ジュビリー2000

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ジュビリー2000(ジュビリーにせん、Jubilee 2000)は、いわゆる第三世界に属する最貧国債務2000年を区切りに帳消しを求める、40カ国以上に及ぶ国際的に連帯して行われた運動。運動の名称、趣旨と期限は、カトリック教会キリストの生誕年を基点とするキリスト紀元すなわち西暦紀元で1000年の区切りで祝典を行うグレート・ジュビリー(Great Jubilee[1] の2000年を控えていたことに由来する。2001年前半から、ジュービリー2000は世界中の多数の組織に分かれた。

運動の趣旨[編集]

概念は、カトリック教会において25年周期で行われる祝典「ジュビリー」(Jubilee)の考えに由来する。旧約聖書レビ記第25章に記されたヨベルの年ヘブライ語のヨベルがラテン語化したのがジュビリー)では、負債のために奴隷にされた人々は解放され、奪われた土地は返され、不平等によって分裂した共同体が回復したとされている。運動は2000年をヨベルの年として、世界の最貧国の債務の内900億ドルを帳消しにし、およそ370億ドルに圧縮することを求めた。

運動の状況[編集]

活動は主にキリスト教会のチャンネルを通して広められ、債務に起因する困難の状況が広く訴えられた。組織的活動はイギリスに置かれた事務局を通して立ち上げられ、ジュビリー2000の精神に基づき世界各地で運動に参加するものに運動の統一ロゴマークの使用を認めた。運動の支持者にはロックバンドU2ボノモハメド・アリボブ・ゲルドフユッスー・ンドゥールトム・ヨークらの著名人が加わった。

1998年にイギリスでG8サミットが開かれた時、開催地となったバーミンガムで70,000人の人々が平和的なデモを行って訴え、以降のケルン沖縄ジェノバで開催されたG8サミットで、この債務問題が話し合われ、G8サミット参加各国はある程度の債務取り消しを行って運動の働きに応えた。また、イギリス政府は2004年にG8サミット合意以上の債務帳消しを行い、各国に対してさらなる債務帳消しを呼びかけた[2]。後にブレアの後を襲ってイギリスの首相となった当時のブラウン財務相は、国際通貨基金(IMF)保有の金塊を重債務貧困国の債務帳消しに充てるという提案も行った[3]


ポスト2000[編集]

2001年前半から、ジュービリー2000は世界中の多数の組織に分かれ、各組織はゆるやかな世界的な連合を形成して連絡を取り合いながら、引き続き債務帳消し運動を続けている。

主だったものとして次のものが挙げられる。

第三世界:Jubilee South(アフリカ、アジアとラテンアメリカの多くのジュビリー2000参加団体を含む)
イギリス:Jubilee Debt Campaign(ジュビリー2000運動の起点となったイギリスの国別組織の後身)、Jubilee Scotland(スコットランドの国別組織の後身)、Jubilee Research(NEFが主体となって第三世界の債務状況の情報収集と分析を行う)、Drop The Debt(Jubilee 2000 UKの事務局員が参加して作られ、2001年に開催されたG8ジェノバ・サミットまでの間、ロビー活動、著名人への働きかけ、大衆運動を行った)
アメリカ:Jubilee USA(アメリカの国別組織の後身)
ドイツ:Erlassjahr.de(ドイツの国別組織の後身)

2005年に行われた、日本ではホワイトバンド・プロジェクトとして知られるMake Poverty Historyキャンペーン(「貧困を過去の歴史としよう」運動)も、最貧国の債務を問題としたものであった。

脚注[編集]

  1. ^ ローマ教皇庁バチカン)- "The Holy See - Jubilee 2000"
  2. ^ 日本経済新聞 2004年9月27日-「英、重債務貧困国の債務返済を免除
  3. ^ AllAfrica.com 2004年9月28日-"Seize Golden Opportunity On Debt, Groups Urge IMF"、The Guardian 2004年10月4日-"IMF must learn the golden rule"、AllAfrica.com 2004年10月11日-"Groups Defend Plan to Swap IMF Gold for Third World Debt"、Telegraph 2004年10月11日-"Do all these consultants really benefit the Third World?"

関連項目[編集]

外部リンク[編集]