ミック・ジャガー

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ミック・ジャガー
Mick Jagger
イタリアにて(2003年)
基本情報
出生名 Michael Philip Jagger
出生 1943年7月26日(70歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド
ケント州ダートフォード
ジャンル ロックンロール
職業 歌手
シンガーソングライター
音楽プロデューサー
俳優
担当楽器 ボーカル
ハーモニカ
ギター
ベース
キーボード
パーカッション
活動期間 1962年 - 現在
共同作業者 ローリング・ストーンズ
公式サイト MickJagger.com

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マイケル・フィリップ・ジャガー(Sir Michael Philip Jagger、1943年7月26日 - )は、イギリスミュージシャン俳優。「ミック(Mick)」の愛称で知られる。イギリスのロックバンドローリング・ストーンズのボーカルとして世界的に有名。身長173cm。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第16位。

イギリスの音楽雑誌「Q誌の選ぶ歴代の偉大な100人のシンガー」において第9位[1]

バイオグラフィー[編集]

ジョー及びエヴァ・ジャガーの息子としてケント州ダートフォードで生まれる。10代でロックに目覚め、「リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズ」というバンドで活動した。18歳の頃に、後のローリング・ストーンズのギタリストとなるキース・リチャーズと出会う。彼らは幼少時からの知り合いだったが、この再会でお互いがロックンロールR&Bに興味があることを知り、一緒に活動を始めた。

既に中退していたリチャーズと違い、奨学金を貰ってロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに通っていたジャガーは、プロ・ミュージシャンになるか国税局に就職するか随分迷いがあったという。

ジャガーとリチャーズは、1962年の4月にブライアン・ジョーンズと出会う。彼らは6月頃に初めてローリング・ストーンズと名乗るようになった。ローリング・ストーンズのデビュー・シングル「Come On」は、1963年6月7日にリリースされた。

ジャガーは1968年5月に映画に出演することを発表、映画『青春の罠』(Performance)は同年7月にクランク・インし、1970年に公開された。同作のサウンドトラックに提供された楽曲「メモ・フロム・ターナー」は、ジャガー初のソロ・シングルとしてもリリースされた。1969年の5月には映画『太陽の果てに青春を』(Ned Kelly)への出演を発表。7月にオーストラリアメルボルンでロケを行った。同作で彼は西部の殺し屋役を演じたが、映画の出来に関しては酷評している。また、ロケのため、同月のブライアンの死去に際して葬儀に行くことが出来なかった。彼はこのほかにも数々の映画に出演しているが、1997年の 『ベント/堕ちた饗宴』(Bent)では女装の歌手を演じた。

1971年5月12日、ジャガーはニカラグア人のガールフレンド、ビアンカ・ペレス・モラ・マシアスと結婚した。ビアンカは10月21日に娘のジェイドを出産した。1973年6月に歌手のマーシャ・ハントが1970年に生まれた彼女の娘カリスの父親がジャガーであることをロンドンのマリルボーン下級裁判所に申し立てた。カリスはジャガーの娘であることが1979年に判明し、同年1月、ジャガーに対し、毎週1,500ドルを養育費としてマーシャ・ハントに支払うようロサンゼルスの裁判所が命令を下した。

ジャガーとビアンカは1979年11月に離婚、ジャガーは1977年頃からアメリカ人モデルのジェリー・ホールと交際を始め、1984年3月2日に娘のエリザベス・スカーレット・ジャガーが誕生、1985年8月28日には息子のジェームズ・リロイ・オーガスティンが誕生した。

1984年、ジャガーとマイケル・ジャクソンがリード・ボーカルを担当したジャクソンズの楽曲「ステイト・オブ・ショック」がリリースされた。1985年、ビル・ラズウェルナイル・ロジャースのプロデュースにより制作された初のソロ・アルバム『シーズ・ザ・ボス』発表。同年、デヴィッド・ボウイとのデュエットによるチャリティ・シングル「ダンシング・イン・ザ・ストリート」発表。

ジャガーは2003年12月12日に、「ポピュラー音楽に対する貢献」で ナイトに叙勲された。しかし、ミックの受章に対しキース・リチャーズはこのようなコメントをしている。

「俺は勲章の授与なんて馬鹿げたことだと思ったよ。そんなことはストーンズらしくないぜ。だろ?俺はくそ忌々しい冠を付けてきざなアーミンの白い毛皮を羽織った誰かさんとステージに上がるなんてゴメンだね。俺はミックに言ってやったよ。『そいつは糞食らえの無価値な名誉だ』ってね」[1]

2010年現在、アメリカ合衆国の反捕鯨団体シーシェパードの後援者として名を連ねている[2]

2011年にはキャリア50年目にして初の別バンド「スーパーヘヴィ」を結成。ジャガーの他にはデイヴ・ステュアート(元ユーリズミックス)、ジョス・ストーンダミアン・マーリーボブ・マーリーの息子)、A.R.ラフマーンという5人組。9月21日にアルバム『スーパーヘヴィ』をリリース。

なお同年、マルーン5ムーブス・ライク・ジャガー(Moves like Jagger)という楽曲をリリース、ビルボード1位を獲得している。

日本公演[編集]

1972年に、ストーンズ初の日本公演が翌年1月に日本武道館で行われることが発表され、チケット販売も行われたが、ジャガーが1969年の大麻不法所持による有罪判決が原因で入国拒否され、中止となった。日本のファンはストーンズの来日公演を17年後の1990年まで、日本武道館での公演は30年後の2003年まで待たなければならなかった。

ジャガー自身はストーンズとして来日する前に、ソロ・アルバム『プリミティヴ・クール』(Primitive Cool)を引っ提げ、1988年3月に単独で来日し、東京大阪名古屋でコンサートを行った。『プリミティヴ・クール』にも参加したジェフ・ベックが帯同するという噂も流れたが、ジェフがこの話を断ったため、ジョー・サトリアーニがリード・ギターを担当。日本人パーカショニストのツトム・ヤマシタが全公演、また東京公演の2日目ではティナ・ターナーがゲスト出演した。なお、このコンサートはフジテレビが主催していたが、テレビ朝日の『ベストヒットUSA』にゲスト出演してしまったため、ジャガー側の「取材は1メディア1社」の方針でフジテレビの番組には、27日に放送された『Mick Jagger in Tokyo Dome』の冒頭でVTR出演するにとどまった。


SUNTORY D・R・Y Beer Live "Mick Jagger in Japan."」(※全公演SS席6500円、S席5000円)

3月15日・16日・18日・28日 大阪城ホール(28日は、19日に予定だった公演の本人の急病(風邪)による延期公演)
3月22日・23日 東京ドーム
3月25日・26日 名古屋市国際展示場(追加公演)


メンバー
ミック・ジャガー - ボーカルハーモニカギター
ジョー・サトリアーニ- ギター
ジミー・リップ - ギター
ダグ・ウィンビッシュ - ベース
サイモン・フィリップス - ドラムス
フィル・アシュリー - キーボード
リチャード・コットル - キーボード、サックス
シビル・スコビー - バッキング・ボーカル
バーナード・ファウラー - バッキング・ボーカル
リンダ・モーラン - バッキング・ボーカル
リサ・フィッシャー - バッキング・ボーカル
ツトム・ヤマシタ - ゲスト・パーカッション
ティナ・ターナー - ゲスト・ボーカル(東京公演2日目のみ)

金銭[編集]

2007年4月、米経済誌フォーブス誌が「過去25年間でもっとも高くついたセレブリティの離婚」のランキングを発表し、ミック・ジャガーとジェリー・ホールの離婚にともなう財産分与金が1500~2500万ドルで10位にランクインした[3]

2009年4月、英サンデー・タイムズ紙が「英音楽界での長者番付」を発表し、推定資産が1億9000万ポンドだったことがわかった。ミック・ジャガーは経済危機の影響で16%の資産を失った[4]

2009年11月、カートゥーン・ネットワークが「未来のイギリスのトップセレブ」のランキングを発表し、ミック・ジャガーの娘のリジー・ジャガーの20年後の推定総資産額が3億1000万ポンド(日本円で約462億円)で5位にランクインした。このランキングはセレブの子どもたちの20年後の総資産額を推定して作られたものでスター性、推定相続額、才能、カメラ好き度、ショービジネス性などのいくつかのカテゴリーの総合で順位が決まる[5]

2011年5月、英サンデー・タイムズ紙が「英音楽界での長者番付」を発表し、推定資産が1億9000万ポンドで8位にランクインした[6]

ソロワークス[編集]

アルバム[編集]

映画[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
  2. ^ “ハリウッド大物らが支援、資金提供=調査捕鯨妨害のシー・シェパード”. フランス通信社 (時事通信社). (2010年1月7日). http://www.jiji.com/jc/a?g=afp_cul&k=20100107024278a 2010年1月7日閲覧。 
  3. ^ http://eiga.com/news/20070417/4/
  4. ^ http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-37687720090424
  5. ^ http://www.cinematoday.jp/page/N0020926
  6. ^ http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-20940020110505

外部リンク[編集]