ユッスー・ンドゥール

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ユッスー・ンドゥール
2008年、トロント国際映画祭にて
基本情報
出生名 Youssou N'Dour
出生 1959年10月1日(54歳)
出身地 セネガルの旗 セネガル ダカール
ジャンル ンバラ
ワールドミュージック
ポップ
職業 歌手パーカッショニスト
活動期間 1970年代 - 現在
公式サイト www.youssou.com

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ユッスー・ンドゥール(Youssou N'Dour, 1959年10月1日 - )は、セネガル歌手[1]

セネガルポピュラー音楽の大御所。祖国セネガルの伝統音楽に、さまざまな民族音楽や欧米のポップ・ミュージックのエッセンスを取り入れ、独自の音楽世界を展開している。2004年、米国のローリング・ストーン誌は、「アフリカにおいて生存する最も著名な音楽家であろう」と賞した[2]。セネガルの伝統的音楽家家系グリオ(語り部)の血を引く彼は、祖国の楽器ジャンベを用いた伝統音楽から、カリブ音楽やその他様々なジャンルの音楽を融合したンバラという音楽ジャンルを確立し、これまで20年以上に渡り、自身のバンド、シュペール・エトワール・ドゥ・ダカール英語版 (Super Étoile de Dakar) と共に活動を続けている。

略歴[編集]

1959年セネガルダカール生まれ。西アフリカの代表的な民族であるセレール族出身で、古くから伝わる音楽や思想を伝承する「グリオ」の家系に生まれ育つ。10代から音楽活動を始め、12歳から数年間は、1970年代初頭のダカールで最も人気があったスター・バンド英語版 (Star Band) で活躍した。1979年エトワール・ドゥ・ダカール英語版 (Étoile de Dakar) を結成。 1980年頃からアフリカの隣国やフランスなどへのツアーやレコーディングを開始する。1982年にシュペール・エトワール・ドゥ・ダカールを結成。1980年代に入ると、1982年に英ヴァージン・レコードと契約し、ピーター・ガブリエルと出会い、ライヴや彼のアルバム『So』(1986年)での共演を機に注目を集めるようになった。『ネルソン・マンデーラ』(1986年)をリリース。『ザ・ライオン』(1989年)や『セット』(1990年)はヴァージン傘下のガブリエルが関わっているリアル・ワールド・レコードからのリリースとなる。また、ポール・サイモンスティングなど有名ミュージシャンとの共演で、世界的アーティストとしての地位を確立する。

1992年には、映画監督スパイク・リーがソニー傘下で設立したレーベル「40エイカーズ&ア・ミュール・ミュージック・ワークス」に移籍し、『アイズ・オープン』をリリース。1998年、ワールドカップ・サッカー・フランス大会の公式アンセム「勇者たちの庭」("La Cour des Grands") を制作したほか、同年、アニメーション映画『キリクと魔女』の映画音楽を手掛け[3]、日本でも2003年夏にスタジオジブリ配給で公開された。日本ではさらに「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」がホンダ・ステップワゴンのTV-CMソング[4]や『笑う犬の発見』のオープニングテーマに起用された。

2003年、反戦の意を込め、全米ツアーをキャンセルした。2004年、アルバム『エジプト』で第47回グラミー賞(ベスト・コンテンポラリー・ワールドミュージック・アルバム)受賞[5]2006年ワールドカップ・サッカー・ドイツ大会ではファイナル前イベントのプロデュースを行なった。同年夏には、〈東京の夏〉音楽祭にてユッスーとスーパー・エトワール・ドゥ・ダカールによるフルステージ来日公演が10年ぶりに果たされた。

スティーヴィー・ワンダーなど、世界的なミュージシャンからの信頼も厚い。日本の音楽家では、DREAMS COME TRUE[6]坂本龍一[7]の作品に参加したこともある。社会的なメッセージ色の濃い作品、LIVE 8などのチャリティー企画への参加、ユニセフ親善大使としての活動など、確固たる信条に貫かれた彼の言動は、音楽界のみならず、社会的にも大きな影響力を持つ。現代のグリオとして、音楽を通じて社会にコミュニケートする姿勢は「歌うジャーナリスト」とも称される。

2011年11月より政治活動に専念するため音楽活動を停止し、アブドゥライ・ワッド大統領批判の急先鋒に立った[1]。大統領選への立候補も申請されたが署名数が足りず申請を却下されていた[1]。対立候補のマッキー・サル元首相を支援する立場にたったンドゥールは、ワッド大統領が選挙に敗れた場合には音楽活動に復帰すると発表した[1]

サルが大統領選に勝利し、ユッスーは2012年4月にセネガルの文化観光大臣に任命される[8]

ディスコグラフィー[編集]

アルバム[編集]

Album アルバム 備考
1984 Bitim Rew
1986 Nelson Mandela ネルソン・マンデーラ
1988 Immigrés
1989 The Lion ザ・ライオン
1990 Set セット
1992 Eyes Open アイズ・オープン
1994 Guide (Wommat) ザ・ガイド
1996 Djamil
1997 Inedits 84-85
1999 Special Fin D'annee Plus
2000 Lii
2000 Joko: The Link ジョコ
2000 Rewmi
2000 Le Grand Bal
2000 St. Louis
2001 Le Grand Bal a Bercy
2002 Ba Tay
2002 Nothing's In Vain ナッシングス・イン・ヴェイン
2002 Youssou N'Dour and His Friends
2004 Kirikou キリクと魔女
2004 Egypt エジプト
2007 Rokku Mi Rokka ロック・ミー・ロッカ 米国ローリング・ストーン誌に2007年のベスト50アルバムの30位に位置づけられる。
2009 Special Fin D'annee : Salegne-Salegne
2010 Dakar - Kingston

ベスト盤[編集]

Album アルバム 備考
1995 The Best of Youssou N'Dour ベスト
1997 Immigrés/Bitim Rew イミグレ
1998 Best of the 80's ベスト・オブ80's
1998 Hey You: The Essential Collection 1988–1990
2001 Birth of a Star
2002 Rough Guide to Youssou N'Dour & Etoile de Dakar ラフ・ガイド・トゥ ユッスー・ンドゥール&エトワール・ドゥ・ダカール
2004 7 Seconds: The Best of Youssou N'Dour (Remastered) 7セカンズ:ベスト・オブ・ユッスー・ンドゥール

シングル[編集]

タイトル 順位 アルバム

Hot 100

モダン・ロック

メインストリーム・
ロック

シングル

シングル

シングル

シングル
1989 "Shaking the Tree" - # 9 - - - - - 『ザ・ライオン』より。
1994 "7 Seconds" #98 - - # 3 # 8 - - ネナ・チェリーとのデュエット。
2002 "So Many Men" - - - - - # 15 - 『ナッシングス・イン・ヴェイン』より。パスカル・オビスポとのデュエット。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d セネガル歌手ンドゥール氏、大統領選で現職敗北なら音楽再開へ、ロイター日本版サイト、2012年3月2日閲覧。
  2. ^ Youssou N'Dour To Officiate the 2nd African Creative Economy Conference”. ModernGhana.com (2012年10月9日). 2013年2月16日閲覧。
  3. ^ キリクと魔女2 4つのちっちゃな大冒険”. Albatros Film. 2013年2月16日閲覧。
  4. ^ clicccar (2012年4月7日). “ステップワゴンが進化するなら、CM曲の外人歌手も立身出世だ~! - エキサイトニュース”. 2013年2月16日閲覧。
  5. ^ Past Winners Search”. The Recording Academy. 2013年2月16日閲覧。
  6. ^ Sing or Die - Dreams Come True : Credits”. AllMusic. 2013年2月16日閲覧。
  7. ^ Beauty - Ryuichi Sakamoto : Credits”. AllMusic. 2013年2月16日閲覧。
  8. ^ Senegal musician Youssou Ndour given ministerial post”. BBC (2012年4月5日). 2013年2月16日閲覧。

外部リンク[編集]