デヴィッド・クロスビー

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デヴィッド・クロスビー
2006年のコンサートで
2006年のコンサートで
基本情報
出生名 David Van Cortlandt Crosby
出生 1941年8月14日(72歳)
カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル フォークロック
ロック
職業 シンガー
作曲家
担当楽器 ヴォーカル
ギター
活動期間 1963 - 現在
レーベル Atlantic, A&M, Rhino
共同作業者 ザ・バーズ
クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング
CPR
公式サイト CrosbyCPR.com

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デヴィッド・ヴァン・コートランド・クロスビー(David Van Cortland Crosby、1941年8月14日 - )は、アメリカのミュージシャン。

Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第99位[1]

経歴[編集]

バーズクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングといった1960-70年代を代表するロックバンドに在籍した。父は「真昼の決闘」などハリウッドで多くの作品の撮影監督として活躍し、1930年にはアカデミー撮影賞も受賞した、フロイド・クロスビー。

フォーク・ジャズ・ドラッグカルチャーの影響の濃いサイケデリックな曲想で、独自の世界観を作り上げた、特に1970年前後のヒッピームーブメントを代表するミュージシャン。

モンドミュージック方面で日本でも再評価されているレス・バクスターのグループなどに在籍後、1964年ロジャー・マッギンジーン・クラークらとともにバーズを結成。

彼らは、「ミスター・タンブリンマン」等のヒットにより、一躍1960年代のアメリカ音楽シーンを代表するグループとなった。クロスビーの甘いテナーボイスによる高音パートのハーモニーは、バーズの3部コーラスを特徴づけるもので、リズム・ギタリストとしても独特のカッティングでサウンドに変化をもたらした。また、自作曲では先進的なサウンドや実験的な形式を志向し、シタールの導入、アカペラ、変則チューニング、モード的コード進行など、バーズサウンドの一面を担った。この時期のクロスビーの作品として代表的なものに、「Everybody Has Been Burned」、「Draft Morning」、「Lady Friend」 、「Eight Miles High」(共作)、などがある。

1967年にバーズを脱退。アルバム『名うてのバード兄弟』にて、クロスビーの曲「Triad」のアルバム収録をメンバーから反対されたことや(※近年のリマスターによる再発でバーズバージョンも陽の目をみるに至っている)、外部ライターのゴフィン&キングの曲を採用したことなどが脱退の原因といわれている。

バッファロー・スプリングフィールドや俳優のピーター・フォンダ等、バーズ在籍時からバンド外での交友が広かったクロスビーは、ジョニ・ミッチェルのファーストアルバムのプロデュース等を経て、1968年、元バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルス、元ホリーズグラハム・ナッシュと「クロスビー・スティルス&ナッシュ(&ヤング)」を結成。マイルス・デイヴィスにカバーされた「グウィニヴィア」、スティルスやポール・カントナーとの共作「木の舟」、アルバムのタイトルナンバーとなった「デジャ・ヴ」等の個性的な楽曲と、メンバーとのコーラスワークでグループの成功に大きく貢献した。

その間、クロスビーは、ジェファーソン・エアプレイングレイトフル・デッド等が参加した、初のソロアルバム『If I Could Only Remember My Name』(1971年)をリリース。スキャットを駆使したジャジーな楽曲や、「嘲笑」などの印象的なナンバーを残した。このアルバムのセッションは、Planet Earth Rock & Roll Orchestra セッションと呼ばれ、後のジェファーソン・エアプレイングレイトフル・デッドのアルバムにおさめられることになる曲のいくつかも、その原型が作られた。

メンバー間の軋轢からクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングは活動停止。その後、盟友ナッシュと「クロスビー&ナッシュ」(1972年 - )として、バーズの再結成(1973年)をはさみつつ、活動を行った。クロスビー&ナッシュでは、お互いの曲調を尊重しながらサポートしあうスタイルで、アルバムのうち2作を全米10位以内に送り込んだ。

1977年、CSNを再結成し、アルバム『CSN』リリース。全米第2位を記録。

しかし、薬物中毒により創作活動が行えないほどになった。1985年、銃器法違反で刑務所生活の後、薬物中毒、および肝硬変の治療を果たし社会復帰(生体肝移植を受けた)。

1988年には、CSN&Yを再結成し、「アメリカン・ドリーム」発表。

ドラッグの後遺症により、1995年肝移植手術。その後、実の息子であるジェイムス・レイモンド(キーボード)、ジェフ・ピーヴァー(ギター)とバンド「Crosby, Pever & Raymond」を結成。現在に至るまで、クロスビー&ナッシュ等と平行して、精力的に音楽活動を続けている。

また、バーズ、CSN&Yとして、2度のロックの殿堂入りを果たしている。

『フック』(海賊役)、『バックドラフト』(火事で焼け出されたアパートの住人役)などの大作映画にチョイ役(台詞あり)で出演している。

ディスコグラフィー[編集]

ウォール街を占拠せよ」に参加するクロスビー(2011年)

ソロ[編集]

  • If I Could Only Remember My Name...」(1971)
  • 「オー・イエス・アイ・キャン」(1989)
  • 「サウザンド・ローズ」(1993)
  • 「カミング・バック」(1995) (Live)
  • 「Voyage」(2006) (ベスト盤ボックスセット)

The Byrds[編集]

Crosby, Stills & nash[編集]

  • Crosby,Stills&Nash」(1969)
  • 「CSN」(1977)
  • 「Daylight Again」(1982)
  • 「Allies」(1983)
  • 「Live It Up」(1990)
  • 「After The Storm」(1994)

Crosby, Stills, Nash & Young[編集]

  • Deja Vu」(1970)
  • 4way Street」(1971) (LIVE)
  • 「American Dream」(1988)
  • 「Looking Forward」(1999)

Crosby & Nash[編集]

  • 「グラハム・ナッシュ/デヴィッド・クロスビー」(1972)
  • 「Wind On The Water」(1975)
  • 「Whistling Down The Wire」(1976)
  • 「Crosby & Nash Live」(1977) (LIVE)
  • 「The Best Of Crosby & Nash」(1978)
  • 「Another Stoney Evening」(1997)
  • 「Crosby * Nash」(2004)

Crosby, Pever & Raymond (CPR)[編集]

  • 「CPR Live At Cuesta College」(1998) (Live)
  • 「CPR」(1998)
  • 「JUST LIKE GRAVITY」(2000)
  • 「CPR Live At Wiltern」(2001) (Live)

[編集]

  • Crosby, David (2005). Long Time Gone: The Autobiography of David Crosby. Da Capo Press. ISBN 0-306-81406-4. 
  1. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。

外部リンク[編集]