アルチュール・ランボー

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17歳のアルチュール・ランボー
文学
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前列左よりヴェルレーヌ、ランボー、L・ヴァラード、E・デルヴィリィ、C・ペルタン、後列左よりP・エルゼアル・ボニエ、E・ブレモン、J・エカール。アンリ・ファンタン=ラトゥール
詩「坐せる人々」の自筆原稿

ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボーJean Nicolas Arthur Rimbaud, 1854年10月20日 - 1891年11月10日)は19世紀フランス詩人ランボオとも。主な作品に散文詩集『地獄の季節』、『イリュミナシオン』など。

早熟の天才。詩人ヴェルレーヌに出会い、『地獄の季節』、『イリュミナシオン』でその才能を見せた。マラルメボードレールから始まる象徴詩の系譜に属しながらも、そこに止まらない、という意味で「おそるべき通行人」と彼を評している。若いうち(20歳代前半)に詩作を放棄したが、ダダイストシュルレアリストら、20世紀の詩人たちに影響を与えた。ピカソによるランボー像が有名。ゴダールの「気違いピエロ」(1965)のエンディングは『地獄の季節』に収められた韻文詩「永遠」の朗読で終わっている。また、ジル・ドゥルーズは1980年代後半になって「カント哲学を要約しうる4つの詩的表現」(『批評と臨床』収録)において、ランボーの1871年のいわゆる「見者の手紙」の中の「私は他者である」「詩人は長期間の、破壊的で計算された錯乱によって見者(ヴォワイヤン)になる」という言葉などをとりあげ、カントの可能性の中心を担う「調和し得ない緒力の束」を体現するものとして、ランボーを挙げている。

目次

[編集] 生涯

  • 1854年、フランス北東部アルデンヌ県シャルルヴィル(現在のシャルルヴィル=メジエール市)に生まれる。父は陸軍の軍人、母は小さな農地主の長女。ランボーは2人目の子で、2男であった。
  • 1870年、家出。普仏戦争下のパリへ辿り着くが、無賃乗車のために逮捕され、家に送り返される。以後、家出を繰り返す。
  • 1871年、パリへやって来る。ヴェルレーヌに出会う。以後、共にブリュッセルロンドンなどを放浪する。ヴェルレーヌは妻子を捨てての放浪だった。
  • 1873年、ヴェルレーヌとの別れ。ヴェルレーヌはランボーに拳銃を2発発砲、うち1発がランボーの左手首に当り、ランボーは入院、ヴェルレーヌは逮捕される。この別れの後に『地獄の季節』を記す。
  • 1875年、この年に書いた詩が彼の最後の作品とされる。以後、兵士、翻訳家、商人など様々な職業を転々とし、ヨーロッパから紅海方面を放浪、南アラビアのアデンでフランス商人に雇われ、アビシニア(現在のエチオピア)のハラールに駐在する。
  • 1886年、自立して武器商人となったランボーはエチオピアの王侯メネリク(後のエチオピア皇帝メネリク2世)に武器を売り込みに行くが、足元を見られてかえって損を蒙った。しかし、この経験からエチオピア通となったランボーはその後ハラールで商人として比較的成功する。
  • 1891年骨肉腫が悪化してマルセイユへ帰り、右足を切断したが、癌は全身に転移しており死去。臨終は妹のイザベルが看取った。

[編集] 日本での研究

  • 早稲田大学仏文科教授(戦前)かつ著名な歌謡曲作詞家で、現在は金子みすずを見出したことでも知られている、詩人の西條八十が『アルチュール・ランボー研究』(1967 中央公論社)を著している。現在、研究伝記の日本語文献は訳書も入れると、何十冊とある。
  • 日本の詩人たちにも早くから影響を与えている。例えば、初期の中原中也は初期のランボーに影響を受けている。中也はランボーの初期作品のいくつかを翻訳もしている。友人の小林秀雄の訳書も著名である(岩波文庫ほか)。また金子光晴も翻訳をおこなっている(『イリュミナシオン ランボオ詩集』角川文庫 1999年)。吉本隆明も1949年、25歳のとき『ランボー若しくはカール・マルクスの方法についての諸注』という短い論考を著している。中上健次浅田彰も エッセイなどでしばしば唐突に、核心的な部分でランボーの文を引用している。
  • 現行の全集は青土社より刊行されている。宇佐美斉訳注「全詩集」ちくま文庫もある。

[編集] 作品

[編集] その他

  • ランボーの作品に「母音のうた」というものがある。これはフランス語の基本母音である「A(アー)、E(エー)、I(イー)、O(オー)、U(ウー)」を主題として、これらの母音のから連想されるについてうたっている。
  • ランボーの愛読者でもあったアメリカの政治学者兼SF作家コードウェイナー・スミスは、ランボーの作品の影響を受けたSF作品を書いた。「インストルメンタリティ」シリーズの一つの短編として、『酔いどれ船』(Le bateau Ivre (Drunkboat) )がスミスには存在する。
  • エチオピア(アビシニア)におけるランボーの後半生を扱った小説に、アラン・ボレルの「アビシニアのランボー」があり、そのままの邦題で、また「地獄の季節」という邦題で翻訳がある。
  • 映画「ランボー」は、原作者デイヴィッド・マレルがランボーに触発され、彼を主人公(ジョン・ランボー)に擬して書いた小説「一人だけの軍隊」の映画化であり、綴りが英語風に変えられているが、正しくランボーへのオマージュである。「一人だけの軍隊」の冒頭にはランボーの詩句が引用されている(早川書房版)。

[編集] アルチュール・ランボーの作品が題名及び文言として登場する楽曲

[編集] 関連項目

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