これらは各地のレコード店にVHSソフトのかたちで配布され、店頭で流される事を目的としていたが、のちに一部の民放TV局でもオンエアされている。電気と親交の深い中京テレビの苅谷隆司プロデュースの下に名古屋ロケで製作された。構成は電気たっての希望で、当時『夢で逢えたら』や『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で東京進出を始めた頃の高須光聖を起用。高須も電気との対談というかたちで番組に出演している。冒頭にはダウンタウンも僅かながら登場[24]
  • 今田・東野の前戯なき戦い! VS 電気GROOVE(1993年、朝日放送
    関西ローカルの深夜枠「フリーチャンネル」で放送された今田耕司東野幸治司会の特番第二弾。初回では今田と東野の対決という構図で展開された[25]が、続編である今作では東京から電気のメンバー三人を迎え、今田・東野(+人数あわせに山田花子)と数々の過酷なバトルと罰ゲーム(知らないおじいさんが裸足で踏んでついた餅を食べさせられる等)を演じた[26]今田・東野といったツワモノを相手に、芸人としても優れた才能を発揮していた当時の電気の活動の極北として、ファンの間で伝説となっている番組である。この番組の収録で大阪に訪れた際には、その日の夜に同局のラジオ番組『ABCミュージックパラダイス』にもゲスト出演[27]
  • 金曜モグラネグラ 電気グルーヴのパンダの流れ作業∞(1993年、テレビ東京
    鈴木慶一田島貴男ローリー寺西(後にROLLYに改名)、大槻ケンヂなど、曜日ごとに異なるミュージシャンがホストを務めた深夜番組。電気担当の金曜日は「亀甲縛りトーク」などの珍企画が数多く放送された。のちに瀧個人による番組となり、タイトルも「月曜モグラネグラ 瀧正則アワー なかよし学級」と改められた。この番組でも卓球や盟友の伊集院光が出演[28]

[編集] ラジオ

  • 電気グルーヴのビリビリ行こうぜ(1991年 ニッポン放送
  • 電気グルーヴのオールナイトニッポン(1991年-1994年 ニッポン放送)
    • 番組放送中に「俺らのオールナイト聞いてる奴らって俺らのだけじゃなくて他の曜日も聞いてるんだろ? 誰のオールナイトが一番面白くて誰が一番つまんねーかハガキ募集しようぜ」と言って当時のパーソナリティをランキングしたことがある。自分たちの番組内で募集したのにもかかわらず一位は福山雅治、最下位は裕木奈江だった。関係性は不明だが裕木奈江のオールナイトニッポンは程なくして終了している。
  • 電気グルーヴのビリビリ行こうぜ(1994年-1995年 ニッポン放送)
  • 電気グルーヴのUP's 主は冷たい土の中に[29](1996年 TBSラジオ
    • '96年4月-9月の水曜UP'sの時間枠は週代わりでさまざまなパーソナリティーが担当したが、電気グルーヴも(少なくとも)4月10日と6月19日に「主は冷たい土の中に」のタイトルで担当している。どちらの回もメンバー三人に加え、月曜UP's担当の伊集院光がゲストとして出演。残念ながらレギュラー番組にはならなかった。
  • 電気グルーヴのドリルキングアワー(1996年-1997年 TOKYO FM
    • FMらしく、以前の番組に比べフリートークと音楽紹介中心の構成。宣伝になっているのかどうかが微妙な新作ゲーム紹介のコーナーもあり。'96年10月18日放送回より砂原がレギュラーとして加わり、三人で放送していた。
  • BINTAN GARDEN『電気的』(1997年6月8日 FM802
    • 一連の「Aプロジェクト」を総括し振り返る特別番組。当時のメンバー3人で放送する予定だったが、収録の直前に砂原が入院した為に欠席となった。
  • TR2 (2003年2月 J-WAVE)
    • 2月のマンスリーパーソナリティとして瀧が起用される。最終週には卓球もゲストとして登場した[30]。発売延期や諸般の事情でお蔵入りになった楽曲と卓球選りすぐりの珍曲などが多数放送されている。
  • OH! MY RADIO(2005年4月 J-WAVE)
    • 電気グルーヴ×スチャダラパーのコラボレーションの一環として、一ヶ月間限定で瀧とアニがパーソナリティーを担当。1stシングル「Twilight」は同局のLiving in Tokyoキャンペーンソングに選ばれていた。[31]
  • サウンドストリート21(2007年11月 NHK-FM)

[編集] CM

  • ヤマハ JOG(1992年) - 雑誌広告・店頭POPビデオ
  • シチズン、ATESSA(1993年) - テレビCM
  • ペプシコーラ(1994年) - テレビCM
    テーマ曲は録り下しのインストゥルメンタル曲。映像にはメンバーが出演。
  • ローランド シンセサイザー JD800、JD990(1994年) - 雑誌広告
    もともとTB-303、JUNO-106をはじめとし、ローランド党である電気だが、このJD990も『N.O.』の間奏のピアノソロなど多岐に渡って愛用されている。
  • カネボウファッション事業本部 FILA ボディボード(1995年) - テレビCM
    田中秀幸(フレイムグラフィックス)制作のCG映像のBGMとして瀧のナレーションと録り下しのインストゥルメンタル曲提供。
  • 赤城乳業 ガリガリ君(1998年) - ノベルティ製作
  • タワーレコード(2001年) - テレビCM、雑誌広告
    大手レコード店のタワーレコードのセールとアルバム『DRILL KING GOLDEN HITS』、『The Last Supper』とのタイアップ。『The Last Supper』のジャケットに描かれているCGによる宇宙人のキャラクターが『誰だ!』のKAGAMIリミックスに合せて不気味に踊る内容。

[編集] 書籍

  • 俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ(1992年、宝島社ISBN 4796603468
    当時はサブカル誌だった「宝島」誌上で連載されていた企画「脳が溶ける奇病」の内容を下敷きに、大幅な加筆と再編集を加えた一冊。卓球、瀧、砂原の生い立ちから、アルバム『UFO』リリース前後までを、虚実織り交ぜて綴られた書き下ろし単行本。内容としては意図的な乱丁、文章の乱れ、嘘のディスコグラフィー、単発本にもかかわらず読者コーナー、無意味な割引券などの演出に、根本敬岡崎京子井上三太、そして天久の漫画が掲載されている。彼らの家庭環境からアマチュア時代までを振り返ることができる一冊である[33]
  • 電気グルーヴ“KARATEKA”マガジン(1992年、ソニー・マガジンズ
    タイトルが示すとおり、アルバム『KARATEKA』に合わせ発売された大判ムック本。他の電気関連書籍に比べてグラビアページが多く、ヴィジュアル中心の内容だが、文章も充実している[34]
  • 電気GROOVEお兄さんのお仕事いろいろ(1994年、ソニー・マガジンズ)ISBN 478970906X
    卓球、瀧、砂原の3人が世にある様々な職業をいわゆるコスプレをしながら紹介する[35]、低学年向け書籍を模した本。体裁は文庫本。
  • 電気グルーヴのメロン牧場 花嫁は死神(2001年、ロッキング・オンISBN 4947599936
    『ロッキング・オン ジャパン』、『BUZZ』誌で1997年からの長期連載を、2001年までの時点で約四年半分(+ボーナストラック)を一冊にまとめたもの[36]。続編の上下巻も2008年に発売されている。

[編集] ゲーム

ソニー・ミュージックエンタテインメントからプレイステーションで発売された。電気グルーヴがプロデュースした作品で、自らゲームのジャンルを「クソゲー」と名乗っている。オールナイトニッポン二部時代から構想されていた物が実現したともいえる一本。ひたすらバイト(ミニゲーム)に勤しみ、溜めたお金でガチャガチャで音素材をゲットする。その音素材を組み合わせて曲を作る事ができるという内容。ゲーム部分を瀧、音部分を卓球&砂原がプロデュースしている[37]
プレイステーション・ポータブル用ソフトとして発売された。ピエール瀧がプロデュース。「グルーヴ地獄V」のバイト・ゲーム部分のみを再構成。
プレイステーション3向けのダウンロード専用ソフトとして全世界向けにオンライン配信された。ピエール瀧がゲームディレクターとしてクレジットされているが、表だった宣伝活動はなかったようである。「バイトヘル2000」のミニゲーム「デモ行進」をベースに、Google map風の高精細の航空写真が使用され、世界各地の都市をステージとしている。市内を徘徊するゾンビにおびえる人々を助け、行列を率いて制限時間内に避難させる。

[編集] 電気グルーヴと関わりの深い人物

天久聖一
正式なメンバーとしては迎えられていないが、天久聖一の存在は電気グルーヴにとって重要なものとなっており、近年その存在感はさらに増してきている。神戸にて看守の仕事に就いていたが、思うところあり漫画家に転身。瀧が率いる草野球チーム「ピエール学園」と漫画家によるチームとの対戦があった際、試合中に奇声を発しながらハッスルプレイを繰り広げていた様子が瀧の目にとまり、以降は電気と親しくなる。電気のCDジャケットやラジオのノベルティグッズのデザイン、ミュージック・ビデオのアニメーション作画を手掛けている。彼が作画を担当した「Cafe de 鬼(顔と科学)」のPVはSPACE SHOWER Music Video Awards'05でBEST GROOVE VIDEO並びにBEST ANIMATION VIDEOを受賞した。それ以外にも電気のLIVEに半裸で登場したり、THE・天久聖一withギ・おならすいこみ隊名義の楽曲「モテたくて…」(日射病撲滅キャンペーンソング)などでは作詞とボーカル、赤城乳業ノベルティ版「ガリガリ君」では自作のポエム朗読などを担当した。こういったバンドへの貢献的活動と同時に、ゲストとして呼ばれたラジオでうっかり放送禁止用語を発してメンバーやえらい人を困らせたりと憎めない存在である。また、卓球は彼の著書の多くに「オビラー」(=帯の推薦コメントを書く人、あるいはそういった職業を指すらしい)として秀逸なコメントを提供している。瀧とは「イボピアス」なるユニットを結成している。
椎名基樹
卓球の中学時代の後輩にして元「人生」のメンバー「ポートピア83才」。「人生」の代表曲「男の中の男」のコーラス担当などが有名である。静岡の伝説のバンド「正露丸X」出身であり、「人生」解散後は自身のバンド「ジェリーボーン」を結成し活動した。また、『オールナイトニッポン』に放送作家として参加。陸上部出身で足腰が強かったので、「深夜の使いっ走り」というコーナーが誕生した。「スイカの差し入れひとつで女性教育実習生を落とした」、「ジェリーボーンのライヴで意気揚々とステージに上がったは良いものの、ボーカルマイクがトラブった事に激怒して出演を中断し楽屋に篭城」、「ボイラー技師の親父はいかりや長介似」、「静岡時代は数々のライヴハウスを締め出され、公民館を中心とした活動を余儀なくされる」など数々の伝説をもつ。のちに『ココリコミラクルタイプ』、『OH!スーパーミルクチャン』、『西川貴教のオールナイトニッポン』など数々の人気番組に関わる。また、天久らと共に雑誌『SPA!』の投稿ページ「バカはサイレンで泣く」を担当。電気の『オールナイト』のDNAを受継ぐ高いクオリティのネタハガキが毎回投稿される長期名物連載である。
(世界の)ケン・ニシイ
本名・西井健一。1971年4月15日生まれ。電器販売店店員を経て瀧のマネージャーであったが、その活動や影響、見る者に与える衝撃はその範囲に留まらない。メンバーからは「金の埋まる顔」とも、初対面のココリコ田中直樹には「あれは反則」とも言わしめたほどである。もともとは『オールナイトニッポン』内の『見知らぬ他人の家にお泊り』企画にハガキを応募した一般リスナーであった。だが、実際には彼の家に瀧は泊まらず、後述するリスナー藤崎龍馬の家に瀧ともども何故か西井も泊まらせられるハメに。それ以降番組内でたびたび名指しで話題に上り、『西井の彼女を募集するコーナー』なども組まれた。番組終了以降もその容姿と憎めないキャラクターを買われ、なにかと電気グルーヴのマスコット的存在として親しまれてきた。 『Flash Back Disco』、『ピエール瀧体操30歳』『ピエール瀧の体操36歳』等のPV映像でその姿を確認できる。『電気グルーヴのドリルキングアワー』内にて世界的なテクノクリエイター、ケン・イシイにあやかり(世界の)ケン・ニシイの名を授かる。ピエール瀧製作のDVD『究極ホ乳類ニシイ』ではタイトルにその名を冠する事となった。いっぽう藤崎龍馬は後に渡独し、現在はDJ LYOMAとして主にベルリンのテクノシーンを舞台に活躍中である。2007年ROCKIN'ON JAPAN6月号のメロン牧場にて、電気のマネージャー引退、実家に戻る事が発表された。本家ケン・イシイとは熱狂的なプロレスファンである事のみ共通している。『オールナイトニッポン』のハガキ職人「福井県・ペンネーム西井健一」は別人。
ブラボー小松
本名は小松としひろ。1990年代に朝倉ミツヒロと共にSEXというユニットを結成し活動する傍ら、電気をはじめとしてNOKKOピチカート・ファイヴのサポートギタリストを担当した。SEX以外にも、元8 1/2久保田慎吾らとのMUSCLE BEAT、沖山優司らとの東京スタイルズ、高木完らとの東京ブラボー、ボアダムス山本精一とのGuitoo、KINOCOSMOなどにも参加。瀧のソロプロジェクト「ピエール瀧とベートーベン」ではギターベートーベンとして加わった。スージー甘金の漫画『みどりちゃんと小松くん』のモデルとも言われる。新幹線のぞみ号の座席シートを運行開始から恐らく日本で最初に壊したといわれる人物。
三波春夫
「お客様は神様です」で有名な大衆歌謡歌手。紫綬褒章受章、勲四等旭日小綬章受章、新潟県民栄誉賞受賞。1992年、シングル「ハウスおまんた囃子」で突如ハウス・サウンドを導入。これに関連して開催された"HARUO IN DANCE BEAT"なるライヴイベントにて電気と共演(「ハウスおまんた囃子」等の楽曲の製作そのものには電気は関わっていない)。当日はゲストとして、死んだはずの瀧勝も登場した。そこで勝は春夫に「おまんた囃子」のワンフレーズを伝授されるが音程を外してしまうという、うすら寒いミニコントを披露。春夫サイドの書いたシナリオを瀧が嫌々演じたかたちとなる。この経験は現在でも瀧にとってトラウマになっているという。が、翌日のワイドショー等の報道では電気の活躍の模様は一切触れられなかった。2001年に他界。
日出郎
日本テレビ天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などの番組でも有名な強烈なキャラクターのニューハーフタレント。デビュー当時の電気とは雑誌の対談がきっかけで親しくなり、『オールナイトニッポン』二部時代には度々ゲストとして登場。「みんなオカマにするわよ!」「起きるのよアンタら!悪夢を見るわよ!」「あ〜らアンタら勉強不足よ!」などの名台詞を残した。1982年にショーパブ「ギャルソンパブ」にてダンサーデビュー。その後は歌手としても活躍する。代表曲はチモ・バヨの楽曲の日本語カヴァー「燃えろバルセロナ」。1990年代初頭の電気グルーヴは新宿二丁目にハマっており、連日連夜、日出郎の店に通い詰めていた。別に彼らがゲイというわけではなく、その場の独特の「キてる」雰囲気と、怖いもの見たさ、そしてオカマさん達の強烈なキャラとトークの面白さという点で好んでいた模様。電気がラジオやイベントなどの締めの言葉によく使う「なにひとつ盛り上がる事なく〜」というセリフは日出郎がショータイム終了時に使っていたものである。上記の「燃えろバルセロナ」は当初は卓球に作詞依頼が来たものの、当時の歌手としての日出郎は普段のキャラとは正反対のシリアス路線の作品を発表し続けていた為、マジメな歌詞を書いて提出したところ、結局ボツになってしまったらしい。実際フタをあければ「燃えろ〜」は当時のバルセロナオリンピック開催に便乗した下品極まりない直球ゲイソングで驚いたと語っている。後に椎名基樹が脚本・シリーズ構成を担当した『OH!スーパーミルクチャン』シリーズでは、オカマの大家を演じている。
萩原健一
ミュージャン・俳優。電気グルーヴが今最もリスペクトする人物。卓球のユニットInKのライヴツアーでは「ショーケントレイン」のカヴァーを披露している。特に著書『俺の人生どっかおかしい』は卓球オススメの一冊。
朝本浩文
かつてはミュート・ビートでキーボーディストとして活躍。その後は自身のバンド「RAM JAM WORLD」の活動と並行し、電気のセカンドアルバム『UFO』やUAなど数多くのプロデュースを手掛ける。
五島良子
「新幹線」および「虹」で美しい声を披露した女性ミュージシャン。そもそもは電気と同じキューンソニー在籍(当時)ということで白羽の矢が立ったが、この起用は正解だったらしく、卓球も「天使の声」と絶賛している。電気の作品やライヴへの参加だけでなく、卓球プロデュースでシングル「TSUKI NO HANA」もリリースした。ボーカリストだけでなく、作曲者としても和久井映見西田ひかる中島美嘉椎名純平高橋真梨子らに作品を提供している。
會田茂一
通称アイゴン。堀江博久(現・ニール&イライザ)らとのバンド「ACROBAT BUNCH」としての「FLASH PAPA MENTHOL」への参加、「VITAMIN」での「富士山」のギター、そしてEL-MALOとしての「虹」のリミックスなど、様々な形態で電気の作品に関わる人物。事実、卓球もインタビューにて「過去に共演したけど、また共演したいミュージシャン」として名前を挙げた事がある。卓球や砂原のソロ作品でもギターを披露。砂原とはEL-MARINなるユニットも結成した。現在はEL-MALOの他にFOE、HONESTYへの参加など、数多くの作品で活躍中。また、作曲とプロデュースを手掛けた木村カエラのシングル「リルラリルハ」をヒットさせた。上記の朝本浩文の「RAM JAM WORLD」にもメンバーとして在籍していた。また、EL-MALOとして受けた某雑誌インタビューでは電気のアルバム『DRAGON』の帯に書かれた「道が無くなりゃ自分で作ればいいじゃん」というコピーに甚く共感した事を表明していたが、実はこのコピーはキューンのディレクターが勝手に考えたもので、メンバーの全く意図するものではなかった事がのちに明らかにされている。
王選手
王選手といっても王貞治のことではない。通称あっちゃん。元「人生」のメンバーで、瀧と並んで楽器を演奏しないメンバーとして在籍した。もともとはナゴムレコード関連のライヴの客として訪れていたが、中でも異彩を放っていたため、気がつくと演者として舞台に上がる事となっていた。ナゴムきっての怪人物であったが、昼は某有名大学ロシア文学科に通う秀才でもあった。初期は「井ノ頭健康」の芸名で活躍したが、のちに「王選手」、「長嶋監督」などへと改名する。主にダンスやコントや奇行、暴れ役、たまにメインボーカルなんかも担当。ライヴ中、自分で投げた消火器にあたって四針縫う大怪我を負い血まみれになったことも。瀧と組んで「畳ワンちゃんミュージカルショー」も公演。サッカーボールに扮した王選手を瀧がドリブルしながら蹴りまわす内容だった。「人生」だけでなく「筋肉少女帯」や「死ね死ね団」などナゴムの看板バンドのいくつかにメンバーとして加入と脱退を繰り返した。しかし「人生」解散後、電気グルーヴとして1991年に2月に東京タワーで行われた特別ライヴにダンサーとして乱入を試みるが、メンバーには全くの知らない人として無視される。その頃には都内の翻訳会社に入社。後に外資系のソフトウエア企業に転職、さらに脱サラして有限会社を起こしたなど、様々な噂がある。その姿は、筋少のメジャーデビュー後の楽曲『キノコパワー』のPVで確認できる。冒頭と後半に出演している白塗りにガクラン姿の男が彼である。
DJ TASAKA
ヒップホップからテクノに転向した異色のDJ。卓球主催のクラブイベント「LOOPA」のレギュラーを務めた他、同名レーベルではサウンドクリエイターとしても活躍。吉本興業の芸人三瓶のCDプロデュースなども手がけた。電気グルーヴの活動には、1999年に行われたスペースシャワーTVの10周年記念イベント「2001: A SPACE SHOWER ODYSSEY」のライヴにサポートメンバーとして関わって以降、アルバム『VOXXX』にはコ・プロデュース的な立場で参加し、続いてライヴツアー「ツアー・ツアー」、WIREでのステージにも上がる。『VOXXX』収録の「エジソン電」、「密林の猛虎打線」などの名曲は、彼の存在なくしては完成しなかったともいえる。電気からは「美白DJ」との異名を授かるが、もともと極端な色白なので特に美白を心がけているわけではない。「ツアー・ツアー」前後に性病を患うが、無事完治した。後述する「DISCO TWINS」のファーストアルバムでは吉川晃司をゲストボーカルとして迎えるが、PV撮影の折には吉川に「動きが固い」とダメ出しを受けていた。
KAGAMI
テクノDJ、サウンドクリエイター。1995年に「Y ep」でフロッグマンレコーズよりデビュー。のちに「DISCO TWINS」を結成するDJ TASAKAと共に、電気グルーヴの活動には「2001: A SPACE SHOWER ODYSSEY」以降のライヴとアルバム『VOXXX』にサポートメンバーとして関わり、砂原脱退後の電気の屋台骨を支える。「COUNTDOWN JAPAN06/07」では電気関連の限定アイテムとして彼がデザインした「めいろTシャツ」が販売された。ソロでは電気グルーヴはもちろん、くるりなどジャンルを問わず数多くの楽曲のリミックスを手がけている。2000年に発表したシングル「TOKYO DISCO MUSIC ALL NIGHT LONG」は大ヒットを記録した。TASAKAとは電気のサポートメンバーとしての共演から発展し、「DISCO TWINS」なるクラブイベントを催す。さらに同名のプロダクションユニットとして活動中である。DJミックスCDや、ゲストに前述の吉川晃司や宇多丸(Rhymester)らを迎えた全編ボーカルチューンによるオリジナルアルバムを発表している。
TOKYO NO.1 SOUL SET
渡辺俊美(G.Vo.)、BIKKE(MC.Vo.)、川辺ヒロシ(Turntable)からなるユニット。ヒップホップをベースとしながらも、文学的な歌詞をライムとも詩の朗読ともつかない独特なスタイルで聴かせるBIKKEのラップが特徴的。インディーズでのいくつかのリリースの後に1994年「ロマンティック伝説」でデビュー。結成は1980年代後半〜1990年代初頭と諸説あり。スチャダラパーらと「リトル・バード・ネイション」を結成し、ジャパニーズ・ヒップホップ・シーンの黎明期を切り開いた。電気との直接的な関わりは、近年の電気グルーヴXスチャダラパーでの活動を経た以降、卓球と川辺によるInKなど盛んだが、それ以前にも1990年代よりSOUL SETのメンバーは雑誌のインタビュー等で電気に対するリスペクトを表明していた。また、卓球も「オールナイトニッポン」での浅草キッドとのサイコロトークの中で、「いま気になる女性タレント」として渡辺の嫁であるタレントのちはるの名を挙げたり、ソウルセットの名曲「ヤード」を自身の連載で大絶賛していた。また、卓球、川辺ともに番組開始当初のNHK『ポップジャム』にて、「DJ」と称して変な神輿のような高いところにあるブースにひとりぼっちで置き去り&さらし者にされたという苦い経験を持つ。
小山田圭吾
ロリポップ・ソニックフリッパーズ・ギターを経て、現在はソロユニットCorneliusとして活動するミュージシャン。和田弘とマヒナスターズのボーカル三原さと志を父に持つ。一見して小柄で華奢に見えるが、三度の笑えない交通事故から生還した鋼の肉体を持ち、女装も似合う。電気とフリッパーズ・ギターは、スチャダラパーなどと共にデビュー当初からポストバンドブームという括りで論じられる事が多く、電気も少なからず良きライバル的に意識していたようで、当時の発言の端々でフリッパーズの斬新な活動姿勢や作品などに肯定的な態度を示していた。「ミュージシャンの歌詞には思い入れが無い」と頻繁に言っていた卓球ですら、CMJKとの対談で、「好きな歌詞のミュージシャン」としてフリッパーズギターを挙げていたほどである(CMJKはフリクションを挙げていた)。活動当時は自ら「『小学六年生』から『リミックス』まで」と語るほど多岐のジャンルに渡る媒体露出も有名となったが、このプロモーションスタイルは電気やスチャダラパーにも影響を与えている(ただし、電気の場合は『リミックス』から『スーパー写真塾』までで、その後、電気グルーヴが小学六年生に露出した際には中山美穂の楽曲を酷評した)。瀧いわく日本の音楽業界は総て少なからず「小山田の影響を受けている」らしい。砂原は「KARATEKA」発表後に、卓球の「いないいない病」の発病などから、一時的に解散の危機に陥った電気の状況を憂いで「まだ電気にとっての『ヘッド博士の世界塔』(※フリッパーズが解散直前に発表し傑作とも評されたアルバム)を作らずに終わるのは勿体無い」と涙ながらに訴え、危機的状況を覆したほどであるという。一方、小山田も自身のラジオ番組内で電気とスチャダラをして『別の学校にいる同じ学年の友人みたいなもの』と発言している。それから『オールナイトニッポン』、『ドリルキングアワー』に小山田がゲスト出演するなどの場面はあったが、音楽活動方面での直接的繋がりは1996年に発表されたCorneliusのリミックスアルバム『96/69』まで待たれる事となる。このアルバムでは卓球と砂原がそれぞれ一曲を手がけたが、当初の構想では電気グルーヴとして一曲任されるアイデアもあったという。ちょうどその頃辺りからプライベートにて砂原と親しくなり、一緒にパジャマパーティを開くほどに。同時期に製作された電気の「A」、小山田の「ファンタズマ」は互いに何らかの影響を与え合う作品となったという。これ以降、電気とのメディア上での共演もさらに増え、テレビブロス10周年記念シングルとして「九官鳥 & ヒズフレンズ」を卓球と共同制作。スペースシャワーTVの10周年記念イベント「2001: A SPACE SHOWER ODYSSEY」では対バンし、電気の10周年企画アルバム「The Last Supper」、電気グルーヴ×スチャダラパーのシングル「聖☆おじさん」にもリミキサーとして参加した。卓球、川辺ら共にポップジャムの「DJブース」に置き去りにされた1人でもある。瀧が愛猫の便所を掃除したまま手を洗わず握った「喧嘩握り寿司」を食らわされた経験を持つ。
ケラリーノ・サンドロヴィッチ
通称ケラ。またはKERA。現在は主に演劇方面で劇作家&演出家としての評価が高い人物であるが、かつては「人生」も所属したインディーズレーベル「ナゴムレコード」を主宰し、卓球や瀧を静岡から全国区へブレイクさせた偉大なる人物。自身も「有頂天」、「空手バカボン」として音楽活動を行い、卓球にも多大なる影響を与える(「いないいない病」の先輩でもある)。これと並行して当時から劇団「健康」を主宰し、初期の公演では石野と瀧、大槻ケンヂらを演者として起用していた。現在は「健康」を解散し、劇団「ナイロン100℃」をベースに活動している。音楽方面に関しても「有頂天」解散後「ロングバケーション」としての活動を経て、「ザ・シンセサイザーズ」を結成した。外国人名を名乗っているが、生粋の日本人で本名は小林一三。太りやすい体質である。1991年にクラブチッタ川崎のイベントに電気とともに「ロングバケーション」として出演したが、楽屋で他の出演バンドの喧嘩の嵐に巻き込まれた。その仲裁に砂原が入った時に発したセリフ「ケラさん、逃げて」は名言として語り継がれている。昨今では彼が監督を務め、瀧も出演している映画『グミ・チョコレート・パイン』に電気がエンディングテーマ曲「少年ヤング」を提供。同曲シングルのジャケットイラストはケラの手によるもの。最近、飲み屋で既に泥酔状態の卓球にばったり遭遇。「おばけカボチャに似ている」と笑いものにされ激怒した。
宇宙犬
名古屋のテクノDJ、中原忍らを中心に結成されたユニット。どう聴いても初期電気グルーヴの亜流としか思えないスタイルでオモロテクノラップを展開。電気本体としての活動が半ば休止に近い状況にあった『ORANGE』から『A』への間の時期にメジャーデビューし、数枚のCDを発表した。それでいて当時のクラブ系雑誌のインタビューでは、電気グルーヴの名前が引き合いに出された時点で、ソロ活動に傾倒する当時のメンバー達に対する批判めいたコメントとノーリスペクトな態度を露にしていた。これに対して敏感だったのはむしろファンよりも本人たちで、『メロン牧場』等の連載ではことあるごとに宇宙犬をネタにトークを展開。かつて「マイアミ天国」で歌っていたような行為が「盗まれる側」として自分達にふりかかるという、卓球自ら「当時の電気は世の中にナメられていた」と語る状況を最も顕著に物語る事件のひとつ。
伊集院光
自称ギャグオペラ歌手であり元落語家のラジオパーソナリティ、タレント。深夜ラジオにおいて絶大な支持を得ている。電気とは共にニッポン放送でラジオ番組を持っていた頃の大親友であり最大の理解者の一人。伊集院は早くから電気のトークの手法やセンスを高く評価し、強い影響を受けている。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』では土曜2部時代に天久聖一と共に「ポパイとマンガさんのザックザク情報局」なる嘘番組のパーソナリティとして登場したり(伊集院=ポパイ、天久=マンガさん)、火曜1部に昇格後は伊集院の担当していた『伊集院光のOh!デカナイト』が直前番組だったため度々番組に乱入、丸々2時間伊集院とのフリートークになってしまったこともある。『電気のANN』『Oh!デカナイト』は番組同士の交流も盛んで、いくつかの企画において数度対決している。まず、ニッポン放送で催された「スーパーファミスタ」対決では電気が惨敗。罰ゲームとしてサソリ、ムカデ、カマキリの腹などを串カツ状にしたゲテモノ料理を食べさせられるハメとなった(後日これが災いし、卓球は発熱し体調を崩すという事態に)。さらに続いて西武ライオンズ球場でリスナーと芸能人の混合チームによってオーロラビジョンとグラウンドを利用したファミスタ対決リターンマッチが開催された。なお、電気はこのイベントのライブアクトで尻を丸出しにした状態をオーロラビジョンに映し出し、出入り禁止になっている。そして『Oh!デカナイト』内の企画「ベースボールクイズin東京ドーム」の際には「蓮根頭ぶち殴り大会」を開催。電気チームと伊集院&久保こーじチームが対決したが、敗れた伊集院は罰ゲームとして陰毛を剃られ、それを筆に加工した「チン毛筆」を製作させられるという辱めを受けた。この「チン毛筆」は当時素人の女子高生だった乾貴美子が筆おろしを行った事でも有名である。乾は伊集院、電気、そして浅草キッドがパーソナリティーを務めたそれぞれの番組のヘビーリスナーであり、電気のANN復活の折にはスタジオへ花束を送っていた。
浅草キッド
玉袋筋太郎水道橋博士からなるお笑いコンビ。オフィス北野所属。放送不可能なネタを散りばめた漫才師として、またたけし軍団の若手とベテランを繋ぐ若番頭的ポジションとして、現在も活躍中。電気とは『電気グルーヴのオールナイトニッポン』と『浅草キッドのオールナイトニッポン』『浅草キッドの土曜メキ突撃!ちんちん電車!』との間を通じて深い親交を得るようになる。その後は玉袋が紹介した風俗店へ電気の二人と繰り出し大暴れするような間柄に。『電気のANN』では2時間丸々この4人のフリートークになってしまうこともあった。また、電気の武道館単独初ライブの前座としてキッドが登場。電気とキッドのジョイントライブ「2階からギョー虫ぶらさげおじさん」も開催している。
ユースケ・サンタマリア
本名:中山裕介。その天才的で情熱的かつ軽薄なトークのセンスは、かのビートたけしも認めるところであり、終始投げっぱなしの大ボラは、たけしをしてもツッコミにまわらざるを得ない。かつてはラテンロックバンド「BINGO BONGO」にヴォーカル&司会として参加し、電気と同じくキューン・ソニーレコード(当時)に籍を置くミュージシャンであった。その関係で当時は瀧との共演も何度か続き、「ピエール瀧生誕30周年パーティ」ではユースケが司会を務めている。瀧をして「同じジャンルの人」とは、バンドを解散しソロデビュー後間もないユースケの弁である。その後は篠原ともえとのユニット「カロゴンズ」やテレビドラマ『踊る大捜査線』への出演で着実にステップアップを重ね、現在は俳優やタレント業が盛んである。主演作『交渉人 真下正義』は記録的なヒットを飛ばした。かつて瀧は事務所の人間に「音楽さえやめてくれたらすぐに年収2億なんだけどね〜」とタレント業一本化へのアドバイスを受けた事があるが、その人物がユースケの担当に移った時点で(「年収2億」かどうかはともかく)現在のブレイクが本格化したというのは有名なエピソードである。
大槻ケンヂ
ミュージシャン、作家。現在は筋肉少女帯特撮空手バカボンのボーカリストとして活躍。電気の二人とはその前身、人生と筋少が同じナゴムレコードに所属していたため交流がある。人生のシングル「LOVE」では大槻やケラをゲストに迎える形で音源上の共演を果たした。のちに「ボヨヨンロック」でメジャーデビューを果たす「まんが道」という大槻のバンドには瀧も参加していた事がある。インディーズ時代、瀧の静岡の実家へ遊びに行った際「高木ブー伝説」がブーの所属事務所(イザワオフィス)から訴えられたとの一報をケラと卓球からの電話で知る。実際はガセの情報だったのだが、レコードは自主回収となり、ナゴム閉社への決定打のひとつとなってしまう。また、筋少メジャーデビュー後に大槻が大槻ケンヂのオールナイトニッポンを始める際、パートナーとしてまだインディーズで一般の知名度がほぼ皆無であった卓球を起用したいという意向をディレクターに打診したが却下されたというエピソードもある。のちに電気のメジャーデビューにあわせ大槻のオールナイトの枠を借りた電気の特別番組が放送され、それを受ける形で数ヵ月後に電気のオールナイトが放送開始された。上記の通り、昨今は彼が原作の映画『グミ・チョコレート・パイン』において、間接的なコラボレーションが実現している。
篠原ともえ
1995年に「篠原ともえ+石野卓球」名義のシングル「チャイム」でデビュー。それ以降から初期の活動にあたる三枚のシングルと一枚のアルバムのプロデュースを卓球が担当。1990年代中期に独自のスタイル「シノラー」を浸透させた。シングルのカップリングでは人生や電気のライヴのみで演奏されていた楽曲「ポールレモス(チチョリーナ)」(「忘れちゃうモン」に改題)をカヴァーしている。電気のアルバム『VOXXX』にはゲストボーカルとして参加した。当初「こいつなら恋愛関係に発展する事はないだろう」と見込んで卓球はプロデュースを引き受けたが、当時弱冠16歳だった彼女の肌が赤ちゃんの肌のようにスベスベしていた事を気に入り、顔面を舐めたり、自分の肛門付近の痔を撮影したデジタルカメラ画像を見せる、ラジオで共演した際には胸を触ったりするなどのセクハラまがいのスキンシップを行っていた。
李博士
韓国のポンチャックの第一人者。卓球が敬愛する根本敬によって日本にその活動が伝えられ、その独自のスタイルに衝撃を受けた電気の推薦もありキューンレコードより日本デビュー。電気の日本武道館公演のオープニングアクトを務めた。電気の楽曲「NO」を含む日本のヒット曲メドレーをポンチャック化したCD『ポンチャック大百科』とそのリミックス盤『李博士vs電気グルーヴの「ひらけ!ポンチャック」』などをリリースした。韓国では2000年代に入り逆輸入のかたちでリミックス盤がテクノポンチャク(テックポン)として評価され、自身もよりテクノ的な要素を取り入れた韓国初のオリジナルアルバム『SPACE FANTASY』をリリース。それ以降より、かつての彼の姿を知る者にとっては一見して別人と見紛うほどに洗練された音楽スタイル、ファッションへとイメージチェンジをはかっている。
トビーネイション
日本人テクノDJのTOBYによるプロジェクト。80年代後半より世界各地を放浪し、90年代よりドイツのテクノシーンを基盤に活動を開始する。通称「テクノ外交官」として日本国内へのテクノの認知度アップにも尽力し、電気の日本国外への進出に際し大きくサポートした人物でもある。自身も「虹」のドイツ盤でリミキサーとして参加した。現在は日本に拠点を移し、卓球と並ぶ日本のテクノシーンのベテランDJとして活躍している。DJプレイだけでなくトークにも定評がある。近年のDJではプレイ中にくるりの曲を熱唱するなどの個性的なスタイルが話題となった。
田中秀幸
ウゴウゴルーガ』、『OH!スーパーミルクチャン』などに参加し注目を集めた株式会社フレイムグラフィックス代表のアートディレクター。電気の作品のアートワークやPVの多くを手がけ、「グルーヴ地獄V」にも参加した。瀧とは「プリンストンガ」なるVJユニットを結成し、WIREなどで活躍している。NHKのアマチュアクリエイター育成番組『デジタルスタジアム』には瀧をパートナーに出演している。
ユニコーン
1990年代初頭のバンドブーム以降の日本のメジャーシーンでブレイクしたバンドの中で、珍しく公に電気がリスペクトを表明した存在。特にライヴでのハイテンションなパフォーマンスが目立った阿部義晴を評価していた。その事から発展したのか、阿部のソロ作品発表の際は電気が作詞を担当している。また、ゲーム好きということで『オールナイトニッポン』では奥田民生との対決も実現。のちに「“KARATEKA”マガジン」にコメントも寄せている。1993年9月21日に電気の『オールナイト』の枠を借りて組まれた特番にてバンド解散が発表された。2009年2月15日にテレビ朝日で放送されたユニコーン再結成の記念番組では瀧が司会進行を担当した。
宇川直宏
MOM/N/DAD PRODUCTIONS, Mixrooffice, GODFATHER主宰。メディアレイピスト。京都造形芸術大学教授。グラフィックデザイナー、ビデオディレクター、VJ、文筆家、映像作家、司会業、TV番組プロデューサー、レーベルオーナー、パーティーオーガナイザー、ファッションブランドディレクター、クラブオーナー……そして現代美術作家などジャンルを横断し時には超越する全方位クリエイター/アーティストとして活躍。電気グルーヴとは、2本立ての斬新な構成とネジとナットのフェティシズムを描いて話題になった『電気グルーヴxスチャダラパー/TWILIGHT』のミュージック・ビデオを監督。2006年には『フジロックフェスティバル』のグリーンステージで電気グルーヴのVJを担当し、4万人の観客をピークエクスペリエンスに到達させた。またWIREでは5年間連続VJとして出演し、DJ卓球との競演も多い。また新宿リキッドルーム(現/恵比寿リキッドルーム)では、毎年恒例となった石野卓球の16時間以上に及ぶ死亡遊戯カウントダウンプレイに、共にVJとしてウルトラロングセットを6年連続完走し解脱し続けている。更には卓球&川辺のユニットINK『C-46』のCDジャケット、ミュージッククリップも宇川直宏によるアヴァンギャルドなデザイン。
田中フミヤ
テクノミュージシャン、DJ。まだ無名の時期に大阪に訪れた卓球と意気投合し、自身のレーベル「とれまレコード」を主宰。1993年頃より黎明期の日本のテクノシーンを卓球と共に牽引した人物。卓球にDJを薦めたのも彼。「とれま」の初期のリリースには卓球の変名「DOVE LOVES DUB」の作品や卓球とまりんのユニット「マンガヘッド」のリミックス曲などがあった。活動を開始した当初は初期のトランス、バレアリック、プログレッシブハウスに影響を受けたDJプレイを行っていたが、のちにミニマル系に移行した。電気グルーヴの活動には一部の楽曲のプロデュースや「たんぽぽツアー」への参加(一部の公演では彼のDJプレイと電気のライヴの二本立イベント形式がとられた)などがある。また、卓球以外ではWIREに毎年出演している唯一のアクトである。現在はKarafuto名義の活動や「とれま」とは別レーベルの「op.disc」も主宰している。
渡部高士
サウンドエンジニア、ミュージシャン。90年台半ばより、石野卓球『ベルリントラックス』、電気グルーヴ『VOXXX』を始め、多くの作品に関わる。電気のライヴ(ヨーロッパツアー、WIRE等)や卓球ソロのライヴにもパートナーとして参加する事もある。本田みちよ、鈴木光人(元ARP2600のメンバーとして過去にとれまレコードより作品をリリース)と共にOVERROCKETを結成し、自身の音楽活動も展開中。電気のリミックスなども担当している。
リリー・フランキー
イラストレーター、小説家、ミュージシャン等、様々な分野で活躍する人物。もともとミュージシャンや文化人など多方面に交友関係の広い彼であるが、電気もその中に含まれている。瀧とは『ココリコミラクルタイプ』で長年共演し、石野とはインストアトークイベントとして『InKとリリーフランキーの楽しいおしゃべり』を開催した。ミゼットプロレスリトルフランキーとは別人。
三平×2
電気のANNにおいて、「ツチノコ市場」、「北京面(ペキンヅラ)」等のペンネームで活躍した出待ち兼ハガキ職人。現在は「ペイパービュウ」というコンビで西口プロレスのイベント出演などで活動中。かつては大川興業に在籍していた(現在はフリー)。
YUI
自身のブログでライブに行ったと発言。

[編集] その他

[編集] DENKI GROOVE INFORMATION

電気グルーヴのオフィシャルファンクラブ。入会特典として会員証と年数回発行される会報(現在2006年3月発行のvol.74まで)が配られるが、会員証は特製CDシングルがその役割を果たしているのが特徴である。そのCDでしか聴く事ができない特別音源(※2000年発行版の「Suppe Suppe Inbe Inbe」のみベスト盤『SINGLES and STRIKES』に採録)とファンクラブの連絡先のナレーションが収録されている。この会員証は入会時にしか発行されず、定期的に内容は更新されている。その全てを入手する事は困難である。

[編集] 鬼日

電気グルーヴ内、そしてファンの間では11月17日を「鬼日」と制定している。1990年11月17日、イギリスのマンチェスターで製作されたファーストアルバム「FLASH PAPA」レコーディング中、収録曲「カフェ・ド・鬼」の瀧の担当パートである「鬼、鬼〜♪」のテイクに何故か何度やってもOKが出ず、数十回にわたり延々と「鬼」と言わなければいけなかったエピソードに由来する。以来、瀧が「今まで生きてきた人生の中で最も『鬼』という言葉を口にした日」として、この日を「鬼日」とした。この時のプロデューサーはヒプノトーンのトニー・マーティンが務めた。

[編集] ピグ

電気グルーヴや関連作品などを繋ぐ一種のキーワード。元々は卓球と瀧が高校時代に製作したテープに由来する。石野と瀧の共通の友人Hを石野の自宅に招き、彼と面識のないツッパリで強面の先輩(その正体は卓球の後輩)を同席させ、Hに罰ゲームやヨガなどの無理難題を強要させた。その際、ちょうど脚を頭の後ろに上げるポーズをとらせた時、あまりにも無理な姿勢だった為、突如Hの口から悲鳴とも呻きともつかない声が漏れた。それが「ピグ」である。※あくまでもこれは身内でのドッキリ企画のようなもので、後日Hにも事の説明と了解があったらしい。

この一部始終はラジカセで録音されており、当時の電気グルーヴの前身バンド「人生」のライヴでも流された。1992年には「オールナイトニッポン」で瀧も参加した後日談的第二弾のテープと共に放送。その内容は全国区に知れ渡り、今ではファンの間で伝説のフレーズとなっている。

1996年5月には田中フミヤのレーベル「UNTITLED」のコンピレーションアルバム『UNTITLED ABSTRUCT SET 2』に「PIGU 1985」というタイトルで、これまで未発表だった部分も含めた内容がCD化された。以後、電気グルーヴ周辺の関連作品では、この「PIGU 1985」からのボイスサンプリングが頻繁に行われる事となった。

具体例としては電気グルーヴの「なんとも言えないわびしい 気持ちになったことはあるかい?」、「スコーピオン」、「エジソン電」などの楽曲、田中フミヤによるHOODRUMの「High And Low」、篠原ともえ「クルクル ミラクル」(サンプリングだけでなく、篠原による「ピグ」も収録)、コーネリアス「Moon Walk(砂原良徳Remix)」などがある。

アルバム『VOXXX』では実際に収録はされなかったが、「瀧が来ない」というタイトルで「ピグ」のテープからのサンプリングで構成された楽曲が製作されていた事が当時のインタビューで語られている。その他、電気グルーヴプロデュースによるプレイステーション用ソフト『グルーヴ地獄V』でも音源が使用されている。

珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-」(1991年-1992年、集英社 漫☆画太郎著)
『オールナイトニッポン』をきっかけに親交を深めた漫☆画太郎の『週刊少年ジャンプ』誌連載作品。当時まさに黄金期だったジャンプの連載陣のなかで、異彩を放ちつつ孤軍奮闘する画太郎に対し、電気は番組中でエールをずっと送り続けていた。画太郎自身にもそれは確実に届いており、打ち切り直前の終盤にて本編に卓球と瀧をキャラクターとして登場させた。最終回のエンドクレジットにも電気グルーヴの名が刻まれており、最終巻では瀧が巻末コメントを寄せた。その後も親交は続いており、瀧とタッグを組んで「虐殺!ハートフルカンパニー」、「樹海少年ZOO1」などの作品を生み出した他、実写映画版『ババァゾーン』にも瀧が出演した。

[編集] 電気語

「電気語」とは、電気グルーヴの楽曲の歌詞や、電気グルーヴのオールナイトニッポン内で卓球と瀧によって交わされた会話の特徴的な単語やノリ、番組の各コーナーで生まれた独特のテイストを含んだ会話や文章を指す。「電気しゃべり」とも。特に卓球の果たした役割は大きく、当時多くの番組リスナーたちが影響を受けた。ANN1部当時、個人で「電気語辞典」を作成して番組宛に送りつけた女性リスナーがいたが、彼女こそは後に『ニュースステーション』でお天気お姉さんを務めることになる乾貴美子であった。

[編集] 主な電気語

  • ディープ
  • ブスかわいい
  • エレジー入る
  • マズイ/マジイ
  • 笑う〜/笑うなぁ〜/笑うわ〜/笑った〜
  • ツラ(面、顔)/ツラ構え
  • 顔が曲がる
  • ボラれた!
  • パワーある
  • 震えたね
  • 事件事件事件!
  • 〜したですよ
  • 見たか?聞いたか?楽しんだか?
  • 杉山(平凡な日本人の苗字の例として卓球が主に頻用)
  • デーブエンジェル
  • ユーチュルビック

[編集] 主な使用機材

電気グルーヴというバンド名が示すとおり、結成当初より「電気で作るグルーヴ」=シンセサイザードラムマシンサンプラーを駆使した打ち込みによるサウンドプロダクションが貫かれている。

SH-2
ローランドが発表したモノフォニックアナログシンセサイザー。卓球にとって最初のシンセ。シンプルでコンパクトながら、その完成度は高く、生産完了から久しい現在でも中古市場でプレミア化している。「人生」時代より数々の楽曲で主戦力として活躍し続けているが、「Shangri-La」のシンセベースでの使用が最も有名。砂原も同じものを持っており、「A」のレコーディングでは砂原所有のものが使われていた模様。卓球所有のものにはボディ全体に瀧による落書きが施されていた(近年は黒マジックと修正液で上から塗りつぶされている)。
W-30
ローランドが発表したミュージックワークステーション。サンプラーとシーケンサー、キーボードが一体になっている。卓球が所有し、シーケンサーとしてコンピューターを本格導入する1995年まで、初期〜中期の電気グルーヴのサウンドプロダクションの中核を成していたといっても過言ではない。「662 BPM BY DG」の内ジャケでその勇姿が確認できる。卓球は機材の取扱説明書を読まないので、シーケンスパターンのコピー方法を知らず、曲の頭から最後までマニュアルで打ち込んだりしていた。
S-10
W-30と同じくローランドが発表したサンプラーで、やはり「662 BPM BY DG」の内ジャケで姿が確認できる。ピエール瀧がローンで購入した。この機材も結成当初の電気グルーヴで大活躍したといわれているが、サンプリングタイムが短い事と、保存メディアに時代遅れのクイックディスクを採用していた事などから、AKAI S-1000導入以降は徐々に一線を退く事となった。卓球が最初に購入したサンプラー、X7000もクイックディスクを採用していた。既にメディア自体が入手困難だった為に、ファミコンのディスクシステム用のディスクを調達し、任天堂ロゴ部分をハンダごてで焼き切って代用品として使っていたという。
K1 II
カワイ製のデジタルPCMシンセ。今となってはマイナーな機材ではあるが、初期の電気では生音系の音色などで活躍した。WIRE04でのライヴの際、この時演奏された「電気ビリビリ」は「FLASH PAPA」収録のバージョンに近いアレンジが施されていた事もあり、卓球は久々にこのシンセを引っ張り出してきて使ったらしい。
S1000
AKAIが発表したサンプラー。民間でもなんとか入手可能な価格と、充実した機能によって音楽シーンの歴史を塗り替えたともいわれる革命的機材。マイナーチェンジ版であるS1100と共に、初期のサンプリング主体だった電気のサウンドにおいてはレコードからのブレイクビーツ、フレーズサンプリングはもちろん、声ネタとしていかりや長介横山やすしのボイスサンプル、果ては屁までさまざな音がサンプリングされ、まさに縦横無尽の活躍を見せた。ただ、デビュー当時の電気にとってはやはり高価な代物であり、卓球が増強メモリーを購入した際は、当時の給料が10万円だったところを、家賃が5万3千円、サンプラー関係のローン返済が月2万円となっていた為、相当貧しい生活を強いられていた。
JUNO-106
ローランドのアナログポリシンセ。オシレーターにDCOを使用する事で音程が安定しており、ポリ仕様なので和音が弾ける。音色のメモリーも可能で、さらにMIDI規格にも対応しており使い勝手が良く、音も良い。これもS-1000などと並んで当時のテクノ/ハウス界で重宝されている逸品である。石野と砂原が愛用している。だが、砂原は親戚が購入した一台を借りたままずっと使っている。卓球もやはり友人から借りたまま済し崩し的に所有していたが、そのJUNOをなんと一旦は売り飛ばしてしまい、その後に必要性にかられて再び買い戻したという。現在に到るも永らく使用され続けており、まさに電気グルーヴや卓球&砂原サウンドの要である。
POLY-800
コルグが発表したDCO方式のシンセサイザー。過去に卓球の家に二台、瀧と砂原の家にそれぞれ一台が確認されている。そのうち卓球と瀧が所有する一台はリバース鍵盤(白鍵と黒鍵の配色が逆になっている)というレアなモデルである。メンバー所有のうち一台は、「オールナイトニッポン」のリスナーにプレゼントされた。おなじDCO方式であるJUNOに比べれば若干チープな音色であるが、独特の味がある。簡易シーケンサーなども装備している。
MS-20
コルグが発表したアナログモノフォニックシンセサイザー。パッチングにより多彩な音作りが可能であり、卓球とウェストバムのユニット「Takbam」のファーストシングルの音色は全てこのシンセで製作されたものである。完成度の高いフィルターは外部からの音源入力を通す事も可能であり、サンプラーの出音を取り込んで加工したりといった方法でも使用された。ただし、こういった古いシンセは同期規格が現在主流のMIDIとは異なっており、現状の打ち込み環境に組み込むには1993年前後の専用コンバーター普及まで待たねばならなかった。その為、手弾きしたフレーズをサンプラーに取り込むなどして使うしかなかったという。砂原は「キーボードスペシャル」連載にてこのシンセを売ってくれる人を公募していた。平沢進が自身のファンクラブ会報において所有する2台のうち1台を砂原にあげたと言っており、時期は不明だが平沢進からもらった可能性が高い。卓球は「人生」時代に友人が所有していたものを借りたまま今も使用。
Jupiter-6Jupiter-8
ともにローランドのアナログポリフォニックシンセサイザー。比較的アマチュアにも入手しやすかったJUNO系列の上位に位置し、とくにJupiter-8は日本国内最上位機種のひとつといえる。Jupiter-6はその廉価版ではあるが、Jupiter-8では対応していなかったMIDI規格を採用している点で重宝されており、InKのレコーディングでも活躍している。Jupiter-6は卓球、Jupiter-8は砂原がそれぞれ所有。砂原のJupiter-8は前のオーナーの手でDIN-SYNC規格が取り付けられており、内蔵アルペジエイターのBPMをTB-303などと同期させる事ができたらしい。
TB-303
ローランドのアナログシンセサイザー。リズムマシンと同期演奏する事を前提としたシーケンサー内蔵ベース音源として発売されたが、後年それとは違った用途で再評価され、アシッド・ハウスという一大ジャンルを形成するまでとなる。卓球はとあるクラブに遊びに行った先でファンの少年からプレゼントされ入手。それを切っ掛けとしてこの機材に心酔し、『Flash Papa Menthol』以降の作品から大幅にフィーチャーしていく事となる。折しも当時(1993年)には英国を中心としたアシッドハウスリヴァイバルが起こっており、そのシーンが電気の活動に与えた影響も大きい。「野村ツアー」で販売されていた限定TシャツはTB-303を正面にプリントしたものであった。日本ではYMOのアルバムで使用された事や卓球、砂原による音楽雑誌上での啓蒙活動もあり、その中古価格は高騰した。1990年代を過ぎてからは、熱狂的だったブームの沈静化もあり、作品から影を潜めていたものの、2004年以降の卓球ソロを含む音源やライヴでは、再びその音色が大幅に使用されているのを聴く事が出来る。現在卓球は計三台を所有し、そのうち一台はReal World Interfaces社による『Devilfish』というチューンナップ版に改造されている。
TR-808、TR-606
ともにローランドのリズムマシン。TR-808は「ヤオヤ」の愛称で親しまれるビンテージ機材であり、TR-606はその廉価版的ポジションにありつつ、ベースマシンであるTB-303の兄弟機にもあたり、303とほぼ同デザインの外観をもつ。電気のアルバム「VITAMIN」の内ジャケでは卓球と砂原が303を携えているのに対し、瀧が持っているのがこの606である。いずれも初期のエレクトロヒップホップの作品で使用されたことなどで有名となった。プロ仕様にMIDI化改造などが施された物も多い。606は発売当初から比較的安価だった為、高校時代の卓球はこれを購入し、初めて結成したバンド「メリーノイズ」のステージで使用していた。砂原も同じものを所有していた。電気グルーヴXスチャダラパーのレコーディングの際は、卓球のmontagスタジオにあったこれをシンコが甚く気に入り、購入に走ったというエピソードも残っている。卓球はFive-G製のMIDIキットを取り付けたTR-808も所有しており、WIREにおけるソロライヴなどで演奏している。
TR-909
ローランドの歴史的名機とも評されるリズムマシン。ハウスシーンにおける再評価によって、1990年代以降の幾多の音楽シーンに多大なる影響を与えた。電気の活動初期には本体そのものをメンバーが所有しておらず、主にレコード等からのサンプリング音源や、おなじくローランドのPCMリズムマシンR-8の音色ライブラリを使用するに止まっていたが、デビュー後に卓球が入手。続いて砂原も必要性に駆られて導入したといわれる。一時期はその過剰なまでの愛着から、ライヴにおける舞台セットに巨大なTR-909とTB-303の書き割りを設けていたほどである。そのあまりにも有名な音色以外にも多機能で知られる909であるが、電気のレコーディングでは時期によって使用方法が異なるのも特徴である。当初はメインシーケンサー(W-30、MC-50等)で組まれたシーケンスによってMIDI音源的に使用されていたが、『ORANGE』の一部の曲では909本体内蔵のシーケンサーをメインに据え、サンプラーなどの外部音源をトリガーするといった使用がみられた。続く『A』ではメンバー自身がサンプラーによるリズムプロダクションに傾倒していた為、一旦音色をサンプラー内に取り込んだ上で間接的に使用されている。現在、卓球使用のモデルはバスドラム、ハイハット、リムショット等に独自の改造を加えた上で再びメインのリズムマシンとして愛用されている。砂原は1995年のソロ作あたりからしばらく距離を置いていたが(一方で当時のインタビュー記事では『ただし売り払うつもりは全くない』と明言)、近年のスーパーカーのプロデュース作業などで再び大胆に使用した。
JD-990
ローランドが90年代に発表したデジタルシンセサイザー。基本的にはケン・イシイも愛用するJD-800のラックマウントタイプだが、スライダーによるパラメーター入力方式が最大の特徴だったJD-800の構成を全面的に見直し、ラックマウントタイプながら非常に扱いやすく設計されている。雑誌媒体の広告キャラクターを電気が務めた事でも有名。電気の作品では「VITAMIN」以降使用されており、砂原のソロ作品「TAKE OFF AND LANDING」、「THE SOUND OF 70's」でも活躍している。
vintage keys
E-MUのラックマウント型デジタルPCM音源。過去のアナログシンセ、エレピなど数々のヴィンテージキーボードの音色を収録している。この機材が発表された1993年前後から原点回帰的に、ヴィンテージ楽器としてのアナログシンセサイザー再評価の波が訪れた。電気のサウンドメイキングにも少なからず影響を与えており、これ以降は卓球いわく「機材バブル期」として、数々のヴィンテージシンセが導入されていく事となる。砂原が所有しており、主に「VITAMIN」における「Stingray」のフルート、「Popcorn」におけるメロトロンの音色が代表的である。
MS-404
ドイツのDoepferが発表したアナログモノフォニックシンセサイザー。1Uラックタイプで、外観も構造もシンプルでコンパクトな内容だが、非常に使い勝手が良く、数多くのミュージシャンに重宝されている。元々は1993年以降のTB-303ブームに便乗した機材だったが、実際は普通のシンセ系の音から、リズム系、SEまで幅広く使える上、オマケとしてMS-20同様のフィルター外部入力や、MIDIとCV/GATE規格を繋ぐコンバーターとしても使用可能であった。1995年当時にTB-303に若干食傷気味だった卓球&砂原の間に一時的なブームを起こす。石野が『リミックス』誌で連載していたコラムでも、その年のベスト機材として挙げていたほどである。卓球のソロアルバム『DOVE LOVES DUB』や大友克洋監督作品「MEMORIES」に提供したテーマ曲、その後の電気のアルバム『ORANGE』にて全面的に活躍した。特に卓球がMICKIEE名義でとれまレコードからリリースしたシングルは、LFOを発振させた際の個性的な音色を全面的に押し出した内容であった。砂原は同時期のソロ作「CROSSOVER」では敢えてシンセの使用を自制して臨んだ為、森若香織のリミックス以降の使用となる。
DSM-1
コルグの12bitサンプリングシンセサイザーDSS-1のラックマウントタイプ。「サンプリングシンセサイザー」と銘打っているだけに、音作りの幅の広さに定評のあるシリーズである。1990年代中期以降は12bitサンプリング方式という事で、当時主流の16bit方式よりスペックでは劣ってはいたものの、むしろこれらの旧式サンプラーは、折からのLO-FIブームの影響で、その荒い音質が逆に評価されていた。特にDSM-1、DSS-1はメモリー内にサンプリングせずとも外部入力から音を取り込んでスルーするだけで12bitサンプラー独特の音質効果が得られるという事で、ボーカルなどの長尺の素材に対してエフェクター的に使用される事が多かった。最初にテイ・トウワ坂本龍一らを中心に再評価の波は広がり、電気の『ORANGE』のレコーディングでも主に砂原が使用していた。
SP1200
DSM-1と並び、1990年代中期以降に再評価されたビンテージ12bitサンプラーの筆頭として挙げられる名機。こちらはE-MUの製品である。後のAKAI製MPCシリーズにも通ずるシーケンサーとサンプラーが一体となったワークステーションタイプである。サンプリングした音の荒さも定評だが、個性的なフィルターとも相まって、とにかく出音が凄まじく太くなるという点で、テクノよりもどちらかというとヒップホップ界での評価が高い。内蔵のシーケンサーも独自の揺れを持っている。日本にて注目される切っ掛けとなったのは、1994年に坂本龍一がリリースした「Sweet Revenge」と、その製作のキーパーソンともなったテイ・トウワのソロアルバム「Future Listening!」、そして彼らがプロデュースしたGEISHA GIRLSのシングル以降だと思われる。テイは森俊彦らと共に、その名も「SP1200プロダクションズ」を結成するほどの熱の入れ様だった。テイとも親交の深い砂原も2ndソロアルバムの製作辺りから導入し、『A』のレコーディングでも使用された。そして、バンド脱退後にARMEN 1200 Soundというラックタイプへと改造を施している。スチャダラパーも1995年のアルバム『5th wheel 2 the coach』から使用しており、リリックの中にも随所にその名が登場する。
Recycle!
Propellerheadが製作したPC用波形編集ソフト。PC上やサンプラー内のサンプリング素材を取り込み、アタック部分を自動的に検知して分割し、さらに鍵盤上にマッピングしてくれるという機能を持つ。BPMを任意に設定してピッチを合せるなどの作業も容易に出来た。これらの作業はサンプラー単体でも不可能ではなかった行為だが、非常に手間が掛かった為、このソフトの登場は、とにかく1990年代後期以降のサンプリングミュージックには衝撃的な代物だった。面倒な作業から開放されるだけでなく、サンプルループ/ブレイクビーツの各パーツ前後並び替えや一部差し替えなど、極めて複雑な構成でキットを組む事も頻繁に試されていった。このようにクリエイター達に新たな発想を齎した事でも特筆に価するソフトである。電気のレコーディングでは「A」で大活躍している。当時は「VITAMIN」以降から続いたリズムマシンで直接ビートを組む方法に対して食傷的になっていた為、TR-909のキックなどの定番ビートにも敢えてサンプリングを多用していた時期であった。
Cubase
ドイツのスタインバーグが製作したコンピューターソフト。初期はMIDIシーケンスソフトとして出発したが、昨今はVSTと呼ばれるオーディオ録音編集やプラグイン機能を備えたDAWソフトとなった。初期はATARIなどをプラットフォームとしていたが、現在はWindowsとMacが中心となっている。「FLASH PAPA」レコーディングの際にプロデューサーを務めたトニー・マーティンをはじめとし、当時のマンチェスターのシーンではATARI+Cubaseの組み合わせによるシーケンスが流行っていた為、卓球も影響を受けすぐさま導入した。だが、ATARI自体にトラブルが多く、結局は慣れ親しんだW-30が1995年あたりまでメインシーケンサーを務めていた。こういったPCソフトによるシーケンスシステムの本格的導入はメンバー各自の1stソロ製作以降で、電気としては『A』のレコーディングで使用されたMAC+CubaseVST3.02からである。砂原のソロ作ではOpcode Systems製Visionを使用していたが、石野と足並みを揃える形で一時的に乗り換えていた(現在はApple社のLogicを使用している模様)。当時はオーディオ機能が導入されて間もない時期だったので、基本的にシーケンス部分のみの使用となったが、砂原いわく「2人でひとつのシーケンサーをいじるのは初めてで、ある意味バンドらしい」と語っていた。その後も電気や卓球の作品では継続してCubaseVST、SXが愛用されている。現在はMacからWindowsに使用ハードが移されたが、業界で主流のProToolsよりも扱いやすさで卓球はCubaseシリーズを好んでいるらしい。
SAM16
ドイツのSND社製アナログシーケンサー。パネル上に横に16個並んだツマミを操作しパターンを制作する方式を採っている。石野はこれで偶発的なフレーズを作り出し、そのデータをCubase上にて編集して楽曲に用いている。規格はMIDIとCV/GATEに対応している。全ての個体がハンドメイドで制作されており、総生産台数は極めて少ない。日本での所有者は卓球の他に田中フミヤの二人だけであると言われている。InKのインタビューで川辺ヒロシは「軍用機械みたいな風貌」とコメントしている。
Sherman Filterbank
ベルギー製のフィルターマシン。フィルターマシンはサンプラーなどの外部音源を入力する事で独特の音色変化が得られるのが特徴で、その効果を活用したフィルター・ハウスなどといったジャンルも1990年代後半よりダンスシーンに定着した。このSherman製の機材は効果が極端かつ予想不可能なものとして支持を得た。電気のレコーディングではフィルター・ハウス的な用いられ方よりも楽曲の着想段階で多用されたという。かつて卓球はこれを肩に担いだ姿で雑誌の表紙を飾った事もあった。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ ユニット名表記のゆらぎについて、公式なものとしてJASRAC著作権者登録名である電気グルーヴ、英語圏での一般表記DENKI GROOVEがある。電気グルー新聞のラ・テ欄によく見られる)、電気グルーは誤りである。スージー甘金作成によるバンドロゴができる以前に多用していた電気GROOVEも現在は誤りである。
  2. ^ デビュー当初はメンバー自ら「DG」とも称したが、定着には至っていない。そのほかに「電G軍団」、「電気ちゃん」などがある。世俗的に「電グル」と略される場合も多くあるが、ファンにとっては敬遠されている略称である。
  3. ^ 当時の卓球直筆による挨拶文には『「人生」の大幅なメンバーチェンジに伴い「電気GROOVE」とバンド名を改名する』ともある
  4. ^ 吉沢、DJ・K太も含める場合もあるがこの2人は本格的に参加をしていたわけではない。
  5. ^ この背景には当時ユニコーンが発表したミニアルバム『おどる亀ヤプシ』に収録された「PTA 〜光のネットワーク〜」に小室が触発され、電気を抜擢したとの話もある。電気曰く、「虎の威を借る狐作戦」で大ヒットしたが、卓球は当時から小室を内心小バカにしていたそうで、小室所有のフェラーリに自分の性器を押し付け「ここから腐るぞ」と語ったという。その後も卓球は小室の作るユーロビートの路線に一貫して否定的態度を示すなどをしていたが、二者の関係は決して険悪という訳ではない。
  6. ^ 当初の彼等は「ハウスラップ・ユニット」という触れ込みであり、ナンセンスで過激なラップ歌詞をハウス・サウンドに乗せる手法を取っていた。
  7. ^ 1992年10月に火曜1部に昇格後、1994年3月まで担当した。
  8. ^ 当初、アルバムの内容が半分以上がインストというものだったため、レコード会社からは「これでは売れない」と発売の許可がおりなかった。アルバムに収録せずシングルとして発売する予定であった「N.O.」をアルバムに入れることでレコード会社としぶしぶ合意し、発売にこぎつけた。N.O.だけ曲間が空いているのはそういった事情があるためである。結果、アルバムはレコード会社の予想を超えた好セールスを記録。日本のテクノ・ブームの火付け役とも評されるようになる。
  9. ^ このあたりから、一般的な知名度もあがり始め、瀧はテレビ・タレント活動も多く行うようになる。
  10. ^ この年はバンドとしての活動は少なく、各自のソロ活動が盛んな年だった。
  11. ^ だが、後にメンバーいわく「電気が世間になめられていた時期」と話す。初期電気グルーヴのスタイルを真似た宇宙犬なるバンドがメジャーデビューを果たし、メンバーを憤慨させる。
  12. ^ 電気グルーヴの当時の事務所に日産自動車からヒットの祝いとしてテラノが1台プレゼントされたという。
  13. ^ 「Shangri-La」発売から『A』、アナログEP「あすなろサンシャイン」、ライヴツアー「野球ディスコ」までの一連の活動は、メンバーより公式的に「Aプロジェクト」と名付けられている。
  14. ^ ただしこれは文字通りの「休止」であって、解散を意味するものではなかった(ただし、一部のメディアでは解散と解釈され「元・電気グルーヴのピエール瀧さん」などと紹介された例が実に数件あった)。唯一の活動として雑誌連載の「メロン牧場」は変わりなく継続される事に。また、「休止」の最中にも、全身を隠し尻だけ露出して「電気グルーヴ、尻だけ復活」する案や、卓球と瀧が脱退して新たに加入させた別人だけで復活するという案もあったが、結局実現せず。
  15. ^ なお公式発表はないものの、2006年初頭に当ユニットの解散式を内々で行ったことが、いくつかの雑誌記事内で触れられている。だが、同年10月14日の「Big Connect'06 PART2」の電気のライヴにスチャダラがシークレットゲストとして登場。再び電気×スチャとして共演を果たしている。
  16. ^ これまでのライヴではアンコール演奏を一切行わないスタンスの電気だったが、「LIQUIDROOM 2nd ANNIVERSARY」の公演では「この歳になるとアンコールやらない方がかっこ悪い」という事でファンの声援に応えていた。また、このライヴのリハーサル期間中、無理な体勢(「レギュラー西川くんの失神のポーズ」)のまま寝てしまった卓球は齢40歳を目前にして四十肩になる。
  17. ^ ケラの手によるジャケットイラスト(色鉛筆とクレヨンで描かれた卓球と瀧の似顔絵)や、歌詞も含め、かつてのナゴムレコードに対するオマージュ的な内容となった。
  18. ^ 同シリーズのアニメでは長年、水木しげる作詞・いずみたく作曲による主題歌「ゲゲゲの鬼太郎」が歌手、アレンジ等を変えながら使われ続けてきたが(厳密には別作品とはいえ)それ以外の曲が主題歌に採用されるのは今回が初めてである。また、この作品には瀧が声優としてレギュラー出演することも決定しており、瀧が歌う劇中歌「有楽町で溶けましょう」もカップリング収録される予定である。元祖「ゲゲゲの鬼太郎」のOP、ED曲はインディーズ時代に「人生」や別ユニット「I-JOE」等で幾度かカヴァーが披露されている。
  19. ^ 卓球より「おひさしブリーフ」とブリーフを渡され、それを頭に被って演奏した
  20. ^ 実際にはアルバムのレコーディングは2月13日に完了している為、リアルタイムではない事がテレビ番組でのコメントで明かされ、最後の更新でも卓球自身「こんなのアルバムのプロモーションでやってるやらせですよ」と堂々と宣言した。内容は1月上旬からの状況を追って配信され、2月5日に「Mojo(仮)」、「Expo hiroshima(仮)」、「いちご娘(仮)」、「少年ヤング」、2月8日に「完璧に無くして」、「ShonanAcid」、「半分人間だもの」、「アルペジ夫とオシ礼太」、2月12日に「Zoo Desire」、「完璧に無くして/other take」、「Expo Hiroshima」、「少年ヤング/album mix」、2月15日に「Young Couple(仮)」、「Stumm(仮)」、「アルペジ夫とオシ礼太」、「半分人間だもの」がアップされた。音源は逐一最新のものに差し替えられ、過去の更新分を聴く事はできない。現在は更新を終了している。ここで発表されたいくつかの曲は改題あるいは収録を見送られたものもある。
  21. ^ 卓球は免許をもっていない。
  22. ^ ジャケットの半人半馬の人形のモデルは当時プロモーターを務めていた「ゲロモーター(=酔ってゲロを吐くプロモーター)」こと中山道彦(現キューンレコード社長)。
  23. ^ 電気の映像作品としては珍しく直球のタイトルを採用している。
  24. ^ もともと卓球は熱狂的なダウンタウンファンであり、大阪時代より独自の情報網を駆使して『4時ですよ〜だ』などの番組VTRを入手していた。ある日、卓球は当時住んでいた近所のお店で松本人志と偶然遭遇。慌てて家に戻り、発売されたばかりの“フラッシュ・パパ”を持って再びその店に慌てて直行し、松本に「電気グルーヴっていうバンドです。良かったら聴いて下さい」等と言って手渡した…と、メジャー・デビュー直後の大阪のライヴのMCで興奮気味に語っていた。その後、電気は『ごっつええ感じ』等、多数の番組にゲストとして出演しており、瀧は高須ともプライベートで親交が深い。
  25. ^ なお、当番組は対決パートの他に撮りおろしの今田・東野のコントと歌(「親父の唄」)と電気のライヴ映像が挿まれた。とくに電気のライヴはCDに収録されていないバージョンのアレンジ(「オールスター家族対抗蛇合戦」。クラフトワークなどをサンプリング)で、資料性も高い。当時の今田は『ごっつええ感じ』で東京進出を開始した時期で、東野は関西中心に活動していた。この番組が縁となったわけではないが、のちに卓球は彼らによるWEST END×YUKIの「テクノでSO・YO・NA」のプロデュースとリミックスを手がけた。
  26. ^ 当時は「FLASH PAPA MENTHOL」、「VITAMIN」へと硬派なテクノ路線に傾倒していく一方で、『ダウンタウンのごっつええ感じ』における「鼻リーグ」でのダチョウ倶楽部とのリアクション芸対決や、「浅草橋ヤング洋品店」における「中華大戦争」のリポーターなど、およそミュージシャンらしからぬ芸人的活動も頻繁に行っていた。
  27. ^ ヘトヘトになりながらも昼間の収録でボルテージの上がっていた卓球は、この時実に饒舌で「女を殴るミュージシャンは日本で俺と坂本龍一だけ」などの発言を残した。
  28. ^ 催眠術企画では卓球がマイケル・ジャクソンにされたり、伊集院がドラえもんにされたりしている。
  29. ^ 略して「ある土」。タイトルはオールナイトニッポンの番組中でもネタにしたことのある、小学校の音楽の時間に歌わされたスティーブン・フォスター作の曲名より。
  30. ^ 冒頭卓球が持参して来たシャンパンを開ける音からスタートし、時間の経つごとに卓球が泥酔。当時は発売を予定していた二種類のアルバムが相次いで発売延期を余儀なくされるというヘビーな状況が続いていた為か、それとも電気として久しぶりのラジオ番組だったからなのか、思いついた単語やダジャレをその場で延々と口にするなど、終始妙なハイテンションでトークを展開。瀧による番組進行をダジャレと愚痴で妨害し、後述のOH! MY RADIO以上にグダグダの放送となった。
  31. ^ 終始独特のユルいテンションで放送された。短期間ながらも朝青龍をいじった投稿コーナーが好評を博す。二週目にボーズとシンコ、三週目に卓球、そして最終回の四週目はメンバー全員が登場。シングルとアルバムの制作秘話と砂原の近況について語った。番組中でかかった曲の一部は瀧のiPodから直接ポン出しされた物であったという。
  32. ^ FM番組らしからぬAM番組ノリで終始放送された。一週目より週替わりで「お互いの近況」、「ルーツミュージックについて」、「旅について」、「電気グルーヴについて」をテーマにしたトークと、卓球選曲による「病んでるけど楽しい曲」を多数オンエアした。リスナーからは絵葉書を募集。番組中では瀧が11月末まで「ピエル瀧」に改名する事が発表された。御歳四十に差し掛かった2人の肉体の衰え(特に記憶力)と、卓球のますますの壊れっぷりが露となった放送であった。
  33. ^ 特筆すべきは巻末のディスクレビューで、彼らが影響を受けたであろうテクノニューウェーブからプログレッシブロックの名盤が、ジャケット写真と共に数多く解説されている。当時これらのジャンルを総括する書籍は例がなく、重宝された。また三人の部屋も紹介され、数々のアナログ機材がページを飾った。執筆には静岡時代からの盟友野田努が参加。この本とほぼ同時期にリリースされた「人生」ベスト盤のレヴューも「こくそ虫(狂人鬼)」名義で担当している。野田の実弟は「人生」の元メンバー(当時の芸名は「くちづけ」)だった。この単行本を作るにあたっての伊豆で行った合宿は惨憺たる光景であったと語られている(全員泥酔し、あちこちにゲロがまみれ、なぜか全裸でプラモを作ったと言われている。
  34. ^ 卓球の「メリーノイズ」としての初ステージから当時の電気の活動までを貴重なスナップ写真と共に振り返る「KARATEKAそして鼻毛あばれ牛への道」は、上記の「俺のカラダの〜」と合せて読むことで、電気の歴史をより深く知ることができる。また三人の家族(卓球・砂原の母、瀧の姉)他、森若香織奥田民生スチャダラパーといった友人たちがメッセージを寄せている。
  35. ^ 『テクノ・ユニット』の項では「テクニックがないというコンプレックスは強く、なにかというと「センス」を強調したがります」と、自嘲的に表現している。また、『タキ』も職業のひとつとして取り上げられている。後にメンバー自ら「なんで出たのかわからない本」と振り返る。
  36. ^ これ以前に『R&R NEWS MAKER』誌で連載されていた「濡れてシビれて」(石野いわく「メロン牧場とほとんど同じ内容の連載」)の単行本化の告知が存在したのだが、こちらは現在に到るも刊行されていない
  37. ^ アルバム『VOXXX』の一曲目「地獄に堕ちろ電気グルーヴ」はこのゲームの音素材をサンプリングして作られた。

[編集] 外部リンク

他の言語