ライオネル・ハンプトン

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ライオネル・ハンプトン
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基本情報
出生名 ライオネル・レオ・ハンプトン
別名 ハンプ
マッド・ライオネル
出生 1908年4月20日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アラバマ州 バーミングハム
もしくは
ケンタッキー州ルイスビル
死没 2002年8月31日(満94歳没)
ジャンル スウィング・ジャズ
ビッグ・バンド
メインストリーム・ジャズ
ニューヨーク・ブルーズ
職業 マルチプレイヤー
歌手
俳優
コンポーザー
担当楽器 ヴィブラフォン
ドラム
ピアノ
ヴォーカル
共同作業者 ベニー・グッドマン
テディ・ウィルソン
クインシー・ジョーンズ
ルイ・アームストロング

ライオネル・ハンプトンLionel Hampton、Lionel Leo Hampton、1908年4月20日 - 2002年8月31日)は、アメリカジャズ・ミュージシャン。ジャズ・ヴィブラフォンの第一人者として知られる。

略歴[編集]

アラバマ州バーミングハム[1][2][3]またはケンタッキー州ルイビル生まれ[4][5][6]ドラマーとしてミュージシャンとしてのキャリアを始めた。ヴィブラフォンとの出会いは1930年ルイ・アームストロングのレコーディングに参加したとき。スタジオに置いてあったヴィブラフォンを弾いてみるようにアームストロングから言われたのがきっかけという。この時に収録された、Memory Of Youには、イントロ部分にハンプトンのヴァイブラフォンが聞ける。アームストロングは、1957年自らのアルバム『音楽自叙伝』の中でこの曲を取り上げて、、ハンプトンについて言及している。

1936年、ハンプトンはヴィブラフォン奏者としてベニー・グッドマンのバンドに参加する。これはジャズ楽器としてのヴィブラフォンの存在を広く知らしめただけでなく、人種の壁が厚かった時代に白人の人気バンドに黒人のミュージシャンが参加したという点でも画期的な出来事であった。

ハンプトンはグッドマンの楽団から独立した後、自らのバンドを率いて大変な人気を得た。ビッグバンドを率いる前はコンボを率いて活躍していたのだが、このコンボのメンバー構成が彼ののちのバンドの原型となった。当時、彼のバンドは彼のグッドマン楽団での同窓生と言えるテディ・ウィルソンバンドも大変な人気を得ていたため、ハンプトンはウィルソンのバンドよりもより豪快なプレイスタイルを持つミュージシャンを集めて対抗した。具体的に言うと、ウィルソン側はレスター・ヤングビリー・ホリディといった繊細なプレイスタイルを持つ人から構成されていたが、ハンプトンのバンドはカウント・ベイシーでレスターと同期であったハーシャル・エヴァンスらが中心であった。

彼の作ったビッグバンドは、大変黒人色の強いバンドであり、そのバンド自体があたかもハンプトン自身を体現しているかのようであった。1942年彼は、彼のテーマソングとなる曲を発表した。ホンキングテナーの祖であるイリノイ・ジャケーをフィーチャーしたフライング・ホームを発表したのだ。この曲のヒットで彼は不朽の名声を得た。彼はその後もハンプス・ブギウギといった曲を発表して、晩年まで幅広く人気を得た。

1947年、彼はジーン・ノーマン主催のジャスト・ジャズ・コンサートに出演し、彼の最高傑作といえる、スターダストを録音した。彼の演奏はアルバムではこの曲でしか聞くことができないが、それでも人々を感動させるほどの普遍的な価値があり、ジャズを知っているものは誰しもが知っているような名演奏となった。

バップの発展とともない、彼はスィング時代のスターから、中間派ジャズの担い手として認知されるようになっていった。彼は1950年代ノーマン・グランツクレフヴァーブレコードで吹きこみを行った。彼はこのレーベルに所属するほとんどのアーティストと共演して、1954年のハートフォードで行われたJATPのコンサートのトリを務めたりした。この時の演奏では、他のメンバーがオスカー・ピーターソン・トリオとバディ・デフランコバディ・リッチという錚々たるメンバーで、彼は最後のフライング・ホームでリッチとドラムバトルをして客を異常なほどまでに沸かせた。また、同時期に録音されたアルバム『Lionel Hampton Quintet』でもフライング・ホームは演奏されている。これは同曲の中でも最も長い17分のものであり、最もエキサイティングなものである。彼はソロパート中では雄叫びをあげながらヴァイブを叩き、演奏はものすごい様相を呈する。まさに彼の真骨頂を見るかのような演奏である。

彼は、演奏中に唸り声や雄叫びが自然と漏れてしまうような、非常に熱い演奏をしていたため、このようなこともライブ中に起こった。ドラムを足で蹴る、興に乗ってピアノの上に飛び乗る、また若い頃は、演奏中に奇声を発したり、川や海にステージが面しているとそこに飛び込んだりもしたというほどである。

彼は、サービス精神が旺盛で実に多くのことをした。1981年、ハンプトンは東芝によって行われたオーレックスジャズフェスティバルに出演した。この時に彼はSAKURA 81という曲を演奏した。この曲は日本の伝統的な桜という曲をサキソフォン奏者のマルタが編曲したものである。彼は良い意味で原曲の持つ日本的なしたたかさを完全に打ち砕き、ある独立した曲にしてしまった。彼はまたこの曲を元々の日本語の歌詞で歌った。全体が9分近くもあるのにもかかわらず、最後のヴォーカルは2分となく、しかもかなり歌詞もいい加減に歌われていたが、ハンプトンは桜という曲を外国の音楽から捉えた最初の人となった。その意味では彼の桜は日本の視点では絶対に行き着かない形の桜であった。つまり、彼の桜は伝統的な桜のイメージを塗り替えてしまったのである。

1990年代に入っても彼に音楽活動はとどまるところを知らず、1993年にはLionel Hampton And His Golden Men Of Jazz というコンサートが行われた。彼は往年のスターたちとともに2時間ほど演奏を続け、スタンディングオベーションはなんと20分にも及んだ。

その後もハンプトンは自身のリーダーバンドを率いて精力的に活動し、ジャズ・ヴィブラフォンの第一人者としての地位を確立。バンドからは多数の有名ジャズ・ミュージシャンを輩出した。またボーカリストとしても明るいエンターテイナーぶりを発揮して人気を博した。1995年に心臓発作で倒れライブ活動を引退。2002年8月、94歳で逝去。

受賞歴[編集]

  • 2001 - Harlem Jazz and Music Festival's Legend Award
  • 1996 - National Medal of Arts presented by President William Jefferson Clinton
  • 1995 - Honorary Commissioner of Civil Rights by George Pataki
  • 1995 - Honorary Doctorate from the New England Conservatory of Music
  • 1993 - Honorary Doctorate from the University of Maryland Eastern Shore
  • 1992 - "Contributions To The Cultural Life of the Nation" award from the John F. Kennedy Center for the Performing Arts
  • 1988 - The National Endowment for the Arts Jazz Masters Fellowship
  • 1988 - The National Association of Jazz Educators Hall of Fame Award
  • 1987 - Honorary Doctorate of Music from Liege University
  • 1987 - Honorary Doctorate of Humanities from the University of Idaho
  • 1987 - The Roy Wilkins Memorial Award from the NAACP
  • 1986 - The One of a Kind Award from Broadcast Music, Inc.
  • 1984 - Jazz Hall of Fame Award from the Institute of Jazz Studies
  • 1984 - Honorary Doctorate of Music from the University of Southern California
  • 1983 - The International Film and Television Festival of New York City Award
  • 1983 - Honorary Doctorate of Humane Letters from the State University of New York
  • 1982 - Hollywood Walk of Fame Star
  • 1981 - Honorary Doctorate of Humanities from Glassboro State College
  • 1979 - Honorary Doctorate of Music from Howard University
  • 1978 - Bronze Medallion from New York City
  • 1976 - Honorary Doctorate of Humanities from Daniel Hale Williams University
  • 1975 - Honorary Doctorate of Music from Xavier University of Louisiana
  • 1974 - Honorary Doctorate of Fine Arts from Pepperdine University
  • 1968 - Papal Medal from Pope John Paul I
  • 1966 - George Frederick Handel Medal
  • 1957 - American Goodwill Ambassador by President Dwight D. Eisenhower
  • 1954 - Israel's Statehood Award

ディスコグラフィ[編集]

Year Album Notes Label
37–39 "Hot Mallets, Vol. 1" - Bluebird Records
37–39 "The Jumpin Five, Vol. 2" - Bluebird Records
38 "Carnegie Hall Jazz Concert" appearance as sideman for Benny Goodman Columbia Records
39–40 "Tempo and Swing" - Bluebird Records
39–56 "Greatest Hits" Selections from above records RCA Victor
42–63 "Hamp!" - GRP/Decca
37–63 "The Lionel Hampton Story" Selections from all records and eras above Proper

フィルモグラフィ[編集]

ライオネル・ハンプトン
Year Movie Role Director Genre
1933 Girl Without A Room himself Ralph Murphy Comedy
1936 Pennies From Heaven himself Norman Z. McLeod Comedy/Musical
1937 Hollywood Hotel himself Busby Berkeley Musical/Romance
1938 For Auld Lang Syne himself ? Documentary
1948 A Song Is Born himself Howard Hanks Comedy/Musical
1949 Lionel Hampton and His Orchestra himself Will Cowan Music
1955 Musik, Musik and nur Musik himself Ernst Matray Comedy
1955 The Benny Goodman Story himself Valentine Davies Drama
1957 Mister Rock and Roll himself Charles S. Dubin Drama/Musical
1980 But Then She's Betty Carter himself Michelle Parkerson Documentary

出典・脚注[編集]

  1. ^ Moritz, Charles (1972). Current Biography Yearbook: 1972. H.W. Wilson Company. p. p. 178. ISBN 082420493X. 
  2. ^ Voce, Steve (2002年9月2日). “Obituary: Lionel Hampton”. The Independent. 2007年6月3日閲覧。
  3. ^ Tippett, Jackson (2002). The Bark of the Dogwood: A Tour of Southern Homes and Gardens. The Enolam Group, Inc.. p. p. 232. ISBN 0971553602. 
  4. ^ Giddins, Gary (2002年9月23日). “Lionel Hampton, 1908–2002; After 75 Years Onstage, a Well-Earned Rest”. The Village Voice. http://www.villagevoice.com/music/0239,giddins,38597,22.html 2007年6月10日閲覧。 
  5. ^ Percussive Arts Society Hall of Fame
  6. ^ United States Marine Band Hall of Composers

外部リンク[編集]