ザ・ストーン・ローゼズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| ザ・ストーン・ローゼズ | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | マンチェスター |
| ジャンル | インディー・ロック マッドチェスター Baggy |
| 活動期間 | 1984年 - 1996年 |
| レーベル | Silvertone ゲフィン・レコード |
| 共同作業者 | The Seahorses プライマル・スクリーム |
| メンバー | |
| イアン・ブラウン ジョン・スクワイア マニ レニ |
|
| 旧メンバー | |
| アンディ・カズンズ ピート・ガーナー ロビー・マディックス ナイジェル・イッピンソン アジズ・イブラヒム |
|
ザ・ストーン・ローゼズ(The Stone Roses、以下「ローゼズ」)はイギリスのグルーヴロックバンド。1984年、マンチェスターにて結成。1996年に解散。
マンチェスター・ムーヴメントの中心的存在であり、ブリットポップひいては後の音楽シーンに多大なる影響を与えたバンド。
目次 |
[編集] メンバー
- 決して激しくない、時に囁くようなイアンのヴォーカルは非常に特徴的であるが、ライヴではとにかく音程に波があり、当たり外れが大きい。しかしその優れた声質は、彼の超然としたたたずまいとともに他のロックバンドとローゼズを明らかに違ったものにした。 "Ian" の発音はネイティブに習えば「イーェン」。ニックネームは「マンチェスターのボス猿」(Manchester King Monkey)
- イアンとは幼少の頃、公園の砂場で出会って以来の幼馴染。メンバーらより「重症」と評されるほどのシャイな性格の持ち主で、これが外向的なイアンとの好対照を生む(しかし気心の知れた人々とはよく話す)。96年の春に「このままではいつまでたっても、カーテンの揺らめきに言いようのない不安を覚えるのと同じだ」と言い残し、突如脱退。ローゼズの創造面における要であった彼の脱退は、大事件であったといえる。
- 数少ないドラムセットから繰り出すテクニックは独自のグルーヴとシャッフル感を兼ね揃え、当代のロックシーンの中でも最高のドラマーだと称された。その卓越した技術は、キース・ムーンの脱退したザ・フーからその後釜としてオファーを受けたほどである。
- 95年、Second Comingツアーの前に脱退。
[編集] その他関係者
- ジョン・レッキー John Leckie
- 1stアルバムのプロデューサー。2ndアルバムでも一部の曲を担当。XTCの変名バンド「The Dukes Of Stratosphere」を聞いたメンバーからプロデュースを依頼される。ビートルズのレコーディング・エンジニアを経験し、ローゼズの成功により更に名を上げレディオヘッド等をプロデュース。稀代のコミュニケイターとしてメンバーらに慕われる。
- クレッサ Cressa
- ギターのイフェクター兼ダンサー。一度見たら忘れられない(タコの様な)奇妙な動きをステージ上にて行う。1stアルバムの頃、ライヴ要員として活躍。
- ロビー・マディックス Robbie J. Maddix
- 脱退したレニの後を引き継いだドラマー。同時にリミキサー/プロデューサーでもあり、シングル『Begging You』の「Chic Mix」は彼の仕事。ヴォーカル以外の全楽器がローゼズのメンバー本人らにより演奏し直され、クラブ志向の洗練された作風でいてなお強力にファンキーな中毒性のある仕上りで、ローゼズが存続していたらこのような音になっていただろう、と予見させるもの(マニの新しいベースラインも必聴もの)。ひらめき先行型でアイディア豊富な先代のレニに比べ、ロビーのドラムは柔鋼の同居した、粘り気のある安定したスタイル。
- アジズ・イブラヒム Aziz Ibrahim
- 脱退したジョンの後を引き継いだギタリスト。隠し味としてアジア風のメロディを奏でる。シンプリー・レッド、エイジア、PM Dawn、Talvin Singh、ポール・ウェラー、ノエル・ギャラガー、電気グルーヴ等との仕事が有名。イアン・ブラウンのソロキャリアにおけるレコーディングおよびツアーにて不可欠なメンバーとなる。アジア・ブルーズの第一人者。Longsight、マンチェスター出身、パキスタン系。注:「アジア」とはアラブ風のものをさす。
- ナイジェル・イッピンソン Nigel Ippinson
- セカンドカミング・ツアーおよび、1996年ローゼズ最後のステージとなったレディング・フェスティバルでキーボードを担当。「スパイダーマンのよう」とメンバーらに評される張り切ったプレイでバンドに喝を与えた。
[編集] 歴史
[編集] 初期
幼馴染のイアン・ブラウン(ヴォーカル担当)とジョン・スクワイア(ギター担当)によって結成される。その後、レニをドラマーに迎え、ベース担当のピート・ガーナーとリズムギター担当のアンディ・カズンズを加え、オリジナルラインナップが形成される。
バンド名はローリングストーンズのストーンとポール・ウェラーに傾倒していたイアンがザ・ジャムの「イングリッシュローズ」という曲のローズを取ってつけたとされるが諸説は色々ある。ロッキン'オン誌のインタヴューでは硬いもの=石、と柔らかいもの=薔薇の組み合わせであるとも語っている。
彼らは当初、セックス・ピストルズやザ・クラッシュ、ザ・ジャムから影響を受けていたことからも分かるように、展開が速く攻撃的な、パンク色の強い曲を中心とし活動していた。これらは、現在、ストーン・ローゼズの代表曲と称される楽曲の内容とは大きく異なるものである。
1985年、9月にThin Line Recordsから両A面シングル『So Young/Tell Me』をリリースしデビュー。不発に終わる(先に述べた「パンク色の強い曲」とはこの時期のもので、その後彼らはそれらの楽曲を自分達のものと認めていない)。
1987年5月、FM Revolverからセカンド・シングル『Sally Cinnamon』をリリース。セックス・ピストルズ調のノイズを轟々と響かせた曲とは違い、バーズ調の、メロディ重視の楽曲へと大きな進化を遂げる。ノエル・ギャラガーが「初めてこの曲のイントロを聴いたとき、俺の運命を感じた」と述べている通り、この曲から多大な影響を受けている。1996年4月28日にマンチェスターのMaine Roadで行われたオアシスのライヴで、「Acquiesce」演奏後にノエルは「Sally Cinnamon」のイントロを弾いている。
1988年10月、『Elephant Stone』をリリース。ニュー・オーダーのピーター・フックがミックスを担当している。 この頃までにピート・ガーナーとアンディ・カズンズが脱退(アンディは後に「The High」を結成。アルバム『Somewhere Soon』を発表)、その穴を埋めるべくしてベーシストのマニ(本名ゲアリー・マンフィールド)が加入。いわゆる「黄金期」のラインナップとなる。
[編集] ファーストアルバム期
1989年2月、シングル『Made of Stone』が発売され、NMEのシングル・オブ・ザ・ウィークに選ばれる。4月、ジョン・レッキーをプロデューサーに迎えた1stアルバム『The Stone Roses』を発売。当時のイギリスではザ・スミス以降、若者の共感を得られるような自国産の若いロックスターは不在であり、それらの背景と共振したストーン・ローゼズは瞬く間に英国全土へ名が広まっていった。アルバムの冒頭を飾った『I Wanna Be Adored』は「魂を売る必要はない。彼は僕の中にいるから。憧れられたい。崇拝されたい」といった趣旨の歌詞の繰り返しのみで歌われており、これらの衝撃的な文学性や共感性でもって、鳴り物入りのデビューを果たす。UKチャート初登場47位と、後の快進撃からすると低調な出足ではあったが、大々的なプレスの取り上げや口コミによって売上は向上。10月には初来日し、4会場でライヴを行う。
11月、シングル『Fools Gold』をリリース。バンドにとっては初のチャートトップ10入り (最高位8位) をする。 バンドにとって最も冒険的といえるこの曲は当初「What The World Is Waiting For」のカップリング曲だったが、現在では彼らを代表する曲と位置づけられている。この曲のドラム・パートはギタリストのジョン・スクワイアによってジェイムズ・ブラウンの名曲;「Funky Drummer」のドラム・ループ用にリミックスされたもの(「In the Jungle Groove」収録)を使用している。彼は「'90年代はオーディエンスが主役となる時代」と主張、ローゼズの曲の多くが踊りやすいのも聴き手・観客の参与をうながす効果を見込んでのこと。この年のイギリスの殆どの音楽雑誌は、彼らをベスト・ニューカマーに挙げた。
なお、彼らはいつでもいかなる場合も(解散時にいたるまで)他バンド/アーティストの前座はしない主義を突き通した。デヴィッド・ボウイやローリング・ストーンズの前座すらも断ったといわれる。イアンは当時のインタビューで「俺達は史上最高のバンドだから、ローリング・ストーンズとかU2とか、ああいう大したことのない奴らの前座なんて場違いなんだよな」とも語っていた。
1990年1月、シングル『Sally Cinnamon』の再リリースに際し、バンドに無許可でビデオクリップを製作したことに抗議し、FM Revolver社に乱入、ペンキをぶちまける。この結果、裁判で有罪判決を受ける。5月27日、スパイク・アイランドにてライヴを行う。約2万7千人の観客を動員したこのライヴは、現在では伝説のライヴとされている。6月に『One Love』をリリース、最高位4位。
1991年3月、裁判の末に所属レーベルをシルヴァートーンからゲフィンに移籍する。
[編集] セカンド期・解散
1994年12月、セカンドアルバムとしては異例の5年以上の歳月を経て、ジョン主導で製作された2ndアルバム『Second Coming』発売。UKチャート4位、USチャート47位。復帰にあたり、インタヴューをホームレス救済雑誌ビッグ・イシューのみで行う。レッド・ツェッペリンに影響を受けたと思われるこのアルバムはファースト・アルバムの内容とは大きく変化し、賛否両論を巻き起こす。
1995年2月、ジョンの病気のため、ツアーが延期になる。3月にレニが脱退する。黄金期のメンバーであり、バンドの特徴でもあるグルーヴの核となっていただけに、この出来事をバンドの終焉という者も少なくない。尚、彼の脱退に当たって正式な説明はない。レニが抜けた穴としてロビー・マディックスが加入。6月、ジョンがサンフランシスコにてマウンテンバイクで事故に会い骨折。日本ツアーを含む一部が延期になる。9月、チャリティアルバム“HELP”にシングル『Love Spreads』のロビー・マディックスのプロデュースによる新録音で参加する。
1996年4月、ジョンが脱退する。理由は、残ったメンバー特にイアンに対する不満や、当時ローゼズの音造りにおいてきわめて特徴的な役割を果たしていた天才肌の先代ドラマー・レニが抜け、プロデューサーでもある新任ドラマー・ロビーがサウンドプロダクションに大きく関わり、ローゼズそのものが更なる変貌を遂げつつあったことへ対する不安があったため、などと言われる。ジョンは抜けたものの、バンドは活動続行を決意、ジョンの代わりにエイジアやシンプリー・レッドのセッション・ギタリストであったアジズ・イブラヒムを加える(イアンとアジズとの付き合いはバンド解散後も続き、イアンがソロとなった後もゲストとして頻繁に参加している)。8月、イギリスで開催されたレディング・フェスティヴァルのトリを務めるものの、女性バックコーラス兼ダンサー陣営を加えたそのステージの過激な変化がプレスやファンに酷評される。これを受け、10月に解散を発表、バンドの歴史に終止符を打った。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] オリジナルアルバム
- ストーン・ローゼズ The Stone Roses / 1989年
- 『石と薔薇』という邦題があるが、現在ではほとんど使われていない。
- セカンド・カミング Second Coming / 1994年
[編集] コンピレーションアルバム
- ターンズ・イントゥ・ストーン Turns Into Stone /1992年
- 1992年までのシングルとカップリング集。
- コンプリート・ストーン・ローゼズ Complete Stone Roses /1995年
- 初回版のみ未発表のインストゥルメンタル2曲を収録したボーナスCDつきの2枚組。日本盤のみ3"CD。
- クリムゾン・トゥナイト Crimson Tonight /1996年
- アイルランド公演の音源を4曲収録したライヴ盤。
- ガレージ・フラワー Garage Flower /1996年
- 完成しなかった1stアルバム用の音源を集めたもの。パンク色の強い内容で、イアンをはじめとするメンバーはこの内容を毛嫌い、無かったことにしたいと願っている模様。
- ストーン・ローゼズ10周年記念盤 The Stone Roses 10th Anniversary Edition /1999年
- '89年発売の1stをオリジナルの曲順で構成。2枚目のディスクは画像や動画が見られるエンハンストCD。
- リミキスィーズ The Remixies /2000
- 著名なDJ、ミキサーがローゼズの曲をリミックス。
- ヴェリー・ベスト・オヴ・ストーン・ローゼズ The Very Best of The Stone Roses /2002年
- レーベルの枠を超えた、ヴェリー・ベスト・アルバム。メンバー自らが選曲したことで話題になる。
[編集] なぜ編集盤が多いのか
ストーン・ローゼズは独立系レーベル、Silvertone/Zombaから世界的なレーベル、ゲフィン・レコードに移籍した為にSilvertoneが所有する1stの音源に手が出せなくなってしまったこと。
また '89年リリースの 1stアルバムから '94年末の 2ndアルバム発売までの5年半という期間が長過ぎたことなどがあげられる。
[編集] シングル
- ソー・ヤング So Young /1985
- 後にカップリング曲共に「Garage Flower」に収録。但し「So Young」のイントロはカットされている。
- サリー・シナモン Sally Cinnamon /1987
- オリジナルは12"シングルのみ。'90年の再発時、メンバーの関与しない7"リミックス・バージョンが作られCD化。
- エレファント・ストーンElephant Stone /1988
- 12"はリミックス・バージョン。7"バージョンはUK/日本盤1stアルバム再発版、US盤1stアルバムのボーナストラックになっている。
- メイド・オブ・ストーンMade Of Stone /1989
- カップリングの内「Guernica」は後の編集盤には収録されていない。
- シー・バングス・ザ・ドラム She Bangs The Drum /1989
- イントロを僅かにカットしたシングル・バージョン。
- フールズ・ゴールド Fools Gold /1989
- 初版のみ「What The World Is Waiting For」がタイトルトラック。後に入れ替え。元々両A面シングル。12"はロング・バージョン (Fools Gold 9:53)。ブラック・ジャケットの限定CDは (Top Won Mix) (Bottom Wom Mix) を収録。 日本では 「What The World Is Waiting For」のタイトルで6曲入りミニ・アルバムとしてリリース。「Fools Gold」はUK/日本盤1stアルバム再発版(7"バージョン)、US盤1stアルバム(12"バージョン)のボーナストラックになっている。
- ワン・ラヴ One Love /1990
- カップリングの「Something Burning」共に7"、12"/CDでは別バージョン。「One Love」の7"バージョンは「The Complete Stone Roses」が発売されるまでUS盤/日本盤シングルCDでのみCD化。
- アイ・ウォナ・ビー・アドアード I Wanna Be Adored /1991
- Geffen移籍後、Silvertoneがシングルカット。その際、7"エディット・バージョンが作られた。未発表の「Where Angels Play」と「Sally Cinnamon」のマンチェスターの伝説的なクラブ"Hacienda"でのライヴがカップリングされている。日本盤、US盤はそれぞれUK盤とは別のカップリングだった。
- ウォーターフォール Waterfall /1991
- カップリングの「One Love」共にメンバーの関与しないリミックス・バージョン。両曲共に7"と12"バージョン。
- アイ・アム・ザ・レザレクション I Am The Ressurection /1992
- 7"、12"、CD合わせて4バージョンのリミックス版が収録されている。
- ラヴ・スプレッズ Love Spreads /1994
- Geffen移籍後、初の新曲。CDには1曲、12”には2曲のインストゥルメンタルトラックが収録されている。プロモCDのみエディット・バージョンを収録。フジテレビ系で深夜に放送されていた洋楽番組『BEAT UK』ではUKシングルチャートでNo.1を獲得している。
- フールズ・ゴールド Fools Gold '95(remix) /1995
- メンバーの関与しないリミックス・バージョン2つと、7"、12"のオリジナルバージョンを収録。
- テン・ストーリー・ラヴ・ソング Ten Storey Love Song /1995
- エンディングの長いシングル・バージョン。2曲のアルバム未収録トラックを収録。
- ベギング・ユー Begging You /1996
- 12"、CD合わせて5つのリミックスバージョンを収録。オーストラリア盤CDのみエディット・バージョンを収録。
- フールズ・ゴールド Fools Gold(remix) /1999
「フールズ・ゴールド」と「アイ・ウォナ・ビー・アドアード」は彼らの代表曲となっている。 「Sally Cinnamon」を除く「Waterfall」までの全シングルCDは'91年に『Compact Singles Collection』としてボックスセット販売された(「So Young」は初CD化、別カヴァーで収録)。 '96年には Silvertoneからの全シングルCDが再発された。2005年にはDVD付きシングルCD『Sally Cinnamon』が発売された。
[編集] 映像
- Blackpool Live /1991
- '89年のライヴを収録したもの。
- The Complete Stone Roses /1995
- ヒストリー・ビデオ。ビデオクリップ、テレビ出演、ライヴ映像等が収録されている。後の「THE DVD」未収録の素材も収録されている。限定初版は「Blackpool Live」をカップリング。但し、日本版はパッケージに記されているのみで収録されておらず、再版分からはクレジットが削除された。
- The Stone Roses The DVD /2004
- Blackpool Liveとビデオ・クリップ集、テレビ出演とインタヴュー等のDVD2枚組。
ジャケットのジャクソン・ポロック風の絵画は、ジョンにより描かれている。
[編集] 解散後のそれぞれ
- '98年にソロアルバム『Unfinished Monkey Business』でデビュー。周囲から敬意?を込め「キングモンキー」と呼ばれ、これまでに5枚のオリジナル・アルバムと1枚のベスト・アルバムをリリース。第一線で活躍している。クラブ/ロック界など英音楽界において“スピリチュアルな存在”として一目置かれている。“F.E.A.R.”やU.N.K.L.E (James Lavelle) との共作『Be There』など、シーンにインパクトを与える曲を精力的に作り 発表し続けている。
- ジョン・スクワイア
- ザ・シーホーセズ(The Seahorses.“He hates Roses”のアナグラムとも言われている)を結成。'97年に発売のデビューアルバムは一定の成功を収めるもバンドは解散。その後いくつかのプロジェクトもうまくいかず、2002年自らがヴォーカルをとりソロデビュー。2002年に『Time Changes Everything』を、2004年にアルバム『Marshall's House』をリリース。
- マニ
- 元々親交があったプライマル・スクリームにベーシストとして彼らのアルバム、『Vanishing Point』 製作中に加入。ダブやサンプリングの手法を大胆に採り入れた1stシングル、『Kowalski』では「彼はプライマル・スクリームを変えた」とまで言わしめたほど、持ち前のメロディアスでうねる様なベースラインを披露してベーシストとして圧倒的な存在感でバンドを牽引する。その後もバンドは絶えずジャンルを縦横無尽にまたがるヒットを出し続け現在に至る。DJとして時折り来日も。また、オーシャン・カラー・シーンのライヴにサポート・メンバーとして参加したこともある。フットワークが軽い。
- レニ
- 脱退後は「The Rub」というバンドをローゼズの元メンバーのピート・ガーナーらと結成。ギターやヴォーカルを務めていたが、現時点では表立った活動はない。その天才的なドラミングにより、常に復活を熱望されるところである。
[編集] 外部リンク
- BMG JAPAN(日本語)

