アデン
| アデン عدن Aden |
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|---|---|
アデンの港(1910年頃) |
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| 位置 | |
イエメン内のアデン県の位置 |
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| 座標 : 北緯12度48分 東経45度2分 / 北緯12.800度 東経45.033度 | |
| 行政 | |
| 国 | |
| 県 | アデン県 |
| 市 | アデン |
| 人口 | |
| 人口 | (2005年現在) |
| 市域 | 550,744人 |
| その他 | |
| 等時帯 | UTC+3 (UTC+3) |
| 夏時間 | なし |
| 公式ウェブサイト : http://www.adengov.net/ | |
アデン(Aden, عدن)はアラビア半島南端、アデン湾に面するイエメン共和国の港湾都市。現在の人口は約59万人で同国第二の都市である。1990年の南北イエメン統合まではイエメン人民民主共和国(南イエメン)の首都であった。
目次 |
歴史 [編集]
詳細は「イエメンの歴史」を参照
古くから欧州とインドを結ぶ通商の要衝として注目され、en:Minaeans、en:Himyarite Kingdom(前110年–520年頃)、アクスム王国、サーサーン朝が知られている。
アッバース朝(750年 - 1258年)の時代にイスラムが伝来している。en:Rasulid朝(1229年-1454年)末期の15世紀には明の鄭和が寄航している(「阿丹」と記されている)。16世紀にポルトガルとオスマン帝国がここを支配していた。 その後はエジプトの支配をへて、イギリスが1839年から海軍基地を置きインド支配のための船舶を海賊から守った。(なお、日本の岩倉使節団が1873年(明治6年)に帰路の際、アデンに寄港し、当時のアデンの様子を「米欧回覧実記」に記した[1]。)
1937年にイギリスは「アデン植民地」としてインドから切り離し、急速に港湾として機能が充実し、人口が増加した。1956年にスエズ運河が閉鎖されたため製油所がつくられるなどアデンの重要性は更に増した。
1967年にイギリスからイエメン人民民主共和国(南イエメン)が独立し、政府が社会主義の親ソ政策を取ったことから、アデン港は、ソ連海軍の基地ということで重要視されるようになった。ソ連海軍の艦船の寄港はソ連の弱体化とともに縮小し、代わって1990年代以降はアメリカ海軍の艦船の寄港も見られるようになった。
1992年12月、アルカーイダが米国政府要員の宿泊ホテルに爆弾をしかけ2名が巻き添えで死亡。2000年にはアデン港沖で、アルカーイダによる犯行とされる米艦コール襲撃事件があった。
地理 [編集]
市部はアデン半島と対岸のリトル・アデンまでの三日月形の地域である。中心はアデン半島で標高551mの火成岩の岩山(シャムシャーン山)を取り巻くようにして街並みが広がっている。住民は90%がアラブ人であるが、インド人、パキスタン人、ソマリア人等もいる。アデン市一帯は不毛の火山岩地帯で、黒い切り立ったけわしい岩山が街並みの背後にそびえている。その岩山の稜線に沿って古い時代の城壁やトルコ軍の砦の遺構が見える。インド洋から湿った熱風が吹きつけ、年間を通じて気温は高く、1月の平均25.5℃、7月は32.2℃、年間降雨量は約40mm。
脚注 [編集]
- ^ 久米邦武 編『米欧回覧実記・5』田中 彰 校注、岩波書店(岩波文庫)1996年、271~276頁